2019/11/02 - 2019/11/02
3位(同エリア13件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1785冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,501,572アクセス
- フォロワー171人
早朝にアンタルヤを出発してアフロディシアスに向かいました。海岸線から山間部へ高度を上げていくと、日の出と共に周囲は霧に包まれます。その景色の美しさは幻想的でしたが、そのうちに周囲が全く見えなくなるほどの霧に包まれてしまいました。スティーブン・キングの短編に「ミスト」という作品があるのですが映画化された作品の音楽がDead Can Danceの「The Host of Seraphim」という曲で、このロケーションでは聞かなければならないなと感じました。今回はバスの移動が長いので失くしてもいい古いipodを持ってきて重宝しました。最初のトイレ休憩は霧の中のドライブインだったので、映画の中に出てくるスーパーマーケットのように感じました。ここは自家製のヨーグルトに松の蜂蜜をかけて芥子の実を乗せたものが名物で、ここに来るのを楽しみにしていました。この後も遺跡まではかなり移動しなければならず、アフロディシアスに到着したのはお昼前でした。駐車場からトラクターの牽引する木製の車に乗るのが面白かったです。遺跡に着いても博物館まではしばらく歩くことになり、ガイドさんの説明を聞いた後も一緒に移動しますが1周するだけで数キロ歩くことになります。ここは2017年に世界遺産になったばかりですが、少し歩くだけで遺跡のすばらしさに魅了されました。ツアーの列から少し遅れるだけでも1人で旅している気分に浸れました。前日にペルゲの遺跡で見た競技場も素晴らしかったですが、アフロディシアスの競技場の完成度には驚きました。劇場までゆっくり見学した後は集合時間が決められて博物館の自由見学になりますが、じっくり見ているうちに皆さんの姿がなくなり、少し焦りましたが見たいと思っていたものは何とか探し出す事が出来ました。でもあと30分は時間が欲しかったです。見学後もトラクターに乗って駐車場に戻り、お昼は駐車場の脇にあるレストランでいただきましたましたが、のんびりした雰囲気の中でポカポカ陽気で楽しい食事が楽しめました。ここからパムッカレまで1時間30分のドライブです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
午前7時30分にアンタルヤのホテルを出発します。今日も朝からバスの前半分の座席争奪がありました。そのためか毎日出発時間が早くなるような気がします。
-
川を渡るとアンタルヤともお別れです。地中海から太陽が昇ってきました。
-
高速道路に入ると急峻な岩山が周囲に現れます。
-
トロス山脈の東の果て辺りなのだと思います。朝陽が当たってとてもきれいです。
-
美しい山脈が車窓をどんどん流れていきます。大きな移動は2日振りなので新鮮な気持ちで車窓観光を楽しみます。
-
この日の予定はアンタルヤからアフロディシアスの遺跡を見学して、パムッカレまで移動した後に石灰棚の見学して少し北にあるカラハユットで宿泊します。
-
山道に入ると景色も近づいて来るのでまた違った車窓を楽しめます。
-
素通りするだけではもったいないような景色の中を走ると日が差してきました。
-
山の間を縫うように走っていると霧が出てきました。
-
霧が立ち込める風景は今回初めてだったのでその美しさに魅了されました。
-
霧が無ければ何てことない風景も木々が浮かびあがって不思議な風景に変わります。
-
暫らく飽きずに車窓の幻想的な風景を眺めていました。
-
トルコの自然の風景の変化を楽しむのも今回のツアーの魅力でした。これが楽しめないとやたら移動の長い旅行にしか思えないかもしれません。
-
しばらくはデニズリ(Denizli)に向かってバスは走り続けます。
-
走りながらも少しづつ高度が上がっている気もします。海沿いのアンタルヤの雰囲気はもうどこにもありません。
-
数日振りにポプラの木を見ましたが、夏の名残が少しあったアンタルヤから秋が深まったアナトリアに逆戻りした感じがします。
-
タブレット端末を使って現在位置を確認している方もいらっしゃいましたが、アナログな我が家は地図を持ちながら看板を見比べてルートを確認します。
-
高度が上がるとまた霧が立ち込めてきました。
-
しばらくするとバスの前方は真っ白になってきました。
-
ここで聞かなければならないなと思った曲はDead Can Danceの「The Host of Seraphim」です。スティーブン・キング原作の短編を映画化した「ミスト」に使われている曲です。
-
これはロケーションと曲がマッチして、映画に出てくるような異世界の巨大な怪物が出てきそうな感じがしました。
-
最初のトイレ休憩は以前からガイドさんがおすすめと言っていたドライブインです。ここも霧に覆われていたので、映画の中のスーパーマーケットみたいな雰囲気を感じてしまいました。
-
ドライブインではこの辺りで採れる蜂蜜と芥子の実をかけたヨーグルトが名物だそうです。
-
少し色の濃い天然の蜂蜜がたっぷりかけられます。こんな感じで1皿10TLなので約200円のデザートです。
-
ここまで来たら食べないわけにはいきません。
-
写真を撮る間もなくスプーンですくわれてしまいました。
-
確かに食感も面白くて濃厚で美味しいヨーグルトです。
-
松ぼっくりが置いてあるようにトルコで食べた蜂蜜の多くは松の蜂蜜だったようです。ちょっとスモーキーなフレーバーで美味しかったです。ここでも巣のまま売っていましたが、すでにいくつか買っているので手が出ません。このような上品なパックでは横に出来ないので持ち歩きが大変です。ラップしないと隙間から漏れそうです。
-
お茶もいろいろな効能の物が売っていましたが、漢字を見てしまうと…。乾燥したナマコまで売っていました。お客さんの90%は中国からの人のようでした。でも皆さんバンバン買物されているのでびっくり。
-
もうこのバスにも9日間お世話になっています。ドライブインでは洗車のサービスもあってきれいになっていました。
-
周辺はまだ霧に包まれています。午前10時に出発します。
-
前が見えないので必然的にスピードが遅くなりそうですが、ベテランのドライバーさんはガンガン前を行くトラックを追い抜いていきます。
-
少し霧が晴れてきたと思うと。
-
また周囲が霞んできたり。
-
ようやくデニズリからの分岐点に差し掛かりました。パムッカレに行く前にアフロディシアスの遺跡に立ち寄ります。
-
個人で来ようと思うと荷物の関係からパムッカレに一度行ってから戻ってくるようになるのではないでしょうか。そういう場所の多いトルコを旅するのは大変ですが、ツアーバスだと荷物の心配も無いので楽ちんです。
-
太陽がだいぶ上がったので霧も晴れました。アンタルヤを出てからすでに3時間もバスで移動しています。
-
分岐点からも30分ほどバスで移動しました。
-
ようやく遺跡のエリアに到着しました。バスは看板とは逆にある駐車場に停まりました。どうするのだろうと思っていると。
-
ここでトラクターの牽引する車に乗り換えるそうです。
-
20人乗りの木製のバスが2台待っていて、これに分乗して遺跡に向かいます。
-
まさかここでトラクターに乗るとは思いませんでしたが良い思い出になりました。
-
遺跡の入り口から博物館までは少し距離があり歩きますが、その道中には発掘された巨大な石棺が数多く並べられていました。前日アンタルヤ考古学博物の中に納められた石棺とはまた違った雰囲気を感じます。
-
現在のメンデレス川の支流であるモルシヌス川上流にあるアフロディシアスは紀元前3世紀に築かれたアフロディーテ神殿と、その1世紀後に築かれた都市からなっています。アフロディシアスの富は周辺にある大理石を輸出することでもたらされ、彫刻家にとっては制作された美術作品もその助けとなったようです。
-
遺跡の大通りには都市機能を司るいくつもの大型建造物が立ち並び、そこには寺院や劇場、アゴラと2つの浴場が含まれています。世界遺産としては城壁で囲まれていたアフロディシアス考古遺跡と遺跡の北東にある大理石採石場の2つから構成されています。
-
アフロディシアスの歴史は銅器時代に遡り、本格的に都市ができ始めたのは紀元前2世紀で、メンデレス川沿いの急激な都市化の一部と見られています。それに前後してそれ以前に存在したアフロディーテ神殿の周りに街割りが形成されたようです。後に女神アフロディテへの信仰を背景にスッラやユリウス・カエサル、初代ローマ皇帝アウグストゥスなどによってローマ帝国との関係性が高まり、その結果ローマ元老院から税の免除を認められ、産出される大理石を用いた美術彫刻の名声でも知られるようになります。その多くがこの博物館に納められています。
-
アフロディーテ信仰の重要性は帝政ローマから東ローマ帝国時代まで引き継がれ、キリスト教が国教として受容された後も500年ごろまで異端の神殿として維持され続けます。7世紀はじめにアフロディシアスは地震に見舞われ、その被害の補修は部分的なものしか行われなかったようです。その後の街はスタヴロポリスと名を変えて1078年までは東ローマ帝国領であり続けます。
-
11世紀から13世紀にかけてメンドロス川沿いの都市はセルジュク王朝に征服され、その一環としてアフロディシアスの住民も急激に都市を離れていきます。14世紀にはメンテセのベイリクの支配下となり都市は完全に放棄されたようです。1413年にオスマン帝国のメフメト2世がメンテセに取って代わり、15世紀から16世紀の間にゲイレの村がアフロディシアスの遺跡の上に築かれます。
-
1957年の地震で地滑りが発生したことで集落が現在の位置に移動し、遺跡が発見され現在に至っています。
-
遺跡の見学の前にガイドさんからアフロディシアスの遺跡についての説明がありました。説明を受けた広場の脇には屋根が架けられ、そこにはたくさんの大理石のフリーズが積み上げられていました。
-
前日にアンタルヤの考古学博物館で見た石棺の側面にもたくさん使われていた花輪飾り(ガーランド)が連続しています。
-
これらの建築パーツは柱の上に乗せられたフリーズで、北のアゴラとパルム宮殿と寺院の内部と東のプロピヨンで使われていたようです。
-
その数の多さと迫力と千差万別な顔の表情に驚かされます。8段に積み上げられた大理石の壁は500近い顔があるので、前に立つと視線を感じてしまいます。
-
ガイドさんの説明が終わって遺跡の中を進みますが、ガイドブックの地図を見ると全長5キロ以上になるルートを反時計回りに回るようです。
-
これ1つだけ見ても物凄い技術で制作されていることが想像されます。現在の工作機械があれば比較的時間をかけなくても粗彫り出来るでしょうが、完全な直線をどうやって彫り上げたのでしょう。1か月ほど前に台湾の花蓮で大理石工場の巨大なダイヤモンドカッターを見て来たばかりなので驚きます。
-
開けた丘に向かって歩いて行くとテトラピロン(4つの門)は古代ローマの記念碑の1種で4つの側面があるために交差点に建設されました。凱旋門に準ずる位置づけでもあったようです。
-
西暦200年に完成されたテトラピロンは町の南北のメインストリートからアフロディテの神殿や聖域に続く大きな前庭に通じています。
-
ガイドさんの説明を聞きながらの移動ですが、建築関係の仕事をしているとどうしてもこのアングルで写真を撮りたくなってしまいます。置いて行かれないように足早に行動します。
-
梁の一部が欠損していますが、往時の迫力を感じることは十分に出来ます。ここにたどり着いただけで遺跡の凄さを感じてしまいます。
-
昨年行ったエジプトも短い時間でもシステマチックにたくさんの遺跡を見学でき、その完成度の高さに驚かされましたが、トルコにも凄い遺跡が残されているものだと感心しました。
-
アフロディシアスは最寄りのカラカス(Karacasu)からも10キロ近く離れた所にあり、バスなどで行くことが難しいのが難点のようです。個人での路線バスの移動ではどこかの町から1日ツアーに参加するのが一般的なようです。
-
そんな遺跡にも簡単に来る事が出来てしまう日本のツアーって便利だと思います。
-
この木道の左右もアフロディシアスの遺跡のエリアですが、まだ発掘は進んでいないようです。ここもまた十数年後に来ると姿が変わっていることでしょう。みなさんからだいぶ遅れてしまいましたが道に迷うことはありません。
-
スタジアムは7世紀の地震で劇場が破損するまで運動競技に使用されていましたが、スタジアムの一部を劇場として使う必要があったようです。
-
スタジアムの大きさは長さ約270メートルで幅は 60メートルもあります。 両側に30段の座席があり、約30,000人の観客を収容できる座席があります。 トラックの長さは約225メートルで 幅は30メートルです。
-
このスタジアムはギリシャ中部のデルフォイのものよりもかなり大きく、前日に行ったペルゲの競技場よりも状態は良いので、おそらく地中海で最も保存状態の良いものと思われます。
-
競技場の中央にも立ってみました。ここで30,000人の観客の歓声を浴びたらどんな気分だったのでしょうか。競技だけではなく彫刻師の腕を競うコンテストの表彰式もここで行われたそうです。
-
トルコでも他の劇場やスタジアムは現在でもイベントで使われる事があると思いますが、ここはどこの都市からも離れているので使うには不便だと思います。
-
この神殿はローマ時代に修復され、後にキリスト教が盛んになったビザンチン時代には教会に姿を変えて使われるようになります。
-
現在残っているファサードや柱は2世紀時代のもので、ビザンチン時代の本堂の一部も残っています。
-
アフロディーテ神殿 (Temple of Aphrodite)
美の女神アフロディーテは豊穣の女神としても崇められ、ヘレニズム時代にアフロディーテ神殿が建てられました。 -
寺院の中には入れないので一部分しか見る事が出来ませんが、その巨大な建物からアフロディーテへの信仰の高さを感じます。
-
もう少し先まで歩いていきたい衝動に駆られますが、寺院の周りにはフェンスが張り巡らされています。
-
列柱の奥に半円形の壁が見えます。多分ここにはアフロディーテの像が安置されていたのでしょう。この後に見学した博物館にもアフロディーテの像が納められていましたが、像の大きさのバランスが違うように感じます。
-
アフロディーテの神殿の脇にもいくつかの建物の跡が残されています。ここは高位の聖職者の邸宅のようでした。
-
この列柱が中庭に位置し、周囲に建物が配されていたようです。
-
こんな地図が近くに掲げられているのでイメージしやすいです。
-
続いて通りの反対側にある北のアゴラの見学に移ります。アゴラは古代ギリシアの都市国家であるポリスにおいて重要な公共空間として不可欠な場所である広場を指します。人が集まることから商取引も行なわれたために市場としても機能しました。
-
ここでもまたハドリアヌス帝の名前を冠した浴場がありました。博物館の入り口に転がっていた雄牛の頭部はここで発掘されたようです。
-
案内図によるとここは浴場内の噴水のあった泉です。
-
往時はさぞ美しい泉だったのだろうと想像を膨らませます。
-
英雄のトルソと案内板にありましたが、アンタルヤ考古学博物館に収蔵されていたハドリアヌス帝の彫像と同じスタイルだと感じました。頭部が無いので誰かは特定できないのでしょう。こういった像が置かれてあると遺跡を歩くのも楽しくなります。
-
白黒の市松柄の床材は浴室のものだと思います。もしかすると床暖房の設備が埋まっているのではと想像してしまいます。
-
1904年から遺跡の発掘が進められ、現在も仮設のルーフを設けて作業は進められているようです。
-
アゴラの中心は池になってて魚の養殖なども行われていたそうです。ここに立つ列柱の上に博物館の前に積み重ねていたガーラントと顔のレリーフのフリーズが乗っていたのだと思うと驚きです。
-
浴場を出ると目の前に大きな長い溝が掘られていています。ここは南アゴラという7000人を収容できる公共の広場があったところで、広場の真ん中にあった巨大な池の長さは170メートルあるそうです。
-
ここからは町の中の丘陵部に差し掛かり、坂道を登るようになります。これが結構な坂なので少々息が切れます。
-
丘の上からは寺院やアゴラが美しく望めます。
-
ここまで歩いてきても我々のツアー以外の観光客の姿は全くありませんでした。そのツアーから少し遅れて歩いていると1人旅をしていた頃を思い出します。
-
この辺りからの眺めが一番素晴らしく、アゴラとアフロディーテ神殿とハドリアヌス浴場の位置関係が良く分かります。
-
そんな場所には町の見取り図があります。現在地も分かるので歩いてきたルートも確認できます。
-
右手を見るとかなり状態良いアゴラの一部分が見えます。
-
列柱の上に梁の部分が完璧な姿で残されています。
-
丘の反対側には見事な姿で劇場が修復されていました。
-
紀元前1世紀に建設された劇場には座席や舞台、ステージの上には大理石でできた壁も残っています。座席やステージなど自由に歩き回ることができるので舞台壁の装飾など細かい部分もじっくり鑑賞できます。
-
アスペンドスの劇場はもっと角度があって音響効果を考えたであろうことが想像できましたが、この劇場の解放感は素晴らしく感じられました。
-
今までに20以上ののギリシャ劇場を見てきましたが、個人的にはデザイン的には1番好きな劇場かもしれません。
-
劇場からはメインストリートが延びて、最初に見たテトラピロンに至ることが分かりました。
-
南のアゴラにもアクセスできるルートがありました。
-
ここからの南のアゴラを見るのが一番良さそうです。列柱が修復された頃にもう一度来てみたいものです。そのころには池に水が張られているかもしれません。
-
このアングルを見ていたらローマ郊外のハドリアヌス帝の別荘にあった池のことを思い出しました。ヴィラ・アドリアーナはハドリアヌスが帝国内を2度にわたる長期の巡察旅行の中で見たものを自らの別荘に再現したとされます。そんな話を思い出しました。
-
遺跡の中でたわわに実ったザクロを見ていて、キプロス島のジュエリー屋さんでザクロの銀器を買ったときに「ザクロはアフロディーテの象徴なのよ。」と店の女性に聞いたことを思い出しました。
-
セバステイオンは「皇帝のための神殿」という意味で、アフロディーテと皇帝にささげられた建物です。紀元20年から60年にかけてアフロディシアスの2つの名家が資金を出して建てられたものと案内板に書かれてあります。
-
片側は失われていますが、3階建ての建物のには200もの大理石のレリーフが埋め込まれていました。そのうちの80枚ほどが発掘されて博物館に展示されています。
-
これも本当に見事なものでこれを見ておかないと博物館の一番奥の部屋に並ぶ膨大なレリーフの意味は分かりません。ガイドさんはほとんど説明しないで行ってしまったようです。
-
これで遺跡を1周してきたことになります。この後は集合時間が決められて博物館の見学に移ります。この遺跡が世界遺産になったのは2017年だというのが信じられません。
-
ツアーのメンバーに遅れて博物館の中に入ります。荷物はロッカーに預けてカメラだけ持って中に入りましたが、途中でバッテリーが切れそうになって焦りました。時間切れでミュージアムショップを見る事が出来なかったのが残念です。
博物館のHP http://aphrodisias.classics.ox.ac.uk/index.html -
博物館の規模はあまり大きくはありませんが、収蔵されている石像の質の高さはすぐに感じます。そして結構丁寧なキャプションが添えてあるので像の意味がすぐに分かります。
-
アイオーン(Aion)は予言者のような「予知」と「知識」を感じさせるジェスチャーで右手を頭に添えています。ギリシア神話は自然現象を擬人化して神や精霊と見なしました。時間の神としてはクロノス、季節や秩序の女神としてのホーラが有名ですが、アイオーンもそれらと同一視され「時間の神」と「永遠」や「永劫」を象徴する神とされました。
-
ローマ(Roma)は古代ローマの女神で「ローマという都市」や「都市国家」を人格化した神で、初期の女神ローマへの信仰は紀元前195年のスミルナで確立されます。ローマとの同盟によってアンティオコス3世と対抗できたことに起因するようですこの信仰をギリシアや東方の君主制の伝統とローマ共和政の慣習を結びつけるための宗教と政治をからめた外交政策の形態ではないかと言われます。ローマ国家を神聖なものとして人格化することで、その官職や共和国や都市が神聖で永遠のものであると認めさせたのでしょう。
-
1988年に発掘された3世紀初頭の石棺で、表で雨ざらしにされたものよりもかなり破損されていますが重要なものなのだと思います。
-
側面に彫刻された4つの季節は天使の姿に擬人化され、左から「秋」狩りのための棍棒と果物の入ったバスケットを持っています。「冬」寒さのためにフード付きのマントを羽織り、果物を持っています。「春」マントを広げ果物を持つ姿です。「夏」山羊の毛皮を羽織り、手にはナイフを持っています。
-
若い男性の石像は1983年にアゴラの門で発見されたものです。ハドリアヌスの時代のトガと呼ばれる衣装を着て柔らかい革製のブーツを履き、左手には巻物をもち、薬指にはリングをしています。当時の裕福な若い男性の風俗を手に取るように分かります。
-
司祭冠を身に着けている裕福な市民の像は腰を前に突き出したダイナミックな姿で、モデルになった人物の性格までも写し取ったようです。
-
「ゾイロス・フリーズ」
ユリウス・カエサルとアウグストゥスの時代に住んでいたアフロディシアスの偉大な貢献者であるC・ジュリウス・ゾイロスの墓碑の大きな浮彫りは1956年以降に発見されました。 -
彼はアフロディーテ神殿の司祭であり、3つの主要な大理石の建物の建築費用を寄付しました。アフロディーテ神殿の第1段階と劇場の精巧な舞台の建物と市内中心部の北アゴラの北列柱がそれです。彼はアフロディシアスで少なくとも2つの公共の彫像で栄誉を与えられ紀元前28年に亡くなりました。
-
レリーフはゾイロスの人生と彼の美徳を表しています。ゾイロス自身は各場面の中央で異なる衣装を着た姿です。左側の場面ではブレイブリーがローマのトーガを着ているゾイロスに盾を贈りオナーが右から彼に冠を被せます。
-
次の場面ではゾイロスの軍事的勇気とローマ市民としての彼の地位を祝います。右側の場面では擬人化された(DEMOS)が手を伸ばし、長い旅のマントと帽子をかぶったゾイロスに挨拶し、都市を擬人化した(POLIS)が後ろから彼に冠を被せます。この場面はゾイロスのローマからの帰還を象徴するものです。
-
アンタルヤの考古学博物館でも見たマイルストーンであったヘルマ像がここにも描かれていました。半裸の女神のレリーフが非常に美しいままに残されています。
-
個人的には非常に印象に残る収蔵品でした。
-
フラビウス・パルマトゥスの記念像。
-
州の知事であるフラビウス・パルマトゥスです。 彼はローマ時代後期のトーガとクロスストラップのアンクルブーツを身に着けており、片手にマッパ(ハンカチ)を持ち、もう片方に領事のバトンを持っています。
-
凝視した視線と結ばれた口元と目の下のクマから感じられる陰鬱な表情と無精ひげは、 彼が優れた知事としてこの時代にいたことを意図しているようです。厳格で腐敗を嫌う勤勉な裁判官として描かれています。 このようなヘアスタイルは5世紀後半と6世紀に帝国の権力の中心で流行していたそうです。
-
マスクを持ったミューズの像は劇場で発掘されたものです。ギリシア神話で文芸を司る女神たちで大神ゼウスとムネーモシュネの娘で9柱いるとされています。アトリビュートの仮面を持っているのでタレイアだと思われます。
-
ストールを羽織って椅子に座る老人の像。老人と言いながら立派な体躯をしています。サンダルのデザインは現代と変わらない感じがします。
-
1つのガラスケースの中にお墓に埋葬された状態の骨格と副葬品が再現されていました。リアルだったのはこの男性が頭蓋骨に受けた傷です。死してなお槍が刺さったままなのはかわいそうな気がしますが、こうやって写真にするとフランドルで描かれたヴァニタス画のように思えました。
-
ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味するさまざまな静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていました。
-
アフロディシアスのアフロディーテの女神像の最大かつ最も完全な姿が残されています。ヘレニズム時代に作成された女神のイメージは女神が古いアナトリアの女神のように堅く正面に向かって立ち、アフロディーテ以前のアイデンティティが像に包まれていることを連想させます。
-
女神像は背の高い頭飾りとベールを被り、薄いドレスの上に厚くて硬い上着を着ています。上着の胸部から下に4つのパーツに分かれています。これらの4つの場面にはアフロディーテのさまざまな物語が織り込まれています。胸の下には三美神の姿が見てとれます。続いて太陽と月の擬人化はアフロディーテの永続的な時間を表します。続いてトリトンとヒッポカムポスとアフロディーテの姿。アフロディーテの息子であるクピドの姿も見えます。
-
アフロディーテのペディメントはアカンサスの葉で周囲を飾られた精巧なアーチ型のフレームの中でアフロディーテはシャコ貝の椅子に座っています。 貝の椅子は両側からトリトンによって運ばれています。 女神は裸で足を組んで座っています。 長い濡れた髪を手入れするように彼女の腕が上げられます。
-
トリトンには長い魚の脚があり、頭には角が生えてます。 彼らは肩の上に豹の毛皮を羽織り胸の前で結んでいます。 右側の若いトリトンはひげを生やしておらず、左手に船の櫂を持っています。左の年老いたトリトンは髭を生やして錨を持っています。 この場面は海の女神としてのアフロディーテを表しています。
-
一番奥の部屋には「皇帝のための神殿」であるセバステイオンに嵌め込まれていたレリーフが一堂に展示してあります。80枚にも及ぶ巨大な大理石のレリーフは今まで見て来た数々の博物館よりスケールが大きいです。表にはその建物が見えるくらいの位置にあるのでリアリティがあります。
-
1枚1枚読み解いていきたいところですが、時間が無いので駆け足で写真を撮るしかありません。ただ知らないものをでは仕方ないので、タイトルと場面で一瞬で判断するしかありません。
-
ニンフと赤ん坊のディオニソス(Nymphs with baby Dionysos)
-
ディオニソスの誕生にまつわる場面です。ディオニソスはゼウスとテーバイの王女セメレの子でしたが、ヘラは夫の浮気相手であるセメレを大変に憎んでいました。そこで彼女に「あなたの愛人は、本当にゼウスかしら?」という疑惑を吹き込みます。セメレは膨らむ疑惑に耐えきれず、ゼウスに必ず願いを叶えさせると誓わせた上で、「ヘラ様に会う時と同様のお姿でいらしてください。」と願います。ゼウスは仕方無く雷霆を持つ本来の姿でセメレと会い、人間であるセメレはその光輝に焼かれて死んでしまいます。ゼウスはヘルメスにセメレの焼死体からディオニソスを取り上げさせ、それを自身の腿の中に埋め込んで臨月がくるまで匿ったとされます。
-
アキレウスとペンテシレイア(Achlles and Penthesilea)のレリーフです。アキレウスとヘクトールの一騎討ちがアキレウスの勝利で終わるとイーリオス勢は意気消沈しますが、アマゾンの女王で女神のごときペンテシレイアの加勢により、再び勢いを盛り返します。
-
ペンテシレイアはギリシア勢の名だたる英雄をなぎ倒して暴れまわりますが、無謀にもアキレウスに挑戦して命を落としてしまいます。アキレウスは遺体となったペンテシレイアの美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔したとされる場面です。
-
「デルフィのオレステス」(Orestes at Delphi)と「ベレロフォン」(Bellerophon)のレリーフが続きます。イラストと簡単な物語が見学しやすさを感じさせます。
-
デルフィのオレステス(Orestes at Delphi)はオレステスが父を殺した母親に復讐すべきかどうかと神託に問うと「仇を討て」とお告げが下った話です。続いてオイディプスは「お前は父を殺し、母と結婚するであろう。」という神託を受け、そうなるまいと必死の努力をしましたが、信託には逆らえなかったと物語は続きます。
-
ベレロフォン(Bellerophon)は本名ではなく、もとはヒッポノオスという名前でした。ヒッポノオスはコリントス王グラウコスの子でしたが、あるとき誤って兄弟のベレロスを殺してしまったことからベレロフォン(ベレロスを殺した者)と呼ばれるようになります。後に女神アテナの助けを得て、ペイレーネの泉で水を飲んでいたペガサスを捕らえてこれを慣らすことに成功します。ペガサスに乗ったベレロフォンは空中からキマイラの口に鉛の槍を突き入れてこれを殺したとされます。
-
「レダと白鳥」(Leda and Swan)
-
レダと白鳥(Leda and Swan) は主神ゼウスが白鳥に変身してスパルタ王テュンダレオスの妻であるレダを誘惑したというエピソードです。レダは後にミュケーナイ王アガメムノンの妃となったクリュタイムネーストラやトロイア戦争の発端の一つとなった絶世の美女ヘレネ(ヘレナ)の母でもあります。
-
中世ヨーロッパでは「レダと白鳥」のエピソードはよく知られており、イタリアルネサンス期の古典的官能表現とともに広く取り上げられるモチーフとなります。これは男女間の性愛よりも女性と白鳥の性愛を描いた絵画のほうが好ましいとする、奇妙にも思える16世紀の風潮によって広まったようです。個人的にはギュスターブ・モローの描くものが好きです。
-
アゴーン(Agon)
-
アゴーン(Agon)オリンピック競技大会などの陸上競技のコンテストまたは競争を意味し、擬人化したものでもありました。髭面の胸像と起立する陽根を有する角柱はヘルメと呼ばれ、路傍や畑の境界などに立てられ、境界を示す石であるとともに農民や牧人が豊饒多産を祈願する神霊の像であったとも推測されます。ヘルメスの原始的形態を示すともされます。
-
濃い青灰色の大理石の疾走する「青い馬」は1970年にその台座の遺跡と共に市民聖堂で発見されました。馬は小さな鉄の鋲で背中に取り付けられた金色の青銅製のサドルを着ていました。そして白い大理石の裸の英雄的な若者の姿に乗っていたようですが、太ももが1つしか残っていません。
-
アポロンとロイヤル・ヒーロー(Apollo and royal hero)
-
アポロンとロイヤル・ヒーロー(Apollo and royal hero)ではアポロンが高台の上の椅子に座わっています。彼のもとには2人の人物が近づいています。女性が手を上げてアポロン神に挨拶します。彼女と一緒に旅姿のマントと王冠を身に着けている英雄が続きます。彼はおそらく都市の設立についてアポロに相談しに来たようなので、ギリシャ内陸部の聖域のデルフィでの場面のようです。
-
三美神(Three Graces)のレリーフはここにもありました。アンタルヤ考古学博物館にもペルゲで発掘された像が収蔵されていました。
-
三美神(Three Graces)はギリシア神話とローマ神話に登場する美と優雅を象徴する3人の女神を表したものです。
-
それぞれ魅力(charm)と美貌(beauty)と創造力(creativity)を司っています。一般的にはヘシオドスの挙げるカリスのアグライアとエウプロシュネとタレイアとされていますが、アフロディシアスという場所からもパリスの審判に登場する美しさを競うヘラとアテナとアプロディーテなのかもしれません。
-
集合時間まで残り15分ほどなので全員がこの部屋を出てしまっています。ちょっと焦ってきましたが、素晴らしいレリーフはまだ40枚残っています。
-
アフロディーテに冠を被せるアンドレイア(Aphrodite crowned by Andreia)
-
アマゾネスの戦士の姿をした女性が優雅なドレープの衣装を着たアフロディーテに冠を被せています。これは都市を擬人化したものなのだろうという事が想像できます。
-
皇帝とローマ市民(Emperor and Roman people)
こちらは裸の姿のローマ戦士の頭に冠を被せる皇帝の姿のようです。この辺りは神話の世界というものよりはアフロディシアスの歴史の場面のようです。 -
皇帝の勝利(VIctory of Emperors)とクラウディウスとブリタニア(Claudius and Britannia)
-
皇帝の勝利(VIctory of Emperors)半裸の姿で翼を持った女性像はニケだということはすぐに分かります。破損していますが小さな翼を持ったエロス(クピド)の姿も見えます。肩に担いだのは勝利のトロフィーと書かれてありました。
-
クラウディウスとブリタニア(Claudius and Britannia)の題材となるブリタニアはイギリスのグレート・ブリテン島の古代ローマ時代の呼称です。
-
ブリタニアには紀元前1世紀にカエサルが2度侵攻したのちに起源43年にローマ皇帝クラウディウス1世によって征服され、2世紀になって皇帝ハドリアヌスにより長城が築かれ、これがローマ帝国の領域の北限となり以後5世紀初めまでローマの属州となります。
-
ネロとアルメニア(Nero and Arminia)
-
ネロとアルメニア(Nero and Arminia)
肩掛けの剣のストラップだけを着けたネロは、左手でアルメニアを押さえつけています。 -
アルメニアはネムルート山で見たようなは柔らかい東方の帽子を被り、弓と矢筒は彼女の左側に置かれてあります。英雄的な構成はネロをアキレスとアマゾネスの女王ペンテシレアに例えているようです。
-
セバステイオンの建物のどこにどのレリーフが納められていたのかまで分かっているようです。
-
4つの属州の民族を擬人化したパネルが並んでいます。ここだけで1コーナーになっているので重要な作品なのかもしれません。
-
ベッシ族を擬人化した女神(Ethnos of the Bassi)ベッシはアウグストゥスの軍隊に従軍した現在のブルガリアの地域に住んでいたトラキア人の部族でした。
-
クレタ族を擬人化した女神(Krete)は自由を象徴するポーズで立っています。
-
ピロウスティ族を擬人化した女神(Ethnos of the Pirousti)は優雅なクラシカルなドレスを纏ながら左手には盾を持ち、ヘルメットをかぶる戦士の姿で表されています。
-
ダキア族を擬人化した女神(Ethnos the Dacians)は両手を前で交差させた姿で表されています。
-
ネロとアグリッピーノ(Nero and Agrippino)のレリーフを探していましたが、出入口のすぐわきに置かれてありました。つまり一番最後に見る事が出来たわけです。
-
アグリッピーナは息子のネロに月桂樹の花輪を冠しています。 アグリッピーナは「幸運」と「豊穣」の象徴を持ち、ネロはローマの司令官の鎧とマントを着ています。 彼は右手に槍を持ち、現在は欠損していますが左手にはおそらくオーブ(世界支配の象徴)を持っているはずです。
-
冠を受けるために置かれた彼の兜は地面に置かれてあります。 この場面は西暦54年の皇帝の入会の場面なので、ネロがアグリッピーナを殺害した西暦59年の前ということになります。
-
ネロを帝位につけた後にアグリッピナは政治に色々と口出しようと試みます。しかし彼女の横柄な干渉は皇帝として独立心が芽生えてきたネロとの間に確執を生み、やがて嫌われて皇宮から追い出されて最後には暗殺されてしまいます。
-
ネロはアグリッピーナと共にネアポリス(現在のナポリ)に旅行し、近郊の別荘で母をもてなします。アグリッピーナがナポリ湾を挟んで数キロのパウリの別荘に戻ることになると、ネロは豪華な船を用意してナポリ湾を遊覧して帰るよう勧めます。息子の提案に母も従い陸路で帰る予定をやめて船で帰ることにします。 この船は壊れやすい造りになっていて船が湾の半ばに差し掛かると壊して沈没させる計画でした。この計画はアグリッピナが泳ぎが達者だったことで失敗します。アグリッピーナは九死に一生を得たことを伝える使者をネロの元に派遣しますが、使者が短剣を所持しているのを理由に刺客を送り込んだ罪を着せます。
-
皇帝暗殺の容疑をかけられたアグリッピーナは、パウリの邸宅で皇帝の派遣した近衛兵によって殺されます。やってきた近衛兵たちに向かって、アグリッピーナは下腹部を指さし、「刺すならここを刺すがいい。ネロはここから生まれてきたのだから。」と言い放ったというのは有名な話です。
-
状態の良いレリーフと物語の場面が分かるものだけしか見る事が出来なかったのが残念です。この博物館はあと30分は見ていたかったです。
-
帰りもトラクターに乗って駐車場に戻ります。
-
ほとんどデヴィッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」の世界です。
-
お昼は遺跡の入り口にある「Afrodisias 」というレストランでした。きれいな林の中にあるお店でした。
-
まずはピデ・エキメッキという丸いパンが出てきました。すぐ脇の窯で焼いているので熱々で美味しいです。
-
そしてレンズ豆のスープのメルジメッキ・チョルバス。このスープも店によって味付けが違うのが面白いです。
-
チョパン・サラタスには妻が持ってきたドレッシングをかけて食べましたが、日本を思い出す味に変わりました。
-
可愛い子猫がお昼のおこぼれを貰おうとしていますが、パンには見向きもしません。
-
クイマル・ペイニルテ・ピデとひき肉の入ったものとチーズの2種類でとても美味しかったです。ただこれで4人分なのでちょっと少ないです。
-
タス・ケバブという羊とジャガイモとズッキーニの入った煮込み料理。熱々の料理は何を食べても美味しいです。
-
サーデ・ピラウに煮込み料理のスープをかけるとさらにおいしくいただきます。
-
この店で大きな干しイチジクが売られていたのですが、妻がトイレに行っているうちにほぼ売り切れてしまいました。最後の1袋も同じツアーのおばあさんに譲ってしまったのでここまで買えずじまいです。ここからパムッカレまで1時間30分ほどのドライブです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2019 トルコ周遊の旅
-
前の旅行記
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(22)夕暮れのカレイチを散策した後はアンタルヤの1720軒のレストラン...
2019/11/01~
アンタルヤ
-
次の旅行記
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(24)パムッカレの石灰棚に遊び、カラハユットのサーマルホテルパムで温泉...
2019/11/02~
パムッカレ
-
エミレーツ航空でドバイ経由でアジア側のサビハ・ギョクチェン国際空港in、ヨーロッパ側のイスタンブール新国際空...
2019/10/23~
イスタンブール
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(1)ホリデーインエアポートからタクシーで旧市街へ出て、グランドバザール...
2019/10/24~
イスタンブール
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(2)シルケジ駅でセマーゼンに感動し、4度目のオリエント・エクスプレス・...
2019/10/24~
イスタンブール
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(3)ツアーのスタートはトプカプ宮殿の見学から始まり、25年振りのハマム...
2019/10/25~
イスタンブール
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(4)夕刻のサフランボルをフドゥルルックの丘から眺め、古民家ホテルと古い...
2019/10/25~
サフランボル
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(5)サフランボルから辿り着いたボアズカレの遺跡はヤズルカヤ遺跡からスタ...
2019/10/26~
ボアズカレ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(6)広大なハットゥシャシュ遺跡をバスで走り回り、カデシュの戦いに想いを...
2019/10/26~
ボアズカレ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(7)夜のシワスのメセドレの美しさに驚き、シファーイエ神学校で豪華なトル...
2019/10/26~
スィワス
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(8)カンガール犬と遊んだ後はディヴリの世界遺産ウルジャーミーと病院に驚...
2019/10/27~
ディヴリイ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(9)キャフタのユーフラットホテルからネムルート山に登り、ご来光を仰ぎコ...
2019/10/27~
ネムルトダーゥ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(10)ネムルート山に登ったご褒美でマラシュのドンドゥルマを食べながらカ...
2019/10/28~
キャフタ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(11)トルコ建国記念日は150のバルーンツアーの気球と共に地上1000...
2019/10/29~
カッパドキア
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(12)カイマクル地下都市と鳩の谷とウチヒサールとギョレメ・パノラマから...
2019/10/29~
カッパドキア
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(13)三人姉妹の岩からラクダ岩を見て、洞窟レストランでランチを食べてギ...
2019/10/29~
カッパドキア
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(14)ローズバレーの夕日とセマー観賞の後はギョレメで離団して、友人と再...
2019/10/29~
カッパドキア
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(15)二日酔いで絨毯店と陶器工房を巡りながらもチャウシンの昼食後は廃墟...
2019/10/30~
カッパドキア
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(16)カッパドキアからシルクロードを走り、キャラバンサライを経てコンヤ...
2019/10/30~
コンヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(17)インジェミナーレ神学校と念願のメヴラーナ博物館を見学し、探してい...
2019/10/31~
コンヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(18)トロス山脈を越えてアスペンドス遺跡に至り、アンタルヤのリゾートホ...
2019/10/31~
アンタルヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(19)ハリントンパークホテルからアンタルヤのカレイチを歩き、郊外の渓流...
2019/11/01~
アンタルヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(20)アンタルヤ考古学博物館へ行く前にペルゲを見学し、17年前に遺跡を...
2019/11/01~
アンタルヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(21) ペルゲ遺跡を訪れた後はアンタルヤ考古学博物館で発掘品を見て歴史...
2019/11/01~
アンタルヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(22)夕暮れのカレイチを散策した後はアンタルヤの1720軒のレストラン...
2019/11/01~
アンタルヤ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(23)アンタルヤから霧の山中を抜けたアフロディシアスでトラクターに乗り...
2019/11/02~
アフロディスィアス
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(24)パムッカレの石灰棚に遊び、カラハユットのサーマルホテルパムで温泉...
2019/11/02~
パムッカレ
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(25)3度目のエフェソス遺跡の変化に驚くもセルチュク名物のチョップ・シ...
2019/11/03~
エフェス遺跡周辺
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(26)トルコ周遊の最後はイスタンブールに戻る前にエーゲ海沿いのアイワル...
2019/11/03~
アイワルック
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(27)ホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ遺跡を歩き、ダーダネルス海...
2019/11/04~
トロイ遺跡周辺
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(28)イスティクラール通りに遊び、チチェッキ・パサジュで夕食を食べた後...
2019/11/04~
イスタンブール
-
トラピックス「トルコ大周遊15日間」(29)旅の締めくくりは早朝のボスポラス海峡クルーズから始まる。
2019/11/05~
イスタンブール
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2019 トルコ周遊の旅
0
186