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住吉高燈籠

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住吉高燈籠〔歴史的記念物〕

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/08(約11年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

大阪ベイエリア クチコミ:3件

住吉大社境内外奉納され現存する石燈籠は、住吉信仰が庶民階層に拡大を見せた江戸中期頃から該社への奉納が盛んになったが、殊に、享保時代(1716?35年)頃から、石燈籠自体が巨大化傾向を見せる。
即ち、寛保2年(1742年)に奉納された石燈籠は5mに達する物が出現し、更に、延享5年(1748年)には高さ6mに及ぶ次第となった。
然るに、明和7年(1770年)に全国的規模での大旱魃に拠る凶作が発生し、更に、安永、及び、天明期(1772~1801年)に於ける度重なる旱魃、富士山、及び、浅間山大爆発、江戸大火、大飢饉が発生した時代に、流石に燈籠献納は下火にならざるを得なかった。
然し、田沼意次(たぬま おきつぐ)(享保4年(1714年)9月11日?天明8年(1788年)7月27日)が老中職に就任し、田沼が自由放任政策を採用行使した事で、我が国に於いて初期資本主義が萌芽し、商人が実力を伴う事と相俟って、天明末期に再び巨大石燈籠奉納が見られる様になり高燈籠の出現を見る。
当時構築された高燈籠は、高さ70尺(21m)、台座石40尺(12m)で、結果的に見て我が国燈台の嚆矢の存在となった。
台座に於ける書は、当時の漢学者 頼 山陽(らい さんよう)(安永9年(1781年)1月21日?天保3年(1132年)10月16日)の揮毫である。
該燈籠は、明治以降も残存したが、明治末期頃迄に付近一帯は埋立が進み燈台としての役目は大正中期に終えた。
昭和9年(1934年)9月21日来襲の室戸台風(むろと たいふう)、及び、昭和19年(1944年)12月7日発生の東南海大地震(ひがしなんかい だいじしん)で各部に弛緩が発生していた処、昭和25年(1950年)9月3日来襲のジェーン(Jane)台風で上部木造構築部分が損傷傾斜した為に、崩壊防止の為に上部構造部分は解体し台座のみ残存していたが、大阪市は国道26号線道路拡張計画に該台座が抵触する事を理由に昭和47年(1972年)台座も撤去されるに至った。
然るに、地元では由緒を有する該高燈籠の廃絶を惜しみ復活を希求する声が起き、住吉公園に於ける景観施設として、改めて鉄筋コンクリート製にて再建され、昭和49年(1974年)12月9日に竣工したのが現高燈籠である。
平成17年(2005年)8月に該高燈籠内部が史料館として改装整備された。
平成24年(2012年)12月21日 大阪市都市景観資源登録。


住吉高燈籠(すみよし たかとうろう)
大阪市住之江区浜口西1?1
℡: 06-6671-2292
第1、及び、3日曜日開館
10:00~16:00
入場無料
南海電気鉄道本線住吉大社駅 徒歩4分
www.osaka-park.or.jp/rinkai/sumiyoshi/main/html

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
1.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2013/02/04

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