hijunoさんのクチコミ(16ページ)全1,191件
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投稿日 2024年06月10日
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江戸時代の高槻城や城主だった高山右近に関する展示もありました。
投稿日 2024年06月09日
総合評価:5.0
江戸時代の高槻の様子がよくわかる展示がテーマごとに分かれて説明されていました。
とくに、高槻城や城主だった高山右近に関しての展示も詳しく、とてもわかりやすい展示でした。
高槻城のキリシタン墓地から出土したというロザリオや能勢妙見をかたどった木像の背後にはキリストを抱く聖母マリアとおもわれるレリーフが隠されており、そちらも展示されていました。
外には高山右近時代のお城の石垣も展示されていました。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2024年06月08日
総合評価:4.0
藤原氏の氏寺として栄えたお寺です。比叡山の延暦寺とともに南都北嶺と呼ばれ、僧兵を擁し、強大な勢力を持っていましたが、平家の焼き討ちにもあい、建物は幾たびもの焼失や復興を繰り返してきた歴史があります。
有名な阿修羅像は国宝館で見学できます。照明で、その仏像の影も美しかったです。
そのほか、阿修羅像などの乾漆八部衆像や山田寺から運ばれてきた仏頭国宝の仏像の数々は圧巻でした。国宝館はもともと食堂の建物です。
地下には奈良時代の遺構がそのまま残っているそうです。
中金堂も再建されたものですが、歴史は古く710年に平城遷都とともに造られています。国宝の木造四天王立像をはじめ、こちらも多くの貴重な仏像が拝観できました。
境内のなかは修復中、工事中の建物も多かったです。
五重の塔も修復中でした。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年06月08日
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投稿日 2024年06月05日
総合評価:5.0
ヴォーリズが設計した建物が残る大学で、昭和5年に竣工した学舎のうち、別館のみが残っています。現在も講義や研修などに利用されている建物です。
建物を外からみると、イスラム様式のアーチやアラベスク装飾などの個性的な模様が目に入りました。
内部では、階段講堂が当時のまま椅子や机が復元展示されており、大学の歴史に関しての
資料や写真も興味深かかったです。
現在も、大切に使い続けられている建物でした。
事前に電話での予約をして、担当の方が案内説明をしてくださいます。
丁寧な説明で、わかりやすく、1階から3階までが展示室になっています。
講義や研修がある際には見学はできません。あらかじめ、予約確認が必要とのことです。
内部は写真撮影が禁止です。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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かつて住んでいた東京の自宅を故郷の和歌山 紀の川のそばに移築・復元し、記念館としています。
投稿日 2024年06月02日
総合評価:4.0
和歌山出身の作家 有吉佐和子が30歳から48歳まで住んでいた東京杉並区の自宅をこの場所に移築し復元し、記念館としています。
ベストセラーを多く執筆していた書斎があり、実際に使われた机や椅子があり、椅子には自由に座っても良いとのことでした。
娘さんと過ごされた家でもあり、書斎の机の使わない鍵穴には、当時はやっていたスマイルのシールが貼ってあり、深刻な内容が多い執筆の中で、息抜きのできるお茶目さがあり、娘さんとの生活が伝わってくるようでした。
茶人でもあり、茶会も開かれたいたようで、茶室もありました。1階には海外に出かけたときの珍しいお土産、執筆のための資料などが展示されていました。
1階の展示室は写真撮影が禁止でした。
カフェもあり、ひと休みができます。
見学はフリーでした。
南海和歌山市駅から近く徒歩で5分くらいです。- 旅行時期
- 2024年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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旧石器からの遺跡が拡がり、特に弥生時代の大規模集落遺跡は近畿でも最大級のものでした。
投稿日 2024年06月02日
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投稿日 2024年06月01日
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投稿日 2024年06月01日
総合評価:5.0
幕末に、海防策のひとつとして、赤い海峡を通る外国船を淡路島側からと挟み撃ちにするために設置された砲台の建物がありました。
全て石垣造りで、半星形の稜堡、石垣の平面がW型になる西洋の要塞を参考に設計されたものでした。東西の幅は約70mで、幅が6mから10mの石垣がありました。
勝海舟が設計、1865年に竣工しています。
実際に、大砲も備えられることはありませんでした。砲弾庫や火薬庫、兵舎なども作られなかったようです。
明治に火災にあっています。
現在は、台場の一部と石垣が残り、発掘調査が終わったあと保存されていました。
黒船来航などにより、緊張した国内情勢と急いで国防政策を図った江戸幕府の様子が想像できました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年05月31日
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投稿日 2024年05月31日
総合評価:5.0
観心寺前にあるお店です。
お茶屋さんのレトロな雰囲気で、麺類やぜんざい、お餅などが食べれます。
訪れたときは、にっき餅とくさ餅をお土産に購入しました。添加物などが入っていないので、作りたてをすぐに冷凍するそうで、持ち帰ったときも冷凍でした。
少しずつ解凍されて、ふっくらとして、香りが良いお餅が美味しかったです。
特に、ニッキを使ったお餅は懐かしい味がしました。
訪れたころは、土日のみの営業で、天候によってもお休みになることがありますので、確認してから訪問するのが良いとおもいます。- 旅行時期
- 2024年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- サービス:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
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投稿日 2024年05月29日
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投稿日 2024年05月29日
総合評価:4.5
高台の見晴らしの良い場所にありました。
お寺の縁起によると、源満仲の子供の美女丸が中山寺に修行のために預けられましたが
乱暴を働くなど、修行を怠っていたため、怒った光仲が重臣の藤原仲光に命じて命を狙うことになりました。ためらった仲光にその子供の幸女丸が自分の命を差し出すことを申し出て、身代わりになります。
後に、そのことを知った美女丸は心を入れ替えて、比叡山で修行に励み、高僧の源賢僧都となり、身代わりとなった幸女丸の菩提を弔うために、このお寺を建立したと
いわれています。
境内には、美女丸、幸女丸、藤原仲光の供養塔、また渡辺氏の祖先となった渡辺綱の廟があります。渡辺綱は源頼光の家来で、大江山の酒呑童子を退治したことで知られる、
頼光四天王の一人で、源氏のゆかりのこの地に廟が建てられています。
そのほか、頼光四天王の酒田金時をはじめとしたほかの武人の供養塔がありました。
お墓の左側には室町時代後期の無縫搭と十三仏板碑があります。
平井保昌のお墓もありました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年05月28日
総合評価:4.0
創建は古く、3世紀から5世紀といわれています。言い伝えによると神功皇后が三韓からの帰途に船が進まず綿津見三神を祀ったところ無事に都に帰れたところから、神功皇后が祀った場所に神社が建てられたといいます。
古くから周囲には海事に関係の人々が多く住み、海の安全を祈り、海の神を祀ったことが始まりともいわれています。
現在も、航海の安全、漁業の繁栄をはじめとして信仰を集めています。
境内には享和元年1801年と銘記された石灯籠がありました。
垂水駅、垂水港のすぐ近くにあります。
大鳥居の周辺はかつて砂浜だったそうです。いまは、漁港や建物、駐車場になっています。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 4.0
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松林と海、明石海峡大橋の風景と歴史のある建物を楽しめます♪♪
投稿日 2024年05月28日
総合評価:5.0
舞子公園は1900年(明治33年)にできた初の兵庫県立都市公園です。
松林が続く公園の中は静かで、遺跡もかつてありました。縄文・弥生時代の土器や石器、古墳時代の人骨が埋葬された埴輪棺も発見されています。
半世紀かけて完成した明石海峡大橋の雄大な風景と海、淡路島の光景を眺めたり、
孫文記念館や旧武藤山治邸、旧木下家住宅、舞子海上プロムナードなどの施設の見学ができます。近くに橋の科学館もあり、みどころが満載です。
明治天皇も舞子の濱を愛され、7回も行幸しています。
古来より人々に愛され、歌にも詠まれてきました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年05月25日
総合評価:5.0
JR生瀬駅から歩き、かつての生瀬宿のあった道を歩いて、15分くらいのところにあります。1241年 鎌倉中期に建てられた由緒あるお寺です。
証空上人が有馬に行く途中、そのあたりにいた山賊たちの悪行を諭し、武庫川に橋を架け、旅人から通行料を取って生活ができるように勧めたといわれています。
橋を浄橋と言い、その西にお寺を建立したそうです。
境内には多くの文化財があります。
本尊は阿弥陀三尊像。金箔が貼られている仏像でした。
阿弥陀三尊像、両脇侍像、梵鐘は国の重要文化財です。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年04月25日
総合評価:4.0
勸修寺そばの小さな神社ですが、皇室とゆかりのある神社です。この地域の豪族だった宮道氏(みやじし)宮道弥益の娘の宮道列子は右大臣の藤原高藤に嫁ぎ、その娘 藤原胤子と宇多天皇との間には後の醍醐天皇が生まれています。
神社には主祭神の日本武尊ほか、宮道弥益、宮道列子、藤原高藤、藤原胤子、藤原定方
らも合祀られています。
この神社の敷地は、宮道氏の邸宅があった場所といわれています。
宮道列子と藤原高藤の出会いは、右大臣 藤原高藤が鷹狩に出て雨宿りをした際にこの地の豪族の娘宮道列子を見初めたことから、「玉の輿」のルーツともよばれています。- 旅行時期
- 2024年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年04月25日
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投稿日 2024年04月27日
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醍醐天皇が母の藤原胤子の菩提を弔うために、900年に創建しました。
投稿日 2024年04月28日




















































































































































































