
2019/11/05 - 2019/11/05
902位(同エリア4187件中)
kojikojiさん
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イスタンブールの最終日はオプションの設定がありました。最後の市内観光の前に1時間のボスポラス海峡クルーズが7,000円という料金です。結構な金額なのは分かりますが、個人旅行でないツアーの自由時間の中では自分たちでクルーズをしてくることは不可能でした。と言ってホテルで1時間30分過ごしても意味ありません。ということでクルーズに参加しましたが、意外に申し込まれた方は少ないようでした。エミニョムの港で写真を撮ったりしていると旅行会社の手配した専用船がやってきました。天気も良く気温も朝からポカポカだったので気持ち良いクルーズが楽しめました。ルートはボスポラス海峡のヨーロッパ側を黒海に向けて進み、第1ボスポラス海峡大橋を越えて、第2ボスポラス海峡大橋が見えてくる辺りでUターンします。早朝なのでヨーロッパ側の宮殿がとてもきれいに見えました。Uターンした後は船のスピードも速くなったようでした。ウスキュダルから乙女の塔を通過してトプカプ宮殿を眺めながらのクルーズはちょうど1時間で終わりました。旅の締めくくりには楽しいクルーズでした。妻はツアーの参加者の方の中で同い年の3人の方と仲良くなり、話も弾んでいました。今まで同じツアーの方と連絡先の交換はあまりしたことがありませんでしたが、今回は日本に帰ってからもお会いしましょうということになりました。クルーズが終わってエミニョムの港に戻ると、他のメンバーを乗せたバスが待っていて、最終日のイスタンブール市内の観光が始まりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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前の晩はほぼ午前様でホテル帰ってきましたが、午前6時には起床して6時45分にモーニングコールがありました。朝食は7時からで最後の荷物出しは8時30分でした。我々はオプションのボスポラス海峡クルーズに参加しますので、参加しない人は9時45分まで自由時間になります。
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その時間では何もできないのでオプションの7,000円はちょっと高いけど仕方ありませんね。早めに朝ご飯を食べることにして1階に降りました。オプションに参加する方がいらしたので相席させてもらいました。
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レストランはとても混雑していたので、すぐに席が取れて助かりました。ツアーも14日前になると仲良くなる方が出来てきます。ただそんな旅も今日で終わりです。
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ここではクロワッサンと洋風のメニューを選びました。毎日トルコ風の食事を心がけていましたが、最後はスクランブルエッグにフライドポテトにグラタンです。
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前の晩の食事が遅かったので軽めにしましたが、5星のホテルの食事なのでメニューは豊富でした。最後の最後までトルコの野菜は美味しかったです。
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ポタージュスープも美味しかったです。さすがに毎日1回か2回飲んだレンズ豆のスープには飽きてきました。
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一度部屋に戻ってチェックアウトしてオプションにの集合場所に向かいます。最後の絵葉書もフロントにお願いして、父と母への14枚を送る事が出来ました。旅先から1日1枚のはがきを書くのは結構大変です。
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朝の時間は旧市街の道路は渋滞が多いのでなかなかバスは進みません。昨日まで2名体制のドライバーさんでしたが、1人は昨日までで終わり残りの1名の方は我々を空港に送った後に次のトルコ周遊のツアーに出るとのことです。
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ローマ時代のヴァレンス水道橋を抜けて金角湾へ向かうようです。このヴァレンス水道橋を初めて見た時は驚きました。当時のイスタンブール空港から市内へバスで入って初めて見た遺跡でした。そしてタクスィム広場でバスを降りてペラ・パレスまで歩いて…。いろいろなことが思い出されてきました。
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ローマ帝国時代の水道橋の本来の全長はおよそ1キロありましたが、現存するのは800メートルほどです。水道橋はイスタンブール旧市街のファーティフの丘とエミノニュの丘の間にかけられており、全長551キロに及ぶウァレンス水道の最末端の一部で、旧市街東部のスルタンアフメト地区にある地下貯水池へ続いています。今回バシリカ・シスタンと呼ばれる地下宮殿にどうしてもいけなかったのが心残りです。
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バスはシルケジ駅の前でUターンするようです。最後にまたここを見る事が出来るとは思いませんでした。
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最初の晩にセマーを見て晩ご飯を食べたレストランです。もう遠い昔のように思えますが…。
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トルコの朝はシミットで始まるようです。こんなところでどれほどの商売になるのだろうと心配になってしまいます。
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バスはぐるりと回って金角湾側に我々を降ろします。本当に至れり尽くせりです。ここは到着した初日にシルケジ駅で晩ご飯を食べた後に夜景を見に来た場所です。
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ガラタ橋越しにガラタ塔が見えました。昨晩は塔の向こう側まで歩いていたわけです。エミニョムから眺めるガラタ橋が一番きれいだと思います。
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朝早いのに家族連れが散歩していました。その向こうを通勤客を乗せたモトル(Motor)という乗り合い水上バスが通り過ぎていきます。
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「ちょっと波止場に立つ海の男みたいなポーズをして。」と言いながら昨日買ったブーツの写真を撮ってやりました。
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ここまでずっと我々2人の写真を撮ってくれた方には感謝です。通常添乗員さんがシャッターを押してくれることが多いのですが、30人以上のツアーではそれを期待するのは無理です。
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ガラタ橋は1992年に火災で焼失していて、現在の橋は1994年12月に開通した5代目です。1996年に初めて来たときは橋がまだ新しかった記憶があります。そして橋の上では赤ん坊を籠に入れて、その前に体重計とお金を入れる缶が置かれた商売がありました。まだトルコの経済が低迷していた頃のことです。
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我々を乗せるクルーズ船が到着するまでしばらく時間がかかりそうです。ここからはガラタ橋から第1ボスポラス海峡大橋までが見渡せます。
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最初のイスタンブールの旅ではまだ若かったので、「ペラ・パレス」に泊まりながらガラタ橋を渡って、スルタンアフメットの絨毯屋さんの高校生の男の子と遊んでいました。毎日往復を歩いていましたが、今では片道でも歩こうと思いません。
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Istanbul9と書かれた大型の船が近づいてきました。多分アジア側の港を周ってここまで通勤客を運んでいるのでしょう。
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カッサンドルのノルマンディー号のポスターをイメージして写真を撮ってみましたが、全くアールデコぽく見えないのが残念です。
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入れ代わり立ち代わりで水上バスがやってきます。なんか懐かしい気分になってきます。
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以前のトルコ周遊の旅では、夕日の中この港からアジア側のハイダルパシャ駅の港まで水上バスで移動しました。アザーンの流れる中、これからどうなるのだろうと少し心配な気持ちになりましたが、夜行列車でカッパドキア近くのカイセリまで移動しました。
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一人旅をしていると夕暮れ時に絶望的な寂しさや不安感に襲われることがありましたが、もうそんな旅も出来ないのかもしれません。若いころにたくさん経験できて良かったと思います。
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お金を1円も持っていなくても、言葉がしゃべれなくても、どんどん先へ進んでいく妻を後ろから眺めていると「何とかなるさ。」という気分になります。
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またたくさんの通勤客を乗せた水上バスがやってきました。こんな都市に頻繁に船が行き来するのはイスタンブールとヴェネツィアくらいではないでしょうか。
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どうやらこの船が我々の待っているボスポラス海峡クルーズの船のようです。
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今回の現地旅行会社のドラック社(DORAK)の文字が見えます。
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船は十数人のメンバーとガイドさんを乗せるとすぐに出港しました。もう少し情緒が欲しいところですが、ショートクルーズなので早いに越したことはありません。
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ガラタ橋を正面から眺めます。まだ船で金角湾(ゴールデン・ホーン)に入ったことはありません。
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海の上にいるとイスタンブールが丘に囲まれた街だということが分かります。そしてその表側にはテオドシウスの城壁がイスタンブール旧市街の西側をすっぽり覆うように造られています。東ローマ帝国はオスマン艦隊の侵入を阻止するため金角湾の入り口に鎖を張り渡しました。
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オスマン帝国のメフメト2世は膠着状態を打開すべく、金角湾の北側の陸地(ガラタ地区の外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出ます。「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策として有名です。
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オスマン帝国側の総攻撃が開始され、オスマン軍は城内に侵入したために防衛軍はたちまち大混乱に陥って敗走します。しかしコンスタンティノス11世は最後まで前線で指揮を執り続けたと言われます。
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そして城壁にオスマンの旗が翻ったのを見たコンスタンティノス11世は身につけていた帝国の双頭の鷲の国章をちぎり捨て「誰か朕の首を刎ねるキリスト教徒はいないのか!」と叫び、親衛軍とともにオスマン軍の渦の中へ斬り込んで行き、コンスタンチノープルは陥落して東ローマ帝国は滅亡します。
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コンスタンティノープル政府とメフメト2世との間で和平交渉が形式的に行われ、メフメト2世は降伏開城を呼びかけますが、コンスタンティノス11世はこれを拒絶したために包囲戦は続行されます。
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そんな物語を思い出しながら海峡をクルーズすると景色も違って見えると思います。塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」では東ローマ帝国側からとオスマン・トルコ側からの視点を、こまめに入れ替えて緊迫感と臨場感がうまく演出されていますが、メフメト2世が先生と呼んでいる宰相カリル・パシャに「あの街をください。」という場面にはゾクッとしました。
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ドルマバフチェ・モスクからボーダフォン・アリーナが船の左舷を流れていきます。ガラタ・サライのアリーナは旅の最初に見ましたが、黒鷲の巣と呼ばれるこのアリーナはベシクタシュJKのホームスタジアムです。
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続いてドルマバフチェ宮殿が見えてきました。この宮殿はイスタンブールを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が建設しました。竣工以降1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されました。
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バロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハレム)に2分割されていたそうです。
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ボスポラス海峡に向かう面は海側に門と桟橋を備え、宮殿から公道に出ずに船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようになっている。この当時の移動は車よりも船が標準だったそうです。
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オスマン帝国の皇帝が去った後も政府の迎賓館として使われ、トルコ共和国の初期にはイスタンブールにおける大統領の執務所として用いられます。1938年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなり、彼が亡くなった9時5分で宮殿内のすべての時計が止まっています。
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そのことよりも入口に立つ衛兵は瞬きをすることも許されず、上官が一定時間の度に白いハンカチを手に持って涙を拭いていたことが印象に残っています。それと階段ホールの巨大なバカラのシャンデリアが印象的でした。
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ベシクタス桟橋の建物は1913年に建築家のアリ・タラット・ベイが建てました。屋根の上の2つのドームがあり石積みの建物の上に木造の建築が乗っています。桟橋の建物は現在も使用され、ボスポラス海峡のウシュクダルとベシクタシュ間を結ぶフェリーがこの桟橋を発着しています。
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フォーシーズンズホテル・イスタンブール・アット・ザ・ボスポラスは元々は19世紀に建てられたオットマンスタイルの邸宅です。こんなホテルに泊まったらボスポラス海峡の美しい朝陽が見えるのでしょうね。
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掲げられた看板にはベシクタシュ・アナトリア高等学校と書かれてあります。元々は19世紀の裕福な人の邸宅だったのではないかと思われます。
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チュラーン宮殿が見えてきました。ここもボスポラス海峡に面した風光明媚な土地で、元々は18世紀にアフメト3世が邸宅を築き娘婿で大宰相のイブラヒム・パシャが居住していた場所です。その後何度も宮殿が造られては壊されています。現在のチュラーン宮殿はアブデュルアズィズの命により建設されたものです。
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アルメニア人建築家ニコオス・バルヤンとその子供たちの設計で、1863年から1867年頃に着工し1872年に完成しています。外装は大理石ですが内装は壁から天井まで木が使用されていました。この時代のオスマン帝国のスルタンは各個人の私邸を建設する習慣があり、チュラーン宮殿はその例に則って建設された最後の皇帝の私邸です。
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廃墟となっていたものを1987年に日本の熊谷組が買い取り、大規模な修復が開始されます。工事は1989年に完成しチュラーン宮殿は約80年ぶりに蘇えり、修復工事ではホテルとしての機能が追加され、1990年からはケンピンスキーが経営しています。
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ジヤ・カルクバン職業技術高等学校は海洋技術を学ぶ学校です。こんなロケーションの学校なら勉強がはかどりそうです。
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1908年に設立されたカブタシュ・エルケクリセ高校の建物も宮殿のようです。
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オルタキョイ・メジディエ・モスクの横には第1ボスポラス海峡大橋が見えてきました。
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ボスポラス海峡沿いに位置するオルタキョイはオスマン帝国時代にはトルコ人やアルメニア、ギリシア人やユダヤ人などが暮らしていたコスモポリタンなエリアだったそうです。
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オルタキョイ・メジディエ・モスクは1855年に完成したネオ・バロック様式のモスクで、今まで見て来たものと違った美しさを感じました。どこかで見たことがあると感じたのは、ポルトガル北部のヴィアナ・ド・カストロの山の上に建つ巨大なサンタ・ルジア教会でした。
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アジア側のサビハ・ギョクチェン国際空港の到着の後にこの第1ボスポラス海峡大橋を渡って始まった今回の旅は橋の下を潜って終わろうとしています。
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色鮮やかな沿岸警備の船が停泊していました。青い空と青い海には映えるオレンジ色です。
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ちゃんと調べるとボスポラス海峡を楽しむクルーズなどもあるのかもしれません。豪華そうなレストラン船も停泊しています。
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遠くに第2ボスポラス海峡大橋も見えてきました。初めてのボスポラス海峡大橋ではこのずっと先のアナドル・カブールの港まで行き、山の上のヨロス城から黒海を望みました。
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いつかイスタンブールから黒海沿いのサムスンやシノップを経由してトラブゾンまで数日かけてフェリーで旅したいと思ったものですが、まだ叶っていない旅の1つです。そもそもその航路が残っているかも分かりません。
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クレリ軍事高校はトルコで最も古い軍事教育施設であり、ボスポラス海峡のアジア側のエンゲルキョイにあります。 1845年にスルタンのアブドゥルメシド1世によって設立されました。これまで見て来た建物とは違い、ドイツの教会のような尖塔が建っています。
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ベイレルベイ宮殿はアジア側に建つのでこの時間は逆光になってしまいますが、ボスポラス大橋のたもとにあるスルタンの夏の離宮です。スルタンのアブデュルアズィズの依頼によりアルメニア人建築家バルヤンの設計で1865年に完成しました。ドルマバフチェ宮殿と同様のバロック様式とオスマン様式を合わせた折衷様式の美しい建物です。海峡沿いに建つ瀟洒な建物のほとんどがアルメニア人の建築家の設計というのが面白いです。
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30分ほど黒海方面に向かいましたがUターンしてアジア側に沿って戻るようです。
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後ろ髪を引かれる思いでボスポラス海峡大橋を見送ります。この先はあの貨物船に任せましょう。
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妻はもう飽きてしまって紅茶を飲んでいます。
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ボスポラス海峡と橋と一緒に記念写真を1枚撮っていただきました。
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気のせいか戻りかかる船はスピードが速くなった気がします。
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アジア側のユスキュダルが見えてきました。1573年にオスマン皇帝セリム2世の妃ヌール・バヌーによって建立されたアトク・ワリデ・ジャーミをはじめ、町には8のモスクが建てられているのでミナレットが数多く見えます。50年代に流行った江利チエミの歌ったトルコ民謡の「ウスクダラ」はこの地のことです。
https://www.youtube.com/watch?v=riHWJAcvgMc -
23年前の写真ですがアジア側の鉄道の起点となるハイダルパシャ駅もこのエリアにあります。まるで宮殿のようでその6年後にここから夜行列車で東に向けて旅立ちましたが、現在は駅としての役目を終えたようです。
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ちょっと感傷的な気分に浸りながらクルーズを続けます。妻は同じ年のツアーメンバーの方々と話が弾んでいるようです。
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最後に「乙女の塔」と呼ばれるも見る事が出来ました。紀元前24年まで遡るクズ塔は、ウスキュダルにある小さな島の上に建てられました。現在の建物は12世紀の物ですが、悲しい物語があります。ある王が溺愛した娘が18歳になった時に蛇にかまれて死ぬであろうと予言をされました。このため王様は海の真ん中にある塔を改築して娘をここに住まわせました。ところが18歳の誕生日に贈られたぶどうの籠に潜んでいた蛇に噛まれて娘は死んでしまいます。そこから乙女の塔という名前になったそうです。
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ピアース・プロスナンとソフィー・マルソーの映画「007 The World Is Not Enough」でもこの塔のレストランが使用されています。いつかここで食事もしてみたいです。
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ここから航路はトプカプ宮殿の方へ変わります。初日にハレムを見学した後に出たテラスも望めます。終わってみればあっという間の12日間でした。
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エジプシャン・バザールの横のニュー・モスクとその奥にはスレイマニエ・モスク が望めます。
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左舷から水上バスが追い越していきました。定期航路の水上バスの方が優先権があるのかもしれません。
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スレイマニエ・モスクはオスマン帝国の第10代君主スレイマン1世の命により、当時の宮廷建築家頭でトルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計し、1550年に着工して7年の歳月をかけて完成しています。今回は行く機会が無くて残念でした。ツアーでは見学できないのかもしれません。映画「アルマゲドン」で隕石がこのモスクの上を通過するシーンはショッキングでした。
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あっという間の1時間のクルーズが終わりました。エミニョムの港に着くと他のメンバーを乗せたバスが待っていました。後は夕方までイスタンブールの市内観光が残るだけです。
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