sio爺さんのクチコミ(13ページ)全844件
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投稿日 2019年01月26日
総合評価:3.5
4泊5日の長州旅行の最終泊は小倉にした。このホテルを選んだのは、大浴場があることと朝食のクチコミ評価が良かったため。場所はJR小倉駅からモノレールの下を10分程歩いて曲がって進むと見える。実際に行ってみると、1階部分は工事中のような感じで乱雑だった。良かったのは、自転車を貸してくれるところ。早朝散歩で利用して、小倉城を見学してきた。
- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 3.5
- 接客対応:
- 3.5
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 3.5
-
投稿日 2019年01月25日
総合評価:4.0
レンガ造りの外観にまず惹かれる。
門司税関のHPには、下記の記載がある。
「旧門司税関は、初代庁舎が焼失したため同じ場所に明治45年に二代目庁舎として建設され、昭和2年まで使用された。
その後、民間に売却されて倉庫等として使用されていましたが、平成7年に門司港活性化のためレトロ事業の一つとして改修され往時の姿を取り戻しました。」
社会悪物品隠匿の手口や、偽ブランド商品は輸入禁制品の展示などは旧税関庁舎らしさがよく出ていた。なおレンガ造りの庁舎内はレトロ感が醸し出されていた。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2019年01月25日
総合評価:4.0
門司港レトロ散策で、旧門司税関庁舎見学後に訪問した。
説明板には、
「大連市と北九州市の友好都市締結15周年を記念して、両市の文学的・歴史的に意義のあるシンボルとなるように、大連市にある歴史的建造物を文献資料や実測資料を基に建設当時に近い形で複製建築した」との記載があった。
ここは外観の写真を撮影する程度にした。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2018年12月08日
-
投稿日 2018年12月08日
総合評価:4.0
長府では、乃木神社を参拝した後、境内にある宝物館で乃木家の家系図を見た。ウィキペディアにも指摘があるが、家系図を見ると乃木将軍と玉木文之進さんは、先祖が親戚筋だった。玉木文之進は松陰先生の叔父であり松下村塾の創始者だ。宝物館には乃木将軍の真筆をはじめ、愛用の品々などを多数展示してあった。猛暑日の昼間の訪問となり、他に見学者はいなく、猛暑ではあったがじっくりと見学することができた。
- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年12月05日
総合評価:3.5
下関の忌宮神社は、城下町長府にある。古事記や日本書紀にも記されている伝統ある神社で、長門国二宮だそうだ。功山寺参拝を終えて乃木神社に向かう途中、道を間違えたおかげで辿り着くことが出来た。訪問時は、境内にたくさんの竹が立てられており、これは後で調べると数方庭(すほうてい)祭の準備のようだった。数方庭祭は、忌宮神社で8月7~13日に行われる祭で、仲哀天皇が、九州の熊襲を扇動して攻めてきた新羅の塵輪を退治し、人々が矛をかざし旗を振って歓喜したのが始まりと伝わり、数方庭祭は1800年の歴史があるそうだ。
- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年12月05日
総合評価:3.5
明治15年、山口県に生まれた種田山頭火は、自由律俳句で有名な放浪の俳人というイメージだったが、大地主の長男として生まれ、私立周陽学舎(現在の県立防府高等学校)を首席で卒業した後、早稲田大学の前身である東京専門学校に入学した。高等予科を卒業して早稲田大学大学部文学科に入学するが、神経衰弱のため大学を中退して防府の実家に帰郷。実家が事業に失敗した後、熊本に移り住むが酒に溺れ、寺男になった後、寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅して句作を行い、昭和13年に湯田温泉街の龍泉寺上隣の民家の離れ四畳一間
に移り「風来居」と名付けて約11か月住むが、翌年には松山に移住し、昭和15年に松山で没した。当地に句碑がある理由が判明した。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年12月05日
総合評価:3.5
井上馨は天保6年(1836)、長州藩士・井上光亨の次男として周防国湯田村(現・山口市湯田温泉)に生まれ、嘉永4年(1851)に兄とともに藩校・明倫館に入学した。松下村塾には入っていないようだ。安政2年、藩主毛利敬親公の江戸参勤に従い下向、江戸で伊藤博文と会い、江川太郎左衛門などに蘭学を学んだ。
幕府の第一次長州征伐に際し、武備を怠らずに恭順することを唱えたため、藩の保守派(俗論党)に睨まれ、山口の政事堂から湯田の自宅に帰る途中、刺客に襲われた。瀕死の状態で家に運ばれた井上馨を、たまたま訪れていた美濃の浪士で医術の心得のある所郁太郎が、畳針で傷口を縫い合わせ、井上馨は命拾いをしたそうだ。井上馨像の横に所郁太郎顕彰碑があるのは、その所郁太郎の功績を讃えるためだろう。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年12月04日
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投稿日 2018年12月04日
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:4.0
JR湯田温泉駅を出ると、左側に大きな狐の像と足湯がある。なぜ白狐かというと、昔、傷ついた白狐が毎晩お寺の小さな池にやってきて足をつけており、それを見た和尚さんが池を深く掘ると温泉が湧き出たという伝説に基づくそうだ。
JR湯田温泉駅到着は夕方で、出発は翌々日の昼過ぎだったが、入っている人は誰もいなかった。湯田温泉に宿泊する人は皆、自分が泊まるホテルで入浴するためだろう。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年12月02日
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
伊藤博文は天保12年(1841)、周防国熊毛郡束毛村(今の山口県光市)の百姓・林十蔵の長男として生まれる。家が貧しかったため、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、武兵衛が安政元年(1854)に足軽・伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と改名したため、十蔵・博文父子も足軽となったそうだ。(以上ウィキペディアより)
伊藤直右衛門の居宅に十蔵・博文父子たちが一家をあげて居住したところが伊藤博文旧宅だ。
旧宅は外観のみの見学自由だ。旧宅と隣接する伊藤博文別邸を併せて見学することにより、江戸末期に百姓の子として生まれた伊藤博文が下級武士の身分となり、松下村塾入門、イギリス留学などを経て明治維新を迎え、明治政府の有力者として要職に就き、初代総理大臣となった生涯の一端が伝わってくる。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年12月02日
総合評価:4.0
午後からの萩市内見学も、萩博物館の時点で気がつけば4時を過ぎていた。一日券を持って廻っており、次に目指したのは伊藤博文別邸。萩のボランティアガイドの方が、松陰神社の駐車場に車を置いたらすぐ、と言っていたが、土地勘のない人間が探し当てるには無理があった。松陰神社駐車場でナビに住所を入れてたどり着いたが、すごい遠回りをしたことが、帰路に判明した。ひょっとしたら近道があるのかもしれないが・・・。
さて伊藤博文別邸については、閉館間際にもかかわらず、ボランティアの方がとても丁寧に説明してくださった。伊藤の没後に、東京在住の頃の邸宅を移築したそうだ。東京品川区の場所は今はマンションになっているということを、ボランティアの方も来館者から聞いたそうだ。移築されて保存され、本当に良かったと思う。
また萩の現在地が旧宅の隣であり、土地所有者の方から提供されたこと、節目造りの天井の間があり、匠の技を持った当時の職人の技術のたまものであることなど、ボランティアの方からいろいろ教えて頂いた。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年11月19日
総合評価:2.0
松下村塾を見学し、松陰神社を参拝し、次は松陰神社宝物館だ、と思って勇んで入ると、いきなりロウ人形があった。次も、その次もロウ人形だった。まさかと思ったが、そのまさかで、ここはロウ人形館だった。右肩上がりの松陰先生の字体と覚しき掛け軸もあったが、真筆かどうかの確認もしなかった。決してロウ人形を否定するつもりは無いが、松陰先生の直筆をはじめとするゆかりの品を見学したくて松陰神社宝物殿至誠館に入るはずだったので・・・・・あとは出るしかない。時間のロスは2~3分だが、ホンモノを見たかった自分にとってダメージは大きく無駄な出費となった。事前に確認しなかった自分のミスだが、ここはロウ人形館、ということがわかるように表示しておいてほしかった。
- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 2.0
-
リーズナブルな夕食を楽しむ
投稿日 2018年11月24日
総合評価:4.0
長州旅行の2日目、夕方に湯田温泉に到着した。夕食は場所を決めていなかったので、ホテルから至近距離にあったガストにした。翌朝の散歩でガストの前の通りに、飲食店がたくさんあったことがわかったが、それはどうでもいい。ガストで気に入ったのは、99円ワインがあったことだ。赤と白を飲んで、どちらかをもう一杯飲んだ。つまみでは、いかリングフライが気に入ったが、他に注文したモノも良かった。湯田温泉宿泊での夕食を楽しむことができた。
- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 4.0
-
投稿日 2018年11月24日
総合評価:3.5
JR湯田温泉駅からホテルきらくまで10分ぐらい歩く。ホテルはツインルームで結構広く、バストイレの他に洗面所があった。大浴場は温泉で、翌朝、肌がツルツルになった感じがした。サウナはなかった。自転車を貸して頂いたので、翌朝、山口市内の寺社を少しまわることができた。 一階ロビーには、山口出身の歴代総理大臣の写真が飾られていた。郷里の偉人達を誇りにしている姿勢を感じた。なお、今、当時の写真を見てみると、宿泊したこの部屋で師匠から頂いた極上のワインを飲んだことが素晴らしい思い出として、よみがえってきた。
- 旅行時期
- 2016年07月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 3.5
- 接客対応:
- 3.5
- 風呂:
- 4.0
- 食事・ドリンク:
- 3.5
-
投稿日 2018年11月19日
総合評価:3.5
萩に行ったら行こうと思っていたところ。夏休みのためか、館内では萩藩とは直接関係の無さそうな恐竜展のようなものをやっていたが、それはスルー。
萩藩関係では、高杉晋作愛用の品々や、松陰先生を中心として、久坂等の直筆の手紙の展示が中心だった。いろいろなやり取りから、日常の生活の一端を窺うことができた。 展示そのものは多いとは言えないが、松陰先生直筆の手紙、高杉や久坂など維新関係者達の手紙などが展示され、見る人の理解力や受容力に応じて、様々なことを語りかけてくれているようだった。なお館内撮影禁止のため、画像はない。- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2018年11月19日
総合評価:3.5
萩市内の土地勘は全くなかったが、レンタカーのナビを便りにホテルにたどり着いた。部屋は通常のツインルーム。大浴場があるのて、部屋の風呂は使わなかった。萩市内の歴史探訪であちこち見て回ったが、見所があまりに多く、朝のお散歩タイムを使っても、予定したところを回りきれなかった。そのため朝風呂も省略したので、これが心残り。朝食は、ご飯と味噌汁、サラダ等の簡素なものだか了解済みで、旅行中は食べ過ぎてしまうので、これ位でいいだろう。
- 旅行時期
- 2016年08月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 3.5
- 接客対応:
- 3.5
- 風呂:
- 3.5
- 食事・ドリンク:
- 3.5
-
投稿日 2018年11月19日

























































