2019/10/25 - 2019/10/25
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kojikojiさん
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イスタンブール到着の翌日からトルコ周遊の旅が始まりますが、ツアー的には既に3日目に入っています。実質11日間の周遊ですが予定表より各日30分から1時間出発が早くなっていました。ほとんどが午前7時30分出発なので毎日午前5時に起きていたような気がします。イスタンブールの観光は最終日の14日目でしたがトプカプ宮殿が休みの火曜日なので、サフランボルへ出発する前にトプカプ宮殿の見学が組み込まれました。出発時間が1時間30分の前倒しですが、その分観光する時間が長くなるのでさほど気にはなりませんでした。トプカプ宮殿は25年前に一度見学していましたが、その頃は宝物も結構雑然と陳列されていた印象でした。現在はかなり改修もされて見違えるような美しさでした。特にハレムの中はイズニックタイルの輝きは変わりませんが、漆喰装飾のドームなどの美しさには息をのみました。ガイドさんの説明もあるので部屋の意味も分かり興味深く見学が出来ましたが、なるべくツアーの人からは距離を置いて静かな雰囲気で見学できたのも良かったです。何より午前9時の開門に合わせて入場したので団体ツアーも殆ど着ていない時間帯だったのも雰囲気を味わうには最適でした。混雑してきたところでトプカプ宮殿を後にして、新市街から第2ボスポラス大橋をアジア側に渡り、サフランボルへバスを進めます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
10月25日の朝でツアーは既に3日目になっています。午前6時15分にモーニングコールが入りますが荷物回収が午前7時なので5時過ぎに起きないと間に合いません。ニュースではエルドアン大統領がキャスターにシリア国境周辺のクルド人の武装組織への攻撃を説明しています。
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10月29日の建国記念日を前にトルコ国内もあまり穏やかな状態ではないと感じます。
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ただ観光することを考えると11日間移動していてもジャンダルマ(軍警察)の装甲車くらいの車両を見掛けるだけで、戦車などを見ることはありませんでした。
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表はまだ真っ暗ですが、こんな早朝出発の日が11日間続きました…。
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朝食は午前6時からなので時間に合わせてロビー階へ降ります。各階のエレベーターホールにもこんな絨毯が敷かれてあります。
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1階の「TURIP」というレストランが朝食会場です。前の晩の夕食もこのレストランでのビュッフェだったそうです。
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アイランドのカウンターにもサラダやチーズが盛りだくさんに並べてあります。
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オープンキッチンの厨房の前にはウォーマーに入った暖かい料理が並んでいます。
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蜂蜜やジャムの種類は豊富です。
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チーズの種類は10種類以上ありましたがトルコには130種類以上のチーズがあるそうです。ベヤズ・ペイニールという真っ白なポロポロのチーズや黄色いカシャル・ペイニリはコクのある羊のチーズが並んでいます。気に入ったのは裂きイカのようなディル・ペリニリでした。キプロス原産の焼いて食べるハルミチーズを思い出す味です。
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妻が気に入ったのはサラダの野菜の種類の多さとハーブの種類の多さです。今まで数々のホテルに泊まりましたが、ここまで多いのは初めてでした。
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手前のポロポロのチーズはトゥルム・ペリニリという熟成したもので、これも結構気に入りました。
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このホテルの朝食はすごいなと写真を撮っているとスタッフの若い女性が誇らしげに微笑んでくれました。トルコでは美味しいというゼスチャーは口の前に手をすぼめるのですが、それに対して右手を左胸にあてて応えてくれくれるのが嬉しいです。そんなプライドを感じました。
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いただきます。チェリージュースとレンズ豆のスープと1皿目の朝ご飯です。この後サラダとチーズをおかわりしました。
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トルコはフルーツが美味しい季節なのでこれからの旅が楽しみです。
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この日の出発は午前8時に変更でした。予定表では9時出発でしたが14日目のイスタンブール市内の観光が火曜日でした。火曜日はトプカプ宮殿が休みなのでこの日に振り替えられたわけです。
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宿泊した「ホリディ・イン・イスタンブール・エアポート」は名前の通りアタチュルク空港の近くなので、こんな飛行機が置かれてありました。
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空港の近くを通り抜けて混雑する市内を避けてマルマラ海側の通りに向かいます。
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朝焼けのマルマラ海に出ました。以前泊ったホテルはスルタン・アフメットのお屋敷ホテルで、最上階のレストランからマルマラ海が美しく見えたのを思い出します。
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テオドシウスの城壁も少しだけ見ることが出来ました。25年前に比べるとかなり修復が進んでいるようでした。ローマ・ビザンツ時代は鉄壁の防御を誇った城壁です。25年前に来たときは犠牲祭の時期で城壁に登るとその裏側で生後6か月の仔羊や2歳の山羊を屠っている場面に出くわしたことを覚えています。
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マルマラ海沿いにトプカプ宮殿に向かいます。
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バスは宮殿の近くまでは行けないので、途中で降りて少し散歩します。
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ブルーモスク(スルタナフメット・ジャーミ)の脇を通り抜けます。本当はこの辺りのアラスタバザールにも来たかったのですが通り過ぎるだけです。
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アヤ・ソフィアの側面まで坂道を登り、アフメット3世の泉亭が見えてくるとトプカプ宮殿の入り口のすぐです。
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「アフメット3世の泉亭」は1728年にオスマン帝国の第23代皇帝スルタン・アフメット3世の治世下のチューリップ時代にロココスタイルで建てられました。
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泉亭は5つの小さなドームで構成された大きな正方形の屋根を持ちます。 ミフラーブの形をしたニッチ(壁龕)はそれぞれが水飲み場を含む4つのファサードとなり、葉状や花柄のデザインで浮き彫り装飾が施されています。
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セキュリティを抜けてアライメイダヌ(儀式の広場)と呼ばれる第1中庭に入ります。
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この中庭にはアヤ・ソフィアに続く2番目に大きなハギア・エイレネ(アヤ・イリニ)があります。皇帝コンスタンティヌス1世の命により、元々あったローマ時代の神殿を利用して4世紀初頭に建造されたそうです。続くユスティニアヌス1世はアヤ・ソフィアと同様に532年に再建させ、現在の建物は738年の地震の後に再建されています。そのため床はバジリカ様式でありながら、建物は正教の十字架様式となっているそうです。
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午前9時の開門に合わせて2番目のグループで入り口のバービュスセラームの門(表敬の門)に並びます。アーチ部にオスマン建築スタイルが組み込まれ2本のヨーロッパ調の塔が建てられた門です。
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午前9時と同時に第2の中庭に入りました。セキュリティの脇にトプカプ宮殿全体の模型がありました。現在いるのは模型の一番奥にあたりますが、これからこの中を歩いていきます。
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正義の館は元々メフメト2世によって建てられ、スレイマン1世の治世下に増築されています。第2の中庭は元々オスマン帝国の政治的儀式が行われる場所で戴冠式や葬式もこの広場で執り行われたそうです。
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正義の館の一部は宝物館になっていて第1の間にはヤヴズ・スルタン・セリムのイラン遠征の際に持ち帰った金箔や銀箔の張られたあぶみ、第2の間にはスルタン・アフメット1世の私物であったエメラルドの飾りや短剣が飾られています。第3の間には有名な「スプーン職人のダイヤモンド」も飾られていました。
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今回のツアーは我々が出発する5日前にも催行されていましたが、その時はトプカピの短剣やスプーン職人のダイヤモンドは揃ってなかったそうです。後日分かりましたがそのツアーはネムルート山では雨だったそうで、こちらのツアーにしてよかったようです。
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大理石や瀟洒な装飾で飾られた建物ですが、扉はこんな無骨な頑強なものだったので意外に思えました。
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そして建物の庇の大きさとその美しさには驚かされます。25年前にも来ているので何となく記憶には残っていますが、ここまでだっただろうかと思いました。
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ドーム天井の美しさもキリスト教世界の物とは違った洗練さを感じます。
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午前9時過ぎの柔らかい日差しが建物の奥まで差し込んでいました。
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続いてトプカプ宮殿のハイライトであるハレムの見学に移ります。朝通りかかった難攻不落のテオドシウスの城壁を打ち破ったオスマン帝国の若きスルタン・メフメット2世は三方を海で囲まれた高台に18年もの歳月をかけて1478年に完成させたスルタンの居城がトプカプ宮殿です。
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国政を行う外廷とスルタンの生活空間である内廷に接して、宮廷の女たちの生活の場としてハレムが設けられています。ハレムの官能的で倦怠感に満ちたイメージは19世紀の西欧の画家達が想像して作り上げた気もしますが、その世界に入り込んでいきます。アングルの「トルコ風呂」や「オダリスク」や「女奴隷のいるオダリスク」が頭に浮かんできます。
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ハレムの建物は6層からなり300の部屋に中庭と通路と階段が入り組む複雑な造りになっていますが、見学できるのはそのうち約20の部屋と中庭だけです。
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ハレムでは奴隷身分の侍女も含め多い時には1000人以上の女性が暮らし、その一部がスルタンの側室だったそうです。スルタン以外でここには入れる男性は黒人宦官と年少の王子だけだったそうです。
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側室となった女性も元はすべて奴隷市場で売られていた少女達で、その天涯孤独の少女たちを側室にしたのは妃の一族が権力を持つことを避けるためで、オスマン帝国が弱体化する要因は作らないという理由だったとガイドさんの説明がありました。
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ここからはスルタンの母后の居室が続きます。
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以前に来たときはこんなに美しかっただろうかと記憶をたどります。
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見事な螺鈿細工の扉です。
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女性らしい爽やかなイスラムの装飾模様の中に西洋的なトロンプ・ルイユ(騙し絵)が組み込まれているのが面白いです。
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よく見ると天井のドームはブドウの弦の模様で、たわわに実が生っています。
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スルタンの母后のバスルームやトイレが続きます。
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総大理石の美しいハマムは涼しげな印象ですが、床暖房も施されローマ式のバスと類似した構造だったようです。
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ハレムの中でもスルタンの生活が垣間見られて興味深い場所でした。
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現在も使えそうな出来栄えです。
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水洗トイレもこの時代では最先端だったのではないでしょうか。蛇口が2つあるということはお湯が出たのでしょう。
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「皇帝の広間」に入れるのはスルタンの母后と第一夫人と愛妾たち、そして子供たちだけだったそうです。私的な空間ですが天井ドームの装飾は華やかで、見事なシャンデリアが吊られています。
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この部屋の壁の窓もトロンプ・ルイユ(騙し絵)でドームのデザインもどこか西洋的なものを感じます。中央のアラビア文字が無ければドイツの古城の写真と言っても分からないかもしれません。
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楽師たちが演奏するためのバルコニーを設けるなど大変贅沢な空間になっています。
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ここでは1枚記念に写真を撮っておきましょう。早い時間だったので我々以外に観光客が少なかったのも良かったです。ガイドさんや他のメンバーは速足ですが、少しでもじっくり見たかったです。
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皇帝の広間の周りにはアーメド1世やアーメド3世やムラト3世の居室が並んでいます。
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スルタン・ムラド3世のプライベートルームはオスマン帝国の建築においてハーレムそのものと同じくらい重要とされます。 1579年にスルタンの命により建築家のシナンによって設計および建設され、スルタンの官邸および居室として使用されました。
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幾何学模様の天井ドームの装飾も細密画のようです。
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部屋の壁は16世紀のイズニックのタイルで覆われ、 壁の1つはコーランのスーラアルバカラの玉座の詩を青地の上に白文字で書かれています。
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暖炉の左右にはスルタン・アーメド1世によって造られた出窓もあります。
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じっくり写真を撮っていたらすっかり遅くなってしまいました。先の方で妻と添乗員さんが話していたので迷子にならずに済みました。
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チェンバレンの中庭は他の中庭とは異なり、完全に囲まれているのではなく片側が開いたままです。開いた側がハーレムのプールに面して母后の舗装された中庭に面する側にはジンの評議会場所として知られる柱廊があります。この柱廊の上の階は王子たちの居室になっていました。
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スルタン・アブドゥルハミド1世の居室は以前はセリム1世の塔として知られていました。この離れた塔とその浴場はかつて王子たちによって使用されていました。寵姫の石畳と呼ばれる敷石のデザインがとても美しいです。
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トプカピ宮殿のハレムについては公式のホームページ
https://topkapisarayi.gov.tr/en/content/architectural-divisions/harem
に各部屋について詳しく説明されています。 -
バービュスサーデの門(幸福の門)は宮殿の中で最も重要な門で、ビルンと呼ばれる政治の場である外廷とエンデルンと呼ばれる内廷の間にあります。戴冠式や祝日行事などで皇帝が門の前に座ったといわれます。
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皇帝の座った場所にはキャプションが置かれてありました。
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第3の庭に置かれた日時計です。
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第3の庭には謁見の間などの瀟洒な建物が並んでいます。
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続いて第3の中庭を抜けて第4の中庭のボスポラス海峡側のテラスに行きました。10月下旬の柔らかな日差しが気持ち良いです。
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今回のトルコ周遊の旅行中はほとんど天気が良かったので助かりました。
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遠くボスポラス大橋を望みます。この後は第2大橋からアジア側に渡り11日間のトルコ周遊の旅が始まります。
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かなりの望遠で撮っていますが、遠く乙女の塔も見る事が出来ました。紀元前24年まで遡るクズ塔はウスキュダルにある小さな島の上に建てられました。現在の建物は12世紀の物ですが悲しい物語のある塔でもあります。ある王が溺愛した娘が18歳になった時に蛇にかまれて死ぬであろうと予言をされました。このため王は海の真ん中にある乙女の塔を改築して娘をここに住まわせました。ところが18歳の誕生日に贈られたぶどうの籠に潜んでいた蛇に甕れて娘は死んでしまいます。現在はレストランになっているので、一度来たいと思っていました。ピアース・プロスナンとソフィー・マルソーの映画007「The World Is Not Enough」のラストシーンでも使われていますから。
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もっとも重要な第4の庭はアスマチチェッキ庭園と呼ばれ、キョシュクと呼ばれるいくつかの東屋が設けられています。有名なハーダットのキョシュクもレヴァンのキョシュクにも立ち寄らずに第2の庭に戻りました。
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ここでトイレ休憩を兼ねて20分ほどの自由時間があり、厨房と周囲の宝物館を見る事が出来ました。
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25年前はかなり雑多にものが置かれた印象がありましたが、きれいに整えられていて今にも調理が始まりそうな雰囲気でした。
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宝物館は撮影が禁止でしたが、スルタンに贈られた素晴らしい品々が並んでいました。
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自由時間のうちにミュージアムショップに戻りましたが、興味をそそるものは何もありませんでした。
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中庭に置かれたアカンサスの葉(葉アザミ)が彫られた巨大な柱頭の前で集合時間を待ちます。
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同じルートでバービュスセラームの門(表敬の門)から第1の庭まで戻りました。
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約1時間30分のトプカピ宮殿の見学が終わりました。
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2週間後に戻っ来たときに見学するアヤ・ソフィアともしばらくお別れです。
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トルコ全土でたくさんの犬や猫と出会いました。猫は世界中あまり変わりはありませんがトルコの犬はたいてい周りの迷惑も気にせずに昼寝しています。
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社会科見学の小学生たちが人懐っこい笑顔と「ハロー!」と声を掛けてくれます。バスはマルマラ海沿いの通りで待っているのでしばらく坂道を下ることになりました。
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太陽が高くなりマルマラ海の海面もキラキラ輝いています。
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バス停でバスを待つ人のシルエットも何故かカッコよく見えるのが不思議です。
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ヴァレンス水道橋を通過して新市街側へ向かうようです。この水道橋はコンスタンティノープル市長クレアルコスによって建設され完成は373年と考えられています。完成時の皇帝ウァレンスの名をとって Valens Aqueduct(ヴァレンス水道橋)と呼ばれ、最終的にはメデューサの首の柱で有名なバシリカ・シスタン(地下宮殿)の貯水池に至ります。
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アタチュルク橋の上から金角湾(ゴールデンホーン)が美しく望めました。金角湾の架橋にはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロがプランを造っていますが、現在の橋にはそのようなデザイン性は認められません。
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イスタンブールの観光はこれまでで昨日通ってきた道を通りアジア側へ旅を続けます。
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建国記念日を前に巨大な国旗がたなびく姿をよく目にしました。
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トルコ・テレコム・アリーナ(Turk Telekom Arena)の脇を通過します。ここは2011年に完成した5万2000人収容の大きなスタジアムで長友選手が所属したガラタサライのホームスタジアムでもあります。
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第2ボスポラス大橋を渡ってアジアサイドに入り、サフランボルへバスを走らせます。いよいよトルコ周遊の旅が始まります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- daisuke-iさん 2019/11/27 00:35:04
- 旅行記を読みながら、歴史史実を見る様です
- 旅行記を拝見してます、「同じ所を行きながら」どうして、こんなに旅行の想い出が違うのだろうかと?思います。トプカプ宮殿もこんな風に見るのかと、行った記憶を思い出しながら拝見してます。自由行動をする時に「離脱書(自己責任)」ですると言う「覚え書き」を書いて自由行動ができるとは!。今度旅行の際にガイドに相談してみよう。
- kojikojiさん からの返信 2019/11/27 02:12:55
- Re: 旅行記を読みながら、歴史史実を見る様です
- daisuke-iさん
いつも旅行記にお立ち寄りいただいてありがとうございます。自分の人生の中で旅行が重要で、そのために働いているようなところもあり、個人の旅でもツアーでも行く前にいろいろ調べることにより1回楽しんで、実際に旅に行くのが2回目の楽しみで、帰ってきてから新たに知ったことなどを調べて旅行記にアップすると3回楽しめます。帰国して3週間ほどたちますが、今年いっぱいは楽しめそうです。ツアーの場合は最終旅程書に書かれていることから外れる場合は「離団書」を添乗員さん又は現地のガイドさんが持っています。基本的には他のメンバーの方に迷惑が掛からないことと自己責任が前提ですが、「ああ、この人たちなら大丈夫だろう。」と思ってもらえることは必要です。昨年のエジプトの時はHIS以外は離団はNGでしたので、行先にも寄ると思います。ツアーのママも気楽ですが、ちょっとプラスアルファするのも楽しいと思いますよ。まだまだ旅行記が終わりませんが、お便りいただけると励みになります。またお時間がありましたらお立ち寄りください。
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