横浜臨海公園さんのクチコミ(3ページ)全812件
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- 基本情報
-
投稿日 2022年01月12日
総合評価:4.5
当ホテルは、リッチモンドホテルとロイネットホテルが経営分離前から存在する為に施設の老朽化が深刻で
PC回線など接続状態が悪くイライラ続きな状態でしたが、リニューアル完了後は他リッチモンドホテルと遜色を感じさせない程改善され良くなりました。
ホテル付近に飲食店コンビニエンスストアが多数存在。
PC接続状況は秀
セルフ式ランドリーは
洗濯機1回200円
乾燥機は電気式で30分100円
リッチモンドホテル横浜馬車道(りっちもんどほてる よこはまばしゃみち)
横浜市中区住吉町5-59
℡: 045-228-8855
根岸線関内駅北口 徒歩4分
https://richmondhotel.jp/yokohama/- 旅行時期
- 2022年01月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 4.5
- 食事・ドリンク:
- 3.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2022年02月11日
総合評価:5.0
慶應義塾大学三田キャンパスのお膝元でランチで知られた店舗です。
昼のメニューはトンテキ定食だけですが、此れを目当てに行列が出来る程です。
豚肉は秋田産の桜豚を用い、柔らかい為に箸で千切れます。
玄米ご飯と味噌汁はお代わり自由です。
本来であれば夜は日本酒とワインが堪能出来ますが、コロナ騒動の為に現在では昼のみの営業です。
こぼうず(こぼうず)
東京都港区芝5-24-16
℡: 03-6453-8786
11:30~13:30
東海道本線(山手線)田町駅三田口 徒歩7分
土日祭日年末年始定休- 旅行時期
- 2022年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 3.0
-
投稿日 2014年08月31日
総合評価:5.0
大正4年(1915年)に現在地で創業以来、豆ごはんが入った会席料理が味わえる事で知られた和食店です。
味付けは関西風のあっさり味で、他所から来た方には物足りなさを感じるかも知れませんが、住吉大社参拝後の会食にうってつけです。
昼間は行列も覚悟の事。
住吉廣田家(すみよし ひろたや)
大阪市住吉区長峡4-40
℡: 06-6672-5678
11:30~14:00 16:00~21:00
木曜定休(祝日の際は翌日)
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩1分
http://www.oct.zaq.ne.jp/hirotaya/- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2014年09月01日
総合評価:5.0
明治期に大阪住吉で創業した和菓子店です。
此処での名物は、小振りながら、たっぷりつぶ餡とツブツブ栗が入った どら焼きがメインです。
兎に角、甘さが控え目で、上品で飽きない味わいとが好ましい存在です。
住吉大社参拝の際の土産として推奨します。
住吉菓庵 喜久壽(すみよしかあん きくじゅ)
大阪市住吉区東粉浜3?28?12
℡: 06-6671-4517
9:00~19:00
不定休
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩3分
http://www18.ocn.ne.jp/~kikuju/- 旅行時期
- 2014年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 4.5
-
投稿日 2013年02月04日
総合評価:4.5
明治新政府は、慶應4年(1868年)に王政復古ノ大号令と共に神道を国教として、政教一致の立場から容赦無き廃仏毀釈政策を強行した。
更に、明治4年(1871年)2月23日附 大政官布告は、社寺領上知令(しゃじりょうちじょうちれい)が発令され、多数の社寺を困惑せしめる事態になった。
即ち、該令は神社寺院所有地以外の朱印地、黒印地等々は幕府や藩から付与された土地だったが、同年8月29日に廃藩置県(はいはんちけん)実施が決定的になり、既に消滅した幕府と共に藩も消滅する事から、此れら土地付与側が消滅する事は該地付与根拠を喪失すると解釈され、本来の境内土地所有のみ認定し、境内地外は国有地として収納する事が決定された。
該社に於いては、朱印地、黒印池と共に馬場跡が該当地とされ、国有地収納後に於ける有効活用の方針を検討し、明治6年(1873年)に濱寺と共に大阪府初の公営公園として整備され一般開放された。
元来が住吉大社馬場だった事から大樹が多い事でも知られる。
該参道に城立する西大鳥居は明治36年(1903年)に建立されたが、昭和19年(1944年)12月7日13時36分に発生した東南海地震で倒壊し戦後再建された物。
明治18年(1885年)に阪堺鐵道(現 南海電気鉄道本線)、及び、大正13年(1924年9に国道26号線開通に依り公園範囲が分断縮小を余儀無くされた為に、現在の住之江公園は、該公園第2施設として昭和5年(1930年)に開設された。
平成24年(2012年)12月21日 大阪市都市景観資源登録。
住吉公園(すみよし こうえん)
大阪市住之江区浜口東1-1
℡: 06-6671-2292
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩1分
www.osaka-park.or.jp/rinkai/sumiyoshi/main/html- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月04日
総合評価:5.0
住吉大社境内外奉納され現存する石燈籠は、住吉信仰が庶民階層に拡大を見せた江戸中期頃から該社への奉納が盛んになったが、殊に、享保時代(1716?35年)頃から、石燈籠自体が巨大化傾向を見せる。
即ち、寛保2年(1742年)に奉納された石燈籠は5mに達する物が出現し、更に、延享5年(1748年)には高さ6mに及ぶ次第となった。
然るに、明和7年(1770年)に全国的規模での大旱魃に拠る凶作が発生し、更に、安永、及び、天明期(1772~1801年)に於ける度重なる旱魃、富士山、及び、浅間山大爆発、江戸大火、大飢饉が発生した時代に、流石に燈籠献納は下火にならざるを得なかった。
然し、田沼意次(たぬま おきつぐ)(享保4年(1714年)9月11日?天明8年(1788年)7月27日)が老中職に就任し、田沼が自由放任政策を採用行使した事で、我が国に於いて初期資本主義が萌芽し、商人が実力を伴う事と相俟って、天明末期に再び巨大石燈籠奉納が見られる様になり高燈籠の出現を見る。
当時構築された高燈籠は、高さ70尺(21m)、台座石40尺(12m)で、結果的に見て我が国燈台の嚆矢の存在となった。
台座に於ける書は、当時の漢学者 頼 山陽(らい さんよう)(安永9年(1781年)1月21日?天保3年(1132年)10月16日)の揮毫である。
該燈籠は、明治以降も残存したが、明治末期頃迄に付近一帯は埋立が進み燈台としての役目は大正中期に終えた。
昭和9年(1934年)9月21日来襲の室戸台風(むろと たいふう)、及び、昭和19年(1944年)12月7日発生の東南海大地震(ひがしなんかい だいじしん)で各部に弛緩が発生していた処、昭和25年(1950年)9月3日来襲のジェーン(Jane)台風で上部木造構築部分が損傷傾斜した為に、崩壊防止の為に上部構造部分は解体し台座のみ残存していたが、大阪市は国道26号線道路拡張計画に該台座が抵触する事を理由に昭和47年(1972年)台座も撤去されるに至った。
然るに、地元では由緒を有する該高燈籠の廃絶を惜しみ復活を希求する声が起き、住吉公園に於ける景観施設として、改めて鉄筋コンクリート製にて再建され、昭和49年(1974年)12月9日に竣工したのが現高燈籠である。
平成17年(2005年)8月に該高燈籠内部が史料館として改装整備された。
平成24年(2012年)12月21日 大阪市都市景観資源登録。
住吉高燈籠(すみよし たかとうろう)
大阪市住之江区浜口西1?1
℡: 06-6671-2292
第1、及び、3日曜日開館
10:00~16:00
入場無料
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩4分
www.osaka-park.or.jp/rinkai/sumiyoshi/main/html- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月23日
総合評価:5.0
該社は住吉大社の境内摂社である。
該社御祭祀は、
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
御2柱である。
延喜式内社。
田裳見宿禰(たもみのすくね)は天火明命の流れを有し、三韓征伐に功績を得た事から、子の豊吾団(とよあたい)の時に、應神帝(おうじん てんのう)(仲哀9年(201年)1月5日?應神41年(310年)3月31日)より津守姓を賜り、津守連(つもりのむらじ)を称したのが嚆矢である。
境内に存在する井戸址は海幸彦、山幸彦の釣り針に因むものである。
該社は、享和2年(1802年)11月23日未明に発生した住吉大火で奇跡的に焼失を免れた事から、宝永5年(1708年)造営の本殿拝殿群が現存する。
昭和39年(1964年)5月26日附 国重要文化財指定。
大海(おおわたつみ)神社
大阪市住吉区住吉2-9-89
℡: 06-6672-0753
4月1日~9月30日 6~17時
10月1日~3月31日 6時30分~17時
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩2分
http://www.sumiyoshitaisha.net/- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月02日
総合評価:5.0
該社は住吉大社境外末社
御祭祀は、
大歳神(おおとしのかみ)
御1柱である。
該神は収穫の守護神。
即ち、集金の神ともされる。
本来は収穫の神とされているが、既に江戸中期には、該社参拝に拠り金銭取引契約に異変が生ぜず、節季毎に売掛金銭速やかに確実として参拝客が絶えなかったとされる。
大歳(おおとし)神社
大阪市住吉区墨江1-5-16
℡: 06-6672-0753
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩7分
http://www.sumiyoshitaisha.net/- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月02日
総合評価:5.0
該社御祭祀は、
塩土老翁命(しおろうおきなのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)
生國魂命(いくたまのみこと)
御3柱である。
式神名帳記載の古社で、堺総鎮守とされる。
該社創建は、神功皇后(じんぐう こうごう)(成務40年(70年)?神功摂政69年(269年)6月3日)に依る三韓征伐出征の際に、該社筆頭祭祀たる塩土老翁神が住吉大神と共に出現し、緒戦に於いて神功皇后に協力し、帰還後に該地たる塩穴松原に泰斎されたのが嚆矢とされ、此の為に、住吉大神とは、住吉開口二社一体ニ現 として同体神として扱われていた。
天平18年(746年)に、行基(ぎょうき)(天智7年(668年)?天平21年(749年)2月23日)が該社境内寺として念佛寺(ねんぶつじ)を開基し、更に、大同元年(806年)には空海(くうかい)(宝亀5年(774年)?承和2年(835年)4月22日)が該寺境内に宝塔を建立した事から、地元堺では該寺をして大寺とも称した。
別当境内念佛寺は、密教独自の施設として、金堂、薬師堂、三重塔、鐘楼連、諸門、歌所、茶室、等々が存在した。
該社は明治初期まで、住吉大社に於ける奥ノ院、若しくは、外院と位置づけられていた。
廃仏毀釈に依り境内別当大寺は廃寺となり大部分の造営物は撤去されたが、鎌倉期健保年間(1213?19年)に造営された三重塔は、地元廻船問屋 河盛仁平が、歴史的建造物の廃滅を惜しみ、当時存在した堺縣から金300円で買取り該社に寄贈した事で残存したが、昭和20年(1945年)7月9日未明の堺市大空襲で境内もろとも全焼し現存せず。
開口(あぐち)神社
堺市西区甲斐町東2-1-29
℡: 072-221-0171
阪堺電気軌道線大小路電停降車 徒歩2分
http://www.aguchi.jp- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月23日
総合評価:5.0
該社御祭祀は、
八十天萬魂神(やをあまよろずみたまのかみ)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
住吉三筒男大神(すみよし みつおのおおかみ)
息長足姫(おきながのたらしひめ)
御4柱である。
第10代 崇神帝(すじん てんのう)(開化10年(前148年)?崇神68年(前29年)1月9日)御在位中たる、崇神8年(前90年)に、該地たる、茅渟百舌耳原、石津原に遷座されたのが該社創建とされる。
該地たる三国が丘の地名は、摂津國、河内國、及び、和泉國の境界中心地に所在し、何れにも属さぬ特殊地とされ、故に、厄除け方除の神として崇敬された。
第15代 應神帝(おうじん てんのう)(仲哀9年(201年)1月5日?應神41年(310年)3月31日)より、社号を 方違大依羅神社(かたたがえ おおよさみ かむりやしろ)と拝命を受けたが、一般からは方違宮と称された。
然し、当時の社号から読取れるのは、摂津國南域に勢力を有した豪族 依羅一族との関係が濃厚だった史実が推定される。
平安末期に、住吉大社傘下の境外摂社になると同時に、該社別当境内寺たる向泉寺勢力が増大し、該寺寺僧が該社を管理する社従寺主の状態が江戸末期まで継続した。
また、鎌倉期頃より方位厄除神社ともして知られ、方位、地相、家相、普請、に留まらず、昨今では、転勤、海外旅行等々に於ける効用を有するとされている。
明治維新と共に王政復興の大号令に拠り、住吉大社境外摂社の立場から離れ独立社として認知された。
明治6年(1873年)3月 郷社指定。
明治40年(1907年)11月1日附を以って、旧号たる方違神社に復号。
該社は、昭和20年(1945年)7月9日未明の堺大空襲で被災を免れた為に、桃山期造営の破風造本殿が現存する。
また、境内は戦災から免れたクロガネモチの古大木が空を覆う。
方違(かたたがえ)神社
堺市堺区三国か丘町2-2-1
℡: 072-232-1216
9:00~16:00
南海電気鉄道高野線堺東駅 徒歩4分
http://www.hochigai-jinja.or.jp/- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月03日
総合評価:3.5
該社祭祀は、
野見宿禰(のみの すくね)
素盞鳴命(すさのおのみこと)
猿田彦(さるたひこ)
宇賀御魂神(うがのみたまのみこと)
御4柱である。
天穂日命、及び、野見宿禰を合祀し創建したと伝わるが詳細は不明とされる。
神功皇后(じんぐう こうごう)(成務40年(70年)?神功摂政69年(269年)の三韓征伐時に該社弓部16名が出兵した功績に依り、梅園姓を賜り住吉大社境外摂社として該社神馬の飼育を専門に行っていた。
奈良期には朝鮮半島から帰化人が土着し田辺姓を賜った事から付近一帯をして田辺の地名が現出した。
該社は、第56代 清和帝(せいわ てんのう)(嘉祥3年(850年)5月10日?天慶4年(881年)1月7日)在位中に従5位下に叙せられた。
長らく同様の状態が継続したが、明治5年(1872年)10月26日附の教部省命令に拠り独立社化させられ現在に至る。
大東亜戦争末期、昭和20年(1945年)6月15日未明の第4次大阪大空襲で該社は被災炎上し境内は、ほぼ全滅したが、現在は大部分が復旧された。
野見宿禰は相撲の神として現在でも該社境内に於いて奉納相撲が行われる機会が有る。
旧郷社格。
山阪(やまさか)神社
大阪市東住吉区山阪2?19?23
℡: 06-6622-1838
阪和線南田辺駅 徒歩4分
http://www.jinjacho-osaka.net/osakafunai-no-jinjya/dai9sibu/higasisumiyosi-ku/m01v_01_higasisumiyosi_yamasaka.html- 旅行時期
- 2014年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年02月02日
総合評価:5.0
該社は住吉大社境外末社
御祭祀は、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御1柱である。
該神は辯財神に付会される事から大阪近辺では該社をして 弁天さん と称する。
該社付近一帯には、嘗て 浅沼小野(あさぬま おの)と称する景勝地で、杜若の大群生地が存在した。
昭和初期まで境内に杜若が咲く浅澤池(浅沼)が存在し萬葉集にも詠まれた景勝地だった。
萬葉集にも、
住吉の浅澤小野の かきつばた 衣にすりつけ 着む日知らずも
と詠まれた。
大和川氾濫対策の結果、宝永元年(1700年)に河川付替工事が施工され水量が激減した事から、やがて杜若は全滅したが、該廃絶を惜しんだ地元住民達が宝暦13年(1763年)に杜若を植え根付いた。
明治天皇(めいじ てんのう)(嘉永5年(1852年)11月3日?明治45年(1912年)7月30日)は、明治元年(1868年)6月10日に住吉大社行幸時に住吉行宮正印殿に向かう途次、該社横を通過されたが、余程その際に目撃した杜若の印象が強烈だったと見え、明治20年(1887年)に、花菖蒲と題された御製に
むかし見し 浅澤沼の花あやめ いまも咲くらむ 葉がくれにして(明治天皇御集1482番)
と詠まれている。
大東亜戦争後、環境状態激変から件の杜若群は壊滅し、現在では、平成9年(1997年)まで明治神宮から移植された菖蒲群が咲いていたが、細井川河川改修に伴い新水源を確保した事から杜若が復活し、開花の季節ともなると周囲に芳醇な香りを放つ。
浅澤(あささわ)神社
大阪市住吉区住吉2?11?21
℡: 06-6672-0753
阪堺電気軌道阪堺線細井川電停降車 徒歩2分
http://www.sumiyoshitaisha.net/- 旅行時期
- 2014年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2013年02月02日
総合評価:5.0
該社御祭祀は、
素盞鳴命(すさのおのみこと)
稲田姫(いなだひめ)
御2柱である。
創建期は不詳とされるが延喜式古社である。
第82代 後鳥羽帝(ごとば てんのう)(治承4年(1180年)8月6日?延應元年(1236年)3月28日)は、日に日に増大する鎌倉幕府の権力増大と京都朝廷に対する圧迫に対し不満を鬱積させ、遂に鎌倉幕府に対し反旗を翻し、承久3年(1221年)に承久ノ変(じょうきゅうのへん)を勃発させるに至ったが、該年初頭に考える処が有ったのであろう、突然、熊野詣に行幸される事になり、熊野行途上、住吉大社に行幸参拝された。
住吉大社宮司津守家第46代当主 経國(つもり つねくに)(寿永4年(1185年)?安貞2年(1228年)10月25日)は、後鳥羽帝の突然の訪問に驚きを隠しつつ、該社境内松林を切開き、御所を設営させ後鳥羽帝は暫く滞在された事から、世間では、該御所をして若松御所と称し、明治期まで該社をして若松神社とも呼称し、江戸期に奉納された狛犬台座には若松宮の刻印が見出せる。
明治5年(1872年)まで、生根、大依羅、及び、山阪4各社と共に住吉大社境外摂社として存在したが、同年10月9日附で教部省命令に拠り独立社化させられ現在に至る。
同年 村社格
土杼侶支比売命(とどろきひめのみこと)神社
大阪市住吉区沢之町1-10-4
℡: 06-6671-0043
南海電気鉄道高野線沢ノ町駅 徒歩2分
http://wakamatsujinja.sakura.ne.jp/- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年02月05日
総合評価:4.5
該社祭祀は、
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
息長足媛命(おきながのたらしひめ)
弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)
御5柱である。
前4柱は住吉大神、後1柱は大鳥井瀬大神である。
堺宿院(さかい しゅくいん)とも称する。
創建期は不詳。
元来は、大鳥大社(おおとり たいしゃ)摂社 大鳥井瀬神社所在地だったが、住吉大社に於ける夏越祓(なごしのはらい)神事の荒和大赦(あらにご たいしゃ)祭事を執り行う住吉大社御旅所が設営された。
その後、明治8年(1875年)に、大鳥大社御旅所が追加され、更に、明治11年(1878年)に大鳥井瀬神社が大鳥大社境内に移遷し境内摂社となったが、元来の地元該社氏子衆から不満の声が挙がり、大正11年(1922年)には遷戻した。
大東亜戦争末期まで、住吉大社、及び、大鳥大社社殿が個々並立存在していたが、昭和20年(1945年)7月9日未明の堺大空襲に拠り境内は被災全焼した。
戦後、昭和24年(1949年)に社殿復旧再営時に現在の如く1社殿に併合された。
更に、社前を通る宿院大通(しゅくいん おおどおり)は、堺市戦災復興計画と共に道路幅が50mに拡張が決定し、該社境内の相当敷地が拡張工事に支障する事から収用を余儀無くされ、以前と比較して現在では境内が1/6程度に縮小するに至ったが、社号標が道路中央部に残存して昔の痕跡を残す。
現在では、毎年、7月31日に大鳥大社渡御祭、翌8月1日に住吉大社渡御祭が該社境内に所在する飯匙堀(いいさじぼり)に於いて執り行われる。
住吉大社 宿院頓宮(すみよし たいしゃ しゅくいん とんぐう)
堺市堺区宿院町東2-1-6
℡: 072-232-1029
阪堺電気軌道阪堺線宿院電停 徒歩1分- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2013年02月02日
総合評価:5.0
該社御祭祀は、
少名彦命(すくなびこ)
御1柱である。
元来該社は独立社だったが、江戸期に住吉神社傘下となり明治5年(1872年)まで住吉大社境内所在の摂社だったが、同年10月9日に独立し現在地に移転した。
本殿は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼(とよとみ ひでより)(文禄2年(1593年)8月29日?慶長20年(1615年)6月4日)の住吉造営に際し同時に建造された安土桃山期建築で、昭和42年(1967年)に大阪府重要文化財指定。
境内に所在する香梅殿は、旧住吉別当神宮寺廻廊が明治6年(1873年)に廃仏毀釈を理由に解体撤去された際に移築した建築物である。
拝殿東側に残存する礎石23個は神仏分離まで境内寺院だった帆柱観音堂跡。
旧郷社格
生根(いくね)神社
大阪市住吉区住吉2?3?15
℡: 06-6671-2964
阪堺電気軌道住吉電停降車 徒歩1分
http://www.jinjacho-osaka.net/osakafunai-no-jinjya/dai9sibu/sumiyosi-ku/m01u_02_sumiyosi_ikune.html- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2013年02月03日
総合評価:4.5
該社は住吉大社の境外末社である。
御祭祀は、
底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
表筒男命(うわつつおのみこと)
神功皇后(じんぐう こうごう)
御4柱である。
住吉大社築港末社とも称する。
天保13年(1832年)3月18日勧請し当初は天保山に創建されたが、元治元年(1864年)に天保山に難波湾防衛の為の台場を設営し砲台設置が決定した事から、該山を降り天保町に移遷した。
明治39年(1906年)9月19日に、改めて住吉大社境外末社に指定されたが、大正6年(1917年)に大阪港築港整備計画の一環として更に移転を余儀無くされ現在地に再移転した。
昭和20年(1945年)6月1日の第2次大阪大空襲で境内は手水舎を除き全滅に瀕しし戦後は台風の影響も重なり暫く荒廃の極みだったが、昭和51年(1976年)に整備され現在に至る。
境内には、天保山勧請時に各座が奉納された多数の石碑が現存し、特に、天保山砲台竣工時に奉納された大砲用砲弾2弾を活用した砲丸塔碑は貴重な存在である。
港住吉神社(みなと すみよし じんじゃ)
大阪市港区築港1-5-20
℡: 06-6571-0196
大阪市営交通地下鉄中央線大阪港駅 徒歩2分
http://www.sumiyoshitaisha.net/- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2013年02月04日
総合評価:5.0
該殿は、第39代津守家当主 國基(つもり くにもと)(萬寿3年(1026年)8月21日?康和4年(1102年)8月22日)が康和3年(1101年)3月に該家邸宅敷地内に造営。
第96代 後醍醐天皇(ごだいご てんのう)(正應元年(1288年)11月26日?延元4年(1339年)9月19日)は、元徳2年(1330年)に比叡山延暦寺に於いて大供養を営む際に、当時の第51代津守家当主 國夏(つもり くになつ)(正應元年(1288年)?正平7年(1352年)に対し、該供養舞楽に於いて太鼓を敲く旨仰せになり、大供養当日、國夏は比叡山に馳せ参ずる途上で事故に遭遇し延暦寺に到着した際に既に舞楽が開始され、丁度、太鼓を敲く場になり、然し、太鼓が設置されている場は遠く、誰もが國夏は間に合わぬと一同固唾を呑んだ矢先、國夏は慌てず履いていた沓を脱ぎ太鼓に向かい投げつけ見事に音節に合せ、即断さに満座一同を感服し、後醍醐天皇は國夏の機転に対し、同日、正4位下に叙した。
更に。延元2年(1337年)に、後醍醐天皇は國夏に御召鳳牛車を与え、津守家では正印殿車舎に秘蔵され現在は該車車輪のみ残存する。
正平7年(1352年)3月14日に、第97代 後村上天皇(ごむらかみ てんのう)(嘉暦3年(1328年)?正平23年(1368年)3月29日)は、大和國賀名生宮から住吉に行幸され、到着当初は國夏邸に18日間滞在されたが、國夏は正印殿を改装し後村上天皇行在所とした。
後村上天皇は、正平15年(1360年)11月に該社を再訪され、以後、正印殿に8年余滞在され京都還御の機を狙ったが、悲願叶わず、正平15年(1368年)3月29日に該印殿に於いて崩御された。
直ちに、該殿に於いて、寛成(ゆたなり)親王が践祚され、第98代 長慶天皇(ちょうけい てんのう)(皇國4年(1343年)?應永元年(1394年)8月29日)として即位された。
然るに、同年、南朝方有力武将の1人 楠木正儀(くすのき まさのり)(元徳2年(1330年)??元中6年(1389年)?)が北朝方に降伏した事で、長慶天皇は践祚9ヵ月後に吉野に移遷された。
その後、該殿は、天正17年(1589年)に、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)(天文6年(1537年)3月17日??慶長3年(1598年)9月18日)が、母 大政所(おおまんどころ)(永正10年(1513年)?天正20年(1592年)8月29日)の病気平癒と延命祈願の為に該社参拝時、徳川家康(とくがわ いえやす)(天文11年(1543年)1月31日?元和2年(1616年)6月1日)が慶長19年(1614年)に大坂夏ノ陣の際に戦勝祈願参拝、及び、明治元年(1868年)6月10日に、明治天皇(めいじ てんのう)(嘉永5年(1852年)11月3日?明治45年(1912年)7月30日)が行幸された際に該殿を利用された。
然るに、明治4年(1871年)7月1日附 大政官布告第235号に基き、歴代宮司家たる津守家は神職世襲が禁止された事で、次第に没落を余儀なくされ、明治14年(1881年)に該殿敷地大部分を手放さざるを得ず、屋敷は解体され広大な敷地は次第に民有地から住宅地や学校等々に変貌を遂げた。
大正から昭和期にかけて当時の土地所有者が大阪府に寄贈し整備された。
現在では、該殿最盛期の1/30たる約160坪程度の土地が史跡として残存しているに過ぎない。
昭和13年(1938年)6月 大阪府史跡指定。
昭和14年(1939年)3月7日 国史跡指定。
住吉行宮正印殿址(すみよし あんぐう しょういんでん あと)
大阪市住吉区墨江2-7-19
一般非公開
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩8分
http://www.sumiyoshitaisha.net/- 旅行時期
- 2013年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2022年01月02日
総合評価:4.0
東海道新幹線は昭和39年(1964年)10月1日に開業しましたが、建設にあたり鴨宮を基軸に綾瀬市まで試験線を開設し走行試験を行った関係で、新幹線発祥の地の碑が建立されましたが、昭和62年(1987年)4月1日に民営分割後は東海旅客鉄道私有地内に所在し立入禁止となった為に、改めて地元鴨宮町が碑を建立しました。
新幹線発祥の地 鴨宮 碑(しんかんせんはっしょうのち かものみや ひ)
小田原市南鴨宮3-5-9
東海道本線鴨宮駅南口広場- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2021年10月28日
総合評価:3.5
東京浅草に昭和26年(1951年)創業の洋食屋として知られた店です。
訪れた時は遅かった時間だった事もあり、カレーしか残っておりませんでした。
但し、下町の洋食店と云う気軽に立寄れると言った庶民的値段とは程遠い存在の様です。
ヨシカミ浅草本店(よしかみ あさくさほんてん)
東京都台東区浅草1-41-4
℡: 03-3841-1802
11:00~22:00
木曜日、及び、年末年始定休- 旅行時期
- 2021年10月
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.0
- 目立たない路地裏に店舗あり
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 5.0
-
投稿日 2021年10月26日
総合評価:4.5
新規開業して未だ時間が経過していないホテルです。
JR京急共に駅からは若干距離があり、雨天時は歩道に屋根が無い為に荷物が多い時などは苦労があるかも知れません。
また当該ホテル周囲はコンビニエンスストアは多数あり、買い物には困りませんが、夜の女性の1人歩きは気を付けたほうが良いと思われます。
大きくはありませんが浴場もあり、寛げる事は確かでした。
PC接続環境は秀。
セルフ式コイン式ランドリーは洗濯機30分200円。
乾燥機は電気式で30分100円。
ホテルルートイン東京蒲田あやめ橋(ほてる るーといん とうきょうかまた あやめばし)
東京都大田区蒲田3-18-2
℡: 050-5837-2020
京急蒲田駅 徒歩5分
https://www.route-inn.co.jp/hotel_list/tokyo/index_hotel_id_656/- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 3.0
- JR京急共に駅からは若干距離あり
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 5.0
- 接客対応:
- 5.0
- 風呂:
- 5.0
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.5











































































