
2019/10/29 - 2019/10/29
446位(同エリア1613件中)
kojikojiさん
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早朝のバルーンツアーから戻った後はオリジナルのツアーの予定が始まります。カイマクルで宿泊したホテルのすぐ脇のカイマクル地下都市からこの日の観光が始まりました。今回のツアーの中間日でしたが、毎日毎日風景や文化や気候も違うので飽きることがありません。このカッパドキアでさえいろいろな顔を持っているのでなおさらです。地下都市は2回目でしたが、以前の記憶と全く違うので、前回は他の場所だったのかもしれません。妻は中腰で歩くのが嫌なので、地下都市の最初の教会まで行って、他の閉所が嫌いな方と一緒に戻ってしまいました。地下都市はきれいにライトアップされて、以前にも増してきれいになっているようでした。空調は昔の通気口がそのまま使われているようで、中世の人の知恵はすごいなと思わざるを得ません。
地下都市の後は「鳩の谷」と「ウチヒサール」と「ギョレメ・パノラマ」といくつかの展望台へ向かいました。トラピックスのツアーでは観光以外に買い物が組み込まれますが、今回は「トルコ石」と「革製品」と「絨毯」と「陶器の店」の4か所がありましたが、「トルコ石」の買い物を先のベルガマの店に変更して、陶器店も翌日にしてくれました。これはガイドさんの機転で、その分時間が出来たので数か所の観光が増えることになりました。「鳩の谷」と「ギョレメ・パノラマ」はそんな追加してもらえた場所です。以前来た懐かしい場所もありましたが、17年振りなので新鮮に観光できたので良かったです。そして何よりトルコに来たがっていた妻を満足させる事が出来たと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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バルーンツアーから戻って、部屋で防寒の衣類を着替えて、午前9時のツアーの集合時間に何とか間に合いました。バスに乗って到着したのはホテルから歩いて3分ほどの距離にあるカイマクル地下都市です。
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地下都市の観光は以前にもしたことがあるのですが、記憶と周囲の風景に共通点が見出せません。ウフララ渓谷と一緒に行ったのは別の地下都市だったのかもしれません。
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地下都市の入り口にはカイマクルのジオラマ模型が置かれてありました。地下8層(深さ約55m)ありますが、見学出来るのは上の4層までのようです。
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実際はこの模型を見ても地下の迷路に入り込んでしまうと現在位置も階層も全く分からなくなります。分からなくするために造られているのですからね。
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トルコの観光化は以前にもまして進み、ガイドさんのスマホのQRコードを読み込んで回転ゲートを通過できます。紙のチケットがもらえないのが残念です。
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最初にガイドさんから全体の説明があります。ルートを間違うことはありませんが、イヤフォンガイドの電波が地下では通じなくなることが多いです。
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かなり明るくライトアップしてあるので懐中電灯は必要ありませんでした。基本的に家財道具などは無いので、生活感は感じられませんが石臼などを見ると多少のイメージが湧きます。
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朝9時の開門と同時に入った最初の団体なので我々のガイドさんのペースで説明を受けながら進めるのがありがたかったです。
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大人しくしていますが、考えているのは途中で地上に戻る事です。
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この先の教会までは全員で入場しましたが、数名の方が閉所が好きではないということでUターンして戻りました。妻は中腰で進んで腰が痛くなるといけないからと戻りました。まあ賢明な選択だったかもしれません。お金も持っていないから買物も出来ないし。
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カイマクルは古代の名前はエネグップと呼ばれたそうです。トルコ文化省によると紀元前8世紀から7世紀にかけて、インドヨーロッパのフリギア人によって最初に柔らかい火山岩に洞窟が建設されたそうです。
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ローマ時代にはその洞窟に住んだキリスト教徒が礼拝堂と住居を追加して洞窟を拡張しました。6畳間ほどの部屋は男2人で数日あれば掘り出せるくらいの柔らかい凝灰岩です。
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4世紀間にわたるアラブビザンチン戦争(780~1180年)の間、イスラム教アラブの襲撃から逃れるためにこの都市は大幅な拡張とさらなる地下化深化が進められます。数キロメートルの長さのトンネルを設けてデリンクユの地下都市とつながってもいました。
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これらの地下居住地で発見されたいくつかの建築様式は、5世紀から10世紀中期のビザンチン時代に属します。これらの都市は14世紀のモンゴルのティムール侵略から逃れるためキリスト教徒の住民によって使用され続けました。
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この地域がオスマン帝国の支配下になった後、都市はトルコのイスラム教徒の支配者からの避難所として使用され、20世紀の「カッパドキアのギリシア人」と呼ばれる住民は依然としてオスマン帝国の迫害の波から逃れるために地下都市を使用していました。
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特に1909年にアダナでのアルメニア人の虐殺の知らせがあると、アクソの人口の大部分はこれらの地下室に避難して地上で眠ろうとはしなかったそうです。
この地域のキリスト教徒の住民が1923年にギリシャとトルコの人口交換で追放されると地下都市は放棄されてしまいます。 -
建築と一体化した石臼って面白いですね。一部屋くらい当時の再現があっても良いと思います。
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地下1階は家畜や馬小屋が設けられ、その左側には石臼のような巨大な円形の扉のある通路があり、扉は教会に通じています。馬小屋の右側の部屋おそらくリビングスペースだったと思われます。
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地下2階にあるのは身廊と2つの後陣のある教会です。後陣の前には洗礼盤があり、壁に沿った側面には台座があります。ここの墓に含まれる人々の名前は、教会の隣に位置する人々と一致しており、これらの墓は宗教的な人々のものであると思われます。教会のあるフロアレベルには、いくつかの生活空間も含まれています。
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通路や付属する部屋にはいろいろな工夫がされているようですが、想像しても分からない部分もあります。
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生活空間の周りには倉庫がたくさん設けられています。
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そしてワイナリーも設けられています。奥の部屋の床に葡萄を敷き詰めて、足で踏み潰すと中から葡萄液が流れ出し、それをアンフォラ壺に入れて醸造したそうです。
床にはアンフォラ壺を固定する穴も残っていました。 -
有名な防護用の扉です。大人2人で木の棒で動かしたそうです。表から動かす事が出来ない仕組みになっていたそうです。
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狭い空間なので空気が澱みそうですが、そんな感じは全くしません。
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こんな細くて低い通路をいくつも渡るので妻は来なくてよかったかもしれません。ツアーも7日目で折り返し地点ですが、まだまだ先は長いですから。
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壁に開けられた穴から涼しい風が流れ込んできます。等間隔に開けられた穴は梯子の代わりでしょう。
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下を覗くと20メートルほどの長方形の穴が開いています。これは通気口となっています。
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上を覗くと同じようにトンネルが続きますが、明るいのはライトの明かりです。
真っすぐ通気口は延ばされず、地上からは分からない場所に開口を設けたそうです。
同じ理由で煮炊きした煙が真っすぐ上がらないような工夫もされたそうです。 -
だいぶ置いて行かれました。でもこれくらいの距離で写真撮りたいですから。
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このあたりは少し広いスペースだったので、全員が集合してガイドさんの説明を聞きました。
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ここを掘った人々のノミの跡がくっきり残っています。柔らかい凝灰岩とはいえ大変な労力だったことだと思います。
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地下3階は最も重要なエリアで、倉庫などの保管場所やワインの醸造所やオイル搾りや台所があります。
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火を使ったであろう場所は天井が黒くなっているので分かりやすいです。
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トルコ人の家族連れが追い付いてきたので先を譲ります。子供の背丈だとこの地下都市では快適に生活出来そうです。
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ここは迷路のようですが、よく見ると青い矢印があります。これが出口への方向を示します。
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この部屋の天井も真っ黒です。壁に穿った穴もいろいろな使い道があったのでしょう。何か思いついたら穴を開ければよいのですから便利ですね。
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この石は溶かした銅を各穴(直径約10センチメートル)に入れて鋳造に使われたそうです。原材料の銅はアクサライとネビシェヒルの間で採掘されたようです。この鉱山はカッパドキア地方で最も古い集落であるアシリホユクでも使用されていました。
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また少し遅れたようです。後ろから来る人も無く、少し1人になると洞窟もまた違ってみえます。今年は夏に母を連れて佐渡島を旅しましたが、佐渡金山の次はカッパドキアの銅山とは思いませんでした。
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しかし広大な地下空間に圧倒されます。まだ発見されていない地下都市がどれくらいあるかも分かっていないそうです。
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他の観光客のいない良い時間に見学が出来たと思います。そのためにはカイマクルに宿泊する必要もあるでしょうし、緻密に計算されたスケジュールだと思います。
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この割れ目はちょっと気になりました。地下40メートルにいるのですから。
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約50分の地下都市見学が終わりました。さて、妻は元気にしているでしょうか。すっかり忘れていました。
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妻がツアーの方にお金を借りて買い食いしていないか心配でしたが杞憂に終わりました。
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この日の夜に17年前にギョレメでお世話になった絨毯屋さんの人と会う予定ですが、時間が近づくにつれて、覚えていなかったらどうしようなんて考えが浮かびます。
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カイマクル地下都市からバスに乗ってカッパドキアのいろいろなポイントの観光がスタートします。一部予定変更で、トルコ石のお店は数日先に延ばされ、陶器のお店も翌日になりました。そのお陰で時間が出来たので、鳩の谷やギョレメのパノラマポイントが追加観光となりました。
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街道沿いでは車に寝泊まりしながら農作業の出稼ぎに来ている人の姿が見受けられました。綿花の摘み取りは現在も人手に頼っているので、出稼ぎの人は重要な働き手なのだと思います。
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アーバー村を通過するとゲートがありました。「GULE GULE」はさようならという意味です。
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昨日はカイセリを出る頃に陽が傾き、カイマクルに着くころには真っ暗でした。我々は気球に乗って初めてカッパドキアを見る事が出来ましたが、それ以外の方はここからがファースト・インプレッションです。
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前方にウチヒサールの岩山が見えてきたところで、「鳩の谷」が近いと分かります。
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ここへは17年前の1日ツアーで立ち寄ったことがありました。それくらい展望台の周辺は変わっていませんでした。その当時と同じ型押しで成形されたカッパドキアの置物が売っています。
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鳩の谷は名前の通りたくさんの鳩がいます。
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ここでは1TL(20円)で鳩の餌が売っています。そのために数十羽の鳩が待機しています。
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枯れ木にはナザール・ボンジューがぶら下がっています。日本の神社のおみくじと同じですね。近くのお土産店で買ってここに願掛けをするのでしょう。
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お土産の置物とウチヒサールの岩山。これくらいの大きさだと見栄えがいいですね。いつも帰ってきてから欲しくなります。
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ウチヒサールはカッパドキアでも大きな町で、要塞の周りに広がっています。
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ウチヒサールとはトルコ語で3つの要塞の意味で、天然の岩山を刳り貫いて要塞としています。建物のある肩のあたりまでは車で登れますが、その後は岩の中の階段を延々登ることになります。ただ、登り切った展望台からの眺めはすばらしいです。
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このあたりが一番カッパドキアに生活していた人々の名残を感じられる場所かもしれません。
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そして鳩の谷の辺りは古来から鳩の糞を肥料として使うために鳩をたくさん飼っていました。その鳩の小屋もやはり洞窟住居のような造りです。
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カッパドキアはワインの産地でもあり、原料となる葡萄の木を育てるために鳩を飼い、その糞を肥料として使っていました。カッパドキアのブドウ栽培はギリシャのサントリーニ島のように地面に這わせるように栽培します。日中の暖かさが伝わりやすいのと、夜の寒さがしのげるからだと思います。
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不思議な造形です。「ロード・オブ・ザ・リング」のホビット荘のような世界感です。
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展望台で1枚記念写真。
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世界中の観光客が集まる場所です。
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俗っぽい展望台から少し離れた奇岩と自然が織りなす景色はあまりに美しいです。
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谷底まで降りて散歩したい衝動にかられます。そんな衝動に駆られて降りてしまった南イタリアのマテーラの谷は反対側の谷の上まで登って同じルートで戻ってきましたが、30歳だったから出来た業だと思います。
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崩れかけてしまった建物部分に登ることは出来るのでしょうか。
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曲線ばかりの視線の中で、平らな地平線だけが目立ちます。
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自然界の中に直線や直角が存在しないであろうことを感じさせます。
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鳩の谷でも真っ赤に熟れたザクロが並び、観光客を誘惑しています。ザクロは大体1キロ2TLから3TLですから、3個使って8TLで商売できればかなり儲かりそうです。
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帰国して日が経つにつれて欲しくなってきました。ツアーの皆さんが戻って来たのでバスは出発して、ウチヒサールに向かいます。
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次の観光ポイントはウチヒサールだったので、大型バスで上まで登れるのか心配していましたが、裏側の谷間からの観光でした。
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少し奇岩を上った見晴らし台からウチヒサールの砦を眺めます。
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17年前にあの展望台の旗の下まで登ったんだよなと思うと感慨深いものがあります。
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砦の下の谷の周りには奇岩を掘り抜いた洞窟住居がたくさん見られ、そのいくつかは現在も人が住んでいるようです。
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駐車場の脇の斜面も特出した美しさです。
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車道の脇ですが、凝灰岩が雨で浸食されたカーブの美しさは数ある奇岩の中でもここが一番だと思います。
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人の出入りぐ出来るサイズでは無いので、ここは鳩の家だったのでしょうか。
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ギリシャでは「イーブルアイ」と呼ばれ、トルコでは「ナザール・ボンジュウ」と呼ばれます。何個か買ったことがありますが、いつの間にかどこかで失くしてしまっています。アラビアの国で見掛ける「ファトマの手」と呼ばれる手の甲を模した飾りに目の模様を付けたものの一種ともされます。
シワスの神学校で買ったものはファトマの手のデザインのマザール・ボンジュウは気に入ったのですが妻には不評でした。 -
ここではかなり自由時間があったので、ウチヒサールの要塞の足元の方まで歩いてみました。
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妻は歩きたくないようだったので1人でブラブラ散歩していると17年前の旅にフラッシュバックします。
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要塞の手前にある岩山の下まで歩きました。時間をかければここからウチヒサールの要塞下まで行けそうです。
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この周辺の鳩の家は非常に優れたデザインです
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人が入るのであろう「躙(にじ)り口」が見える家もありますが、完全に埋まった家はどうやって糞を収集したのでしょう?梯子を掛けて登ったのか…。
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内部には表からは見えない空間があるのでしょうか?
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もちろん住宅として使われている奇岩もあります。
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岩に穿った開口部に合わせた窓なのか、窓枠に合わせて穴を穿ったのか、住人に聞いてみたい衝動に駆られます。
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そろそろ戻らないとバスの出発まで10分くらいしかありません。
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陶器の壺の底に描かれた顔が民族衣装風の帽子を被っています。妙に気になって写真に収めましたが、その理由は夜になって分かりました。
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観光用のラクダは17年前にも見掛けましたが、結構人気があるようでした。
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やはりこの崖の凝灰岩の美しさは忘れられません。
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続いて立ち寄った展望台もガイドさんが追加でアレンジしてくれた場所です。場所としては「ギョレメ・パノラマ」という名前の場所のようです。
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大抵の展望台にはレストランやカフェがあります。馬のイラストがあるのはカッパドキアが現地の言葉で「美しい馬の国」という意味だからでしょう。
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鳩の谷では枯れ木に壺が刺さっていたり、ナザール・ボンジュウが下げられていましたが、ここでは割り木で造られた籠が下がっていました。
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よく見ると籠の底は動物の皮で補強されていました。
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何となくシュールな、ダリの描く絵画のような木を背景に妻を入れて写真を撮ってみます。
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この店の展望台からはギョレメの町の向こうにローズ・バレーが見渡せます。
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逆光になってしまうので、上手く妻の写真が撮れません。
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カフェの先の展望台からの眺めは絶景でした。
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手前の奇岩とギョレメの街並みとローズ・バレー。17年振りのギョレメを見ると感無量です。1週間ほどの滞在で知り合った沢山の人との思い出が詰まっている場所です。
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ローズ・バレーも泊まっていたホテルの主人の車で、夕焼けを観に行った場所です。
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オーストラリアのウルルの岩山の迫力を肉眼で見たことはありませんが、カッパドキアのローズ・バレーの迫力も凄いと思います。
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今までツアーで旅していていろいろな方と一緒に旅させていただきましたが、今回は強烈な方がいました。まずは経由のドバイで勝手に離団して1人で入国してしまいました。阪急交通社は以前ロンドンから帰国する際に乗り遅れたお客との訴訟以来、お客が乗り遅れた場合添乗員が残るというルールがあるそうです。つまり、その人が戻ってこないと添乗員なしでトルコへ向かう可能性があったのです。
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さらに40人乗りのバスに32名のツアーなので、最前列は添乗員とガイドの席で、5,000キロの旅程なので休憩するドライバーさんが1席必要なので、1人1席しかないと説明されても、自分の大きなバックパックを横に置いて2席要求します。1人のおばあさんが間違えて座って、座席が足りなくなるという事があった時は「昨日座れたのに、今日座れないわけがない。荷物をどかせなんて自分の考えを人に押し付けるな!」なんて恫喝する始末。
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さらにバスの中で大声で話をするので聞こえてしまうのですが、年間300日くらい海外と日本国内を旅行しているとのこと。トルコ旅行前は香港とバリ島とニュージーランドを旅していて、トルコから帰国した翌日にホーチミンに行らしく、飛行機が遅れたらヤバイ!という話を20回はしていたと思います。その人にとってはパスポートにスタンプが増えることが重要で、航空会社の便や空港についてはすごい知識なのですが、着いてから帰るまではどうでも良いようでした。
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問題だったのはバスの中で大声を出し、思いっきりリクライニングして、座席を占領して、食事のビュッフェでも列に並ばず、スマホとデジカメで自撮りする時間が長いので他の人が写真を撮れないなどなど。さらに他の人に写真を撮らせようとするので、断られると添乗員さんに「俺はスマホを持っている人に写真を撮ってくれって頼んでいるのに断られた。持っていない人に断られるならわかるけど。失礼だ。」と言ってみたり、狭い通路でずっと立ち止まっているのをツアーの人に注意されると「俺はただ写真を撮ってるだけなのに喧嘩を売られた。」とか。
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毎日添乗員さんに怒られ、バスの中で茹卵の殻を床にまき散らすのでドライバーさんからも毛嫌いされていました。その人はバスの後ろに座るので前半分の席取りが毎朝エスカレートして出発が早まるくらいでした。帰国前にイスタンブールの空港で添乗員さんがお礼の挨拶をされたのですが、そのタイミングで「今回のツアーは最高だったな。」と叫んだ時にはその場の空気が確かに凍りつきました。
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長年妻が「行きたい。」と言っていたカッパドキアへ来る事が出来ました。旅も折り返しの7日目ですが、盛りだくさんで気候や風土も毎日違ってくるので飽きることもありません。
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ツアーの旅程ではカッパドキアで2泊するので本当はゆっくりできるはずなのですが、バルーンツアーの早起きもあり、個人的な予定もあり毎日忙しいままです。
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この近くに以前泊まったホテルの主人の家族の思い出のあるシークレット・バレーがあったなと思いだします。かなり観光化が進んでしまったカッパドキアですが、少し外れると昔のままの場所もあるのだと思います。
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向こうの展望台から見ると我々も風景の一部なのかもしれません。
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更にカッパドキア奇岩巡りは続きます。
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