開口神社〔神社〕
- 5.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
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by 横浜臨海公園さん(男性)
堺 クチコミ:5件
該社御祭祀は、
塩土老翁命(しおろうおきなのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)
生國魂命(いくたまのみこと)
御3柱である。
式神名帳記載の古社で、堺総鎮守とされる。
該社創建は、神功皇后(じんぐう こうごう)(成務40年(70年)?神功摂政69年(269年)6月3日)に依る三韓征伐出征の際に、該社筆頭祭祀たる塩土老翁神が住吉大神と共に出現し、緒戦に於いて神功皇后に協力し、帰還後に該地たる塩穴松原に泰斎されたのが嚆矢とされ、此の為に、住吉大神とは、住吉開口二社一体ニ現 として同体神として扱われていた。
天平18年(746年)に、行基(ぎょうき)(天智7年(668年)?天平21年(749年)2月23日)が該社境内寺として念佛寺(ねんぶつじ)を開基し、更に、大同元年(806年)には空海(くうかい)(宝亀5年(774年)?承和2年(835年)4月22日)が該寺境内に宝塔を建立した事から、地元堺では該寺をして大寺とも称した。
別当境内念佛寺は、密教独自の施設として、金堂、薬師堂、三重塔、鐘楼連、諸門、歌所、茶室、等々が存在した。
該社は明治初期まで、住吉大社に於ける奥ノ院、若しくは、外院と位置づけられていた。
廃仏毀釈に依り境内別当大寺は廃寺となり大部分の造営物は撤去されたが、鎌倉期健保年間(1213?19年)に造営された三重塔は、地元廻船問屋 河盛仁平が、歴史的建造物の廃滅を惜しみ、当時存在した堺縣から金300円で買取り該社に寄贈した事で残存したが、昭和20年(1945年)7月9日未明の堺市大空襲で境内もろとも全焼し現存せず。
開口(あぐち)神社
堺市西区甲斐町東2-1-29
℡: 072-221-0171
阪堺電気軌道線大小路電停降車 徒歩2分
http://www.aguchi.jp
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2013/02/02
いいね!:59票
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