ローマ時代アテネの生活の場 ローマ遺跡オタク必見! 風神の塔!
- 5.0
- 旅行時期:2011/12(約12年前)
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by 地中海人さん(男性)
アテネ クチコミ:13件
紀元前432年完成のパルテノン神殿の北側出口から、いくつかの階段状の歩行者道路を下ると、紀元前1世紀から紀元後2世紀の世界、ローマン・アゴラに出る。
アテネ市民は、隣の古代アゴラの隆盛、その後のアレクサンダーによるギリシャ世界拡大、分立、を見た後、ローマに飲み込まれることとなり、純血主義から他民族多文化の世界に組み込まれることとなった。
決してアテネ在住の外国人や奴隷に対し全く権利を認めない文化から、ローマ市民権を与えられ恩恵を享受することとなったので、ずいぶんと戸惑ったかもしれない。
ローマに屈し、あの議論好きなアテネ人は自尊心を傷つけられたかもしれない。ローマ元老院の子弟は皆ギリシャ語などをギリシャ人家庭教師から学び、シーザーもギリシャ語で手紙を書いているところから、独立を保持できなくなっても、太平洋戦争敗戦後の日本人とは大いに心境は異なるものであったろう。
その東北側にチケット売場があり(共通券12ユーロ)、入り口をはいるとすぐ、高さ12m、直径約8mのTower of the Winds (風の塔、風神の塔、別名アンドロニコスの時計塔(ホロロゲイオン、Horologion)がある。
大理石で作られ、八角形、東西南北、北東、北西、南東、南西の方角を指しているという。紀元前50年頃に天文学者が建てたとか、紀元前2世紀に建てられたに違いないとかいわれている。
塔の上には、風が吹くと、すぐ下にある8人の風神のどれかを指して、風の向きを示す仕組みになっていた風見鳥ようのものは今は無い。9つの日時計あり。
内部にあるとされる水時計(アクロポリスから流れ落ちてくる水力で動く)は確認できなかった。
この風の塔に基づき、18世紀以降にロンドンやセヴァストポリに類似の塔が作られたという。
他にアゴラ内に、石柱跡、古いモスク跡がある。
2011年12月13日(火)昼訪問した。観光客全く見当たらず。
ローマンアゴラ近くの遺跡
円形なのでトロス跡?
もしトロスであれば、この北側に評議会議事堂があり、東南側に裁判が行われ、西南100mにソクラテスが毒杯を仰いだ牢獄があったはずです。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
クチコミ投稿日:2013/02/11
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