hijunoさんのクチコミ(15ページ)全1,181件
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投稿日 2024年06月15日
総合評価:5.0
もともとは、僧侶の食事の場所、食堂(じきどう)の建物だったところで、地下には奈良時代の遺構が保存されているそうです。
本尊の千手観音菩薩をはじめ、仏像はどれも見ごたえがあり、乾漆八部衆像の阿修羅像は変わらず、その美しく神秘的な姿でした。照明によって、その姿が周りに映って、とても効果的でした。
飛鳥の山田寺から運ばれてきた大きな仏頭もあります。
頭だけで98,3センチメートル。
1411年の落雷による火災で仏頭のみを残して像は焼けてしまい、仏頭は本尊の台座内部に納められ、500年後の昭和12年に東金堂の解体作業の際に発見されたといいますが、白鳳時代の美しい作品でした。
中の撮影は禁止でした。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2024年06月14日
総合評価:4.0
世界遺産の「古都奈良の文化財」の一つです。
768年平城京の守護として創建された歴史のある神社です。藤原氏の氏神で、貴族、皇族ともゆかりのある神社です。境内には歴史的な建物も多く、摂末社も多いです。
特別公開のチケットを購入して、入場すると、回廊には奉納された釣燈籠が多くあり、見ごたえがありました。
重要文化財の藤浪之屋の建物の中ではお祭りの際の万燈籠が再現され、神秘的でした。
とても暗いので、足元に注意が必要です。
平日でしたが、観光客であふれかえっていました。
石段などにも多くの人が座っていて、参拝、通行の妨げになっていました。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年06月14日
総合評価:4.0
1階には、春日若宮おん祭で使われている鼉太鼓(だだいこ)が展示されていました。
陰陽の一対のもので、あでやかな龍や鳳凰の彫刻がありました。
また春日大社の大祭を紹介した映像のコーナーもありました。
2階には国宝の鼉太鼓(だだいこ)が展示されており、源頼朝寄進と伝わる舞楽の太鼓は貴重で、国宝になっています。
その他、蒔絵の美しい装飾の琴や太刀、鎧など春日大社に伝わる国宝が展示されていました。
1階のみ撮影が可能でした。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2024年06月13日
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投稿日 2024年06月13日
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藤原不比等が創建した大きな伽藍の建物です。7回もの焼失と再建を繰り返しています。
投稿日 2024年06月13日
総合評価:4.0
興福寺のまさに中心の金堂で、本尊の釈迦如来像の周りの四天王立像が圧巻でした。
仏師 運慶の率いるグループが作製したそうですが、国宝になっています。
建物の柱の色も朱色で鮮やかでした。大きな柱は66本あり、礎石も地下に66個、そのうち64個は天平時代のものだそうです。焼失するたび、その礎石の上に再建されていたようです。
回廊や中門もあったようですが、いまは礎石が残っています。
現在の建物は平成30年に落慶式をした新しく再建された建物です。
拝観にはチケットが必要です。内部は撮影禁止です。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年06月13日
総合評価:4.0
江戸時代の中期に建てられた町家 旧笹井家住宅が資料館になっています。
笹井家は乾物や瀬戸物、米の商いをしていた商家です。古い民家の造りが貴重な構造になっており、京都や丹波とのつながりがあるそうです。
かつて使われていた生活の道具や農機具などが展示されていました。
高槻城跡公園のなかにあります。- 旅行時期
- 2024年06月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2024年06月12日
総合評価:4.0
東大寺ミュージアムで大仏殿との共通券を購入しました。大仏殿のチケット売り場は結構混んでいたので、並ばずに済みました。
とても人が多いですが、やはり下から見上げる大仏は比類なく、その大きさに感動しました。
ぐるりと一周すると、大仏の光背も素晴らしく、その美しさを改めて感じました。
聖武天皇の発願により創建され、度々の戦いや震災などで被害を被りますが、多くの人々の力により、鎌倉時代や江戸時代にも修復が行われ、現在では世界遺産にも登録され、国宝にも認定され、長い歴史の中でも大切に守られてきた寺院だと感じました。
中は薄暗いところもあるので、大仏を見上げながら歩いていると、混雑もあり、足元が見えにくくなるので、足元にも気をつけて歩いてください。- 旅行時期
- 2024年06月
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年06月12日
総合評価:4.0
祭神は須佐之男命と野見宿禰命です。9世紀末に疫病が流行り、神託により須佐之男命を祀るようになり疫病がおさまり、信仰を集めるようになったといわれています。
その後、高山條の城内守護となりますが、高山右近が城主であった時代に、城内にあった社殿は壊され、領地も没収されています。
1619年に高山城主であった松平家宣が再建しています。
境内には摂末社の永井神社があり、祭神は初代高槻藩主永井直清です。179年の創建。
唐門がとても美しかったです。
訪れたときは、ちょうどカラスの産卵期で、境内にある樹々にカラスが巣を作っていました。近くを通るときは、攻撃されるので、注意が必要です。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2024年06月12日
総合評価:5.0
キリシタン大名 高山右近を記念して建てられた教会です。
臨終の地となったマニラ市郊外のアンティポロの聖母大聖堂を模してつくられています。
礼拝堂の中は明るく、ステンドグラスも美しかったです。
外には、高山右近の像があります。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年06月10日
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江戸時代の高槻城や城主だった高山右近に関する展示もありました。
投稿日 2024年06月09日
総合評価:5.0
江戸時代の高槻の様子がよくわかる展示がテーマごとに分かれて説明されていました。
とくに、高槻城や城主だった高山右近に関しての展示も詳しく、とてもわかりやすい展示でした。
高槻城のキリシタン墓地から出土したというロザリオや能勢妙見をかたどった木像の背後にはキリストを抱く聖母マリアとおもわれるレリーフが隠されており、そちらも展示されていました。
外には高山右近時代のお城の石垣も展示されていました。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2024年06月08日
総合評価:4.0
藤原氏の氏寺として栄えたお寺です。比叡山の延暦寺とともに南都北嶺と呼ばれ、僧兵を擁し、強大な勢力を持っていましたが、平家の焼き討ちにもあい、建物は幾たびもの焼失や復興を繰り返してきた歴史があります。
有名な阿修羅像は国宝館で見学できます。照明で、その仏像の影も美しかったです。
そのほか、阿修羅像などの乾漆八部衆像や山田寺から運ばれてきた仏頭国宝の仏像の数々は圧巻でした。国宝館はもともと食堂の建物です。
地下には奈良時代の遺構がそのまま残っているそうです。
中金堂も再建されたものですが、歴史は古く710年に平城遷都とともに造られています。国宝の木造四天王立像をはじめ、こちらも多くの貴重な仏像が拝観できました。
境内のなかは修復中、工事中の建物も多かったです。
五重の塔も修復中でした。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年06月08日
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投稿日 2024年06月05日
総合評価:5.0
ヴォーリズが設計した建物が残る大学で、昭和5年に竣工した学舎のうち、別館のみが残っています。現在も講義や研修などに利用されている建物です。
建物を外からみると、イスラム様式のアーチやアラベスク装飾などの個性的な模様が目に入りました。
内部では、階段講堂が当時のまま椅子や机が復元展示されており、大学の歴史に関しての
資料や写真も興味深かかったです。
現在も、大切に使い続けられている建物でした。
事前に電話での予約をして、担当の方が案内説明をしてくださいます。
丁寧な説明で、わかりやすく、1階から3階までが展示室になっています。
講義や研修がある際には見学はできません。あらかじめ、予約確認が必要とのことです。
内部は写真撮影が禁止です。- 旅行時期
- 2024年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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かつて住んでいた東京の自宅を故郷の和歌山 紀の川のそばに移築・復元し、記念館としています。
投稿日 2024年06月02日
総合評価:4.0
和歌山出身の作家 有吉佐和子が30歳から48歳まで住んでいた東京杉並区の自宅をこの場所に移築し復元し、記念館としています。
ベストセラーを多く執筆していた書斎があり、実際に使われた机や椅子があり、椅子には自由に座っても良いとのことでした。
娘さんと過ごされた家でもあり、書斎の机の使わない鍵穴には、当時はやっていたスマイルのシールが貼ってあり、深刻な内容が多い執筆の中で、息抜きのできるお茶目さがあり、娘さんとの生活が伝わってくるようでした。
茶人でもあり、茶会も開かれたいたようで、茶室もありました。1階には海外に出かけたときの珍しいお土産、執筆のための資料などが展示されていました。
1階の展示室は写真撮影が禁止でした。
カフェもあり、ひと休みができます。
見学はフリーでした。
南海和歌山市駅から近く徒歩で5分くらいです。- 旅行時期
- 2024年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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旧石器からの遺跡が拡がり、特に弥生時代の大規模集落遺跡は近畿でも最大級のものでした。
投稿日 2024年06月02日
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投稿日 2024年06月01日
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投稿日 2024年06月01日
総合評価:5.0
幕末に、海防策のひとつとして、赤い海峡を通る外国船を淡路島側からと挟み撃ちにするために設置された砲台の建物がありました。
全て石垣造りで、半星形の稜堡、石垣の平面がW型になる西洋の要塞を参考に設計されたものでした。東西の幅は約70mで、幅が6mから10mの石垣がありました。
勝海舟が設計、1865年に竣工しています。
実際に、大砲も備えられることはありませんでした。砲弾庫や火薬庫、兵舎なども作られなかったようです。
明治に火災にあっています。
現在は、台場の一部と石垣が残り、発掘調査が終わったあと保存されていました。
黒船来航などにより、緊張した国内情勢と急いで国防政策を図った江戸幕府の様子が想像できました。- 旅行時期
- 2024年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2024年05月31日















































































































































































