紀元前6世紀からローマ時代のアテネを歩く ! へファイストス神殿 ! アタロス柱廊はギリシャで唯一完全に復元
- 5.0
- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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by 地中海人さん(男性)
アテネ クチコミ:13件
1931年から発掘が始まった古代アゴラ。
そこは紀元前6世紀からローマ時代の世界。古代アテネ市民の日常生活の場だった。
アゴラは、ミケーネ文明が紀元前1200年頃崩壊した後、400年の暗黒時代を経て、ポリスと共に出現し、群雄割拠するポリス群から有力ポリスのアテナイが紀元前5世紀隆盛を誇ったとされ、最も有名なアゴラがこのアテネの古代アゴラである。その後小国分立、排他的な制度のためスパルタも廃れ、あのアレクサンダーが登場し、ギリシャ世界を一気に拡大することとなる。
エジプト文明から始まるホモ・サピエンスの文明グレートジャーニーの最大のターニングポイント、現代文明の始まりである。文明進化を考える上で外すことはできない重要な遺跡である。
奥にあるこのへファイストス神殿 は、紀元前5世紀、現パルテノンの建築直後(古パルテノンはペルシャ戦争時破壊)作られたといわれ、たいへん保存がよい。
このへファイトスは、アキレウスの武具を作った鍛冶屋さんである。ゼウスとヘラの間に生まれたが、足が悪く美貌ではなかった(12神の内でも珍しい)が、あのアフロディテを妻とした。鍛冶場があるリムノス島が守護神としている。そこに生まれた時、両親によってオリンポス山から投げ捨てられ落ちた由来がある。
ペリクレス、ソクラテスなど歴史上の人物がこの辺を歩き回っていたと思うと、変な気分ですね。
ちょうど写真の左の人達は建物の測量をしていた。パルテノン神殿と同様に、列柱の間隔、太さなどが巧妙に作られているのであろうか。
パルテノン神殿と同じくドーリア式で、幅約14m、奥行き約32m。幅約31m、奥行き約70mのパルテノン神殿の半分。
パルテノン神殿入口の向かい側から高校生の一団とともに入る。
引率の先生は、やはり[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B2%E6%96%87%E6%98%8E/ ウイキペディア以下引用]*
政治、宗教、文化的施設が集中したところで民主主義発祥の地、古代ギリシアの市場はポリス内部の地域市場と対外用の市場に分かれ、アテネのコインが主な共通通貨となり、対内市場の例としてアゴラ、対外市場にはエンポリウム、アゴラは食料の再配分を行なうための制度となり、民衆に食物を供給し、新鮮な食材や調理ずみの食品が売られ、アゴラには、カペーロスという小売人が居住していた、アテネの指導者・ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテネは商業的なアゴラを各地で推進した・・・・・・・・・などと説明しているのであろうか。
ここは、ローマン・アゴラとは異なりかなり広く、毎朝散策に来て、この時代に浸りたいものである。雨が降ったらオりーブの樹やアタロス柱廊博物館の列柱に逃げ込める。
遺跡との間をメトロが走るアドリアノウ通りに面した北出口からはタベルナが並んでおり、モナスティラキ駅は数分である。
地図上「アグリッパの音楽堂」と記載されてあるが、イロド・アティコス音楽堂のようには現場には無い。音楽堂の基礎のみであり、その北側正面にトリトン像がある。
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古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
古代アゴラの北側アドリアノウ通り側入口から入るとすぐ左に、写真のように実に美しいドーリア式の列柱が115メートル並んでいます。
ここは、古代アゴラでから発掘した勝利のニケ像、コインなど展示しています。
ギリシャで唯一復元された建物です。
あまりにも美しいので、遺跡ファンには若干違和感がありますが しばし、列柱に包まれ、佇み、刻々と代わる光の演出を楽しみましょう。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- 観光の所要時間:
- 半日
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2013/02/11
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