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ドクターキムルさんのトラベラーページ

ドクターキムルさんへのコメント一覧(6ページ)全72件

ドクターキムルさんの掲示板にコメントを書く

  • 思い出・・・。

    ドクターキムルさん

      こんばんは・・・。
      この旅行記・・ちょっとびっくりです。
      有名でもなく・・大通りの大いちょうといい・・。
      私は、この宇都宮城跡が子供の頃の遊び場所でした。
      当時は、こんなに綺麗な公園では無く住宅街のなかに
      御本丸公園としてありました。
      
      冬になると御本丸スケート場に毎日通って・・・。
      公園を綺麗に整備する為・・道路も拡張され
      当時の友人達の家もどこかへ引っ越して無くなってしまいました。

      もちろん当時は市役所も今の場所ではありませんでした。

      このあたりが変わった頃は私ももう違う土地で暮らして  
      いましたが・・何とも懐かしい哀愁のある旅行記・・
      思い出にしばし浸らせて頂きました。

    nomo1215
    2010年12月19日21時37分返信する 関連旅行記

    RE: 思い出・・・。

    nomo1215さん

    宇都宮は綺麗な街です。
    これまで良く行っていた栃木県立博物館などもとても綺麗でした。
    北の50万地方都市として整備されたのでしょう。

    宇都宮城の隅櫓の復元は知っており、気になっていました。
    今回はそれを見る目的で出かけました。
    結論から言うと、宇都宮城釣り天井事件などで知られるが、
    関東から北に見られる石垣のない土塁の城で、復元された
    2つの隅櫓も本当にちっぽけなもので、土浦城を見たときと同じ
    失望感を味わいました。
    「有名でもなく・・」と言われるのは最もです。

    しかし、松が峰教会や石の蔵など宇都宮らしい建築を見られて
    行った甲斐がありました。

    大通りの大銀杏の木もアクセントを添えていました。
    自転車で見に来ている人がいましたし、通る人たちは皆一様に
    見とれて写真を撮っていました。
    また、毎日落ち葉を掃いて集める人もいるようで
    下も綺麗になっており、傍らに銀杏の葉を詰めたビニールの
    ゴミ袋が2袋と箒と塵取が置いてありました。

    東武宇都宮線は1時間に2本しかなく、地方都市ならこんなものか
    と思いましたが、それが上りでは昼は2分と27分なのですが、
    2分発は定刻には発車するのですが、27分発は2、3分遅れて
    始発駅を出発します。下り電車が入線してから上り電車を
    発車させるのですから、定刻通りにはなりません。
    それでも2、3分遅れを全く気にしていない宇都宮の人たちや
    東武の運転手さんや駅員さん(車掌はいないワンマン運転)なのですから
    やはり東京とは違います。

    綺麗な地方都市でのんびりした雰囲気を味わうことができました。

    ドクターキムル
    2010年12月21日02時17分 返信する
  • こんにちわ!!

    すばらしい町並み それに建物ですね!
    近年テレビでも栃木の蔵の街などで紹介されてて必ず行きたいと思ってる街です!
     写真見させてもらって余計行きたくなりました!ありがとうございいました!!  enn8801
    2010年11月30日21時25分返信する 関連旅行記

    RE: こんにちわ!!

    enn8801さん

    栃木は蔵の街ですが、巴波(うずま)川を挟んで石造りの蔵と漆喰の蔵とに
    分かれていて見ごたえがあります。

    まだ、3度しか訪れてはいませんが、川越などと比べると人が少なく
    落ち着いて散策できます。また、高岡と比べても川があることで
    京都や高山のような潤いがあります。
    教会も街の雰囲気を引き締めています。
    鯉の餌は今回も50円のままだったような気がします。
    津和野の鯉のようにデブではないのが良いですね。

    まだ、各所にある博物館などにはお邪魔していないのですが、
    こうしたところを巡るのも面白いと思っています。料金は少し
    高めですが。

    これまで壬生には博物館や古墳巡りで何度か出かけていますが、
    栃木は祭りの時にだけ3回しか訪れていないので、私にとっても
    これからの街でしょうか。

    浅草から片道940円と日帰りで出かけるのにはうってつけの街です。
    ちなみに特急料金は片道1200円です。時間に余裕を持って出かけ、
    各駅停車の電車でのんびりと行きたいものです。

    ドクターキムルより
    2010年12月01日17時33分 返信する
  • 三尾神社、先日行ってきました。

    はじめまして、ドクターキムルさん、marsyといいます。
    大津の三尾神社旅行記がアップされておかれましたので、わたしも先日行ったばかりということで拝見いたしました。
    日付を見ますと2年ほど前に訪れられた時の写真でしょうか。
    それほど大きな神社でもありませんでしたが、境内のあちこちにうさぎさんがいましたね。境内を月極駐車場に貸しているということは普段それほど訪れる人もいないのでしょうが、干支の年となる来年のお正月は初詣に行かれる人もやはり多いのでしょうかね。
    ところで、京都から大津へ来られたときに立ち寄られたように見受けますが、この神社は最初から知っておられたのかな?私なんか、滋賀県に住んでいながら先日知ったばかりでした(以前三井寺に行ったことがありますが、全然気がつきませんでした)。

    では失礼いたします。キムルさんの三尾神社旅行記に“ポチッ”とな。

    追伸
    キムルさん鎌倉近辺の方でしょうか?
    11月下旬に東京へ仕事で行くのですが、仕事が終わったあと1日休みをもらって鎌倉か箱根を回って帰ってこようかなと思っています。
    鎌倉へ行くことに決めたら参考にさせていただきますね。
    2010年10月29日09時18分返信する 関連旅行記

    RE: 三尾神社、先日行ってきました。

    はじめまして、marsyさん

    三尾神社は三井寺に行って初めて知りました。
    手水が兎の口からでているので気になっていました。
    翌年春に、また行ったら社殿前に「めおと卯」が奉納されて
    並んでありました。くっ付いていたので狛犬ではないようでした。
    秋には1つだけでした。ちょっと気になりますね。

    来年の干支はいよいよ兎です。
    初詣に行かれる人はやはり多いでしょうね。

    三井寺の鎮守は、他に新羅明神を祀る新羅善神堂(国宝)もあります。
    源頼義の三男義光がこの神の前で元服し、「新羅三郎」と名乗っています。
    実は、鎌倉の古社八雲神社は新羅三郎のゆかりの神社で、
    境内には新羅三郎の手玉石があります。子孫の佐竹氏の鎌倉屋敷もすぐ
    近くです。

    近江・滋賀県は真ん中に琵琶湖があり、饅頭の餡子のない皮ばかりかと
    思っていましたが、奈良。京都に次いで国宝建築(建造物)が多いことが
    分かり、何度も足を運びました。

    私は横浜市戸塚区に住んでいますが、戦前までは鎌倉郡だったところです。
    歴史的には同じ鎌倉郡ですから、幕末から歴史が始まる横浜とは
    違う訳です。
    京都だ、滋賀だと言っても同じ畿内で、かつては都が
    あったりした訳ですから、それほど大きな差はないようですね。
    古代には天智天皇の即位した近江大津宮が志賀宮とも言われ、
    その名が郡名になり、現在の県名になっていることなど、
    大津を散策しないと理解できないかも知れませんね。

    ゆっくり静養もしたいのでしたら、ぜひ箱根にいらしてください。
    少し中世の歴史もかじりたいとお思いでしたら鎌倉にいらしてください。

    古い建築物は鎌倉時代末の1棟だけで、室町時代の建物も5棟と、
    大津に比べたら全く問題にはなりませんが、現在の都、東京に
    近いということで日帰りの観光客が多く、古都には違いありません。

    私のお勧めは、大朽寺(鎌倉駅前)の天井絵、覚園寺(鎌倉市二階堂)、
    「二階堂切通」、釈迦堂口切通でしょうか。「二階堂切通」の中腹には
    獅子舞(小字)と呼ばれる鎌倉では1番の紅葉の名所があり、11月末頃
    (11月中〜12月初?)には見ごたえがあるでしょう。

    鎌倉に関する私の旅行記は多すぎて読み切れないでしょうが、
    悪しからず。

    ドクターキムル
    2010年10月29日20時17分 返信する
  • 龍の飾り瓦がいいですねええ

    ドクターキムルさんへ
    龍の爪の数を確かめに上海、台湾、北京へ行った一歩人です。
    ふ、ふ、瓦はとても楽しく拝見させていただきました。
    特に、龍の飾り瓦が印象的でした。
    とっても楽しく拝見しました。
    ありがとうございました。
    失礼しま〜す。
    2010年10月05日14時07分返信する 関連旅行記

    RE: 龍の飾り瓦がいいですねええ

    一歩人さんへ

    仏壇を見ていると龍の彫り物は多く見られます。
    龍を題材にした彫刻などが寺院建築などに多く見られるのかというと、
    そうでもなさそうです。
    雲龍図は古くからあるようですが、寺社仏閣の入り口を飾る
    木鼻彫刻でさえ、江戸期まで遡るものはなかなか稀のようです。
    神宮寺(新潟県十日町市)の観音堂は江戸中期(1761〜82年)の
    建立であり、鎌倉界隈のものは近代の物ばかりです。
    法隆寺金堂の1階の屋根にある2階の屋根を支える4体の龍
    (古くから支柱は挿入された)は元禄修理時の付加です。
    飾り瓦は京都浄瑠璃寺の阿弥陀堂の屋根に上がっているのが
    古そうな感じがしますが、これも平安時代までしか遡れないでしょう。
    あるいは、これ以外の国宝の金堂や五(三)重塔の屋根には
    飾り瓦が上がっていないことより、鎌倉時代以降のことかも
    知れません。
    龍の飾り瓦はここ東大寺戒壇院で見つけましたが、
    これは江戸時代のものでしょうか。ここ以外では
    龍の飾り瓦は見ていません。
    案外、龍の彫刻などが一般的になっていくのは
    日光東照宮の建立以降なのかも知れませんね。

    ドクターキムル
    2010年10月05日20時47分 返信する

    RE: RE: 龍の飾り瓦がいいですねええ

    ドクターキムルさんへ
    ありがとうございます。
    龍に興味がありましたが、
    飾り瓦にも興味津々。
    浅草寺の鬼瓦や湯島聖堂や築地本願寺の飾り瓦も
    こんどからはよく見ると発見があるのですよね。
    失礼しま〜す。
    2010年10月06日12時48分 返信する
  • はじめまして

    ドクターキムル様

    はじめまして
    西御門サローネで振袖の撮影会があるということで
    どんな場所なのかさがしておりましたら
    ドクターキムルさんの旅行記に出会いました。
    築80年の御屋敷で風情があるようですが
    撮影にはいかがでしょう
    最後の一枠が終了してしまったようで
    キャンセル待ちになってしまうのですが・・。

    honey
    2010年09月23日22時28分返信する 関連旅行記

    RE: はじめまして

    honey様

    西御門サローネで振袖の撮影会をやるとしたら、
    高床式の萱葺き屋根の離れの和室でしょうか。
    確か、茶室(4.5畳)と書斎(6畳)だったと思います。
    床の間が付いて、3尺(90cm)の廊下がガラス貼りの大きな窓に
    なっていました。とても明るい離れです。
    狭いには狭いでしょうが、和服に合い、振袖ならより映えると思います。
    本館の洋間で振袖はないでしょう。暗い感じで振袖も映えません。
    晴れていれば庭も撮影会に使われるでしょう。
    京都清流亭(京都!天下無双の別荘(NHK)で小澤呉服屋の別荘で
    あるかのように紹介された。実際は、大松(株)の福利・厚生施設で、
    小澤さんは大松の会長さんです。重文の数奇屋造りのお座敷で桜を
    愛でながらお昼を頂いていた。)で和服で撮影をしているのを見ましたが、
    素敵でしたよ(。京都清流亭の桜−2009年を見てください)。

    ドクターキムル

    > ドクターキムル様
    >
    > はじめまして
    > 西御門サローネで振袖の撮影会があるということで
    > どんな場所なのかさがしておりましたら
    > ドクターキムルさんの旅行記に出会いました。
    > 築80年の御屋敷で風情があるようですが
    > 撮影にはいかがでしょう
    > 最後の一枠が終了してしまったようで
    > キャンセル待ちになってしまうのですが・・。
    >
    > honey
    2010年09月24日00時01分 返信する

    RE: RE: はじめまして

    ドクターキムル様
    >
    > 早速のお返事頂き
     西御門サローネの情報ありがとうございます。

    > 高床式の萱葺き屋根の離れの和室でしょうか。
    > 確か、茶室(4.5畳)と書斎(6畳)だったと思います。
    > 床の間が付いて、3尺(90cm)の廊下がガラス貼りの大きな窓に
    > なっていました。
     
     とても明るい離れなんですね〜
    >
      狭いには狭いでしょうが、和服に合い、振袖ならより映えると思います。

     ひとりづつの撮影だそうです。 和服に映えますかぁ・・

    > 本館の洋間で振袖はないでしょう。暗い感じで振袖も映えません。
    > 晴れていれば庭も撮影会に使われるでしょう。
     
     庭も晴れていれば使うようですが・・

    > 京都清流亭(京都!天下無双の別荘(NHK)で小澤呉服屋の別荘で
    > あるかのように紹介された。実際は、大松(株)の福利・厚生施設で、
    > 小澤さんは大松の会長さんです。重文の数奇屋造りのお座敷で桜を
    > 愛でながらお昼を頂いていた。)で和服で撮影をしているのを見ましたが、
    > 素敵でしたよ(。京都清流亭の桜−2009年を見てください)。
    ほんとですね。
    以前拝見させて頂いてる旅行記でした。

    やはり撮影できるとやはり良いようですね。
    気がつくのが遅かったのですがキャンセル等でるといいのですが・・。
    ありがとうございます。

    honey
    2010年09月24日05時45分 返信する

    予約とれまして・・。

    ドクターキムル様
    >
    > 西御門サローネで振袖の撮影会
     最後の枠増やして頂けた?ようで
     10月末の夕方からでちょっと心配ですが・・
     チャンスなので予約入れました。
     紅葉がきれいかも知れません
     終わったら西御門サローネアップしたいです。
     快晴になるといいのですが・・。
     honey
    2010年09月30日19時52分 返信する

    RE: はじめまして

    honey様

    西御門サローネで振袖の撮影会
    予約が取れてラッキーでしたね。
    紅葉にはまだ早いと思いますが、
    せっかくですから楽しんできてください。
    また、個人の洋館を見る機会もそれほどは
    ありませんから、この機会に、中をゆっくり
    見学してきてください。

    ドクターキムル
    2010年09月30日22時30分 返信する

    RE: RE: はじめまして

    ドクターキムル様
    >
    > わざわざお返事ありがとうございます。
     西御門サローネで振袖の撮影会
    > 予約が取れてほんとラッキーでした
    > 紅葉にはまだ早いですかぁ
     
    > また、個人の洋館を見る機会もそれほどは
    > ありませんから、この機会に、中をゆっくり
    > 見学してきてください。
    > そうですよね。
      会社半休かできたら休んで付き添う予定にしております。
     娘は写真1枚あればいいと淡泊でして・・
     親が一番愉しみにしてるのかもしれません(笑)
     honey
    2010年09月30日23時36分 返信する
  • なかなか、でもすみません

    ドクターキムルさんへ
    神社の由来をとても興味深く拝聴。
    え!トイレがまたなかなかで。
    すみません、後半の位相は知識なく不明で。
    なにがどうしたのかしら。
    読み下してくださいまし。
    いえ、いえ、無理には。
    失礼しま〜す。
    2010年08月23日06時22分返信する 関連旅行記

    RE: なかなか、でもすみません

    一歩人さんへ

     来年7月24日までで地上波TVのアナログ放送は停波されると告知されています。現在の地上波TVのアナログ放送は6月30日までで、7月に入ると放送内容は各TV局に委ねられ、どのような放送内容になるかはまだ伺い知れませんが、何か7月24日で停波になる警告文が入ることでしょう。NHK BSで受信料のご案内の表示が出るイメージに近いでしょうか。
     地上波TVのディジタル化を見ているとアナログからディジタルへは大変なことが分かると思います。しかし、ケータイではもうとうの昔にディジタル化されています。端末が移動する場合には電波の受信状態が変化するためにより条件がきついと言われていたケータイからディジタル化されるなどと言うことは当時では考えられないことでした。しかし、日本では、良くあることなのですが、アナログの自動車電話がサービスインされた時(1979年12月25日)には次世代システムとして自動車電話のディジタル化の試作開発が進んでいました。実際に自動車電話のサービスイン時には既に試作機の組み立てが始まっていました。当時の電々公社(NTT)の試作・開発では、国内通信各社(所謂電々ファミリ)に一括して試作・開発を任せる、丸投げ方式に似たやり方で、基本方式はNTTから指定され、細部は電々ファミリ側で実現して行くのです。NTTから分社化されたドコモのケータイが今でも製造メーカ間で規格は統一されているようでも細部の仕様には違いがあり、製造メーカの特色があるのはそうした歴史のなごりでしょう。
     こうした研究・開発ではテーマが進み過ぎていたりして中々成功しない場合が多く、このディジタル自動車電話の試作開発の場合も、職場の皆は成功しないものと踏んでいたようです。実験していると職場の先輩諸氏が来ては、「これがうまく行くと世の中はこの様になる。」と一席ぶっていくのです。幸いなことにその夢のような話の内容はその後しばらく経ってから現実のものとなりましたが、ケータイ依存症やケータイを使った犯罪など本来の技術から距離を置いたことは誰も何も指摘してくれませんでした。
     この頃あった常識とされていたことに、「移動通信では振幅値一定」のアナログのFM変調に類するものでないと駄目だと言うことがありました。今ならば昔あった迷信みたいなことですが、自動車電話の最初のディジタル化はこの迷信に合ったものでした。
     当時、赤岩さん(赤岩博士)は上司の松尾さんから、こうした迷信の実証を指示され、逆にこれまで常識とされていたことが迷信であることを実証しました。ちなみに松尾さんは名古屋大学の出で、私がこれまでに出会った人の中では最も頭の回転の良い人の一人です。名大出のノーベル賞学者ではあの著名な野依先生がおりますが、数年前に益川敏英・小林誠両氏が受賞されたときに、名大出で同じ時期に学位を取得した知り合いに聞くと、「クラスには東大を受けずに名大に来る恐ろしく優秀な人が少なからずいたものだ。」と言われ、納得しました。次世代スーパーコンピュータ予算の仕分け作業で、蓮舫議員が「2番ではいけないのですか?」と発言し、あの野依先生が出張ってきたので、「蓮舫は凄い。あの野依先生を怒らせたのだから。」と驚きました。
     この赤岩さんの仕事からは移動体通信系にも直交変調方式が採用され、地上波TVのディジタル化もそうした1つでしょうか。位相をπ/4(45°)シフトするやり方は振幅値の変動を少なくするやり方です。1、0のディジタルのシンボル(×2)をXY座標で表すと、三角形を上下に合わせたXY座標上にあるシンボル(1,0)、(0,1)、(-1,0)、(0,-1)で出来た正方形を45°回して普通の正方形にしている訳で図形的にはありふれた形に変ります。テキスト文だけで図形は描けないのですが、イメージできると思います。こうした自然に見える形の方が技術的にもケータイの変調方式として好ましいのです。
     ちなみに日本国内のケータイのディジタル化は海外ヨーロッパに遅れ、ヨーロッパでは私たちが試作・開発を担当して成功したやり方が採用され、国内では後出しジャンケンとでも言うべきか、その後の技術も織り込んで最新のやり方にして、結果、世界のデファクトから外れてしまいました。ケータイ分野では日本メーカは、世界的に見れば意味のあるシェアは占めてはしません。国内ケータイ市場は特殊な製品展示会場のような様相で存在意義を持ち、新たな機能を確認して世界市場で受け入れられ得るものかを判断する場になっているようです。現在のケータイ時代を切り開いた一人としては想像のできない世界になってしまいました。
     ついでにもう1つ。私たちが試作・開発して成功したために、製品化してオーストラリアに輸出されました。1980年代のことです。図面やスペックが英語化され、技術開示され、しかも基本特許がなかったことがヨーヨッパのケータイに採用され、世界のデファクトとなった要因でしょう。その後開発された製品は技術的には大変古いものであり、アポロが月に行き1960年代に月の映像を地球に送信してきたNASAが開発したシステムを採用したものです。ケータイの分野は日進月歩と言われてきましたが、以外なこともあるものです。このやり方を提唱したのは誤り訂正符号で余りにも有名なビタビ博士です。このときには国内の無線関係の博士は、「この方式で実用化できる訳がない。」と言う声が支配的でした。しかし、実現されると誰もが当時の発言に責任を持ちません。博士なら責任を感じて学位を返上すべきでしょうか。私は通信関連と言っても集積回路(LSI)分野の博士なので通信分野のレベルは良くは分かりませんが、通信分野の博士には符号理論分野のビタビ博士レベルの人は皆無だったことは分かります。専門家の意見にも眉唾だという貴重な経験をしたと思います。この当時、ビタビ博士のやり方を最初に解説したのが松尾さんです。それが出来たのは、やはり頭が素晴しく良かったからでしょうね。

    ドクターキムル
    2010年08月23日12時09分 返信する

    RE: RE: なかなか、でもすみません

    > 一歩人さんへ
    >
    >  来年7月24日までで地上波TVのアナログ放送は停波されると告知されています。現在の地上波TVのアナログ放送は6月30日までで、7月に入ると放送内容は各TV局に委ねられ、どのような放送内容になるかはまだ伺い知れませんが、何か7月24日で停波になる警告文が入ることでしょう。NHK BSで受信料のご案内の表示が出るイメージに近いでしょうか。
    >  地上波TVのディジタル化を見ているとアナログからディジタルへは大変なことが分かると思います。しかし、ケータイではもうとうの昔にディジタル化されています。端末が移動する場合には電波の受信状態が変化するためにより条件がきついと言われていたケータイからディジタル化されるなどと言うことは当時では考えられないことでした。しかし、日本では、良くあることなのですが、アナログの自動車電話がサービスインされた時(1979年12月25日)には次世代システムとして自動車電話のディジタル化の試作開発が進んでいました。実際に自動車電話のサービスイン時には既に試作機の組み立てが始まっていました。当時の電々公社(NTT)の試作・開発では、国内通信各社(所謂電々ファミリ)に一括して試作・開発を任せる、丸投げ方式に似たやり方で、基本方式はNTTから指定され、細部は電々ファミリ側で実現して行くのです。NTTから分社化されたドコモのケータイが今でも製造メーカ間で規格は統一されているようでも細部の仕様には違いがあり、製造メーカの特色があるのはそうした歴史のなごりでしょう。
    >  こうした研究・開発ではテーマが進み過ぎていたりして中々成功しない場合が多く、このディジタル自動車電話の試作開発の場合も、職場の皆は成功しないものと踏んでいたようです。実験していると職場の先輩諸氏が来ては、「これがうまく行くと世の中はこの様になる。」と一席ぶっていくのです。幸いなことにその夢のような話の内容はその後しばらく経ってから現実のものとなりましたが、ケータイ依存症やケータイを使った犯罪など本来の技術から距離を置いたことは誰も何も指摘してくれませんでした。
    >  この頃あった常識とされていたことに、「移動通信では振幅値一定」のアナログのFM変調に類するものでないと駄目だと言うことがありました。今ならば昔あった迷信みたいなことですが、自動車電話の最初のディジタル化はこの迷信に合ったものでした。
    >  当時、赤岩さん(赤岩博士)は上司の松尾さんから、こうした迷信の実証を指示され、逆にこれまで常識とされていたことが迷信であることを実証しました。ちなみに松尾さんは名古屋大学の出で、私がこれまでに出会った人の中では最も頭の回転の良い人の一人です。名大出のノーベル賞学者ではあの著名な野依先生がおりますが、数年前に益川敏英・小林誠両氏が受賞されたときに、名大出で同じ時期に学位を取得した知り合いに聞くと、「クラスには東大を受けずに名大に来る恐ろしく優秀な人が少なからずいたものだ。」と言われ、納得しました。次世代スーパーコンピュータ予算の仕分け作業で、蓮舫議員が「2番ではいけないのですか?」と発言し、あの野依先生が出張ってきたので、「蓮舫は凄い。あの野依先生を怒らせたのだから。」と驚きました。
    >  この赤岩さんの仕事からは移動体通信系にも直交変調方式が採用され、地上波TVのディジタル化もそうした1つでしょうか。位相をπ/4(45°)シフトするやり方は振幅値の変動を少なくするやり方です。1、0のディジタルのシンボル(×2)をXY座標で表すと、三角形を上下に合わせたXY座標上にあるシンボル(1,0)、(0,1)、(-1,0)、(0,-1)で出来た正方形を45°回して普通の正方形にしている訳で図形的にはありふれた形に変ります。テキスト文だけで図形は描けないのですが、イメージできると思います。こうした自然に見える形の方が技術的にもケータイの変調方式として好ましいのです。
    >  ちなみに日本国内のケータイのディジタル化は海外ヨーロッパに遅れ、ヨーロッパでは私たちが試作・開発を担当して成功したやり方が採用され、国内では後出しジャンケンとでも言うべきか、その後の技術も織り込んで最新のやり方にして、結果、世界のデファクトから外れてしまいました。ケータイ分野では日本メーカは、世界的に見れば意味のあるシェアは占めてはしません。国内ケータイ市場は特殊な製品展示会場のような様相で存在意義を持ち、新たな機能を確認して世界市場で受け入れられ得るものかを判断する場になっているようです。現在のケータイ時代を切り開いた一人としては想像のできない世界になってしまいました。
    >  ついでにもう1つ。私たちが試作・開発して成功したために、製品化してオーストラリアに輸出されました。1980年代のことです。図面やスペックが英語化され、技術開示され、しかも基本特許がなかったことがヨーヨッパのケータイに採用され、世界のデファクトとなった要因でしょう。その後開発された製品は技術的には大変古いものであり、アポロが月に行き1960年代に月の映像を地球に送信してきたNASAが開発したシステムを採用したものです。ケータイの分野は日進月歩と言われてきましたが、以外なこともあるものです。このやり方を提唱したのは誤り訂正符号で余りにも有名なビタビ博士です。このときには国内の無線関係の博士は、「この方式で実用化できる訳がない。」と言う声が支配的でした。しかし、実現されると誰もが当時の発言に責任を持ちません。博士なら責任を感じて学位を返上すべきでしょうか。私は通信関連と言っても集積回路(LSI)分野の博士なので通信分野のレベルは良くは分かりませんが、通信分野の博士には符号理論分野のビタビ博士レベルの人は皆無だったことは分かります。専門家の意見にも眉唾だという貴重な経験をしたと思います。この当時、ビタビ博士のやり方を最初に解説したのが松尾さんです。それが出来たのは、やはり頭が素晴しく良かったからでしょうね。
    >
    > ドクターキムル
    >
    ドクターキムルさんへ
    拝聴しました。
    東京スカイツリーファンの一歩人でした。
    失礼しま〜す。

    2010年08月24日13時52分 返信する
  • はじめまして・・・・・清水さんを見て来ました^−^

    首振り地蔵さんを・・・・・・・と、思い見に来ましたの・・・・はじめましてですがよろしくです。
    ドクターキムルさん、何も知らないままで、行き成りのコメです。
    清水さんに行って、子安の塔・・・・・解体工事中でした、気になっていたので、ドクターキムルさんの旅行記で、沢山の写真、見ることが出来ました。・・・・・これは貴重ですね。ありがとうございます。
    又どんなに美しく蘇るかも楽しみです^0^
    これからも宜しくです^−^

    by.poko
    2010年08月05日23時33分返信する 関連旅行記

    RE: はじめまして・・・・・清水さんを見て来ました^−^

    pokoさん

    子安の塔まで行く人はさすがに少ないですね。寺に入って直ぐにある朱塗りの三重塔と比べると小さく、みすぼらしいからでしょうかねえ。
    頻繁に行っていましたが、修理することは知りませんでした。
    舞台から見ると覆いを被っているではありませんか。
    そばで見ても結構傷んでいましたから、修理になるのは
    仕方のないことです。
    そういえば、薬師寺三重塔(東塔)や姫路城天守閣も修理中か間も無く
    修理に入りますね。

    最近は結構修理で出くわしています。
    大神神社、吉備津神社、長勝寺(津軽藩主の菩提寺)、阿久津八幡宮本殿(山形県)、法華経寺五重塔(千葉県)、諏訪大社春宮、京都永観堂等々。

    仕方がないので、修理の終了後にまた訪れて、どのくらい立派になったかを
    確かめるのも楽しみなことでしょう。

    ドクターキムルより
    2010年08月06日00時36分 返信する
  • あぶくま

    先日私も行ってきましたが、なかなか
    大きな鍾乳洞でしたね。
    涼しいし
    冒険コースみないな有料の方へ入ったんですが
    楽しかったです。
    夜には 展望台からたくさんの星が見れたのかと思うと
    ちょっと残念でした。
    2010年07月02日13時05分返信する

    RE: あぶくま

    鍾乳洞の中は暗くて手振れの写真ばかりですみません。

    あぶくま洞くらいになると大きな鍾乳洞で素晴しいですね。



    2010年07月02日20時58分 返信する
  • 庚申塔ですね。

    3猿が描かれているので・・・
    2010年04月20日13時30分返信する 関連旅行記 関連写真
  • これは良い

    ナイスショットですね。
    2010年04月20日01時55分返信する 関連旅行記 関連写真

    RE: これは良い

    吉備津彦さん

    有難うございます。

    お久し振りですね。桜のとき以来ですね。

    あの頃は私の旅行記もお城や五重塔がメインだったのですが、
    今では桜とお寺ばかりになっています。

    1泊2日、土日の弾丸ツアーで
    羽田->宮崎->西都原古墳->宇佐八幡->八幡浜->大洲城->大山祇神社->
    高松城->高松->羽田
    が行程でした。

    大山祇神社にはカーフェリーに乗っている途中で行きたくなりました。
    大洲から特急に乗って、松山でバス時刻を調べ、また特急に乗り、
    今治で松山発のバスに追い着きました。
    往復2時間のバス(観光バスが路線バスに使用されている)で
    30分だけの参拝・拝観して大急ぎで慌しいものでした。
    しかし、しまなみ海道と鎧・兜、刀剣には感動しました。

    西都原へのタクシーは1週間の研修を終えたばかりで
    最初の客となり、道も知らずに往生しました。

    西都原では100mmを越える雨を体験しました。2度目ですが。
    旅から帰るとニュースでは降り始めからの雨量が1260mmに
    なったそうです。300mmも越えると大変なことなのに、
    1200mmを越えるとは・・・・。
    宮崎でのオールスターの球宴も当然流れました。

    西都原の博物館ではガラスケースに収まっている銅鐸のレプリカを
    見ました。予算不足でプラスチック製(4万円)で吊るせないのだそうだ。

    宇佐八幡へもタクシーで向かいましたが、もう社殿は閉まっていました。
    残念。

    夜になって大分からフェリーに乗り込みました。

    タクシーで11時55分に何とかフェリー乗り場から予約した
    八幡浜駅前のホテルに着いて、翌朝、大洲城に行きました。
    タクシーに乗り、8時過ぎに着いて外から見学しました。
    9時に開城するので入場するつもりでいたのですが、
    どうしたことか、9時に帰りたくなったのです。
    木造のお城で入城しなかったのは普通は有り得ないことです。
    入城して時間がなければタクシーで駅に向かうのが常ですから。

    その帰り道は歩きで、橋を渡ったときに川霧に包まれました。
    河川敷では何か今日のお祭りの準備が出来ていました。
    その川原が霧に隠れてこの写真になりました。
    それまでは川霧を見たことはありませんでしたから、
    もうとても幻想的で感激しました。
    入城せずに、しかもタクシーにも乗らずにいたことを
    感謝しなければなりませんね。

    果たして高松では本格的な雨でした。

    強行軍とその場で追加される行程。
    いつものことですが、波乱万丈は旅でした。

    しかし、思い出深い旅になりました。

    ドクターキムルより

    2010年04月20日12時24分 返信する

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工学博士。最初のディジタル自動車電話の3人の開発設計者(鹿毛、三浦、木村)の一人。このシステムは後にGSMに採用され、今日のケータイの時代を開く端緒となった。歴史好き。博物館を巡り、寺社、仏閣や伝統のある祭りなどを訪ねている。

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