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昭和20年8月6日8時15分、広島市上空に於いて原子爆弾が炸裂した際に、当時の広島市内に於いて最重要交通輸送機関であった広島電気鉄道市内線では、たまたま当日が月曜日だった事も手伝い、目的地に向かう為に電停で電車を待つ人々や超満員の乗客を乗せ走行中の電車にも甚大な被害が生じ、何ら理由も告知されぬまま青天の霹靂の如く乗務員乗客達に突然不幸が襲った事は想像に難くない。<br /><br /><br />該車は、昭和17年(1942年)木南(きなみ)車輌製造で5両が製造された。<br /><br /><br />当時の広島市内は帝國陸軍師団他が存在する西日本地域有数の軍都であり、戦時体制強化に伴い、広島電気鐵道は輸送力不足を理由に監督官庁たる鐵道省に対し大型鉄道車両製造許可を得た。<br /><br />被爆後63年を経て広島電鉄の残り少なくなった被爆施設と現在も営業を重ねる650型被爆電車を訪ね旅行記に纏めた。<br /><br /><br /><br />表紙は被爆電車こと広島電鉄650型電車651号車。<br /><br />広島電鉄本社<br />広島電鉄市内線広電本社前降車 徒歩15秒<br />http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/

広島電鉄の原爆被災施設と被爆電車650型を訪ねる

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2008/09/30 - 2008/09/30

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    17

    昭和20年8月6日8時15分、広島市上空に於いて原子爆弾が炸裂した際に、当時の広島市内に於いて最重要交通輸送機関であった広島電気鉄道市内線では、たまたま当日が月曜日だった事も手伝い、目的地に向かう為に電停で電車を待つ人々や超満員の乗客を乗せ走行中の電車にも甚大な被害が生じ、何ら理由も告知されぬまま青天の霹靂の如く乗務員乗客達に突然不幸が襲った事は想像に難くない。


    該車は、昭和17年(1942年)木南(きなみ)車輌製造で5両が製造された。


    当時の広島市内は帝國陸軍師団他が存在する西日本地域有数の軍都であり、戦時体制強化に伴い、広島電気鐵道は輸送力不足を理由に監督官庁たる鐵道省に対し大型鉄道車両製造許可を得た。

    被爆後63年を経て広島電鉄の残り少なくなった被爆施設と現在も営業を重ねる650型被爆電車を訪ね旅行記に纏めた。



    表紙は被爆電車こと広島電鉄650型電車651号車。

    広島電鉄本社
    広島電鉄市内線広電本社前降車 徒歩15秒
    http://www.hiroden.co.jp/train/sharyo/

    同行者
    一人旅
    一人あたり費用
    5万円 - 10万円
    交通手段
    高速・路線バス タクシー JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
    利用旅行会社
    個別手配

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    • 広島電鉄広島港駅<br /><br /><br />最新式超低床式連接車。<br /><br />此れに乗車して広島電鉄本社に向かう。

      広島電鉄広島港駅


      最新式超低床式連接車。

      此れに乗車して広島電鉄本社に向かう。

    • 広島電鉄千田町車庫<br /><br /><br />広島電鉄社員研修センター

      広島電鉄千田町車庫


      広島電鉄社員研修センター

    • 広島電鉄千田町車庫<br /><br /><br />広島電鉄社員研修センター<br />被爆側前景。<br />上部に原爆投下の爆風で生じた大亀裂が走る。<br /><br />以下の写真は広島電鉄本社の許可に依り撮影。<br /><br /><br />広島電鉄市内線広電本社前電停降車 徒歩5秒

      広島電鉄千田町車庫


      広島電鉄社員研修センター
      被爆側前景。
      上部に原爆投下の爆風で生じた大亀裂が走る。

      以下の写真は広島電鉄本社の許可に依り撮影。


      広島電鉄市内線広電本社前電停降車 徒歩5秒

    • 広島電鉄千田町車庫<br /><br /><br />広島電鉄社員研修センター<br />被爆側損傷亀裂部分を拡大。<br /><br />爆心地から直線コースで1キロ未満。<br />電車通を挟んで向かい側は鉄骨鉄筋コンクリート建築の日本赤十字広島病院本館が所在し此方は猛烈な爆風で窓枠ごと吹き飛ばされ本館は中破、死傷者多数にのぼる。<br />本館を改築する為に解体されるまで窓枠が歪んだ無残な姿を晒す。<br />然し、原爆の凄まじい爆風に煉瓦積建造物が倒壊を免れ良くぞ持ち堪えた。<br /><br />因みに件の建物の煉瓦積は典型的なフランス積。

      広島電鉄千田町車庫


      広島電鉄社員研修センター
      被爆側損傷亀裂部分を拡大。

      爆心地から直線コースで1キロ未満。
      電車通を挟んで向かい側は鉄骨鉄筋コンクリート建築の日本赤十字広島病院本館が所在し此方は猛烈な爆風で窓枠ごと吹き飛ばされ本館は中破、死傷者多数にのぼる。
      本館を改築する為に解体されるまで窓枠が歪んだ無残な姿を晒す。
      然し、原爆の凄まじい爆風に煉瓦積建造物が倒壊を免れ良くぞ持ち堪えた。

      因みに件の建物の煉瓦積は典型的なフランス積。

    • 千田町車庫に勢ぞろいした市内電車。<br /><br /><br />目指す電車が見当たらない。

      千田町車庫に勢ぞろいした市内電車。


      目指す電車が見当たらない。

    • 元大阪市電750型電車<br /><br /><br />昭和13年(1938年)〜17年(1942年)製造の市内電車の特徴。<br /><br />窓部はノーシル・ノーヘッダーで屋根部は張上げ構造。<br />ドアは原則的に3ドア構造。<br />大阪市電から譲渡された750型電車も屋根の張上げ部分こそ改造され樋が設置されているが650型電車と同様の特徴を有する。

      元大阪市電750型電車


      昭和13年(1938年)〜17年(1942年)製造の市内電車の特徴。

      窓部はノーシル・ノーヘッダーで屋根部は張上げ構造。
      ドアは原則的に3ドア構造。
      大阪市電から譲渡された750型電車も屋根の張上げ部分こそ改造され樋が設置されているが650型電車と同様の特徴を有する。

    • 広島電鉄650型電車651号車<br /><br /><br />車庫内を放浪して、やっと一角に目指すものを発見。<br />昭和17年(1942年)木南車輛製造。<br />

      広島電鉄650型電車651号車


      車庫内を放浪して、やっと一角に目指すものを発見。
      昭和17年(1942年)木南車輛製造。

    • 広島電鉄650型電車651号車車内<br /><br /><br />651号車は爆心地至近の広島市役所付近を走行中に原爆に遭遇。<br />電車は強烈な爆風と熱線で線路と75度の角度で脱線炎上したが転覆は免れた。<br /><br />すし詰め状態の超満員の車内で中央部で立っていた数名を除き、殆どの乗客が車内、若しくは車外に脱出直後に大量に浴びた放射能が原因で激性放射能障害で即死。<br />此の時、車両中央部に立っていた旧制中学校男子生徒1名は周囲の大人たちに囲まれ直接熱線を浴びなかった事が原因で逃げ延び奇跡的に助かり近年まで存命。<br /><br />翌日、付近一帯の火災が鎮火後の目撃者の証言では車両は全焼し、ドア付近には脱出しようとした多数の者が悶え苦しんだ表情も露に折り重なるように黒焦げ死体の山、運転手車掌は勤務姿勢のまま、乗客は着席状態やつり革につかまったまま表情に何ら変化も無く、即死黒焦げ状態だった由。<br /><br />車両は全焼した事もあり車体が全体的に損傷が著しく復旧は翌年昭和21年まで持ち越され、復旧後はドアを1ヶ所減らし2ヶ所化され冷房化した以外は概ね現在まで原型を保つ。<br /><br />因みに、大部分の文献に、該車輌が原爆被害では半焼したとの記述が散見されるが、超満員状態の車輌中央部に乗車し助かった数少ない生存者が、生前に広島原爆被災誌編纂担当者に対し証言した記述に拠れば、原爆炸裂と同時に、車体屋根の鋼鉄板が灼熱化し真っ赤に焼けたと証言を残存させており、車体は大破こそしなかったが、木部が焼失している事から、故に、該車輌は半焼では無く全焼被害と判断するのが正当解釈である。<br /><br />被爆後3日後たる昭和20年8月9日に広島市役所前で被災焼損した651号車を撮影した写真が現存する。

      広島電鉄650型電車651号車車内


      651号車は爆心地至近の広島市役所付近を走行中に原爆に遭遇。
      電車は強烈な爆風と熱線で線路と75度の角度で脱線炎上したが転覆は免れた。

      すし詰め状態の超満員の車内で中央部で立っていた数名を除き、殆どの乗客が車内、若しくは車外に脱出直後に大量に浴びた放射能が原因で激性放射能障害で即死。
      此の時、車両中央部に立っていた旧制中学校男子生徒1名は周囲の大人たちに囲まれ直接熱線を浴びなかった事が原因で逃げ延び奇跡的に助かり近年まで存命。

      翌日、付近一帯の火災が鎮火後の目撃者の証言では車両は全焼し、ドア付近には脱出しようとした多数の者が悶え苦しんだ表情も露に折り重なるように黒焦げ死体の山、運転手車掌は勤務姿勢のまま、乗客は着席状態やつり革につかまったまま表情に何ら変化も無く、即死黒焦げ状態だった由。

      車両は全焼した事もあり車体が全体的に損傷が著しく復旧は翌年昭和21年まで持ち越され、復旧後はドアを1ヶ所減らし2ヶ所化され冷房化した以外は概ね現在まで原型を保つ。

      因みに、大部分の文献に、該車輌が原爆被害では半焼したとの記述が散見されるが、超満員状態の車輌中央部に乗車し助かった数少ない生存者が、生前に広島原爆被災誌編纂担当者に対し証言した記述に拠れば、原爆炸裂と同時に、車体屋根の鋼鉄板が灼熱化し真っ赤に焼けたと証言を残存させており、車体は大破こそしなかったが、木部が焼失している事から、故に、該車輌は半焼では無く全焼被害と判断するのが正当解釈である。

      被爆後3日後たる昭和20年8月9日に広島市役所前で被災焼損した651号車を撮影した写真が現存する。

    • 広島電鉄650型電車651号車後部<br /><br /><br />ドアを撤去して座席を延長した痕跡を窓部に残す。<br /><br />10数年前に車内塗装のニスの灰汁落しを実施した為に意外と明るい。

      広島電鉄650型電車651号車後部


      ドアを撤去して座席を延長した痕跡を窓部に残す。

      10数年前に車内塗装のニスの灰汁落しを実施した為に意外と明るい。

    • 広島電鉄650型651号車車内の掲示<br /><br /><br />老朽化の為に既に廃車になった2両を含め昭和47年に事故廃車の1両を除き、被爆当時の650型各車両の現状と復旧状態が運転室後に掲示されている。

      広島電鉄650型651号車車内の掲示


      老朽化の為に既に廃車になった2両を含め昭和47年に事故廃車の1両を除き、被爆当時の650型各車両の現状と復旧状態が運転室後に掲示されている。

    • 651号車の車両表記<br /><br /><br />製造後2年半弱で原爆に遭った事になる。

      651号車の車両表記


      製造後2年半弱で原爆に遭った事になる。

    • 広島電鉄650型電車<br /><br /><br />650型電車は軍都として拡大し続けた広島の交通事情を打開する為に昭和17年に5両製造。<br />全車被爆。<br />昭和40年代前半に655号車は無謀運転の大型ダンプカーに衝突され車体が大破し廃車となったが、残り4両は平成に至るまで活躍、2両が老朽化の為に廃車となったが、記念物的要素もあった事から記念物として保存されている。<br />現役は651号車と652号車の2両。<br />因みに、製造元の木南(きなみ)車輌製造は、大阪府堺市に所在し、沿線たる南海電気鐵道車輌製造を主としていたが、大東亜戦争中に企業名を帝國車輌製造と改称し鉄道車両製造全般を担当したが、戦後、業績悪化に伴い、当時の東急車両製造に吸収合併され該社大阪工場となった。<br />現在でも、南海電鉄車輌が関西地区で製造されず、東急車両製造横浜工場で製造されるのは、元の帝國車輛製造の流れの関係である。

      広島電鉄650型電車


      650型電車は軍都として拡大し続けた広島の交通事情を打開する為に昭和17年に5両製造。
      全車被爆。
      昭和40年代前半に655号車は無謀運転の大型ダンプカーに衝突され車体が大破し廃車となったが、残り4両は平成に至るまで活躍、2両が老朽化の為に廃車となったが、記念物的要素もあった事から記念物として保存されている。
      現役は651号車と652号車の2両。
      因みに、製造元の木南(きなみ)車輌製造は、大阪府堺市に所在し、沿線たる南海電気鐵道車輌製造を主としていたが、大東亜戦争中に企業名を帝國車輌製造と改称し鉄道車両製造全般を担当したが、戦後、業績悪化に伴い、当時の東急車両製造に吸収合併され該社大阪工場となった。
      現在でも、南海電鉄車輌が関西地区で製造されず、東急車両製造横浜工場で製造されるのは、元の帝國車輛製造の流れの関係である。

    • 651号車の台車<br /><br /><br />平軸受板バネ何れも年代物。<br />但し台車自体が交換され低床化に貢献。

      651号車の台車


      平軸受板バネ何れも年代物。
      但し台車自体が交換され低床化に貢献。

    • 650型電車652号車<br /><br /><br />コチラは爆心地から離れた所で被災した為に窓ガラスの全損程度の軽微な被害で済み、昭和20年8月下旬には仮復旧工事が完了し運用に就く。

      650型電車652号車


      コチラは爆心地から離れた所で被災した為に窓ガラスの全損程度の軽微な被害で済み、昭和20年8月下旬には仮復旧工事が完了し運用に就く。

    • 広島電鉄650型652号車正面<br /><br /><br /><br />建築限界の関係で細面

      広島電鉄650型652号車正面



      建築限界の関係で細面

    • 千田車庫に勢ぞろいした新旧市内電車<br /><br /><br />左から3番目に652号車が、はにかんだ様に奥まってました。

      千田車庫に勢ぞろいした新旧市内電車


      左から3番目に652号車が、はにかんだ様に奥まってました。

    • 広島電鉄本社敷地内<br /><br /><br />殉職者慰霊碑<br />原子爆弾が原因で殉職された多数の方々の氏名を見てゾッとさせられる想いがした。

      広島電鉄本社敷地内


      殉職者慰霊碑
      原子爆弾が原因で殉職された多数の方々の氏名を見てゾッとさせられる想いがした。

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      この旅行記へのコメント (16)

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      • by フロンティア さん 2016/08/11 22:24:07
        原爆の悲惨さを改めて認識させて頂きました
         こんばんは。いつもお世話になります。
         遅まきながらこの旅行記ですが、2016年8月9日に拝見させて頂きました。
         広島といえば長崎とともに原爆で多大な被害を受けているということは承知していますが、今回のような旅行記を拝見させて頂くと当時の状況が目に浮かぶようで、より悲惨さを痛感させて頂きました。
         そういう意味では横浜海浜公園さんにお礼を言いたいと思います。
        (追伸)
         頻繁にご覧戴いているのになかなかアクセス出来ないことをお詫び申し上げます。
         口コミの他、旅行記として掲載したい情報が多数あり、それらを早めに提供してほしいニーズがある一方、なるべく公平に皆さんのトラベラーページも見たいという思いもあり、現状週2回程度になってしまっている現状です。
         勝手な都合かもしれず恐縮ですが、以上の事情をご理解の上、今後もお付き合い戴ければ幸いです。
         引き続きよろしくお願いします。
         

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2016/08/25 10:15:15
        拝復
        フロンティアさま、こんにちは。


        掲示板にコメントを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。

        広島と長崎は同じ被爆都市ながら、被爆施設に対する態度は全く対照的態度だと感じさせられます。

        即ち、広島が被爆施設を可能な限り残存保存に向けた態度であるのに対し、県民性なのか、長崎は、浦上天主堂をはじめとする被爆建築物は、昭和30年代に解体されたりと、現存する該施設は広島と比較して圧倒的に小数に過ぎない状況です。

        20年ほど前ですが、長崎浦上平和公園地下に駐車場建設が決定し、該地を掘り返した処、嘗ての長崎浦上刑務所後が、原爆で破壊され埋没された状態で出土し物議をかもし出しした。

        当時の五島市長は、該施設保存は不要と、結局殆どが解体されてしまいましたが、長崎市民は、原爆遺構は悲惨で、且つ、観光の邪魔で不要との思考が強いように感じされます。




        横浜臨海公園
      • by fuzz さん 2014/08/15 18:14:30
        ちょうどこの日にこの旅行記を拝見しました。
        横浜臨界公園さん、こんにちは。

        何気なくお邪魔しましたら、なんと原爆が投下された日の出来事でしたね。

        随分とお調べになったのでしょうね。

        とても印象的で、おそらく忘れられないのは、満員電車の真ん中あたりに

        立っていた数名のみが原爆から助かったと言うお話です。

        その数名は命を取り留めたとしても、この世の地獄を見たのだろうと思うと

        想像だけでも辛くなりますね。

        今日のこの日に、横浜臨界公園さんのこの旅行記に出会えたのも何かの縁だと思います。

        うまいこと言葉には言い表せませんが、戦争被害でお亡くなりになられた方々全てにご冥福をお祈りするすかありません。

        fuzz

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2014/08/15 19:57:23
        拝復
        fuzzさま、こんんばんは。


        旅行記へのお立寄り、投票、そして掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。

        この旅行記は、小生の習作時代に投稿したものでしたが、今月8日のヤフーメールニュースで紹介された事から、忘れられていたものが再興されました。

        広島原爆戦災誌は、東京横浜の公立図書館や大学図書館に全巻揃えている所は国立国会図書館以外には全く無く、全巻を読み下すのに苦労させられました。

        市電が超満員だったのは、月曜日朝だったと言う事も忘れてはならない事実でしょう。

        混雑の為に、電車の中央に押流された客は、原爆爆発時に人が縦になった事から、直接熱線を浴びず、助かった点で共通しているようです。

        それにしても、ウィキペディアあたりが内容を吟味もせず、適当な記述をした為に、引用者に混乱を生じさせたの、事実に反し甚だ遺憾です。




        横浜臨海公園

        fuzz

        by fuzz さん 2014/08/16 10:57:48
        RE: 拝復
        横浜臨界公園さん、こんにちは。

        やはり、この広島原爆の旅行記は図書館で調べられましたか。

        しかも国会図書館へ。

        日本で発行されるすべての書籍が収められていると、大学時代知りました。
        図書館司書の資格だけは大学で取得しました。
        残念ながら図書館で働いた経験はないのですが(*^_^*)

        ウィキペディアは大学の授業でもそれを引用してのレポートや論文は認めない教授も多く、ウィキ参考及び、コピペなどは呼び出され叱られるケースも多いようです。
        その位、信頼性がないと思っています。

        旅行記ひとつ書くにも、嘘は書かれないですし、私ごときの旅行記でも、
        こう見えても結構気を使っています(ほんとかな?)

        いつもありがとうございます。
        これからも宜しくお願いいたします。

        fuzz

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2014/08/16 11:16:20
        再拝復
        fuzzさま、こんにちは。



        メッセージを賜りまして、誠に有難うございました。

        > やはり、この広島原爆の旅行記は図書館で調べられましたか。
        > しかも国会図書館へ。
        →先ず必要なのは事実への入口です。

        > 日本で発行されるすべての書籍が収められていると、大学時代知りました。
        →尤も、最近知りましたが、郷土史と称する物も、出来不出来が甚だしく、都内某区郷土史は消失→焼失の誤入力の連続程度なら未だしも、都内某市郷土史は歪曲では無いかと驚き呆れた内容が記述されており史料価値がゼロと判断したものがありました。
        資料の取捨選択も大事です。

        > ウィキペディアは大学の授業でもそれを引用してのレポートや論文は認めない教授も多く、ウィキ参考及び、コピペなどは呼び出され叱られるケースも多いようです。
        > その位、信頼性がないと思っています。
        →当然です。
        職場の学生に、流石にウィキを信頼している者はおりません。
        然し、笑えるのは、小生が旅行記で上程すると、ウィキで異なった記載が1ヶ月程で、小生が公表した内容に書き改められているものを散見します。
        裏付とか無いのでしょうかね!




        横浜臨海公園
      • by ももねねここ さん 2014/08/12 10:08:16
        忘れてはいけない事実
        横浜臨海公園さん、おはようございます。

        間もなく69回目の終戦記念日です。

        夏休みや甲子園で賑わう8月は忘れてはならない日がたくさんあります。
        8月6日の広島、8月9日の長崎の原爆投下、そして終戦記念日です。

        広島投下は朝でしたので出勤途中の方々が電車の中で被災されたんですね。
        中心部で生存した中学男子がどんな気持ちだったかと考えるだけで・・・・

        そうですか!
        運転手さんや車掌さんは勤務状態のまま、乗客も手すりに掴まったり座席に座った状態だったんですね。
        いかにアッという間の出来事だったかが分かります。

        被災した電車や施設を旅行記という形で後世に残す事は大切ですね。
        投稿が2008年ですが6年後に拝見させて頂いた私の感想です。

        ももねねここ

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2014/08/12 15:17:48
        拝復
        ももねねここさま、こんにちは。


        旅行記に訪問投票とコメントを賜りまして、誠に有難うございました。

        広島市役所は爆心地から1kmも離れていない至近地で時間が時間だった事から、爆発当時、651号電車は通勤客で超満員の状態だった事が幸いして、生存された旧制中学校生徒の方は周囲の大人が熱線で次々と倒れる中、被爆はしたものの、直接熱線を浴びなかった事が、存命に繋がったとされております。

        それにしても、電車は瞬時にして全焼したにも拘らず、資料や当時の状況も全く吟味もせず、該当電車を半焼被害とし反復させているのには、全く納得出来かねる事実です。



        横浜臨海公園
      • by 一歩人 さん 2009/01/13 11:20:10
        第五福龍丸に気を取られていて、その存在に
        横浜臨海公園さんへ
        不思議な魔力ですねええ。
        こういうところが、横浜臨海公園さんのファンです。
        第五福龍丸を涙ながらに旅行記を書き、
        今回はちょっと恥ずかしかった一歩人です。
        車両をとても楽しませて頂きました。
        ありがとうございました。
        失礼しま〜す。

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2009/01/15 07:58:21
        拝復
        一歩人さま、おはようございます。


        原爆が投下された広島と長崎では被災施設への態度が根本的に異なる様に思えます。

        広島では可能な限り残そうとする姿勢が見られるのに対し、長崎では10数年前に平和公園駐車場建設の際に出土した旧司法省浦上拘置所被災跡を破壊してしまう様に、長崎は可能な限り原爆の被災跡を隠そうとする姿勢が見られる様に思えます。

        長崎でも原爆投下時に甚大な被害を蒙り、特に爆心地付近を走行中に被爆した電車が木造車だった事も手伝い徹底的に破壊され付近に無残な焼死体が散乱した翌10日撮影の写真が知られてます。

        然し、長崎電軌には被爆被害に遭遇した車両や施設は昭和40年代前半に完全に姿を消し現在その姿を目にすることは不可能になってます。

        長崎の街全体を見ても原爆被害の痕跡は広島と比較して格段に少ない様です。

        やはり国際的観光地故に負のものは目に付かせたくないのでしょうかね。
        小生には長崎と言ふ土地が、そう思えてならないのですが. . . .



        横浜臨海公園
      • by tawassan さん 2009/01/11 01:42:23
        通勤に利用してました。
        横浜臨海公園さん、こんばんは。

        私が住んでいたのは宇品港の近くで、路面電車は市内のどこに
        行くにも便利でした。金額も一律150円でとても安く、通勤も
        路面電車でした。被爆電車も宇品線を走っていましたのでよく
        乗りましたので私にとっては、懐かしいですが、被爆された広
        島市民にとっては、原爆投下の3日後には、焼け野原の広島市内
        で、一部区間であったが運行を再開されたので、路面電車は広島
        復興の象徴だったそうです。

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2009/01/11 12:37:01
        拝復
        tawassanさま、こんにちは。


        この度は旅行記に投票とコメントを賜りまして誠に有難うございました。


        tawassanさまが宇品にお住まいだったとは少々意外でした。
        広島市電といえば100型か650型が代表的形式だと思います。

        宇品の町は再開発で市電の線路が道路中央から移設し専用線となり宇品港電停もすっかり変わってしまいました。
        また旧国鉄宇品線宇品駅ホームは京都駅1番線を抜き日本で一番長い事で知る人ぞ知る存在でしたが、地元が歴史的産業遺産というものを理解していなかった事から再開発の際に無残にも破壊されていました。



        横浜臨海公園

      • by 義臣 さん 2008/12/12 17:31:18
        知られていない
        世間には知られていない恐怖の事実、、
        一般にもっと原爆の無残さをしるために公開していただけたら。
        そんな思いに駆られます、
                     義臣

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2008/12/12 21:42:29
        拝復
        義臣さま、こんばんは。


        投票とコメントを賜りまして誠に有難うございました。
        件の651号車ですが、被爆3日後に撮影された写真では収容後の為か惨たらしい遺体の姿は無く焼焦げた車体のみ写っております。
        原爆投下の8月6日8時15分に合せて広島電鉄では原爆ドーム前に650型電車を止めて慰霊としておりましたが、今年はインターネット上に該時刻に650型電車に爆弾を仕掛けたとのイタズラが」有り、例年の行事が中止に追い込まれた事件がございました。

        何時の世界でもインターネットは顔が見えぬ故に自分が誰たるかは判らぬだろうとのあさはかな輩が存在するものですが、件の加害者は広島県警捜査一課に依り逮捕されました。



        横浜臨海公園
      • by 春野弥生 さん 2008/11/11 10:48:09
        驚き!です
        おはようございます。

        原爆が投下された時に走っていて
        被爆した電車が現役とは思いもしませんでした。

        春野弥生より

        横浜臨海公園

        by 横浜臨海公園 さん 2008/11/19 18:46:58
        拝復
        春野弥生さま、こんばんは。


        確かに普通に考えてみれば、あれだけの威力を持った原子爆弾に電車が耐えられるとは考えにくいのですが、実際に原爆投下当時に広島電鉄で使用していた電車で、原爆が原因で廃車になった車両は、車体構造が木造車体だった車両だけで鋼鉄製車体の車両は何らかのカタチで復旧して再使用されました。
        此れらの復旧車両は昭和40年代前半まで広島市内を縦横に走っていたそうです。


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