hijunoさんのクチコミ(16ページ)全1,181件
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投稿日 2024年05月31日
総合評価:5.0
観心寺前にあるお店です。
お茶屋さんのレトロな雰囲気で、麺類やぜんざい、お餅などが食べれます。
訪れたときは、にっき餅とくさ餅をお土産に購入しました。添加物などが入っていないので、作りたてをすぐに冷凍するそうで、持ち帰ったときも冷凍でした。
少しずつ解凍されて、ふっくらとして、香りが良いお餅が美味しかったです。
特に、ニッキを使ったお餅は懐かしい味がしました。
訪れたころは、土日のみの営業で、天候によってもお休みになることがありますので、確認してから訪問するのが良いとおもいます。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- サービス:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
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投稿日 2024年05月29日
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投稿日 2024年05月29日
総合評価:4.5
高台の見晴らしの良い場所にありました。
お寺の縁起によると、源満仲の子供の美女丸が中山寺に修行のために預けられましたが
乱暴を働くなど、修行を怠っていたため、怒った光仲が重臣の藤原仲光に命じて命を狙うことになりました。ためらった仲光にその子供の幸女丸が自分の命を差し出すことを申し出て、身代わりになります。
後に、そのことを知った美女丸は心を入れ替えて、比叡山で修行に励み、高僧の源賢僧都となり、身代わりとなった幸女丸の菩提を弔うために、このお寺を建立したと
いわれています。
境内には、美女丸、幸女丸、藤原仲光の供養塔、また渡辺氏の祖先となった渡辺綱の廟があります。渡辺綱は源頼光の家来で、大江山の酒呑童子を退治したことで知られる、
頼光四天王の一人で、源氏のゆかりのこの地に廟が建てられています。
そのほか、頼光四天王の酒田金時をはじめとしたほかの武人の供養塔がありました。
お墓の左側には室町時代後期の無縫搭と十三仏板碑があります。
平井保昌のお墓もありました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年05月28日
総合評価:4.0
創建は古く、3世紀から5世紀といわれています。言い伝えによると神功皇后が三韓からの帰途に船が進まず綿津見三神を祀ったところ無事に都に帰れたところから、神功皇后が祀った場所に神社が建てられたといいます。
古くから周囲には海事に関係の人々が多く住み、海の安全を祈り、海の神を祀ったことが始まりともいわれています。
現在も、航海の安全、漁業の繁栄をはじめとして信仰を集めています。
境内には享和元年1801年と銘記された石灯籠がありました。
垂水駅、垂水港のすぐ近くにあります。
大鳥居の周辺はかつて砂浜だったそうです。いまは、漁港や建物、駐車場になっています。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 4.0
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松林と海、明石海峡大橋の風景と歴史のある建物を楽しめます♪♪
投稿日 2024年05月28日
総合評価:5.0
舞子公園は1900年(明治33年)にできた初の兵庫県立都市公園です。
松林が続く公園の中は静かで、遺跡もかつてありました。縄文・弥生時代の土器や石器、古墳時代の人骨が埋葬された埴輪棺も発見されています。
半世紀かけて完成した明石海峡大橋の雄大な風景と海、淡路島の光景を眺めたり、
孫文記念館や旧武藤山治邸、旧木下家住宅、舞子海上プロムナードなどの施設の見学ができます。近くに橋の科学館もあり、みどころが満載です。
明治天皇も舞子の濱を愛され、7回も行幸しています。
古来より人々に愛され、歌にも詠まれてきました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年05月25日
総合評価:5.0
JR生瀬駅から歩き、かつての生瀬宿のあった道を歩いて、15分くらいのところにあります。1241年 鎌倉中期に建てられた由緒あるお寺です。
証空上人が有馬に行く途中、そのあたりにいた山賊たちの悪行を諭し、武庫川に橋を架け、旅人から通行料を取って生活ができるように勧めたといわれています。
橋を浄橋と言い、その西にお寺を建立したそうです。
境内には多くの文化財があります。
本尊は阿弥陀三尊像。金箔が貼られている仏像でした。
阿弥陀三尊像、両脇侍像、梵鐘は国の重要文化財です。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年04月25日
総合評価:4.0
勸修寺そばの小さな神社ですが、皇室とゆかりのある神社です。この地域の豪族だった宮道氏(みやじし)宮道弥益の娘の宮道列子は右大臣の藤原高藤に嫁ぎ、その娘 藤原胤子と宇多天皇との間には後の醍醐天皇が生まれています。
神社には主祭神の日本武尊ほか、宮道弥益、宮道列子、藤原高藤、藤原胤子、藤原定方
らも合祀られています。
この神社の敷地は、宮道氏の邸宅があった場所といわれています。
宮道列子と藤原高藤の出会いは、右大臣 藤原高藤が鷹狩に出て雨宿りをした際にこの地の豪族の娘宮道列子を見初めたことから、「玉の輿」のルーツともよばれています。- 旅行時期
- 2024年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年04月25日
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投稿日 2024年04月27日
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醍醐天皇が母の藤原胤子の菩提を弔うために、900年に創建しました。
投稿日 2024年04月28日
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投稿日 2024年05月22日
総合評価:4.0
浄土真宗の開祖 親鸞聖人を称え、功績を後世に伝えるために造られたお堂といわれています。本尊は阿弥陀如来像です。赤い建物がとてもあでやかでした。
すぐ隣には、親鸞聖人の像があります。
石鳥居をくぐり、極楽門の手前にあります。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年05月22日
総合評価:5.0
593年に聖徳太子が建立した日本最古の官寺です。本尊は救世観音。
伽藍の配置が四天王寺式と呼ばれるもので、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並んでいます。境内は広く、多くの建物が立ち並んでいます。
21日と22日は骨董市が開かれていて、境内には多くの店が立ち並び、とても賑やかでした。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年05月21日
総合評価:4.0
聖護院門跡の近くにあります。
このあたり一帯の産土神として、縁結び、厄除、交通安全の神として信仰を集めています。須賀神社と、1964年に交通神社ができ、二祭神をお祀りしています。
創建も古く、平安時代末期です。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年05月21日
総合評価:4.0
聖護院門跡の近くにあります。以前は聖護院門跡の代行もすることがあったそうです。
本堂には準提観音像とフ道明像像が安置されています。
境内には近松門左衛門の浄瑠璃「近頃河原達引」のお俊伝兵衛恋情塚があります。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年05月21日
総合評価:5.0
岡崎公園は明治28年に開催された第4回内国勧業博覧会の跡地に造られた総合公園で、
広い敷地内には、京都市動物園や京都市美術館があります。すぐ近くには平安神宮もあります。訪れたときは、平安蚤の市が開催されていて、大勢の人でにぎわっていました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年05月19日
総合評価:4.0
平安神宮の北の位置にあります。
東山天皇の側室の新崇賢門院の夢枕に白い狐が現れて、そのお告げにより御所の辰の方角の森、聖護院の森に祠が建てられました。これが、「御辰稲荷神社」の始まりといわれています。
小さな境内ですが、御辰稲荷神社の「辰」が「達」となり、芸事の神様として信仰を集めています。
境内の摂社の「福石大明神」があり、芸事以外にもすべての願いを叶える神様としても信仰を集めています。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年05月19日
総合評価:4.0
白河上皇の熊野詣の案内役を務めた増誉により開山、増誉は全国の修験者を統括もしています。皇室や摂家が住職となり、皇室と深いつながりがある門跡寺院となっています。
江戸時代には光格天皇が天明の火事を逃れ、「仮皇居」として3年間住まいとしています。仮皇居史跡に指定されています。
その一方で、本山修験宗の総本山という一面も持っています。
建物内部には狩野派による金碧の障壁画の約200枚があり、秋の特別公開で見学ができるようです。光格天皇が執務をとっていた宸殿やその他の建物の内部も見学できるようです。
訪れたときは、宸殿や本殿を外からの拝観のみでした。
とても雅な雰囲気がありました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年05月18日
総合評価:5.0
平安神宮は平安遷都1100年を記念して明治28年に創建されたもので、平安京の朝堂院を8分の5に縮小して復元され造られています。その朱色が特徴で平安の優雅な雰囲気が伝わってきます。その庭園は神苑と呼ばれ、約10000坪もある広い池泉回遊式庭園です。
明治の有名な造園家の7代目小川治兵衛らの作庭で、四季おりおりの美しい庭園です。
訪れたときは、菖蒲の花が咲いており、新緑の緑も美しかったです。
池にかかる橋は臥竜橋とよばれ、豊臣秀吉の時代の三条五城の橋脚を使って造られたもので、龍が臥した様子を表しています。
橋殿から観る風景も素晴らしく、座って鑑賞ができます。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年05月17日
総合評価:3.0
平安神宮の近くにあります。外国からの観光客向けの免税店があるビルにありました。
1階で購入、2階にテーブルコーナーがあります。
種類はビーツ、トウモロコシ、紫芋、かぼちゃ、枝豆の5種類で、枝豆を注文。
出汁のジュレが下のほうに入っていて、上にはクリームが乗っていました。
出汁のうまみがしっかりと感じられます。和と洋の不思議な飲み物でした。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.0
- 観光客向け度:
- 3.0
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投稿日 2024年05月13日
総合評価:5.0
日本銀行 大阪支店は1882年に開設され、その後移転し、現在の場所には1903年に辰野金吾の設計によって旧舘とよばれている建物が建設されます。
旧舘はドームが特徴的で、貴重な銀行建築の一つです。
その後新館が1982年に建設されています。
ガイドツアーでの見学はHPで申し込みができます。
まず、DVDで日本銀行の役割などの紹介、その後、現在も業務を行っている新館の見学をしました。柱が一本もない広い場所でした。
その後、階段室へ。ここは、旧舘の2階で、当時の様子をそのままに復元されていて、開館当時の玄関の様子がよくわかりました。扉も重厚なもので、ステンドグラスは天秤をモチーフにしたもので、パステルカラーの階段や手すり、飾り欄間も素敵でした。
内玄関には当時の様子がパネルで紹介されています。
その後記念室へ。
もと、貴賓室だったところで、ドームの天井とステンドグラスが豪華です。
ドームには日本銀行のマークも観られました。
高価な木材を使った豪華な部屋でした。
とても興味深かったのが資料展示室で、新札の説明を受けたり、偽札発見するための
透かしがはっきりとわかる機械や1億円の重さを体感できるコーナー、また、
歴代日本銀行の総裁の説明や日本銀行に関わってきた人々の資料、銀行の歴史がよくわかる資料の展示がありました。
説明を含め、見学は1時間ほどでしたが、ガイドをしてくださった方が丁寧に説明をしてくださり、日本銀行への理解が深まりました。
館内は決められたところでのみの撮影可能です。
そのほかは、厳しく禁止されていました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0































































































































































