幕末の海防策のひとつでした。
- 5.0
- 旅行時期:2024/05(約2年前)
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by hijunoさん(非公開)
神戸 クチコミ:81件
幕末に、海防策のひとつとして、赤い海峡を通る外国船を淡路島側からと挟み撃ちにするために設置された砲台の建物がありました。
全て石垣造りで、半星形の稜堡、石垣の平面がW型になる西洋の要塞を参考に設計されたものでした。東西の幅は約70mで、幅が6mから10mの石垣がありました。
勝海舟が設計、1865年に竣工しています。
実際に、大砲も備えられることはありませんでした。砲弾庫や火薬庫、兵舎なども作られなかったようです。
明治に火災にあっています。
現在は、台場の一部と石垣が残り、発掘調査が終わったあと保存されていました。
黒船来航などにより、緊張した国内情勢と急いで国防政策を図った江戸幕府の様子が想像できました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2024/06/01
いいね!:2票
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