2019/11/01 - 2019/11/01
6位(同エリア115件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,462,515アクセス
- フォロワー169人
ペルゲ遺跡の見学が終わってホテルに戻りました。ツアー的にはここで一度解散になって、夕方のホテルでの夕食まで自由行動になります。多くの方が添乗員さんと近所のスーパーに行かれたり、部屋で休まれたりそれぞれ楽しまれたようです。我が家は出発前からこの自由時間ではアンタルヤ考古学博物館へ行こうと思っていたのでロビーに降りました。同じツアーで妻とも同い年の方たちと仲良くしていただいた2名の方も博物館へ行きたいとのことでしたので、お誘いして一緒に行くことにしました。普段同じツアーで仲良くなっても責任は持てないので、誰かを誘ってどこかへ行くことは無いのですが。
フロントのお姉さんが電話してくれるとタクシーはすぐにやってきました。午前中にバスでカレイチへ行く途中に博物館は通過していたので位置は分かっていますしメーターも付いているので安心です。結構走りましたが40TLで済みました。チケットを購入してそれぞれ見学しますが、いつものように妻と2人だと先に待たれてせかされるのですが、一緒に来た2人が興味を持たれて見学されているのでペースがあったので助かりました。同じツアーのご夫婦も来られていたので6人が博物館まで足を延ばしたようです。我々4人は博物館の後はもう一度カレイチまで行こうと思っていたので、博物館の前で客待ちしていたおじいさんのタクシーで移動しました。来るときにも見掛けたタクシーだったのですが、散々待ち時間があったにもかかわらず12TLと申し訳ない金額を払ってカレイチを散策します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ペルゲ遺跡の見学からホテルに戻ると午後3時を回ったところでした。夕食までは自由時間になりますが、アンタルヤ考古学博物館へ行くためにロビーに降りました。同じツアーで博物館に行きたい方が2名いらしたので、タクシーに同乗して移動しました。タクシーはフロントのお姉さんがすぐに呼んでくれました。この方は近くのレストランの予約も気持ちよく受けてくれました。
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ホテルからアンタルヤ考古学博物館まではタクシーで15分くらいで40TLでしたのでかなり離れています。アンタルヤのタクシーもメーター制なので安心して乗れます。
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17年前はカレイチから歩いて来たのですが、かなりの距離だった記憶があります。
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入場料は36TLなので700円くらいです。内部は写真撮影が出来るのが嬉しいです。ここには午後に見て来たペルゲ遺跡で発掘された大理石像のほとんどが収蔵されています。また最近のことですが上半身と下半身とが別々の博物館に収蔵された大理石像がここで1体に修復されて陳列してあります。
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最初のコーナーはトルコの子供向けのジオラマが置かれてありますが、これが良く出来ています。ミュラの遺跡もお墓に開けられた盗掘の跡も再現してあります。上に描かれたのはキリスト教の主教(司教)で神学者であるミュラの聖ニコラオスの姿です。小アジアのローマ帝国リュキア属州のパタラの町に生まれ、リュキアのミュラで大主教を務めました。
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聖ニコラオス伝には教区の貧しい娘にひそかに持参金をめぐんだという伝承があることや、子供を誘拐した肉屋に赴き7年間塩漬けにされた7人の子供を復活させという別の伝承から子供の守護聖人ともされています。また海運の守護聖人でもあり、海運国オランダやベルギーのフランデレン地域やドイツなどでも崇敬を集めています。オランダやフランデレンでシンタクラースと呼ばれ、それがサンタクロースの語源にもなっています。
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ほんの数時間前に見学してきたペルゲ遺跡のヘレニズム時代の門やハドリアヌスの門のジオラマも並んでいます。この辺りから出土した大理石像がこの博物館に収蔵されています。
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初期ギリシャ美術の原始性の残るアルカイックの陶器もほとんど無傷です。
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黒絵式(くろえしき black-figure)の時代は紀元前620年から紀元前480年ごろで、アルカイック期の中期から後期に相当し、黒像式(こくぞうしき)とも呼ばれます。人物像などをシルエットで描き線刻で詳細な描写をするという技法で、紀元前7世紀のコリントスで発明され各地に広がります。
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重要な収蔵品には写真付きのパネルが添えられていました。これは「アラバストロン(Alabastron)」と呼ばれる瓶で、女性が自宅やギムナジウムで使用したハンドルのない細い首の長い円型または円錐底の小さな香水瓶です。最初はアラバスター(ウォーター・マーブル)で出来ていましたが、後にはガラスや素焼きや金属に変わりました。
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赤絵式の技法は紀元前6世紀末にアテナイで生まれました。赤像式とも呼ばれ黒絵式のような線刻ではなく描線で詳細を直接描くことで表現の幅が広がります。
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轆轤は紀元前2500年ごろから使われており、粘土をひも状にして重ねる手捻りの技法よりも古いとされます。古代ギリシャの陶芸でも轆轤を使ったものが多いですが、リュトンのような轆轤では不可能な複雑な形状の装飾は手で成形されていました。さらに複雑な形状のものは部品ごとに作って、ある程度乾燥して硬くなってからスリップ(液状粘土)を使って繋ぎ合わせて轆轤台に載せて仕上げ施します。
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クレーターと呼ばれるこれらの壺には水とワインを混ぜたものが入れられました。そしてここからリュトンなどの容器に移し替えられました。クレーターの語源はギリシャ語で皿とかボウルという意味だそうです。持ち手とボディの形状に応じてさまざまなタイプに分類され、円柱のクレーターは紀元前5世紀の始まりから作られ始めました。紀元前6世紀のアッティカ地方の陶器の持ち手は渦巻き形をしていました。このタイプはスパイラルクレーターまたは渦巻きクレーターとも呼ばれます。ベル型とカリックス型の2つのよく知られたタイプです。装飾された壺は宗教目的で頻繁に使用され、主に供物として墓に納められましが、ローマ時代には裕福な人々が家に飾る花瓶として使いました。
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ヘレニズム時代になるとさらに技術は進歩して、このような女性像がかなりの厚さで着けられてあります。リュトンと月桂冠を持った女性も美しいですが、厚みの違う陶器を変形させずに焼き上げる技術に驚きます。
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古典期からヘレニズム時代への移行は紀元前4世紀に起こります。ギリシア芸術はますます多様化してアレキサンドロス大王(紀元前336-323統治)の征服によりギリシャ領地に引き込まれた人々の文化による影響を受けました。
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ローマ時代のテラコッタの足の断片だけですが、中空になった技術の高さや現代にも通じるサンダルのデザインに驚かされます。
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フラスコ(Flask)は盾と剣をもって身構える兵士の姿が薄彫りになっています。携帯用の容器としては現代のものと変わりがありません。
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アスコス(Askos)は持ち手の着いた円形のオイルを運ぶ容器です。
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アンフォラ(Amphora)は持ち手の着いた古代の運搬容器です。自立しないので不安定な気がしますが、船底などに立てて運んだり穴に立てたりしたり使い勝手は良かったようです。主にワインやオイルが入れられました。どこかの海底からワインが入ったままのアンフォラが発見されたというニュースを何年か前に聞いたことがありました。
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先ほど歩いて来たペルゲ遺跡の劇場と競技場、市場のあるアゴラやヘレニズム時代の門や列柱の並ぶメインストリートの写真が飾られています。
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このコーナーにはペルゲに住んでいた市井の人々の残した各時代の名残が並べられてあります。
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不純物の多い青緑色したフォレストガラスの数々。そして銀化して鈍く光るフレスコなど…。ガラスは地中に埋まっていると成分が溶け出して化学変化を起こします。正倉院御物の白瑠璃碗(はくるりのわん)に似たものはいくらでも出土していますが、御物が何故素晴らしいかというと一度も土中に埋まっていないので、出来た当時の輝きが残っているからです。
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石で出来たものはギリシャ十字のように見えるので紀元後のキリスト教の時代の物でしょうか。その当時のペルゲには聖ヨハネや聖パウロや聖バルバラが布教のために歩いていたと思うとありがたみを感じます。
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更にブロンズなどは加工が安易だったのか非常に精緻なものが残されています。牛の頭の形をしたランプなどは現在にも通用するデザイン性の高さを感じます。
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これらの品々が造られた時代は生活が安定して平和だったのではないかと想像できます。
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ペルゲで出土した青銅の「アッティスの像」のクオリティの高さにも驚かされました。アッティスはフリギアを起源とする死と再生の神の1つであり、その信仰はキュベレー信仰と共に古代ギリシアや古代ローマまで広がりました。一部の像などでは有翼の男性として表されることもあります。
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絵に描いたようなグリーク・サンダルですね。今でも夏場に売っているサンダルと同じデザインです。
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子供を連れた女性像の意味は分かりませんが、象牙で出来ているであろうことは分かりました。多分アフリカゾウの牙だと思いますが、アフリカと交易があったことが分かります。
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見事な金の装飾品もありました。鈍い光具合から24カラットではないでしょうか?ドングリのモチーフが可愛らしいです。粒金細工も見事ですし中央の濃紺の部分はエジプトの装飾品を思い出させます。それと同時にヴェネツィアのサンマルコ広場近くやフィレンツェのポンテ・ヴェッキオの橋の上に並ぶ宝石屋さんを思い出してしまいます。
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そのせいかアンフォラ型の小さなローマンガラスを見ていたら、ヴェネツィアのアンドレア・ボスコローニという作家さんに造ってもらった器のことも思いだします。叔母に象牙の蓋を誂えてもらう約束で預けたのですがいつになったら出来上がって帰って来ることやら。
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17年前にイズミールの考古学博物館で見て以来何だか分からないでモヤモヤしている像にまた出会いました。このヘルマの像は2012年の発掘時にパトラの古代都市で発見されました。中空鋳造技術を使用して青銅で鋳造され、道路の傍らに置かれたヘルマ像の神の胸像を支える部分は四角柱の形をしており、下部には男根の象徴があります。路傍や畑の境界などに立てられ、境界を示す石であるとともに農民や牧人が豊饒多産を祈願する神霊の像であったとも推測されます。ヘルメスの原始的形態を示すともされます。
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ペルゲ遺跡から発掘された大理石像が並ぶ部屋に来ました。アンタルヤに来たらここは遺跡と一緒に必ず見た方が良いと思います。
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ネメシス(Nemesis)はギリシア神話に登場する女神で、人間が神に対して働く無礼(ヒュブリス)に対する神の憤りと罰の擬人化であるとされます。ゼウスはネメシスと交わろうとしましたが、ネメシスはいろいろな姿を変えて逃げます。ネメシスがガチョウに変じたところゼウスは白鳥となってついに交わり、女神は卵を生んだとされます。この卵を羊飼いが見つけてスパルタの王妃レダに与え、これからヘレネーとディオスクロイが生まれたとされます。ただ「レダと白鳥」という題材の絵画があるように、ゼウスが白鳥に変じてレダと交わった説の方がポピュラーな気がします。
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ネメシス像もいくつか収蔵されていました。ネメシスのもっとも知られた神殿はギリシャのアッティカ北部なので、アンタルヤは地理的にも近かったのかもしれません。
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ネメシス(Nemesis)紀元2世紀
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皇帝ルシウス・アウレリウス・ヴェルス(Lucius Verus)ローマ帝国のネルウァ・アントニヌス朝の皇帝の1人で、マルクス・アウレリウス・アントニヌスと共に統治した共同皇帝でもあります。2人は共にアントニヌス・ピウスの養子となり、養父の死後に皇帝位を継承します。
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ドレスを着た石像(Status of Dressed Woman)紀元2世紀頃の高貴な女性の衣装などが見事に表現されています。これらの像が着彩されたいた痕跡は見受けられませんでしたが、さぞきれいだったのではないでしょうか。
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ハドリアヌス帝(Emperor Hadrian) は第14代ローマ皇帝で、ネルウァ・アントニヌス朝の第3代目皇帝です。帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方でトラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した事で有名です。個人的には一番好きなローマ皇帝ですが、この当時はこのような裸体で皇帝を表現しても大丈夫だったのでしょうか。
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パルティア戦争では軍団の司令官に任命され、参謀本部内でトラヤヌスの補佐役として優れた手腕を発揮します。ハドリアヌスは属州シリアの総督に任命され、更に病を得たトラヤヌスはハドリアヌスをパルティア遠征軍の総司令官に任命してローマへ帰国の途につきます。しかしキリキア地方のセリヌスで不帰の人となります。死の床でトラヤヌスはハドリアヌスを養子に指名しますが、これは皇后プロティナの支持があったからだともいわれます。
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こちらは甲冑に身を固めたハドリアヌス帝の姿です。ハドリアヌスは防衛に必要な兵力や維持費等の負担増に耐え切れないと判断して、メソポタミアとアッシリアとアルメニアから撤退するという現実路線に切り換えます。ところが当時の元老院には実際に戦場へ赴いて領土拡大に貢献した者もおり、ハドリアヌスの対外政策には批判的な者がいました。これに対してハドリアヌス擁護派は反対派の大物4人を粛清するという強硬策に訴えます。
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戦闘で数々の功績のあったハドリアヌスですが、文化面ではローマ近郊のティヴォリに大規模な別荘ウィラ・ハドリアヌスの造営し、後世の新古典主義建築に大きな影響を与えています。
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私生活ではビテュニアの美青年の愛人アンティノウスを寵愛し、属州アエギュプトゥス(エジプト)視察中にこの美青年がナイル川で事故死を遂げた後は彼を神格化して神殿を建設してアンティノオポリスを創建したほか、帝国中にアンティノウス像を建てさせ、天空にアンティノウス座を作ったことが知られています。
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同じデザインの鎧の胸にはメドューサの顔と対峙するグリフォンの姿が見られます。ロリカ・セグメンタータと呼ばれる鎧は数多くの金属製の板を組み合わせた精巧な鎧で、驚くほどの装飾と凝ったデザインを採用しています。紀元100年頃からローマ軍に支給されるようになったといわれます。
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トラヤヌス帝(Emperor Traian)はネルウァ・アントニヌス朝の第2代皇帝で、文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功します。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を治めます。
イタリア本土出身者でない初の属州生まれの皇帝で、それまでは首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか皇帝に選ばれたことはありませんでした。 -
優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝でもあり、後世の君主たちからも讃えられています。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でもこの名声は伝えられ、近代においてもギボンが「五賢帝」の1人として賞賛しています。 ローマのトラヤヌスのフォルムにあるダキア戦争の勝利を記念したトラヤヌスの記念柱でも有名です。
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三美神(The Three Graces)ギリシア神話に登場する三美神はそれぞれ魅力(charm)と美貌(beauty)と創造力(creativity)を司っていて、一般的にはヘーシオドスの挙げるカリスのアグライアとエウプロシュネとタレイアとされています。この像は時代的にローマ神話に登場する三美神で、それぞれ愛(amor)と慎み(castitas)と美(pulchritude)を司って、ギリシア神話の美しさを競う三美神と対応させてユーノーとミネルヴァとウェヌスかもしれません。
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ユリア・ドムナ(Julia Donna)の名前ユリアは古代ローマのユリウス氏族の女性形で、ローマ女性は基本的には氏族名の女性形を名前としたためユリウス氏族に属する女性の名でもあります。ユリウス氏族からはユリウス・カエサルおよびアウグストゥスが出て、帝政以降は皇帝の一族がユリウスを名乗ったため、皇族の女性の名前ともなります。
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ユリア・ドムナはセウェルス朝の開祖であるセプティミウス・セウェルスの妻で、カラカラやプブリウス・セプティミウス・ゲタの母親でもあります。セウェルス死後の皇帝家の陰の実力者として君臨した女性です。
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踊る女性の像(Statue of a Dancing Woman)
具体的な名前の無い像でかなり破損もしていますが、その衣のリアルなドレープや風にたなびく様な姿の美しさに驚きます。 -
またその憂いのある表情にも引き込まれてしまいます。皇帝像や神像も魅力ありますが美しさでは1番かもしれません。個人的にはルーブル美術館のサマトラケのニケのも匹敵すると思います。
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(Emperor Priest)プリーストは司祭の意味ですが古代ローマ人は神殿でローマ神話の神々に祈りを捧げ、儀式的礼拝として捧げ物をしたり、動物の生贄を捧げたそうです。衣服はトガ(toga)と呼ばれるトゥニカよいう下着の上に着用された1枚布の上着ですが、その様子がよく表れています。
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顔の部分がほぼ完ぺきに残されていて1800年前の人物の人間性まで写し取っているように思えました。
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アフロディーテ(Aphrodite)は愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱でもあります。美において誇り高く、パリスによる三美神の審判で最高の美神として選ばれています。
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クロノスによって切り落とされたウラノスの男性器にまとわりついた泡(アプロス)から生まれ、生まれて間もない彼女に魅せられた西風が彼女を運び、キュテラ島に運んだ後にキュプロス島に行き着いたと言われます。彼女が島に上陸すると美と愛が生まれ、それを見つけた季節の女神ホーラたちが彼女を飾って服を着せ、オリュンポス山に連れて行きます。オリュンポスの神々は出自の分からない彼女に対し、美しさを称賛して仲間に加えてゼウスは養女にします。
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キュプロス島は現在のキプロス島でその南側にはペトラ・トゥ・ロミウという小石の海岸があり、そこから上陸したといわれます。あまりにも美しいその海岸に立つと、ここでならアフロディーテが生まれてもおかしくないなと思いました。またこれらの場面はボッティチェルリの「ビーナスの誕生」に詳しく描かれているので、読み解くと面白いです。
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女神の中でも最も美しいアフロディーテですが、その夫は神々の中でも最も醜い鍛冶の神ヘーパイストスです。アフロディーテは軍神マルス(アレス)と浮気をしますが、その子供がクピド(キューピッド/エロス)です。なので足元に可愛らしく立っています。
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アフロディーテと言えばアドニスの話しも忘れることは出来ません。キニュラースの家系は代々アプロディーテを信仰していましたが、王女ミュラはとても美しく、一族の誰かが「ミュラは女神アプロディーテよりも美しい」と言ってしまいます。これを聞いたアプロディーテは激怒し、ミュラーが実の父であるキニュラースに恋するように仕向けます。父に殺されそうになったミュラは神々の手によりミルラ(没薬)の木に変えられます。その木に猪がぶつかると木は裂けてその中からアドニスが生まれました。息子のクピドが遊んでいた恋の矢で自らの胸に傷を負ったアプロディーテはアドニスに恋をしてしまい、冥府の王ハデスの妻で冥府の女王のペルセポネに預けます。ペルセポネもアドニスに恋してしまい、天界の審判を受けることになります。
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審判の結果1年の3分の1をアフロディーテ、3分の1をペルセポネ、3分の1を自由に過ごすことになりますが、自由な時間もアフロディーテと過ごしたためペルセポネはアプロディーテの恋人である軍神マルスに「あなたの恋人は人間に夢中になっている。」と告げ口します。これに腹を立てたマルスはアドニスが狩りをしていると猪に化けて殺してしまいます。
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アドニスが殺される場面も数々の彫刻や絵画で残されています。彫刻ではエルミタージュ美術館に収蔵されているジョゼッペ・マズォーラ「アドニスの死」が素晴らしいです。絵画ではルーベンスやティツィアーノやリベーラも描いています。
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盾を持つアフロディーテ(Shielded Aphrodite)アフロディーテは戦いの神ともされ、スパルタやコリントスでは、アテナのように甲冑を着けた軍神として祀られていたそうです。そんな影響もエーゲ海を渡って小アジアに伝わったのでしょう。
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狩りをするアルテミス(Hunted Artemis)はゼウスとデメテルあるいはペルセポネの娘とも、あるいはディオニュソスとイシスとの間に生まれた娘とも言われていますが、ギリシア人に普及した伝承によればゼウスとレートの娘でアポロンの双生児とされています。
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アルテミスは森の神として弟のアポロンと共に「遠矢射る」の称号をもち、疫病と死をもたらす恐ろしい神の側面も持っていました。弓矢を携えたり矢筒を背負う姿やシカを連れた姿で現されるのはこのためです。
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小アジアの古代の商業都市エペソス(エフェソス)はアルテミス女神崇拝の一大中心地で、この地にあったアルテミス神殿はその壮麗さで古代においては著名でした。またこの神殿は現在は遺跡が残るのみですが、近隣の博物館には胸部に多数の卵形の装飾を付けた外衣をまとった、あたかも「多数の乳房を持つ」ように見える像が収蔵されています。
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妻はその像が見たかったのですが、今回バスで近くを通過しましたが見ることは出来ませんでした。
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これは以前にエフェソス考古学博物館へ行った時の写真です。上のアルテミスとこのアルテミスも同じ女神とは思えません。
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豊穣の女神として乳房とされたり牛の睾丸とも言われますが、ローマ郊外のティヴォリのヴィラ・デステの噴水の庭には同じアルテミスの噴水があり、胸から水が出ているので個人的には乳房だと思っています
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アテナ像(Athena)は古くからギリシアにあった城塞都市において「都市の守護女神」として崇拝されています。この崇拝の伝統はミノア文明まで遡り、その神殿は都市を象徴する小高い丘やアクロポリスに築かれており、アテナを都市の守護者とする崇拝はギリシア全土に及んだそうです。アテナは英雄たちに対しては好意的で「ペルセウスのメドゥーサ退治」の際には盾を貸し与え「ヘラクレスのステュムパーリデスの鳥退治」の際にはヘーパイストスの造った青銅の鳴子を与え、オデュッセウスに助言をして妻に会わせたりしています。
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神話の中では自由奔放で非常に気が強く、プライドの高い一面を見せてアレスには「勝手気ままに振る舞っている」と指摘され、メドゥーサやアラクネーなど自分と張り合った者に対しては容赦なく罰を与えます。ヘラとも仲が良くアルゴナウタイ(アルゴ号探検隊)を庇護して冒険を助けると、パリスの審判を根に持ちトロイア殲滅を望む2人はトロイア側に助力したアレスとアプロディーテとは敵対関係になります。
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ゼウス(Zeus)はティータン神族のクロノスとレアーの末の子(長男の説もある)で、冥府の神ハデスと海神ポセイドンの弟です。正妻は姉妹であるヘラですがレートーや姉のデメテル等の女神をはじめ多くの人間の女性とも交わり、子をもうけたと言われます。白鳥に姿を変えてレダと交わったり、牛に姿を変えてエウロペを連れまわったり、絵画の題材になる物語がいくらでもあります。
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ゼウスは天空神として全宇宙や雲や雨、雪や雷などの気象を支配して、キュクロープスの作った雷霆(ケラウノス)を主な武器とします。破損していますが左手にケラウノスを持っている姿だったと想像できます。
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ヒュギエイア(Hygieia)は健康の維持や衛生を司どり、ローマ神話ではサルースの名で呼ばれます。医術の祖アポロンの子である医神アスクレピオスの娘で、古くはアスクレピオス信仰において父神の脇侍として信仰されたようです。父神と同様に1匹の蛇を従えた若い女性として絵画に表されることが多く、薬か水を入れたと思しき壺や杯を携えています。
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この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」が薬学のシンボルに用いられることが多く、アスクレピオス信仰が広がるにつれてヒュギエイアに対する信仰も強くなり、女性神格であったことも影響して後には女性の健康を守る神、特にいわゆる婦人病に関しては大きな権能を持つとされ、当時の女性の間に彼女の絵姿や小さな彫像を髪飾りにすることなどが流行します。
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ウィーンの薬局のファサードのモザイクもヒュギエイアだということが分かります。グスタフ・クリムトもウィーン大学大講堂天井画で「哲学」「医学」「法学」を描いた中で「医学」の中にヒュギエイアを描いています。
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アスクレピオス(Statue of Asclepius)は古代ギリシャの宗教と神話における医学の英雄および神です。 彼はアポロとコロニスまたはアルシノエまたはアポロの息子とされます。アスクレピオスは医学の癒しの側面を表しています。 娘はヒュギエイア(衛生と清潔の女神)、イアソ(病気からの回復の女神)、アセソ(癒しの女神)、エーグル(健康の女神)がいます。
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この像の杖には蛇の姿が見えませんでしたが、蛇の絡み合った「アスクレピオスの杖」は現代でも医学の象徴とされます。ヨーロッパの薬局や救急車のボディーにはこのマークがデザインされていたりします。
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アポロン(Apollo)はゼウスとレートーとの息子でありアルテミスとは双生児で、古くから牧畜と予言の神や竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神とされます。個人的にはボルゲーゼ美術館で見て感動したベルニーニの「アポロンとダフネ」があります。この物語は大蛇ピュートンを矢で射殺したアポロンが、帰途で偶然出会ったクピド(エロス)と彼の持つ小さな弓を馬鹿にしたことから、クピドは仕返しに黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)でアポロンを撃ち、鉛の矢(愛情を拒絶させる矢)でダプネを射ます。このためアポロンはダフネに愛情を抱きますがが、ダフネはアポロンの愛を拒絶します。
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アポロンは彼女を奪おうと追いかけ続け、ダフネも必死に逃げ続けました。ダフネの体力は限界に近づき、ついにはペーネイオス河畔に追いつめられます。ダフネは父ペーネイオスに祈って助けを求め、追いつめたアポロンがダフネの腕に触れかけたとき、娘の苦痛を聞き入れたペーネイオスにより、ダフネは月桂樹に身を変じます。指先から月桂樹の枝葉に変わりゆくダフネの姿を彫り上げたベルニーニの彫刻を見た瞬間に鳥肌が立ったことは30年近く経っても覚えています。
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カラカラ帝(Caracalla)は本名をルキウス・セプティミウス・バッシアヌスといいますが、カラカラ浴場のこともありカラカラの名前が有名です。ローマ史上に残る暴君の1人として記憶され、弟のゲタ帝と激しく主導権を争い帝国を二分して統治する計画まで立てます。帝国領の分裂に危機感を抱いた母ユリア・ドムナに反対されますが、母が用意した和解の場で弟を殺害するという凶行に及びます。ゲタ帝は駆けつけた母親の腕の中で息絶えたと伝えられます。
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東方属州最大の都市であるアレクサンドリアでは、カラカラが実の弟を殺害したことを正当防衛だと主張したことを揶揄する詩が流行します。この噂を聞きつけたカラカラ帝はアレクサンドリアへと赴き、民衆の誤解を解く場を持ちたいと提案します。意外に寛大な行動を見せたカラカラ帝に民衆は感心して皇帝の弁明を聞くために集まりましたが、カラカラは集まった無抵抗の民衆を兵士に命じて虐殺させます。更に数日間にわたってアレクサンドリア市内を徹底的に破壊して民衆を殺戮したという話が残っています。
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十二宮図の円盤(Disk of Zodiac)も青銅に施された見事な彫刻です。現在にも続くものですので、星座のモチーフを読み込むことは容易です。
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アポロンの頭部(Head of Apollo)
端正で美しい青年の姿で現されていますが、体の部分はどんなだったのでしょう。 -
アポロンの頭部(Head of Apollo)
アポロンの頭の上には月桂樹の冠が乗っています。これは先の「アポロンとダフネ」の物語の続きがあり、ダフネの変身に失意のアポロンは「せめて私の聖樹になって欲しい」と頼むと、ダフネは枝を揺らしてうなずき月桂樹の葉をアポロンの頭に落とします。この故事によりデルポイ(デルフォイ)のピューティア大祭で行われる競技の優勝者には月桂冠が与えられることになります。 -
男の頭部(Head of Man)
神像を読み解くのも面白いですが、市井の人々の頭像も興味深かったです。女性の髪形などの違いも良く分かりましたが、状態の良い男性像の表情が印象に残りました。 -
ヘテカーの像(Hecate)は魔術と冥府の女神で三叉路など3という数字に縁を持つと言われます。もともとギリシャの外のアナトリアから持ち込まれた神で、ギリシャ神話に組み込まれてからは太陽神アポロンの別名「ヘカトス(遠くへと矢を射る者)」やエジプト神話の多産の女神ヘケトに関連付ける説もあるそうです。
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ヘカテーに祈る者は力と戦勝を獲得し、あらゆる成功を招く神としても崇められました。旅人の守護神とされるヘルメスとともに旅路の安全を祈願されました。こうした恵み深い神としての性格を持つ一方で、月と同一視されて夜と魔術や秘儀の支配者とみなされ、狂気や死を司る女神として恐れられます。この像では頭頂部には三日月が描かれ、時代が降ると共にその姿も三つの頭部を持つ姿で現わされたようです。
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次はペルゲの劇場から発掘された彫刻の部屋に変わります。たくさんの雄牛の生贄である犠牲の場面を描いたフリース(Scene of Sacrifice Frieze)も見事でした。フリーズとは建築用語で、列柱の上部に架けられた中央の幅広い部分を指します。
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雄牛を屠る姿から想像されるのはミトラス教です。信者は一部の例外を除けば男性で構成され、信者組織は7つの位階があったそうです。
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今回旅してきたネムルート山のテラスにはミトラスの像があったことを思い出します。12日間で数々の遺跡や史跡を周りましたが、ネムルート山以降はそれぞれの歴史が交差しているので整理しておかないと頭の中が混乱しそうです。
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ヘレニズムの門とその周辺の像は赤い部屋に陳列されていましたが、劇場の彫刻群は鶯色に塗られた部屋に納められていました。
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トラヤヌス帝(Emperor Traian)はこちらにもいらっしゃいました。破損はしていますが、鎧の部分は見事なほど完璧に残っています。
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基本的な鎧のデザインは皇帝によって違いがなさそうです。アーカンサスの草模様の上に女神に寄りそう2頭のグリフォン。鳥の王と獣の王が合体しているため「王家」の象徴としてももてはやされたのでしょうか。ゼウスやアポロン等の天上の神々の車を引くこともグリフォンの役目です。
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腰飾りのモチーフが鷲と獅子の順はネムルート山の神像の配置と同じだなと思いました。
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こちらもトラヤヌス帝の像です。ハドリアヌスと共に像の数が多いのはそれだけ人気があったのではないかと思います。
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ローマ皇帝の鎧について調べてみましたが詳しいことが分からないのが残念です。メドゥーサの首や鍵など、主を守るような意味があったのではないかと感じます。
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ペルゲ遺跡の劇場の展開図があったので、像の配置のイメージが湧きやすいです。前の日に行ったアスペンドスの劇場にも同じような像が飾られていたと思われます。
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マルシュアース(Marsyas)はアウロスというダブルリード(二本管)の木管楽器の名手でした。その楽器はアテナが作ったものでしたが、アウロスを吹くときに頬が膨れるのを他の神がはやしたてたせいで拾った者に災いが降りかかるように呪いをかけて地面に投げ捨てたのをマルシュアースが拾いました。
アウロスを得たマルシュアースはこの楽器に熟達し、アポロンのキタラー(竪琴の一種)にも勝るとの声望を得るに至りました。これがアポロンの耳に入って怒りを買い、マルシュアースはアポロンと音楽合戦をする羽目に追い込まれます。 -
アポロンとマルシュアースの音楽合戦では、勝者は敗者の側に何をしても良いことになっていました。アポロンに主宰されるムーサが審判だったために、勝敗は自ずと定まりマルシュアースは負けることになります。神に挑戦するとは思い上がった奴だということで、プリュギアのカレーネーの洞窟で生きたまま皮剥ぎの目に遭います(傲慢の罪・ヒューブリス)。その時の血は河となりそれがマルシュアース河となります。破壊された像の姿を見るとそんな皮剥ぎの刑のように思えました。
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ディオニソス(Dionysus)は豊穣とブドウ酒と酩酊の神です。ローマ神話ではバッカス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルとエジプトではオシリスと同一視されます。ディオニューソスはブドウ栽培などを身につけて、ギリシアやエジプトやシリアなどを放浪しながら、自らの神性を認めさせるために信者の獲得に勤しむことになります。彼には踊り狂う信者やサテュロスたちが付き従い、その宗教的権威と魔術・呪術によりインドにまで至ります。また自分の神性を認めない人々を狂わせたり、動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖される存在ともなります。
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オルペウス教は古代ギリシャ世界における密儀宗教で、冥界(ハーデース)を往還した伝説的な詩人オルペウスを開祖と見なしています。 また冬ごとに冥界に降り春になると地上に戻るペルセポネや同じく冥界を往還したディオニュソス(バッカス)も崇拝されました。
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ヘラクレス(Heracles)はゼウスとアルクメネー(ペルセウスの孫に当たる)の子です。アルクメネーを見初めたゼウスは、様々に言い寄りますがアムピトリュオーンとの結婚の約束を守り、決してなびきませんでした。そこでゼウスはアムピトリュオーンが戦いに出かけて不在のおりにアムピトリュオーンの姿をとって遠征から帰ったように見せかけて思いを遂げます。アルクメネーは次の日に本当の夫を迎え、神の子ヘラクレスと人の子イピクレースの双子の母となります。
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ヘラクレスはアムピトリュオンから戦車の扱いを、アウトリュコスからレスリングを、エウリュトスから弓術、カストルから武器の扱いを、リノスから竪琴の扱いを学びます。ケンタウロス族のケイローンに武術を師事して剛勇無双となります。キタイロン山のライオンを退治し、以後ライオンの頭と皮を兜・鎧のように身につけて戦うようになります。この像にも「ネメアーの獅子」の毛皮と「クレータの牡牛」の姿が見えます。
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続いては石棺の部屋に移ります。見事なヘラクレスの石棺(The Heracles sarcophagus)が並んでいます。出生からヘラクレスはヘラに憎まれ、狂気を吹き込こまれ我が子とイピクレースの子を炎に投げ込んで殺してしまいます。正気に戻ったヘラクレスは罪を償うためにデルポイに赴き、アポロンの神託を伺い「ミュケーナイ王エウリュステウスに仕え10の勤めを果たせ」と言われます。
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「ネメアーの獅子」は刃物を通さない強靭な皮を持っており、矢を撃っても傷一つ着きません。ヘラクレスは棍棒で殴って悶絶させ洞窟へと追い込みます。そこで洞窟の入り口を大岩で塞いで逃げられないようにし、3日間の格闘の末に絞め殺します。あらゆる武器を弾く毛皮は獅子自らの爪によって加工され、ヘラクレスはその皮を頭からかぶり鎧として用います。ケルベロスはオルトロスの兄貴分であり、3つの頭を持つ犬の化け物です。ヘラクレスは冥界に入ってハデスから「傷つけたり殺したりしない」という条件で許可をもらい、ケルベロスを生け捕りにしたとされます。この3つの頭を持つ男はケルベロスを擬人化したものでしょうか。
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ヘラクレスの「十二の功業」によりヒュドラはうみへび座になり、ヘラがヒュドラに加勢させるべく送り込んだ巨大な化け蟹は蟹座になります。ネメアーの獅子は獅子座、武術の師だったケイロンは射手座になり、十二の功業は12の星座に関係していることが分かります。
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ヒュドラはレルネーの沼に住む9つの頭を持った水蛇です。触れただけで生けるものを絶命させる世界最強の猛毒を有しています。ヘラクレスはヒュドラの吐く毒気にやられないように口と鼻を布で覆いながら戦わねばなりませんでした。ヘラクレスは始め鉄の鎌でヒュドラーの首を切っていきましが、切った後からさらに2つの首が生えてきて収拾がついません。従者のイオラオス(双子の兄弟イピクレスの子)がヒュドラーの傷口を松明の炎で焼いて新しい首が生えるのを妨げてヘラクレスを助けたと言われます。
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「ケリュネイアの鹿」「エリュマントスの猪」「アウゲイアースの家畜小屋」「ステュムパーリデスの鳥」「ディオメーデースの人喰い馬」「アマゾーンの女王の腰帯」「ゲーリュオーンの牛」「ヘスペリデスの黄金の林檎」などの物語も石棺には彫られています。
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イスタンブール考古学博物館には「アレクサンダー大王の石棺」と呼ばれるレリーフの美しいものがあり、それに勝る石棺は無いと思いますがアンタルヤ考古学博物館の石棺のコレクションは見事です。
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「アポロンとの対決」もヘラクレスのエピソードとしては面白く、狂気によって親友イピトスを殺してしまい病に取り憑かれていたヘラクレスは治癒のためにデルポイを訪れますが巫女は会ってくれません。これに腹を立てたヘラクレスは神託に必要不可欠な道具でもある三脚の鼎を奪おうとします。デルポイの守護神であるアポロンはこれに立腹して自ら姿を現しヘラクレスと闘っいますが、これを見たゼウスは双方の間に落雷を投じて引き分けにさせます。その時アポロンは「お前の病は殺人の償いとして丸三年の間奴隷として仕えれば回復するであろう。」と予言します。これを受けてヘラクレスはヘルメスに連れられてリュディアの女主人オムパレーの元へと赴き、奴隷として彼女に仕えることとなります。 これも絵画の題材になりルーカス・クラナッハの描くヘラクレスは女装して腑抜けた姿です。
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ヘラクレスは十二の功業の1つであるゲーリュオーンの牛を取りに行く途中に巨大な山脈を登らねばなりませんでした。それは非常に面倒なことであったので近道をしようと考え、ヘラクレスは棍棒で山脈をぶん殴り、その結果大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がったとされます。スペインの国旗の中央に描かれた2本の柱はこの「ヘラクレスの柱」です。タリファからタンジールへフェリー出渡るときに「ここがヘラクレスの柱か。」と思ったことがあります。
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「アルゴナウタイ」の物語も映画になっていて面白いです。コルキスの金羊の毛皮を求めるイアソンの呼びかけに応じて、ヘラクレスも数多の英雄と共にアルゴー号に乗り込みます。レムノス島の女たちの誘惑にも打ち勝ち、快楽に耽っていた他の英雄たちを叱咤して再び出航させるなど、ヘラクレスはアルゴナウタイの中でも抜きん出た存在でした。しかしミュシアーにおいてヘラクレスの愛していたヒュラースが水のニュンペーに攫われてしまい、ヒュラースを探している内にアルゴー船は出航してしまいます。置き去りにされたヘラクレスはアルゴー号を追うのを止めアルゴスへと帰還します。ヘラクレスは最強の存在でありながら、アルゴナウタイから脱落してしまいます。
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子供の頃に観たレイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」という映画の世界を思い出します。またギュスターヴ・モローの描く「アルゴ号の帰還」も素晴らしく、モローの絵を読み解くためにギリシャ神話の本も多く読みました。
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ガーランドの石棺(The sarcophagus of Girlands)天井や壁に飾るフラッグ状のインテリア「ガーランド」で縁取られています。
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ガーランドは間に立つクピドに寄って支えられています。ヘラクレスの石棺と共に紀元2世紀ごろはこのデザインの石棺が流行っていたのでしょうか。
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ドミティアス・ルリアヌスとドミタ・フィリスカの石棺
(The Sarcophagus of Domitias Lulianus and Domita Philiska) -
この当時の貴族身分の人々は夫婦で棺に入ったのでしょうか。エトルリアの石棺にも見られますが、蓋の上には夫婦が仲良く上半身を起こした姿で描かれています。
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周囲には生前の夫婦の姿が描かれているのだと思います。現在よりも進んだヴァーチャルな仕上がりだと思います。
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アウレリアボティアヌスとデメトリアの石棺
(The Sarcophagus of Aurelia Botiane and Demetria) -
こちらも夫婦の生前の姿が描かれています。
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アッテカスタイルのディオニソスの石棺
(The Dionysus Sarcophagus of the Attic Type) -
数々の石棺の中でも一番彫刻が素晴らしかったのがディオニソス信仰を描いたものです。
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各地を遍歴したディオニュソスはアテナイの近くイカリア村で農夫イカリオスのもてなしを受けます。ディオニュソスは大変に感謝し、返礼としてイカリオスに葡萄の栽培とワインの製法を伝授します。イカリオスは出来上がったワインを山羊皮の袋に入れ村人たちに振舞いますが、初めて酒を飲んだ村人は酔いが理解できず、毒を盛られたと誤解してイカリオスを殺害してしまいます。
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その死体を見た娘エリゴネは悲嘆の余りその場で首を吊ります。事の次第を知ったディオニュソスは怒り、村の娘全員を狂気に陥らせ集団縊死に及ばせたとされる場面のようです。
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足元にはすでに息絶えた娘の姿も見えます。
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6世紀エルマリ(Elmali)演壇パネル(Ambo-Parapet)はビザンチンスタイルの特徴が見られます。正教の十字や孔雀の姿が見られます。
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詳しくは何も説明されていませんでしたが見事な馬の彫刻でした。
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フェルネーゼのヘラクレス像(Herakles Farnese)
最もすばらしいのは大理石のヘラクレスです。彫像の下半分は1980年にペルゲでトルコの考古学者によって発見されました。上半身は後にボストン美術館に収蔵されていますが、トルコが上半分と下半分が同一の彫刻だと証明すると2011年にボストン美術館は上半身をトルコ返却しました。 -
ヘラクレスの像は紀元前330年から320年の間に作られたオリジナルのブロンズ像「フラクレスファルネーゼ」のローマ時代のコピーです。前述の像のコピーは約60個あり、多くは小さなブロンズ像で見ることができます。悲しみに満ち内向的で哀愁を秘めた彫像の表現は後期ヘレニズム時代の主な特徴の1つです。
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体の上部と彫像の頭部は、前方および右側の肩に向かって傾いています。ヘラクレスの体は左腕の下にネメアーの獅子の毛皮が掛かった杖に寄りかかっているためS字形をしています。ファルネーゼのヘラクレスの研究者はこの像は他のレプリカより優れていると述べ「ヘラクルズ・ファルネーゼ・オブ・ペルジュ」という名前で呼ぶように提案したそうです。
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夕方の遅い時間だったので博物館を訪れる人の数も少なく、じっくり見学できたのが良かったです。
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「アスペンドスの宝」とキャプションあった銀貨206枚です。アスペンドス遺跡近くのヴァラスク・デュデンで発掘されたものです。1枚当たり10グラムから10.92グラムの銀貨は21種類もあり、紀元前370年から350年に鋳造されたものです。中にはアレクサンダー大王時代の紀元前332年鋳造の物も含まれています。
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この博物館には周辺で出土したコインが年代別に展示されたいましたが、余りに膨大なコレクションなので全部パスしました。
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テラコッタの彫像もたくさん並んでいます。テラコッタの語源はイタリア語のテラ(土壌)とコッタ(焼いた)です。
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その細かい細工を見ていくと技術の高さを感じぜずにはいられません。中には型押しで作られたであろう物も見受けられます。
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女性の頭部の頭髪は絞り出した粘土をケーキのデコレーションのように使って表現しているのが面白いです。
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素焼きのオイルランプもたくさんのデザインに驚きます。
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壁一面にイコンが並んでいるのも圧巻でした。このホールに展示されているイコンは、18世紀から19世紀のアンタルヤ地方から集められたものでした。ローマやギリシャの遺跡の多い地中海沿岸の地域ですが、キリスト教の上でも重要な場所です。十二使徒の誰がどこで何をしたというような話がゴロゴロしています。
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「洗礼者ヨハネ」のイコンです。翼が付いた姿で描かれるのは珍しいですが、ギリシャのアトス山の修道院に同じ姿のイコンがありました。ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられ、サロメが祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため処刑されたとする記述が各福音書に書かれています。そのために自身の首が足元に置かれてあります。併せてアトリビュートである「らくだの毛の皮衣」を着て、「見よ、神の子羊」(Ecce, Agnus Dei)の文字を結んだリボンと「杖状の細長い十字架」を持っています。
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こちらは1837年に描かれた使徒ヨハネの姿です。エーゲ海に浮かぶパトモス島には現在も黙示録教会があり、小さな洞窟を見学することが出来ます。キリスト教徒ではないですが感動したことを覚えています。この島に流刑され洞窟で神の啓示を受け「ヨハネの黙示録」を執筆しますが、頭上からの光線が啓示を表しています。周辺に描かれた怪物はデューラーの描いた版画のものに酷似しているのが面白いです。
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戴冠する聖母マリアと幼子イエスの姿が描かれています。アンタルヤの後に行くエフェソスの郊外には使徒ヨハネと共に聖母マリアが晩年に過ごしたとされる家があります。これはドイツの尼僧カタリナ・エメリッヒが見たという幻視に基づくものですが、1967年にローマ教皇パウロ6世がこの家を訪れて聖母に祈りを捧げたことによって聖地とされます。ここもキリスト教徒なくてもちょっと感動する場所ではあります。
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大天使ガブリエルが天上から降り、処女マリアに聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる「受胎告知」の場面です。
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19世紀の「聖ニコラウス」のイコンもアンタルヤでは重要なものです。現在はサンタクロースとして有名な聖ニコラウスはリュキアのミュラで大主教をつとめた人物です。この博物館の最初の子供コーナーで詳しく記載した内容の一部はNHKの「チコちゃんに叱られる」でも紹介されていました。聖ニコラウスの埋葬された教会にも参拝しましたが、それ以降もクリスマスにプレゼントをもらう事が少ないのには納得がいきません。
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最後に石棺の部屋の一番奥にあるものを探しました。大人用の石棺は権威も象徴したのか、あまりにも巨大で装飾も過多です。
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オステテク(Ostothek)と呼ばれる子供用の石棺は大きさ的には1人で抱えられるほどです。ガーランドが巡らされクピドが支えるのも大人のものと同じですが、間に彫られた顔の表情が何とも言えません。
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子供を失った親の悲しみが1800年以上経っても残されているように感じます。これは17年前にも同じ想いだったのでもう一度見ておかなければと思いました。
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ペディメント(Pediment)は切妻の建物の屋根の下の三角形の部分のレリーフのことです。言葉で建築用語の場所を説明するのは難しいです。
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「アウレリア・パウリナの記念碑的な噴水のため」と題されたペディメントはアナトリアの著名な貴婦人で、ローマ帝国の時代の2世紀から3世紀に住んでいました。 パウリナは裕福な家族から生まれましたが、シリア州の元老院階級ではなかったようです。ペルゲに移住したパウリナはシリヨンのアクィラスと呼ばれるアナトリア貴族と結婚します。 しばらくしてローマ市民権を取得しアウレリアという名前をを授かったと記録が残っています。
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レリーフのモチーフは中央に立つのは月を携えて弓を持っている姿からローマ神話のディアナで、狩猟や貞節と月の女神だと分かります。(ギリシャ神話ではアルテミス)ユピテルとラトナの娘でアポロンの妹とされます。新月の銀の弓を手にする処女の姿が特徴です。そしてその横には三美神の姿もあります。
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ニケ(Nike)はギリシャ神話に登場する勝利の女神で、ローマ神話ではヴィクトリアと同一視されます。有翼の女性の姿で表わされ、右手には棕櫚の冠を持っています。ほとんど同じ構図がエフェソスの遺跡にも置かれてあります。ニケを英語読みするとナイキなのは有名な話ですね。
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あまり大きな博物館ではないのですが、収蔵品が充実しているので見学するには時間がかかりました。
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歩き疲れた妻を周囲のレリーフが言い寄っているみたいです。
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博物館の敷地には芙蓉の花がきれいに咲いていました。夕方にはしぼんでしまう1日花なので夕方になると少し寂しいですね。
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入口に停まっていたタクシーのおじいちゃんが声を掛けてくれたので、妻と同じツアーで友達になった方2名と4人でカレイチに向かって移動しました。
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