勸修寺そばの神社、歴史は古く898年に創建されています。
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- 旅行時期:2024/04(約2年前)
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by hijunoさん(非公開)
山科 クチコミ:12件
勸修寺そばの小さな神社ですが、皇室とゆかりのある神社です。この地域の豪族だった宮道氏(みやじし)宮道弥益の娘の宮道列子は右大臣の藤原高藤に嫁ぎ、その娘 藤原胤子と宇多天皇との間には後の醍醐天皇が生まれています。
神社には主祭神の日本武尊ほか、宮道弥益、宮道列子、藤原高藤、藤原胤子、藤原定方
らも合祀られています。
この神社の敷地は、宮道氏の邸宅があった場所といわれています。
宮道列子と藤原高藤の出会いは、右大臣 藤原高藤が鷹狩に出て雨宿りをした際にこの地の豪族の娘宮道列子を見初めたことから、「玉の輿」のルーツともよばれています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2024/04/25
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