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地中海人さんのクチコミ(5ページ)全146件

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  • ギリシャの先史時代からローマ時代にかけ、クレタ島除くギリシャの重要な遺跡出土品

    投稿日 2013年04月24日

    国立考古学博物館 アテネ

    総合評価:5.0

    ギリシャ滞在の最初に数時間、帰国時は半日訪ねたいところです。

     ギリシャの先史時代からローマ時代にかけ、クレタ島除くギリシャの重要な遺跡出土品が集められており、ポセイドン、馬に乗る少年、マラトンの少年像など男性像が目に付きますね。ギリシャ彫刻の美の粋、原点をオリジナルで味わえます。

     時代的には、ギリシャ最古のキクラデス文明、エーゲ海文明最後のミケーネ文明に興味を持ちました。部屋番号4番5番です。

     エーゲ海文明のうち、同じ青銅器文明の他の二つ(クレタとトロイア)と異なり、ミケーネ文明は、エーゲ海から大陸に進出し、先住民を攻略しつつ、小国分立していったといわれ、城壁も他と異なって堅固なものとなり、独特の円形墳墓を残しています。写真はその中から出土した黄金のマスク。

     大量の黄金を保有していたミケーネ文明は、紀元前1200年前に滅び、全く記録が残されていない暗黒の400年間にもかかわらず、ギリシャ人にその記憶をとどめ、紀元前8世紀のあのホメーロスが「黄金のミケーネ」と歌ったといわれています。
     
       シンタグマ広場からタクシーで5〜6ユーロで行けます。繁華街を観光案内してもらいながら遠回りしても10ユーロ。


    住所:44 Patission Str Athene
    営業時間: 冬8.30−15.00 夏8.00−20.00
    価格:冬二人で14ユーロ  夏は倍 

    旅行時期
    2012年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • 両隣りに高級ホテル、静かなサービス満点のホテル

    投稿日 2011年12月27日

    キング ジョージ ア ラグジュアリー コレクション ホテル アテネ アテネ

    総合評価:5.0

    シンタグマ広場に面し、両隣りが高級ホテルである。

    広い客室内には、iPod用スピーカー、DVD装置あり。

    朝食会場は七階、窓屋根付テラス。アクロポリスを遠望できる。


    中規模で静か。だがリーダーズクラブ加盟ホテルである。朝食つき、WiFi無料。


    会員には、毎晩、赤ワイン、白ワイン、水1L、果物、お菓子のサービスがある。

    枕銭は文字通り、ベッド上の枕近辺に置く。ベッド脇のナイトテーブルに置くともっていかない。

    旅行時期
    2011年12月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    30,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    冬季 三泊すると二泊料金
    サービス:
    5.0
    WiFi無料 
    バスルーム:
    5.0
    大理石、シャワーとバス分離、ビデ無し。バスローブあり。
    ロケーション:
    5.0
    シンタグマ広場に面している。
    客室:
    5.0
    広く、シンタグマ広場に面してバルコニー、アクロポリスも見える

  • 膨大な個人コレクション、古代から近代までを身近に感じられる!

    投稿日 2013年02月08日

    ベナキ博物館 アテネ

    総合評価:3.5

    アテネはリカヴィトスの丘からケーブルカーで下り、更にゆっくり階段を休みながら下ると、コロナキ広場に出る。
     土曜日昼、カフェ・ダカーポは満席。数十人待ちである。向かいのWiFi無料を表看板に掲げたカフェも満席。

     広場から南へ下る通りとヴァシリス・ソフィアス通りとの角に、ベナキ博物館はあります。
     綿花業エジプト人アンドニス・ベナキスがコレクションを寄贈、1930年に設立され、べナキス一族が所有していた19世紀の邸宅を改築、ネオ・クラシック建築、白亜の美しい建物です。

     古代から近代にいたるまでの遺跡発掘品、金細工、工芸品、宝石、民族衣装などの見応えのある膨大なコレクションを、ギリシャの歴史や文化を交えてわかりやすく、時代別に一階から順に陳列されています。
     
     この博物館は、リスボンのグルベンキアン美術館と同じく、個人収集とは考えられないほどの膨大さでありますが、国立考古学博物館とは違ったわかりやすさ、優雅さ、身近な感じを与える展示です。
     3月25日の独立記念日を控え、独立戦争時代の写真特別展示がなされ、混んでおりました。

     三階のカフェは、従業員、来館者双方とも雰囲気がよい。広いバルコニーがあり、内部及びテラス席とも満席。遅い朝食をテラスで取るのもよいかもしれません。
     シンタグマ広場及びコロナキ広場に近いので、観光客も買い物ついでに徒歩で行くことができ、また、食事もおいしいのでカフェだけ利用する地元客もいるとのことです。

     なお、中近東から集められた美術品は、ベナキ博物館の別館として、ティシオにあるイスラム美術館( Agion Asomaton 22 & Dipilou  地下鉄一番線のティシオが最寄り駅)に展示されているとのこと。
     

    旅行時期
    2012年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0

  • ローマ時代アテネの生活の場   ローマ遺跡オタク必見! 風神の塔!

    投稿日 2013年02月11日

    ローマン アゴラ アテネ

    総合評価:5.0

    紀元前432年完成のパルテノン神殿の北側出口から、いくつかの階段状の歩行者道路を下ると、紀元前1世紀から紀元後2世紀の世界、ローマン・アゴラに出る。
     アテネ市民は、隣の古代アゴラの隆盛、その後のアレクサンダーによるギリシャ世界拡大、分立、を見た後、ローマに飲み込まれることとなり、純血主義から他民族多文化の世界に組み込まれることとなった。
    決してアテネ在住の外国人や奴隷に対し全く権利を認めない文化から、ローマ市民権を与えられ恩恵を享受することとなったので、ずいぶんと戸惑ったかもしれない。 
    ローマに屈し、あの議論好きなアテネ人は自尊心を傷つけられたかもしれない。ローマ元老院の子弟は皆ギリシャ語などをギリシャ人家庭教師から学び、シーザーもギリシャ語で手紙を書いているところから、独立を保持できなくなっても、太平洋戦争敗戦後の日本人とは大いに心境は異なるものであったろう。

     その東北側にチケット売場があり(共通券12ユーロ)、入り口をはいるとすぐ、高さ12m、直径約8mのTower of the Winds (風の塔、風神の塔、別名アンドロニコスの時計塔(ホロロゲイオン、Horologion)がある。

     大理石で作られ、八角形、東西南北、北東、北西、南東、南西の方角を指しているという。紀元前50年頃に天文学者が建てたとか、紀元前2世紀に建てられたに違いないとかいわれている。

     塔の上には、風が吹くと、すぐ下にある8人の風神のどれかを指して、風の向きを示す仕組みになっていた風見鳥ようのものは今は無い。9つの日時計あり。
     
     内部にあるとされる水時計(アクロポリスから流れ落ちてくる水力で動く)は確認できなかった。

     この風の塔に基づき、18世紀以降にロンドンやセヴァストポリに類似の塔が作られたという。

     
     他にアゴラ内に、石柱跡、古いモスク跡がある。
     2011年12月13日(火)昼訪問した。観光客全く見当たらず。


    ローマンアゴラ近くの遺跡
     円形なのでトロス跡? 
     もしトロスであれば、この北側に評議会議事堂があり、東南側に裁判が行われ、西南100mにソクラテスが毒杯を仰いだ牢獄があったはずです。

    旅行時期
    2011年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1-2時間

  • 紀元前6世紀からローマ時代のアテネを歩く ! へファイストス神殿 ! アタロス柱廊はギリシャで唯一完全に復元

    投稿日 2013年02月11日

    古代アゴラ アテネ

    総合評価:5.0

    1931年から発掘が始まった古代アゴラ。
    そこは紀元前6世紀からローマ時代の世界。古代アテネ市民の日常生活の場だった。

     アゴラは、ミケーネ文明が紀元前1200年頃崩壊した後、400年の暗黒時代を経て、ポリスと共に出現し、群雄割拠するポリス群から有力ポリスのアテナイが紀元前5世紀隆盛を誇ったとされ、最も有名なアゴラがこのアテネの古代アゴラである。その後小国分立、排他的な制度のためスパルタも廃れ、あのアレクサンダーが登場し、ギリシャ世界を一気に拡大することとなる。

     エジプト文明から始まるホモ・サピエンスの文明グレートジャーニーの最大のターニングポイント、現代文明の始まりである。文明進化を考える上で外すことはできない重要な遺跡である。

      奥にあるこのへファイストス神殿 は、紀元前5世紀、現パルテノンの建築直後(古パルテノンはペルシャ戦争時破壊)作られたといわれ、たいへん保存がよい。

    このへファイトスは、アキレウスの武具を作った鍛冶屋さんである。ゼウスとヘラの間に生まれたが、足が悪く美貌ではなかった(12神の内でも珍しい)が、あのアフロディテを妻とした。鍛冶場があるリムノス島が守護神としている。そこに生まれた時、両親によってオリンポス山から投げ捨てられ落ちた由来がある。

    ペリクレス、ソクラテスなど歴史上の人物がこの辺を歩き回っていたと思うと、変な気分ですね。

     ちょうど写真の左の人達は建物の測量をしていた。パルテノン神殿と同様に、列柱の間隔、太さなどが巧妙に作られているのであろうか。

     パルテノン神殿と同じくドーリア式で、幅約14m、奥行き約32m。幅約31m、奥行き約70mのパルテノン神殿の半分。

     パルテノン神殿入口の向かい側から高校生の一団とともに入る。

     引率の先生は、やはり[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B2%E6%96%87%E6%98%8E/ ウイキペディア以下引用]*
    政治、宗教、文化的施設が集中したところで民主主義発祥の地、古代ギリシアの市場はポリス内部の地域市場と対外用の市場に分かれ、アテネのコインが主な共通通貨となり、対内市場の例としてアゴラ、対外市場にはエンポリウム、アゴラは食料の再配分を行なうための制度となり、民衆に食物を供給し、新鮮な食材や調理ずみの食品が売られ、アゴラには、カペーロスという小売人が居住していた、アテネの指導者・ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテネは商業的なアゴラを各地で推進した・・・・・・・・・などと説明しているのであろうか。
     
     ここは、ローマン・アゴラとは異なりかなり広く、毎朝散策に来て、この時代に浸りたいものである。雨が降ったらオりーブの樹やアタロス柱廊博物館の列柱に逃げ込める。
     遺跡との間をメトロが走るアドリアノウ通りに面した北出口からはタベルナが並んでおり、モナスティラキ駅は数分である。

      地図上「アグリッパの音楽堂」と記載されてあるが、イロド・アティコス音楽堂のようには現場には無い。音楽堂の基礎のみであり、その北側正面にトリトン像がある。

      *********************
    古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)

    古代アゴラの北側アドリアノウ通り側入口から入るとすぐ左に、写真のように実に美しいドーリア式の列柱が115メートル並んでいます。

     ここは、古代アゴラでから発掘した勝利のニケ像、コインなど展示しています。
     
     ギリシャで唯一復元された建物です。

     あまりにも美しいので、遺跡ファンには若干違和感がありますが しばし、列柱に包まれ、佇み、刻々と代わる光の演出を楽しみましょう。

     

      

    旅行時期
    2011年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    半日
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • ブラカ地区タベルナ 地元客と観光客で、夜も昼も混んでいて味に定評があり、値段も良心的

    投稿日 2013年02月12日

    ビザンティノ アテネ

    総合評価:4.0

     12月13日(火)午後3時過ぎ、パルテノン神殿北側から降りプラカ地区のタベルナを捜し歩くも、なかなか同行者のOKが出ない。オフシーズンなので閑散とした土産品店がならぶアドリアノウ通りから左へキダシネオン通りに入って、ネクタイ姿の地元ビジネスマンを認めたのか、ようやくOKが出たのがビザンティノだった。
     店の前でメニューを持った上品な店主自ら呼び込みをしていた。

     日本語メニューがあり、セット定食の中から
    グリークサラダ1皿
    ムサク1皿(なすとじゃがいも、ミートソースにパルメザンチーズを重ね焼きした)
    スブラキ1皿(炭火で焼いた牛肉の串焼き)
    果物を選び、
     アラカルトから
    スープ1皿
    フェタサガナキ1皿(出てきたものは生チーズだった。単にサガナキというとチーズを揚げたもの)
    水1本、地元ビール2本 (全部で33ユーロ)

     スープ1皿だといって最初に、たっぷり二人分2皿に分けてシチューに近い思ったより薄味のおいしいスープが出された。ムサカは量が多い。地元ビールは甘い。スブラキはやはりおいしい。

    ****

     翌12月14日(水)午後3時頃  

     分厚い本をどんと置いた地元客の隣、全く同じ席に着く。
     呼び込みは別の男がしており、昨日の老人が店主らしく、挨拶に来る。同じボーイがさっとメニューを置いていく。注文したのは、二人で、
    本日の仔牛料理1皿
    たこの炭火焼1皿
    スープ1皿
    エスプレッソ1、ビール1本(全部で32ユーロ)
     
     前日と同じようにスープ2皿、たこは、塩コショーだけで味付けされおいしい。やはり、日本人年配者二人でも1人分注文で満腹となった。

     
     
     

    旅行時期
    2011年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    2,000円未満

  • サン・ジョルジェ城の2000年の攻防の歴史はまさにポルトガルの歴史です

    投稿日 2013年02月12日

    サン ジョルジェ城 リスボン

    総合評価:5.0

    リスボンの中心地ロシオ広場のもう一つ東にあるフィゲイラ広場から、737番の小型バスでサン・ジョルジェ城入り口まで直行できます。
     各地へのバス停が並んでいるのでわかりにくいかもしれません。

     お急ぎでない方には、すぐにこのバスに乗らず、リスボン・カードかヴィヴァ・ヴィアジェン(1年有効、プリペイド方式か乗り放題を選択しチャージ)を購入し、まず城南麓にある、初代国王エンリケスがイスラム教徒から奪回した直後に建てた砦のような簡素なカテドラルまで行って、12世紀に浸ることをお勧めします。

     そして、ここから12番の市電に乗れば、あの壁すれすれのスリルを味わってまたフィゲイラ広場に戻ってきます。味わうことを回避したい方は、そのポイント前にあるサンタルジア展望台で降り、そこから城入り口まで歩いて5分くらいで登ることもできます。

     城壁の中は、かつての王宮跡、庭園とリスボンを眺められる広い広場、更に要塞、塔があります。

     カフェでゆっくり、この地域の紀元前6世紀から(要塞化は紀元前2世紀)、地中海世界に名を留めた多種多様な民族、移動、攻撃、支配、奪還、などなど波乱万丈の歴史に思いをはせてみましょう。

     ポルトガル人の苦難のほどが推し量られるのです。

     南東へ下ればアルファマ地区を散策することができ、坂を下れば必ずテージョ川沿いの通りに出ます。少し迷うかもしれませんが。

     お城の周囲の展望台のうち、ケーブルカーグロリア線で上ったところにあるアルカンタラ展望台からの遠望はすばらしいですね。

    2011年8月21日(火)訪問。 

    旅行時期
    2011年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    観光の所要時間
    半日

  • コインブラ駅から2分

    投稿日 2013年02月09日

    ホテル アストリア コインブラ

    総合評価:4.0

    コインブラ駅を出て、一本道を歩いて2分のホテル・アストリア。

     ワンベッドルームをエクスペディアで最安で予約したが、フロントでは私の身長体重を量ってか、広いツインに換えてくれた。

     天井高く、古いがフロント、部屋、朝食食堂皆シックで、歴史のある3つ星。シャワーのみであったが、安っぽくは無い。

     街歩きに便利で、コニンブリガ遺跡への直行便バス停も近い。

    旅行時期
    2011年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    7,500円 未満

  • ポルト一のレストラン 豊富なメニュー、どれもおいしい

    投稿日 2013年02月08日

    アバディア ド ポルト ポルト

    総合評価:5.0

    サンタカタリーナ通りにあるホテルグランデを西へ曲がると、急にひっそりした小道にでる。

     2011年8月16日(火)午後8時過ぎ、バターリャ広場にあるホテルからレストラン アバディア・ド・ポルトへ向かった。
     
     門は道路に面しているが店舗玄関はここも奥まったところにあり、看板は表に一枚あるが控えめで、落ち着いたたたずまいである。

     入るとかなり立派で、ウエイターの抑えた立ち居振る舞いで上品さがわかる。

     某有名ガイドブックのポルトレストラン欄冒頭に掲げられたレストランで、ポルトガル料理のメニューの豊富さが有名とのこと。店内のいたるところの壁にアズレージョがある。

    レストランの気魄を感じ、ワインリストから、
    ビーノティントハーフサイズで一番高い10ユーロの赤ワイン、
    水、
    アローシュ・デ・パット(鴨の炊き込みご飯)
     を選ぶ(メニューを読めないので、ここでもガイドブックの写真を指差す。従って値段はこの段階ではわからない。) 。

     途中、大丈夫かと担当のウエイターが様子を見に来る。日本人には量が多すぎることを知っているのである。

    デザートはギブアップし、最後にビッカを所望し、全部で21.25ユーロ。

    **************************

    ポルト第2夜 八時過ぎ今晩もアバディア・デ・ポルト

    玄関に入った途端どこからかボーイがすぐ寄ってきて、挨拶する。

    覚えていたようだ。前の席でよいかと聞いてくる。

     中二階の一階を見下ろせる二人用のテーブルに案内されると、ウエイターも直ちにやってきて「ハウ・アー・ユー」と挨拶する。

     こちらも挨拶を返し、「今日サンデマンに行ってきたが甘いね、デザートワインだね、ドライでストロングなのあるかい」、と言ったら、ワインリストのハーフサイズでも高いほうの
    「CRAST DOURO」(10ユーロ。)を指差した。
    それと、水、
    カルド・ベルデ(ポテトスープ、キャベツの煮込み、後でガイドブックを見たらこれにオリーブオイルを加えて食べるという。)、
    トリバス・ア・アバディア(写真 臓物の煮込みの鍋とご飯1皿)、 
    ビッカ。
       全部で23.10ユーロ。

     ウエイターが取り皿にまずご飯の4分の1を、真ん中に臓物煮込をサーブし立ち去る。それで日本人年配者なら一人前であるが、その三皿分以上がテーブル上にある。

     リヨンで大盛りの牡蠣とムール貝に格闘したことを思い出す。
     あのとき隣の女性客はムール貝バケツ一杯を平らげていたが。

     メインは、白いんげんと臓物のごった煮のポルト名物料理だが、厚い肉?もちゃんと入っているところはア・アバディアと名ずけた所以か。

     前よりも混んでいる。団体は全く無し。

     300人は入るとガイドブックにある。鍋の4分の3?はなんとか平らげる。
     その間、大丈夫かと忙しい中声をかけてくる。

     今度はデザートはなどと聞かない。

     最後にビッカを注文したところ、濃いコーヒーでよいのかと念押しに来てくれたので、エスプレッソと言い直した。思いやりのあるウエイターはそうはいない。

     隣のイタリア人夫婦が事細かに料理方法を尋ねているが、フランス人よりは注文が早い。
     
     カードで支払いを済ませ立ち上がったら、すぐ真後ろの席に日本人の若い美女一人、盛装して端座していた。一体に、ボーイは東洋人同士が近くになるよう案内することがよくある。

    :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

    ポルトのレストランとお土産屋さんは、心も温かくしてくれます!

    [R]ポルト (ソラール・ド・パティオとお土産物屋さんオ・ガロはお隣りさん)
     かわいい食堂とお土産物屋さんが隣同士。
     ポルト、ドウロ川に近く、サン・ベント駅から南西方向に伸びるRua Mouzinha da Silveria通り沿い、カテドラルとサン・フランシスコ教会の中間にあるオ・ガロの小母さんは、マリーザのアルバム「テレサ」をかけていた。

     直前に購入し、アマリア・ロドリゲスのアルバムとともに機内で何度も聞いたものだった。

     写真にあるように様々なポルトガル産小物を置き、一人で切り盛りしている。

     ここで、本旅行中唯一お土産を購入した。
     お土産定番のマグネット。エボラ産コルクを台にしたアズレージョ。
     
     帰り間際になってから、日本の雑誌に自分の店のことが載っている記事を、恥ずかしげに見せてくれた。若いころはパリで門番(古い言い方かな?)をしていたのか、流暢なフランス語を話す。

     ポルト地方は、もともとブルゴーニュの貴族が、レコンキスタの功績により領地としていたところで、その先入観のせいか、スペインとは大きく印象が異なるものとなった。


    ************************************



     オ・ガロの裏隣り、右小道奥にあるのが、レストラン ソラール・ド・パティオ。

     まるでフランス映画にでも出てきそうな、奥まった小さな、壁が黄色の二階建てで、もともと傾斜のあるダイヤモンド形の小さな広場であったと思われる所の上部半分に建っており、テラスにある5つほどのテント付きテーブルと椅子は傾いたままである。かわいい食堂である。

      青年が控えめな物腰で注文を取り、父親が外で黙々と魚を炭火で焼く。 ランチメニューは二つだけだ。

     サラリーマン風の青年、親子4人、フランス人観光客全員がサーモンか豚の骨付き肉のどちらかをぱくついているが、そのお客までが皆にこやかで、節度があるたたずまいである。

     デザート付きで6.5ユーロのランチメニュー2種のみのところ、ビール2杯と豚肉料理とビッカ全部で8ユーロにしてくれた。

     金曜はライブ音楽があるという。

     ポルト市民に愛されているレストランであることが一目でわかる。

     2011年8月18日(木)午後2時過ぎテラス満席。心をもおいしくいただいた。






    住所:Rua Mouzinho da Silveira
    空港情報: ポルト
    交通:サン・ベント駅から8分
    営業時間: レストラン  12.30〜15.00    20.00〜翌2.00
    価格:ランチ 6.5ユーロ  夜15ユーロ
    その他:ランチメニューは2種のみ 表通りにおいた看板に今日のメニュー

    旅行時期
    2011年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    一人当たり予算
    3,000円未満 

  • 表通りから一本奥で静かなホテル

    投稿日 2013年02月09日

    ホテル リスボア プラザ リスボン ヘリテージ コレクション リスボン

    総合評価:5.0

     プラザホテルのフロントの後ろには、日本の南蛮屏風が。スタッフの対応も穏やかな気風で心地よい。

     4つ星だが、バスローブ、スリッパ、セキュリティボックス(使用方法が最も簡便な)があり、バスルームでは100ボルト使用可能。

    メトロ・アヴェニーダ駅を降りると、リスボンのメイン通りで、18世紀の大地震後の都市計画により作られたリベルダーデ通り。
     
     少し下るとスペイン大使館があって、そこからから数十メートル入ったところにあり、静か。

    街歩きとWiFi無料で選んだが、大使館前で警官が日中立番しており、治安はよい。

     計5泊したが、次回も必ず利用することになるでしょう。

    旅行時期
    2011年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    12,500円 未満

  • ローマ時代、ダルマニア属州の州都だった。

    投稿日 2013年02月08日

    サロナ遺跡 その他の都市

    総合評価:3.5

      サロナ(Salona)は、紀元前10世紀頃から古代イリュリア人が住み着いた集落でしたが、カエサルの時代ローマ人に征服され、ローマ帝国の皇帝属州ダルマチアの首都となり、大いに栄えました。

     北に山を背にした古代都市(当然、当時南に外港があったのでしょう)でしたが、639年のアヴァール人とスラブ人の侵略により大規模に破壊されました。

     考古学博物館記念室でチケットを買い、中に入ると、東のアンデトリア門から西の1万70000人収容といわれる大劇場まで1キロ以上ありそうでした。
     
     大浴場、カエサルの門、初期キリスト教会施設などは中心に固まっています。
     広大な敷地内には、畑や個人の住宅まであり、犬を連れ散歩している住民も。

     小学生の一団のほか訪れる観光客は少ない。入り口バス停近くに広い駐車場、カフェあり。
     

    ************交通機関
     スプリット市内マルモン通りを北へ、中央郵便局の北側の通りに、チケット売り場、両替所、商店で囲まれたバスセンターあり。往復22Kn。1番のバスで。
     

    旅行時期
    2012年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    観光の所要時間
    1-2時間

  • スプリットからドゥブロヴニクへバスで行く方へ

    投稿日 2013年04月06日

    スプリット空港 (SPU) スプリット

    総合評価:4.0

    [SPU]→バス→[DBV](スプリット空港・市内→ドゥブロヴニク市内・空港へ)
    ? スプリット空港[SPU]→スプリット市内 
     
       2012/04/28 OS0714(ブダペスト→ウイーン ANApp 93)  OS 0745(ウイーン→スプリット ANApp 221)でスプリット空港に到着。 まず空港で両替、100ドル528Kn。
      スプリット空港出口前バス停(は1ヶ所)から長距離バスターミナルまで空港バスで(30Kn)。
       スプリット鉄道駅とフェリーターミナルの中間に着きます。
     そこから北へ海沿いに、中心部にあるホテルまでは徒歩の距離です。

     宮殿内及びその西側にある旧市街は、車乗り入れできず、観光は全て徒歩。

    **************
     ? スプリット→ドゥブロヴニク(バス 105Kn)

      スプリット長距離バスセンターには、両替所もあります。100ドル548Knでした。スプリット空港よりも率がよいですね。
      朝に午後2時を予約したが、1時30分発に変更。
      高速道路ではありませんがスカイラインを走行、バスの右側は崖、ところどころ斜面に集落が点在しており、途中、マカルスカとポルチェに停車後、ボスニア・フェルツェゴヴィナ国境でバス内でパスポートチェックがあります。スタンプは押しません。
      
      ネウムは、ドゥブロヴニク共和国が当時強大だったヴェネツィア共和国領土との間に緩衝地帯を設けようとトルコに割譲したため、今はボスニア・フェルツェゴヴィナが継承し、ドゥブロヴニクが飛び地となったようですね。

      出発から3時間くらいでコーヒー休憩がここでありました。

     約4時間でドゥブロヴニク長距離バスセンターに到着。

    なお、夏季SPUからDBVへ1日 クロアチア航空2便あり。

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    ? ドゥブロヴニク長距離バスセンターから市内へ

     一見大型倉庫駐車場のようなバスセンターから表通りへ出るとキオスクとバス停がありますので、ここでバスチケットを滞在中使う分の枚数を購入するとよいでしょう。1枚10Kn、バス内運転手からだと12Knです。

     キオスクの向かいにはWiFi無料のカフェがあります。そこで一杯飲みながらバスやホテルの検索でも。長距離バスセンターにはインフォメーションはありません。

     東へ向かうバス、1、1Aなどは旧市街のピレ門まで行きます。
     ピレ門前にはバスチケット売り場、ガイドツアーの待合場所、カフェ、レストラン、ミニスーパー、各方面行きのバス停数ヶ所、近くにはインフォメーションがあり、観光客が常に集っています。
     あとは予約したホテル近くへ行く市内バス路線番号とバス乗り場を尋ね、乗り換えましょう。

    ***********
    ? ドゥブロヴニク市内から[DBV]空港へ

     市内のドゥブロヴニク長距離バスセンターから空港まで30分。35Kn
     途中スルジ山ケーブルカー駅前のみ停車。
     
    クロアチア航空を利用し、DBVからアテネ空港「ATH」まで利用しました。OU0300便  ANA pp304

    *************
    ドゥブロヴニク空港[DBV]ラウンジ
     出発階の二階上にあります。ここはWiFi有料です。
     クロアチア産赤ワイン「メルロー」はおいしい。

    「ビル イエ」と言いかけたら「ヴルロ」(たいへんおいしい)と続けてくれた掃除スタッフのおばさんに、持てる全てのクロアチアのお金をチップとした。

    旅行時期
    2012年04月

  • ウイーン コンサート チケット 予約

    投稿日 2013年04月05日

    ウィーン楽友協会 ウィーン

    総合評価:5.0

    ネットで簡単予約


    ネットで下記のHPから日本語で座席指定、カード決済までできます。

    [http://classicworld.at/]国立オペラ劇場とコンツェルトハウスのチケットは、右上のところの「日本語」をクリック

    [http://www.musikverein.at/]楽友協会のチケットは、右上のところの「日本語」をクリック
     
    手数料無しの正価で、メールの問い合わせにも英語ですが、SAN付けで親切丁寧な返信が来ます。

    *******

    受け取り方法

     オペラ座とコンチェルトハウスのチケットは、オペラ座の西向かいあるボックスオフィスで受け取ります。 2ヶ所分厳封されています。直ちに開封して確認してください。コンチェルトハウス分はコンチェルトハウスで受け取るよう指示する担当者がおりますが注意してください。

     楽友協会の分はその建物の北側にあるボックスオフィスで受け取ります。
    2ヶ所あるが向かって右側のオフィス、左側はジュネス用です。

     以上それぞれ、手数料がかかりますが、ホテルで受け取ることも可能です。

     日本のチケット業者ではありませんので、「正価分は売りきれ、倍の価格なら若干あります」などということは絶対にありません。安心して購入できます。

    旅行時期
    2011年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0

  • 街歩きに最高! 国立オペラ座の北隣。ここからケルントナー通りが始まる。

    投稿日 2011年10月25日

    ホテル ザッハー ウィーン

    総合評価:5.0

    2011年10月11日から5泊。

    国立オペラ座の北側のある。楽友協会、コンチェルトハウスへは歩いて行ける。

     国立オペラ劇場裏通りに面し、ケルンストナー通り角にはカフェ・ザッハーを併設する、中規模な老舗名門ホテルで、旧市街の街歩きに便利。コンサート3会場まで徒歩で行けます。メトロやトラムの駅がすぐで、郊外の観光にも便利ですね。近くに和食の店が2店舗あるし、疲れるとホテルに帰って休憩できるのは助かりますね。

      玄関、キーカウンター、ロビー、バーと続くが皆狭く、フロント専用室もこじんまりしています。ロビーに面したエレベーターは一つで数人がいいところ。2階に名前の着いたスイートルームが10部屋ある。

     しかし、内部は皆全て、本物の伝統に基づく豪華さがあります。外からは窺えませんが、けばけばしくなく、しっとりしたオーナーの歴史を感じさせる落ち着いた色調。BARはシックですね。

     朝食会場は1階ロビー奥、朝食受付カウンターがある中廊下の左側。右側はサロンとなっており、左側が満員の場合使用されているようです。
     曇りガラスで外の眺望はないが、かえって落ち着くことができますね。

     ANA予約5泊による当初からのグレードか判明しないが、案内された部屋は、名前がついたスイートルーム8部屋と同階のエレベーター近くの部屋。1ランクアップされたかもしれない。直前に2泊したANA手配のザッハーザルツブルグの部屋より上のランク。

     部屋内部の廊下まで大理石。床暖房がきいており、洗面所の鏡の一部に
    テレビが組み込まれていて、NHKの衛星放送が見られる。

     果物、チョコレートがサーヴィスされていた。ANA手配なので朝食付きだが、WiFi 1デバイスにつき1日19ユーロ。
     リーダーズクラブHPからの予約の場合は朝食つきWiFi無料に統一されている。

     最後の朝、朝食会場受付で、大変満足した、帰国する旨伝えると、朝食を食べ終わったころを見計らった主任が来て、デザートを食していくよう皿フォークを自ら整えて挨拶していった。同行者のみ毎朝ザッハートルテなどのデザートを楽しみ、私がデザートには全く手をつけなかったのを見ていた。
     
     ここは団体は見当たらない。
     三日目の朝、ドイツから来た少数の学者グループがおり、そのうち一人が私に「オハヨウゴザイマス」と挨拶する。八年前日本人妻を亡くした、今はハンブルグに住んでいるが、以前東京と横浜に住んでいた、4年前には今の妻と日本を訪れた、などなど、最初は日本語でたどたどしく、途中からは一気に英語で話した。奥様は教授博士の肩書きが書かれたネームプレートを付け、本人はつけていないところを見ると引退したのかもしれない。久しぶりに日本人と話し、うれしかったのであろう。
     地震の話は出さず。出せばどちらも涙するほかないと思ったのであろう、遠慮の人であった。
     日本人の感覚にあう、或いは日本人大好きといったヨーロッパ人、特にフランス人やドイツ人にまれにではあるが出会うことがあります。

     1つしかない狭い玄関に、常に2,3人いるドアボーイはいつもニコニコし、キーカウンタースタッフはきびきびして気持ちよく、ロビーでコーヒーをサービスするバースタッフは鄭重な物腰し、謹厳なフロントスタッフはロビーの陰で見えないため気楽。
     
    近くの日本人寿司職人がいる和食店
     天満屋(コンサート帰りの時間はラストオーダー後となる。寿司、鉄板コーナーあり。)、
     雲海(表通り角1階にもある。)
     中華の店  天満屋の向かいにあり、寿司のテイクアウト可能、
             (陽気な中国人経営、果物飲み物のサーヴィスがあるかも。) 

    2011年10月11日(火)から5泊、気持ちよくゆったり過ごすことができました。

    旅行時期
    2011年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    1人1泊予算
    100,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    価格に応じた客室の設定
    サービス:
    5.0
    スタッフの対応は一流。ANAのCAに劣らない。
    バスルーム:
    5.0
    ローカとともにバスルーム床は大理石で、床暖房あり、シャワールームあり。
    ロケーション:
    5.0
    町の中心、国立オペラ座の隣
    客室:
    5.0
    価格に応じた広さ、設備

  • 緑に囲まれ、落ち着いた色調の広いテラス

    投稿日 2013年02月08日

    ディオニス イン アトランティス フィラ

    総合評価:3.5

    [http://www.dionysosinatlantis.gr/ レストラン ディオニソス・イン・アトランティス]
    大聖堂から伸びる、宝石店がやけに多いヒパパンティス通りを200メーター行くと十字路(この角の1坪ほどのコーヒーアイスクリーム屋さんでエスプレッソ1.8ユーロ)、左へ下るとヴォルケーノ側のカフェレストラン街があり、ケーブルカー駅にたどり着く。

     右へ曲がリ下るとまた狭い十字路の角にはギロスのカウンター客で賑わう「ミスター・ダニエル」と向かいに「パレア・タベルナ」。そこを左へ曲がると、行列のタベルナ「タベルナ・ニコラス」があり、向かいにはみやげ物店、バー、レストランが立ち並んでいるが、往来の人ごみで文字通り「雑踏」状態、客引きするものはいない。

     一時静寂を演出する緑したたる塀があり、そこがこのレストランである。この一帯はヴォルケーノの眺望は無い。 緑に囲まれ、落ち着いた色調の広いテラス、一応島の東側の海は遠望できる。

     水、赤ワイン(辛口)、サントリーニサラダ(トマト味)、シーフードリゾット(エビ、イカ、ムール貝の量が多い 16ユーロ)全部で28ユーロ。
     (スープはメニューにあるが、今日は無しとのこと)冬季休業
     甘いデザートワインがサービスされた。   2012年7月10日(火)訪問

    旅行時期
    2012年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    2,000円未満

  • クレタ島とともにミノア文明が栄え、ポンペイより早く噴火により埋没

    投稿日 2013年02月11日

    アクロティリ遺跡 サントリーニ島

    総合評価:5.0

    2005年より修復のため閉鎖されていたが、2012年4月、7年ぶりにリニューアル・オープンしたアクロティリ遺跡は、発掘地全体が屋根に覆われ、遺跡博物館。

     フィラから南西10キロ、[http://www.ktel-santorini.gr/ バス]で40分、アクロティリ行き終点一つ手前。大駐車場や果物の屋台があります。徒歩1分で終点バスセンター、ホテル、カフェがある海辺にでる。

     サントリーニ島の西南端にある、クレタ文明時代の2,3階建物もある古代都市の遺跡が1967年にギリシャ人考古学者によって発掘された。
     サントリーニ島は当初丸い島だったとされ、紀元前1500年頃の地震、大噴火、津波、陥没による大津波を経て現在の形になったとされ、この地は地震後若干修復された跡も残っており、地震後埋没するまで数年間は使用されていたと考えられている。

     発掘調査で保存状態のよい陶器、フレスコ壁画(「ボクシングをする子供達」アテネ考古学博物館に展示)をはじめ、土器・青銅器(フィラにある新先史期博物館に展示)などが発見されたが、ポンペイとは異なり人骨や貴金属装飾品が今のところ発見されていないので、30メーター埋没する前に住民は無事島を去ったのでしょう。

     
     館内を十分に見回ったら、海辺のパラソルの下果物で休憩、アトランティック伝説に思いを馳せながら、バスが来るまで、波と戯れましょう。

     

    旅行時期
    2012年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    半日

  • 夜は11時過ぎまで店の前に行列

    投稿日 2013年02月08日

    ニコラス サントリーニ島

    総合評価:5.0

    「タベルナ・ニコラス」 夜は11時過ぎまで店の前に行列。テラス無し。

     午後九時過ぎごろ並んだが3番目。
     黒シャツを着た男4人で狭い店内を忙しく立ち回っていた。老店主のみ胸に赤い刺繍がある。

     隣席はイタリア人夫婦。なにやら食事のことで、夫が両手を挙げたり振り回したりテーブルをたたきなにやら叫ぶ。老店主がイタリア語で料理はどうだったかと話しかけると、夫婦は和やかに応対し5分くらいは静まる。妻が夫を指差し静かに負けずに話し始めると、また夫はこぶしを振り上げる。気分一杯である。伴奏にブズキの音曲が流れる。

     オーボエとフルートの二人組みが店に入ろうとすると、老店主がにこやかに断る。

     ドアを開けっ放しの狭い店の中を道路を通る人は皆覗き、エプロン姿の女性従業員が頻繁にお手洗い掃除に行く。

     赤ワインはカラフ(0.45L 4ユーロ)辛口である。知っているギリシャ語でオーダーする。ジュース、タコ、カラマリア(他と異なり中に野菜が入っている)、ポークスブラキ(9ユーロ)全部で32ユーロ。
     35ユーロ支払い、紙幣の上に手を置いて、「ポリ、オレオ!」といったら老店主は「何処から来ましたか?」と尋ねる。「ジャパン!」と答えたら即座にきちんと「アリガトー!」と応えた。 心地よい。
     通年営業 2012年7月9日(月)訪問

    旅行時期
    2012年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    2,000円未満

  • ギリシャ北西部のコルフ島にある、3つ星ですが、満点!

    投稿日 2013年02月11日

    ベラ ヴェネツィア ケルキラ島

    総合評価:5.0

    ケルキラのスピアナダ公園まで数分のところにある、全31室、邸宅を改装した小規模、家族経営。

     どの口コミサイトを見ても満点に近い評価。
     英国女優マギー・スミスに似た女将さんと美人の娘さんがフロントに交代で客を迎え、老練のスタッフ達の対応に納得。一番若いボーイはタクシーから部屋まできびきびと荷物を運ぶ。
     ここを舞台に映画でもできそう!

     3つ星とあり、部屋は広いとはいえないが天井が高く、バスローブ、スリッパ、簡便なセキュリティーボックス、バルコニーがある。洗面所に椅子があるのは珍しい。ミニバーには白ワイン(小)2本と水2本あり(チェックアウト時水1本飲んだ旨伝えると無料だと言う。)。エアコンの音がせず、全く静か。

     コンチネンタル朝食(ミニトマト、ゆで卵、プラム、桃、りんごあり。)は中庭にあるテラスか東屋で。

     WiFi無料、朝食付き、2012年10月16日から3泊した。
     ホテルズコムから一人2泊最安130ユーロで予約のためシャワーのみ。
     3泊目は宿泊代、2食、タクシー代をエーゲ航空負担(10月18日ゼネストによるフライトキャンセルのため)。 

     近くのレストラン
     ホテル向かいの小広場を出ると北へタウンホールへと通ずる庶民的な小道沿いに、旅行社、店前にイスを数個置いたミニスーパー、レストラン「ポルタ・レモンタ」「ヴォーゲンヴィレア」「オリーヴ」が並んでいる。いずれもビールとシーフード料理とで20ユーロ前後。 
     
     このホテルは、ヨーロッパ人に非常に人気があるという。

    ************
    交通機関
     ケルキラ空港からホテルまで約2キロ、10数分、10ユーロ(2往復したが全て)

    旅行時期
    2012年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.0

  • 運河の無いヴェネティア

    投稿日 2013年04月06日

    ケルキラ (コルフ)旧市街 ケルキラ島

    総合評価:4.0

     ギリシャ北西にタツノオトシゴのような形をした、オリーブが生い茂る島がある。中央東に半島が突き出ており、突端のパレオ・フルリオ(8世紀ヴィザンチン時代の旧要塞)とネオ・フルリオ(16世紀の新要塞)の間に、ヴェネツィア時代の旧市街が今も残る城塞都市ケルキラ。

     べッラ・ヴェネツィア・ホテルを東へ数分。木々に覆われたスピアナダ公園と芝生が美しいクリケット場を隔てる通りにはタクシー、観光馬車、ミニトレインが待ち構えている。
    ややエーゲ海諸島の中世都市旧市街とは印象が異なる。
    朝早くからテラスに陣取る子供達も色白が多い。 ゼネスト(10月18日)前日ではあるがこの日授業は無い?。

     このクリケット場西側の幅広い大理石のリストン通りの北突き当たりに、アジア美術館がある。(入場料3ユーロ)

     カフェが立ち並ぶ通りを北へ道なりに進みつつ海沿いで出て西へ曲がるとすぐビザンチン博物館がある。外側は装飾は無いが、中はすばらしい。今も市民が集うギリシャ教会だ(入場料2ユーロ)。

     この教会を南へいよいよ旧市街の迷路に踏み込む。車の通れない二人並ぶときつい道ばかり拾って歩き、シナゴーグの表示をみて引きずられて捜し歩いたら迷ってしまった。
     が、やや広い通りの交差点には必ず地図があり、コンパスのみで歩ける街だ。聖スピリドン教会前通りはにぎやかなみやげ物店が続く。
     タウンホールの前に出て検討を付け、そこから旧市街の西端を護る新要塞(入場料6ユーロ)に入る。全く無骨な石作りの砦、内部には何も展示無し。

     新要塞前通りのWiFi無料のタベルナで、ビール、シーフードリゾットで休憩(15−ロ)。 iPhonに地図をダウンロードして、今度は真東の旧要塞まで旧市街を横断する。

     橋を渡って入る、ビザンチン時代に作られた旧要塞には、広い広場を前にし岸壁の上に立つ聖ゲオルギオス教会、イオニア大学音楽部があり、広々とした公園といった感じで、最上部(午後四時で閉鎖)には灯台がある。
     中ごろにあるカフェテラスで休憩(ビール小5ユーロ)。

     ケルキラは、この二つの要塞により(特にヨハン・マティアス・フォン・ダー・シュレンブルクの働きにより、1716年) オスマン帝国の攻囲を凌いだといわれており、他のギリシャ領土と異なりトルコ支配400年を免れた。

     午後四時頃、ホテルに帰るにはまだ早すぎ、コルフ考古学博物館は閉鎖中。20ユーロのところ15ユーロでよいというタクシー運転手の誘いに乗り、アヒリオン宮殿に向かった。

     2012年10月16日から3泊。

    ************
    交通機関
     10月16日 ロードスA3215 16.15発 アテネATH17.15着
            アテネ A3406 18.30発 ケルキラ着19.30
                149.64ユーロ             

     10月19日 ケルキラ *OA 603  09:55発 アテネ着 11:00
             アテネ A3 602  13:30発  ロンドン着 15:30

      (キャンセル 10月18日ゼネスト
        コルフA3 403 12.20発 アテネATH 13.20着       
        アテネA3 604 17.25発 ロンドン 19.20着)
              213.15ユーロ

    旅行時期
    2012年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    観光の所要時間
    1日
    アクセス:
    5.0

  • ピレウス港から高速船でミコノス島→サントリーニ島へ

    投稿日 2013年04月12日

    ピレウス港 ピレウス

    総合評価:5.0

    アテネ→ミコノス・タウンへ
       ヘレニックシーウエイズで、ピレウス港からミコノス・タウンまで、と、ミコノスからフィラへの高速船を予約しました。

     2012年7月5日LH 1684 MUC発 19.50ATHアテネ空港 着 23.10 (仙台空港からATHまで特典航空券利用)
     のLH便が1時間遅延し、同行者を伴う場合の定宿となったホテルへ深夜到着。
     翌6日午前中はのんびりエルムー通りをウインドウショッピング。
     ミトロポレオス大聖堂を覗き(?年から改装中)、プラカ地区でブズキ教則本を見つけ購入。
     「風林火山」で、えび入り焼きそば、チャーハン、ビールを頼んだら、店主がいつものビールねと、緑茶と果物をサービスされた。

     フェリー乗り場へは、メトロ・モナスティラキ駅で乗り換えメトロ1番線終点のピレウス駅まで20数分(1.4ユーロ)。

     ピレウス駅を南へ出、リフトがある歩道橋を海側に渡り、「E7」の案内通りにミコノス方面行き乗り場に向かうと、ヘレニックシーウエイズの事務所が見えた。そこで、予約書を見せチェックインし、搭乗券(座席指定)をいただく。早めに来てチェックインし、事務所に荷物を預けてピレウスの街歩きを楽しめばよかったと後悔。

     隣に待合室、カフェ、港警察署があり、警官がゲートで次々とやってくるタクシーやらをチェックしています。

     駅近辺には船のチケット売り場がたくさんあり、また、エーゲ海諸島へ行く乗り場が並んでいます。怪しげな案内の呼び込みもありますので、最新の情報を現地旅行社に確認しましょう。
     初めて行く方や、3人以上の方は、アテネ市内の船会社事務所でチェックインするか、現地旅行社で搭乗券を貰い、予約した船の乗り場まで直行するタクシーが便利ですね。

     「ハイスピード5」と横腹に大書された大きな双胴船が後部から車を飲み込んでいました。見ているうちに全く同じ船がやってきて3隻となる。(ハイスピード船が4から6まで3隻全部がそろった。)

     その後からやってきた「6」に定刻一時間前頃から、行き先別にスーツケースを預け乗船開始。VIPルームの最前列真ん中に案内される。
    ハイ スピード6
    はカー・フェリー 定員 968人 車268台 40ノット
     午後5時45分発。ブルースカイの下、全く揺れず、先行する船を抜きながら途中シロス島に寄り、ミコノス・タウンに午後9時20分着。

     船上でホテルに電話し、ニューポートでのピックアップを依頼したところ、ホテル名を掲げて待ち受けていた。
     ミコノスのほとんどのホテルは、空港、港との送迎サービスがあります。

    **************
    ミコノス島(ミコノスタウン・ニューポート)→サントリーニ島(ティラ・アティニオス港)へ
     ヘレニックシーウエイズ高速船フライングキャット4 定員440人  40ノット
     2012年7月8日 14.55発 パロス島に寄り 17.35着  
     ビジネス席 二人で113ユーロ

     アティニオス港からティラの大聖堂近くまでタクシー18ユーロ。相乗り。
     大聖堂近くのフィラバスセンターまでは、連絡船到着の都度バスが出る。

    ************
    アテネ→ミコノス間の空路

     エーゲ航空
    が1日3便以上。  早朝や冬は片道58.64ユーロから。

    2012年5月5日利用しました。 35分  滞空時間15分

    ************
     サントリーニ→アテネの空路
     エーゲ航空が1日3便。 45分 7月は 片道122ユーロ。 

     2012年7月11日利用しました。 
    11:55 Thira 発  12:40 Athens着   A3 0355 ANA pp 93
    13:40 Athens発   15:45 Frankfurt着 LH 0194 ANA pp 187
     18:25Frankfurt発   19:35Berlin着  LH 1279 ANA pp 490
     (A3扱いで二人全部で596.74ユーロ)          


     大聖堂近くのホテルからサントリーニ空港までタクシーは相乗りです。20ユーロ
     
     時間帯によりバス、タクシー、また空港チェックインカウンタ--,一階待合室もかなり混むようです。 サントリーニ空港は古く狭く、空港入り口から外へ行列が伸びておりました。 当日午前中ドイツ方面だけでも3本、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルク行きが。

    *******
     エーゲ航空で夏季、サントリーニ→クレタ島のイラクリオン→ロードス島のロードスシティ→アテネも可能です。冬季は路線、便数とも減少します。

      


    住所:Aki Miaouli Pireas
    空港情報: アテネ
    営業時間: ピレウス→ミコノスのハイスピード船は1日2便 午前7.25発もあります。
    価格:VIP席 78.50ユーロ  ビジネス 72ユーロ エコノミー 57ユーロ
    VIP席は眺望あり マンゴージュース1杯サービス


    旅行時期
    2012年07月
    コストパフォーマンス:
    5.0

地中海人さん

地中海人さん 写真

30国・地域渡航

10都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

地中海人さんにとって旅行とは

顧みると、幸運にも、旅を中心とした人生をおくることができた。

何度も訪れた街、会話を交わした人達、私の心を豊かにしてくれた、先祖を含め歴史上の人達に感謝。


自分を客観的にみた第一印象

孫が20歳になったらヨーロッパを放浪するようにと、東日本大震災後から旅行記録を書き始めました。

 

大好きな場所

地中海沿岸  ギリシャローマ遺跡があるところ。

大好きな理由

ギリシャ、ローマ遺跡などを見て初めて旅をしている実感が持てる。

行ってみたい場所

好きな作家の旅行記を読むとすぐそこへ行きたくなる。

現在30の国と地域に訪問しています

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