2019/11/02 - 2019/11/02
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上野で開催されている特別展:ミイラに開催初日にひとりで行ってきました。
家族からは、【ミイラ】展に一人で行くなんて、よっぽどミイラが好きなのだね・・・と冷やかな視線を感じましたが、興味のあるモノは変えられません。
興味を持ってしまったら、その興味は尽きないものなのです。
《表紙写真:和のステンドグラス
特別展ミイラが開催中の国立科学博物館 日本館吹き抜けホールにて》
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
PR
-
私が特別展 ミイラへと出かけたのは開催初日の11/2。
ソレも開場前に並んだ・・・ということは、私のミイラに対する情熱がどれほどのものか分かっていただけると思う。
しっかりと前売り券もネットで買って(前売り1500円)、準備万端。
家族は私のことを鼻で笑ったけれど、初日の開場前に並んでいたのは私だけではない。
少なくとも100人くらいはあの場にいたのではないかな。国立科学博物館 美術館・博物館
-
今回開催された特別展ミイラの特徴は、なんと言っても世界各地域を代表するミイラたちが43体も一挙に東京に集められたこと。
過去にもミイラをターゲットとした展覧会は、エジプト展やアンデス文明展など地域を限ったエキシュビションとしては類似のものが何度も開催されているが、今回のように世界中からいろんなタイプのミイラを集めた展覧会はかなり珍しくて貴重だ。
その上さらに凄いのが、来日したミイラの内、許可を得られたミイラについては、病院の協力の下、CTスキャンなどの医療機器を用い、目で観察するだけでは分からない場所やミイラの皮膚の下の内側がどうなっているのか、脳が残っているのか?内臓は残っているのか?などを、ミイラの外側から体に傷をつけずに科学的・医学的に観察・研究したという点。
今回の医学的な調査により、今まで見落とされていた部分が数多く発見されている。
(写真:人間の脳の輪切り) -
イチオシ
特別展は写真・動画撮影は一切禁止なので、今回の旅行記の写真には展示物の写真はなく、当日に展覧会場で配布されたリーフレットに紹介のある写真と私個人の写真を併用してのイメージ画像となるが、展覧会を通して私が感動した永遠の命;太古の昔から権力者たちが手に入れたいと渇望した死後の命について書いてみたいと思う。
(写真:エジプトのミイラ/東京国立博物館) -
今回のミイラ展は4つの章(ブース)に分かれて展示されてるのだが、ブースは時代の古い順に並んでいるわけではなく、地域ごとに区切られている。
だから、1~4の何処のブースから見ても、展示内容が混乱することはない。
私が入場したときには1番目のブースが大混雑だったので、あえて先に進んでガラ空きの3番ブースから見学し始め、1巡目は3→2→1→4、2巡目は1→2→3→4の順番で展示物を見た。
最初に訪れた第3ブースはヨーロッパのミイラの展示。
ヨーロッパのミイラといわれてもあまりピンとこなかったのだが、展示されていたミイラ達(たった3体しかなかったが)は私の概念を覆すモノだった。
ミイラと言えば、エジプトの包帯グルグル巻きやインカ帝国の置物式ミイラしか頭の中になかったのだが、今回、ヨーロッパのミイラはソレには当てはまらないものだった。
まず欧州ミイラの1つ目は、アンナの装飾頭蓋骨。
写真の頭蓋骨は今から200年ほど前のオーストリア女性。
頭蓋骨の持ち主である彼女が亡くなったときに、ご家族が白骨化した頭蓋骨に彩色し、頭の右に彼女の名前であるAnnaと記し、さらにかわいらしく薔薇の花柄で装飾し、教会に納骨したモノがミイラとして残されている。
頭蓋骨に装飾を施すとは日本人的には思いつかない気がするが、髑髏が教会装飾モチーフとして一般的であった欧州ではあまり抵抗がなかったことのようだ。
(写真:展覧会のリーフレットより) -
そして、欧州からは骨なし・皮だけミイラというモノが見つかっているという事実に驚いた。
骨がないミイラって一体、何?
皮だけのミイラって、どういうモノなのか?
実物を自分の目で見るまで、骨なし・皮だけミイラが想像できなかったのだが、見て納得。
なめし革のようなミイラだった。
彼ら二人の男性が発見されたのは、オランダの湿原。
推定で紀元前40~50年頃に死亡した男性ということだ。
体の中の骨は溶け、皮膚だけが残った状態の極めて稀なミイラなのだが、どうしてこのような事が彼らの身に起きてしまったのか。
その理由は、彼らが沈んでいた沼に関係があった。
(写真:展覧会のリーフレットより) -
通常、動物が死んでその生命活動が停止すると、ハエなどの昆虫や微生物がその体に宿り、ゆっくりと餌として皮膚などのタンパク質を消化し、最終的にはすべての生物の構成物は他の生き物のエサとなり、無くなってしまうことが多い。
しかし、死亡した場所や死亡後に閉じ込められた場所が酸素のない場所だった場合、そのような経過を辿らないケースもある。
オランダのブールダング湿原で発見された2体のミイラ男性(名前はウェーリンゲ メン)は、沼の泥の中、つまり酸素のない場所で発見されている。
生息環境に酸素がなければ、昆虫や一般的なバクテリアは生きる事はできない。
稀に嫌気性を好むバクテリアもいるが、そういう奴らは大抵100℃近い高温下を好み、冷たい沼は好まない。
昆虫やバクテリアのいない沼の中に閉じ込められた遺体は温度が低く保たれていれば、腐ることも虫にたかられることもなく、そのままの姿を維持し続けることができる。
しかし、ウェーリンゲ メンのミイラはヒトの完全体ではなく、なぜか骨だけがその体からなくなり、抜け殻のような皮膚だけが残されていた。
何故に、ウェーリンゲ メンから全身の骨が失われたのか?
100年前だったら宇宙人の遺体にされていたかもしれないこのお二人だが、骨がなくなったのには理由がある。
彼らから骨を抜き去ったのは、沼の泥の仕業。
コーラで歯が溶けるという話を聞いたことがあると思うが、あれはほんとの話。
ただ、コーラだけではなく炭酸飲料であれば、すべて人間の歯を溶かすくらいの力は持っている。
歯=骨と考えるとわかりやすいのだが、実はウェーリンゲメンの骨なし・皮だけミイラが発見された沼の泥の液性度がちょうど人間の骨を溶かすのにちょうど良いpHだったのだ。
炭酸温泉、アルカリ性温泉があるように地中から湧き出る地下水の水質は地域により異なるので、酸性の沼で死体の骨だけが溶けるというのは十分にあり得る話だ。
ところで、欧州で見つかっているの皮だけミイラはどんな方だったのか。
その生前の様子だが、現在分かっているのは、死亡時に足首や手首を縄のようなモノで縛られ、泥に沈められたらしいと言うこと。
神への生け贄か、もしくは罪人として殺されたことは確かなようだ。
沼という観点から考えると、神に対する供物なのかもしれない。
(写真:五色沼/福島県) -
欧州のミイラとして最後の紹介は、アイスマン。
アイスマンはまだ研究中の部分が多いためにそのミイラ本体は来日しておらずに、ストーリーのみの展示だったが、十分に興味深かった。
アイスマンは世界最古の冷凍ミイラで、1991年にアルプスの氷河の中から体の一部が発見された。
発見当時は遭難者遺体かと思われていたのだが、氷の中から全身をとりだしてみると、なんと5000年前(日本は縄文時代)の人類の冷凍遺体であることが分かったそうだ。
(写真:Juklavass Glacier/ノルウェー) -
通常、ミイラと言えば腐敗防止の観点から内臓などを取り出しておなかの中は空っぽか、残っていたとしても水分が失われ、元がどのような状態なのかを知るのは不可能なことが多い。
しかし、アイスマンは水分たっぷりの完全冷凍体なので、皮膚表面は乾燥していたものの体内は死亡時直後の状態が5000年間維持され、胃の中にはアイスマンが最後に食事をした内容物までしっかりと残っていた。
また、靴の付着物などからアイスマンが何処で生活し、どのようなルートでアルプスの山の中へ入ったのかという彼の生前行動までが現代科学では読み取る事ができているそうだ。
(写真:Nigards Glacier/ノルウェー) -
アイスマンの発見は奇跡的な世紀の大発見なのだが、皮肉にもこの発見に一番貢献しているのは地球温暖化現象による氷河の融解だ。
世界中の氷河が毎年進む世界的な平均気温の上昇に伴って溶けていて、5000年前に氷の上で死亡したアイスマンの遺体までを地上にさらすことになったというのが今回の発見の真相だ。
今後、温暖化がさらに進めば、他のアイスマンやアイスウーマンなどが見つかるかもしれないが、温暖化の進行と考えると嬉しい事ではないかもしれない。
アイスマンに関して展覧会情報ではないが、“アイスマンの呪い”という話が巷には存在するので、そのさわりを紹介だけ。
アイスマンの発見に携わった7人の人々が、自然死ではない事故死で死亡しているという話なのだが、ツタンカーメンの呪い同様にミイラにはこうした話がついて回るようだ。
(写真:Nigards Glacier/ノルウェー) -
ミイラ展第2ブースはアフリカ;エジプトのミイラ。
王家の谷からはツタンカーメン王のミイラ(レプリカ)がやってきていた。
(写真:ハトシェプスト女王の葬祭殿/ルクソール(エジプト))
-
エジプトのミイラに関してはエジプトでもかなり見ているし、関連の展覧会にも何度も足を運んでいるので、ミイラの作り方だってよく知っている。
今展覧会での目新しい情報は少なかったかな。
(写真:ワニのミイラ/大英博物館) -
今回のエジプト・ブースで興味を引いたのは、ミイラを包む包帯の麻布についての展示で、麻布はただの白い布ではなく、王族に巻く布ともなると布に“死者の書”の内容を事細かに記したモノを使ったそうだ。
ミイラの雰囲気的には、体中にお経を書きこみ平家の亡霊からその身を守ろうとした“耳なし芳一”みたいな雰囲気かな。
(写真:ネコのミイラ(バステト神)/大英博物館) -
麻布包帯に描かれた“死者の書”とは死後の魂に対する道案内書で、死んだ魂がバーとして(エジプトの死者の魂はバーと呼ばれる翼を持つ魂となり、肉体を離脱する)死の神であるオシリスの元へ行く時に、魂を待ち受ける出来事が書かれている。
つまり、死亡後にミイラ処理を施された方の魂は、この包帯を片端から読んでいけば、悪霊に食べられてしまうこともなく、無事に死後の楽園へとたどり着けるって訳だ。
死者の書が描かれた包帯は、私にはエジプト版の双六に見えた。
(写真:アブシンベル大神殿/エジプト) -
イチオシ
エジプト・ブースでの個人的な収穫は、エジプトのミイラの時代をはっきりと認識できた事だろうか。
写真は今回の展覧会のモノではなく大英博物館所有の女性のミイラだが、ツタンカーメンなどのミイラと比べて、顔つきや服装が普通っぽいのが分かるだろうか。
私は今までエジプトのミイラはツタンカーメン的なのが王様級で、この写真のような普通っぽい顔立ちのミイラは貴族階級なのかと思っていたのだが、今回の展覧会で、私の勘違いが発覚。
顔つきが普通っぽいミイラは、ツタンカーメンの頃とは時代が全然異なり、二つの時代には1400年ほどの時代のずれがある。
ツタンカーメンの頃は亡くなった方ご本人の顔つきがどうであれ、棺に顔を描くときにはとにかく男前、美女として描かねばならぬ主義だったそうだが、同じエジプトでもクレオパトラよりも後の時代(ローマ帝国の影響を強く受ける頃)になると、死者の顔の表現もよりリアルに近く、でも美しく・・・という方向性に変わったそうだ。
今回のミイラ展ではグレコ・ローマン時代の子供のミイラが出品されていて、そのお棺の顔は子供らしい面影を残していた。
しかし、お棺に描かれたその体は胸が膨らんだ成人女性をイメージしたモノで、亡くなった子供が死後の世界で大人になることを親が祈っていたことを偲ばれる様子だった。
(写真:エジプトのミイラ/大英博物館) -
ミイラ展の第1ブースは南北アメリカのミイラ。
ブース名が南北アメリカといいつつも、実際の出品のそのほとんどのミイラが南米のペルーやチリからの出土品。
いっそ、ブース名は南アメリカでも良かったのではないかと思うが、余計なお世話か。
南米のミイラの特徴は、あえて遺体をミイラ化しようとしたわけではなく、意図せずに遺体が自然にミイラになっちゃった系のミイラが多いことだ。
一方で、意図して遺体をミイラ化する文化も南米には存在した。
アンデスの山中に栄えたインカ文明がその一つだ。
インカ文明では、家族が死亡するとその遺体をミイラ化し、家の飾り棚に飾り、死者と共の空間で生活をしていた。
しかしインカ文明の場合はピサロ率いる侵略者にすべてを燃やされてしまい、更にインカの人たちはキリスト教徒への改宗を強制されたために、クスコ周辺のインカ文明のミイラは、現代にはほとんど残されてはいない。
(写真:マチュピチュ遺跡/ペルー) -
南米のミイラが自然発生したのは、その気候に由来する。
南米の天然ミイラのそのほとんどがチリやペルー産で、海に近い比較的乾燥した天気が1年中続く場所で多く見つかっている。
天然ミイラと同じような地域で栄えた文明と言えばナスカ文明で、地上絵が有名だ。
ナスカ文明は8世紀頃に衰退したので、ナスカの地上絵はどんなに少なく見積もっても1200年以上の間、そのままの形を保ち続けている。
1200年もの間、地上に描かれた絵(実際には石絵)が壊れずに残っている・・・これは日本のような四季のある温帯気候ではあり得ない事象で、乾燥気候地帯であるナスカ地帯だからこそ見られる現象だ。
そして、その乾燥気候は地上絵だけではなく、埋葬された遺体にもナチュラルな乾燥処理を施し、天然ミイラを作り上げた。
(写真:ナスカの地上絵/ペルー) -
今回のミイラ展での南米ミイラの代表選手は、インカ文明チャチャポヤス(Chachapoyas)地方のミイラ。
チャチャポヤス地方はインカ文明の一部ではあったが、王都だったクスコからは遠く離れた北部(直線距離で1000kmほどの距離がある)に位置していた為に、侵略者のピサロによる略奪や破壊を免れたエリアだ。
チャチャポヤスとは現地の言葉で“雲上”を示し、その村があったのは熱帯雨林エリアで、ナスカのように乾燥・砂漠地方ではない。
チャチャポヤスはミイラが自然発生するには無理な気候なのだが、村の共同墓地が風通しの良い崖の中腹に作られていたために、幸運にも約500年前のミイラが長い年月を経てもそのままの姿で残されている。
チャチャポヤスのミイラの特徴は布。
遺体は幾重にも布をまかれ、最後に模様の描かれた布で全身を覆い、そのまま村の共同墓地に葬られる。
ミイラを包む布の模様にも様々な種類があり、写真の布は低地のアマゾン地帯の文明由来のデザインだと言うことで、インカ文明の時代、デザインを含めた様々な文化・食料がインカ道を通り交流していたことがうかがえる。
(写真:展覧会のリーフレットより) -
チャチャポヤスのミイラは、布の中に膝を折る形で眠っている。
-
この女性の出展名は「顔出しミイラ」
盗掘者の手で、外側の布が外された状態で見つかったそうだ。 -
このミイラ女性が手にするのは、木綿の糸玉。
布を織るのが上手な女性だったのか、それとも糸玉には魔除け的な意味があるのか・・・
文字を持たなかったインカ文明なので、そのあたりはさすがに現代医学のCTスキャンを駆使しても分からなかったらしい。
南米からは何処で発掘されたかは正確には分かっていないミイラ(ドイツのライス・エンベルホルン博物館所蔵)も出展されていて、このミイラからはCTスキャン解析で面白い事実が判明している。
「下肢部を交差させた女性のミイラ」と名付けられたミイラはCTスキャンで分析することで、その握った左右の掌の内部に乳歯を持っていることが分かったそうだ。
もちろんスキャン画像だけではソレが乳歯だとは判明せずに、CTスキャンの画像を元に3Dプリンターを用いて解析したところ、プリンターが作り上げたモノが人の乳歯だったらしい。
乳歯にどんな意味があるのかはまだ分かっていないそうだが、南米の文化の一端が紐解かれたということなのだろう。 -
ちょっと本筋とは離れてしまうが、今回の特別展《ミイラ》にも毎度お馴染みの海洋堂のオリジナル・ガチャがあった。
-
海洋堂のガチャと言えばクオリティの高さに定評があり、私も結構な頻度で展覧会ごとに購入し、娘へのお土産としている(娘もこんなモノを喜び、勉強机の隅に飾ってくれるから、私に似ている部分はあるのだろう)。
今回の旅行記で南米の女性「顔出しミイラ」写真として紹介したミイラが、私が500円で入手したガチャの景品フィギュアで、この展覧会以外では入手不可能な貴重なデザインだ。 -
海洋堂のガチャ景品フィギュアは、全部で4種類。
エジプト:カノプス壺
エジプト:ネコのミイラ
欧州:Annaの頭蓋骨
南米:顔出しミイラ
どれも癖の強いデザインのフィギュアだが、エジプトの2品は現地でお土産として売っていそうだし、Annaの頭蓋骨もどこかにありそうなデザイン、でも、チャチャポヤスのミイラはきっとこの展覧会以外では商品化されることはまずないに違いない。 -
ミイラ展最後の第4ブースは、東アジア&オセアニアから。
オセアニアでのミイラあまり有名ではないが、パプアニューギニアにはミイラを燻製にして防腐処置を施す文化を持つ部族;アンガ族がいて、彼らは現在でもミイラを作り続けている。
私自身もオセアニアのミイラについて知ったのは、数年前と比較的最近のこと。
雑誌;ナショナルジオグラフィックの記事で、アンガ族の取材を行った写真家さんを追った記事を読み、その時に、アンガ族はミイラとなって死後の世界もこの世に永遠の命を持つ事を知った。
ミイラ化による永遠の命という考え方は、アンガ族もエジプトも同じなのだが、二つの文化の間に異なる部分があるのが興味深かった。
アンガ族は“魂は日中は自由に空を飛び回り夜は肉体に戻る”と考え、エジプト人は“魂は夜に自由に飛び回り日中は肉体に戻る”と考える。
同じ人間なのに、考えることが真逆。
地域の差なのか何なのか・・・。
今回のミイラ展では、宗教的な思想も含めて各国のミイラについて考察し展示してほしかったが、それでは、情報量が多すぎか。
(写真:展覧会のリーフレットより 肖像頭蓋骨
よく見てみて!
その眼球、眉毛、口には貝殻が埋め込まれ、装飾されている) -
そしてアジアブースからは日本のミイラも出展していた。
(写真が何故に柿なのかは、意味がある写真なので気にしないで読み進めてほしい)
日本のミイラと言えば即身仏が有名だが、今回の展覧会で私が一番感動したのは、即身仏ではなく、江戸時代の本草学者さんのミイラ。
本草学とは、江戸時代以前に行われていた漢方などの原料となる薬草の研究のことを指すのだが、広い意味で本草学とは「不老不死」=永遠の命への探求でもある学問だ。
江戸時代に実在した、一人の本草学者さん。
彼は密かにミイラの研究をしていて、自分の自然死を利用して高温多湿な日本でもミイラが作れるかどうかを試すという壮大な実験をやったそうだ。
学者さんは、死の前にお弟子さんに「死後、しばらくしたら墓を掘り起こしてほしい」と依頼してこの世から旅立った。
普通ならばそんな気持ち悪いこと誰がするか・・・と思うが、学者さんのお弟子さんは真面目なのだろう。弟子は師匠の伝言を守り、数年後に師匠の墓を開いたそうだ。
すると、師匠はお棺に入れたそのときの姿のまま、乾燥したミイラとなっていた。
通常、日本の気候ではミイラ化は起こらず、遺体は腐ってしまうはずなのに、師匠はミイラとなることができた。
長い間、どうして本草学者は自身をミイラ化できたのか謎だったのだが、今回の展覧会の為に行われたCTスキャンでその理由が明らかなったそうだ。
スキャンした結果、ミイラ化した本草学者の体の中に映し出されたのは、とある植物の種。
本草学者は、死の直前にある植物の種を大量に飲み込んでいたことが医学的検査の結果、判明した。 -
本草学者が、自分の死の直前に飲み込んだのは、「柿の種」(亀田製菓の柿の種ではなく、果物)。
彼は柿の防腐作用に目をつけ、死体の中に柿の種が大量に入っていれば人間の死体も腐らないのではないかと考え、老衰死するであろう自分の死に際に柿の種を大量に飲み込み、見事、ミイラ化実験は大成功した・・・ということだった。
柿に含まれる防腐作用のある物質とは、タンニン。
江戸時代にはタンニンという物質はまだ明確には分かっていなかったが、干し柿の腐りにくさを考えると、彼が柿の種を飲み込むという手段に出たのも納得できるかな。
日本の学者さん、なかなかやるな~。
江戸時代からは数百年が過ぎてしまったが、「やっとミイラ化の秘密が分かってもらえたか」と本草学者が空の上でニヤニヤと笑っている様子が目に浮かぶようだ。
そんなマッド・サイエンティスト的なの本草学者さんのミイラも、展覧会では展示してあった。 -
江戸の鎖国時代、ミイラは和名で木乃伊と記し、ミイラを削った粉末は不老長寿の薬として人魚の肉と並んで金よりも高値で取引が行われたという。
また、かつてはミイラの体内には伝説の賢者の石がある・・・と言われたこともあるそうだが、残念ながら今回の調査で賢者の石がCTスキャンで見つかったとの調査報告はまだ出ていない。(もしかして、柿の種が賢者の石だったりして!?)
確かに死後にミイラと成ればその身体は半永久的にこの世に存在し、ある意味、不老不死なのかもしれないが、ミイラとなり、その体を後世の人間に覗かれている彼らのその心中や如何に・・・?
永遠の命は、大昔より存在するヒト族の究極のテーマなのかもしれない。
(写真:お江戸の町並み/江戸東京博物館) -
イチオシ
旅行記の最後は、ちょっと心を落ち着かせるために博物館内の美しい和建築を眺めながら、今回の「ミイラ展」のマニアックではない一般情報を。
(写真:国立科学博物館 日本館のステンドグラス) -
【撮影】
展覧会場内は写真・動画撮影は禁止
国立科学博物館のポリシーで、ミイラご自身の肖像権の問題らしい
会場内にフォト・スポットは2カ所あり、そこだけカメラを使える
1カ所はファラオの顔に自分の顔を嵌めて遊ぶ写真(QRコードでスマホに取り込み可能)
2カ所目はファラオのお棺に入って写真撮影
(写真:国立科学博物館 日本館のステンドグラス) -
【対象年齢】
個人的な感覚だが、この特別展ミイラは、小さなお子さんは一緒に行っても理解できないと思う。
子供は感性で理解する・・・とかの話も聞くが、本展覧会は感性のみでの理解は難しい。
会場内の説明ボードは漢字が多く、漢字が読めない子供には解説が必要。
また、ミイラが永遠の命を持つ遺体であると同時に歴史の語り部であることを理解できない年代の子供には、今回の特別展の展示内容はつまらなく、飽きてしまうか、死の象徴であるミイラを怖がってしまい、一緒に来た大人はゆっくりと展示を噛みしめることは難しい(会場内で、そのような子供の姿を見かけた)
子供と一緒に行くことを考えている場合は、漢字の理解度や子供の性格、そして興味の有無を考慮するほうがベター。
(写真:国立科学博物館 日本館の吹抜けホールを1階から見上げる) -
イチオシ
【混雑状況】
初日の朝一はぎゅうぎゅうの混雑ではなかったが、それなりに混雑していた。
会場内は4つのブースに分かれているので、朝一で入場の場合は、最初は1,2番はスルーして3番目か4番目から見始めて、その後に1,2へと戻る方が空いている状態でゆっくりと楽しめる。
見学時間は入場してから、たっぷり1時間以上とっておけば、大丈夫。
会場内を2周じっくりと見て、所要時間は約2時間。
(写真:国立科学博物館 日本館の吹抜けホールを3階から見上げる)
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- 柿の種でミイラができる
- こんばんは、ウェンディさん
古代・ミイラ・エジプト・砂漠はなんとも心をくすぐりますね。
ミイラ展をやっていたからでしょうか、最近、私もYahoo!ニュースでミイラのことを読んでいました。
1つは、アイスマン。
研究が進んでいるようですね。
2000~3000mの山を登って降りて、どこで何を食べたとか。
アイスマンは逃げていて。。最後に矢で射抜かれて死んでしまった。
もう1つは、日本の話だったかなあ。
ミイラ研究者が弟子に「死後○○後に墓を暴いてくれ」と
弟子が掘り返してみると、死体は腐らずミイラになっていたという話。
その理由が、柿の種。
柿の種に防腐効果(タンニン)があることを知って
死ぬ前に柿の種をたくさん食べていたそうです。
死ぬ前は弱っていただろうに、どんだけ食べたんですかね。
実は長沙(湖南省)にもミイラがいます。
2000年程前の【利苍夫人のミイラ】というもので、ふっくら肉が残っているミイラです。
発掘場所【马王堆汉墓坑】は、まだしも、ふっくらミイラにはエジプト・砂漠などから感じる魅惑さは全く感じません。(^_^;)
彼女も柿の種を食べたのでしょうか。。。
スイカ
- ウェンディさん からの返信 2019/11/05 20:43:24
- Re: 柿の種でミイラができる
- スイカさん こんばんは。
国立科学博物館で開催中の特別展“ミイラ”。
世界中から地域特有のミイラを集めるという今まではない企画にワクワクしながら行ってきました。
私もここ最近のネットのサイエンス記事でアイスマンのことは読んでいましたが、本草学者さんの記事には出会えていなく、彼とは展覧会場で初対面。
そして、CTスキャンで体の中から見つかった魔法の物質のことを知り、この人は根っからの科学者なのだなぁ~と感心しました。
渋柿に含まれるモノを腐らせない性質に目をとめ、さらに柿の実ではなく種に目をつけた本草学者さんのマッドサイエンテストっぷりにホレボレです。
もし、本草学者のおじいさんが柿の種ではなく、口当たりも良く美味しい柿の実を食べていたならば、この実験は失敗したでしょう。
消化の悪い種だからこそ、体の中で腐ることもなく、防腐物質であるタンニンを種が放出し続けたのでしょうね。
中国のミイラ美女【利苍夫人のミイラ】のことはミイラ展の会場にも案内がありました。
スイカさんの旅行記をもう一度拝見しましたが、写真禁止だったのですね。
ミイラにお肉が残るだなんて、よほど乾燥条件が良かったのでしょう。
彼女が柿の種を食べたかどうかですが、2000年前ということを考えると、柿はあったかどうか。
2000年前の中国だと、水銀やヒ素などの毒物を秘薬として摂取していた時代もあるので、もしかすると利苍夫人も日常的に毒物を摂取していて、そのおかげで腐りにくい体になったのかもしれないですね(素人の推測ですが)
永遠の命を求める為に毒物をあえて飲んだり、ミイラとなることをも厭わないヒトという種族。
業が深いですね。
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