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方違神社(ほうちがい神社)

寺・神社・教会

方違神社(ほうちがい神社) 施設情報・クチコミに戻る

方違神社〔神社〕

  • 5.0
  • 旅行時期:2014/08(約11年前)
横浜臨海公園さん

by 横浜臨海公園さん(男性)

堺 クチコミ:5件

該社御祭祀は、
八十天萬魂神(やをあまよろずみたまのかみ)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)
住吉三筒男大神(すみよし みつおのおおかみ)
息長足姫(おきながのたらしひめ)
御4柱である。
第10代 崇神帝(すじん てんのう)(開化10年(前148年)?崇神68年(前29年)1月9日)御在位中たる、崇神8年(前90年)に、該地たる、茅渟百舌耳原、石津原に遷座されたのが該社創建とされる。
該地たる三国が丘の地名は、摂津國、河内國、及び、和泉國の境界中心地に所在し、何れにも属さぬ特殊地とされ、故に、厄除け方除の神として崇敬された。
第15代 應神帝(おうじん てんのう)(仲哀9年(201年)1月5日?應神41年(310年)3月31日)より、社号を 方違大依羅神社(かたたがえ おおよさみ かむりやしろ)と拝命を受けたが、一般からは方違宮と称された。
然し、当時の社号から読取れるのは、摂津國南域に勢力を有した豪族 依羅一族との関係が濃厚だった史実が推定される。
平安末期に、住吉大社傘下の境外摂社になると同時に、該社別当境内寺たる向泉寺勢力が増大し、該寺寺僧が該社を管理する社従寺主の状態が江戸末期まで継続した。
また、鎌倉期頃より方位厄除神社ともして知られ、方位、地相、家相、普請、に留まらず、昨今では、転勤、海外旅行等々に於ける効用を有するとされている。
明治維新と共に王政復興の大号令に拠り、住吉大社境外摂社の立場から離れ独立社として認知された。
明治6年(1873年)3月 郷社指定。
明治40年(1907年)11月1日附を以って、旧号たる方違神社に復号。
該社は、昭和20年(1945年)7月9日未明の堺大空襲で被災を免れた為に、桃山期造営の破風造本殿が現存する。
また、境内は戦災から免れたクロガネモチの古大木が空を覆う。



方違(かたたがえ)神社
堺市堺区三国か丘町2-2-1
℡: 072-232-1216
9:00~16:00
南海電気鉄道高野線堺東駅 徒歩4分
http://www.hochigai-jinja.or.jp/

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2013/02/23

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