伊藤博文旧宅
名所・史跡
3.37
伊藤博文旧宅 クチコミ・アクセス・周辺情報
萩 観光 満足度ランキング 17位
初代内閣総理大臣・伊藤博文が14歳から13年間、両親と住んだ茅葺き平屋建ての小さな建物。この旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。もとは萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。その後、博文が明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家です。萩の松下村塾には17歳のときこの家から通いました。外観のみ見学可能です。旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。また、隣接して東京より移築した別邸があります。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
当時の暮らしぶりがわかる小さな家でした
4.0
- 旅行時期 2023/03
- by mikanさん
伊藤博文は元は光市の農家で生まれ、父親が伊藤家の養子となり、一家で入家して、移り住んだ家で、わずか29坪の小さな家です。明... 続きを読む治元年1968年兵庫県知事に赴任するまで、ここを本拠としていたそう。小ぢんまりとしていて、質素な雰囲気で当時の暮らしぶりがわかりました。 近くには東京の本邸が移築して並んでいました。松陰神社、松下村塾も近くにあるので、併せて行くのがおすすめです。 閉じる
クチコミ・評判
3.37
(42件のクチコミ)- アクセス:
- 3.37
- 循環バス松陰神社前から徒歩で5分もかかりません。 by パリが大好きさん
- 人混みの少なさ:
- 3.73
- 観光客の方は見かけませんでした。 by パリが大好きさん
- バリアフリー:
- 3.13
- 松陰神社前からはほぼ平坦に近い道です。 by パリが大好きさん
- 見ごたえ:
- 3.44
- 当時の下級武士の住宅なので、それほど見応えはないです。 by パリが大好きさん
1~20件(全42件中)
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こじんまりした建物です
- 3.5
- 旅行時期:2024/10(約1年前)
- 0
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リニューアル
- 3.0
- 旅行時期:2023/07(約2年前)
- 0
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伊藤博文が兵庫県知事になるまで過ごした旧家です。
- 3.5
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
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伊藤博文旧宅
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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後の活躍の基礎を得たところですね。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
ここには北側に修復工事中の小さな旧宅、南隣に大きな別邸が並んでいました。旧宅は別邸と比べるので小さいと思いますが、約29坪... 続きを読む(約95.7㎡)もあります。博文は、1841年(天保12年)に現在の山口県光市の農家・林十蔵の長男としてに生まれています。農家なのに名字があるのは、親類が庄屋でその補佐役をやっていたからです。トラブルから父親だけは萩に移り、萩藩の中間・伊藤直右衛門の養子の口を見つけ、一家は伊藤家に入ります。中間の身分は相当低いですが、意外なほど家が大きいと思います。増築をしたと書かれたものが見付かりませんので、入家した時のままだと思います。中間の伊藤直右衛門はどんな事情があって、この家に住むことになったのでしょうかね。なお、博文は新政府の参与などをやっているときは仮住まいだった様で、兵庫県県令になった1868年(慶応4年/明治元年)にやっと本拠を持っています。 閉じる
投稿日:2021/08/02
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意外なほど大きな家です。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
松陰神社の入口から5、6分歩いたところに、伊藤博文旧宅がありました。ただ今、修復工事中です。建坪は29坪もあるそうなので、... 続きを読む当時としては決して小さな家ではなかったのだろうと思いました。伊藤博文が1868年(明治元年)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家とのことです。この家は、元々は萩藩の中間・伊藤直右衛門の居宅だったそうです。中間は軽卒とも呼ばれ、足軽の下です。1854年(安政元年)に、博文の父・農家の林十蔵が伊藤家の養子になれたので、一家で伊藤家に入家して住むことになったそうです。この旧宅の北隣に伊藤博文の銅像があったので見に行ったらびっくりです。これは銅像ではなく萩焼で作った陶像でした。 閉じる
投稿日:2021/06/22
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修復工事中
- 2.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
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残念ながら、修復工事中
- 3.5
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
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2020年末現在、絶賛、保存・修理工事中でした
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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工事中でした
- 3.5
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
- 0
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今にも崩れ落ちそうな建物は、雨漏りがしているらしくビニールシートがかぶせられていました。
- 4.0
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
- 0
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茅葺き屋根の家屋
- 3.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
- 1
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松陰神社や松下村塾に来たなら伊藤博文の生家もぜひ見学を!
- 4.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 0
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伊藤博文の生まれた家
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
- 0
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松陰神社から近いのに遠回りしないとたどり着けない
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 2
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17時過ぎに行ったので、戸締りを始めていて銅像しか見れませんでした
- 3.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
- 0
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伊藤博文の家
- 3.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 1
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別邸と併せて見学したい、伊藤博文旧宅
- 3.5
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 10
伊藤博文は天保12年(1841)、周防国熊毛郡束毛村(今の山口県光市)の百姓・林十蔵の長男として生まれる。家が貧しかったた... 続きを読むめ、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、武兵衛が安政元年(1854)に足軽・伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と改名したため、十蔵・博文父子も足軽となったそうだ。(以上ウィキペディアより)
伊藤直右衛門の居宅に十蔵・博文父子たちが一家をあげて居住したところが伊藤博文旧宅だ。
旧宅は外観のみの見学自由だ。旧宅と隣接する伊藤博文別邸を併せて見学することにより、江戸末期に百姓の子として生まれた伊藤博文が下級武士の身分となり、松下村塾入門、イギリス留学などを経て明治維新を迎え、明治政府の有力者として要職に就き、初代総理大臣となった生涯の一端が伝わってくる。
閉じる投稿日:2018/12/02
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けっこうご近所の子供だったんですね
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 1
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初代総理大臣の旧宅ですね
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
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