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かつて中南米には、他の世界の影響を受けない類稀な独自の文明が発達していた。<br /><br />インカ文明、アステカ文明、マヤ文明…。<br />文字を持たない文明、独特の象形文字を持つ文明、様々な個性的な文明がそこには存在していた。<br />しかし、それらの文明は今から500年位前に突如としてこの世から姿を消した。<br />いったい彼らに何が起きたのか。<br /><br />その謎に繋がる紐の一つが、コルドバのアルカサルにあった。<br /><br /><br />【西暦1486年5月/コルドバのアルカサルにて】<br />コロンは孤独だった。<br />誰もコロンの話を信じてくれなかった。<br />でも、ただ一人、信じてくれたヒトがいた。<br /><br />コロンが語る物語。<br />“西回り航路で海を渡れば、黄金の国ジパングへ辿り着く…”<br />それは、当時の人々にしてみれば、笑い話にもならない馬鹿げた話。<br />しかし、彼女はコロンの話に耳を傾け、渋る夫を説き伏せ、コロンのために船と航海の資金を準備した。<br /><br />彼女とは、カトリック両王の一人であるイザベル一世。<br />そして、コロンとはアメリカ大陸を発見したコロンブス。<br />彼等は、コルドバのアルカサルで初めて出会い、お互いに惹かれあうものを感じていた。<br />それは、同じ年に生まれ、同じ時代を生きてきた彼らの同士感だったのか。<br />それとも、魂の共感だったのか。<br /><br />二人の出会いは、今から600年も昔の話。<br />どの様な邂逅が二人の間にあったのか、その真実は今となっては誰にも分からない。<br /><br />☆★☆★☆旅程 2015/7/10?2015/7/19☆★☆★☆<br />□7/10 成田発 夜 - EK便-<br />□7/11 ドバイ着 - 乗換4時間(EK便) - マドリード着 昼,  コルドバ迄レンフェ移動, コルドバ観光<br />■7/12 コルドバ観光 グラナダ迄バス移動,  グラナダ観光<br />□7/13 グラナダ観光<br />□7/14 グラナダ観光,  ロンダ迄バス&amp;レンフェ移動,  ロンダ観光<br />□7/15 ロンダ観光,  白い村迄バス移動,  白い村(サアラ・デ・ラ・シエラ)観光<br />□7/16 白い村(サアラ・デ・ラ・シエラ)観光,  ロンダ迄バス移動, マドリード迄レンフェ移動<br />□7/17 マドリードからセゴビアへレンフェで日帰り旅<br />□7/18 マドリード街歩き,  マドリード発 午後 - EK便-<br />□7/19 ドバイ着 - 乗換2時間(EK便) - 成田着 夜<br /><br />☆★☆★☆初・初・初の女子二人旅 旅行記☆★☆★☆<br />【1】灼熱のフライパンを歩く/旅の始まりは42℃の洗礼:<br />http://4travel.jp/travelogue/11034201<br />【2】メスキータとアルカサル/コロンブスの発見は何をもたらしたのか?<br />http://4travel.jp/travelogue/11037016<br />【3】真夏が見せた蜃気楼/礼拝堂で見たものは…?:<br />http://4travel.jp/travelogue/11046902<br />【4】時に浮かぶ幻想宮殿 Alhambra :<br />http://4travel.jp/travelogue/11062297<br />【5】魔法の門が崩れる瞬/グラナダの熱い夜:<br />http://4travel.jp/travelogue/11069115<br />【6】チュロスとホットチョコで始まるグラナダの朝:<br />http://4travel.jp/travelogue/11076609<br />【7】≪特命指令≫ シロキ マチ ヲ コウリャク セヨ: <br />http://4travel.jp/travelogue/11079496<br />【8】行ってみたい白い村 Zahara de la Sierra<br />http://4travel.jp/travelogue/11102653<br />【9】孤高の砦へダンジョン探検<br />http://4travel.jp/travelogue/11203550<br />【10】ガイドブックにはないセゴビア<br />http://4travel.jp/travelogue/11253212<br />【11】怒りと抗議の魂≪ゲルニカ≫<br />http://4travel.jp/travelogue/11254478

双面のメスキータ;キメラ神殿を歩き、アルカサルの邂逅を解く~新世界の始まりが、別世界の終焉だとしたら~【女子二人旅-2 (コルドバ)】

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2015/07/10 - 2015/07/19

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旅行記グループ ミステリーを解く

13

51

ウェンディ

ウェンディさん

かつて中南米には、他の世界の影響を受けない類稀な独自の文明が発達していた。

インカ文明、アステカ文明、マヤ文明…。
文字を持たない文明、独特の象形文字を持つ文明、様々な個性的な文明がそこには存在していた。
しかし、それらの文明は今から500年位前に突如としてこの世から姿を消した。
いったい彼らに何が起きたのか。

その謎に繋がる紐の一つが、コルドバのアルカサルにあった。


【西暦1486年5月/コルドバのアルカサルにて】
コロンは孤独だった。
誰もコロンの話を信じてくれなかった。
でも、ただ一人、信じてくれたヒトがいた。

コロンが語る物語。
“西回り航路で海を渡れば、黄金の国ジパングへ辿り着く…”
それは、当時の人々にしてみれば、笑い話にもならない馬鹿げた話。
しかし、彼女はコロンの話に耳を傾け、渋る夫を説き伏せ、コロンのために船と航海の資金を準備した。

彼女とは、カトリック両王の一人であるイザベル一世。
そして、コロンとはアメリカ大陸を発見したコロンブス。
彼等は、コルドバのアルカサルで初めて出会い、お互いに惹かれあうものを感じていた。
それは、同じ年に生まれ、同じ時代を生きてきた彼らの同士感だったのか。
それとも、魂の共感だったのか。

二人の出会いは、今から600年も昔の話。
どの様な邂逅が二人の間にあったのか、その真実は今となっては誰にも分からない。

☆★☆★☆旅程 2015/7/10?2015/7/19☆★☆★☆
□7/10 成田発 夜 - EK便-
□7/11 ドバイ着 - 乗換4時間(EK便) - マドリード着 昼, コルドバ迄レンフェ移動, コルドバ観光
■7/12 コルドバ観光 グラナダ迄バス移動, グラナダ観光
□7/13 グラナダ観光
□7/14 グラナダ観光, ロンダ迄バス&レンフェ移動, ロンダ観光
□7/15 ロンダ観光, 白い村迄バス移動, 白い村(サアラ・デ・ラ・シエラ)観光
□7/16 白い村(サアラ・デ・ラ・シエラ)観光, ロンダ迄バス移動, マドリード迄レンフェ移動
□7/17 マドリードからセゴビアへレンフェで日帰り旅
□7/18 マドリード街歩き, マドリード発 午後 - EK便-
□7/19 ドバイ着 - 乗換2時間(EK便) - 成田着 夜

☆★☆★☆初・初・初の女子二人旅 旅行記☆★☆★☆
【1】灼熱のフライパンを歩く/旅の始まりは42℃の洗礼:
http://4travel.jp/travelogue/11034201
【2】メスキータとアルカサル/コロンブスの発見は何をもたらしたのか?
http://4travel.jp/travelogue/11037016
【3】真夏が見せた蜃気楼/礼拝堂で見たものは…?:
http://4travel.jp/travelogue/11046902
【4】時に浮かぶ幻想宮殿 Alhambra :
http://4travel.jp/travelogue/11062297
【5】魔法の門が崩れる瞬/グラナダの熱い夜:
http://4travel.jp/travelogue/11069115
【6】チュロスとホットチョコで始まるグラナダの朝:
http://4travel.jp/travelogue/11076609
【7】≪特命指令≫ シロキ マチ ヲ コウリャク セヨ: 
http://4travel.jp/travelogue/11079496
【8】行ってみたい白い村 Zahara de la Sierra
http://4travel.jp/travelogue/11102653
【9】孤高の砦へダンジョン探検
http://4travel.jp/travelogue/11203550
【10】ガイドブックにはないセゴビア
http://4travel.jp/travelogue/11253212
【11】怒りと抗議の魂≪ゲルニカ≫
http://4travel.jp/travelogue/11254478

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2015年7月12日、スペイン2日目の朝。<br />コルドバの小鳥のさえずりが目覚まし代わりだ。<br /><br />夏のスペインは夏時間を採用しているので、朝陽が昇るのは朝の6時過ぎ。<br />ホテルの部屋の窓から、藍色の空がゆっくりと白み、暁色が現れそして青空へと変わっていく光景を眺める。<br /><br />今回の夏旅は、海外旅行が初めての友人と一緒の旅。<br />通常の私の旅ならば、朝は街の散歩がてら街角カフェで朝食を…となるのだが、今回は別。<br />初海外で体が緊張している状態のまま三食とも慣れない脂質の高い食事を続ければ、胃の調子が悪くなるのは目に見えている。<br />だから、日本からアルファ米のご飯とレトルトの味噌汁を持参して旅の間の朝食とした。<br />また、欧州のホテルには湯沸かし器は部屋には置いていないことが多いので、旅行用の小さなポットも持参した。<br /><br />アルファ米のパッケージは嵩張るのが玉に傷だが、胃の調子を整える…という意味で、今回の和食持参案は大成功。<br />連日の暑さで日中は食欲も失われがちだったが、朝の味噌汁の香りは、嗅覚を刺激し食欲を呼び起こす役割をしてくれた。<br /><br />日中の気温が42℃にもなるアンダルシア地方。<br />きちんと食べていないと、活動中に倒れてしまう危険性もある。

    2015年7月12日、スペイン2日目の朝。
    コルドバの小鳥のさえずりが目覚まし代わりだ。

    夏のスペインは夏時間を採用しているので、朝陽が昇るのは朝の6時過ぎ。
    ホテルの部屋の窓から、藍色の空がゆっくりと白み、暁色が現れそして青空へと変わっていく光景を眺める。

    今回の夏旅は、海外旅行が初めての友人と一緒の旅。
    通常の私の旅ならば、朝は街の散歩がてら街角カフェで朝食を…となるのだが、今回は別。
    初海外で体が緊張している状態のまま三食とも慣れない脂質の高い食事を続ければ、胃の調子が悪くなるのは目に見えている。
    だから、日本からアルファ米のご飯とレトルトの味噌汁を持参して旅の間の朝食とした。
    また、欧州のホテルには湯沸かし器は部屋には置いていないことが多いので、旅行用の小さなポットも持参した。

    アルファ米のパッケージは嵩張るのが玉に傷だが、胃の調子を整える…という意味で、今回の和食持参案は大成功。
    連日の暑さで日中は食欲も失われがちだったが、朝の味噌汁の香りは、嗅覚を刺激し食欲を呼び起こす役割をしてくれた。

    日中の気温が42℃にもなるアンダルシア地方。
    きちんと食べていないと、活動中に倒れてしまう危険性もある。

    Hotel Mezquita ホテル

  • 朝8時。<br />行動開始の時間だ。<br />この日は、午後にグラナダまで移動するので、ホテルのチェックアウトはギリギリの12時を予定していた。<br />だから、部屋はそのままにしてコルドバの観光に出発する。<br /><br />普通の旅ならば、観光地を歩くならばお日様が出ている昼間の時間帯がベストと考えるのが当然だろう。<br />しかし、夏のアンダルシア地方に限っては、この考え方は通用しにくい。<br /><br />その理由は、夏のアンダルシア地方特有の灼熱の暑さ。<br />日中の12時〜17時位は1日の中でも気温が最も高くなる時間帯で、この時間全てを街歩き等の屋外で観光に使うのは、体にとってはかなり負荷となり厳しい。<br />厳しいどころか、日中を休憩なしに街歩きをしていたならば多分、熱中症を引き起こすだろう。<br /><br />だから、今回の友人との旅の計画では、観光は涼しさの残る午前中に絞り込み、一番気温が高くなる時間帯は冷房の効いた快適空間(移動車内)で過ごせる移動時間に充て、空気が少し涼しくなる夕方以降に、目的地での街歩きをすることにしていた。<br /><br />夏のアンダルシア地方の日没時間は21時過ぎ。<br />午後の3時間を移動に費やしても、目的地で街歩きを楽しむ時間は十分にある。

    朝8時。
    行動開始の時間だ。
    この日は、午後にグラナダまで移動するので、ホテルのチェックアウトはギリギリの12時を予定していた。
    だから、部屋はそのままにしてコルドバの観光に出発する。

    普通の旅ならば、観光地を歩くならばお日様が出ている昼間の時間帯がベストと考えるのが当然だろう。
    しかし、夏のアンダルシア地方に限っては、この考え方は通用しにくい。

    その理由は、夏のアンダルシア地方特有の灼熱の暑さ。
    日中の12時〜17時位は1日の中でも気温が最も高くなる時間帯で、この時間全てを街歩き等の屋外で観光に使うのは、体にとってはかなり負荷となり厳しい。
    厳しいどころか、日中を休憩なしに街歩きをしていたならば多分、熱中症を引き起こすだろう。

    だから、今回の友人との旅の計画では、観光は涼しさの残る午前中に絞り込み、一番気温が高くなる時間帯は冷房の効いた快適空間(移動車内)で過ごせる移動時間に充て、空気が少し涼しくなる夕方以降に、目的地での街歩きをすることにしていた。

    夏のアンダルシア地方の日没時間は21時過ぎ。
    午後の3時間を移動に費やしても、目的地で街歩きを楽しむ時間は十分にある。

  • 友人と二人、昨晩歩いたローマ橋へと向かう。<br /><br />橋の向こうにはメスキータの姿が見え、橋の中央部にはコルドバをペストの魔の手から救った聖ラファエルの像がある。<br />彫像の前では、おじいさんが燭台の蝋燭に一つ一つ丁寧に火を灯していた。<br /><br />そんな様子を眺めていたら、おじいさんに声をかけられた。<br />「コルドバは初めてかい? 暑いけれど夏のコルドバは最高の場所さ」と。<br /><br />おじいさんの言葉は優しく、まだ微妙に緊張を感じさせる友人の肩からも余計な力が抜けていく。<br />

    友人と二人、昨晩歩いたローマ橋へと向かう。

    橋の向こうにはメスキータの姿が見え、橋の中央部にはコルドバをペストの魔の手から救った聖ラファエルの像がある。
    彫像の前では、おじいさんが燭台の蝋燭に一つ一つ丁寧に火を灯していた。

    そんな様子を眺めていたら、おじいさんに声をかけられた。
    「コルドバは初めてかい? 暑いけれど夏のコルドバは最高の場所さ」と。

    おじいさんの言葉は優しく、まだ微妙に緊張を感じさせる友人の肩からも余計な力が抜けていく。

  • ローマ橋が架かるギアダルキビル川。<br /><br />この川の中州部分には、古い石造りの建物があった。<br />近くには行けなかったが、積まれた石の切り口やその痛み方からすると、かなり昔に作られた建築物、多分、遺跡なのだろう。<br />

    ローマ橋が架かるギアダルキビル川。

    この川の中州部分には、古い石造りの建物があった。
    近くには行けなかったが、積まれた石の切り口やその痛み方からすると、かなり昔に作られた建築物、多分、遺跡なのだろう。

    ローマ橋 建造物

  • 朝8時半。<br />メスキータの開門と共に、入場する。<br /><br />メスキータの中庭はオレンジの中庭と呼ばれ、オレンジの木々が植えられ緑豊かな場所だ。<br />その昔、中庭の中央には小さな泉があり、メスキータがイスラムの宗教施設であるモスクとして活躍していた頃は、信者たちはこの泉で手足を清め、モスクへと入っていった。<br />

    朝8時半。
    メスキータの開門と共に、入場する。

    メスキータの中庭はオレンジの中庭と呼ばれ、オレンジの木々が植えられ緑豊かな場所だ。
    その昔、中庭の中央には小さな泉があり、メスキータがイスラムの宗教施設であるモスクとして活躍していた頃は、信者たちはこの泉で手足を清め、モスクへと入っていった。

  • 中庭のオレンジの木々の根元を眺めると、縦のラインで溝が彫られている。<br /><br />コレは多分、高低差を利用した灌漑用水だろう。<br />土地の高い部分から水を流し始めれば、全てのオレンジの木々に平等に水が流れるように溝は掘られている。<br />雨の少ない夏のコルドバ。<br />水の節約は、ずっと昔から大きな課題だったようだ。

    中庭のオレンジの木々の根元を眺めると、縦のラインで溝が彫られている。

    コレは多分、高低差を利用した灌漑用水だろう。
    土地の高い部分から水を流し始めれば、全てのオレンジの木々に平等に水が流れるように溝は掘られている。
    雨の少ない夏のコルドバ。
    水の節約は、ずっと昔から大きな課題だったようだ。

  • 入場券(8ユーロ)を買い、メスキータへと入る。<br /><br />メスキータに入ると、透かし彫りの格子の窓がまず目に入る。<br />アラベスク模様の格子を通過した明るい朝の陽光が、メスキータの中へ差し込んでいた。<br />

    入場券(8ユーロ)を買い、メスキータへと入る。

    メスキータに入ると、透かし彫りの格子の窓がまず目に入る。
    アラベスク模様の格子を通過した明るい朝の陽光が、メスキータの中へ差し込んでいた。

  • そして、その光はメスキータの中をも照らし出す。<br />朝の柔らかな光が差し込むメスキータの中。<br />その光景は、今まで旅行記の写真等で見ていたメスキータの暗い室内の印象とは異なる、意外なほど明るく感じられる場所だった。<br />しかし、視線をメスキータのその先に移すと、外の光が差し込み明るく浮かび上がる部分はそれほど多くはなく、メスキータのほとんどは仄暗い空間であることが分かった。<br /><br />光があまり射しこまない暗い空間の中に蝋燭の灯で浮かび上がる数百ものメスキータの柱の影。<br />メスキータの暗がりに広がる神秘的な光景だった。<br />その光景を眺めていて、これぞ見たかったメスキータの姿だ!と最初は思ったのだが、しばらくして私の中に小さな疑問点が浮かび上がってきた。<br />

    イチオシ

    そして、その光はメスキータの中をも照らし出す。
    朝の柔らかな光が差し込むメスキータの中。
    その光景は、今まで旅行記の写真等で見ていたメスキータの暗い室内の印象とは異なる、意外なほど明るく感じられる場所だった。
    しかし、視線をメスキータのその先に移すと、外の光が差し込み明るく浮かび上がる部分はそれほど多くはなく、メスキータのほとんどは仄暗い空間であることが分かった。

    光があまり射しこまない暗い空間の中に蝋燭の灯で浮かび上がる数百ものメスキータの柱の影。
    メスキータの暗がりに広がる神秘的な光景だった。
    その光景を眺めていて、これぞ見たかったメスキータの姿だ!と最初は思ったのだが、しばらくして私の中に小さな疑問点が浮かび上がってきた。

  • その疑問点とは、メスキータ内の明るさ。<br />私は今年5月にトルコのイスタンブールを訪れイスラムのモスクをいくつか見学してきたのだが、トルコのモスクには窓が多く多用され、その窓に嵌められたステンドグラス越しの陽光がモスク内に射しこみ、モスク内部を美しくそして荘厳に彩っていた。<br /><br />でも、此処メスキータでは太陽光を殆ど利用していない。<br />イスラム教の宗教施設という同じ目的で建てられたトルコとスペインのこれらの建築物は、時代が違うとはいえ、その色彩感覚に異なる部分が大きすぎる。<br /><br />地域性の問題なのか、他になにか理由があるのだろうか…。<br /><br />その理由は、メスキータが歩んできた歴史を紐解くことで明らかになった。<br />

    イチオシ

    その疑問点とは、メスキータ内の明るさ。
    私は今年5月にトルコのイスタンブールを訪れイスラムのモスクをいくつか見学してきたのだが、トルコのモスクには窓が多く多用され、その窓に嵌められたステンドグラス越しの陽光がモスク内に射しこみ、モスク内部を美しくそして荘厳に彩っていた。

    でも、此処メスキータでは太陽光を殆ど利用していない。
    イスラム教の宗教施設という同じ目的で建てられたトルコとスペインのこれらの建築物は、時代が違うとはいえ、その色彩感覚に異なる部分が大きすぎる。

    地域性の問題なのか、他になにか理由があるのだろうか…。

    その理由は、メスキータが歩んできた歴史を紐解くことで明らかになった。

  • 8世紀の初頭のイベリア半島。<br />そこはキリスト教の支配下にある豊かな土地だった。<br /><br />しかし、肥沃な土地に目をつけていたのはキリスト教徒だけではなく、地中海の対岸にいたイスラム教徒も同じ。<br />イスラム教徒たちはアフリカ大陸からイベリア半島へと渡り、瞬く間にその全土を制圧した。<br />そしてコルドバを首都に定め、その力を象徴するためのモニュメントとしてイスラム教の宗教施設であるモスク【メスキータ】の建築に着手した。<br />メスキータの完成に費やされた年月は約200年。<br />何世代ものイスラムの王の手により、メスキータは拡張されていった。<br /><br />当時のメスキータには美しいアラベスク装飾を施した門がいくつもあり、1日5回の礼拝の時間にはその門が大きく開け放たれ、その門から差し込むアンダルシアの陽光は、規則正しく並ぶ千本もの大理石の柱に陰影を与え、赤と白の天井アーチを光の中に浮かび上がらせた。<br />幾何学的でもあるその神秘的な光景は、礼拝する信者たちを無我の境地へと導いていたのだろう。<br />

    8世紀の初頭のイベリア半島。
    そこはキリスト教の支配下にある豊かな土地だった。

    しかし、肥沃な土地に目をつけていたのはキリスト教徒だけではなく、地中海の対岸にいたイスラム教徒も同じ。
    イスラム教徒たちはアフリカ大陸からイベリア半島へと渡り、瞬く間にその全土を制圧した。
    そしてコルドバを首都に定め、その力を象徴するためのモニュメントとしてイスラム教の宗教施設であるモスク【メスキータ】の建築に着手した。
    メスキータの完成に費やされた年月は約200年。
    何世代ものイスラムの王の手により、メスキータは拡張されていった。

    当時のメスキータには美しいアラベスク装飾を施した門がいくつもあり、1日5回の礼拝の時間にはその門が大きく開け放たれ、その門から差し込むアンダルシアの陽光は、規則正しく並ぶ千本もの大理石の柱に陰影を与え、赤と白の天井アーチを光の中に浮かび上がらせた。
    幾何学的でもあるその神秘的な光景は、礼拝する信者たちを無我の境地へと導いていたのだろう。

    メスキータ 寺院・教会

    数式に紛れ込んだ紅の薔薇 by ウェンディさん
  • しかし11世紀に始まったキリスト教徒によるレコンキスタ(コルドバ奪還)により、モスクとして使われてきたメスキータの内部(一部分)は、カトリックの教会の施設へと改造された。<br />キリスト教徒は、メスキータ内に光をもたらしていた門の多くを漆喰で塗り固め、光と柱が作り出す幻想的な空間を、仄暗い闇が支配する祈りの空間へと変えていった。<br /><br />それが、現在あるコルドバのメスキータの姿の始まりだ。<br />イスラム教のモスク様式の建物としての顔、そしてキリスト教の教会・礼拝堂としての顔。<br />メスキータは全く異なる双貌を備えた宗教施設となったのだ。

    しかし11世紀に始まったキリスト教徒によるレコンキスタ(コルドバ奪還)により、モスクとして使われてきたメスキータの内部(一部分)は、カトリックの教会の施設へと改造された。
    キリスト教徒は、メスキータ内に光をもたらしていた門の多くを漆喰で塗り固め、光と柱が作り出す幻想的な空間を、仄暗い闇が支配する祈りの空間へと変えていった。

    それが、現在あるコルドバのメスキータの姿の始まりだ。
    イスラム教のモスク様式の建物としての顔、そしてキリスト教の教会・礼拝堂としての顔。
    メスキータは全く異なる双貌を備えた宗教施設となったのだ。

  • そんな複雑な歴史を持つメスキータの中を歩く。<br />初めは何処も同じに見えていたメスキータの天井のアーチだが、よく観察をすると煉瓦の色や組み方が場所により異なり、古いアーチ部分は歴史を感じさせる褪せた色合いの煉瓦だった。(手抜きな部分;煉瓦ではなく彩色で赤と白の模様を描いているアーチも後期の改修部分に一部あった)<br /><br />メスキータの天井を彩る二重構造の半円形のアーチ。<br />この二重構造はデザインが美しいから採用された…と言う訳だけではないそうだ。<br /><br />イスラムのメスキータの特徴の一つには天井の高さがある。<br />しかし、大理石の柱だけで高い天井を維持しようとすると建物への負荷が大きすぎる。<br />そこで、ローマ時代の水道橋;セゴビアの水道橋の二重アーチの耐久構造からアイディアを得て、メスキータの二重アーチ構造が考え出されたそうだ。<br />更に、強度と耐久性をだすために軽量化もはかられ、全てが石ではなく、軽い赤い煉瓦と石を交互に積み上げアーチを組むというコルドバのメスキータに特徴的なアーチの組み方が考案された…ということだ。

    そんな複雑な歴史を持つメスキータの中を歩く。
    初めは何処も同じに見えていたメスキータの天井のアーチだが、よく観察をすると煉瓦の色や組み方が場所により異なり、古いアーチ部分は歴史を感じさせる褪せた色合いの煉瓦だった。(手抜きな部分;煉瓦ではなく彩色で赤と白の模様を描いているアーチも後期の改修部分に一部あった)

    メスキータの天井を彩る二重構造の半円形のアーチ。
    この二重構造はデザインが美しいから採用された…と言う訳だけではないそうだ。

    イスラムのメスキータの特徴の一つには天井の高さがある。
    しかし、大理石の柱だけで高い天井を維持しようとすると建物への負荷が大きすぎる。
    そこで、ローマ時代の水道橋;セゴビアの水道橋の二重アーチの耐久構造からアイディアを得て、メスキータの二重アーチ構造が考え出されたそうだ。
    更に、強度と耐久性をだすために軽量化もはかられ、全てが石ではなく、軽い赤い煉瓦と石を交互に積み上げアーチを組むというコルドバのメスキータに特徴的なアーチの組み方が考案された…ということだ。

  • メスキータの先へと進むと、規則的に並んでいた大理石の空間が急に途切れ、乳白色の少しゴテゴテ感のある場所へとでた。<br />此処も、キリスト教徒によるレコンキスタ後に教会へと作り替えられた場所の一つだ。<br />今まで、あまり教会の造りをゴテゴテ…と感じたことは無かったのだが、この時は別。<br />美しいモスクの柱の中に突如現れた教会の内装を奇異と感じてしまった。

    メスキータの先へと進むと、規則的に並んでいた大理石の空間が急に途切れ、乳白色の少しゴテゴテ感のある場所へとでた。
    此処も、キリスト教徒によるレコンキスタ後に教会へと作り替えられた場所の一つだ。
    今まで、あまり教会の造りをゴテゴテ…と感じたことは無かったのだが、この時は別。
    美しいモスクの柱の中に突如現れた教会の内装を奇異と感じてしまった。

  • メスキータ中で教会施設が占める割合はそれほど多くはなく、中央部分の一角だけだが、建物内でその建築の差異は、はっきりと分かる。<br /><br />レコンキスタ後のコルドバでは、600以上もあったイスラムの宗教施設であるモスクは次々と破壊されていった。<br />大モスクのメスキータも例外ではなかったのだが、その柱とアーチの芸術的価値を認められ、奇跡的にもその姿を留めたままで保存されること;小さな礼拝堂を持つ聖マリア教会として保存されることになった。<br /><br />そんな状況を少しだけ不服に思っている人物が当時(13世紀)のセビリアにいた。<br />それは、カトリックの大司教であったマンリケさん。<br />マンリケさんは、都コルドバのメスキータの礼拝所が小さなことを絶えず不満に思い、いつか何とかしたいと思い続けてきた。<br />そんな彼に、思い通りの大聖堂を作ることの出来る機会が到来した。<br />その機会とは、新しいスペイン国王の即位。<br />新国王のカルロス一世はスペインの生まれではなく、コルドバの歴史的事情に疎かった。<br />だから、大司教はそんな新国王の弱みをうまく利用し、メスキータの中に十字型のカトリック大聖堂を作る案を新国王に提案し、新国王は許可を出した。<br />

    メスキータ中で教会施設が占める割合はそれほど多くはなく、中央部分の一角だけだが、建物内でその建築の差異は、はっきりと分かる。

    レコンキスタ後のコルドバでは、600以上もあったイスラムの宗教施設であるモスクは次々と破壊されていった。
    大モスクのメスキータも例外ではなかったのだが、その柱とアーチの芸術的価値を認められ、奇跡的にもその姿を留めたままで保存されること;小さな礼拝堂を持つ聖マリア教会として保存されることになった。

    そんな状況を少しだけ不服に思っている人物が当時(13世紀)のセビリアにいた。
    それは、カトリックの大司教であったマンリケさん。
    マンリケさんは、都コルドバのメスキータの礼拝所が小さなことを絶えず不満に思い、いつか何とかしたいと思い続けてきた。
    そんな彼に、思い通りの大聖堂を作ることの出来る機会が到来した。
    その機会とは、新しいスペイン国王の即位。
    新国王のカルロス一世はスペインの生まれではなく、コルドバの歴史的事情に疎かった。
    だから、大司教はそんな新国王の弱みをうまく利用し、メスキータの中に十字型のカトリック大聖堂を作る案を新国王に提案し、新国王は許可を出した。

  • そしてメスキータの大理石の柱は切り取られ、その部分には大司教が思い描く聖マリア大聖堂が作られた。<br /><br />紅大理石で覆われた主祭壇とスペイン人画家であるパロミーノが描いた絵画が飾られた大聖堂。<br />大司教は、荘厳な大聖堂の姿を新国王が喜んでくれるだろうと期待したのだが、メスキータの美しい柱の森とその中央部に位置する大聖堂を見た新国王の顔色は、大司教が期待した物ではなかった。<br />

    そしてメスキータの大理石の柱は切り取られ、その部分には大司教が思い描く聖マリア大聖堂が作られた。

    紅大理石で覆われた主祭壇とスペイン人画家であるパロミーノが描いた絵画が飾られた大聖堂。
    大司教は、荘厳な大聖堂の姿を新国王が喜んでくれるだろうと期待したのだが、メスキータの美しい柱の森とその中央部に位置する大聖堂を見た新国王の顔色は、大司教が期待した物ではなかった。

  • 新国王のカルロス一世は、誰に聞かせるともなく呟いたという。<br />「メスキータがこのように素晴らしいものだとは私は知らなかった。知っていれば、決して大聖堂を作らせはしなかっただろう。どこにでもあるモノを作らせるために、世界にたったひとつしか存在しない建物を壊してしまった…」と。<br /><br />コレは、私も同感。<br />ゴシックやらバロックやら様々な建築様式が入り乱れた大聖堂内部は統率がとれた雰囲気とは言い難い部分があり、モスク部分との調和も考慮されていない気がする。<br /><br />(写真:主祭壇の絵画;キリストの昇天)<br />

    新国王のカルロス一世は、誰に聞かせるともなく呟いたという。
    「メスキータがこのように素晴らしいものだとは私は知らなかった。知っていれば、決して大聖堂を作らせはしなかっただろう。どこにでもあるモノを作らせるために、世界にたったひとつしか存在しない建物を壊してしまった…」と。

    コレは、私も同感。
    ゴシックやらバロックやら様々な建築様式が入り乱れた大聖堂内部は統率がとれた雰囲気とは言い難い部分があり、モスク部分との調和も考慮されていない気がする。

    (写真:主祭壇の絵画;キリストの昇天)

  • メスキータの南東の壁にはイスラム教の礼拝堂であるミフラーブの姿が現在でも残されている。<br />金文字でコーランが描かれ、アラベスク模様がその全面を覆い尽くすミフラーブ。<br />イスラムの王族や僧のみが入ることのできる礼拝所として使われていたそうだ。<br />

    メスキータの南東の壁にはイスラム教の礼拝堂であるミフラーブの姿が現在でも残されている。
    金文字でコーランが描かれ、アラベスク模様がその全面を覆い尽くすミフラーブ。
    イスラムの王族や僧のみが入ることのできる礼拝所として使われていたそうだ。

  • ミフラーブの天井を見上げると、イスラムのモスクに特徴的な大ドームと半円ドームが作りだす光の空間があった。<br /><br />ミフラーブの前には柵があり、あまり身を乗り出して眺めることはできなかったのだが、吸い寄せられるような美しい空間だった。<br />

    イチオシ

    ミフラーブの天井を見上げると、イスラムのモスクに特徴的な大ドームと半円ドームが作りだす光の空間があった。

    ミフラーブの前には柵があり、あまり身を乗り出して眺めることはできなかったのだが、吸い寄せられるような美しい空間だった。

  • ミフラーブと隣の空間を繋ぐ空間には、イスラム・アーチが作り出す仕切りの壁がある。<br /><br />イスラム・アーチと言っても馬蹄形のアーチから雲形アーチまで、様々な形がある。<br />

    ミフラーブと隣の空間を繋ぐ空間には、イスラム・アーチが作り出す仕切りの壁がある。

    イスラム・アーチと言っても馬蹄形のアーチから雲形アーチまで、様々な形がある。

  • ミフラーブの周りの空間は、メスキータのほかの部分よりも少し豪華な感じだ。<br />この写真の柱も紅大理石と黒大理石の組み合わせという、非常に高価な意匠が施されていた。<br />これは、ミフラーブという宗教空間を演出するための工夫なのか、それとも後世に付け加えられたキリスト教の境界部分の改築に伴って付け加えられた部分なのか…。<br /><br />説明書きがないので真偽のほどは分からないが、色使いが聖マリア大聖堂に似ているので、キリスト教時代に付け加えられたものかもしれない。

    ミフラーブの周りの空間は、メスキータのほかの部分よりも少し豪華な感じだ。
    この写真の柱も紅大理石と黒大理石の組み合わせという、非常に高価な意匠が施されていた。
    これは、ミフラーブという宗教空間を演出するための工夫なのか、それとも後世に付け加えられたキリスト教の境界部分の改築に伴って付け加えられた部分なのか…。

    説明書きがないので真偽のほどは分からないが、色使いが聖マリア大聖堂に似ているので、キリスト教時代に付け加えられたものかもしれない。

  • メスキータの壁には、キリスト教徒により塗り込められてしまい、開かずの門となった門の痕跡も残されている。

    メスキータの壁には、キリスト教徒により塗り込められてしまい、開かずの門となった門の痕跡も残されている。

  • その先へとさらに足を進めると、此処からはカトリックとイスラムが融合した区域となる。<br />美しいイスラム・アーチの下には十字架に磔となったキリストの像が掲げられていた。<br />

    その先へとさらに足を進めると、此処からはカトリックとイスラムが融合した区域となる。
    美しいイスラム・アーチの下には十字架に磔となったキリストの像が掲げられていた。

  • 壁一面のアラベスク模様が見事な空間なのだが、よく見ると壁の一部には、ライオンが描かれたスペイン王家の紋章が彫り込まれている。<br /><br />此処まで融合されてしまうとお見事!としか言えなくなる。<br />

    壁一面のアラベスク模様が見事な空間なのだが、よく見ると壁の一部には、ライオンが描かれたスペイン王家の紋章が彫り込まれている。

    此処まで融合されてしまうとお見事!としか言えなくなる。

  • 様々な形のイスラム・アーチが作り出す回廊は、絵画の展示スペースとなっていた。<br /><br />旅の前の私が描いていたメスキータ;宗教施設としてのメスキータのイメージは、実際のメスキータとはかなり異なっていた様だ。<br />

    様々な形のイスラム・アーチが作り出す回廊は、絵画の展示スペースとなっていた。

    旅の前の私が描いていたメスキータ;宗教施設としてのメスキータのイメージは、実際のメスキータとはかなり異なっていた様だ。

  • イスラム・アーチの下には、ゴシック形式の彫刻が刻まれている。<br /><br />コレは之で芸術的価値があるのかもしれないのだが…。<br /><br />私的には、どうしてこんなことを思い付いちまったのか…くらい残念!な内装だ。

    イスラム・アーチの下には、ゴシック形式の彫刻が刻まれている。

    コレは之で芸術的価値があるのかもしれないのだが…。

    私的には、どうしてこんなことを思い付いちまったのか…くらい残念!な内装だ。

  • カトリックの礼拝堂が立ち並ぶ区域で、素敵なものだな…と思えるモノを見つけた。<br />金色に輝く礼拝堂も価値はあるのだと思うのだが、素敵なのはその前の柵。<br /><br />まるで影絵遊びの様だ。<br />

    イチオシ

    カトリックの礼拝堂が立ち並ぶ区域で、素敵なものだな…と思えるモノを見つけた。
    金色に輝く礼拝堂も価値はあるのだと思うのだが、素敵なのはその前の柵。

    まるで影絵遊びの様だ。

  • そして、メスキータのイスラム・アーチの形をそのまま利用して作られたこの礼拝堂の柵も興味深かった。

    そして、メスキータのイスラム・アーチの形をそのまま利用して作られたこの礼拝堂の柵も興味深かった。

  • 柵にデザインされているのは基本的に天使なのだが、その登場人物(登場動物)がとってもユニークだ。<br /><br />尻尾がドラゴン(タツノオトシゴの様だが)化したニンフの姿や、獅子の口から伸びる蛇(海蛇かも)の姿があり、この礼拝堂に埋葬された方はきっと海と縁のあった方なのだろうと想像できた。<br />

    柵にデザインされているのは基本的に天使なのだが、その登場人物(登場動物)がとってもユニークだ。

    尻尾がドラゴン(タツノオトシゴの様だが)化したニンフの姿や、獅子の口から伸びる蛇(海蛇かも)の姿があり、この礼拝堂に埋葬された方はきっと海と縁のあった方なのだろうと想像できた。

  • 1時間半位をメスキータで過ごし、タップリとその姿を堪能する。

    1時間半位をメスキータで過ごし、タップリとその姿を堪能する。

  • 昨晩は閉まっていたメスキータの門である免罪の門を通り、大通りへと出る。<br /><br />免罪の門は現存するメスキータの門の中で、カトリック装飾の改修が加えられた門だ。<br />

    昨晩は閉まっていたメスキータの門である免罪の門を通り、大通りへと出る。

    免罪の門は現存するメスキータの門の中で、カトリック装飾の改修が加えられた門だ。

  • 免罪の門の上部には、天使や使徒の絵が描かれている。

    免罪の門の上部には、天使や使徒の絵が描かれている。

  • 一見、アラベスク模様に見える門の装飾だが、よく見ると、彫り込まれているのはイスラムのコーランではなくラテン語。<br /><br />スペイン王家の紋章も彫り込まれていた。<br />

    一見、アラベスク模様に見える門の装飾だが、よく見ると、彫り込まれているのはイスラムのコーランではなくラテン語。

    スペイン王家の紋章も彫り込まれていた。

  • メスキータの門の外でパトカーを発見し、こっそりと写真に撮る。<br /><br />スカイブルーの車体にスペイン・カラーの赤と黄色のライン。<br />コロンとした車体が可愛らしい。<br />

    メスキータの門の外でパトカーを発見し、こっそりと写真に撮る。

    スカイブルーの車体にスペイン・カラーの赤と黄色のライン。
    コロンとした車体が可愛らしい。

  • そして、友人は大胆にもおまわりさんと一緒に記念撮影。<br />コルドバのおまわりさんは気さくで、一緒に写真を撮っても良い?と聞いたら、快くOKしてくれた。<br /><br />今回訪れたスペインの街;コルドバ、グラナダ、ロンダ、マドリッド、そしてセゴビア…。<br />これらの街では、街を巡回しているおまわりさんの姿を見かける回数は結構多かった。<br />多分、日本の観光地以上に街中に配備されているおまわりさんたちの数は多いのではないかと思う。<br /><br />それだけ観光客の安全に配慮しているとも言えるが、その人数を配置しなければならぬような治安の状況となる時もあるのかもしれない。<br />一見、街歩きには何の心配も必要ないかのようなスペインの街だが、やはりそれなりの注意は必要そうだ。<br />

    そして、友人は大胆にもおまわりさんと一緒に記念撮影。
    コルドバのおまわりさんは気さくで、一緒に写真を撮っても良い?と聞いたら、快くOKしてくれた。

    今回訪れたスペインの街;コルドバ、グラナダ、ロンダ、マドリッド、そしてセゴビア…。
    これらの街では、街を巡回しているおまわりさんの姿を見かける回数は結構多かった。
    多分、日本の観光地以上に街中に配備されているおまわりさんたちの数は多いのではないかと思う。

    それだけ観光客の安全に配慮しているとも言えるが、その人数を配置しなければならぬような治安の状況となる時もあるのかもしれない。
    一見、街歩きには何の心配も必要ないかのようなスペインの街だが、やはりそれなりの注意は必要そうだ。

  • 次に向かうのはアルカサル(Alcazar)と呼ばれる歴史的に重要な役割を果たした城だ。<br /><br />この城はイスラム教の最後の抵抗勢力であったグラナダ・アルハンブラ宮殿の最後のイスラム王が幽閉された場所でもあり、アメリカ大陸を発見したコロンブスがカトリック両王と初めて対面を果たした城でもある場所だ。<br /><br />

    次に向かうのはアルカサル(Alcazar)と呼ばれる歴史的に重要な役割を果たした城だ。

    この城はイスラム教の最後の抵抗勢力であったグラナダ・アルハンブラ宮殿の最後のイスラム王が幽閉された場所でもあり、アメリカ大陸を発見したコロンブスがカトリック両王と初めて対面を果たした城でもある場所だ。

    コルドバ歴史地区 旧市街・古い町並み

    宗教も商売も勉強も・・・すべての人に権利があった by ウェンディさん
  • 受付で入場券(4.5ユーロ)を購入し、まずは全体を見渡せる塔の上へと向かう。<br /><br />

    受付で入場券(4.5ユーロ)を購入し、まずは全体を見渡せる塔の上へと向かう。

  • 上へ登るのは螺旋階段。<br /><br />螺旋階段の幅はそんなに狭くはないが、体の大きい欧米人のオジサマ方が歩いたら、まず、すれ違いは難しそうな幅だ。<br /><br />下りる時も登る時も、上下の足音に耳を傾け、人の切れ間を縫って歩く。<br />

    上へ登るのは螺旋階段。

    螺旋階段の幅はそんなに狭くはないが、体の大きい欧米人のオジサマ方が歩いたら、まず、すれ違いは難しそうな幅だ。

    下りる時も登る時も、上下の足音に耳を傾け、人の切れ間を縫って歩く。

  • コルドバの街には高い建物はあまりないので、アルカサルの塔に登るだけで、コルドバの白い町並みを眼下に見ることができる。<br /><br />白い壁の家々に赤茶けた屋根の街。<br />強い夏の陽射しが家の壁色に反射して目に眩しいが、目の前に広がる光景…が“アンダルシアへやって来たんだ!”という思いを強く思い起こさせる。<br /><br />眼の前に立つ高い塔は先ほどまで居たメスキータの塔。<br />メスキータの塔は、その昔はイスラムのお祈りの時間を告げるアザーンを唱える場所;ミナレットだったのだが、キリスト教徒によるレコンキスタ(イベリア半島奪還後)以降は教会の鐘楼として利用されている。<br /><br />ここで、ちょっとスペイン旅の本編とは関係のない話となってしまうが、アルカサルでミナレットを眺めていた私は、同じイスラム教でもミナレットの建築形状が国によって異なることに気がついた。<br />同じイスラム教と言っても細かな宗派があるので、建物全ての建築風景が同じになる筈とは言わないが、同じ目的として作られているミナレットの外観形状が、国ごと(もしかして地域かも)に特徴的であることに気がついたのだ。<br /><br />例えば、中東地域のトルコのブルーモスクやアヤソフィアのミナレットの形。<br />中東のモスクのミナレットは鉛筆型の円柱形をしているものが殆どだったと思う。<br />でも、アフリカ系のイスラム教のミナレット; 例えばモロッコ・マラケシュのクトゥビアの塔などは、コルドバのメスキータと同様な四角柱形をしていていた。<br />また、エジプトのイブン・トゥールーン・モスクは四角柱型の根元だがその先は螺旋形を描き、先端部分は中東の鉛筆型に近い形のミナレットで、円柱形と四角柱形の中間的存在だ。<br /><br />地域による建築形状の差なのか、それともイスラム教の年代分布(初期は四角、中期が螺旋、そして最終形が鉛筆型…)となっているのか。<br />帰国後に少し調べてみたが、結局、ミナレットの建築様式の違いについての理由は分からなかった。

    コルドバの街には高い建物はあまりないので、アルカサルの塔に登るだけで、コルドバの白い町並みを眼下に見ることができる。

    白い壁の家々に赤茶けた屋根の街。
    強い夏の陽射しが家の壁色に反射して目に眩しいが、目の前に広がる光景…が“アンダルシアへやって来たんだ!”という思いを強く思い起こさせる。

    眼の前に立つ高い塔は先ほどまで居たメスキータの塔。
    メスキータの塔は、その昔はイスラムのお祈りの時間を告げるアザーンを唱える場所;ミナレットだったのだが、キリスト教徒によるレコンキスタ(イベリア半島奪還後)以降は教会の鐘楼として利用されている。

    ここで、ちょっとスペイン旅の本編とは関係のない話となってしまうが、アルカサルでミナレットを眺めていた私は、同じイスラム教でもミナレットの建築形状が国によって異なることに気がついた。
    同じイスラム教と言っても細かな宗派があるので、建物全ての建築風景が同じになる筈とは言わないが、同じ目的として作られているミナレットの外観形状が、国ごと(もしかして地域かも)に特徴的であることに気がついたのだ。

    例えば、中東地域のトルコのブルーモスクやアヤソフィアのミナレットの形。
    中東のモスクのミナレットは鉛筆型の円柱形をしているものが殆どだったと思う。
    でも、アフリカ系のイスラム教のミナレット; 例えばモロッコ・マラケシュのクトゥビアの塔などは、コルドバのメスキータと同様な四角柱形をしていていた。
    また、エジプトのイブン・トゥールーン・モスクは四角柱型の根元だがその先は螺旋形を描き、先端部分は中東の鉛筆型に近い形のミナレットで、円柱形と四角柱形の中間的存在だ。

    地域による建築形状の差なのか、それともイスラム教の年代分布(初期は四角、中期が螺旋、そして最終形が鉛筆型…)となっているのか。
    帰国後に少し調べてみたが、結局、ミナレットの建築様式の違いについての理由は分からなかった。

  • 塔の上の反対側からは、アルカサルの庭園が見える。<br />アルカサルの城自体はキリスト教徒により建てられた城なのだが、その建築様式には水を多く利用するアラブ庭園の様式を盛り込まれ、夏でも涼しさを演出できる造りになっている。<br /><br />塔の展望台は2層構造になっていて、眺めが良い最上階は狭く、あまり長居をしていると次の方が上がってこれなくなってしまうので、ぐるっと景色を眺めたら早めに1つ下の階へと降りなくてはならない。<br />

    塔の上の反対側からは、アルカサルの庭園が見える。
    アルカサルの城自体はキリスト教徒により建てられた城なのだが、その建築様式には水を多く利用するアラブ庭園の様式を盛り込まれ、夏でも涼しさを演出できる造りになっている。

    塔の展望台は2層構造になっていて、眺めが良い最上階は狭く、あまり長居をしていると次の方が上がってこれなくなってしまうので、ぐるっと景色を眺めたら早めに1つ下の階へと降りなくてはならない。

  • でも、アルカサルの庭園自体を眺めるならば、最上階ではなくその下の広いテラスの方が庭園の様子が良くわかる。<br /><br />この城に幽閉されたというアルハンブラの最後のイスラム王のボアブディルもこの庭園を眼下に眺めていたのかもしれない景色だ。<br />

    イチオシ

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    でも、アルカサルの庭園自体を眺めるならば、最上階ではなくその下の広いテラスの方が庭園の様子が良くわかる。

    この城に幽閉されたというアルハンブラの最後のイスラム王のボアブディルもこの庭園を眼下に眺めていたのかもしれない景色だ。

    アルカサル (コルドバ) 城・宮殿

    歴史が生まれた城~運命の女性との出会い~ by ウェンディさん
  • 塔の螺旋階段を下り、アルカサルの庭園へと下りる。<br /><br />夏場には気温が40℃以上になる地域だが、その庭には季節の花が咲き、王宮の庭の雰囲気そのものだ。<br />

    塔の螺旋階段を下り、アルカサルの庭園へと下りる。

    夏場には気温が40℃以上になる地域だが、その庭には季節の花が咲き、王宮の庭の雰囲気そのものだ。

  • アルカサルの庭園の総面積の1/4は水を利用したアラブ式の庭園だ。<br />小道沿いには葉を茂らせるオレンジの木々が植えられ、水面を抜け冷やされた爽やかな風が流れていた。<br /><br />炎天下はじりじりと焦げる様な紫外線の強さだが、木陰の下を歩くと体感温度は一気にマイナス5℃位は違う感じだ。<br />

    アルカサルの庭園の総面積の1/4は水を利用したアラブ式の庭園だ。
    小道沿いには葉を茂らせるオレンジの木々が植えられ、水面を抜け冷やされた爽やかな風が流れていた。

    炎天下はじりじりと焦げる様な紫外線の強さだが、木陰の下を歩くと体感温度は一気にマイナス5℃位は違う感じだ。

  • 水辺には小さな噴水が設置され、軽やかな水音を立てて水滴が水面へと跳ね返る。<br /><br />そして、水辺の散歩道の脇にはラベンダー色のお花畑が広がっていた。<br />この気温の中でよく咲くなぁ…とちょっと感心してしまった。<br />

    水辺には小さな噴水が設置され、軽やかな水音を立てて水滴が水面へと跳ね返る。

    そして、水辺の散歩道の脇にはラベンダー色のお花畑が広がっていた。
    この気温の中でよく咲くなぁ…とちょっと感心してしまった。

  • 庭の中には薔薇やガザニアのような花の姿もあった。<br />いくら水辺の木陰にある庭園とはいえ、アンダルシアのフライパンの中の土地。<br /><br />アルカサルが作られた時代から、暑さに強い品種となるように改良されてきた花たちなのだろうが…逞しすぎる。<br />花に疎い私は、薔薇と聞くだけで深窓の令嬢を思い浮かべてしまうが、灼熱の暑さの中で花開くこの深紅の薔薇が私にイメージさせたのは、炎天下の中でハードに肉体労働をするガテン系なオジサマ方の姿。<br /><br />薔薇の持つ清楚なイメージが、グルリと変わった感じだ。

    庭の中には薔薇やガザニアのような花の姿もあった。
    いくら水辺の木陰にある庭園とはいえ、アンダルシアのフライパンの中の土地。

    アルカサルが作られた時代から、暑さに強い品種となるように改良されてきた花たちなのだろうが…逞しすぎる。
    花に疎い私は、薔薇と聞くだけで深窓の令嬢を思い浮かべてしまうが、灼熱の暑さの中で花開くこの深紅の薔薇が私にイメージさせたのは、炎天下の中でハードに肉体労働をするガテン系なオジサマ方の姿。

    薔薇の持つ清楚なイメージが、グルリと変わった感じだ。

  • 水辺の日陰を選びながら、友人と共にアルカサルの庭を歩く。<br />私は、アルカサルの庭であるモノを探していた。<br />探し物とは、彫像。<br /><br />三人の人物が立っている彫像で、旅の前にその三人の謂れを知った私は、是非とも見てみたいと思っていた。<br /><br />その彫像を探しながら、木々が美しく刈り込まれた庭を散歩する。<br />

    水辺の日陰を選びながら、友人と共にアルカサルの庭を歩く。
    私は、アルカサルの庭であるモノを探していた。
    探し物とは、彫像。

    三人の人物が立っている彫像で、旅の前にその三人の謂れを知った私は、是非とも見てみたいと思っていた。

    その彫像を探しながら、木々が美しく刈り込まれた庭を散歩する。

  • そして、ようやくその3人の彫像を見つけた。<br />この三人とはカトリック両王とコロンブス。<br /><br />奥の男性が、 Fernando el Catolico;アラゴン王のフェルナンド二世。<br />王の隣の女性が、 Isabel la Catolica;カスティーリャ女王のイザベル一世。<br />そして、背中をこちら側に向けているのが、Cristobal Colon;ジェノヴァの船乗りであるコロンブスだ。<br /><br />この像はコロンブスが初めてスペインに渡り、カトリック両王に謁見し、西回り航路への理解と資金の調達をお願いした時の様子と云われている。<br /><br />カトリック両王の一人であるイザベル一世(イザベル女王)は、当時の王の中でも極めて有能な君主の一人と云われ、政治的な直観に優れている人物だった。<br /><br />碧い眼にとび色の髪の持つイザベル女王(一世)は、コロンブスの話す夢物語に可能性を感じ取った。<br />西へと海を渡ればマルコポーロが噂に聞いた黄金の国ジパングへと辿り着き、スペインに新しい領土、新しい資源をもたらすことができる。<br /><br />コロンブスは何度もアルカサルの城へ足を運び、両王へと面会し、航海への理解を求め、ついに最初の面会から6年後に、イザベル女王の後見を得て、航海へと出発することになった。

    そして、ようやくその3人の彫像を見つけた。
    この三人とはカトリック両王とコロンブス。

    奥の男性が、 Fernando el Catolico;アラゴン王のフェルナンド二世。
    王の隣の女性が、 Isabel la Catolica;カスティーリャ女王のイザベル一世。
    そして、背中をこちら側に向けているのが、Cristobal Colon;ジェノヴァの船乗りであるコロンブスだ。

    この像はコロンブスが初めてスペインに渡り、カトリック両王に謁見し、西回り航路への理解と資金の調達をお願いした時の様子と云われている。

    カトリック両王の一人であるイザベル一世(イザベル女王)は、当時の王の中でも極めて有能な君主の一人と云われ、政治的な直観に優れている人物だった。

    碧い眼にとび色の髪の持つイザベル女王(一世)は、コロンブスの話す夢物語に可能性を感じ取った。
    西へと海を渡ればマルコポーロが噂に聞いた黄金の国ジパングへと辿り着き、スペインに新しい領土、新しい資源をもたらすことができる。

    コロンブスは何度もアルカサルの城へ足を運び、両王へと面会し、航海への理解を求め、ついに最初の面会から6年後に、イザベル女王の後見を得て、航海へと出発することになった。

  • コロンブスは最初の航海で、ジパングと思われる大きな島を発見し、その島を調査した。<br />その後もイザベル女王の後見で何回か調査へと出航し、新しく見つけた土地の調査を行った。<br /><br />土地の原住民たちは比較的友好的な民族が多かったのだが、中には食人人種と呼ばれる民族に出会う事もあり、土地の調査に送った先発隊が戻らないのを心配したコロンブスが二次隊を行かせると、二次隊が発見したものは、先発隊の乗組員が着用していた衣服の切れ端や、骨がついた肉片だったり…なんてこともあったそうだ。<br /><br />また、ある航海では、コロンブスの船は地の果てに行き、二度と戻ってはこられないという噂が広まり、乗組員が集まらないことがあった。<br />困ったイザベル女王は獄中の死刑囚たちに、コロンブスの船の乗組員として乗船するならば恩赦を与える…と云う命令を出したこともあるそうだ。<br /><br />結局、コロンブスはその生涯をかけた航海で、黄金の国ジパングの痕跡を発見することはできなかった。<br />コロンブスは地球の円周を実際のサイズよりも2/3程小さく計算していたため、彼がジパングだと思い描いていて調査していた土地…そこは新大陸である南北アメリカ大陸だったのだ。<br /><br />しかし、コロンブスは最後の時まで、自分自身が新世界のアメリカを発見したという事を知らずにその生涯を終えた。<br />コロンブスのアメリカ大陸発見の業績が評価を受けたのは、彼が現世を離れて何十年も経過してからのことだ。<br /><br />アルカサルのこの場所でのコロンブスとカトリック両王の邂逅が実現されていなかったならば、イザベル女王の力添えがなかったならば、西回り航路の発見、南北アメリカ大陸の発見はさらに遅れていたのかもしれない。<br /><br />(写真:アルカサルの庭園)

    イチオシ

    コロンブスは最初の航海で、ジパングと思われる大きな島を発見し、その島を調査した。
    その後もイザベル女王の後見で何回か調査へと出航し、新しく見つけた土地の調査を行った。

    土地の原住民たちは比較的友好的な民族が多かったのだが、中には食人人種と呼ばれる民族に出会う事もあり、土地の調査に送った先発隊が戻らないのを心配したコロンブスが二次隊を行かせると、二次隊が発見したものは、先発隊の乗組員が着用していた衣服の切れ端や、骨がついた肉片だったり…なんてこともあったそうだ。

    また、ある航海では、コロンブスの船は地の果てに行き、二度と戻ってはこられないという噂が広まり、乗組員が集まらないことがあった。
    困ったイザベル女王は獄中の死刑囚たちに、コロンブスの船の乗組員として乗船するならば恩赦を与える…と云う命令を出したこともあるそうだ。

    結局、コロンブスはその生涯をかけた航海で、黄金の国ジパングの痕跡を発見することはできなかった。
    コロンブスは地球の円周を実際のサイズよりも2/3程小さく計算していたため、彼がジパングだと思い描いていて調査していた土地…そこは新大陸である南北アメリカ大陸だったのだ。

    しかし、コロンブスは最後の時まで、自分自身が新世界のアメリカを発見したという事を知らずにその生涯を終えた。
    コロンブスのアメリカ大陸発見の業績が評価を受けたのは、彼が現世を離れて何十年も経過してからのことだ。

    アルカサルのこの場所でのコロンブスとカトリック両王の邂逅が実現されていなかったならば、イザベル女王の力添えがなかったならば、西回り航路の発見、南北アメリカ大陸の発見はさらに遅れていたのかもしれない。

    (写真:アルカサルの庭園)

  • 実は、私がここコルドバのアルカサルに来たかった理由は、コロンブスの航海に魅せられたからではない。<br />中南米の中近代史の幕開けとなったアルカサルのその現場が見てみたかったからだ。<br /><br />以前から中南米の文化に魅せられていた私は、2年に1度程度の割合で中南米へと旅することが多かった。<br />そして中南米を旅し、彼らの独特の文化とその歴史を知ることとなった。<br /><br />インカの隠し砦であったマチュピチュの遺跡、標高3000mの高地にある高山都市クスコ、<br />そしてメキシコのマヤやアステカの遺跡群。<br />どの遺跡も文化的に特徴があり、素晴らしい場所だった。<br />しかし、それらの遺跡を作った中南米の人達の文化は今から500年ほど前の西暦1500年頃に突然、終焉を迎えている。<br />彼らの文化や歴史にピリオドを打ったのは、スペイン政府が派遣した航海者たちだった。<br /><br />(写真:アルカサルの庭園)<br />

    実は、私がここコルドバのアルカサルに来たかった理由は、コロンブスの航海に魅せられたからではない。
    中南米の中近代史の幕開けとなったアルカサルのその現場が見てみたかったからだ。

    以前から中南米の文化に魅せられていた私は、2年に1度程度の割合で中南米へと旅することが多かった。
    そして中南米を旅し、彼らの独特の文化とその歴史を知ることとなった。

    インカの隠し砦であったマチュピチュの遺跡、標高3000mの高地にある高山都市クスコ、
    そしてメキシコのマヤやアステカの遺跡群。
    どの遺跡も文化的に特徴があり、素晴らしい場所だった。
    しかし、それらの遺跡を作った中南米の人達の文化は今から500年ほど前の西暦1500年頃に突然、終焉を迎えている。
    彼らの文化や歴史にピリオドを打ったのは、スペイン政府が派遣した航海者たちだった。

    (写真:アルカサルの庭園)

  • フランシスコ・ピサロは黄金郷ペルーを制圧し、最後のインカ皇帝アタワルパをだまし討ちにした。<br />エルナン・コルテスはメキシコのアステカを征服し、エンコミエンダと呼ばれる大植民地制度を中南米に展開した人物だ。<br />彼等は制圧した中南米の各地にキリスト教の教会を建て、現地の人々に改宗を迫り、キリスト教という名の下の奴隷制度を作ったのだ。<br /><br />例えコロンブスが西回り航路を発見していなくとも、時間の問題でどこかの国の航海者が南北アメリカ大陸を発見し、その資源に目をつけていたであろうことは間違いない。<br />だから、コロンブスのせいでインカやアステカの国々が滅ぼされた…なんてう言うつもりは毛頭ない。<br /><br />ただ、変えようのない歴史の流れとして、中南米の歴史を決定したその場所に立ち、自分の肌でその空気を感じてみたかっただけだった。

    フランシスコ・ピサロは黄金郷ペルーを制圧し、最後のインカ皇帝アタワルパをだまし討ちにした。
    エルナン・コルテスはメキシコのアステカを征服し、エンコミエンダと呼ばれる大植民地制度を中南米に展開した人物だ。
    彼等は制圧した中南米の各地にキリスト教の教会を建て、現地の人々に改宗を迫り、キリスト教という名の下の奴隷制度を作ったのだ。

    例えコロンブスが西回り航路を発見していなくとも、時間の問題でどこかの国の航海者が南北アメリカ大陸を発見し、その資源に目をつけていたであろうことは間違いない。
    だから、コロンブスのせいでインカやアステカの国々が滅ぼされた…なんてう言うつもりは毛頭ない。

    ただ、変えようのない歴史の流れとして、中南米の歴史を決定したその場所に立ち、自分の肌でその空気を感じてみたかっただけだった。

  • そんな複雑な思いを抱きながらアルカサルを散歩していたら、あっという間に11時。<br />宿のチェックアウトのリミットは、あと1時間後の12時。<br />最初の予定では、メスキータ→アルカサル→ユダヤ人の白い町並み観光してから宿のチェックアウトと考えていたが、ちょっと間に合いそうにないので先に宿をチェックアウトすることにした。<br /><br />友人と二人、コルドバの美しい街並みを横目に見ながら早足で宿へと戻り、滝のような汗を落ち着かせてからチェックアウトし、荷物は宿の荷物室へと入れさせてもらう。<br />宿のお兄さんも荷物預かりは慣れている様子で、何の問題もなく預かってくれた。<br /><br />コルドバでの残り時間はあと3時間半。<br />さあ、ユダヤ人街の街歩きに出かけよう♪<br /><br /><br />前の旅行記:【1】灼熱のフライパンを歩く〜旅の始まりは42℃の洗礼〜<br />http://4travel.jp/travelogue/11034201<br /><br />次の旅行記:【3】真夏が見せた蜃気楼〜礼拝堂で見たものは…〜<br />http://4travel.jp/travelogue/11046902

    そんな複雑な思いを抱きながらアルカサルを散歩していたら、あっという間に11時。
    宿のチェックアウトのリミットは、あと1時間後の12時。
    最初の予定では、メスキータ→アルカサル→ユダヤ人の白い町並み観光してから宿のチェックアウトと考えていたが、ちょっと間に合いそうにないので先に宿をチェックアウトすることにした。

    友人と二人、コルドバの美しい街並みを横目に見ながら早足で宿へと戻り、滝のような汗を落ち着かせてからチェックアウトし、荷物は宿の荷物室へと入れさせてもらう。
    宿のお兄さんも荷物預かりは慣れている様子で、何の問題もなく預かってくれた。

    コルドバでの残り時間はあと3時間半。
    さあ、ユダヤ人街の街歩きに出かけよう♪


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    ユダヤ人街 散歩・街歩き

  • 〜この日の旅行記の最期に一つだけ書いておきたいことがある〜<br /><br />それは、スペイン人による征服で滅びてしまった中南米の文化について。<br /><br />彼等は、欧州からの征服者に有無を言わさず土地も資産も全てのものを奪われ、更に征服者が運んできた致死性の高い天然痘の病原菌が原因で、ほぼ民族壊滅に近い状態に追い込まれ、最終的には自分たちの血をメスティソと呼ばれる欧州人との混血という形で残していくしか生きていく道は残されていなかった。<br />征服者に立ち向かう術や自分たちの運命に立ち向かう術は何もなかったのだ。<br /><br />しかし彼らは実際には、自身も予期していなかった方法で征服者たちに復讐を遂げていた。<br /><br />その方法とは、スピロヘータ・ウィルス。<br />原住民の女性と関係を持った男たちは、己の母国に梅毒のウィルスを持ち帰った。<br />梅毒に対して何の免疫も持っていなかった欧州の人々。<br />ウィルスはあっという間に欧州一円へと広がり、神経系が侵される第4期にまで症状が達する患者が続出したという。<br /><br />15世紀に突如蔓延し始めたといわれる梅毒という感染症。<br />そのウイルスを欧州へと最初に広めたのは、征服者たちである…とも歴史は伝えている…。

    〜この日の旅行記の最期に一つだけ書いておきたいことがある〜

    それは、スペイン人による征服で滅びてしまった中南米の文化について。

    彼等は、欧州からの征服者に有無を言わさず土地も資産も全てのものを奪われ、更に征服者が運んできた致死性の高い天然痘の病原菌が原因で、ほぼ民族壊滅に近い状態に追い込まれ、最終的には自分たちの血をメスティソと呼ばれる欧州人との混血という形で残していくしか生きていく道は残されていなかった。
    征服者に立ち向かう術や自分たちの運命に立ち向かう術は何もなかったのだ。

    しかし彼らは実際には、自身も予期していなかった方法で征服者たちに復讐を遂げていた。

    その方法とは、スピロヘータ・ウィルス。
    原住民の女性と関係を持った男たちは、己の母国に梅毒のウィルスを持ち帰った。
    梅毒に対して何の免疫も持っていなかった欧州の人々。
    ウィルスはあっという間に欧州一円へと広がり、神経系が侵される第4期にまで症状が達する患者が続出したという。

    15世紀に突如蔓延し始めたといわれる梅毒という感染症。
    そのウイルスを欧州へと最初に広めたのは、征服者たちである…とも歴史は伝えている…。

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この旅行記へのコメント (13)

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  • ジバゴさん 2016/03/14 22:01:15
    双面のメスキータ;キメラ神殿を歩き、アルカサルの邂逅を解く〜新世界の始まりが、別世界の終焉だとしたら〜【女子二人旅-2 (コルドバ)】
    「ミフラーブの周りの空間は、メスキータのほかの部分よりも少し豪華な感じだ。」 
    のコメントが有る写真はひょっとしてミフラーブを撮したものではなく、離れた場所を撮影したものでしょうか? 先の自分がしたコメントは勘違いだったかも。 すみませんでした。

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2016/03/14 22:24:18
    写真の詳細
    以下の説明書きが入っている写真(17枚目)がミフラーブです。
    この写真の中でのミフラーブの場所は馬蹄形の門の後方になり、観光客は、この写真を撮っている位置から先のミフラーブには近づく事はできません。
    つまり、祈祷の場であるミフラーブの中は、正面から見える部分以外は観光客は見ることのできない状態です。
    【メスキータの南東の壁にはイスラム教の礼拝堂であるミフラーブの姿が現在でも残されている。
    金文字でコーランが描かれ、アラベスク模様がその全面を覆い尽くすミフラーブ。
    イスラムの王族や僧のみが入ることのできる礼拝所として使われていたそうだ。】

    その次の写真(18枚目)には以下の様な文章をつけています。
    【ミフラーブの天井を見上げると、イスラムのモスクに特徴的な大ドームと半円ドームが作りだす光の空間があった。
    ミフラーブの前には柵があり、あまり身を乗り出して眺めることはできなかったのだが、吸い寄せられるような美しい空間だった】
    この写真ですが、此処に写っている天井ドームはミフラーブ本体のドームではなく、ミフラーブの前空間の天井ドームになります。
    説明文で、【ミフラーブの天井を見上げると…】と書いていますが、言葉が足りていないかもしれません。
    正確にこの空間を表現しようとすると以下の様な表現になるのかもしれません。
    【ミフラーブの入口前の空間。その空間の天井を見上げると…】

    写真を上手く説明するのは難しいですね。
    誤解を招く様な書き方で、ごめんなさい。

    ジバゴ

    ジバゴさん からの返信 2016/03/14 22:45:07
    RE: 写真の詳細
    いえいえ、こちらも早とちりでコメントしてしまいました。 よく写真を見れば違いがわかったものを。
    実はコメントしたのは19枚目の写真についてです。 最初この写真を見た時にミフラーブを斜めから撮したものだろうと勘違いしたのでした。 コメント後よく見るとミフラーブにしては赤大理石の柱があるのはオカシイと気づいて別の場所だろうと再コメントしたのでした。 後々19枚目の写真と思しき場所を撮したものがTRIP ADVISERの写真アルバムを探したら有りましたので確信しました。 大変お騒がせしました。

     ジバゴ 拝

    > 以下の説明書きが入っている写真(17枚目)がミフラーブです。
    > この写真の中でのミフラーブの場所は馬蹄形の門の後方になり、観光客は、この写真を撮っている位置から先のミフラーブには近づく事はできません。
    > つまり、祈祷の場であるミフラーブの中は、正面から見える部分以外は観光客は見ることのできない状態です。
    > 【メスキータの南東の壁にはイスラム教の礼拝堂であるミフラーブの姿が現在でも残されている。
    > 金文字でコーランが描かれ、アラベスク模様がその全面を覆い尽くすミフラーブ。
    > イスラムの王族や僧のみが入ることのできる礼拝所として使われていたそうだ。】
    >
    > その次の写真(18枚目)には以下の様な文章をつけています。
    > 【ミフラーブの天井を見上げると、イスラムのモスクに特徴的な大ドームと半円ドームが作りだす光の空間があった。
    > ミフラーブの前には柵があり、あまり身を乗り出して眺めることはできなかったのだが、吸い寄せられるような美しい空間だった】
    > この写真ですが、此処に写っている天井ドームはミフラーブ本体のドームではなく、ミフラーブの前空間の天井ドームになります。
    > 説明文で、【ミフラーブの天井を見上げると…】と書いていますが、言葉が足りていないかもしれません。
    > 正確にこの空間を表現しようとすると以下の様な表現になるのかもしれません。
    > 【ミフラーブの入口前の空間。その空間の天井を見上げると…】
    >
    > 写真を上手く説明するのは難しいですね。
    > 誤解を招く様な書き方で、ごめんなさい。
    >
  • ジバゴさん 2016/03/14 21:33:02
    双面のメスキータ;キメラ神殿を歩き、アルカサルの邂逅を解く〜新世界の始まりが、別世界の終焉だとしたら〜【女子二人旅-2 (コルドバ)】
    はじめまして。 ミフラーブの内部を知りたいと思っていろんな旅行記の画像を見ましたがウェンディさんの横向きから撮った写真が良かったです。
    若干ブレ気味ですが暗い中で望遠を使ったからかもと思いました。

    あとガーデニングが趣味ですが、アザミのような姿をしたものはやはりガザニアの花が散ったものでしょう。 散ろうとしてる花弁が一部残ってる個体が見えますので。

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2016/03/14 21:56:59
    はじめまして
    ジバゴさん、はじめまして。

    メスキータのミフラーブの写真ですが、ミフラーブの前には身長位の高さの鉄格子があり、その上にカメラを持ち上げバリアングルモニターを起こした状態で液晶を見ながら撮影していました。
    かなり不安定な格好での撮影でしたので、手振れを起こしたのかもしれません。
    一眼レフの初心者版カメラとはいえ、500gを超えるの重さは、女性が片手で支えるにはちょっと辛いですね。

    アルカサル庭園のガザニアの花。
    40℃を超す気温の中でも元気よく咲いていて、お花って結構強いものだ…と感心しました。
    アザミの様なポンポンはやはり、ガザニアの種子となる部分だったのですね。
    私は植物を育てるのが本当に苦手で、ガーデニングが得意な方がとっても羨ましいです。

    ウェンディ
  • マリアンヌさん 2015/08/27 10:27:50
    アンダルシア☆
    ウェンディさん、こんにちわ。

    コルドバ散歩いいですねぇ。
    私は30年前ツアーでアンダルシアにちょこっと行っただけなので(イベリア航空でしたよ)新鮮です。
    メスキータもあ〜こんな感じだったなぁととても懐かしく拝見しました。
    当時は普通のカメラでしたから、内部は全然きれいに取れませんでしたから、記憶に残っているだけです。

    それに列車の予約方法などノウハウの情報、ありがたいです。
    フォローさせていただきますね。
    私も会社卒業したら行ってみたいところが、たくさんありすぎるのですが、アンダルシアは魅力的で候補にいれちゃいます☆
    スペイン語も勉強されたのですね。さすが!
    私は英語全然ダメでイタリア語だけなのですが、少しだけでもコミュニュケーションとれると旅の豊かさが違いますよね。
    やっぱ勉強しないとなぁ・・・

    ハイライトのグラナダ楽しみにしています。

    マリアンヌ

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2015/08/28 22:32:40
    RE: アンダルシア☆
    マリアンヌさん こんばんは。

    マリアンヌさんもスペインを旅されたことがあるのですね。
    30年前のスペイン、旅行記とは異なった風景が広がっていたのではないかと思います。

    今回のスペイン旅は飛行機の予約は早かったものの、実質的に予約等に動き始めたのは半年前。
    文明国だから、交通機関の予約もネットで簡単に…となる筈だったのですが、なかなか思う様には行きませんでした。
    一番の曲者はスペイン国鉄のレンフェ。
    ネット接続は拒否られるは、タイムテーブルは1か月前ギリギリにならないと発表しないは…で、かなり手こずりました。
    でも、色々と調べたおかげで、必要最低限以外の知識が大量に身に付き、それはそれで楽しかったのですが…、スペインは初個人旅の時には、ちょっと手間がかかる国でした。

    マリアンヌさんはイタリア語を勉強されているという事。
    その国で話されている言葉がわかると、旅は何倍も楽しくなりますよね。
    私もスペイン語を少しだけ話しますが、スペインの人はこちらがスペイン語を話すとわかると、とたんにフレンドリーになって、機関銃のように話し始めます。
    タクシーの運転手さんや、ホテルのフロントの方、バルのウェイターの方…。
    みなさん、本当におしゃべりが大好きです。
    こんな風に言葉が通じると、もっと語彙力や文法力を身に付ければ、旅は更に面白くなりそうだ…と感じています。
    語学は使わないと錆びてきてしまうし、単語は抜けて行ってしまうし、継続的に学習することが大事ですね。
    私も、もう少し真剣に問題集にでも取り組もうかと思い始めているところです。

    マリアンヌさんは会社を卒業されたらの、最初の候補地はもう決まっていますか。
    私は、卒業したら…一番行きたいのはギアナ高地のトレッキングです。
    でも、そこまで体力を維持できるのか、それが一番の問題かもしれないですね。

    最後になりましたが、私からもフォローをよろしくお願いします。

    ウェンディ
  • aoitomoさん 2015/08/01 23:36:08
    光で輝くメスキータも見てみたいです。
    ウェンディさん

    『アルファ米』
    アルファ米持参というのが驚きました。
    しかし、私もヨーロッパ方面に行くときはアルファ米のおにぎりを持参するかもしれません。
    海外旅行が初めての御友人が入れば、きっとアルファ米のご飯とレトルトの味噌汁おいしさとありがたさが実感できたことでしょう。

    『アンダルシア地方』
    スペインの南に位置するだけに夏は暑いのですね。
    日中に移動して朝と夕方以降に街歩きというのも計算してますね。

    『メスキータの暗がりの謎』
    光をもたらしていた時代のメスキータの光景も見てみたいものです。

    『メスキータ中で教会施設』
    イスラム建築内の教会との建築様式が入り乱れた融合部分は確かに違和感を否めないです。
    教会施設を作る人も納得をいかないまま作ったに違いありません。(笑)
    スペインだからこそ、スペイン人の建築物を見る目があったからこそメスキータが破壊されずに残ったのかもしれませんね〜
    何とも不思議な建築物です。

    『アルカサル・ミナレット』
    トルコのビサンチン聖堂は鐘楼の無いドーム型なため天を突くスリムなミナレットがバランスがいいということで細い鉛筆型のミナレットとしているようです。
    トルコのミナレットが太かったり角塔だったらやだな〜
    私も詳しくはしりませんが『イスラムものしり事典』という文庫本にその辺が少し書いてあります。

    『梅毒スピロヘータ』
    天然痘などで民族壊滅に追いやられ、
    征服者への復讐が梅毒スピロヘータという考え方も面白いです。
    確かにコロンブスが梅毒スピロヘータをヨーロッパに持ち帰ったというのは有力な説とされてますね。
    スピロヘータはグラム陰性の真正細菌に分類されます。

    ウェンディさんの歴史を紐解くコメントはさすがです。
    ユダヤ人街の街歩きでは何を語るのでしょうか〜
    楽しみです。

    aoitomo

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2015/08/03 00:18:22
    RE: 光で輝くメスキータも見てみたいです。
    aoitomoさん こんばんは。

    スペインへの旅は、行く前より旅から帰ってきてからの方が疑問点が沢山出てきて、旅の後もかなり楽しんでいます。

    トルコのミナレットの話は、なるほど〜ですね。
    情報をありがとうございます。
    確かにつるんとしたドーム型の天井には、鉛筆型のミナレットがよく似合います。
    中東ヨルダンで見かけたキング・アブドゥッラーモスクのミナレットはトルコの鉛筆型を少し太くした様な形だったのですが、きっとドーム天井に似合うようにデザインしたらあんな形になったのでしょうね。
    教えて頂いた本、面白そうなので、読んでみますね。

    今回の旅行記は、スペインの旅行記でありながらもちょっとだけ視点を変えて、時間の横軸で見た感じで書いてみました。
    旅をしていると、それぞれの旅先の国での感想は其処の場所止まりとなってしまいがちですが、実際の歴史はかなり複雑に入り組んでいて、どこの国の立場によって文章を書くかによって、かなり書きぶりが変わってきます。
    私自身が、もともとが中南米の遺跡に惚れこんでスペイン語の学習を始めたので、最終的には若干、中南米寄りの文章構成となってしまったかもしれません。

    次のユダヤ人街編は、女子旅感満載(それっていったい何?と突っ込みが入りそうですが)で書く予定です。

    ウェンディ
  • 備前屋ねこさん 2015/08/01 16:54:46
    メスキータ
    ウェンディさん、こんにちは♪

    この前トルコに行っていたと思ったら今度はスペインに行ってたんですね〜

    メスキータ、いいですね〜
    スペインに行ったら是非見てみたい場所です。
    私は志摩スペイン村でアレのニセモノを見た事がありますよ〜エッヘン(意味不明)

    メスキータというと赤と白のしましまアーチと柱が印象的で自分の中でもそのイメージばかりでした。
    アーチと柱にどうしても目が行ってしまってあまり天井に目がいかなかったけれど白い漆喰アーチ型の天井の部分と茶色い木造のような天井の部分の場所があったりするんですね。
    それによって結構雰囲気変わりますねぇ。
    そしてイスラム色の強い場所とキリスト色の強い場所もあったり、両方が見事に融合していたり。
    それがスペインの魅力でもあるのかな。

    気温40度超えの暑いスペイン。
    でも湿気が少なく乾燥していそうなイメージですね。
    雲ひとつない青い空と明るい日差しが素敵でした♪


       備前屋ねこ


    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2015/08/02 21:13:00
    RE: メスキータ
    備前屋ねこさん こんばんは。

    今年は例年より一足早めの夏旅となったため、トルコとスペインの旅が思いの外、近くなってしまい、結局トルコ旅行記を書き終らない内にスペインへと旅立ってきました。

    今回のスペイン旅は、5月のトルコとは旅の趣旨も同行者も異なったのですが、蓋を開けてみれば、共通点はイスラム文化。
    自身でもその共通点に気が付いたのは旅の1か月位なので、間が抜けているなぁとは思いましたが、同じイスラムの流れを組む文化(一方はイスラム→キリスト、他方はキリスト→イスラム)で、その違いを肌で感じることが出来て、ワイルド旅の多い私にしては文化的な旅をしているな〜と思いました。

    備前屋ねこさんが書かれているように、私自身もメスキータに対しては、旅の前は他の方の旅行記を見てもステレオタイプなイメージしかもっていなかったのですが、実物を見て、二重アーチの部分やシングル・アーチの上が石膏で固められているモノ、そしてカトリック教会のゴシック模様と融合しているもの…の様々なパターンがあることを知りました。

    モスクとカトリック教会との融合部分は、デザインとしてよくできている!と思える箇所もありましたが、どうしてこうなってしまったのかなぁ?と首をかしげたくなる部分も多々ありました。
    こんな感想を持つのは私だけかと思い、試しにスペイン語の師匠(スペイン人)に聞いてみたら、彼女も似たような感想を持っていたので、やはり現地の方から見ても、なんだかなぁ…と云う部分もあるみたいです。
    まあ、そんな部分もあるからこそ、世界的にも稀なキメラな宗教施設として世界遺産となったのだと思います。

    スペインは暑かったですが、日本よりも過ごしやすい…です。
    帰国してから2週間。連日の暑さと湿度に参っています。
    今日も34℃の室内でお掃除をしていて、危うく熱中症で倒れそうになりました。

    夕方になると涼しい風が吹いていた夏、子供の頃に感じていた夏は何処に行ってしまったのでしょうね。

    ウェンディ
  • きなこさん 2015/08/01 10:41:30
    メスキータのミナレット
    こんにちは〜
    ワクワクしながら拝見しました

    そうですねぇ
    言われてみればミナレットの形状が違いますねぇ
    円柱形が当たり前だと思っていましたが、角柱ですね

    歴史的に重たくなった気持ちをガーベラやバラが現実の世界に戻してくれますね
    あれはアザミですか?ジュラシュのアルテミス神殿を思い出しますね


       きなこ

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2015/08/02 20:24:03
    RE: メスキータのミナレット
    きなこさん こんばんは♪

    今回のスペイン旅は奇しくもトルコの旅と2か月違い。
    トルコのアヤソフィアは、元がカトリックの教会をモスクへと転用した宗教施設。
    スペインのメスキータは、イスラム教のモスクをカトリック教会へと転用した宗教施設。
    双方の施設とも征服者側が元々の施設の芸術性を認め、後世に残したものでした。

    スペインに行く前は、二つの宗教施設の差異を観察してこよう♪と思っていましたが、同じ目的で作られた施設とは思えないほどの違いがあり、現地では???が沢山生まれてきて、帰国後に再び図書館に資料を探しに行き、学習し直しました。

    メスキータに付属するミナレットの形状が国により違うのも不思議でしたが、トラベラーのaoitomoさんが、トルコの鉛筆型ミナレットについて教えて下さいました。
    同じ目的で建築された宗教施設でも、処変われば…ですね。

    アルカサルの城の庭園に咲いていたガーベラの様な花。ガーベラかと思っていましたが、ガザニアというお花だそうです。
    42℃にもなる暑さの中で咲く花のバイタリティって凄いですし、花を見てガテン系を感じたのは、今回が初めてでした。
    日本の暑さと湿気でぐったりとしている私もコルドバの花たちを見習わなければならないですね。

    アザミの様なツンツンしているのは何のお花でしょうか…。
    ガザニアの花が終わった後の実なのかもしれません。

    ヨルダンのジェラシュの野原。
    アルテミス神殿の傍にも、野草がいっぱい咲いていましたね。
    思い出すと、また行きたくなってしまします。

    ウェンディ

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