2012/05/15 - 2012/05/29
14位(同エリア112件中)
- #『アルト・ハイデルベルク』
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《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭
ハイデルベルク14:50->L? 13km Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿到着・見学15:20~16:30->B37・A6・5(Mannheimマンハイム)90km(Frankfurtフランクフルト・Eschbornエッシュボルン)->L? 8km 古城ホテル Kronbergクロンベルク城到着・見学17:45 着。(⑬Schlosshotel Kronberg)
ハイデルベルクから13km先のシュパーゲルの産地であるSchwetzingenシュヴェツィンゲンに向かう。
写真はシュヴェツィンゲンのSpargelfrauシュパーゲル小母さんの銅像と。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<アルト・ハイデルベルク >
マイヤー・フェルスター (丸山匠さん訳 岩波文庫)
栄光あるわが麗しの町よ
ネッカーのほとり
ラインのほとりに
くらべるものとてなし
心楽しき仲間の集う町
知恵にあふれ
美酒にあふる
・・・
写真は「アルト ハイデルベルク」
フリードリフ・ライムントが1927年に作曲したオペレッタの曲
『Ich hab' mein Herz in Heidelberg verloren。
わが心、ハイデルベルクに失い』がある。
Andre Rieu - Ich hab mein Herz in Heidelberg verloren 2009
(mit Bildern von Heidelberg und Fahrt auf dem Neckar)
https://www.youtube.com/watch?v=vuX581_Yw0w
尚、一番の歌詞とその意訳!は以下に。
私が20歳になったばかりの夕べでした。
ネッカーの畔で、私は彼女の赤いくちびるに、
見事な金髪に口づけしたのです。
夜は青く、私は天に昇った心地がし、
ネッカーは明るく銀色に輝いていたのを私は覚えている。
ネッカーの畔で、私がどんな風だったか、私は覚えている。:
なま暖かい夏の夜、わが心をハイデルベルクに失う。
私は彼女に首ったけだったのに、
小さいバラのような彼女の口は笑った。
門の前で私たちは別れを告げ、
最後の口づけで、私は覚ったのです。
わが心をハイデルベルクに失ったことを。
わが心はネッカー川畔にあり。
・・・・・ハイデルベルク城 城・宮殿
-
シュヴェツィンゲンはバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部、ハイデルベルクの南西約13km、マンハイムの南東約15kmにある。
その二つの町を結ぶ古城街道上にある。
写真は古城街道Map・・・シュヴェツィンゲンは西に -
写真はWappen_Schwetzingenシュヴェツィンゲンの紋章
シュヴェツィンゲン市の紋章は上下二分割で、上部は黒字に左向き(向かって右向き)中央の分割線から半身を現す赤い爪・赤い舌を出した金の獅子、下部は青地に銀のリングである。
獅子は1803年までシュヴェツィンゲンを治めたプファルツ選帝侯を象徴する。
リングは元々は、エアリヒハイム家の親族でシュヴェツィンゲン城(城塞)と関係が深いハンス・フォン・シュヴェツィンゲンの印章に由来する車輪が描かれていた。この車輪は後にリングに変更された。 -
【Schwetzingenシュヴェツィンゲン観光】
15:20~16:30
シュヴェツィンゲンの地域は元々ヴォルムス司教領であったが、12世紀にライン宮中伯・プファルツ選帝侯の支配下となった。1439年に初めて人口が記録され、その数はなんと230人であった。
今は人口22千人のそれなりの町になっている。
かつて、一度訪れた事があるSchwetzingenシュヴェツィンゲンはハイデルクベルクから13kmしかない。
街中に入り、宮殿から少し離れた“Alter Messplatzかつての測量場”という駐車場に車を置いた。
意外と駐車場が混んでいるから、催しでもあるのかもしれない。
道案内順に沿って歩くと、宮殿広場に至る。
写真はシュヴェツィンゲン:宮殿広場の北側に位置する通り。
この通りの真ん中に”Palais Hirsch鹿のパレス“という建物がある。 -
イチオシ
当地はシュパーゲルの産地であり、宮殿広場にはシュパーゲルを商うSpargelfrauシュパーゲル小母さんの銅像まであった。
写真はシュヴェツィンゲン:Spargelfrauシュパーゲル小母さんの銅像と。 -
傍の青空市でも季節がら、新鮮なシュパーゲルが山盛りで売られていた。
シュパーゲルの季節は後述のシュヴェツィンゲン音楽祭と丁度重なるので、観光客も多いのだろう。
写真はシュヴェツィンゲンのSpargelfraudenkmalシュパーゲル小母さんの記念像・・・場所が移動したらしい。 -
宮殿守衛所の建物(右手の)に入場券や、土産品の店があり、結構人混みがある。
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:正面入口ドイツの美味・シュパーゲル(白アスパラ)はプファルツ選帝侯のシュヴェツィンゲン宮殿で栽培されていた。 by jijidarumaさんシュヴェッツィンゲン城 城・宮殿
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イチオシ
<Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿>
この旅49番目の城 入場券Euro10
“プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿(かつてのWasserburg水城)である。
1350年、ライン宮中伯ルドルフ2世が居城とした。
三十年戦争およびプファルツ継承戦争で、この城は破壊された(1689年)が、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと、その後継者によって再建された。
1720年にカール3世フィリップはハイデルベルクから一時的にシュヴェツィンゲンに宮廷を移し、1742年からは夏の宮殿として、増築がなされた。
1750年にプファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールにより、城の広大な庭園72 haを含む“新しい都市”の設計がなされ、建設が行われた。
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:庭園側からの宮殿全景 -
1752年には城内劇場(500席のRokokotheaterロココ劇場)がオープンした。
1777年にプファルツ選帝侯からバイエルン選帝侯になると、カール・テオドールは1778年に宮廷をミュンヘンに移し、シュヴェツィンゲン宮殿は長く捨て置かれた。
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:プファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールの肖像画 -
手前の宮殿からずっと先に広大なフランス風・イギリス風庭園が広がって、それはなかなかのものだ。
園内にはムーア様式のモスク、人工廃墟、大理石の浴場、壮麗なアポロ神殿など、ヴェルサイユやシェーンブルク宮殿に見たようなものが造られている。
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:“プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿の俯瞰 -
駐在中の旅でそれらは見た事があり、今日はそこまで回遊する気も無く、Arionbrunnenアリオン(ギリシア神話に登場する名馬の名)の噴水近くまで行った。
偶々、出会ったバロック風の立派な衣装を着た方が一緒に撮影に応じてくれたので、満足してしまった。
http://www.schwetzingen.de/
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:庭園側から -
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:泉水の池
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写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:泉水の池
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写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:アリオン(ギリシア神話に登場する名馬の名)の噴水。
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イチオシ
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:バロック風の立派な衣装を着た方が一緒に撮影に応じてくれた。
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写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:アリオン(ギリシア神話に登場する名馬の名)の噴水を背に。
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【Spargelシュパーゲル料理について】
“Spargelシュパーゲル(白アスパラ)料理”をドイツの旅の最初に食べることが多い。
太い見事な白いシュパーゲル(アスパラ)数本にオランダ風ソースを十分にかけるのが、私の好みである。
取立ての新しいジャガイモを添えた料理はドイツならではの美味さだ。
これに男性向きにお肉や、ハムなどを添える場合もある。
写真は2012.05.16.古城ホテルSchloss-Saaleckザーレック城のAbt-Zimmer僧院長の間で頂いた夕食・・・ラムの焼き肉、真中にどんと一本の太いシュパーゲル、ニンジンなどの春野菜、ローストしたジャガイモ添え、生クリーム入り焼き肉のソース。 -
この料理にはドライなシェリー酒が合う。いつもそれをアペリティーフに飲む。
そして、メインのワインも辛口の白が定番になっている。
写真は2012.05.27.古城ホテル クロンベルク城での夕食・・・8本のシュパーゲルにジャガイモ3個、オランダソースかけ。
私はそれに加えて仔牛のメダリオン2個を載せています。 -
春の旬、白アスパラ(シュパーゲル)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。ドイツのシュパーゲルの季節は4~6月下旬が食べ頃です。(例年4月の上旬頃に始まり、6月の洗礼者ヨハネの祝日に終ります。因みに純白のシュパーゲルと同時期に店頭に並ぶ、外観はフキに似て赤い野菜"Rhabarberラバーバー";日本では“ルバーブ”と呼ぶ。このドイツではジャム、ケーキ、シャーベットなどのデザートに多用される。;の収穫もこの日まで。)
この時期は、町々のマルクト広場の朝市や農家(道路際でも)の直売所で、朝一番の新鮮なSpargelを買う事が出来る。
写真は2012.05.27.古城ホテル クロンベルク城での夕食・・・8本のシュパーゲルにジャガイモ3個、オランダソースかけ。 -
ドイツでは"Volksgemueseフォルクスゲミューゼ(ドイツ人に最も好まれる野菜)" と呼ばれているほど、季節になると好んで食べる。レストランには“Die Spargelzeit ist da !!!(さー、春の旬、シュパーゲルがあるよ!!!)”といった看板が立つ。
日本では白アスパラの缶詰めが多く、まだまだ、なじみのないものだ。また、緑のアスパラが主流で、明治の北海道開拓と共に生産が始まったと云われている。
写真は2011.5.23.Saechsische Schweizザクセンのスイス:Basteiバスタイ・Berghotelベルクホテルのパノラマレストランで昼食に食べた 見事なシュパーゲル -
中世の時代にあって、塩は“白い黄金”と呼ばれ、大変貴重なものとして、交易の主要な品となった。ドイツ北部のハンザ自由都市に繋がる“Salzstrasse塩の道”という交易ルートが町々を結び、塩の生産地であったLueneburgリューネブルクなどは大変隆盛を誇ったと云う。
18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。
その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。
因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマといった時代からの野菜である。
中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
(尚、現代では、アスパラギン酸は栄養ドリンクにも含まれ。疲労回復、滋養強壮に効果があるとされる。また、穂先に含まれるルチンは血行を良くし、高血圧、動脈硬化予防にも良いと言われている)
写真は2011.5.25.Hotel Schloss Landsberg-Meiningen古城ホテル ランドスベルク・マイニンゲンのグルメレストランRittersaal騎士の間・・・夕食で出てきた、ちょっぴり上品に仕立てたシュパーゲル料理 -
1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿に於いて、シュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。
一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。
(2009.06.07.完)
・・・・・
写真は美しい庭園とシュヴェツィンゲン宮殿 -
1937年にロココ劇場の修復が行われ、1952年に漸く、ここを舞台に “Schwetzinger Festspieleシュヴェツィンゲン音楽祭(南西ドイツ放送の主催;毎年5月中旬~6月)”が創設された。
写真はSchwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿:ロココ劇場は宮殿に向かって左手にある。 -
写真はシュヴェツィンゲン宮殿:Rokokotheaterロココ劇場・1753年
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今年で60周年を迎え、国際的に知られた音楽祭の一つになっている。
ロココ劇場は宮殿に向かって左手にあり、人だかりが見える。
写真はシュヴェツィンゲン宮殿:北翼にあるRokokotheaterロココ劇場 -
2012年は4月27日~6月16日の間に開催されて、この日のプログラムは“モーツアルトの一日”とあった。
残念ながら、時間もなく、切符もなく、スルーした。
http://www.swr.de/swr2/festivals/schwetzinger-festspiele/
写真はシュヴェツィンゲン宮殿:Rokokotheaterロココ劇場内 -
写真はシュヴェツィンゲン宮殿:Rokokotheaterロココ劇場内1
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写真はシュヴェツィンゲン宮殿:Rokokotheaterロココ劇場内2
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写真はシュヴェツィンゲン宮殿:Rokokotheaterロココ劇場内3
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<お茶:Schwetzingen ・Piccola Serenataピッコラ セレナータで>
Dreikoenigstrasse 6
15:20~15:30 Euro4.5(482円)
アイスクリーム(5玉入り)・・・この旅はアイスクリームづけだ。
駐車場への帰り道で、途中にあったイタリア人経営の店先で食べた。
写真はシュヴェツィンゲン:アイスクリーム(5玉入り)で小休止。
・・・・・
シュヴェツィンゲンからMannheimマンハイムに立ち寄らずにB37・A6・5で98km先の(Frankfurtフランクフルト・Eschbornエッシュボルン経由)クロンベルクに向かう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2021/11/07 05:58:27
- アルト・ハイデルベルク
- jijidarumaさん おはようございます。
冒頭の歌の動画を拝見しました。ドイツらしい雰囲気のあるちょっと田舎臭い歌ですが、明るくて希望に満ちていて、聴くだけで楽しくなる歌ですね。観衆も一緒に口ずさんでいますね。誰でも知っているお馴染みの歌なのでしょうね。
こんな動画を見ると、ドイツもいいなぁ、とため息が出ます。
街中にある記念像、移動に便利で、楽しい銅像、日本にもこんなのあってもいいですね。アーヘンと言う街にもたくさんの銅像があるそうですね。一度行ってみたい国です。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2021/11/07 19:03:20
- Re: アルト・ハイデルベルクとアーヘンの銅像
- pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
アルト・ハイデルベルクに気持ちが残り、出だしにこの動画を入れましたが、シュパーゲル小母さんの動画を載せずに良かったです。
『わが心、ハイデルベルクに失い』は青春と失恋を軽やかに歌っていて、ドイツ人には人気が高く、広場は一杯になっていたし、口ずさむ小母様方も多かったですね。いろんな歌手の其々の歌い方がありますが、こちらの歌手さんに魅力があったようです(笑)。
<アーヘンの銅像のこと>
アーヘンは赴任の年の1974年秋口に、初めてデュッセルドルフを離れて家族で小旅行に行きました。(その後は2回ぐらい行ったはずですが、もう記憶も飛んでいます)それもドイツの運転免許を取得する前でしたから、電車で行ったのです。あの頃からすると、街もきれいで、銅像も大変多くなり、驚きました。
2020年01月、アーヘンのある旅行記の疑問に答えたものですが、ご参考に下記します。
1)噴水とコインを拾っていた彫像:
「Der Kreislauf des Geldesお金のサイクル(Circle of Money)」はハルトマンシュトラーセ(通り)/ウルスライナーシュトラーセ(通り)の角に位置し、Bildhauer彫刻家Karl-Henning Seemannカール・ヘニング・ゼーマン教授によって1977年に作成されました。
噴水の端にある6つの青銅の像は、お金のUmgang回転を示し、水のKreiselbewegung円運動はお金の一定の流れを表しています。
例えば、二番目の写真にある3人組の銅像は見事に太った女性から、男が右手で何か(この場合は金)を受け取り、後ろにいる男に左手で渡しており、お金の中継でしょう。
*Karl-Henning Seemannカール・ヘニング・ゼーマン教授は1972年、アーヘン応用科学大学の教授に任命される。彼は1934年Wismar生まれ、公共スペースの彫刻や噴水で最もよく知られています。
尚、多くの像が各地に建てられていて、「Auseinandersetzung対立」という名前が付く銅像2体(1975-76年)がデュッセルドルフの旧市街にあります。
2)街のあちこちにモニュメント:
Spatzenbrunnen雀の泉はアーヘン出身の彫刻家Bonifatius Stirnbergボニファティウス・シュティルンベルクが1978年に造形したもの。Muensterplatzaruミュンスター広場にある。
尚、アーヘン駅前にあるPferdegruppe馬の群れ(5頭)も同じ(1975年)。
3)踊りまわる市民?:
1970年に彫刻家Hubert Loenekeフーベルト・レーネケによって作成されたKlenkes-Denkmalクレンケス記念碑はアーヘン市のホルツグラーベン(Holzgraben木の堀)にある。
Klenkesクレンケスとは上げられた小指の事だそうだ。クレンケスはアーヘン市民の目印、識別、特徴であり、彼らの間で交わす挨拶である。
右手の小指を上げることで、その意を表現するのだと云う。その像はよく見ると、確かに小指をあげている。
4)変わった噴水・Puppenbrunnenプッペンブルネン(人形の泉):
1977年にドイツ・アーヘン出身の彫刻家Bonifatius Stirnbergボニファティウス・シュティルンベルクが造形したという「レムゴーの伝説:ビール酒税の導入とビール樽の紛争が生んだ宰相の泉」を2019年の初秋の旅番外編で掲載しましたが、アーヘンでも同じような(人形の泉)がある。アーヘンのKraemerstrasseクレーマーシュトラーセ(通り)、丁度、大聖堂と市庁舎の間のつながる通りにあり、アーヘン銀行から寄贈され、1975年にアーヘンの彫刻家ボニファティウス・シュティルンベルクにより作られた。
アーヘンがレムゴーより先に出来たようです。「宰相の泉」と同様に、噴水の人形は手足などが可動式です。
シュティルンベルクの作品はアーヘン出身の彫刻家ということもあって、アーヘン市内に彫刻、記念碑(作品リストから)など10作品もある。
尚、同じ作者が作った銅像と泉(1981年作)を2019年の初秋の旅でOsnabrueckオスナブリュックの聖ヨハン教会前で出会いました(こちらは番外編に纏めていません)。
(2020年1月21日纏め:Wikiなど訳・編集加筆)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それではまた。
jijidaruma
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