ドクターキムルさんへのコメント一覧全75件
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秋田藩か久保田藩か
すみません。NHK大河ドラマ「八重の桜」に戊辰戦争(会津戦争)時に「秋田藩」と出ていたのは私も覚えておりますが、この件に関しては、戊辰戦争初期の頃はむしろ「秋田藩」の方が実情に即しています。理由は太政官日誌などの当時の記録を見ると、「秋田藩」の方が「久保田藩」よりも多く使われているからです。
『復古記』によると慶応4年(明治元年)旧暦2月11日の段階で藩名として「秋田藩」が採用されています。また「加賀藩」「薩摩藩」「尾張藩」「紀伊藩」「肥後藩」「筑前藩」「安芸藩」「長門藩」などと記述されており、「金沢藩」「鹿児島藩」「名古屋藩」「和歌山藩」「熊本藩」「福岡藩」「広島藩」「萩/山口藩」は採用されていません。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1148192/1/170
慶応4年旧暦5月15日に集められた藩印でも「秋田藩印」が提出されています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1148282/1/96
少なくとも明治2年の版籍奉還までには「藩庁」の所在地をもって藩名とするルールが決められたのですが、慶応4年の前半の段階ではその辺がまだ決まっておらず、例えば金沢藩も「加賀藩印」を提出しています。もともと佐竹家の藩主は代々「秋田侍従」などの官位を名乗っており、むしろ「秋田藩」を名乗るのが道理であったといえます。現在国立公文書館に保存されている天保国絵図でも、公的に「出羽国秋田領」と記されています。
https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000252
明治政府としては地域名を排除したかったのか、遅くとも明治2年の版籍奉還までには「久保田藩」「金沢藩」「鹿児島藩」などが完全に正式名称となります。そこで佐竹家臣団は明治4年に城下町「久保田」藩名「久保田藩」をわざわざ「秋田」「秋田藩」に改名します。それほど「秋田」という呼称を名乗りたかったのでしょう。
というわけで、江戸時代に「秋田侍従」などの官位を名乗っていた佐竹家臣団の意識では地元の領分の呼称は「秋田」でした。明治新政府で「藩」が採用された戊辰戦争初期の頃には「秋田藩」と自称していましたが、途中から藩庁ルールを押し付けられて「久保田藩」が正式となったというわけです。ただ今日、府藩県三治制という短い間のみ正式呼称であった鹿児島藩や山口藩、金沢藩に対して、江戸時代の領分について薩摩藩や長州藩、加賀藩などを歴史用語として使っていることには余り異論はないようです。ところが久保田藩については、中途半端に明治4年に久保田藩を秋田藩へ改称したという事実が残ってしまった結果、なんか江戸時代の藩も久保田藩と呼ばないといけないみたいな雰囲気が生まれてしまったように思えます。結局のところ江戸時代には藩は正式名称ではないので、文脈次第でどっちを使っても構わないのですが。
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同感!
ドクターキムルさん、お疲れ様でした。8/11オープンでしたね。近くの美容院に、言った帰りに寄りましたが、すいていました。しかし、出口は、あるのに入口がない。たまたま空いた出口から、入って入口どこかと、聞いたら、もとパチンコ屋の方ですという。それなら、出口の表示と並べて、入口の場所、表示しとけと、言いたくなった。少し看板の作り方に気が利かないと、思いました。祝日表示が、ないのと同じく少少気が利かなくて、う~んでした。図書館から向かえば、出口しか目につきませんでした。かっての店舗の外に商品の積まれていた頃の方が、入りやすかったです。たしかに戸塚で、またとない行列ができたようですね、 -
私も見ました
6月、鎌倉植木の友人のマンション隣接の公園で見ました。
好きな色合いです。RE: 私も見ました
この春にはヒメリンゴの2度咲き(https://4travel.jp/travelogue/11824066)するのを見ました。
しかし、このリンゴの二度咲きはWebで検索してもヒットしなく、私以外には報告がありません。
また、昨年秋の金木犀の実(https://4travel.jp/travelogue/11796181)についてもWebで検索した結果は1件のみでした。
あるいは、一昨年の秋の金木犀の三度咲き(https://4travel.jp/travelogue/11719171)も本当に珍しいのですが、例えば、上地雄輔さんなどもブログに掲載していました。
今回の萩は単純に例年より早く咲いた程度のことなのでしょうね。
> 6月、鎌倉植木の友人のマンション隣接の公園で見ました。
> 好きな色合いです。2023年07月28日11時51分 返信する -
しつこいね
今回、八雲神社に、行ってきました。もしかしたら、ドクターキムルさんのブログが、あるかと思ったら、バッチリ。さらに予想もしなかった銀杏が、ありました。それが、相当な優れものでした。大ぶりで、質がよく、最高の品質。その後、山を縦断して、梶原に降りました。秋の日のいい運動になりました。最高の銀杏でした。それにしても、銀杏、銀杏としつこいですね。いつもありがとうございます。メッセンジャーですねRE: しつこいね
しつこさついでに、「鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏(2)」(https://4travel.jp/travelogue/10716262)は読まれましたか?
> それにしても、銀杏、銀杏としつこいですね。いつもありがとうございます。メッセンジャーですね2022年11月06日09時44分 返信する -
誘い込まれて
近隣まで、出かけたついでに、ぜひともと言われて、寄ってみました。歴史研究会に、所属の連れ添いは、新しい発見に感動していました。いやしい私は、銀杏の木の下の銀杏拾いに熱中。それにしても、秋日和の散策に、バッチリですね。きっとドクターキムルさんのブログが、あると思ったところ、バッチリ。これからもよろしくRE: 誘い込まれて
mamamaさん
私は鎌倉が世界遺産に落選する前から鎌倉を隈なく巡って世界遺産に推薦されずに何故暫定リストのままなのかを追求して来ました。
梶原にある御霊神社は拝殿と本殿は分かれており、間には石段があり少し離れています。
朝夷奈切通にある熊野神社(https://4travel.jp/travelogue/10549615)の社殿の配列に似ていますね。
頼朝存命の頃に創建された社殿の様式が今に伝わって来ているのかも知れませんね。
> 近隣まで、出かけたついでに、ぜひともと言われて、寄ってみました。歴史研究会に、所属の連れ添いは、新しい発見に感動していました。いやしい私は、銀杏の木の下の銀杏拾いに熱中。それにしても、秋日和の散策に、バッチリですね。きっとドクターキムルさんのブログが、あると思ったところ、バッチリ。これからもよろしく2022年10月28日09時48分 返信する



