知るほどに伝わってくる近代化産業遺産のすごさ。
- 4.5
- 旅行時期:2014/02(約12年前)
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by モッサンさん(男性)
下鴨・宝ヶ池・平安神宮 クチコミ:6件
南禅寺の側にある長さ約93m、幅約4m、水路幅約2.4mの古代ローマ時代の水道を模した水路橋であり、琵琶湖疏水の枝線の一部をなしている。琵琶湖疏水は琵琶湖湖畔から山科を経て鴨川に至る全長約12キロの水路で、現在も年間2億トンの湖水を京都に提供している。京の都に琵琶湖と結ぶ運河があったらという発想は秀吉の時代からあったものの、莫大な費用と難工事が伴うため手がつけられていなかったが、明治維新になり1869年の東京遷都により、京都の衰退に危機感を持った知事が推し進めたものである。ここからが信じられないような話だが、東京工部大学校(現東大)の卒業論文で琵琶湖疏水は実現できると書いた21歳の田辺朔郎に工事を一任し、外国の力に頼らず日本人だけで設計を行ない、明治18年(1885年)起工し、1890年には12キロの距離を高低差僅か4mで開通させていることである。南禅寺の横に水路を通すことについては、かの福沢諭吉でさえ京都の近代産業化には理解を示さず、水路閣をやり玉にし山水の美、古社寺の典雅を傷つけると批判をしたそうだ。琵琶湖疏水が完成した結果、京都に日本初の水力発電所ができ、東京より先にアーク燈が灯り、更に日本初の電車である京都市電も開通し、当時の京都は日本の最先端だったという。本当に明治時代というのは凄まじいエネルギーで近代化がすすめられたものだとつくづく思う。水路閣は、ここから西500mのところにあるインクライン(傾斜鉄道)とともに日本を代表する近代化産業遺産として1996年に国の指定を受けている。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
- 明治時代に日本人の設計でここまでつくりあげた。
クチコミ投稿日:2014/02/15
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