2019/11/04 - 2019/11/04
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kojikojiさん
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トルコの周遊もこの日が最後で、のんびり寛いだアイワルクを出てダーダネス海峡を越えてイスタンブールまで移動しています。15日間のツアーの実質11日間の移動は総距離5,000キロを超えているとのことです。その中で2回の連泊があったので平均して1日500キロ以上走っていたのだと思います。夜明けのアイワルクを出発して約2時間でトロイの遺跡に着きました。トロイの遺跡を知ったのは小学校の頃だったでしょうか。学校の図書館で借りたシュリーマンの自伝や子供向けのイーリアスでだったと思います。前に来た17年前はイズミールからバスで直接イスタンブールに戻ってしまったので、トロイ遺跡は通過してしまっただけで残念な思いもしました。思い入れのあった遺跡だけに旅の終わりに見学する事が出来てよかったです。ただ、旅の途中でガイドさんが言っていた言葉も気にはなっていました。「今回のルートでは最後にトロイ遺跡を見学しますが、その前にヒッタイト遺跡やネムルート山を見て、アンタルヤ周辺のアスペンドスとペルゲ遺跡、アフロディシアス遺跡とパムッカレのヒエロポリスとエフェソス遺跡を見た後では見劣りするかもしれません。」と。到着したトロイは遺跡が開いた時間だったので中国からのツアーが1組来ていたくらいでとても空いていました。ほとんど貸し切り状態で遺跡を歩けたのは良かったのですが、やはり今まで見て来た見栄えの良い遺跡に比べると分かりにくいし、地味な遺跡ではありました。旅に出る前に映画の「トロイ」を見直したりした調べをしておいたので往時を多少はイメージする事が出来ましたが、9層に重なった部分はお手上げでした。最後に誰もいない木馬で記念写真を撮れたのは良い思い出になりました。少し早い時間にダーダネス海峡沿いのリゾートホテルで食べたスズキのグリルも美味しかったです。改めてツアーの食事のバリエーションの多さを感じました。午後はチャナッカレの先のラプセキにある港からフェリーに乗りました。タイミングによっては港で1時間ほど足止めされるかもしれないという案内でしたが、港に着くと上手いタイミングで出港するフェリーに乗れました。ダーダネルス海峡を渡るのも2つの思いがあり、トロイを攻め込むギリシャ側の船もここを渡ったであろうことと第1次世界大戦のガリポリ(ゲリボル)の戦いでアタチュルク率いるオスマントルコ軍に連合国軍が敗退した場所であるということです。これについてもいろいろ調べておいたのが良かったと思いました。30分ほどのフェリー旅が終わりゲリボルの港からは2度の休憩をはさんでイスタンブールまで走り抜きました。市内に入ってしばらく走ると初日に宿泊した「ホリデイイン・エアポートホテル」の姿がバスの車窓から見え、長かった旅が終わったことを感じました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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夜明けとともにアイワルクのホテルを出発して、2時間ほどバスで走ってトロイの看板が見えてきました。
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周囲には何もなくただ畑が続いているだけです。一見こんなところにトロイの遺跡があるのだろうかと考えてしまいます。
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過去にはその地形から都市国家と成立しても現代の生活に合致するわけではないので、周囲には何もない場所に遺跡の入り口がありました。
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案内板のある1番の入り口から入り、2番が有名な木馬で、後は番号通りに半時計周りに遺跡を見学していきます。重なった色の部分は一番初期の1層から9層までが重なっていることを表します。そのことはある程度知っていましたがこんな複雑な遺跡だとは知りませんでした。
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入り口を入ったところでまずはトイレ休憩になりました。ここまで2時間走りっぱなしで休憩はありませんでしたから。写真では見たことがある木馬ですが、目の前に立つとやっぱりすごいなと感じてしまいます。
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「イーリアス」はホメロスによって作られたとされる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩といわれます。トロイに遺跡を見学する前にその物語は知っておかないとあまり見栄えのしない遺跡でしかないと思います。
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ガイドさんからも旅の初めにこう言われました。「今回のルートでは最後にトロイ遺跡を見学しますが、その前にヒッタイト遺跡やネムルート山を見て、アンタルヤ周辺のアスペンドスとペルゲ遺跡、アフロディシアス遺跡とパムッカレのヒエロポリスとエフェソス遺跡を見た後では見劣りするかもしれません。」と。
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イーリアスではトロイア戦争10年目のある日に生じたアキレウスの怒りからイーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写して、ギリシアの叙事詩として最古のものながら最高のものとして考えられています。
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ちょうど遺跡が開門したばかりだったので、1組の中国のツアー客に人たちが見学に行ってしまうとあまり人のいない状態で記念写真が撮れました。
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まずはガイドさんの説明を聞いて、全員で遺跡内をイヤフォンガイドの説明を聞きながら見学します。難しい説明よりこのようなイラストを見た方がイメージはしやすいですね。
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元々の自然の地形に近い第1層の集落は紀元前3000年前に始まり、シュリーマンがイーリアスだと考えた第2層Gが紀元前2500年前になります。実際のイーリアスの舞台となる時代は第7層Aだったそうですが、シュリーマンの発掘の影響でほとんど撤去されてしまっているようです。第6層の赤とその上の7層は要塞のイメージを受けますが、第8層になると平和な都市のように見えます。
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「イーリアス」の舞台となるトロイア戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節のためとも神の名声を高めるためとも伝えられます。プリアモス王の王妃ヘカベーは息子のパリスを生むとき「自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる。」という夢を見たとされます。この夢の通りパリスはイリオスにとって災厄の種となります。
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パリスはヘラとアテナとアプロディーテの三女神の美の競合、いわゆる「パリスの審判」によりアプロディーテからスパルタ王メネラーオスの妻ヘレネー(ヘレナ)を奪って妻とすることを約束されます。彼はスパルタからヘレネーを奪ったためメネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めます。しかし交渉は決裂したためメネラーオスは兄のアガメムノンと共にトロイア攻略を画策します。
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この戦争では神々も両派に分かれ、ヘラとアテナとポセイドンがギリシア側に、アポロンとアルテミス、アレス、アプロディーテがトロイア側に味方したといわれます。アガメムノンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はトロイアに上陸し、プリアモス王の王子ヘクトールを事実上の総大将としたトロイア軍と衝突します。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめます。
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イーリアスにおいて「兜きらめくヘクトール」と呼ばれたパリスの兄ヘクトールはトロイア防衛の総大将として軍勢を指揮し、また個人の勇猛さをもってアカイア勢を敗走寸前にまで追い込んでいます。トロイア戦争の元凶となった弟パリスについても、叱りこそすれ見放すことはしませんでした。パトロクロスの猛反撃も打ち破りますがアキレウスに敗北し遺体は戦車に引きずられるという辱めを受けます。父であるプリアモス王がアキレウスの陣まで出向きヘクトールの遺体を引き取るのは悲しい場面です。 トロイアの陥落後にヘクトールの妻アンドロマケーはアキレウスの子ネオプトレモスの戦利品となり、息子のアステュアナクスは殺されます。
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戦争末期はトロイアの勇将ヘクトールとアカイアの英雄アキレウスが共に没すると膠着状態に陥ります。そこでアカイアのオデュッセウスは巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案します。これは女神アテナが考案したともいわれます。)
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この「トロイアの木馬」の計はアポロンの神官ラオコオーンと王女カッサンドラに見抜かれますが、ラオコオーンは海蛇に絞め殺されカッサンドラの予言は誰も信じることができない定めになっていたので、トロイアはこの策略にかかり一夜で陥落しました。
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また別の神話ではアポロンとポセイドンがゼウスに対する反乱をくわだて、ゼウスの怒りを買ってしまい、トロイア王ラーオメドーンのためにトロイアの城壁を築くという罰を受けます。 城壁完成の後にアポロンとポセイドンが報酬を貰おうとするとラーオメドーンはそれを拒絶しました。アポロンとポセイドンは怒り、アポロンは疫病でポセイドンは海の怪物でトロイアを悩ませます。
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その怪物にラーオメドーンの娘ヘーシオネをささげれば災いから逃れることができるという神託が下り、海岸近くの岩にヘーシオネを縛り付けます。それを見たヘラクレスは、ガニュメデスの代償にゼウスが与えた馬をくれるなら、怪物を倒してヘーシオネを救おうと申し出ます。ラーオメドーンが請合ったので、ヘラクレスは怪物を倒してヘーシオネを救います。ヘラクレスが報酬の馬を貰おうとしますがラーオメドーンは拒みます。ヘラクレスはいずれイリオスを攻め落としに来る言い残して去っていきます。
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ポセイドンが積み上げたのはこの辺りの城壁だろうかなんて考えながらツアーの皆さんの後を追います。イヤフォンガイドの音に雑音が入り始めると遅れている証拠です。
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西の方向には畑が続いていますが、その先に海岸線も見えます。現在の海岸線はかなり後退していますが、トロイア戦争の頃にはもっと近くにあったそうです。この先でトロイアの勇将ヘクトールとアカイアの英雄アキレウスが一騎打ちしたのだと思うと心躍ってきます。
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第8層の時代にここにはアテナに捧げる神殿が建っていたそうです。36メートル×16メートルの神殿は格天井を支えるドーリア式の列柱に支えられていました。
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外のエンタブラチャー(柱を繋ぐ梁の部分)にはレリーフが施され、その中で最も有名なのはアポロン/ヘリオスの物語ですが、これは現在ベルリンの博物館に収蔵されています。昨年の中欧のクリスマスマーケットで博物館島まで行きながら入れなかったアルテミュージアムを思い出します。
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シュリーマンが発見した「プリアモスの財宝」はオスマン帝国政府に無断でギリシアのアテネに持ちだされ、1881年に「ベルリン名誉市民」の栄誉と引き換えにドイツに寄贈されます。第2次世界大戦争中にモスクワのプーシキン美術館の地下倉庫に移送され、現在は同美術館で展示されていますが、トルコとドイツとロシアがそれぞれ自国の所有権を主張して決着がついていません。
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トロイの遺跡と言えばハインリヒ・シュリーマンも欠かす事が出来ない人物です。子供の頃に読んだシュリーマンの物語では、幼少のころにホメーロスの「イーリアス」に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけであるとしていますが、これは後付けの創作である可能性が高いそうです。
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クリミア戦争に際してロシアに武器を密輸して巨万の富を得た後は事業を畳んで、ソルボンヌ大学やロストック大学に学んだのちにギリシアに移住して、17歳のギリシア人女性ソフィアと再婚してトルコに発掘調査の旅に出ます。
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1870年に無許可で丘の発掘に着手して翌年正式な許可を得て発掘調査を開始し、1873年にいわゆる「プリアモスの財宝」を発見して伝説のトロイアを発見します。
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この辺りから紀元前2920年という途方もない第1層や第2層の世界が広がります。
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この辺りは第2層の宮殿だった場所のようです。シュリーマンは第2層がイーリアスの時代だと思っていたので、比較的状態良く残されていたのでしょうか。もちろん修復もされていると思います。
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この辺りはだんだんに重なる城壁の連続なので、案内看板を見てもあまりイメージが湧きません。
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この段々でそれぞれ数百年とか時代が違うわけです。唯一言えるのは上に行くほど時代が新しくなるということぐらいでしょうか。
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シュリーマンが遺跡発掘を始めた最初の3年の1871年から73年にかけて作業したのがこの辺りのようです。1891年当時の写真も残されているようです。
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同じアングルで写真を撮ってみましたが、だいぶ土砂で埋まっているようにも見えます。シュリーマンが最も古い第1層まで掘ってしまったことから「シュリーマンの穴」と呼ばれるものです。
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反対側はこのような状態で、ここまで堆積されたものと時代ごとの石積みの崩れた壁をどう掘り進めていくのでしょうか?目指すところが定まらないのではないでしょうか?
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断面図を見ても全体像がイメージできません。ガイドさんが事前に言っていた言葉が分かったような気がしました。トルコ周遊の最初にここを見るのと最後に見るのでは受ける印象が違ったかもしれません。
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旅行前に自宅でウォルフガング・ペーターゼン監督の「トロイ」という映画を見ておきました。アキレウスをブラッド・ピット、パリスをオーランド・ブルーム、ヘクトールをエリック・バナが演じている映画です。事前にギリシャ神話とイーリアスのおさらいをしておいてよかったと思います。ちなみにこの映画で使われた木馬はチャナッカレの港に現在も置かれてあるそうです。
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この案内板のエリアは興味深く見る事が出来ました。第2層の時代の傾斜路がきれいに残されています。
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ここから城壁の一部と修復された第2層の時代の城壁が見渡せました。この時代には城壁を拡大するために、何度かの増築工事が行われたそうです。ライムストーン(砂岩)が使用され、泥を焼き締めた煉瓦も使用されています。
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イラストを見るとこの傾斜路の上には城門が設けられていたようです。そしてこの城壁の左側で「プリアモスの財宝」が発見されたようです。
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ここで発見された「プリアモスの財宝」の黄金の装飾品を身に付けたソフィア・シュリーマンの写真は有名ですね。彼女が私蔵していた装飾品の一部はアテネの博物館に寄贈されているようですが、そのほとんどはドイツのベルリンの博物館に寄贈され、第2次世界大戦後にモスクワのプーシキン美術館に収蔵されています。また一部は近年出来たトロイ博物館にも収蔵されているそうです。
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傾斜路の脇にも城壁に沿うように石畳が続いています。その石畳が何層にもなっているのは時代の積み重ねでもあるのかもしれません。
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傾斜路を少し下ると第6層の宮殿の中に入りました。この辺りが宮殿の南の角になるようです。
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番号順に遺跡見学は進み、急に時代が下がります。
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少し下った「聖域」とされる場所は第8層から9層のギリシャ時代の遺跡です。この場所は生贄の儀式に使われた場所で、井戸と祭壇が残されています。井戸は生贄の血をためるためのものと、流すためのものに分かれていたそうです。
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石積みの表側に化粧の大理石も残され、その当時の祭壇をイメージできる気がします。これくらいのものが残っていないと専門家ではない観光客的には面白みが感じられません。
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ここから少し見学路をショートカットしてガイドさんは進んでいきます。この間はあまり重要ではないので、自由時間で見てくださいとのことでした。
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一番新しい時代の第9層でローマ時代のオデオン(劇場)の遺跡です。音楽や劇や会議が行われていた小劇場で、木製の屋根が架けられていたそうです。
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規模的にはアスペンドスやペルゲのほぼ完ぺきな姿で残された劇場や巨大なエフェソスやアフロディシアスの劇場を見て来た後では見劣りしてしまうのは仕方ないかもしれません。
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第6層から第7層のトロイの南側の城壁です。ここには10メートル×9.5メートルの見張塔も設けられていたようです。南の塔の後ろにはピラー・ハウスと呼ばれる27メートル×12メートルという巨大な宮殿がありました。
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映画の中で出てきた城壁はこの辺りだったのだろうかと想像をしてしまいます。ピラー・ハウスの残骸のような円柱が無造作に転がっています。
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石を積んだだけなので時代の違いは全く分かりません。一番上ではパラソルを架けて発掘作業が行われているようです。
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いくつもの時代が積み重なって全体像を把握している人はいるのでしょうか。素人目にも4つの時代が重なっているように見えます。
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ブールテリオンとポルティコの案内看板です。第8層から第9層のギリシャ時代の遺跡です。
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ブールテリオンは民主的な都市国家の市民評議会が開催された場所で、ポルティコは建物の玄関に導く柱列として拡がるポーチのことでなので、U字型の建物の前に列柱が並んでいたのだと想像できます。
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現在は少し整理されているので、今後修復が進んでいくのかもしれません。
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ギリシャ時代の復元想像図を眺めながら古代に思いを馳せていると、同じツアーの方が「奥さんが呼んでますよ~。」と探しに来てくださいました。えっ、なんかトラブルかと思って慌てて出口に向かいました。
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慌てて走った先には木馬があり、妻は上に登って手を振っていました。
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写真を撮ってねということだったのですね。そんなにトロイの木馬に思い入れがあったとは知りませんでした。
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先に見学に入っていた中国の団体さんの姿はすでに無く、ツアーのメンバーの方も写真を撮り終えていたようです。
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誰もいないので木馬の中も写真に撮っておくことにしました。
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階段を上がった1層目はこんな感じの広さでした。20人くらいは余裕で入れそうです。
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さらに上に行く階段もありました。
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2層目は少し狭いのですが10人くらいは余裕で入れます。
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早く降りてきなさいと妻が下で呼んでいます。
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念願のトロイの遺跡を見学する事が出来ました。
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出発前にトイレを借りて、絵葉書と妻が欲しがったエコバックを買ってバスへ急いで戻りました。
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バスへ戻ったのは我々が最後でしたが、時間にはぎりぎり間に合っていました。今回のツアーでは皆さん集合時間より前に戻られるので焦る場面が何度かありました。
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トロイを出発するとすぐにダーダネルス海峡が見えてきました。以前はイズミールから陸路をイスタンブールに向かったので初めて見るダーダネルス海峡です。
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しばらく走ると脇道に入り別荘地のようなエリアのホテルで昼食になりました。
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昼食の会場は「IRIS OTEL」という小さなリゾートホテルでした。
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こんなオーシャンフロントの眺めの良いレストランです。
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まずはミックスサラダが出てきました。妻が持ってきたドレッシングをかけたらセブンイレブンのコンビニサラダのような懐かしい味になりました。
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スープはクリーミーな野菜スープでした。これまでずっとレンズ豆のスープが基本だったので、これも懐かしい味付けです。
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メインが出て来るまでに時間がありそうだったので、ホテルのビーチに出てみました。もちろん11月なので誰もビーチにはいませんでした。
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振り返るとレストランはこんな感じでした。夏場だったら気持ち良いでしょうね。
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妻は隣の席の母娘で来られている方と話が弾んでいます。
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メインは黒鯛のグリルとスィガラ・ポレイという揚げ物です。サーデ・ピラウとスパイシーな野菜添えです。
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スィガラ・ポレイは名前の通りシガーのような巻煙草の形をした春巻きのような料理で、中には白チーズが入っています。黒鯛のグリルには、…やっぱり醤油ですね。
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横から声が掛かったので下を見ると猫が呼んでいました。不思議なのはこの敷居を絶対に跨いで中に入ってきません。
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店の人は猫を見つけると追い払おうとするので、暗黙の境界線があるのでしょう。それが面白かったです。魚の骨の周りを美味しそうに食べていました。
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デザートはリンゴのコンポートでした。赤い色はカッパドキアでガイドさんが買っていた葡萄酢の色だと思います。砂糖ではない上品な甘さでした。
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食事が終わってからもう一度海岸線まで出てみました。
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太陽は出ていますが11月の日差しはあまりに弱弱しくビーチを照らしています。
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地中海から黒海に向かう貨物船が目の前を横切っていきます。
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ホテルには面白い陶器のピッチャーが飾ってありました。モチーフはギリシャ神話に出て来るヒッポカムポスの姿のようです。
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残念ながら見ている暇はないので急いでバスに戻りました。
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バスはダーダネルス海峡を渡るフェリー乗り場に向かいますが、途中見掛けたモスクは6本のミナレットを持つ立派なものでした。
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ホテルを出て40分ほどでチャナッカレを抜けたラプセキ港に出ました。
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看板にはフェリー乗り場とゲリボル(Gelibolu)の文字が見えます。
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どうやらあの白いフェリーに乗るようです。時間によっては1時間ほど待つこともあるようでしたが、上手い具合に滑り込みで乗れそうです。
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バスごと港のゲートをくぐります。今までの旅では個人のフットパセンジャーで歩いてフェリーに乗っていたので何となく偉くなった気分です。
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まずはバスごとフェリーに乗り込んで、その後バスから降りてしばらく自由時間になります。
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バスを降りてフェリーのデッキに上がると既にラプセキ(Lapseki)の港を出港していました。
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今年の夏は母を連れて3人で佐渡島を旅したので新潟港からフェリーで往復していましたし、春の旅ではヘルシンキからストックホルム、ストックホルムからリガ、タリンからヘルシンキとフェリーの旅が多かったです。
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ずっと夢だったダーダネルス海峡もフェリーで渡る事が出来ました。先ほど見学したトロイ戦争も神話上ではパリスとヘレネーに起源する物語ですが、実際は現在のギリシャ側とトルコ側での戦いはあったのだと思います。
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時代は下がってガリポリの戦いは第1次世界大戦中に連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島に対して行った上陸作戦のことです。ガリポリ半島とは英語名であり、現在トルコ語でゲリボル半島と呼ばれています。
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当時国家として末期であったオスマン帝国軍を軽んじた連合軍は短期決戦を想定して挑みましたが、後のトルコ共和国の初代大統領に就任するオスマン帝国の名指揮官ムスタファ・ケマル・アタテュルクの活躍をはじめ、予想外の頑強な抵抗に遭った連合軍は多大な損害を出して撤退して作戦は失敗に終わります。
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この戦いは陸・海・空3軍の総力を結集した大規模上陸作戦としては世界初と言われ、連合国軍に参加したオーストラリアとニュージーランドにとっては初の本格的な海外出兵になります。
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イギリスは海軍大臣ウィンストン・チャーチルの主唱でダーダネルス海峡西側のガリポリ半島を占領し、オスマン帝国の首都イスタンブールに進撃する計画が立案されます。イスタンブールを占領することができれば連合軍はボスポラス海峡を通じて黒海方面でロシア軍と連絡可能になり、またブルガリア、ギリシャなどバルカン諸国が連合国側になびくことも期待されました。
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この作戦の失敗やアントワープ攻防での失策が元でチャーチルは辞任に追い込まれ一度は失脚します。
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ガリポリの戦いについては知識としては頭の中にありましたが、実際に海峡を渡るということは大切だなと感じました。
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黒海から地中海へ抜けていくタンカーに対して真っすぐ海峡を横切っていきます。昼を過ぎたせいか太陽も顔をのぞかせポカポカ暖かいほどで、風があっても寒くはありませんでした。
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地中海へ抜けていくタンカーの最後尾にはザダール(ZADAR)とクロアチアの港の名前が書かれてありました。リエカからヤドロリニアのフェリーに乗って、ザダールとスピリットを経由してドブロヴニクへ行った旅のことを思い出します。
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海峡の途中でラプセキへ向かうフェリーとすれ違いました。
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昔、札幌で仕事をした帰りに函館の温泉で寛ぎ、春浅い立待岬で津軽海峡を眺めて「今年は海峡の年だ。」と誓ったことがありました。東京に戻ってイスタンブールに飛んでボスポラス海峡をアナドル・カブールという黒海が見えるところまで行き、秋にはスペインのタリファからモロッコのタンジール往復のフェリーに乗った年がありました。今年はそれに次ぐ海峡の年かもしれません。
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対岸のゲリボル港が見えてくるとバスに戻るように促されます。
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妻はさっさとバスに向かっています。
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ギリギリのところまで粘って写真を撮り続けました。バスに乗ってしまうと壁に囲まれているので何も見えません。
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そろそろバスに戻らないと置いて行かれてしまいます。
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救急車もフェリーで海を渡るんだなんて思っていたらバスのドアが閉まってしまいました。
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ゲリボル港にはバスが停められるような場所も無く、そのままイスタンブールに向かって出発しました。
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ダーダネルス海峡を望む公園にアタチュルクの像が建っていました。
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海峡を渡ったヨーロッパ側は荒涼とした農地でした。第1次世界大戦のことを考えながら海峡を渡ってきたので。農業用の建物が砲台を設置したトーチカのように見えてしまいます。
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そんなことを考えているとトラクターの走った跡ですら戦車のキャタピラの跡に見えてきます。
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海峡を渡った後のトイレ休憩はトロイアというお土産物屋さんに立ち寄りました。
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パシュミナのショールなんてものも売っていましたが、昨今の値段を考えるとちょっとお高いのと、偽物のブランド品も多く売っていたので品質もちょっと信用できません。
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これから冬だというのに農地を耕して何を植えるのでしょうか。
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この辺りでも何台ものトラクターを追い抜きます。
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丘陵地帯をいくつも越えてイスタンブールを目指します。
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丘を越えるとテキルダー(Tekirdag)の町が見えてきました。
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この辺りから右側の車窓はダーダネルス海峡を抜けたマルマラ海が見えます。
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天気も良くなってきたので海が輝いています。11日前にイスタンブールを出てアジア側のマルマラ海の一番奥の辺りを抜けてサフランボルに向けて走ったのが遠い昔のようです。
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トルコ旅行の前に行った台湾の東海岸とか佐渡島から見えた日本海を思い出しました。今年もいろいろ旅したものです。
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バスの車窓の左側にも絵になる風景が続いていました。
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だんだんイスタンブールが近づいてきますが、近づくほどに旅の終わりが迫ってくるような気がします。
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どこまでも続く美しい海岸線でした。何も使われていない海岸線はもったいない気もしました。
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イスタンブールに入る前に最後のトイレ休憩がありました。大きなスーパーだったのでトイレが終わると皆さん買い物モードに入ります。
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物凄い量の商品に圧倒されます。
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ここで会社用のお土産を買うことにしました。
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残念ながらロクムはあまり人気が無かったのですが、気に入った友人に持って帰ってもらいました。
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雲間から太陽光線が差し込んで幻想的な風景も見る事が出来ました。
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車窓の先に高層ビルが見えてくるとイスタンブールも近いです。
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そろそろ旅の終着地です。
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いつの間にかイスタンブール市内に入ったようです。
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2週間前に泊まった「ホリデイイン・エアポート」の前も通過しました。
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これでトルコ周遊5000キロが終わりましたが、バスはこのまま旧市街に向けて走り続けます。
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昔イズミールから路線バスで到着した懐かしいオトガルの前も通過しました。当時イスタンブールで出来たばかりの最大のバスターミナルでした。
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そして初日にホリデイインからタクシーに乗って降ろしてもらった時計塔も通過しました。最終日に泊まるクラウンプラザ・オールドシティはすぐ近くです。残るはイスタンブールの1泊2日の旅だけになりました。
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(14)ローズバレーの夕日とセマー観賞の後はギョレメで離団して、友人と再...
2019/10/29~
カッパドキア
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(15)二日酔いで絨毯店と陶器工房を巡りながらもチャウシンの昼食後は廃墟...
2019/10/30~
カッパドキア
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(16)カッパドキアからシルクロードを走り、キャラバンサライを経てコンヤ...
2019/10/30~
コンヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(17)インジェミナーレ神学校と念願のメヴラーナ博物館を見学し、探してい...
2019/10/31~
コンヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(18)トロス山脈を越えてアスペンドス遺跡に至り、アンタルヤのリゾートホ...
2019/10/31~
アンタルヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(19)ハリントンパークホテルからアンタルヤのカレイチを歩き、郊外の渓流...
2019/11/01~
アンタルヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(20)アンタルヤ考古学博物館へ行く前にペルゲを見学し、17年前に遺跡を...
2019/11/01~
アンタルヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(21) ペルゲ遺跡を訪れた後はアンタルヤ考古学博物館で発掘品を見て歴史...
2019/11/01~
アンタルヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(22)夕暮れのカレイチを散策した後はアンタルヤの1720軒のレストラン...
2019/11/01~
アンタルヤ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(23)アンタルヤから霧の山中を抜けたアフロディシアスでトラクターに乗り...
2019/11/02~
アフロディスィアス
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(24)パムッカレの石灰棚に遊び、カラハユットのサーマルホテルパムで温泉...
2019/11/02~
パムッカレ
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(25)3度目のエフェソス遺跡の変化に驚くもセルチュク名物のチョップ・シ...
2019/11/03~
エフェス遺跡周辺
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(26)トルコ周遊の最後はイスタンブールに戻る前にエーゲ海沿いのアイワル...
2019/11/03~
アイワルック
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(27)ホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ遺跡を歩き、ダーダネルス海...
2019/11/04~
トロイ遺跡周辺
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(28)イスティクラール通りに遊び、チチェッキ・パサジュで夕食を食べた後...
2019/11/04~
イスタンブール
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トラピックス「トルコ大周遊15日間」(29)旅の締めくくりは早朝のボスポラス海峡クルーズから始まる。
2019/11/05~
イスタンブール
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