2017/05/02 - 2017/05/08
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ウェンディさん
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2017年のゴールデンウィークに母と旅したウズベキスタン。
今回の旅は日本出発から帰国までが7日間、現地滞在が5日間と一般的なツアーと比較したらチョピリ短めでした。
あと2日プラスすれば、飛行機を乗り継いで古都ヒヴァまで足を延ばせるのは分かっていたが、敢てその様にしなかったのが今回の旅でした。
旅の期間を7日間とした1つの理由は飛行機の運賃で、五月の連休をフルに利用するスケジュールで飛行機をとろうとすると航空券代がぐんと高くなるという事情も有りましたが、懐事情だけならば多少高くても休みを目いっぱい楽しめる9日間のスケジュールにしていたと思います。
旅の日程を短めとした一番大きな理由は、同行する母の年齢です。
この年に73歳を迎えた母は、彼女の身体能力、そして気持ち年齢的にはまだ十分60歳代と言っても問題はなかった筈で、多分9日間の行程でも体力は持ったのではないかと思います。
今回の旅は、現地手配会社に交通機関等の依頼はしましたが、基本的にはガイドなしの完全個人旅。
私達母娘の様に色んな対象物に興味を覚える旅人にとってはツアーではない完全個人旅は、自由気儘に動ける気楽さが一番のメリットですが、その反面いつ何が起こるか分からないという緊張感を絶えず伴い、精神的な疲れも大きく、母の年代では気が張っている現地では体力が持っても、帰国してからその疲れと反動で体調を崩す恐れが考えられました。
せっかく行く旅なのだから辛い記憶は残して欲しくなく、「楽しかった♪ また、行きたいね」そんな風に感じてくれる旅にしたい…そんな想いから、7日間という短めの日程にしました。
そして、帰国の日の母は元気いっぱい。
5日間の滞在中、ウズベキスタンの脂の強い食事で少し食欲がなくなった時も有りましたが、元気いっぱいの状態で日本へと帰ることができました。
更に旅には後日談があり、中央アジアの空気や人の優しさがツボにはまった母と私は、旅の一か月後には、1年後の航空券をポチリ。
旅の前に友人に言われた「ウズベキスタンはお勧め♪癖になるヨ」という言葉。
その言葉に間違いはなく、私たちも中央アジアの魔力に魅入られてしまったようです。
☆★2017G.W. スタンの国へ行ってみよう♪母と娘で歩くシルクロード 旅程☆★
□5/2 成田09:25-11:50インチョン15:45-19:20タシュケント(大韓航空)
タシュケント駅22:05-寝台列車-05:55(+1)ブハラ駅
□5/3 ブハラ観光
□5/4 アイダクル湖・キジルクム砂漠への一泊二日ツアーへ
□5/5 キジルクム砂漠-サマルカンド
■5/6 サマルカンド観光
■5/7 サマルカンド観光
タシュケント21:20-
□5/8 07:35インチョン10:10-12:30成田(大韓航空)
☆★旅行記☆★
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺★甘い話には裏がある https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 旅行の手配内容
- その他
PR
-
旅の5日目の17時半に母と私がいたのは、サマルカンドの中心にあるレギスタン広場。
レギスタン広場は今でこそ市民の憩いの場だが、その昔は此処で市が立ち、王の謁見や公開処刑が行われていた歴史ある広場だ。
現在のレギスタン広場には3つのメドレセ(神学校)があり、その中の1つにはイスラム教ではタブーとされているモノがデザインされていて、母も私もとても楽しみにしていたのだが、私達はそれを愉しむことなどとてもできない状況に置かれていた。
(写真:シェルドル・メドレセ。ファザードのデザインに異質なものが・・・)レギスタン広場 広場・公園
-
イチオシ
私たちが置かれた状況。
それは、ちょっと厄介な立場だった。
事の始まりは、この日の夕方に私たちが並んだレギスタン広場でのチケット・ブースで起きた。
この日のチケット・ブースは大勢の観光客で混みあっていて、更に観光客と窓口の係員の間で言い争いが勃発していて、チケット販売が再開される迄時間がかかりそうな雰囲気だった。
そんな私達の様子を見ていたのは、レギスタン広場の警備をする制服姿の警備員さん。
彼は仕事が暇だったのか、私たちの傍へと寄ってくると流暢な英語で、どこから来たのか?とか母娘なのか?と私たちを質問攻め。
彼は一通り質問が終わると、一つの提案をしてくれた。
それは…【レギスタン広場の入場チケットは、広場の中に入ってからでも買える。チケットブースでは今トラブルが起きていて暫く列が進みそうにないから、チケットは中で買えばいい】というもの。
素直な母娘である私たちは「そうなんだ~」と彼の言葉に従って、警備員のオジサンが外してくれたロープを潜ってレギスタン広場の中へと入ったのだが、中に入って10mもしない処で、広場内を巡回する赤シャツの係員に掴まっていた。
(写真:シェルドル・メドレセのネギ坊主(ドーム天井)) -
赤シャツは私たちに「入場チケットを見せろ」と云うので、私は「これから買うのだ」と答えたら、赤シャツ曰く「チケットを売っているのはあそこに見えるチケット・ブースだ。お前たちは、チケットを持たずにどうやってこの中に入った?」と完全に詰問口調。
仕方がなく先ほどの警備員のオジサンとのやり取りを説明したのだが、赤シャツはその答えに納得してくれなく、赤シャツを連れて先ほどの制服警備員の所へと逆戻り。
そこで、警備員と赤シャツを引き合わせたのだが、どうやら二人は顔見知りらしく顔を合わせるなり二人でゴニョゴニョと内緒話。
赤シャツは警備員との内緒話を終えた後に私たちの所へと戻り、今度は母と私を広場の中へと連れ戻し、更に人目の少ない柱の影に母と私を連れていき、赤シャツのスマホを私に差し出し電話に出ろと私に言う。
(写真:ウルグベク・メドレセ) -
どうして私が赤シャツの電話に出なくてはならないのかと訝しみつつもスマホを受け取ると、電話の主は先ほどの警備員。
警備員が私に話した内容。それは予想もしていない話だった。
「これから話す内容は、君たちと私、そして隣にいる赤いシャツの男との秘密だ。隣にいる赤シャツの男はレギスタン広場のチケット・チェックの男で、彼が君たちにチケットを売ってくれる。チケットは定価ならば一人2万9千スム(600円)だが、赤シャツに払うのは2万スム(400円)とディスカウントだ。コレは君たちにも得な話だろう。だから、彼に二人分の4万スムを支払ってほしい」
(写真:ウルグベク・メドレセ) -
スマホ越しの警備員の話を聞いて、私の頭の中で全ての合点がいった。
つまり、入口の警備をする制服警備員と広場内のチケット・チェックの赤シャツはグルでつるんでいて、警備員は広場の中に入っても目立つ組み合わせの観光客をチケット・ブース前でピックアップして話しかけ素性を探り、カモになりそうかどうかを探っていたのだ。
そして、ある程度融通が利きそうと思う観光客をそうっと広場の中へと入れ、赤シャツに引き合わせ、金を払わせる。
つまり、観光客が支払うレギスタン広場への入場料金が入る場所は政府ではなく、警備やチケット・チェックの係員のポケット。
不正取引なのだが、観光客にもディスカウント料金を提示するので観光客は大抵、その条件で取引に応じてしまう。
ウズベキスタンの公務員の給料は学校教員でも十分ではなく、教員ですら本職以外に家庭教師のアルバイトをして生活をしている人も多いらしい。
きっとレギスタン広場の警備員やチケット・チェックの赤シャツの男も公務員で、給料だけでは家族を養えない。だから…と言う事なのかもしれない。
(写真:ティラカリ・メドレセ) -
イチオシ
赤シャツを振り切ってこのままチケット・ブースに戻って正規のチケットを購入することも考えたがココまで巻き込まれてしまっているし、このやり方がウズベキスタン式なのだろう。
郷に入ったら郷に従え…ではないが、今回は彼らのやり方につき合う事にして、赤シャツに二人分の代金である8万スムを支払った。
赤シャツは「ここから先で別の男にチケットの事を聞かれたら、赤シャツの男に支払ったと言えば通じるから大丈夫」と私たちに言った。
赤シャツ男のこの言葉は事実で、レギスタン広場の中で何人かの係員にチケットを見せろと言われたが「チケット・ブース脇の赤シャツに支払った」と言うと、皆、それ以上は追及してこなかった。
おそらく、広場に居る係員全員が詐欺のグルで、不正に手に入れた金は全てみんなで山分けなのだろう。
1日で何組の観光客を引きずり込んでいるのかもしれないが、10組もいればそれなりの金額となるのではなかろうか。
まさか、政府の管轄下の施設でこんな詐欺のようなことが行われているなんて想像もしていなかったが(もしかしたら社会主義時代の頃の名残なのかも?)、警備員もチケット・チェックの係員も観光客もみんながWin-Winとなるようにできた上手いカラクリだ…と呆れつつも、若干、感心してしまった。
(写真:メドレセ両脇の飾り塔の装飾) -
そんなこんなでレギスタン広場に入場してからの最初の10分はどうなることかとドキドキだったのだが、赤シャツに入場料を上納してからは通行手形を手に入れた気分で、母と二人で、3つのメドレセを巡った。
レギスタン広場にあるメドレセは、全部で3つ。
正面に見えるのがティラカリ・メドレセ。
左がウルグベク・メドレセ。
右がシェルドル・メドレセだ。 -
赤シャツと別れた私たちがまず見に行ったのがシェルドル・メドレセ;1636年に建築されたメドレセ(神学校)だ。
名前(シェルドル)のシェルとはタジク語で「ライオン」ドルは「持つ者」を意味し、メドレセの正面には金色に輝くライオン(背には日輪が輝く)が小鹿を狩るシーンがデザインされている。 -
イチオシ
コレが仏教やキリスト教の建物であるならば、悪趣味なデザイン~で済むところなのだが、このメドレセはイスラムの教義を学ぶ神学生の為の学び舎。
イスラム教の教義では偶像を描くことは禁じられているのに、当時のサマルカンドの権力者であったヤラングトゥシュ・パハドゥル王は自分の顔を権力の象徴でもあるライオンに載せてデザインした建築物を作らせた。
王が示したイスラムの教義を裏切る行為に対し、イスラム教を崇拝する市民から暴動が起きてもおかしくはない状況だったのだが、気性がそこまで激しくはないウズベキスタンの人達は怒りを表すだけだった。
しかし無言の怒りほど圧迫感が強いものはなく、精神的に参ってしまったのは王の命令でライオンの姿をデザインし、タイル細工を作った建築家。
彼は自責を感じ、自分の命を以て償う道を選んだそうだ。シェルドル メドレセ 史跡・遺跡
-
そんな昔話の残るシェルドル・メドレセ。
眩いサマルカンド・ブルーで彩られたメドレセ付属の玉ねぎ型ドームの色も、悲しい話のせいでチョットくすんで見える。 -
神学校であるシェルドル・メドレセの内部構造は、学生のための小さな部屋が連なる造りをしている。
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建物は2階建てで部屋の天井は高く、その壁装飾の青タイルも煌びやか。
神学生用の寄宿舎であった小部屋の1階部分には観光客も入ることができるのだが、私は遠くからその風景を見ているだけの方をお勧めする。
だって、今のメドレセの小部屋はお土産屋さんの為の部屋へと変わり果てていて、興ざめすることは間違いない。 -
小部屋の天井装飾を見上げると、アラブ建築独特のモカラベ模様で鍾乳石のように天井が垂れ下がっているように見える。
ムカルナスとも呼ばれるこの様式のデザインは、アルハンブラ宮殿でも使われている手法と原理は同じだ。 -
シェルドル・メドレセの次に向かったのが、レギスタン広場正面に見えていたティラカリ・メドレセで、ここのタイル細工は更に豪華絢爛。
どうして豪華絢爛かって?
それは、先ほどの自分の顔を背負ったライオンをハザードに持つ建物を建築したヤラングトゥシュ・パハドゥル王が、イスラム指導者の怒りの矛先が自身に向かう事を恐れ、神への貢物としてこのティラカリ・メドレセを建築したからだ。 -
ティラカリ・メドレセではちょっと珍しい光景;メドレセの壁タイルの修復現場を見ることができた。
専門の職人さんが木製ブランコのような木の板に座り、遥か頭上の壁タイルを修復していた。 -
頭上からはコンコンコン…と何かを叩く音が聞こえ、作業者の真下を通りかかると上から1cmサイズのタイル片が落ちてきた。
思わず落ちてきたタイルを拾い上げて持ち帰りたくなってしまったが、世界遺産の建物の破片は持ち帰ったら、多分、罪となりそうだったので、ここでは見ているだけ。 -
ティラカリ・メドレセの一角には礼拝所があったのだが、さすが王が罪滅ぼしのために寄進した建物!でキンピカ。
イスラムの聖なる方向に当たるメッカを示すミフラーブの装飾は、青と金色を効果的に配色したゴージャスなデザイン(決して趣味が良いとは言えないが)となっていた。ティラカリ メドレセ 史跡・遺跡
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そんなキンキラキンの世界の中で面白かったのが、天井装飾。
天井には丸い天井ドームがあるように見えるのだが、じつはこれは遠近法を利用した平面に描かれた絵
円の中心に濃い青色を使う事で、天井を奥行きがあるドーム状に見せかけている。 -
ティラカリ・メドレセを出たところで、ウズベキスタンの若者グループに声をかけられ、お決まりの記念撮影。
何処へ行っても母は人気者の様だ。 -
イチオシ
こんな風に3か所のメドレセを巡ったのだが、夜の帳が降りてくる頃になるとメドレセに灯りがともり、時計の針は21世紀から中世に逆回転。
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幻想的な3つのメドレセの姿が青みの強くなった空に浮かび上がっていた。
どのメドレセも美しかったのだが、ライトアップによりその装飾美が強調されたのはウルグベク・メドレセ。
王であり、数学学者であり、天文学者であったウルグベクが建築したメドレセのファザードには青い星をモチーフにデザインされたタイル細工が輝いていた。ウルグベク メドレセ 史跡・遺跡
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日中は強い太陽の光で陰影が分からなかったその壁装飾も凹凸が浮かび上がり、浮彫の立体構造となっているのがハッキリと分かる。
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レギスタン広場のライトアップはメドレセの美しさを更に引き立てていたのだが、その内部の中庭で行われていたライトアップは、微妙…の言葉しかない。
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観光客を喜ばせようとしているのか、カラフルな色合いのライトが使われていた。
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確かに色ライトは色彩的には綺麗かもしれないが、なんとなく怪しげな宿泊所のイメージを彷彿させ、私にはイマイチに感じられた。
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こちらは自然な色合いでライトアップされたシェルドル・メドレセ。
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やっぱり、ナチュラル色彩のライトが素敵だよね。
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旅の6日目。
朝5時半に起床し、朝の散歩に出かけてから、朝8時に宿での朝食。
サマルカンドでの2泊した宿はTimur the Great。
Timur the Greatはレギスタン広場からも徒歩5分と立地も良く、更に一泊二食で35米ドルという宿泊料金が魅力で選んだ宿だったのだが、宿のおかみさんやお爺さんも優しくて居心地の良い宿だった。
勿論、宿のホットシャワーの湯温も量も問題なしで、セキュリティもしっかりしているので、女性の一人旅にもお勧めできると思う。 -
この日、朝食前の散歩の場所として狙ったのは、宿から歩いて15分のアミール・ティムール廟(別名:グリ・アミール廟)だ。
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イチオシ
グリ・アミールとは当時のタジク語で「支配者の墓」を意味し、その名の通り、ここにはティムール帝国を作り上げたグリ・アミール本人が眠っている。
アミール・ティムール廟には旅行記6で紹介したシャーヒズィンダ廟群と同じくサマルカンド・ブルーのタイルが惜しげなく使われていて、墓の門のファザードからして、その美しさに見入ってしまう。アミール ティムール (グリ アミール)廟 城・宮殿
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廟の中央部分には大きな玉ねぎドームがあり、早朝の光を浴びてその青がキラキラと輝いていた。
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因みに、私たちが廟を訪れた時間だが驚きの朝の6時半。
外観を見られれば良いかな…と思いながら早朝に来たのだが、驚いたことに廟内にはお掃除をしていた係員さんがいて、入場チケットを売ってくれた(ガイドブックには朝8時からと記載)。
そして、お掃除の手を休めた係員さんからは有料ガイドのご案内があった。
普段の私たちならば有料ガイドはお断りなのだが、彼があまりにも熱心に勧めるので根負け。
でも結果から言えば、ガイドをお願いして正解でこの5日間の旅で疑問に思っていた様々な事を質問したりでき、更にアミール・ティムール廟のトリビア的な事も教えて貰えたので良かったかな(ガイド料:1万7千スム:350円位)。 -
ガイドさんが最初に紹介してくれたのは、大きな石で出来たタライ状のモノ。
なんだと思う?と聞かれ、風呂桶と答えたのだが、残念ながら浴槽ではなく石の水槽だそうだ。
アミール・ティムール王の時代、戦がある時にはこの石槽にザクロジュースを満杯に入れ出陣する戦士へのはなむけとし、また戦から戻ってきた戦士への労いとして振る舞ったと歴史書には記されている。
そこだけ聞くと、ティムール王はなんて兵隊に対して優しい王なのだろうと思うが、実はザクロジュースに仕掛けがあり、この石槽は戦死した兵の数をカウントするためのシステムとして使われていた。
出陣前に兵に杯に満たしたザクロジュースを振る舞い、使用した杯の数を記録しておく。
そして戦を終え、帰ってきた兵にも同様に盃に入れたジュースを振る舞ったのだが、用意する杯の数は、出陣時使用した数だけ。
つまり、出陣前の杯の数-(マイナス)無事に帰ってきた戦士の杯の数が、戦死した戦士の数になったという事だ。
また、この石槽にはティムール王が腰を掛けて戦士に杯を配ったとされる石の窪みも残されていて、その石の窪みの形は左右で高さが異なる変な形。
この形にも意味があり、ティムール王は脚が不自由で片足だけが極端に短かったと言われている伝説を裏付けている。 -
廟の中は四角い空間で、ティムール王の墓は真ん中にある黒い石。
石だけ見ると、何だか石棺のサイズが小さくって短い…ティムール一族ってみんな背が低かったの?と思ってしまうが、ご本人が眠っているのは石を垂直移動した床の下にある地下室だ。
ティムール王はウズベキスタンでは英雄と同一視される王だが、ここに眠るティムール王には平将門並みの強い怨念伝説が語り継がれている。
ティムール王は亡くなる前に「けっして自分の墓を暴くことが有ってはならない。墓を暴く時にはこの国に不幸が舞い降りる」という予言を残した。
その予言はウズベキスタン国内では非常に有名な話で、誰ひとり、アミール・ティムール王の墓に手出しをしようなどと言う不届きものはいなかったのだが…。 -
ロシア人にとってはアムール・ティムールは昔の王であって、それ以上でも以下でもない存在。
だからウズベキスタンがソ連領であった時代に、ロシア人は考古学的な興味からティムールの墓を暴き、その遺骸を取りだしソ連へと空輸しようとしていた。
そして、ティムールの遺骸が空を飛んだ1941年6月22日の同時刻、ソ連に災害が降りかかった。
ソ連への災害とは、ドイツ軍によるソ連への奇襲攻撃;バルバロッサ作戦だ。
この奇襲攻撃は第二次世界大戦の渦中にいた世界に新たな火種を投じ、ティムール王の遺骸は渾沌の時代をもたらしたのだ。
ティムール王の呪いに驚いたソ連政府はすぐに柩を元あったアミール・ティムール廟の地下室へと戻したとのことだが、偶然とはいえ、ティムールの遺骸が空を飛んだ時間と奇襲攻撃の時間があまりにピッタリと合いすぎていて奇妙な話だ。 -
アムール・ティムール廟の中は金で覆われて煌びやか。
その金の輝きだが、前夜に見たレギスタン広場のティラカリ・メドレセの礼拝堂よりも落ち着きがあり、上品な感じ。 -
日本語の多くのガイドブックには廟内の装飾には3kgの金が使われたとあるが、実際には4kgの金が使われたとのこと。
ガイドさんの話によると、3kgの金が使われたのは私たちが前日に行ったレギスタン広場にあるティラカリ・メドレセの礼拝堂で、そこの情報がガイドブックを作る時に混同してしまったのではないかと言う話。
3kgでも4kgでも私的にはどっちでもいいのだが、金箔装飾と青の色合いの絶妙なコントラストって、美しいよね。 -
イチオシ
廟内を説明しながら、ガイドさんがおもむろに取り出したのはスマホのライト。
彼は壁の一角を照らしだしながら、見て~と。
ガイドさんが照らしだした壁は光が透けて、中の石の結晶構造までが美しく浮かび上がっていた。
彼曰く、廟の中には瑪瑙(メノウ)の1枚板で作られた壁があるのだが、それがこの場所。
ソ連時代の修復時に壁の大部分が安物の大理石に替えられてしまったが、この部分だけは昔のまま。
ティムール王が作らせた当時の貴重な一枚瑪瑙だという事だ。
(安物の大理石だと光を当てても、結晶構造は見えない) -
廟には、ティムール王は実はかなり見栄っ張りだったとの証拠も残されている。
見栄っ張りの証拠が、廟の門からも見えていた青い玉ねぎ頭。
この青玉ねぎのネギ坊主はティムール墓の真上にあるドーム天井部分なのだが、廟の内側から見る建物の構造上、あのドーム天井がこんな形をしているわけない。
実は廟の内部のドーム天井があるのは青いネギ坊主の遥か下10mで、ネギ坊主部分はドーム天井の上に作られた10mの高さの棟の上に載せられているとのこと。 -
廟の当初の建築予定では、青ネギ坊主は廟の天井ドームの真上でもっと低い位置に設置されるはずだったのだが、それではせっかくの美しいサマルカンド・ブルーが目立たたない…もっと高くしろ!というティムール王の鶴の一声で10mの棟が増築され、更にネギ坊主の中も二重構造にして、ドームの高さを嵩増ししたとのことだ。
ガイドのお兄さん説明は全部で40分位。
ガイドブックだけでは知り得ない、色んな興味深い話が聞けたのは面白かった。 -
朝食を食べに宿へと戻る途中で、観光客の叔母様たちに掴まって、写真大会。
ウズベキスタンでは、観光客の写真の取り合いっこが当たり前の光景。
私自身もかなりの人のカメラの中に、その姿を残しているのだろう。 -
宿で朝食をとった後は、いつでもチェックアウトの出来るように荷物を片付けてから、再び町中へと出かける。
サマルカンドでの最後のミッションは【町の中に隠れるユダヤ人街をさがせ!】
まずはミッションのスタート地点となるタシケント通りへと向かう。 -
タシケント通りでは、朝のお掃除のおばさまがいたり、職場に向かう女性が多く歩いていて、その服装は民族色が豊か。
-
ある程度の年齢より上の女性にはズボン姿は無く、大抵の方がキラキラとした色が入るスカート姿。
そして、足元は…というと、皆さんがそろいもそろってかかとのないサンダルで、その形は日本では【つっかけ】と呼ばれる履物に良く似ていた。 -
スニーカーやパンプスと言った靴は見られず、どの足元を見ても【つっかけ】一色。
-
きっと、つっかけが国民靴なのだろう。
-
サマルカンドのユダヤ人街だが、残念ながらガイドブックにはその情報は無く、私がネットから入手した情報も【ビビハニム・モスクの前から伸びる道を東に向かっていけばある】というシンプルな情報。
だから、その情報を信じてビビハニム・モスクまでやってきて、その前から伸びる道を歩き出した。ビビハニム モスク 寺院・教会
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道は完全に観光用道路ではなく裏道的な感じで、一歩足を踏み入れただけでローカルな雰囲気が満載。
手押し車で自宅で焼いたサマルカンド・ナンを市場に運ぶおばあさんや、大きな台車に載せた野菜を運ぶオジサンなどの姿があった。 -
しかし、そんな道に突如現れたのがクルミの柱が美しいモスク。
ブハラの古都にあるボラハウズ・モスクと似た造りだったので、きっとここもモスクのような祈りの場所なのだと思う。 -
天井には木彫りの紋様と剥げかかった彩色。
歴史的にはかなり古いものなのかもしれない。 -
ビビハニム・モスクを歩き出して15分位したところで、町並みの雰囲気がなんとなく異なってきていることに気が付いた。
それまでは平屋建ての家が多かったのだが、この辺りまで来ると二階建ての家が増え、更にその壁には特徴的なデザインが施されていた。 -
これぞ、私が探していたエリア;ユダヤ人の居住区だ。
ウズベキスタンは昔から宗教には寛容な国で(ソ連時代は別でイスラム教徒は無理やりキリスト教徒に改宗させられ、踏み絵的な事も行われていたらしい)、他宗教の人達でも迫害されることなかったそうだ。
多分だが、サマルカンドはもともとがシルクロードの中継都市として発達したので、西と東から様々な人達が入れ替わり立ち代わりやってくるのが当たり前で、人種の違いや宗教の違いによる差別や摩擦は起きにくかったのではないかな。 -
雨どいもユダヤのデザインで、アラビック模様ばかりを眺めてきた目にはちょっと新鮮。
-
壁の装飾はその家の職種を表しているのかもしれない。
このお宅は、陶器屋さんかな? -
エリアの中にはユダヤ人専門のハマム(サウナ式入浴施設)もあった。
-
ユダヤ人街を歩いていたらどこかからか美味しそうな匂いが流れてきた。
鼻をクンクンさせながら臭いを辿ると、そこではお兄さんが白い大きな陶器の窯の脇で作業中。 -
私が興味ありげに近づいて行ったら、お兄さんはこっちに来て中を見てごらん…と陶器の中を覗かせてくれた。
陶器の周りは熱く、中では炭火が赤く興っていた。
このお兄さんはサモサ屋さんで、朝からサモサを焼いていたのだって。
出来上がったのは何処?ときいたら、市場に運んでしまったとのこと。
出来立てを買って味見して見たかったのに、残念。 -
ユダヤ人街からの帰り道は、見事に道に迷って迷子に。
でも、そんな時にも新たな出会いを呼んでしまうのが母と私。 -
路地の奥が道かと思って入っていったらそこは集会所のようなところで、おじ様方が何かのパーティをやっていた。
道を間違えた…と思って引き返そうとしたら、呼び止められて「日本人とは珍しい。ここへたどり着いたのも何かの縁だから、ご馳走を食べて行きなさい」と。 -
さすがの母と私もそこまで図々しくはなれずにお気持ちだけ…と伝えたら、フルーツ1個だけでもどうぞと苺をさしだされ、大きな苺をパクリ。
オジサマ方とはちょっとだけ立ち話。
サマルカンドには日本語学校も有り、お孫さんや知り合いが日本語学校に通っている方も多くいらして、彼等は日本と言う国に興味深々。
思わぬ場所での国際交流となった。 -
イチオシ
道には迷ったが何故か辿り着いた先がレギスタン広場へと繋がる道で、知っている場所へと無事に帰って来られた。
サマルカンドでの残り時間もあと1時間弱。
最後は、サマルカンドの中心で静かなひと時を…と思っていたら、此処でも、写真撮りましょ♪の嵐。
一緒に写真に写っているのはサマルカンドの高校生で、日本語を勉強しているのだって。
日本からの観光客を見つけると、スキルアップのために話しかけているとのこと。
時間があったらもう少し彼らと話をしても良かったのだが、話を出来たのは15分位かな。
日本の大学に公費で留学するのが彼らの夢で、日本に行ければチャンスが広がる…彼らはそう話していた。
キラキラとした輝く目の彼等。
夢がかなうと良いね。サマルカンド (文化交差路) 史跡・遺跡
-
白く輝く天山山脈を越えて辿り着いたウズベキスタン。
ブハラ、キジルクム砂漠、サマルカンドの5日間は毎日が充実した日々で、闇両替に手を出したり、タクシーの運転手に脅かされたり、悪徳警備員の詐欺に引っかかったりとなかなかいつもの旅では味わえないことを沢山経験した。
そして、あと1週間後。
母と私はまた、天山山脈を越えウズベキスタンへと向かう。
この1年でウズベキスタンは大きく変わったと聞いた。
闇両替が廃止され、日本人は観光ビザが不要となった。
空港でのカオスのような状態も多少はマシになったとか。
2018年ウズベク旅のターゲットは、ヒヴァとお隣の国トルクメニスタンにある地獄の門。
陸路で国境を越えて向かうトルクメニスタン。
どんな困難、問題が待っているのか…今の私には分からない。
可愛いものを愛でたりオシャレな女子旅も惹かれるけれど、母や私を呼ぶのはアドベンチャー要素のある女子旅。
74歳のばあちゃんを連れてのアドベンチャー旅って、私も未知の領域。
何が起きるかは、その時のお楽しみ。
私自身が乞うご期待♪…という気分で旅の日がやって来るのを待っている。
前の旅行記:生ける王が眠る青い古都
https://4travel.jp/travelogue/11349106
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この旅行記へのコメント (6)
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- ポポポさん 2018/05/16 22:27:30
- 第二次世界大戦の始期について
- 今晩は、ウエンディさん。初めてお便りいたします。
ウエンディさんの詳細なサマルカンドの旅行記、興味深く拝見させていただきました。
これからウズベキスタンを観光しようとする方にとってはとても役に立つ情報が満載で感心いたしました。
ただグルアミール廟の記述と口コミで気になった部分があったので連絡します。
お節介と思われ気分を害されるかもしれませんが、敢えて間違いを指摘させていただきます。また96人もの人が「いいね」の評価をしているのに誰も間違いに気が付かないのもどうなのかなと思いました。
指摘したいのは第二次世界大戦の始期についてです。
ウエンディさんは、ソ連の考古学者がティムールの墓を暴き遺骸をソ連に空輸しようとした1941年6月22日(ドイツ軍がソ連に奇襲攻撃を行ったバルバロッサ作戦の開始日)を第二次世界大戦の開始日と旅行記でもクチコミでも記述されています。
しかしながら、この日は独ソ戦の開始日であって第二次世界大戦の開始日ではありません。つまり、ティムールの呪いが第二次世界大戦を引き起こしたのではありません。
第二次世界大戦の始期は1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに奇襲攻撃した日です。
独ソ戦が開始された1941年6月22日、フランスはすでにドイツに降伏しておりしており西欧の大部分の国はドイツに屈服するか枢軸国側の国でした。
以上、ご連絡いたします。
ポポポ
- ウェンディさん からの返信 2018/05/16 23:02:12
- RE: 第二次世界大戦の始期について
- ポポポさん、 こんばんは。
ご指摘をありがとうございます。
改めて、歴史を調べてみたら、確かにポポポさんのおっしゃるとおり、バルバロッサ作戦の開始日と第二次世界大戦の開戦日は一緒ではありませんでした。
旅行記の内容を訂正しておきます。
旅行記には、現地のグリ・アミール廟のガイドさんから聞いたお話をそのまま書いています。
多分ですが、ウズベキスタン人の感覚では、バルバロッサ作戦以降を大戦と捉えているのかもしれません。
特にアミール・ティムールを心から敬愛するウズベキスタン人にとっては、ティム―ルの遺体を解剖のために動かすなんて、とんでもない事だったはずです。
故に、その忌まわしい日に起きたドイツ軍のソ連への攻撃。
ソ連に対して、ざまあみろ〜と言う気分だったのではないでしょうか。
そして、その後に起きた世界情勢の変化。
信心深い彼らからしてみれば、その変化をティムールの呪いと考えることで、自分たちを無理やり支配していたソ連に対しての怒りを収めていたような気がします。
ポポポさんは、これから中央アジアの旅にお出かけでしょうか。
夏に向けてかなり気温も高くなる地域が多いので、お体に気を付けてお出かけくださいね。
良い旅を。
-
- たらよろさん 2018/04/25 19:59:52
- 結果オーライの鴨ちゃん
- こんばんは、ウェンディさん
ウズベキスタン☆
いろいろと、深い内容のお話が聞けて面白かったです。
チケットも結果的には、おっしゃる通りwin-winなんで、
私もこのカラクリの妙に納得してしまった。
ここで、通常よりもディスカウントしたチケット代金というのがミソですねー
こう来ると、最初のチケットブースでいざこざがあったのも、それもグルかと勘ぐってしまうわ(笑)
こういう状況においても、いつも冷静で対処されているウェンディさんだからこそ、
結果的にOKに持って行けたんだろうなぁ~
お見事でした♪
たらよろ
- ウェンディさん からの返信 2018/04/26 07:04:42
- RE: 結果オーライの鴨ちゃん
- たらよろさん こんにちは。
ウズベキスタンの最終訪問地であるサマルカンドでのまさかの詐欺事件に遭遇しましたが、なかなか良く練られたカラクリでした。
まさか広場の警備員が詐欺の首謀者だとは誰も思わないですよね?
そこの盲点をつく作戦で、更に詐欺に遭った被害者にも損はさせずに得した気分にさせるという絶妙な心理作戦。
多分、汚職であることは間違いないとは思うのですが、被害者から徹底的に搾り取るのではなく、みんなで嬉し分け(痛み分けの反語?)等と言うやり方は他の国では考えにくいと思います。
ウズベキスタンの人達の優しさがこんなところに現れているのでしょうね。
色んなことがあったウズベキスタンでしたが、人も景色も歴史も…全てが興味深い国で、母と私は二年連続で遊びに行くことに。
欧州や北米の出来上がった都市が織りなす美しい光景も女子旅の醍醐味ですが、私にとっては現在進行形の国に溢れるパワーのなかに身を置く方が魅力的。
一般的な女子旅が出来るようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
ウェンディ
-
- らびたんさん 2018/04/23 07:33:13
- ヒヴァ+トルクメ
- ウェンディさん、こんにちは^^
来週はウズベク再訪なんですね!うらやましい☆
私もかつてブハラ・サマルカンド・タシケントだけ行ったまま、
ヒヴァ+トルクメの機会を狙い10年・・・
あの時は若かったし、何度でも行けばいいやと思っていたのですが、
行きたい国が多すぎて再訪の機会はまだありません。
どんな旅程なんでしょうか。
それだけでも知りたいです(笑)
私が練っていた計画ですと、往路ともにタシケント1泊・・・
ここがやる気を落としてしまってます。
あとはトルクメに行くための金額(400USDとか聞いたことがあります)がネックといえばネックで、でも情勢が日々変わる国(ビザも不要になりましたしね!)なのでまた調べなおしてみようかなーと思っています(^o^)丿
私はGW5/3~6成田発着ですヨ♪
らびたん
- ウェンディさん からの返信 2018/04/23 19:57:16
- RE: ヒヴァ+トルクメ
- らびたんさん こんばんは♪
やっと2017年のウズベキスタン旅行記を投了しました。
初めての中央アジアでしたが、イスラムの国でありながらも他のイスラム諸国とは国民性が全く異なるウズベキスタン。
たった5日間の滞在でしたが、心から楽しんだ旅となりました。
そして2018年の再訪。
今回も全7日間、4/29−5/5で成田利用です。
地獄の門に行くにはどうあってもTASを通らなければならないので、私の旅も当然のようにTASでの前後泊が必要ですが、大韓航空を使うので日本を出発した日の夜にTASに宿泊し、翌朝の一番の飛行機でUGCへ向かいます。帰路もUGCを夜に発つ飛行機でTASに戻り、翌日はTASを歩いて夕方の帰国便に乗ろうと思っているので、そんなに時間は無駄にはならないと考えています。
地獄の門の手配は、はっきり言ってバカ高いです。
トルクメニスタンはスルーガイドをあらかじめ手配してないと入国できない国で、ガイド+専用車、トルクメニスタンへのビザ申請書作成依頼でUGCから1泊2日の手配で1000ドル/2人。
これにプラスしてトルクメニスタンの入国審査の代金(一人max100ドル程度)が必要です。
現地の旅行会社によっては地獄の門へのグループツアーを設けていますが、日程が予めフィックスされている上、開催日が1回/1か月なので、ワーキング・トラベラーでは利用は難しいですね。(因みに、グループツアーの場合でも基本料金は一人480ドルでした)
1泊2日の砂漠キャンプにひとり600ドルが高いかどうかは価値観次第ですが、トルクメニスタン政府によって封鎖が検討されている地獄の門に行けるのであれば、私的には十分許容範囲です。
地獄の門は、ずっと昔から行きたいと思っていた場所なので、今からワクワクしています。
らびたんさんもGW旅、楽しんできてくださいね♪
ウェンディ
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