2015/09/19 - 2015/09/22
31位(同エリア1914件中)
ウェンディさん
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あれはまだ少女の頃のお話。将来の夢と聞かれても、全然、現実感がなかった頃。夏になると祖父母の家に遊びに行き、日焼けなんて気にせずに毎日、外遊びを楽しんでいた頃の話だ。
私が暮らした家では、毎年夏が巡って来ると家族旅行へと出かけるのが恒例だった。
家族4人で小さな車に乗り、田舎道を走る。クーラーもない自家用車だが、全開にした窓からは草の香りのする心地よい風が流れ込む。風光明媚な田舎の景色が車窓に広がるが、ソレは子供たちにとっては単調でつまらないモノ。弟も私も、いつの間にか夢の世界に入るのも恒例の事だった…。
私が10歳を迎えるその年の夏も、いつものように家族旅行へと出かけた。
「着いたよ…」。父母が眠っている私達に呼びかける声で、弟と私は目を覚ます。
父が車を停めた場所。
そこは、見たことのない不思議な形の家々が立っている場所だった。
目の前に建っている家々は大きな茅葺の屋根を持つ不思議な形。まるで、漫画;日本昔話の世界に迷い込んだかのような光景が目の前に広がっていた。
父が私達、家族を連れて行ったところ。そこは白川郷と呼ばれる冬の間は陸の孤島になる山間の村。古びた合掌造りの家々が並ぶ小さな村だった。
村の小道を歩くと、次々と現れる合掌造りの家々。
世界遺産なんて話は、まだなんにもなかった頃の話だ。時代を遡ったような合掌造りの家々の間に、1980年代当時に現代風であった家が建つ不思議な光景が広がっていた。
蜩の鳴き声が響き渡る田んぼのあぜ道を歩く。
一軒の農家の軒先で、お爺さんがお孫さん達に竹細工のおもちゃを作っていた。そのお爺さんは、まだ幼い弟と私に目を止め、こちらへおいで…と手招きをする。
好奇心旺盛な私達は、誘われるがままに農家の軒先へ。
お爺さんは慣れた手つきで竹を削り、竹とんぼを作り、空へと放つ。
赤く塗られた竹とんぼの羽根はクルクルと回転し、空高く舞い上がる。子供の目には、それはまるで本物の蜻蛉が飛んでいるかのように見えた。青空の中を高く飛んだ赤い蜻蛉はゆっくりと失速し、庭先へと落ちる。そして、その蜻蛉に駆けよる子ども達。
暫くは、村の子ども達と一緒に遊んだような記憶がある。
そして、別れ際、お爺さんは二つの蜻蛉を弟と私に手渡してくれた。
その時に「また、いつか来るといい…」そんな意味の言葉を掛けられた気がする。
またいつか、またいつか…。
お爺さんとの出会いから三十年余りが経った2015年に秋に、再び白川郷を訪れた。
☆★☆★☆★☆★☆ 2015 Autum シルバーウィークの秋旅 ☆★☆★☆★☆★☆
・月面の世界&昭和レトロへタイム・トラベル http://4travel.jp/travelogue/11056976
・山間の和都・高山、30年ぶりの白川郷へ http://4travel.jp/travelogue/11059673
・狐に化かされ、ホワイト・ロードで滝めぐり http://4travel.jp/travelogue/11063578
・夢の上高地 転じて 西穂・独標ハイキング♪ http://4travel.jp/travelogue/11064580
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
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2015年秋のシルバーウィークに、家族で秋旅へと出かけてきた。
初日の土曜日は高速道路の渋滞も予想されたため、その出発は金曜日の24:30と久々の夜行ドライブ。
我が家の愛車;深夜特急号を走らせ、自宅のある埼玉県から岐阜県高山市まで約4時間と最短記録を更新した。
旅の初日に訪れたのは、ちょっと不思議な展示物も見ることのできる飛騨大鍾乳洞。
鍾乳洞は規模こそはそんなに大きくはなかったが、触れることが出来そうな程近くで鍾乳石を観察することができ、鍾乳洞Loverにとってはなかなか堪えられない場所だった。
そして、飛騨大鍾乳洞は昭和の香りが色濃く残る場所でもあった。飛騨大鍾乳洞 自然・景勝地
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タップリと1時間をかけて鍾乳洞を見学した後は、国道158号線を一路、高山市中心部へと向けて走る。道は1本道で、目的地までの所要時間は約30分だ。
JR高山駅周辺には駐車場が数多くあるが、江戸時代の古い街並みの残る中心部は観光客で激混み。駐車場もどこも満車だったので、町はずれの西側にある不動橋駐車場へと車を停める。
駐車料金は、市内一律料金で300円/1時間(駐車場により、100円/20分、150円/30分と表示方法は異なる)。
時刻は、午前10時半。
高山に残る江戸時代の町並みの中を歩き始める。
駐車場の背後には宮川が流れ、川には江戸情緒を残した木製の欄干を持つ不動橋が掛けられている。
その不動橋を渡れば、そこはもう、江戸時代の町人文化の名残を色濃く残す高山の町並みだ。宮川 自然・景勝地
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飛騨高山の山中に突如現れる情緒あふれる整然とした町並み。
ここは江戸時代に幕府の直轄領として栄えた小京都とも呼ばれる場所で、飛騨特産の木材を扱う町人文化が栄えていた土地だ。高山の古い町並み 名所・史跡
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木材で作られた高山の家々が軒を連ねる中を歩く。
高山の美しい家並みは眺めているだけも楽しいのだが、その町並みについてもっと深く知りたければ、家の中を見学させてもらうことも可能だ。
見学は有料な家屋が多いのだが、不動橋の傍にある宮地家住宅は市営の施設なので、無料で家の中を見学できる。(宮地家の公開日は土日のみ) -
宮地家は一般庶民の家として使われていた町屋建築で、当時の庶民の生活の様子を窺い知ることが出来る家…とのことだったのだが、家に入ってみて感じたのは、広い!の一言。
庶民の家にしては広すぎる!
宮地家は酒屋や米屋を営みつつも農家としても働き、半農半商という形で生計を立てていたという。
玄関を入ると目の前には2階まで吹き抜けの天井があり、その脇には広い畳の間が広がっていた。
江戸時代から明治・大正時代にかけての家は、庶民の家と云えども現代のウサギ小屋とは大違いの様だ。 -
宮地家の二階へと上がると、そこは屋根裏部屋のような三角屋根になっていて、昔は子供部屋としても使われた場所だという事。
窓が大きく採光も良く、こんな子供部屋だったら、嬉しくなってしまうだろう。宮地家住宅 名所・史跡
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宮地家をゆっくりと見学した後は、風情ある小京都の街並みを散策する。
日本各地には小京都、小江戸の冠名を持つ和の町は数多くあるが、その中でも高山の町並みは、群を抜いて特徴的な事で有名だ。
高山の町並みの特徴…。
その特徴の一つが、建物の軒の高さとその立面だ。飛騨高山 さんまち通り 名所・史跡
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イチオシ
高山の木造建築物のその軒は、何処の路地へ入ってもほぼ一直線に建物の面が揃い、その軒の1階部分の高さも同じ位に揃えられてある。
それ故に、高山の町並みは非常に整然とした町並みに見えるのだが、実はこの揃えられた軒の高さや立面には理由があるそうだ。
その理由とは、この高山を支配していたお代官様に対する対策。
江戸時代の飛騨高山は幕府の直轄地で、陣屋と呼ばれる代官所が建てられていた。
高山の町人たちは、飛騨木材で財を成したどちらかと言えば富豪に入る方々が多く、大きな建物、豪華な建物を建てようと思えば建てられるだけの財力はあった。
でも、小さな村の中で大きな建物を建てたりして不用意に目立ちすぎるとお代官様の目についてしまい、不利益を被ることも予想された。
だから、商人たちは相談して、みんなで軒の高さや建物の面位置を揃えて、誰か一人が目立つようなことの無いようにしましょう〜と話し合ったのが、この町並みが出来た始まりだと云う。 -
また、建物の表通りに面した部分には、高山格子と呼ばれる出格子の装飾が施されている。
-
出格子は屋敷ごとに特徴があり、現代では格子の内側にガラスを施してある建物が多くなっているが、その昔は障子窓だったのだろう。
夜、行燈の灯が作りだす出格子の影が白い障子にぼんやりと浮かび上がる世界…。
けっこう素敵だろうなぁ…。 -
昔風に出格子の内側に簾を利用しているお宅を発見!
風通しも良く防犯効果もある出格子は、夏にはうってつけだ。 -
高山の町並みの特徴は、まだまだある。
例えば、町並みの色。
高山の町並みの色…と云えば、その印象は、黒や焦げ茶色が真っ先に思いつく。
木族建築物が立ち並ぶ高山の町。
木造建築ならば町の色は、天然木のナチュラルな茶色であるほうが自然なのに、どうして黒っぽい褐色が高山のテーマカラーとなっているのか。
それは、家を建てている建材の褐色の色合いは材木そのものの地色ではなく、わざと煤を混ぜたベンガラを用いて着色した木の色に加工してあるから。 -
江戸時代、庶民はお金持ちの町人と云えども、総木材での家の建築は贅沢すぎるとして幕府に禁じられていた。
しかし、飛騨地方は良質の木材の産地。
さらに、この地は周囲を山に囲まれ、家を作る材料と云えば木材が一番安価で、その他の幕府推奨の材料を山越えをしてまで運んでくると却って費用が高くついてしまう。
だから、家を建てるには、木材を使うのが一番簡単だった。
ただ、幕府の直轄地であるため、一目で木材とばれてしまう家はまずい。
それ故にわざわざ白木の木材にベンガラと煤で着色し、木材っぽくないような風合いに仕立ててから家を建てていたと云う。
幕府対策として、着色してから使用していた褐色の木材だが、その色は漆喰の壁色である白色との対比が美しく、見栄えも良い。
雪がしんしんと深く降り積もる真冬、真っ白な雪の中に静かに佇む漆黒の家々の姿。
そんな冬の景色も是非、見てみたい…。 -
また、高山は、商家の建物の屋根にも特徴がある。
高山は豪雪地帯で、冬になると雪に閉ざされる地域だ。
通常、豪雪地帯というとその屋根は急勾配で、降り積もった雪が滑り落ちやすい構造にしてあるのだが、高山では逆に屋根の角度を緩やかに設置してある。
これは、屋根の雪が道路に滑り落ちない様にするため。
商家の立ち並ぶ町屋では、軒先に山積みの雪が盛ってある…なんていう光景は美的景観を損ねる…と考え、あえて雪が落ちにくい構造にしていたそうだ。
店の表はお店の貌。
どんな時も常に美しくありたい…という高山商人の心行きだったのだろう。 -
木造の商家が並ぶ軒下には、細い用水が流れている。
これは防火用の用水。
家々が密接して建っているこの地区で、火災が起きたならば延焼はあっという間に起きてしまう。
だから、いざという時の対策も万全だ。
また、この水路の水は地下水なので、夏は気温よりも冷たく、冬は暖かい。
夏には地域の空気を冷やす水、そして冬には雪を解かすための水としても利用されている。 -
こんな風に町や建物を観察しながら歩いていたら、あっという間にお昼の時間になってしまった。
古い町並みが残されている部分は【さん町】と呼ばれ、高山の中心部の中でもそれほど広範囲ではなく、観光客は、その地域に集中している。
だから、お昼時は中心地区の飲食店は観光客で大混雑だ。
ガイドブックに載っているお店には長蛇の列ができていた。
どこかに空いているお店はないかと、町歩きをしながらキョロキョロ。
歩いていたら、朱色の欄干と川辺の緑色のコントラストの美しい中橋へと出た。
中橋の上は、海外からのゲストの方の絶好の撮影スポットとなっていて、大勢の方が思い思いのポーズで自撮りをしていた。
やはり、朱色は日本独特の色なのかもしれない。宮川中橋 名所・史跡
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昼食は高山ラーメンか飛騨蕎麦と旅の前から決めていた。
普通ならば蕎麦に軍配が上がりそうだったが、この日は朝から歩き回っていて、お腹もペコペコ。
蕎麦では2人前食べても足りなさそうだったので、カロリーのあるガッツリ系の高山ラーメンで昼食にすることにした。
有名なお店は混んでいるので、パス。
中橋の近くで見つけた半兵衛というお料理屋さん(多分、夜は和食系の居酒屋さんかな?)で、高山ラーメンをいただく。
魚介系のあっさりとしたダシが美味しいラーメン(650円)だった。 -
ラーメン一杯でお腹が膨れる筈だったのだが、我が家の家族の胃袋はラーメンだけでは満足してくれずに、五平餅(200円)も買い喰い。
全く、今回の家族旅はいつになく観光旅行的だ。 -
高山の町並みの散策は、昼食時間を含めて約2時間半。
山間に広がる小京都の景色を十分に満喫できた。
次の目的地に向かう前に、町はずれにある桜山八幡宮へとお参りをする。
神様にお願いしたのは、“帰りの道路も渋滞に会いませんように…”
しかし、残念ながら、この願いは神様には聞き入れてはもらえなかった。
(お賽銭が少なすぎたのだろうか…) -
イチオシ
和都の高山の町を散策した後に向かったのは、幼い頃の記憶、赤蜻蛉の思い出が残る地;白川郷だ。
高山からはそんなに遠くはなく、東海北陸自動車道を使えば30分位で着いてしまう距離だ。
しかし、合掌造りの里;白川郷は日本でも屈指の世界遺産で、国内だけではなく海外からのゲストにも人気の観光地だ。
ましてや、白川郷へのルートは1本道。
連休初日のこの日は道路も凄く混んでいるだろう…と予想して、30分の移動時間の予定が2時間、3時間になることをも覚悟して向かったのだが…。
予想に反して、道路はスイスイ。
渋滞はどこにもなく、唯一混んでいたのはパーキングの所。
駐車待ちの長い列が出来ていた。世界遺産白川郷合掌造り集落 名所・史跡
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白川郷の村の中。
村の中には一般客向けの駐車場は無い。
観光客は、村の中へは原則としては車で入ることが出来なく、白川郷の村の外郭にいくつかある公共駐車場に車を停め、村の中へはシャトルバスや徒歩で入っていかなければならない。
駐車場の場所は、一番近いところで村から徒歩5分位の場所。
遠いところだと村を見下ろす山の上にあり、シャトルバスを利用しなければ徒歩30分以上はかかる駐車場になってしまう。
便利な駐車場は朝一で来た観光客で埋まってしまうので、遅く着いた人達が利用できるのは遠く離れた駐車場だけ。
白川郷は人気の観光地なだけに、村に入るにも一苦労を必要とする場所だ。 -
ただ、村の中に自家用車でそのまま入れる例外的な場合もある。
それは、村の中に数件ある民宿に宿泊する場合で、その時だけは、車で村へと入ることが出来る。
私達の今晩の宿泊は白川郷の村の中。
村のゲートで、予め宿の方に教わっていた魔法の言葉を伝えて、車を村の中へ入れて貰う。
白川郷で一晩、お世話になるのは民宿の【源作】さん。
村の真ん中付近に位置し、村の散策にはもってこいの立地だ。
(村は小さいので、村の端っこに宿泊しても散策にはさして不自由はないと思う)
白川郷の民宿は、人気があるだけになかなか予約がとりにくい。
我が家で、白川郷への秋旅のプランニングが始まったのは初夏の頃。
時期がシルバーウィークなだけに村の中の民宿はもう予約でいっぱいに違いない…。
半分諦めながらも、村役場の観光協会へと電話で問い合わせをした。
(写真:民宿【源作】。合掌造りの宿だ)民宿 源作 宿・ホテル
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私の問い合わせに対する観光協会の方の回答は、“希望の日程ではもうどこも満室だが、連休の初日の土曜日ならば、空室がある”。
幼い頃の思い出の地である白川郷。
稲の穂が頭を垂れ、一面の黄金色の田んぼの中にそびえる合掌造りの家々。
そんな空気の中で一晩を過ごせるのならば、旅程の入れ替えだって問題ない。
その電話で、土曜日の宿泊を申し込んだ。
写真は、民宿【源作】のお部屋。
合掌造りの家を仕切って民宿としているので、隣の部屋との壁は木製の襖のみ。
だから、部屋での話し声は隣り合った部屋ではお互いに全部筒抜けだが、昔の日本家屋は皆、こんな感じだったはずだ。
TVもない静かな空間。
窓にガラスは無く、障子戸と雨戸しかない、本物の合掌造りの家だ。 -
部屋の外には縁側があり、そのまま縁側に腰を下ろしてお茶を飲む…なんていう事も出来てしまうのだが、さすがにそれは恥ずかしいかも。
白川郷は一大観光地なので、民宿そのものも外観も写真撮影や見学の対象となっている。
そんな合掌造りの家の縁側でお茶なんか飲んでいようものなら、あっちこっちの写真に写りこんでしまう事は間違いない。 -
白川郷の民宿は合掌造りの一軒家の内部を改装して宿泊施設としているので、そんなに多くの観光客を受けいれることはできなく、宿泊可能なのは1軒につき4組程度だ。
だから、宿のお風呂も家庭風呂サイズなのだが、さすが飛騨・高山エリア。
お風呂は檜つくりで、蓋を開けるとお湯がほんのり檜の香りだった。 -
宿に荷物を置いたら、さっそく白川郷の散策へと出発する。
宿の前を一歩歩き出すと、目の前には合掌造りの家が立ち並ぶ。
大きな藁の傘を頭に乗っけたような合掌造りの家々。
幼い頃の記憶が、再び鮮明に蘇ってきた。 -
でも、記憶は、あくまでも記憶だった。
現在の白川郷は世界遺産として登録された一大観光地で、その観光客の数はビックリするほど多い。
この日の午後3時過ぎも、村の中は、人・ヒト・ひと…が溢れていた。
そして、30年前に私が来た時には商店も無いような素朴な村だったその場所は、合掌造りの家を利用したオシャレなカフェやお土産屋さんが立ち並ぶ場所へと変わっていた。
何軒かは普通に納屋として利用されている合掌造りの建物も残っていたのだが、村の中を歩きはじめた私が感じた最初の印象は、【テーマパーク】。
合掌造りの家をモチーフに整えられたテーマパーク…。
そんな風だった。 -
イチオシ
観光地化してしまった白川郷の景色をどのように感じたか…と問われれば、その答えは「がっかりした」が本当の気持ちだ。
でも、全てが残念な方向へと変わっていったわけではない。
以前よりもプラス方向へと変わっている部分も有った。
30数年前に私が訪れた時は、村の合掌造りの家々は、こんなに綺麗にメンテナンスされていなかった。
住む人もなく荒れ果て朽ちかけている家も多く、綺麗に保たれている合掌造りの家はほんの数件しかなかったと思う。 -
しかし、白川郷が世界遺産として登録され、日本だけではなく海外からも注目されるエリアとなった結果、住んでいる人々の意識が変わり、古い建物は壊すのではなく、補修し、この独自の景観を利用し観光資源にするという新たな発想が生まれ、村全体としての景観保全の意識に繋がったのだろう。
村全体の色調が整えられ、家々も綺麗に美しく保たれている。
(なんだか、英国のコッツウォルズ地方の様だ…)。 -
世界遺産となり観光地化したことで、昔の素朴な雰囲気は失われてしまったが、昔から受け継がれてきた合掌造りの建物を維持し続けるためには、この様な村の変化は必要な事なのかもしれない。
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イチオシ
あまりの観光客の多さに、中心部の見学は後回しにして、先に村はずれの地区へと足を向ける。
村の中心部からほんの10分程度歩くだけなのだが、村はずれのかん町地区は、歩いている人の数も少なく、昔に来た時の様な景色が広がっていた。
(前3枚の写真は村はずれの地区:村はずれのかん町の光景) -
白川郷の景色を一望できる高台である萩町城跡展望台へと登る。
展望台までは、村の中からは歩いて15分位だ。
展望台の上から村を見下ろすと、合掌造りの家々が建つパンフレット等で有名な景色が見えてくる。
この景色が見たくて此処へ来たのだから、感動するのは当たり前なのだが、やはり自分の目で眺めると、その感動はひとしおとなる。荻町城跡展望台 名所・史跡
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イチオシ
大きな一枚板に茅を葺き、両の掌を合わせてお祈りをする形のように組んだ合掌造りの家々。
その三角形の屋根が一方向を向き、並ぶ姿は壮観だ。
合掌造りの家々の屋根の角度は急こう配で、面白いことにどの家も皆、同じ方向(展望台方向)を向いて建てられている。
コレにはなにか理由があるのだろうか。
その答えは、宿泊した民宿のオーナーのお爺さんが教えてくれた。
白川郷は谷間の村で、風の通り道にある村落。
合掌造りの家は風対策、雪対策が目的で作られたのが最初だったそうだ。 -
白川郷を吹き抜ける風。
夏の風は心地よいが、真冬の猛吹雪や山の嵐は、家をも壊す勢いで吹き荒れる。
だから、風の影響を少しでも受けにくくするため、抵抗を受けにくい構造で、かつ、家を風の通り道方向に向けて建てたのが、合掌造りの始まりということだ。
そして屋根の急勾配は、降り積もった雪が屋根を潰すのを防ぐための工夫だそうだ。
また、屋内も2階、3階部分には部屋の区切りは作らずに、風が通り抜けられる仕組みにしてある。
そして、2階、3階部分の天井には床板は貼らずに格子状の木を組み、空気が抜けやすく、また1階で焚く囲炉裏の煙が家全体に行きわたりやすい構造にしてある(煙で家をいぶすことで、建物の木を丈夫にする目的と、防虫効果の相乗効果がある)そうだ。 -
そんな合掌造りの家を見に、もっと村の中を歩きたかったのだが、朝が早かった私以外の二人は午後5時でかなりヘトヘトになっていたので、一旦宿に戻り、お風呂をいただくことにする。
お風呂は部屋単位の使用で、使用時間は夜の9時まで。
実は私達は夕食後にもちょっと出かけたいところがあったので、早めの入浴の方が都合が良かった。
お風呂は檜の香りのする気持ち良いお湯でゆったりと旅の疲れを癒すことが出来た。
入浴後は、私以外の二人は夕食までの時間はお昼寝の時間。
私は…。
じっとしているわけがない。
例え30分でも時間があるならば夕景の白川郷の村を見に行きたい…という事で、カメラを片手に夕食前の散歩に出かけた。 -
時刻は夕方6時近く。
さすがにこの時間になると日帰りの観光客の姿は殆どなく、1時間前までの喧騒が嘘のように村の中はノンビリとした感じだ。
さっきは大勢の人で溢れていた村の中央部も静かで、カフェ等も店じまいをしている。
カフェのある村の雰囲気も悪くはないが、私的には、静かなこの時間帯の方が好きだ。
ゆっくりと村の中を廻る。
村の合掌造りの家々は殆どがお店や民宿、カフェ…と云った何かしらの施設となっている様だ。
もう、純粋に家屋として使われている家は、そんなに多くはないのだろう。 -
イチオシ
昔に見た白川郷の光景は、もうここには存在しない。
本当のことを言えば、それは、白川郷へ来る前からうすうす感じていたことだ。
世界遺産となって20年が経過し、観光地化され、昔の面影は残っていないだろう。
昔に出会ったおじいさんの様な人は、もういないかもしれない。
だから、もう一度訪れたい…と思いつつも、足が向かなかったのかもしれない。
でも、夕方に、観光客の姿が消えた村の中を歩いていて分かったことがある。 -
白川郷だって生きている。
変わって当然なんだ…と。
この美しい山郷の姿を維持していくためには、国からの補助金なんて大した足しにはならないだろう。
自分の好きな形の家を建てることが出来ない、景観を守った形の建物のみしか作ることが出来ない…そんな縛りの中で生きていかなければならない村の方たち。
(写真:お寺の建屋も合掌造りだ) -
綺麗ごとの理想だけでは村での生活はできない。
景観を守りつつも、自分たちの生活を維持し、子供を育て上げる…。
その為には、時代に合わせた変化は必要なコトなのだ…と。
(写真:村中の公衆トイレも合掌造りだった) -
30分ほどの夕方の散歩で、静かに佇む合掌造りの家々の景色を堪能し、宿へと戻る。
その途中で、ちょっと現代風の合掌造りのお宅を見つけた。
昼間は分からなかったのだが、夕方になり、家の中で明かりが灯ると、他の家との違いが良くわかった。
この写真の家の何が他の家と違うのか…。
違うところは家の上部の部分。
伝統的な合掌造りでは、2階・3階部分には白い障子戸が嵌まっているのだが、此処のお宅はガラス窓を上手くあしらっていた。
昼間見た時は白く反射して、障子のように見えていたのだが…。
現代風にアレンジして生活しているのだろう。 -
六時半少し前に部屋に戻り、夕食の時間。
炉の切ってある居間へと向かう。
囲炉裏端にはこの家の御主人のお爺さんが座っていらして、食事をとりながら、白川郷にまつわる様々なお話をして下さった。
世界遺産に認定される時の村人たちの話し合いの様子や、その後の苦労等…。
世界遺産に指定された地域で生活をするという事は大変な名誉でもあるが、不自由を強いられることも多いそうだ。 -
今晩の夕食は、白川郷の土地の幸。
お爺さんが作られたお米で焚いたご飯に、山菜の天ぷら、様々な小料理。
そして、飛騨牛の陶板焼き。
民宿のお母さんが作るおふくろの味のお料理が、お膳の上に所狭しと並べられていた。
我が家は全員が和食党なので、こういうお料理は大好物。
やっぱり、和食が一番おいしい♪ -
果物のデザートも頂いてお腹いっぱいとなった私達は、食後の散歩へと出かける。
白川郷の村の中は街灯はあまり多くはなく、夜の散歩には懐中電灯が必要。
宿の玄関には夜の散歩用に懐中電灯が常備されているので、ひとつを借りて歩き出す。 -
村の中を抜けて、出会い橋の吊り橋を渡り…、向かった先は、【白川郷 合掌造り 民家園】。
シルバーウィークに5日間限定で、民家園と呼ばれる合掌造りの野外博物館をライトアップするイベントが催されていた。であい橋 名所・史跡
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民家園のライトアップ時間帯の入場料は一人300円。
混んでいるのかと思いきや、殆どお客さんが居なくて、貸きり状態でビックリ! -
合掌造りの家の中もライトアップされ、部屋の中へと入ることもできる。
ここの野外博物館で保存しているある合掌造りの家は、庶民の家と云うよりも少し裕福な方の家なので、家の中も広く、床も黒光りしている。 -
田作りと云われる、田舎独特の内部構造をしている建物もあった。
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部屋の端には、昔の生活器具や台所用品も展示してあり、興味深い。
この木製の小さな引き出し式の棚。
これは、何の棚だったのだろう。
昔の薬屋さんの引き出しの様だ。 -
建物によっては二階や三階へ梯子で登ることもできる。
昼間見ても素敵なのだろうが、夜間だと陰影が強く出て、昔風の雰囲気が出ていて、見ごたえがある。野外博物館合掌造り民家園(白川郷) 美術館・博物館
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こちらのお家は2階部分に床を張り、作業場のようにして使っていた様だ。
-
そして、こちらの家には蚕棚が展示されている。
-
合掌造りの家では、2階以上の階では基本は床を張らずに、細い木の板を渡して通気を良くしている家が多かったそうだ。
この写真の様な2階の床面だったのだろう。
確かに通気は良さそうだ。
(でも躓いて転んだら、木の板を簡単に折って、そのまま1階へと落下しそうだ…) -
夜間の野外博物館での見所は、ライトアップされた家だけではない。
ライトアップに合わせて、和紙のアーティストによる【美濃和紙あかりアートin 白川郷合掌造り集落】という催しが併せて開催されていた。
これは白川郷が世界遺産登録20周年を迎えるのを記念した行事の一つで、岐阜の特産の美濃和紙を用いた灯りのアート作品を合掌造りの建築物とコラボさせよう!という試みで、シルバーウィーク期間中は、夜にライトアップして、和紙が作り出す和のテイストを合掌造りとコラボさせようという企画だ。 -
様々に工夫を凝らされた和紙のランプたちが闇夜の中に浮かび上がる。
-
江戸時代後期から続く合掌造りの家々と和紙で作られたアートな灯りたち。
その二つがお互いに融合し、不思議な世界を作り出していた。
江戸時代の末期に、地域の気候に合わせた合掌造りという建築方法を思いついた白川村のお百姓さん達。
その200年後にこんな風に自分たちの作った家が評価され、世界遺産として世界中か注目を集める存在になろうとは、想像をしていなかっただろう。
白川郷の建物も和紙も時代と共に歩み、昔の良さを残しつつも変化し、その可能性を広げつつある。
世界遺産に指定され、20年が経過した白川郷。 -
これから、白川郷がどのように変わっていくのか…。
その先が楽しみな気もするし、これ以上変わってほしくない…とも思う。
矛盾する二つの思いを抱きながら、宿への帰路を歩いた夜だった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- こあひるさん 2015/10/01 10:17:51
- 昔の面影を追いながらも・・・
- ウェンディさん、こんにちは。
30年ぶりの白川郷ですか・・・世界遺産に登録されるずっと前・・・村が時代の流れのままに正直な姿を晒していたころ・・・。子供のころに見た非日常の光景って、インパクトが強いですよね。鮮やかに記憶に残っているものです。
でも今では、屈指の観光地・・・確かにテーマパークのようにも感じますね(あ、行ったことないんですけどね)。そういえば大内宿も、そういう感じがしましたね。
その土地の風土によって生み出された独特の家屋の形・・・。それを見栄えよく保ったまま生活するのは、大変なご苦労があると思います。一見、昔ながらの変わらない村の姿・・・と思っても、実は留まっているのではなく、常に時代とともに変化している・・・というのが良く伝わってきました。そうでないと・・・生活していく人もしにくいだろうし、取り残された寂れた村・・・のようになってしまうでしょうね(それはそれで、観光客の立場としては勝手ながら・・・いいな〜と思っちゃうのですが)。
こあひる
- ウェンディさん からの返信 2015/10/02 20:35:41
- RE: 昔の面影を追いながらも・・・
- こあひるさん こんばんは。
子供の頃の記憶を辿る旅へと出かけてきました。
白川郷の地区が世界遺産へ登録されて今年で20年。
30年ぶりに訪れた田舎の村は昔とは様変わりしていました。
30年前は住む人もなく、見捨てられ、朽ちかけていた家もあった白川郷ですが、今は、合掌造りの家はきちんとメンテナンスされ、崩れかけた建物はありませんでした。
世界遺産になる前のノンビリとした村の光景を見てきた私は、テーマパークっぽいと感じてしまいましたが、初めて見る方からすれば、あの光景こそが白川郷なのですよね。
合掌造りの家が全て同じ方向を向き、白い障子戸のある風景…。
もし、白川郷が世界遺産に登録されていなかったら…。
現在の白川郷の里山の風景は無く、現代風の家屋が田んぼの間に立つごく普通の田舎の風景しか残っていなかったでしょう。
世界遺産への登録は、村があの姿を留めておくためには、無くてはならないものだったのだと思います。
時代も変わり、住んでいる人達も世代交代をします。
全ての意味で、変化は起こるべくして起きているのでしょう。
白川郷を訪れる観光客の数は、これからもまだまだ増加傾向にあると思います。
この先、白川郷があの美しい景色を保ったまま、上手く観光業との折り合いを付け、あんまり世俗的にならない方向に行ってくれればよいのですが…。
大内宿…ここも行ってみたいところでしたが、やはりテーマパーク的な香りがぬぐえない場所だったのですね。
古い建物や文化が残したものを見るのは好きなのですが、あまりに綺麗に保存されすぎ、更に商業化されてくると、本来の意味での良さが失われてしまう気がします。
難しいですね。
ウェンディ
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