ドクターキムルさんのクチコミ全134件
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投稿日 2023年05月10日
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投稿日 2023年05月02日
総合評価:3.0
北鎌倉の明月院では兎小屋があって、昔から兎を飼っている。
今年のような卯年には是非一度訪ねたいものだ。
なお、明月院はかつてはあじさい寺として有名であったが、現在では鎌倉一の枝垂れ桜の名所になっている。
場所:JR北鎌倉駅下車徒歩10分- 旅行時期
- 2023年03月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2023年04月06日
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吾妻山公園からは枝垂れ桜・ソメイヨシノ・大島桜と富士山のコラボを楽しめる
投稿日 2023年04月06日
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投稿日 2023年03月23日
総合評価:4.0
北鎌倉にある明月院(あじさい寺)は実は鎌倉一の枝垂れ桜の名所である。
四半世紀前に植えた紅枝垂れ桜を中心とした20本近い枝垂れ桜が境内を彩る。
枝垂れ桜も樹齢が経って満開になると綺麗だ。
桜の時期に明月院を訪れる人は殆どが枝垂れ桜の名所であることを知らないで来ているが、誰もがその美しさに驚く。
また、あじさいの頃と違って参拝客は少ないのでゆったりとした気分で花見が出来る。
JR北鎌倉駅から徒歩10分- 旅行時期
- 2022年03月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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河津桜と富士山のコラボが楽しめる「おおいゆめの里」へは路線バスで坂道も苦にならず
投稿日 2023年03月04日
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獅子舞谷は銀杏紅葉(いちょうもみじ)と紅葉、富士山が楽しめる
投稿日 2020年09月19日
総合評価:4.0
鎌倉市二階堂新立にある谷は近年になって獅子舞谷(ししまいがやつ)と呼ばれるようになった。しかし、「獅子舞」の字名は麓にある亀ヶ淵の北東に隣接する戦後までは田圃があった場所である。
2017年に天園峠から下りた場所に「獅子岩」が設置され、誰もが獅子舞谷(ししまいがやつ)と思うようになっている。
獅子舞谷を「紅葉谷(もみじがやつ)」と呼ぶ輩もいるが、「紅葉谷」は瑞泉寺がある谷戸の名称で、鎌倉時代からある由緒正しい地名である。「紅葉谷」は日本一紅葉が遅い場所としてスポットを浴びている。
獅子舞谷は「紅葉谷」とは明らかに異なる。昭和初期に、谷には15本の銀杏の木、天園峠付近には17本の計32本もの銀杏の木が植えられており、大木となった銀杏の木が黄葉した銀杏紅葉(いちょうもみじ)を楽しむことができる。戦前に、鎌倉市内では寺社や寺社跡でもない場所に銀杏の木が植えられることは極まれである。
例年なら銀杏紅葉(いちょうもみじ)が終わった後に楓(かえで)の紅葉が楽しめる。ただし、この10数年ではたった一度か二度だけ銀杏紅葉と楓(かえで)の紅葉が同時に楽しめたことがあった。近年では台風の影響を受け、綺麗な銀杏紅葉が見られない年が続いてしまっている。
では、今年は綺麗な銀杏紅葉(いちょうもみじ)をみることができるのであろうか?
なお、天気が良ければ、銀杏紅葉(いちょうもみじ)と富士山、あるいは、紅葉と富士山を楽しむことが出来る。
場所:掘削されてなくなった大平山の南直下、天園峠から下った谷- 旅行時期
- 2020年09月
- アクセス:
- 2.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2023年01月14日
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投稿日 2022年12月21日
総合評価:4.0
鎌倉市と横浜市の市境にあった両市の最高峰であった大平山はおよそ60年前の昭和38年(1963年)に消滅してしまっている。
かつての大平山は鎌倉カントリークラブのクラブハウスがある場所の直ぐ南にあった。
標高は等高線で162mから164mの間に山頂があったが、その値は調べたが見付からなかった。かつては、鎌倉市と横浜市の最高地点・最高峰は160mを僅かではあるが越えていたのだ。
現在、鎌倉市と横浜市の市境が北側から下りて直角に東に曲がっているがここが大平山の頂上を示している。大平山は消滅したが市境はそのまま残っているのだ。
かつての大平山は現在では大平平(おおひらだいら)となっており、岩場の広場の地盤にはショベルカーのショベルの爪跡がしっかりと残っている。
現在も大平山があるように記載された地図やガイドブック、ブログが多く見られるがこれは皆間違いか嘘である。
また、鎌倉市が159.2mの標高を掲示している場所は大平山があったところから100mほど離れた、160.5mあった別の山であったが、その後、鎌倉カントリークラブの駐車場が建設され、山半分が掘削され、高さも低くなってしまっている。
横浜市の最高地点はかつての大平山からおよそ350m離れた峠の茶屋が建っていた横浜市の市道の傍にある159.4mの場所である。
おそらくは、かつての大平山からは六国の国々が見え、それ故に六国峠と呼ばれていたのであろう。
もちろん、富士山のビュースポットであったに違いない。
今泉不動から上って来る街道はかつての大平山の山頂で天園ハイキングコースとなっているかつての街道に通じていたのであろう。- 旅行時期
- 2022年12月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2022年12月20日
総合評価:4.0
鎌倉市十二所では朝夷奈切通や尾根道への街道と十二所神社から山道を越え、武蔵国に行く街道が分かれていた。
その十二所神社から山道を越え、武蔵国に行く街道は鎌倉霊園が造成され、分断されてしまっているが、十二所神社社殿裏から裏山を上って鎌倉霊園の西南端までは昔のままの状態で残っている。
天園ハイキングコースでも坂道には鎌倉石の岩盤を削って石段になっている場所が見られるが、ここは数100mにも渡って鎌倉石の岩盤を削って石段になっている場所であり、鎌倉の旧街道では一番と言える。その次は衣張山の階段か?- 旅行時期
- 2022年12月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月09日
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投稿日 2022年12月07日
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投稿日 2022年11月10日
総合評価:4.0
神奈川県寒川町の相模川沿いに「川とのふれあい公園」がある。
公園の北側駐車場からグランドに入る途中には端に花壇が入口道を挟んで両側に広がっている。
この花壇には現在はヒマワリの種が蒔かれて、ほんの数本であるが開花しているものもある。また、花芽を付けたヒマワリも多く見られる。
おそらくは、寒川神社前のヒマワリ畑と同じ頃に種を蒔いたのであろう。川風が涼しくて開花が遅れたのであろうか?
このままの状況であれば、今月(2022年11月下旬)には満開のヒマワリ畑になることであろう。
そうなれば、富士山をバックにヒマワリ畑のヒマワリを見ることが出来る。
寒川神社の一の鳥居、二の鳥居の間の表参道からいこい橋を渡った西にある寒川浄水場を過ぎた相模川堤防の下に河川敷の「川とのふれあい公園」がある。- 旅行時期
- 2022年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年11月20日
総合評価:3.0
鎌倉市十二所に鎮座している十二所神社(じゅうにそじんじゃ)は、熊野十二所権現社と呼ばれ、光触寺の境内に鎮守社として祀られていたが、天保9年(1838年)村人によりこの地に移されたといわれている。明治以降は天神七柱、地神五柱を祀っている。境内には、山の神、疱瘡神と宇佐八幡、地主神の小さな社や石廟があり、百貫石(実際の重さは約28貫(112kg))もある。
十二所(じゅうにそ)という地名の由来にもなっている神社の割には、社殿は小さなものだ。
この社殿の裏手には鎌倉霊園までの旧道(山道)があり、鎌倉石を削った石段が続いている。
しかし、社殿の彫刻は兎であり珍しい。干支が卯の年(ウサギ年)には評判になる。- 旅行時期
- 2022年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年11月18日
総合評価:4.0
鎌倉五山第五位の浄妙寺には壁のように枝が広がった銀杏の木がある。
石窯ガーデンテラスの入り口から奥の谷を塞ぐように立ちはだかっている。
2本の銀杏の木だという。
鎌倉市内を巡ってもこれよりも立派な銀杏の木を見付けることは難しい。
鎌倉市浄明寺3 浄妙寺境内端- 旅行時期
- 2022年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年11月16日
総合評価:4.0
鎌倉市扇ガ谷1にある水戸徳川家の尼寺である英勝寺の伽藍配置は珍しいとされる。
「東光山 英勝寺 拝観のしおり」には「英勝寺の地は、古くから亀ヶ谷、扇ヶ谷などと呼ばれてきました。平安時代、ここには源頼朝の父義朝の屋敷が建っていました。しかし、没後は義朝の霊を祀る亀谷堂に、鎌倉時代の初めには寿福寺に変わりました。」とあり、英勝寺は壽福寺の境内に創建されたとしている。寺伝では太田道灌の屋敷跡に英勝寺を建立したのではないのである。
隣の壽福金剛禅寺は源頼朝の菩提を弔うために創建された七堂伽藍を備える大寺であった。しかし、元々、頼朝の父・義朝を祀る岡崎堂があった。そのために、壽福寺の本堂は右に折れた先にあった。
この壽福寺の伽藍配置を真似たのが江戸時代の始めに創建された英勝寺である。浄土宗寺院であるが仏殿は禅宗様で、床は石敷である。また、西に観音堂を建てている。
英勝寺は鎌倉では一番創建時の伽藍が残っているお寺である。- 旅行時期
- 2019年10月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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鶴岡八幡宮は寺として創建され、源頼朝の頃には別当坊と二十五坊の26坊の僧房があった
投稿日 2020年12月30日
総合評価:4.0
鶴岡八幡宮は明治維新までは鶴岡山八幡宮寺であり、廃仏毀釈で神社に変わった。楼門に掲げられている「八幡宮」の扁額は「八幡宮寺」の「寺」を切断したものである。
源頼朝存命中には御谷を中心に二十五坊の僧房が整備された。別当坊もあり、この別当が八幡宮寺の最高権威者である。したがって、僧房は26坊あった。
明治維新までは神社を管理する神宮寺があるのが普通であったが、ここ八幡宮寺では神宮寺に相当するのが別当坊と二十五坊の26坊であった。ただし、承元2年12月12日(1209年1月19日)に神宮寺が竣工しているが、本尊薬師像を安置する薬師堂であった。明治初期の写真では大塔の左奥に写っている。
頼朝が創建した鎌倉の三大寺院は鶴岡八幡宮、勝長壽院、永福寺であり、鶴岡山八幡宮寺が「鶴」、亀淵山永福寺が「亀」の地とされ、鎌倉の鶴亀として中心になった。- 旅行時期
- 2020年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年11月13日
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投稿日 2022年11月11日
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投稿日 2022年11月10日