2017/05/02 - 2017/05/08
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ウェンディさん
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歴史を遡ること約2300年前の紀元前356年、ある漢(おとこ)が西の地に誕生しました。
男の名はアレクサンドロス三世。
彼の名は地方により異なり、彼が征服した東方ではイスカンダル、韋駄天(いだてん)と呼ばれ、生まれ故郷のマケドニアではアレクサンダー大王と呼ばれていました。
巫女でもある母オリュンピアスが蛇に化身したゼウスと交わり生まれてきたとも言われるアレクサンドロスは、幼いころはギリシア人哲学者のアリストテレスに師事し、歴史、自然、帝王学を学びました。
アレクサンドロスが王となったのは20歳の時。
父王であったフィリッポス二世が妹の婚礼式の最中に暗殺され、突如、国を担う立場となったアレクサンドロスでしたが、彼には父の死を悲しんでいる時間はありませんでした。
父王の強大な力があったからこそ均衡を保ち、同盟を結んでいた隣国たち。
同盟国が父の死を知った時に何が起こるのか…。
毒牙を振りかざしマケドニアに襲い掛かってくることは明らかでした。
アレクサンドロスの行動は早く、父の軍隊を掌握するとすぐに近隣各国へと出向き、父の権限を全て引き継ぐことを宣言し、事実上の王となりました。
王となったアレクサンドロスは父の成し得なかった野望;東方遠征を開始します。
アレクサンドロスの光り輝く甲冑には見る者を石へと変えてしまうメドゥーサの首が刻印され、見目麗しき若者であった彼がそれを纏うと、まるで黒い巨大な馬に跨った神が攻め入るかのような印象を敵陣に与え、それだけで敵が戦意を喪失したとも言われています。
遠征する先々で負け知らずの勝ち戦を続けるアレクサンドロス。
いつしか彼は、自分は神であると自称するようになりました。
アレクサンドロスが神を名乗る様になった理由には、父王の存在を超えるためにはゼウスの息子として神を名乗るしかなかった、母オリュンピアスの呪いによりそのように仕向けられた…等々様々な説があり、現在でも新説が飛び交っていますが真実は歴史の中に眠っています。
アレクサンドロスは最終的にはエジプトのアレキサンドリアからインドまでをその支配下に治めましたが、人間が神となるのはやはり、難しかったのでしょう。
32歳の春、王位僅か12年にしてこの世を去ります。
その死にはアレクサンドロスの師であったアリストテレスも一枚噛んでいるとされ、死因は世界歴史ミステリーの1つとされ、それ故にアレクサンドロスの短い生涯にまつわる物語も多く綴られています。
2017年のゴールデンウィークに御年73歳になる母と共にウズベキスタンの碧い都市を歩いてきました。
今回の旅では古のオアシス都市だけではなく、砂漠の中の1本道を往き、2300年前にイスカンダル(アレクサンドロス)が築いた砦、そして遥か昔にに描かれた古代人の岩絵も見てきました。
旅行記-4では、ガイドブックには記載のないレアなウズベキスタンを紹介したいと思います。
☆★2017G.W. スタンの国へ行ってみよう♪母と娘で歩くシルクロード 旅程☆★
□5/2 成田09:25-11:50インチョン15:45-19:20タシュケント(大韓航空)
タシュケント駅22:05-寝台列車-05:55(+1)ブハラ駅
□5/3 ブハラ観光
■5/4 アイダクル湖・キジルクム砂漠への一泊二日ツアーへ
□5/5 キジルクム砂漠-サマルカンド
□5/6 サマルカンド観光
□5/7 サマルカンド観光
タシュケント21:20-
□5/8 07:35インチョン10:10-12:30成田(大韓航空)
☆★旅行記☆★
・闇両替も悪徳警備員も、どんと来い♪ http://4travel.jp/travelogue/11240625
・夜行寝台列車はクリスティの世界 http://4travel.jp/travelogue/11243491
・古のオアシスが微睡む夢 http://4travel.jp/travelogue/11247059
・アレクサンドロスの追憶 https://4travel.jp/travelogue/11340022
・砂漠のユルタでキャンプ https://4travel.jp/travelogue/11346596
・生ける王が眠る青い古都 https://4travel.jp/travelogue/11349106
・Win-Win詐欺★甘い話には裏がある https://4travel.jp/travelogue/11351077
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- 大韓航空
PR
-
2017年のGW旅は御歳73才になる母と一緒に中央アジアのウズベキスタンへ。
母も私も初ウズベキスタンだというのに、到着初日にいきなり夜行列車に飛び乗り辿り着いた古都ブハラ。
ブハラでの滞在はたった1日だけだったが、朝6時から夕方まで町中をくまなく歩き、イスラム建築の残る古きオアシスの町を堪能した。 -
そして翌朝5/4 ブハラのホテルHotel Khurjin(クルジン)での朝。
朝7時に女主人が朝食を用意してくれた。
大きなパンに牛乳粥、サラダと沢山の種類の自家製ジャム、それにポットにタップリと入った紅茶。
1泊朝食付きで35米ドル/2人。
熱いホットシャワーも出るし、ホテル クルジンは私達には十分すぎる宿だった。
でも、朝の7時の起きがけの時間からこんなにたくさんの朝ごはん食べられないでしょ?
そんなことは全然心配しなくて大丈夫。
私たちは朝5時に起きて、朝日が昇るとすぐにまだ微睡むブハラの町を散歩してきたのでお腹はペコペコ。
食べる準備は十分に整っていた。 -
この日の朝5:30.
私たちが最初に向かったのはブハラの中の下町エリア。
私が調べた情報では、この辺りに昔ながらのユダヤ人地区があり、その建築物が今も現役で使われているとのこと。
古いユダヤ人街があるのは、リャビハウズの北側500mの住宅地の中だ。 -
ユダヤ人街に関する詳細情報は持っていなかったので、とりあえず北側と言う情報だけを頼りに町の中を歩く。
このエリアは観光地区ではなくごく普通の民家が並ぶ道なのだが、時折、古くから使われている木の扉などが出現して、面白い。 -
で、結論から言うと、30分を歩いてユダヤ人街の建造物は見つけることが出来なかった。
下町の道は曲がりくねっていて、まっすぐ歩いているつもりでも結局は半円を描いた道を歩いていて、大きい通りに出たと思ったら、そこは歩き出しの位置に近い場所だったり、それっぽい地区の雰囲気になってきたと思ったら、行き止まりばかりの道にぶち当たってしまったりで、自分がどの辺りに居るのかすら怪しい状態になってしまい、本当の迷子になる前にユダヤ人街の捜索は諦めることにした。
基本的にガイドブックのマップは下町の中に入ってしまったら全く当てにはならないし、方向感覚は野生の感を頼るしかなかった。
ユダヤ建築は見つけられなかったが、迷い込んだ道では一般的な民家の建築様式を見ることができ、この写真の不思議なハニカム構造のドームもその一つ。
明かり取りの窓なのだろうか。 -
気をとりなして、今度は異なる道へ。
こちらの道は昨日だけでも4回は通った道で、もう何処に何があるかしっかりと把握しているので、道に迷う心配はない。
正面に見えるドームは、昔の宝石商の市場であるタキ・ザルガランだ。ブハラ歴史地区 旧市街・古い町並み
-
朝6時。
私たちが到着したのは、昨日も訪れたカラーンモスクで、たこ焼き器みたいな小さな丸屋根が印象的なモスクだ。
日中の時間帯は入場料が必要なのだが、実は朝は入場料徴収の係員がいないので、お金を払いたくても払う事はできない。
現役の礼拝施設であるカラーンモスクは、礼拝の時間は門は開けてあるので、礼拝に使っていない時間帯ならば早朝から見学は可能だ。
昨日、カラーンモスクへとやって来たのは日中の日の高い時間だったので、建物全体が白っぽく見えてしまってちょっと残念だったので、朝の柔らかな太陽光が射す時間でリベンジという訳だ。
予想通り、朝の光は優しくモスクを照らしだしていた。カラーン モスク 寺院・教会
-
イチオシ
太陽高度が少し変わると、見えてくるモスク内部の色合いが少しずつ変わり、まさにマジックアワーの時間帯。
-
カラーンモスクの特徴的な玉ねぎドームも、朝の光では抑えめの色合いだ。
-
正面のファザードも朝の方がイスラムに独特の模様がくっきりと見える。
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日中の太陽ではコントラストが強すぎてはっきりとは見えなかった、壁装飾も綺麗に見えていた。
カラーンモスクの内部を見たい場合は有料の日中の時間ではなく、無料の早朝の時間帯の方がお勧めかもしれない。 -
太陽高度が上り、カラーンミナレットが美しく浮かび上がった所で1枚パチリ。
カラーンミナレットはブハラの顔であるとともに黒歴史でもある塔。
その昔のカナーンミナレットの役割は処刑塔。
高さ46mの塔の上から罪人を突き落したそうだ。
空は宇宙の青を思い起こさせる青。
この空の色が予期させることは、この日も暑くなるということ。
5月とは云え、ウズベキスタンの太陽は強烈。
早朝は半袖では肌寒く長袖のジャケットが必要だったが、日中はとても炎天下を長時間歩けないほどの気温となる。カラーン ミナレット 寺院・教会
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通りを歩いていると昨日は観光客や露店が多すぎて見えていなかった町本来の様子が見えてきた。
こんな素敵な街灯があったのだね。タキ (タキ ザルガラン、タキ サラファン、タキ テルパクフルシャン) 市場
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ミル・アラブ・メドレセ(神学校)も朝は入ることができ、中を少しだけ見学。
ミル アラブ メドレセ 史跡・遺跡
-
朝から沢山歩いたのでお腹も空いたので、宿へと戻ることに。
写真は途中で見つけたナン屋さん。
朝の焼きたてナンを売っていた。 -
そして、帰り道は初めて通る裏通りを通って宿へと向かう。
その途中で見かけた壁から棒が付きだすこの光景。
この突き出した棒の正体は、一体何?と思って眺めていたのだが、どうやら雨どいのようなモノらしい。
棒はU字型をしていて水分が溝の中を通り、外に向かって流れ出るように設計されていた。 -
イチオシ
そんな朝の散歩のお蔭で母と私は朝7時の朝食の時間には、おなかペコペコ。
ふわふわのパンであるブハラ・ナンもペロリと平らげてしまった。 -
古都ブハラでの女子多風な時間は朝までで、朝食後からの私たちの旅はワイルド系へシフト。
ワイルド旅へのカボチャの馬車ならぬ専用車が私たちを迎えに来てくれたのは朝8時40分。
馬車にはクーラーがついていた。
車でクーラー付とはウズベキスタンでは高級な部類に入るが、この時期のウズベキスタンを子供や年配の方と旅する時、特に長距離移動時にはクーラー車は必需品。
5月は春だが日中の外気温は40℃近くまで上がり、熱中症の危険度が高い。
この2日間は大雑把にいえば、ブハラ→砂漠(宿泊)→サマルカンドの移動旅なのだが、ただの移動ではなく、歴史ある都を堪能するだけではないウズベキスタンを味わう旅を在ウズベキスタンの旅行会社であるADVAN TOURに依頼をしておいた。
車は、しばらくは街路樹が美しく並ぶ道路を走る。 -
ブハラを出発して1時間ほどで車が止まったのは、ブハラとサマルカンドを結ぶ道を走っているとき。
道路脇には何か建物っぽいところが見えているが、こんなところへ寄るなんてツアー内容としては聞いてはいなかった。
今回、手配会社へとお願いした1泊2日ツアーはTour to Aydarkul Lake(アイダクル湖)で、ウズベキスタンの大自然であるKyzylkum desert(キジムクル砂漠)の真ん中にあるアイダクル湖で1泊をするものなのだが、ホームページにあるツアー説明が至って簡素で、私たちにとってはミステリーツアーみたいなもの。 -
ホームページの内容を訳すと↓こんな感じ。
1日目:アイダクル湖への道中に古代人の足跡へと立ち寄り、その後、ヌラタにあるアレクサンダー大王の砦からの景色や奇跡の泉をお楽しみください。
宿泊は遊牧民の伝統的な住居のユルタとなります。
2日目:遊牧民の生活を心行くまで愉しんだら、ブハラかサマルカンドのご指定のホテルへとお送りします。
料金はお二人様で310米ドル。
旅程の日程は行先のみを列挙したかなりアバウトな説明だったのだが、古代人やらアレクサンダー、奇跡の泉…等々、今までウズベキスタンのガイドブックでは目にしてこなかった単語がズラリと並んでいて、面白そうな内容であることは間違いなし。
同行する母も冒険大好きなので、こういうアドベンチャー要素のある旅には興味深々。
母も私も即座に、Tour to Aydarkul Lakeへの参加を決めた。
写真は1泊2日の移動経路で、1日目はブハラ→Raboti Malik→岩絵→ヌラタ→アイダクル湖、2日目はアイダクル湖→サマルカンドと移動した。 -
ということで、2枚前の場所が最初の観光ポイントのRaboti Malik(ラバティ・マリク)なのだが、ドライバーのオジサン曰く「ラバティ・マリクはシルクロードの古い遺跡で、昔はキャラバンサライだったところだ」と言う話。
キャラバンサライとはシルクロード沿いのオアシスに点在する隊商宿の事で、つまり私たちが今走ってきた道路はかつてシルクロードと呼ばれた道で、この地には水が枯れることなくこんこんと湧き出るオアシスがあったという事らしい。
早速、オアシスへと向かう。 -
オアシスはSardoba(サルドバ)と呼ばれる煉瓦の建物の中にあり、泉の底からは今でも水が湧き出ていてその水の温度は夏はヒンヤリと冷たく、冬は暖かく感じたそうだ。
サルドバとは現地の古語で水の貯水槽を指し、旅人の為のオアシスであるとともに、遊牧民の為の水場でもあったとのこと。
サルドバがこの地に作られたのが10世紀で、19世紀まで現役で使われてきたそうだ。
そして、今も水は絶えることなく湧いているので、この泉は1000年もの長き間に渡り、この地に恵みの水をもたらしてる。 -
サルドバの脇にはかつての隊商宿;キャラバンサライの建物跡がある。
当時の建物は、もともとが日干し煉瓦で作られているのでもろかったのだろう。
今では石で作られた柱の下石部分は残っているが、建物だった部分は崩れていた。
ラバティ・マリクの遺跡の中からは、宿泊施設以外にも礼拝所跡や墓地跡も見つかっていて、この辺りでもかなり大きなキャラバンサライだったみたいだ。 -
ラバティ・マリクを出発してしばらく経過した10時半に、休憩タイムでガソリンスタンドに立ち寄った。
私たちの旅ではこの2日間で約500kmを走るので、給油ポイントは非常に大事。
この先の道にはまともなガソリンスタンドは無く、ココが最後の給油場所となるとのこと。
ドライバーさんは車を降りて屈伸運動をして体をリラックス。
そこで、私たちもトイレ休憩と思い、ガソリンスタンドのトイレへと向かったのだが…。 -
トイレの扉を開けて目の前の光景に驚き、思わずそのまま扉を閉めてしまった。
四角形の小さな空間の中には便座も便器も何もなく、あるのはコンクリートの床と床に空いた穴だけ。
Simple is the BEST♪の世界が広がっていた。
でも良く考えてみれば乾燥したこの地では、このトイレは理に適っている。
第一、全然アンモニア臭もしないし、おしっこ臭くもない。
なので、もう一度、トイレの扉を開けて、再トライ。
無事に体の中の水分量を減らすことが出来た。 -
ガソリンスタンドを出てしばらくすると、もう街路樹も何もない一本道。
目の前に見えるのは道路と、乾いた大地だけだ。 -
そして11時半頃、小さな岩山の前でドライバーさんは車を停めて「ここがPetrograph」と教えてくれた。
早速、登ってみる。 -
Petrographとは本来の意味は洞窟壁画なのだが、ココでの意味は岩絵を指す。
今から4000~7000年もの昔、紀元前5000~2000年頃に中央アジアで暮らしていた古代人(石器時代・縄文時代あたりかな)の人達が岩に彫った絵だ。
母は以前に一緒に訪れたワディラム砂漠(ヨルダン)でも岩絵を見てはいたが、ウズベキスタンの岩絵の方が年代が古く、こんな歴史的価値のあるものを見られたことに大興奮。
この岩絵に描かれているのは首の長い動物。
私には人が乗っているフタコブ駱駝の様に見えた。 -
コチラは角が後ろに反り返った動物たちの姿。
狩りの様子なのだろうか。 -
岩絵のある岩の丘はそれなりの高さがあり、登るための道も無く、どちらかと言うと岩をよじ登る感じで、普通は73歳のおばあちゃんはココまで登ってこないだろう。
しかし、母は恐怖心よりも好奇心が勝るタイプで、私の後に続いてヒョイヒョイと岩山を登ってきた。 -
岩の上はこんな感じで、ただゴツゴツとした岩があるだけで「ここに岩絵あります」なんて丁寧な説明看板などは一切ない。
だから、足で稼いで岩絵を探す。 -
母と私は岩の上で二手に分かれて岩絵探し。
面白そうな岩絵を見つけると大声で「見つけたよ~」と叫んで相手を呼んだ。 -
私が見つけたココの岩絵のポイントは、手前と後ろに二個の岩絵があり、左手前は牛のような動物が描かれていて、よく見るとそのお腹は膨らんでいるので仔を宿している牛なのかもしれない。
右上の岩絵は背中が膨らんだ四足動物。
一体、現在の動物だと何に当たるのだろうか。 -
イチオシ
この岩絵は最初の方で見つけた長い角の動物と同じ種類なのだが、よく見ると動物の向いている方向が一方向ではなく、右を向いている獣、左を向いている獣と様々だ。
私の勝手な想像だが、この岩絵から私が考え付いたのは放牧の様子。
動物がみな同じ方向を向いている時は多分、逃げている動物を追う自分(岩絵を掘った人物)の姿を現していて、こんな風に動物たちが好き勝手な方向を向いているのは石器時代の人達が放牧のような技を見いだし、草原で遊牧民のような暮らしを始めた様子を表しているのかな…なんて思えた。
そんな風に思い始めると、角のある動物が山羊の様にも見えてくる。 -
この岩絵は年代は分からないが、馬の様に首の長い動物も描かれているので、時代が少し後なのかも。
手前の動物はもしかして手長猿?
だけど、手長猿ってこの地域に居たのか?
こんな風に母と一緒に時代背景を考えながら岩絵探しをしていたら、ドライバーさんがあまりに岩の上から降りてこない私たちを心配して、岩の上まで迎えにやってきた。
私たちが岩の上に居たのは30分程度だが、ドライバーさんが迎えに来なかったら私たちは更に倍の時間は遊んでいたと思う。 -
古代の岩絵を堪能した後は、Nurota(ヌラタ)方向へと進路を変える。
-
この辺りの道も周囲には何もない場所なのだが、時として道路に渋滞が発生する。
-
渋滞を起こしているのは、放牧されている山羊や羊たち。
こんな風に車をとり囲まれてしまったらもう出来ることは何もなく、彼らが通り過ぎてくれるのを待つしかない。 -
ウズベキスタンの小さな町であるNurota(ヌラタ)。
この町の名を一躍有名にしているのが、今回の旅行記の冒頭で紹介した神に憧れた漢:イスカンダルことアレクサンダー大王だ。
アレクサンダー大王はカブール(アフガニスタン)を攻め落とした後に中央アジアへと進行し、ウズベキスタンのヌラタの丘に砦を作った。
それは、今から2000年以上も昔の話なのだが、驚くことに現在でもアレクサンダーが残した砦の一部が丘の上に残っている。
世界史にはあまり詳しくない母だったが、アレクサンダー大王の名前くらいは一応知っていて、その彼が立った場所へ行ってみたいと御所望だったので、そのヌラタの丘へも立ち寄ることに。
勿論、私自身がアレクサンダー大王に興味があったしね。 -
アレクサンダー大王の砦があるのはヌラタに聳える丘の上なのだが、現在その丘の裾野部分にあるのはイスラムのモスクで、モスクのあるエリアは聖地として崇められている。
-
モスクには、多くの巡礼者が詣でていた。
-
モスクの脇には、アレクサンダーの時代から水が枯れたことのないと言われる聖なる泉;Chashmaがあり、その水の透明度は抜群。
-
お参りに来ているムスリムの方たちは、この泉の水をペットボトルに詰めてお持ち帰りしていた。
この聖水は腐ることがないとか…。
腐らないという事を決して否定はしないが、魚などの有機体が棲む水が腐らないということはあり得るのだろうか。 -
母と私は丘の麓にあるモスクはとりあえず通り過ぎて、丘の中腹からアレクサンダー大王の砦への道を登り始める。
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道と言ってもサラサラと流れる砂の道を登るので、歩いやすい道ではない。
-
時刻は12時半。
お日様の陽射しが一番強烈な時間帯だ。
空気が乾燥しているのでそれほど汗は出ないが、外気温は40℃に届くかというような暑さ。
そんな空気の中を母は一歩一歩登っていた。 -
2300年以上前にインドを目指したアレクサンダー大王が立ち寄り作ったヌラタの砦。
アレクサンダーはこの地で何を見たのか。
ココへと訪れる人達はきっとみんながそんなことを考えるのだろう。 -
多くの人が砦のある丘の上に立ち、その眼下に広がる広大な大地へと目を向けている。
2300年前のこの辺りはゾグディアナと呼ばれ、ゾグディアナ人が土地を支配していた。
ゾグディアナ人の城は高い丘の上にあり難攻不落の城とも呼ばれていたのだが、その城を攻め落としたのがアレクサンダー大王だ。
一説によるとアレクサンダー大王は翼のある神兵を招聘し、空から奇襲攻撃を仕掛けたともいわれている。
史実にあるゾグディアナの城が何処にあったのかは現代になっても明らかになっておらず、歴史の中に埋もれている。
ここヌラタの丘の砦跡に立ちその眼下の光景を眺めると、もしかしてこの辺りが神兵の降り立った砦だったのかもしれない…なんて思えてくる。
否、背中の翼を大きく広げ、この砦に降り立ったのは神へと化身したアレキサンダー大王その人だったのかも…。
そんな風にも感じてしまった。 -
アレクサンダー大王の遠征記録にはヌラタの砦についての記載は見つけることはできない。
もっとも、現存するアレクサンダー大王の東方遠征の記録自体が王が生きていた当時に記された書物ではなく、王の没後100年~1000年後に伝聞として書かれた書物が殆どで、王のカリスマ性を増すために尾ひれが何本も付いてしまっているため信憑性には欠ける部分があり、その記録が全てではない。
記録に綴られていない行間の物語…そんなものがここヌラタの砦であったのかもしれない。 -
先に砦の上へと辿り着いた私がそんな感慨にふけっていた頃、ゆっくりと丘を登ってきた母も頂上へと到達。
さっそく、アレクサンダー大王ゆかりの地で記念撮影となった。 -
アレクサンダー大王の砦は日干し煉瓦で作られているので、その大部分がボロボロに崩れているが、現存している部分にはまだ煉瓦の形が見てとれる。
そして、その煉瓦の隙間には何故か布が押しこまれている…。
何故に布なのか…と不思議に思っていたら、脇に居た現地の観光客の方が布を隙間に押し込んでいるのを目撃し、思わずその方に声をかけてしまった。
「何故、布を入れるのですか?」と。
幸い、声をかけた方が英語を話す方だったので説明してくれたのだが、この場所自体がHoly Place(聖なる地)で、自分の身に着けている衣類の一部をこのように捧げることで祈りになるとのこと。
願掛けのようなモノなのかもしれない。
(因みに車のドライバーさんは観光ガイドとしては動いてはくれない。あくまでも車の運転が彼の仕事で、私たちが観光している時間は休憩時間の様だった) -
アレクサンダー大王の砦からの戻る道の途中にはちょっとしたアトラクションのような仕掛けがある。
それが、この岩。
崩れかけた砂岩の様に見えるのだが…。 -
実は、この岩のようなモノも砦遺跡の一部で、現在は胎内くぐりの遊びが出来るようになっている。
どうやらこの岩くぐりも願掛けの一部らしく、ムスリムの方は神の言葉を唱えながら歩いていた。 -
イチオシ
好奇心旺盛な母も私も胎内くぐりに挑戦。
傾いた煉瓦がいつ崩れてきてもおかしくはない様に見えるが、結構頑丈で、そんなに簡単には壊れそうには無かった。 -
それよりも内部の空間が予想以上に入り組んでいて、お腹を引っ込めて通過したり、カニ歩きをしなければならない壁の狭さのところもあった。
現地のふくよかなおばさま方もチャレンジしていたのだが、けっこう大変だったのではないかと思う。 -
イスラムのモスクとアレクサンダー大王の砦への道の間には露店があり、お祈りグッズやお土産などを売っていたのだが、全然商売っ気が無くて通り抜ける私たちが吃驚するほど。
きっと国民性が世知辛くないのだね。 -
モスクを見ながらアレクサンダー大王の砦に往復するのに要した時間は約1時間。
沢山歩いてお腹が空いたので、次はランチタイム。
ランチはドライバーさんがヌラタの郊外のお勧めのレストランを予約してくれ、そこで食べることに。 -
ウズベキスタンのお米の郷土料理;プロフと中央アジア風餃子のマンティを注文したのだが、これ以外につきだしのサラダやスープがついてきてとても食べきれない量だった。
こんなに食べたのに、料金は二人で8万スム(約1300円位)。
ドライバーさんはいいレストランを紹介してくれた。 -
食後はお待ちかねの砂漠エリアへの突入。
この辺りの砂漠の名はKyzylkum desert(キジルクム砂漠)で、赤いサラサラの砂が広がるアフリカの砂漠とは少し異なる土獏、礫獏とも分類される砂漠だ。
砂は乾いてはいない分、砂漠には草が生え、5月のこの時期は野生種の芥子の花があちこちで花開いていた。 -
イチオシ
園芸種の芥子とは違い、背丈の低い野生の芥子。
その花の色は殆どが深紅で、他の色はあまり見かけなかった。
茶色い砂漠の中に広がる赤い芥子。
荒涼とした砂漠をイメージしてこの地へとやって来たので、まさかこのような素敵な風景が出迎えてくれるとは想定外の歓びだ。 -
そして、ヌラタの町から1時間。
芥子の花咲く砂漠をドライブして辿り着いたのは遊牧民のテント;ユルタがあるアイダクル湖の畔。
今晩の宿は、此処、遊牧民のユルタで一晩を過ごす。
この日はこの後、アイダクル湖へと行き、夕方にはラクダに乗り…とお楽しみはマダマダ続いたのだが、そのお話はまた、次の旅行記で。
前の旅行記:古のオアシスが微睡む夢
http://4travel.jp/travelogue/11247059
続きの旅行記:砂漠のユルタでキャンプ
https://4travel.jp/travelogue/11346596
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この旅行記へのコメント (4)
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- らびたんさん 2018/03/20 23:29:17
- アレクサンダー大王
- ウエンディさん、こんばんは^^
えっアレクサンダー大王ってこんな北のほうまで来てたの・・・と世界史資料集を開いてみました。
すると、【アレキサンダー大王東方遠征の図】ウズベキスタンは地図の外。
いやあ壮大なロマンですねこれは!
ウエンディさんやお母さまと同じように岩絵を見たんでしょうか。
ラクダならぬ馬に乗ってこのあたりを走っていたり、
ユルタのような立派なテントでキャンプ張ったりしたでしょうね。
ガイドブックに載っていない旅、大好きです^^
らびたん
- ウェンディさん からの返信 2018/03/21 00:25:26
- RE: アレクサンダー大王
- らびたんさん こんばんは。
7か月ぶりにウズベク旅行記を更新しました。
今回の旅行記を綴るにあたり、私もアレクサンダーの東方遠征について少しだけ復習し、様々な本を読んでみました。
書物の中身には眉唾な事をさも真実らしく書いている怪しげなモノも有りましたが、その中でもいくつかは、これって実はもしかして本当のことを言い当てているのではないのかな…と思う話もありました。
アレクサンダー大王が東方遠征をした理由は、一般的には暗殺で亡くなった父王の遺志を継ぐ…というのが理由とされていますよね。(この父王の暗殺ですが、実は暗殺にはアレクサンダー大王の母、つまり父王の奥方も1枚噛んでいる、もっと言えばアレクサンダー大王自身が手を回したという説もあるようで、かなり複雑ですが)
しかし、父親思いのアレクサンダー大王が父の遺志を継いだ…という理由も実は兵士を鼓舞するための建前に過ぎず、神になることに傾倒していたアレクサンダー大王の真の目的は、東方にあると言われる伝説の不老不死の泉を探しだし、不死の体となる(つまり、神と同じ体を持つ)ことだとする説も有ります。
アレクサンダー大王の時代はキリストがこの世に現れるまで1000年の時があり、ギリシア神話の神々の存在が身近に感じられた時代。
そんなお話があったとしても、不思議ではないですよね。
旅行記はこの後、アイダクル湖編、そしてサマルカンドへと繋がります。
また、眺めに来てくださいね。
ウェンディ
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- tabinakanotaekoさん 2018/03/20 17:18:08
- ステキ!!!
- いいなあ、母と娘さんでこんなところに行ってこられたのですね。素敵だなあ。ヨダレが出ちゃう。私もこういうところへ行きたいな と夢が膨らみました。まだ最後まで読んでいません。ゆっくりゆっくり味わいながら拝見していきます。
英語事情はどうでしょうか。
tabinakanotaeko
- ウェンディさん からの返信 2018/03/20 23:56:37
- RE: ステキ!!!
- tabinakanotaekoさん こんばんは。
私の旅ブログを一番楽しみにしてくれているのは母で、今回も前回のウズベキスタンの旅行記から7カ月ぶりの更新で、かなり彼女を待たせてしまいました。
ウズベキスタンではブハラやサマルカンドなどのオアシスの都を巡るのも楽しみでしたが、ミステリーツアー的な何が起こるか分からないアイダクル湖への1泊2日の旅もワクワクしていました。
車が走り出して1時間で立ち寄ったキャラバンサライの遺跡。
運転手さんに聞いても、此処は昔の隊商宿だと説明してくれるくらいだったので、よその団体ツアーの背後から説明をこっそりと聞いて、遺跡の内容を理解しました。
キャラバンサライも、その後に訪れた岩絵やアレクサンダー大王の砦も、次回の旅行記に登場するアイダクル湖もガイドブックには記載はないですが、連れていて行ってもらって良かった場所。
情報がないところへ行くのはドキドキしてしまいますが、情報がないゆえに全ての事象がそのままの形で素直に飛び込んでくるので、楽しかったです。
ウズベキスタンの英語事情は若い方ならばかなり通じますが、年配の方とお話ししたいのならばロシア語が必須となります。
私は、ロシア語はスパシーバ位しか知りませんが、お話はできなくても簡単な意思疎通ならばボディランゲッジで十分にコミュニケーションが取れました。
言葉はできなくても当たって砕けろ〜で大丈夫。
ウズベキスタンの方は、皆さん優しいですよ。
ウェンディ
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