横浜臨海公園さんへのコメント一覧(29ページ)全1,512件
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大変な超大作!
横浜臨海公園さま、こんばんは。
大変な超大作の旅行記を発表なさいましたね。
旅行記は私が記憶する限り本当に久しぶりではございませんか?
長い間ため込んでいらっしゃった情熱がこの1篇に凝縮されているようで、横浜臨海公園さまの熱意がばしっと突き刺さるような気がしました。
その間には体調を崩されたこともおありになったと聞き及んでいますが、本当によくぞこんな大作をと、その超人振りにただただ驚いています。
今回の鉄道歴史探訪記、川崎ー横浜間は私も時々通りますので、なじみの沿線ではありますが、横浜臨海公園様の詳しいご説明で(すみません、私には難しすぎて半分も理解できておりません・泣)、そんなこともあったのか、とか、こんなこともあったのかとか初めて知ることも多く、本当に勉強になりました。
その中でも、ヴェルサイユ条約で、日本が賠償金を得ていたという話、それが日本の鉄道の発展に寄与していたという話はとても興味深く拝見しました。
でも歴史って面白いですね。
第一次世界大戦では日本は連合軍でドイツから賠償金を得て、第二次世界大戦ではドイツと同盟を結んで敗戦するのですものね。
これからもあんまり無理をなさらないで、と言いつつも、こういう立派な旅行記は世のため人のためにも発表してほしいと願っております。
himmel拝復
frau.himmelさま、こんにちは。
小生の旅行記に投票とコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
川崎-横浜間は小生にとっても地元故に、資料が豊富と思いきや、横浜市内の元資料は関東大震災で焼失した物も多く、裏付けをとるのに苦労し、アレヤコレヤで5年も掛かってしまいました。
仰せの通り、我が国は、ヴェルサイユ条約で敗戦国から多額の賠償金を得たものの、第1次世界大戦後に於ける軍備拡張で、戦艦6隻、巡洋戦艦4隻を建造する為に折角の賠償金が費消され、結局、ワシントン軍縮会議決定で、長門、陸奥以外の建造中戦艦は、戦艦加賀、及び、巡洋戦艦赤城が航空母艦に改造された以外、戦艦土佐などは75%完成していたにも拘らず廃艦指定を受け、射撃訓練の為の標的艦として活用されるなど無駄骨でした。
更に、関東大震災での復興資金として流用され、昭和初期の世界的不況から、円の価値が落ち、昭和5年(1930年)には残がゼロになってしまいます。
但し、現在も残る、隅田川下流域に於ける鉄橋群は、関東大震災で焼失した木造橋の代替として、戦艦建造の為に欧米から輸入していた鋼材を活用して、直ぐ架橋が可能だったという事になります。
横浜臨海公園2016年09月14日16時25分 返信する -
旅行記に投票有り難うございました。
横浜臨海公園 様
こんにちは
いつもお世話になり有り難うございます。
この度は旅行記に投票いただき有り難うございました。
旅行記にも書きましたが、あっという間の70歳です、若いころは自分には60歳、70歳なんか来るわけない?なんて考えていましたが、来てしまうんですね!
我侭で好きなことをやり続けてきたので時間の進みかたも早かったのでしょう。
でも健康で今でもスポーツを続けられるのはとても幸せなことだと感謝しています。
スイスにもずいぶん通いました、現地の人にスイス人より詳しいなんて言われたこともあります、
いまではスイス東部のグラウビュンデン州の街や村やレーティッシュ鉄道が好きになりました。
あとどの位スイスの旅が続けられるかわかりませんが、魅力的なスイスの田舎を歩こうかと 思っています。
これからも宜しくお願いいたします。 取り急ぎ御礼まで。
敏じぃ
2016年09月07日11時53分返信する -
笛吹市は故郷
横浜臨海公園さん;
JGC_SFCです、こんにちは。いつもご訪問、ありがとうございます。
今日は、掲示板にお邪魔してしまいました m(__)m
旅行記『甲斐國一之宮 淺間神社参拝記』を読ませて頂きました。
山梨県笛吹市、実は僕の故郷・・・浅間神社へは、小学生の時に遠足で行った事があって、懐かしく拝見しました。
僕は、笛吹市とは言っても、西の旧・境川村だったので、浅間神社にはその遠足の時一度だけしか行ってないのですが・・・
記憶を辿ると、勝沼のブドウ園へのバス遠足の途中、立ち寄った事を思い出します。
笛吹市は、フルーツで有名ですが、石器時代の数々が出土する『曽根丘陵』や俳人の『飯田蛇笏』翁の生家など等、史跡なども多いです。
横浜臨海公園さんの旅行記を読んで、大人になった今、色々な場所を改めて訪れてみようかと思いました。
笛吹市の旅行記、ありがとうございました。
では、JGC_SFC拝復
JGC_SFCさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、申し訳ございませんでした。
笛吹市が、実は、JGC_SFCさまの故郷だったとは存じませんでした。
浅間神社は甲斐國一宮神社として地元から崇敬されておりまして、初詣のときなど、山梨市駅から徒歩での参拝者は引きをもきらず続くそうです。
40数年前に初めて参拝で訪れた際は、道路も狭かったでしたが、時の流れは町全体を変えてしまい、現在では神社の一帯だけが取り残されたかの如く時間が止まった様にも思える地になっておりました。
また、時間がございましたら再訪を賜れば幸甚でございます。
横浜臨海公園2016年10月16日16時00分 返信する -
ありがとうございました!!
横浜臨海公園さん
こんにちは!旅遊de道楽です。いつも私の旅行記、そしてクチコミにまでご訪問&ご投票いただき、本当に感謝です!ありがとうございます♪
横浜臨海公園さんの非常に詳細な記録の旅行記をお手本に、私もいろいろと
ご紹介していけたらなと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!!2016年08月29日10時54分返信する -
旅行記に投票有り難うございました。
横浜臨海公園 様
こんにちは
いつもお世話になり有り難うございます。
この度は旅行記に投票いただき有り難うございます。
今回は信州3泊の旅でした、いつもはスキーシーズンに出かけることが多いのですが夏は夏で明るいし、食材も豊富でグルメとしては最高です。
今回蓼科湖の宿は残念ながら外しました、難しいですね、初めての宿は。
宿の人が明るく対応してくれればまだ違ったのでしょうが、年配の夫婦が
やや暗かったです。
野沢温泉では親戚付き合いしているとうふやさんにお世話になりました。
料理は素晴らしいし、宿の人たちは明るい人ばかり、温泉も最高です。
そうそう 久しぶりに飯山の六兵衛に行けたのも嬉しかったです、ずいぶん
お客さんが増えました、これに関してはお客さんが少なかった頃は のんびり
オーナーと話も出来たのですが、ちょっと複雑な気持ちです。
今度は雪が来る前の秋にでも行ってみたいと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。
敏じぃ
2016年08月26日14時46分返信する -
こんばんは(^^)/
chieko2014です。
たくさんのご訪問と投票をありがとうございます。UPしてこんな間もなくのいいね、嬉しい限り・・
臨海公園さんのUPはちょっとお邪魔する〜と云う感じで訪問をさせて頂くのは勿体無いですので、訪問を遠慮しておりますのでごめんなさいね。
私のUPはまだ道半ば・・以下でした。これからもよろしくお願いいたします。
chieko2014
2016年08月21日20時18分返信する -
投票、ありがとうございます♪
横浜臨海公園さん
こんばんは。ご無沙汰しています。
エアーズロック・リゾート旅行記、投票ありがとうございます。
暑い日が続いていますが、お身体の方は大丈夫ですか?
少し前まで身内の不幸と長期の出張が重なって、少し4トラを休んでいましたm(__)m
そんな中で、今回の旅行記を無事に更新出来たことに、正直「ホッ」としています^^
コテコテの観光が好きな相方と、その国の何気ない生活を見るのが好きな
僻地好きなウチ・・・「旅」に対する方向性が違う2人ですが、そんなウチでも、
今回のエアーズロックは、その絶景を見れた相方には、
素直に「羨ましいなぁ」と感じました^^;)
働きながらだから、そう「海外」なんて何回も行けれませんが、
世界中に散らばってる絶景に出来るだけ多く、心に刻んで行きたいと思っています^^/
ジョージ・ジョン・ポール2016年08月17日22時25分返信する -
原爆の悲惨さを改めて認識させて頂きました
こんばんは。いつもお世話になります。
遅まきながらこの旅行記ですが、2016年8月9日に拝見させて頂きました。
広島といえば長崎とともに原爆で多大な被害を受けているということは承知していますが、今回のような旅行記を拝見させて頂くと当時の状況が目に浮かぶようで、より悲惨さを痛感させて頂きました。
そういう意味では横浜海浜公園さんにお礼を言いたいと思います。
(追伸)
頻繁にご覧戴いているのになかなかアクセス出来ないことをお詫び申し上げます。
口コミの他、旅行記として掲載したい情報が多数あり、それらを早めに提供してほしいニーズがある一方、なるべく公平に皆さんのトラベラーページも見たいという思いもあり、現状週2回程度になってしまっている現状です。
勝手な都合かもしれず恐縮ですが、以上の事情をご理解の上、今後もお付き合い戴ければ幸いです。
引き続きよろしくお願いします。
拝復
フロンティアさま、こんにちは。
掲示板にコメントを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。
広島と長崎は同じ被爆都市ながら、被爆施設に対する態度は全く対照的態度だと感じさせられます。
即ち、広島が被爆施設を可能な限り残存保存に向けた態度であるのに対し、県民性なのか、長崎は、浦上天主堂をはじめとする被爆建築物は、昭和30年代に解体されたりと、現存する該施設は広島と比較して圧倒的に小数に過ぎない状況です。
20年ほど前ですが、長崎浦上平和公園地下に駐車場建設が決定し、該地を掘り返した処、嘗ての長崎浦上刑務所後が、原爆で破壊され埋没された状態で出土し物議をかもし出しした。
当時の五島市長は、該施設保存は不要と、結局殆どが解体されてしまいましたが、長崎市民は、原爆遺構は悲惨で、且つ、観光の邪魔で不要との思考が強いように感じされます。
横浜臨海公園2016年08月25日10時15分 返信する -
お礼
ネパールの旅にご投票ありがとうございます。去年は3回行きましたが今年はこの1回だけになりそうです。毎年学費を届けるためと、支援生徒たちから手紙をもらったり、写真を写すために訪ネしていますが、昨年の地震でやることが増えました。さまざまな方から寄付金もいただいたのでなんとか有効に使うためです。今年は今までやっていなかった学校建設も考えた上での視察でした。しかし 雨季であったため、考えていた地域には行くことができませんでした。でも今まで行かなかったところへ行くことができ、ネパールの違う面も見ることができました。地震の復興にはまだまだ程遠い状態です。昨年の地震の直後は全世界からの支援が集中しましたが、今はそれもあまりみあたりません。むしろ観光客は減っているくらいで、泊まっていたホテルも初日はわたしたちだけというありさまでした。帰国するころにはすこしずつ観光客が増えてきましたが、日本人はほとんど見られませんでした。ネパールにはほとんど外貨を獲得できる産業がなく観光だけが唯一の産業と言えるものです。復興をすすめるためにはまた以前のように観光客が増えることも大切なことだと感じました。
今回の旅では卒業した奨学生3人に会うことができました。いずれも小学校2年生から12年生まで支援していた生徒たちです。この子たちが、一人は検査技師、一人は会社の会計、一人は小さいながらもお店をやっていることを知って、本当にうれしかったです。
2016年08月10日09時04分返信する拝復
ポイセンチアさま、おはようございます。
掲示板にコメントを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。
昨今の日本にもネパールから大量に来日する者が来て、コンビニエンスストア等々でアルバイトに、その姿を垣間見る様になりましたが、彼ら彼女らは、支那人どもの立場と異なり、実家への送金のみならず、地元への貢献を考えた行動をする人が多い様に感じております。
殊に、大震災後は、その傾向が一層強くなり、復興の為に日夜働く姿を見て感銘を受けさせられます。
兎に角、開発途上国にとって教育は最大問題の一つとして課題となっている様です。
横浜臨海公園2016年08月25日10時04分 返信する



