2019/10/31 - 2019/10/31
14位(同エリア220件中)
kojikojiさん
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コンヤのホテルを8時45分という中途半端な時間に出発しました。市内観光は1時間しかないのですが、まずはほんの少し走った旧市街の中心にあるインジェミナーレ神学校の外観の見学です。バスを降りて写真を数枚撮ってすぐに出発です。理由は神学校の前は駐車禁止なので急がねばなりません。続いて少し走った先にあるメブラーナ博物館の見学です。この博物館の開門が午前9時なのでそれに合わせた出発だったわけです。つまりここには45分しかいないということです。入口の門から霊廟までの間にガイドさんからの説明を受けて、内部の見学は自由時間になりました。霊廟の建物はそんなに大きくないのですが、周囲を囲むような展示室をゆっくり見る時間はあまりありませんでした。後20分くらい欲しいところでしたが団体行動なので仕方ありません。17年前にトルコを周遊した時はカッパドキアからアダナに出て、シリア国境のアンタクヤ(ハタイ)に行き、メルシンからフェリーに乗って来たキプロスへ渡り、タシュシュに戻ってからアンタルヤと地中海沿岸を移動してしまったのでコンヤがルートから外れてしまいました。とても1か月の旅程では組み込めなくて泣く泣く諦めた場所だったので今回来る事が出来て大満足ではありました。妻も旋回演舞のセマーがどうしても観たく、その本拠地のコンヤには思い入れがあったようです。あっという間の見学でしたが、ミュージアムショップでセマーゼンの絵も買う事が出来てさらに満足がいきました。この日はコンヤからアンタルヤまでトロス山脈を越えて移動しなければならないので、10時過ぎにはコンヤの町を出てトロスの山の中でお昼を食べるまでの旅行記です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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インジェミナーレ神学校は1258年から1279年にかけてアナトリアのセルジューク・スルタンのサヒバタ・ファレッディン・アリ(Sahib Ata Fahreddin Ali)によって建てられました。元々のミナレットは残っているものの高さよりもはるかに高く、他のセルジュク・トルコ時代のモスクのミナレットと比較しても異常に細長い外観をしていたそうです。
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建物の正面にはスクリプトや幾何学模様、垂直のリボンのようなラインのレリーフを含む非常に装飾された石造りのファサードがあります。 入り口にはコーランのスーラ(Sura)36とスーラ(Sura)110を描いたエレガントなスルース(Thuluth)の帯に囲まれています。
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コーランの第36番目の章(スーラ)はムハンマドの別名であるヤー・スィーンの言葉が書かれてあります。本章は「クルアーンの心臓」とも呼ばれ、最後の83節は啓示の核心を説いているとされるように、イスラム教徒が最も重んじる章句の1つといわれるそうです。アラビア語が読めればこの建物の外壁が文字で覆われていることを感じるのでしょう。
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コーランの第110番目の章(スーラ)は、アッラーを称え許しを乞うことを命じる章です。ハディースによれば「援助と勝利が来たとき」とはムハンマドの死期を示す比喩であるとされ、第1節に記されている「勝利」とは、圧倒的多数のメッカ軍に対してムハンマド率いるメディナ軍が奇跡的な勝利を収めたバドルの戦いを指しているそうです。
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ミナレットは1901年に落雷により損傷を受けますが1956年に復元されています。神学校の建物は現在セルジューク朝とオスマン朝時代の石と木製の彫刻を集めた博物館となっています。
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残念ですが外観の見学だけで内部に入る予定にはなっていません。
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コーランの一説がまるで楽譜のように見えました。カイロのムハンマド・アリ・モスクで聴いたお祈りの言葉はまるで歌のようでしたが、その時の旋律を思い出しました。
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尖塔のレンガの積み方の美しさと青いタイルで造られた模様はバルセロナのガウディの建築したグエル別邸のデザインに似ていると感じました。
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ほんの10分の観光だけでしたがそれだけでもこのファサードを見に来る価値があると思えました。今回はディヴリの世界遺産ウルジャーミーと病院のファサードに始まり、シワスのシファーイエ神学校とギョク神学校などファサードの美しい建物を数々見てきました。
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続いてはバスに乗りこんでメブラーナ博物館へ移動します。コンヤの中心部はあまり広くないので移動に時間はかかりません。
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大きな広場に面してエリミエ・ジャーミーとメブラーナ博物館が隣接しています。
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広場を一度大きく回って入り口側に向かいます。
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青緑色の霊廟の尖塔が美しい建物です。ここまででちょうど午前9時の開門の時間です。セキュリティを通って中に入ります。
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現在のメブラーナ博物館は独特の旋回舞踏で有名なメブラーナ教団の創始者であるジェラルディン・ルーミーの霊廟です。メブラーナとは「我が師」という意味でジェラルディン・ルーミーを指す言葉です。敷地にはメブラーナをはじめとする教団の発展に尽くした名僧たちの霊廟や資料室や修行場などがあります。アタチュルクによるトルコの宗教分離政策により、教団は解散させられ旋回舞踏は禁じられます。1927年に霊廟は宗教色を薄める形で博物館としてオープンし、旋回舞踏も1970年代の緩和政策により再会されています。
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墓門から霊廟へと続く小さなモスクに入ります。その2つの扉にはセルジュク・トルコ時代のモチーフと1492年にモラー・アブドゥル・ラーマンカミによって書かれたペルシア文字の扁額が飾られています。
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さらにスール体やネシ体やタリクスタイルの希少で貴重なオスマン書道で飾られた小さな朗読部屋(ティラベットルーム)に続いています。 この部屋では霊廟が博物館になる前にはコーランが絶えず唱えられていました。1599年にメフメッド3世の息子によって造られた銀製の扉を通って朗読部屋から霊廟に入ります。
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メヴラーナをコンヤに招いたセルジュク・トルコのスルタンであるアル・ディン・ケイクバードは、彼が亡くなったときにメブラーナの父であるバハ・ウド・ディン・ワラドを葬るのにふさわしい場所として自らのバラ園を提供しました。そして1273年12月17日にメブラーナが亡くなったときには父親の隣に埋葬されました。
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メヴラーナの後継者であるフサメティン・チェレビは、メブラーナの墓の上に霊廟(クッベ・イ・ハドラ)を建てることに決めました。建築家バドル・アル・ディン・タブリジの設計したセルジュク建築の霊廟は1274年に完成します。ドームの円筒形の尖塔はもともと4本の柱に支えられ、ドームはターコイズ色のタイルで覆われています。
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霊廟に並べられた石棺は美しく装飾された布で覆われ、シッケと呼ばれる帽子が添えられています。ガイドのカデルさんからも教えてもらいましたが、この帽子自体が墓石を表しているそうです。
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美しい象嵌で覆われた棺も並んでいました。帽子の種類にも違いがあり、より高位な僧侶の霊廟であることが分かります。壁にデザインされたアラビア文字は読めませんがその美しさに魅了されます。
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霊廟に納められた香炉や銅器の装飾の美しさにも目が止まります。美しいアラビア文字や花々で隙間なく埋め尽くされています。
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ミブラーナの石棺は緑のドーム(キバブラクタブ)の下に安置されています。 それはブロケードと呼ばれる錦で覆われ、コーランの詩編が金糸で刺繍されています。 これらの錦布は1894年のスルタン・アブドゥル・ハミド2世からの贈り物です。実際の埋葬室はその下にありミブラーナの石棺の隣には父親のバヘディンヴェレドと息子のスルタンヴェレドの石棺が並んでいるそうです。父親の墓の上に置かれたミブラーナの木製の棺は12世紀にさかのぼり、セルジュク時代の木彫の傑作と言われます。 石棺と通路部分を隔てる銀の格子は1579年にイリヤスによって建設されました。
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今まで数々のミフラーブと呼ばれる聖龕(せいがん)を見てきましたが、これほどまで美しく装飾されたものは初めてでした。
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壁面の装飾も規模こそ違えイスタンブールのブルーモスクなどの建築とは違った美しさと精度の高さを感じます。
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儀式用のホール(スマハネ)は隣接する小さなモスクと同時にスレイマン大帝の統治下に建てられました。 このホールでは儀式的な舞踏であるセマーを演舞するために使用されたそうです。教団の楽士はケメンス(3本の弦を持つ小さなバイオリン)やケマン(大きなバイオリン)、ハリール(小さなシンバル)などの楽器を演奏します。ダイア(タンバリンの一種)やクドゥム(ドラム)、レバブ(ギター)やネイと呼ばれるフルートはメブラーナ自身も演奏したそうです。
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このホールは現在博物館の展示室となり、部屋の中央にはマホメット(ムハンマド)の顎髭を納めた小箱が置かれてあります。
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霊廟の隣の資料室にはマホメット(ムハンマド)のあごひげを納めた小箱も展示されています。一部が剥がれてはいますが、貝の象嵌で覆われた美しい箱です。
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13世紀のセルジュク・トルコ時代にメブラーナ自身が被っていたとされるシッケと呼ばれる帽子も展示されています。
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15世紀オスマントルコ時代の美しいクルアーン(コーラン)です。掌の中に納まるほどの小箱の中に折り畳み式の装飾された1枚1枚が見事な美しさです。
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16世紀オスマントルコ時代のクルアーン(コーラン)は巻物のようです。経典というよりは幾何学模様の見本のような美しさです。
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霊廟は1854年までいくつかの増築も行われ、セリモール・アブドゥルバヒトは内部を装飾し直しました。1926年4月6日の政教分離の法令で霊廟と周囲の建物が博物館に変わることになり、1927年3月2日に博物館はオープンして1954年には「メブラーナ博物館」と改名されています。
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天井のドームが美しいので明るめにして1枚写真を残しました。カトリック教会の大聖堂のドームを見上げているとこのまま天国へ行けそうな気になりますが、イスラム教の天国はこの先にあるのでしょうか。
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西洋的なシャンデリアとアラビア文字の組み合わせが面白く感じました。
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メブラーナの霊廟の部分はお祈りを捧げたり瞑想している方もいるのでずっと混み合っていました。
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ホールの天井には不思議な箱が吊り下げられていました。
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妻が聞いたところではこの下で旋回舞踊の練習をして、その回転の正確さを確かめるということでした。
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シッケの形を模したアラビック・カリグラフィーの中心にはバラの花が添えられていました。これはスルタンのアル・ディン・ケイクバードがメブラーナの父であるバハ・ウド・ディン・ワラドを葬るのにふさわしい場所として自らのバラ園を提供しましたことに由来するのだと感じました。
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唯一読めるアラビック・カリグラフィーです。これで「アッラー」を表します。
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そして「ムハンマド」です。この2つは必ずモスクの中に描かれているので分かり易いです。
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出口へ向かうこの壁に描かれたのもカリグラフィーなのかもしれませんが読むことは出来ませんでした。
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霊廟の入り口の中庭の真ん中にあるシャディルヴァン(洗面所)はヤヴズ・スルタン・セリムによって建てられました。
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16角形の美しい屋根と天井の装飾です。内部の泉には水盤があり、噴水のように水が流れています。そして大理石の腰壁には蛇口が設けられています。イスラム教徒ではない我々は手も口もゆすぎませんでした。
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続いては周囲を取り囲む博物館の陳列室の見学に移ります。途中から自由時間になりましたが、ここでの見学はトータルでも40分ほどしかありません。
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向かって右側から順に小さい部屋を見学していきます。
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1つの部屋には2つか3つのガラスケースが並び、それぞれの中に数点の陳列品が置かれてありました。一見ガラスの花瓶かと思いましたが、キャプションにはグラス・ランプとありました。24カラットの鈍いゴールドの地にチューリップや撫子のようなの花が美しいです。マムルーク時代のもので日本では奴隷王朝と訳されますが、イスラム世界の各地で広く活躍した白人の奴隷身分出身の軍人たちを指すようです。
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正倉院御物の中にもこんな香炉があったと思いました。球形香炉「銀薫炉(ぎんくんろ)」と呼ばれる物のデザインのルーツもこの辺りだったのでしょうか?13世紀のセルジュクトルコ時代の品です。
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1880年のオスマントルコ時代のクルアーン(コーラン)は、シレリ・オスマン・ハムディ・エフェンディ(Silleli Osman el-Hamdi)により制作されたものです。彼は父から書道を学んだ書道家です。
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続く部屋にはセマー(旋回演舞)で使われる楽器が陳列されてありました。クドゥム(Kudum)というドラムの演奏はイスタンブールのシルケジ駅とギョレメの劇場で聞く事が出来ました。
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笛のような楽器はネイ(Nei)と呼ばれ、セマーの音楽には欠かせない重要な楽器です。
元々はペルシャ語で葦(アシ)を意味する言葉で、現在も葦を素材に楽器が作られています。 -
レバブ(Rebab)は3弦バイオリンのような楽器です。アラブやペルシア音楽の伝統がオスマン古典音楽としてトルコに根付く過程で、メヴレヴィー教団が果たした役割は大変大きいようです。教団は音楽との結びつきが強く、歴史的には多くのオスマン古典音楽の作曲家や演奏家はメヴレヴィー教団に所属していたそうです。
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巨大で長いお祈り用の数珠は19世紀のオスマントルコ時代の物でした。トプカピ宮殿に生えている西洋菩提樹の木で出来ているとのことです。
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赤と白、ベージュと緑のゴブリン生地で作られています。3方を縁取りで囲まれ、4方に三日月と星のモチーフがあります。タペストリーは3つの水平部分で構成され、最初の部分は「メヴラーナスルタン州コンヤ」を意味し、2番目の部分は「"Mevlana Sultan's Province Konya", in the second"Lailahe illallah Hak Muhammad Resulullah Ya Abubakr, Ya Omar, Ya Osman,Ya Ali, Maashallah"」と書かれてあります。3番目には「Zulfikar Zulfikar and Pence-i al-i aba」と書かれてあります。
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19世紀の香炉がいくつか並んでいました。ブラス製のためか一見するとチベット仏教の法具のようにも見えました。
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大きなココナッツから作られたケシュクルと呼ばれるお椀は貧乏な人が使うものだそうで、両端の穴から吊り下げて使用されたようです。メヴレヴィ教団では旅行中に提供されたニヤズのギフトを神から来たものとして受け入れ、ケシュクルに入れて持ち運んだそうです。
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一番興味深かったのは教団の衣装の部屋です。何しろ衣装については日本語で説明されているものにはお目にかかれないですから。
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1)シッケ(Sikke)と呼ばれる帽子は茶色や飴色のフェルトで作られた長い形が特徴的です。教団にとってシッケは墓石を表し、世界を繋ぐシンボルでもあります。
またアラキヤ(Araqiyyah)と呼ばれる帽子は白いウールやアンゴラで作られたそうです。デスター(Destar)は特別に編まれた白または緑のリボンで、幅5~8 cmの幅で帽子の周りに巻かれました。
2)コートは厚手の袖なしの布または襟のないマントで出来ていて、常に信者が着用するものです。
3)テヌレ(Tennure)は教団の信者が着用する長い襟のないドレスで、腰から下に伸びる広い断片的な尾があり、胸はV字型に開いています。 -
4)エリフィ・ネメド(Elifi Nemed)は4~5cmの幅のウールで作られた長い腰布でウエストに巻き付けられています。儀式ではこの腰布が師によって巻き付けられます。
5)デステグル(Destegul)はコートの下に羽織るベストのような衣装で、セマーを踊る際に見ごろが開かないように綿の紐で結ばれます。 -
衣装の名前や意味が分かってくると現物を見ていてもさらに興味が湧いてきます。
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実際に手に取れないのが残念ですが、シッケはカッパドキアの劇場で触る事が出来ました。
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絵画かと思いましたがキャプションに「インペリアル・オーダー」とあったので、スルタンの勅命が書かれたものだということが分かり、上の絵より下の文字の方が重要なのです。内容は1801年にコンヤのスルタンであったセリム3世の勅命で、教団に毎年50トンの調理用の薪を納めるように指示したものです。
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ポストバックの表には「敬意を払ってメヴレヴィ・シェイク・モラ・アリに提出しました。これは私たちマストリー・アリの代理人であり、神の栄光を受けた審判の日まで聖なるメディナを強大な神の恵みで照らす最高の光景です。」と書かれているそうです。
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先ほどのフラッグのレプリカが掲げられてありました。現在でも使われる重要なアイテムなのかもしれません。
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続くいくつかは修行のための部屋でした。床には絨毯が敷き詰められ、サフランボルでも見た長椅子のようなソファが設けられ、壁にかけられたタペストリーは防寒用なのかもしれません。部屋の中央にはクルアーン(コーラン)を置く台と座布団が置かれます。
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いくつかの部屋には蝋人形が置かれていてありかなりリアルでした。数珠を手繰っている姿ですが、以前は旅行中でも数珠を手繰っているおじいさんの姿を見掛けましたが、今回の旅ではほとんど見掛けることはありませんでした。
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別棟の大きな建物ではセマー(旋回舞踊)の練習をする人たちや教義について学ぶ人々の姿が見えます。東側の窓から光が差し込み、遠目に見るとまだメヴレヴィー教団の活動が行われているようです。
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大きなキッチンは火が入ったように設えられているのでリアルに見えました。厨房で働くことも重要な教団の教えだったそうです。
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セマーの練習をするセマーゼンの前に置かれたのはポータブル・セマー・ボードです。このボードの上に立って軸がぶれないように回転の練習をするのでしょう。こんなものはここに来なければ見る事が出来ないものです。
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ほぼ博物館のエリアは見学ができました。正直いって展示室はもう少しゆっくり見学したかったです。
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17年前にはアンタクヤからメルシンを経由して北キプロスを周ってしまって、ルートから外れたことにより来る事が出来なかったコンヤに来る事が出来て大満足です。
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エメラルドグリーンの円錐の塔が青空に映えます。
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この塔を見ていたらウズベキスタンへ行きたい気持ちがまた湧いてきました。まだまだ行っていない国や地域が数多くあります。
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本堂の周りにも小さな霊廟がいくつもありました。
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また石板が建ち並ぶだけの墓標だけの墓も数多く残されていました。石板だけの墓であっても教団に貢献があった僧侶の物だと思います。
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6角形の霊廟をそれぞれ見ている時間はありませんでした。
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内部はまるで図書館のようでした。中央には1つだけ石棺が安置されています。こんな場所が終の棲家だったらいいななんて考える歳になりました。
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マイルストーンのような石柱も墓標なのだと思います。ロール状のアラビア文字に自由さを感じます。
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ここで時間切れになり慌てて集合場所のミュージアムショップに向かいます。妻は先に戻っていて店のお兄さんと何やら話しをしています。やっと戻って来たみたいな顔をされましたが、その手には美しい細密画が握られていました。
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家に帰って世界堂で額装したら立派になりました。1枚240TLなので4,500円くらいでしょうか。
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説明を聞くと100年以上前のアラビア語の本に後からメヴラヴィー教団のセマーゼンの絵を描き込んだということでした。じっくり見るために床に座って50枚くらいから選別しました。まるで絨毯を買う時のようです。心の中で「エベット(Evet)」「ハユル(Hayir)」と呟きながら5~6枚選びました。
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今回の旅では妻が絶対にセマーを見たいということと、古いクレア・トラベラーに載っていたスーフィー人形を探すということでした。グランド・バザールでは良い陶器が見つからず、荷物も重くなってきたのでこれだと決めました。
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博物館から少し歩いたところでトイレを借りてコンヤを出発します。まだ10時過ぎですが、この日はアンタルヤまで移動しなければなりません。
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バスはもう一度広場を周ったのでメブラーナ博物館を外から眺める事が出来ました。
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1時間ちょっとのコンヤの観光でしたが、個人的には充実していました。
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バスはすぐに町外れに向かいます。
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町を出るとまた荒涼とした風景が続きます。
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地中海へ抜ける前にトロス山脈を越えなければなりません。
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しばらくすると木々が密集してきて、日本人には馴染みのある風景に変わってきます。黄色や赤に色づいた木々が深まってきたトルコの秋を感じさせます。
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最初のうちは緑の濃かった車窓の風景はどんどん変わっていきます。
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高度が上がってきているのかまた木々が減り始め、色づいたポプラの木が目立ってきます。
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名前も知らない高い岩山が見えてきました。
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勿体ないけどたぶん誰も登らないのではないかと思います。
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写真を撮らないともったいない気がしてシャッターを押してしまいます。
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また紅葉の美しい場所に通りがかりました。
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トルコ絨毯というよりはキリムのような美しさを感じます。初めてトルコに来たときはキリムやジジムといったウールの平織りのカーペットの美しさに惹かれ3回目の旅では各地で沢山買ってしまいました。
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妻と「この辺りは山梨の昇仙峡みたいだね。」なんて話をしながら車窓の風景を楽しみます。
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突然視界が開けると大きな湖が眼下に見えました。
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昔の旅ではトゥズ湖という湖の近くをバスで通過したことがありましたが、美しい塩湖でした。トルコ語で「Tuz=トゥズ(塩)、G?・l?・=ギュル(湖)」と呼ばれ、当時はボリビアのウユニ塩湖なんて知られていなかったのでその美しさに驚きました。今回は少し離れたルートだったのが残念です。
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今日のお昼はこんな山の中のドライブインでした。
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「Tinaztepe」というドライブインで、ガソリンスタンドも併設された大きな施設です。ちょうどコンヤとアンタルヤの中間みたいな場所でした。
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ドライブインなのでアルコールのサービスが無いので、久しぶりにザクロジュースにしました。確か10TLでした。妻は普段コーラなんて飲まないのですが、ビールが飲めないとコーラばかり飲んでいました。
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いつものトマトサラダからスタートします。
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スープはシェフリエスープというもので、中には細いそうめんのようなパスタが入っています。ベースはトマト味でした。
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そして松の実が入ったピラフは定番です。
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最後にようやくトルコ風のピザである「ピデ」が出ました。ギョレメのメフメットの飼っている子猫の名前がPIDEだったのを思い出しました。
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シェケルパーレというシロップに漬かった硬めのパンのようなデザートも美味しかったです。
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食後は併設されたお土産物屋にも入ってみました。HUNNAPって何だろうと思ったら店の人が「ZAO!ZAO!」っていうので???あっ中国の人に間違えられたんだと分かりました。西安の町で棗(ザオ)を買いに行った時に同じことを言われたのを思い出しました。
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チーズも美味しそうですがまだまだ旅は続くし、毎日食べているので買おうという気にはなりません。干しイチジクも買う予定ですがまだ早いかな~。
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少し時間があったのでドライブインの周辺も歩いてみました。お昼を食べるのには十分な時間が過ぎていますが、ドライバーさんの法定の休憩時間もあります。何しろ12日間で5,000キロを超える移動を2人でこなすのですから。何度かジャンダルマ(軍警察)のチェックもありました。
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バスの中からはポプラの木をたくさん見ましたが、真近で見るのはここが初めてでした。風が通る抜けるとカラカラと乾いた葉っぱの擦れる音が聞こえます。
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何でも無い風景なのですが美しいと感じてしまいます。
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少し強い風が吹いてたくさんの葉が落ちたのですが、上手く写真に収められませんでした。
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後ろで同じツアーの誰かが「おい、川崎さん、こりゃもしかするとトルコのベストシーズンだな。」確かにそう思える風景でした。
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ここからトロス山脈の山を下って地中海まで走り抜けます。アンタルヤへ至る前にアスペンドスの遺跡の見学です。
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旅行記グループ 2019 トルコ周遊の旅
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