2011/11/03 - 2011/11/04
196位(同エリア1860件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1564冊
- クチコミ1159件
- Q&A回答73件
- 2,964,189アクセス
- フォロワー162人
パリとロワール渓谷の古城巡りとナントの旅の締めくくりはモン・サン・ミッシェルへの1泊2日の旅行でした。「パリとロワール渓谷とモン・サン・ミッシェル」だと普通のツアーでとは往復の飛行機も入れて8日もあれば充分な旅程ですが、結果3週間近くかかってしまいました。滞在していたモンパルナスからTGVでレンヌまで行き、バスでモン・サン・ミッシェルへ向かいましたがバスの車内はガラガラでしたが乗っていたのはほとんど日本人でした。レンヌ駅から2つ目の停留所でバスを降りて、エクスペディアで予約したメルキュールホテルにチェックインして、近くのスーパーで買い物をしてからモン・サン・ミッシェルまで散歩しました。歩くとかなりの距離がありましたが、門をくぐると有名なオムレツ屋さんがありましたので記念に遅い昼食にしました。ちょっとお値段は高いけれど、貸切り状態だったのとデザートが美味しかったので良しとします。オムレツも評判よりは美味しかったです。食べないで美味しくないらしいと言うのは寂しすぎます。グランドリュはほとんど人気も無く寂しい観光地といった風情でした。島内はほとんど観光客の姿も無く、修道院などは寂しすぎて怖いくらいでした。しかし、テラスからの広大な眺めと夕日の美しさと帰り道の夜景の美しさは一生の思い出になりました。ホテルの食事も最高でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フランス旅行の旅の締めくくりはモン・サン・ミッシェルへの1泊旅行です。モンパルナスのホテルに荷物を預けて、1泊分の荷物を持ってモンパルナス駅へ向かいます。サマータイムも終わったのでだいぶ明るくなりましたが、この日はどんより曇った鉛色の空です。西から天気は崩れてきているので、この時点で旅先の景色などは諦めていました。
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早朝のモンパルナス駅はとても混み合っています。なかなか掲示板にレンヌ行きのTGVのホームの表示が出ないので時間を持て余します。
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事前に予約したプレムスのチケットは20号車でしたので1番先頭の車両です。1車両20数メートルとすると500メートル近く歩くので早めの行動が必要です。
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今回の旅で最初にトゥールへ行く列車に乗った時はプレムスを初めて使うのでちょっと心配でしたが、2週間も過ぎると日本で新幹線に乗るより簡単に思えてきます。
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午前9時過ぎにレンヌ駅に着きます。ホームを上がって北口方面に向かいますが、とても近代的な駅でした。小説家の澁澤龍彦もレンヌからモン・サン・ミッシェルへ行っていますが、当時はどんな駅だったのだろうかと考えました。駅で荷物を預けたと書かれていますが、現在は預ける場所はありません。
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レンヌの町もパリと同じような曇天でした。途中では雨も降っていたのでこの先の天気も期待できません。鉄道駅を出るとグリーンのベストを着たおじいさんがバスターミナルへ誘導してくれていました。駅の右手に同じような新しいバスターミナルがあります。
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窓口で切符を買って、念のために時刻表をもらいました。復路のバスの切符はここでは売っておらず、「帰りのバスの切符は運転手から買ってね。」とお姉さんが優しく教えて売れました。路線バスは普通の車両の2倍くらいの定員のロングボディですが、この日パリから来たお客は20人くらいでした。ロシア人2人と中国人の女の子2人以外は全部日本人でした。
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新しいバスの乗り心地は快適です。運転手さんにメルキュールで降ろしてもらうように伝えると「セカンドストップですよ。」と教えてくれます。
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レンヌの町を出ると田園風景が続き、いくつかの集落を越えると遠くに見覚えのあるモン・サン・ミッシェルの姿が見えてきました。
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2つ目の停留所はスーパーの前がバス停になっていました。スーパーの向かいが宿泊するメルキュールホテルで、他にもホテルが集まっているエリアです。
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同じバスで先にチェックインした日本人の女の子は別館に案内されていました。まだお昼前なので荷物を預かってもらおうとフロントに尋ねると10分待ってもらえれば部屋を準備しますとのことでした。ここのフロントはみなさん女性でにこやかに皆さん親切でした。隣のプレ・サレというレストランのメニュがあったので予約した方が良いか尋ねると「もちろん。」とのことでしたので午後8時に予約を入れました。
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一通り観光して夜景を眺めながら2キロの道のりを戻るのには時間がかかるので午後8時はちょうど良い時間でした。部屋は絶対に本館のフロントの奥が良いです。それも右側がモン・サン・ミッシェル側になります。一番奥の2部屋が部屋からモン・サン・ミッセルが見えました。
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1番奥から2番目の18号室でしたが、朝食は別料金で1室7,000円ほどとは信じられない安さです。パリのホテルの値段の高さが身に染みた旅でした。
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窓からは裏庭の先にモン・サン・ミッシェルの姿が見えました。
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久しぶりに熱いお湯を張って、バスタブに浸かれました。
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部屋のアメニティはさすがメルキュールです。コーヒー類は無料でポットも付いているのが嬉しいです。翌年のベトナムの旅ではこのホテルの思い出があったので、ハノイのメルキュールホテルを予約しました。
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メルキュールホテルにはプレ・サレというレストランが併設されていいます。人気のある店のようで、午後8時は満席になっていました。
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メルキュールホテルがあるのはラ・カゼルヌという集落で、モン・サン・ミッシェルまでは歩いて2キロほどあります。当初は島内のホテルの宿泊も考えたのですが、夫婦3週間の旅行代金の総額を考えるとお手ごろな近隣のホテルになりました。
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ホテルはクエノン川に沿って建っています。
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ホテルの前は大きなスーパーがあり、まずここでお土産や飲み物を買いました。カルヴァドスやシードルを買って部屋で1本空けてから観光に出発しました。
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ほろ酔い気分でホテルを出ると天気が良くなってきました。ホテル街の裏側にはクエノン川があり堤防が続いています。更にその先には橋のような河口堰Barrage du Mont Saint Michelがあります。そしてその先にモン・サン・ミッシェルの姿が見えます。
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堤防沿いに歩いて河口堰からの景色を楽しみました。
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河口堰にはこんな写真が置かれていました。今後の数年でモン・サン・ミッシェルを昔のような島に戻すためのプロジェクトがあるのは知っていましたが、この河口堰もその一環なのだと思いました。
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防潮板の役目をするのか土砂が流れないようにするのかそこまでは分かりませんでした。この橋の上からのアングルがこの辺りでは一番眺めが良いです。
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対岸の半島まで見渡せる中に島が浮かぶ姿を見て、ここに来てよかったと思いました。
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同じような写真ばかりですがレンズを替えて何枚も撮ってしまいます。
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妻が以前から来たいと言っていたモン・サン・ミッシェルへようやく連れて来ることが出来ました。
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そしてモン・サン・ミッシェルを旅の最後にして良かったとも思いました。それくらいインパクトのある場所です。
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昼過ぎは干潮のようで水が引いてしまっています。ここから約2キロの道を散歩して島に向かいます。
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車道を歩かなければならないので日が暮れてから歩く人のためにホテルのフロントには反射板の付いたベストが置かれてあります。ポントルソンへ戻るバスとすれ違いました。
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道路の反対側の草地にはプレ・サレ羊が悠々と草を食んでいます。元々ブレ・サレとはフランス・ブルターニュ地方とノルマンディー地方の境界付近、モン・サン・ミッシェル湾と西コタンタン半島沿いに点在する浜辺の湿地帯の呼び名だそうです。
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この地域は塩の満ち引きの差がとても大きくて最大で15メートルにもなり、好塩性の植物しか育ちません。この植物を食べることにより肉中の食塩相当量や、必須ミネラルのヨウ素含有量が増え、これが「アニョー・ド・プレサレ」の旨味の秘密だそうです。。
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そんな羊料理はホテルの晩御飯で予約済みです。
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島へ向かう車道の脇には土手のような道がありますが、ぬかるんでいるのでとても歩きにくいです。
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残念ながら左側にはプレ・サレ羊はいないので、よくあるモン・サン・ミッシェルと羊の写真のような景色を見ることは出来ませんでした。
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島の手前には大きなキャンピングカー用のパーキングがありました。季節外れなのか空いているようでした。この当時はそんなエリアがありましたが、この先は2015年までに橋に変わってしまったので、もう存在しないのかもしれません。
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水の引いた砂地は何とも言えない風情があります。
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島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと書かれてあります。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28時間から36時間後といわれていて、引き潮により沖合い18キロまで引いた潮が猛烈な速度で押し寄せるそうです。
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かつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといわれ、「モン・サン・ミッシェルに行くなら遺書を置いて行け。」という言い伝えがあったそうです。
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夏でも夜は寒く風が強いと聞いてきたので厚着をしてきましたが、ご覧の通り汗ばむくらいでした。もうサマータイムも終わった11月3日のことです。
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ガブリエルの塔とその先に広がる水平線が美しいです。ガブリエルの塔には16世紀に大砲が据えられて、島全体は軍事要塞だったそうです。
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島が近づいてくると尖塔の上で剣を振りかざす大天使ミカエルの姿も確認できるようになります。
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海水の引いた砂地はカモメの餌場のようです。こんな景色が目の前一杯に広がり、その広大な眺めに目を奪われます。
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ようやく駐車場の外れまで到着しました。約30分の散歩でした。
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幾つか看板があるので注意が必要です。車を駐車する場合は潮の干満を確かめておかないと水没することもあるそうです。
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1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2メートルもの砂が堆積してしまいます。
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急速な陸地化が島の周囲で進行していて、島の間際まで潮が来ることは滅多になくなりつつあったため、かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、橋に建設が始まっていました。2014年にその橋は完成しますが、旅をしたのはその途中の2011年でした。
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そしてアヴァンセの城門に到着しました。いよいよモン・サン・ミッシェルの見学に入ります。
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グランド・リュのブルバールの城門から島の中に入ります。駐車場にはバスが1台停まっているだけで、混雑して歩けないかと思っていたグランド・リュにもひと気はあまり無く、季節外れの江の島のよりも閑散としたさみしい観光地というのが最初の印象でした。
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城門を潜るとすぐ左手に「ラ・メール・プーラール」の看板がありました。あっけないほど近くにあるので拍子抜けしました。
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表に掲げられた大きなメニューを見てみます。いろいろな方が4トラでも書かれているように、日本語だけ読んでいると誤解を招きそうですね。でも英語でちゃんと書かれているので店が悪いようには思いませんでした。
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店に入るつもりは無かったのですが、ここまで来て食べないで帰って「オムレツは美味しくないらしいよ。」と言うのも癪なので食べることにしました。店に入ると2組いたお客さんが席を立つところで、1階のフロア全部を貸切状態で食事することになりました。もっと混んでいて予約しないといけないかなと思っていたのでビックリです。
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誰もいないと気兼ねしなくて良いですが、ちょっと寂しいです。妻はお腹が空きすぎて言葉も少なげです。
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他にお客はいないので今作っているのは我々のオムレツだということです。
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フエと呼ばれる泡だて器を2本持って、金太郎あめを切るときのようなリズムで卵を泡立てていきます。1888年創業の「ラ・メール・プラール(La Mère Poulard)」が巡礼者たちに振る舞っていたのが始まりなので、本家本元で食事が出来るわけです。
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写真やテレビでもよく見る女性が手際良くバターと卵を撹拌していきます。
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薪の熾火で焼きあがるまで時間がかかりそうなので席に戻ります。
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店が混んでいれば賑やかであろう厨房も、遅いお昼の時間なので人の姿もありません。ロワール渓谷で見てきたいくつもの古城の厨房を思い出しました。
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店は修道院の建つ自然石の岩山を支えに建てられています。奥の壁は自然石ですよと店のお姉さんが教えてくれました。
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近づいてみると確かに岩が建物に食い込んでいます。こんな旅館が江ノ島になかったかと記憶をたどってみますが…。
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モン・サン・ミッシェルらしい羊飼いの女性の置物がありました。
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調度品も良いのですがこの店の壁には著名人のサインと写真で埋め尽くされています。
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巨大オムレツの到着です。直径30センチほどの半円になった泡々のフワフワです。席に座ってこのオムレツを見た瞬間にこの店に入って良かったと思いました。
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2人ともお腹がペコペコだったのでまず半分をそのままペロリといきました。濃すぎないバターの風味がしてとっても美味しくいただきました。残りの半分はちょっと味が薄く感じてきたので付け合せのサラダと一緒にいただき、ほぼ2人同時に完食しました。
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オムレツは少し時間が経つとどんどん形が崩れてくるので早く食べないとなりません。
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1988年に当時のミッテラン大統領とマーガレット・サッチャー首相が来た時の写真が飾ってありました。
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こちらはイヴ・サンローランで、サンローランは生前この写真しか使いませんでしたね。となりはベルナール・ビュッフェのスケッチだという事がすぐに分かります。まさにこの店のための絵ですね。
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オムレツにも大満足でしたがセットになっているデザートがまた美味しかったです。ノルマンディですからカルヴァドスが示すようにリンゴの産地です。その地のアップルタルトですから美味しくない訳がありません。またこれがずっしり濃厚な重さです。
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カスタードクリームと一緒にいただくとオムレツとデザートで結構お腹いっぱいになりました。晩のレストランの予約もあるので満腹いなるのは避けましたのでちょうど良い量でした。
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ここのアップルタルトは今まで食べたものの中で一番美味しかったです。オムレツと共によい思い出になりました。
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店先の鶏と共に記念写真を撮りました。上の階も同じようにレストランになっていましたが、午後3時では誰もいませんでした。
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レストランの脇はホテルの入り口になっていました。ここのホテルはネットで料金を見たら1室20,000円を超えていたので諦めましたが、結果的にはメルキュールで良かったと思います。
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フロントでは日本人のツアーガイドさんが、ポーターが荷物を失くしたとえらい剣幕で怒っていました。
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ホテルの隣は王の城門です。絵に描いたようなヨーロッパの城門の手本のような姿です。子供の頃に見た「リボンの騎士」に出てきたお城のようです。
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食事をしていたので午後3時を過ぎてしまいました。日が暮れる前に修道院の見学を終えなければなりません。
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郵便局の場所もチェックして、切手は明日買うことにします。
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先を急いでいるはずが、妻はガレットクッキー屋さんに立ち寄ったり。レ・ルタンでセント・ジェームスのボーダーTシャツを物色したり。妻は自分用に1枚と姪のために1枚買い求めました。
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観光客でごった返すと聞いていたグランド・リュには数えるほどの観光客しかいません。
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グランド・リュの通り沿いの店先の看板のデザインが素晴らしいので目が留まってしまいます。
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数少ない観光客も修道院から下ってくる人が多くて、これから修道院に行く人の姿はほとんどありません。
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なだらかな坂道を登りながらモン・サン・ミッシェルというところは物寂しい観光地だなと思いました。
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登坂が階段に変わるころに修道院の建物が見えてきました。
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少しづつ階段が増えてきて修道院が近いことを感じさせます。もうお店も無くなり、観光客の姿も途絶えて更に寂しい雰囲気になってきます。
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見上げるような垂直の壁の間を進みます。昼過ぎまで雨が降っていたので積まれた石はまだ濡れています。
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前に数人の人がいるので少し安心します。見失わなければ迷子にならないでしょう。
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まるでドラゴン・クエストか何かロールプレイング・ゲームのダンジョンを実体験しているようです。
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やっとチケット売り場に到着しました。先を歩いていた人が先に進んでしまうと観光客の姿はほとんどなくなりました。
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増築と改修を続けた建物は現在どこを歩いているのかすぐに分からなくなります。
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チケットを買っていよいよ修道院の奥へと進んでいきます。
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ちょっとゆっくりしていたら先を歩いていた人の姿も無く、広い修道院の中を2人だけで歩きます。こんな広いエリアに2人だけだと少し怖い感じがします。
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修道院と言うよりも要塞と言った方が理解しやすい迷路のような造りになっています。
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西のテラスからの景色は素晴らしかったです。夕方に差し掛かり暗くなりかけた陸地がシルエットになります。干潟に残った水び日差しが反射して幻想的な感じさえします。
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歩いてきた通りの先にはクエノン川とラ・カゼルヌの集落まで見渡せました。ここまでよく歩いたなという気分になります。この道路は3年後には取り払われ、現在は橋になってます。川から右側 (西側) がブルターニュ地域で川から左側 (東側) がノルマンディー地域になります。
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砂地の残り水に夕日が反射して本当にきれいでした。
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望遠で対岸のホテル街を眺めてみると防潮堤とメルキュールホテルが手に取るように見えます。
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よく見ると干潟にはカモメなどの水鳥がたくさんいます。
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風も無く寒くも無く本当に良い季節に旅をしたと思います。午後に日差しでもまだ暖かさは感じるほどでした。
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西のテラスからは美しい尖塔も見上げることが出来ます。この尖塔はパリのノートルダム寺院の尖塔の模倣ですが、その尖塔は焼け落ちてしまって見ることはできません。
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尖塔の一番上には翼を広げて剣を振りかざした大天使ミカエルの姿が見えます。
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西のテラスにも我々以外の観光客の姿はありません。
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ここからの景色は一生の思い出になると思います。張り出した円形のテラスは元々ロマネスク様式の鐘楼がそびえていた場所で、「かまどの鉛」と呼ばれています。
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水平線と空が溶け合ってこの世のものとは思えない風景です。
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何故数百年にも渡りここが聖地としてたくさんの人々が命を懸けてまで巡礼したのかが少し分かった気がしました。
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何処までも歩いていけそうな気がするほどの干潟です。実際は底なし沼のようだったり、潮が満ちてくるのが早いのでガイド無しでは立ち入ってはいけないようです。遠くにはトンブレーヌ島が見えますが、この島まで約3キロあり途中のクスノン川を渡らないと行けません。島には11世紀の頃から修道士が住むようになり、1137年にはモン・サン・ミッシェルの修道院長が小修道院を建造しています。
百年戦争の時にはイギリス側が占領し、島全体を要塞化してその時の跡が今も残っています。 -
午後になって出てきた太陽から夕焼けになりそうな予感がします。
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そもそものモン・サン・ミッシェルの起源は708年にアヴランシュの司教オベールが夢の中で「この岩山に聖堂を建てよ」というお告げを大天使ミカエルから受けたことから始まります。オベールが高さ80メートルほどの小さな島に建てた礼拝堂が、後のモン・サン・ミッシェルになりました。
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モン・サン・ミッシェルは建設されてからも幾度となく増改築が繰り返され、現在の形になったのは13世紀と言われます。14世紀に入ると周りを海に囲まれた立地から天然の要塞として戦争に利用され、18世紀には監獄として使用されたこともあります。
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要塞や監獄として使用されて荒廃したモン・サン・ミッシェルでしたが、1865年にナポレオン3世の勅命で本来の美しい姿を取り戻し、1979年には世界遺産に登録されています。
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西のテラスから修道院付属教会に入ってみます。この身廊の比率はノアの方舟と同じとされているそうです。つまりこの修道院はトルコ東部のアララト山に漂着したノアの方舟に例えられているということらしいです。
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11世紀から12世紀にかけてのロマネスク様式の身廊の奥には15世紀から16世紀にかけてのフランボワイヤン様式の内陣が美しい姿を見せます。この内陣は大僧院長のギョーム・デストゥートヴィルが院長職を兼務していたルーアンのサントゥーアン大修道院の身廊から着想を得たそうです。内陣のトリフォリウム(明り取り窓)は東側からの太陽光線を受けるように設計されています。
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元々はロマネスク様式の内陣があり、再建する過程でフランボワイヨン様式の調和した美しい内陣となったようです。
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大天使ミカエルは左手に魂の公正さを測る秤を持っています。この祭壇は聖地エルサレムに向いて建てられているそうです。この大天使は神の意志に逆らうことが無いので、へブル語で「神の如き者」を意味する「ミカエル」という名前を持っています。へブル語「ミカエル」はラテン語では「クイス・ウト・デウス」(QUIS UT DEUS)と訳されています。「クイス」(QUIS)は「誰か?」あるいは「或る者」を表し、「ウト」(UT)は「あたかも…のように」を表す接続詞です。「デウス」(DEUS)は「神」の男性単数主格形で、「神が」という意味です。したがって「クイス・ウト・デウス」は「神が為し給うように為すのは誰か?」、あるいは「神が為し給うように為す者」という意味です。
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地下礼拝堂のノートルダム・ドゥ・トラントシエルジェの装飾のないシンプルな堂内には彩色された木彫が映えます。聖母子像には花が1輪手向けられていました。
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内庭回廊へ向かって進んでいきます。13世紀に造られた回廊はラ・メルヴェイユの最上階に位置しています。
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この回廊は修道士たちの専用の場所で、散歩や会話や瞑想のためのスペースです。
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回廊の柱を繋ぐ三角小間はカーン産の柔らかい花崗岩を用い、変化に富む彫刻を施しています。2つのモチーフのうちの1つはバラ模様です。
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モチーフのもう1つは唐草様のランソーと呼ばれる葉飾りです。回廊の列柱の美しさはアマルフィの大聖堂の天国の回廊やシチリアのモンレアーレ大聖堂のことを思い出させます。
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回廊の先には干潟が望めるポイントもあり、そこだけガラス張りになっています。ここからの景色も絶景ですが、足元を見るとちょっと怖い気がします。
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視界を遮れないよう回廊の円柱は微妙にずれています。
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とても美しい回廊ですが人がいないので少し寂しい感じがします。オムレツを食べてお腹もいっぱいなので瞑想する気分でもありません。
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ラ・メルヴェイユの巨大な壁側には小さな窓が設けられています。
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回廊をグルリと回ると修道院の教会が綺麗に見渡せます。
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回廊の反対側は湾が見渡せるガラス張りのテラスです。ここ以外はほとんど閉鎖された空間です。回廊の屋根は1962年に結晶片岩に葺き替えられましたが、それ以前は釉薬の掛かった屋根瓦だったそうです。
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軒の深さからもこの地方の風雨の強さを感じました。円柱は花崗岩のような大理石で統一されています。
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巨大な食堂に入りました。往時はたくさんの修道士がいたのでしょうが、今は観光客すらいない寂しい部屋です。床のタイルも美しいです。
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修道院の食事は重要な時間であり、儀式を行う場所でもありました。重すぎる石積みの構造よりも船底のような半円アーチを採用しています。
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巨大な屋根を支える厚さのある石壁は軽やかに見せるために銃眼のようなテーパーが取られてあります。その開口部にはシンプルなデザインのガラスが嵌め込まれています。
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8世紀の初めアヴランシュの司教だった聖オペールの夢の中に大天使ミカエル(サン・ミッシェル)が現われ、この地に青銅を立てるように啓示した場面のレリーフがありました。
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大天使ミカエルはイタリアでは何度も姿を現し、モンテ・ガルガノやローマのハドリアヌスの霊廟の近くに現れ、後にサン・タンジェロ城が建っています。後年の物語では708年のある晩にアヴァランショのオベール司教の夢に現れ、崇敬のために小島を捧げるように命令します。
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オベール司教は自分の空想によって誤っていることを恐れ、何もしないでいました。大天使は業を煮やし3回目に現れた時にはこの不信心者の脳天に指を入れ、納得させるために奇跡を繰り返しました。大天使のお告げでは盗まれた牡牛1頭がモン・サン・ミシェルの頂で発見され、オベールが建立することになった小礼拝堂の大きさはその牡牛が踏んだ場所の大きさでした。
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迎賓の間は修道院長が身分のある方を迎えた広間だそうです。元々は美しく装飾され、タイルが貼られタペストリーが下げられたそうですが、その当時も面影はオジーブと円柱の優雅さにしか残されていません。
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シンプルなステンドグラスが部屋を明るく照らし、印象に残ります。
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ガラス窓からは遠くトンブレーヌ島が望めました。
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こちらのステンドグラスにはホタテ貝(サン・ジャック)がデザインされています。パリからモン・サン・ミシェルを経由してスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは中世の巡礼路だったことを感じさせます。十二使徒の1人である聖ヤコはスペイン語でサンチャゴでフランス語でサン・ジャック、英語でセント・ジェームスです。グランド・リュで売っているボーダーTシャツのメーカーのセント・ジェームスもこの地の名産でもあります。
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人が軽々出入りできるほど大きな暖炉が2つもあります。ここまで大きなものは初めてで、自分たちがミニチュアになった気分になれます。
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迎賓の間への入り口は同じような扉が3つ並んでいました。壁や天井を支えるために大きな開口部を設けられなかったことが想像できます。
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モン・サン・ミシェルの尖塔を支える大支柱の地下礼拝堂には幾つもの小さな礼拝堂が周囲に配されています。
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木彫の置かれた所にはスポットが当てられて厳かな感じがします。
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この太い10本の円柱で上部の尖塔を支えているそうです。
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妻はいろいろ思い当たることがあるのか、膝まづいて懺悔のお祈りを始めました。
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さらに新しいダンジョンが現れ、迷路のような通路を先へ進んでいきます。他の見学者の姿が無くなってしばらく経ちましたが、進んでも進んでも誰にも出会うことは無くて心配になってきます。
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納骨堂の先の通路には巨大な車輪があります。ハムスターの車のように人間が輪の中に入って鎖を巻きあげたそうです。ギリシャのメテオラにも同じようなシステムがありましたが、規模は遙かにこちらの方が巨大です。
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元々は納骨堂だった場所なので、死者を描いたフレスコ画が壁に残されていました。
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太い鉄の鎖が麓まで下がっていました。これで荷物の搬入を行ったそうです。
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この部屋は元々サンテチエンヌ小聖堂と呼ばれ、その意味は死者の礼拝堂でした。
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モン・サン・ミシェルの1フロアを歩きましたが誰もいない中を2人で進むのは不思議な時間でした。お互いの話し声以外何も聞こえず、世界が滅んでしまったような気になってきます。
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13世紀初頭に騎士の間とされた部屋です。ルイ11世が創設した聖ミカエルの騎士団に由来されると言われますが、ここで騎士団の集会が開かれた事実は無いそうです。
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この部屋は修道士からは「ショフォワール(暖房のある休憩室)」と呼ばれたそうです。部屋には巨大なマントルピースがあり、寒さを防ぐことが出来たそうです。
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推定では部屋はタペストリーで仕切られていたともいわれます。ここもたった二人で歩いているとイギリスの童話の「ジャックと豆の木」の世界に迷い込んだ気がします。
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騎士の間は修道僧が写本や彩色も行った場所だそうです。何となくウンベルト・エーコの原作のショーン・コネリーの映画「薔薇の名前」を思い出します。
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修道院を舞台に起きる怪事件をショーン・コネリー扮する元異端審問官が解決していくストーリーです。そんなことを考えていると誰もいない修道院を2人で歩いていると余計不気味な感じがしてきます。モン・サン・ミッシェルがこんな寂しい所だとは思いもしませんでした。
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尖塔の頂に立つサン・ミッシェルのレプリカが置かれていました。
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こんな巨大な像が尖塔の先端に乗っているとはそれだけで驚異です。現在であればヘリコプターで吊り上げるなど方法は想像に優しいですが、中世の頃の工事方法が気になります。
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修道院の内部の見学が終わり、表に出るとすっかり薄暗くなっていました。建物の中は誰もいなくて息が詰まりそうでしたので、外の空気を吸うだけで気持ちが軽くなりました。
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一息つくと周囲の広大な景色に目が行くようになります。修道院の高い位置にいるので周囲はまだ明るいですが、地面のレベルではもう日が落ちているのかもしれません。
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先ほど模型を見たサン・ミッシェルの像は、尖塔の上に立つものは高さ4.5メートルもあります。夕焼けに染まって幻想的な美しさでした。パリのノートルダム大聖堂の尖塔は焼け落ちてしまったので見ることはしばらく叶いません。
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だんだん西の空が焼けてきました。しばらく景色を眺めながら休憩することにしました。
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広大な夕焼けが楽しめました。
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多分島の外からは夕日に浮かぶモン・サン・ミッシェルが眺められたのでしょう。
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北の方向を見ると果てしなく水平線と夕方の空が溶け合っています。高い空の雲にも茜色が差され、この世のものとは思えない幻想的な景色が広がります。この数日後はもう帰国なので、あまりに楽しかった3週間の旅を思い返すと何か物悲しい気持ちになってきます。
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日が傾くと気温も下がってきたのでそろそろ修道院を出ることにします。思っていたモン・サン・ミッシェルのにぎやかさは全く感じられない見学でしたが、この日の見学は心に残ると思いました。
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最後にお土産などを少し買い求めてグランド・リュを下ります。
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サン・ピエール教会まで戻ってきました。ジャンヌ・ダルクが入り口に立っています。
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小さいけれど内部に装飾の施された厳かな教会です。
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ジャンヌ・ダルクの視線の先は北に広がる空ばかりです。
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登ってきたグランド・リュを下りると、両脇の店の看板がとても綺麗でした。もうほとんど人が歩いていませんのでお土産屋さんはどんどん店を閉めていきます。なんて寂しい観光地でしょう。
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有名なレストランも閑古鳥が鳴いています。我々の後に修道院を見学していた人もいないでしょうから、この日は誰も来ないかもしれません。
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あっという間にほとんどの店が閉まってしまいました。1軒の店に綺麗な鶏の置物がありました。ちょっと覗いてみると他にも天使やサンタの置物もあります。値段が安いので全くの手作りではなさそうが良く出来ているので幾つか買いました。オ・トロワ・クロワッサンというフランス国内で造られたものを扱う店でした。ちなみに購入したものはルーアンのものでした。
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オムレツ屋さんも開店休業状態でした。最後にレ・リュタンというセント・ジェームスの専門店でピカソが愛用したと言われるボーダーシャツを買いました。たまたま居合わせた日本語ガイドのおばさんが親切にいろいろ教えてくれました。
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午後5時を回ると店も閉まって更に寂しいモン・サン・ミッシェルです。島の中にホテルを取らなくて良かったと思いました。部屋の代金もレストランも全て観光地値段でパリよりも高い印象です。
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駐車場まで出ると空が青く染まってきました。
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修道院のライトアップも始まって幻想的な景色が見られました。
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早朝のパリでは雨が降っていたので景色は諦めていましたが最高の天気になって良かったです。
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カメラでは撮影しきれない広大な空と水平線までがブルーに染まっています。旅の最後を締めくくるには最高のシチュエーションです。
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何枚か記念写真を撮っておくことにしました。
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最後の残っていた日本のツアーバスが出発するところでした。もう少し日が暮れるところを見せてあげればよいのにと思いますが、ツアーバスは非情にもお客さんを載せて出発していきます。駐車場にいた方にシャッターを押してもらいました。
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11月のモン・サン・ミッシェルは午後5時から5時40分くらいまでが空が青く染まり綺麗な時間帯でした。
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モン・サン・ミッシェルを背にしてホテルに戻るのですが、後ろ髪を引かれるように振り返りながら写真を撮ってしまいます。
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ホテルのあるエリアまで2キロほどあるので、ゆっくり景色を眺めつつ、少しづつ歩き始めます。
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尖塔の先のサン・ミッシェルがまさに天から降り立ったかのようです。天に向けてサーチライトの光が伸びて幻想的な眺めです。
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駐車場の出口まで歩いてきました。
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また別の人に写真を撮ってもらいました。夜景のスローシンクロで上手く撮れました。新しいカメラなのでいろいろ試しながらの旅になりました。
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東の空がどんどん暗くなってきます。西の空も水平線に太陽が落ちようとしています。
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間もなく空から青みが消えて真っ暗な空で覆われます。途端にあたりも暗くなりますので、借りてきたベストを着て、持ってきた懐中電灯で足元を確かめながら進みます。
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漆黒の闇に浮かぶ修道院の姿も忘れられない景色に思えます。
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この日は干潮の時間でしたが、満潮だったら海面に映り込んで綺麗だろうかとも思いましたが、波があるとその姿は消えてしまうかもしれません。
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歩道は足元が危ないので車道を進みましたが、街燈が全く無いので自己防衛はしておかないと、こんな所で車に轢かれては洒落になりません。
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最初の防潮堤まで戻ってきました。ここの橋の欄干はフラットなのでタイマーを設置して写真を撮れます。もちろん簡単な三脚も持って来ました。
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気が付くと既に午後7時を回っていました。名残惜しいですが夜景の撮影もそろそろ終わりです。三脚をセットしながら写真を撮っていると戻ってくるのに1時間以上かかりました。
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カメラには写真を残し、心にもこの風景を残します。
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早朝にまたこの場所に戻ってこようと思います。
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ようやくホテルに戻りました。フロントで反射板のついたベストを返して部屋に戻ります。
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ホテルは2階建てになっています。別館とレストラン側に面した部屋もありますが、絶対にフロント奥の本館がお勧めです。特に廊下の右側のモン・サン・ミッシェル側がよいです。左側は駐車場と別館しか見えません。
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感動が冷めないうちに部屋で絵葉書を書きました。ボトルの形のものが面白いので買っておきました。中に巻紙が入っていて、そこに手紙が書けます。3.5ユーロと高いですが、送料も少々高かったです。
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午後8時ちょうどにレストランに入ると窓側の席に案内されました。部屋番号と名前が書かれたプレートが挟まれています。炭酸水と白ワインを1本注文し、ムニュ・グルメというコースを注文しました。ワインは産地ではなく原材料のブドウで分けられていました。どれも手頃な値段から揃っています。
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ノルマンディーの牡蠣9個とラングスティーヌ(手長エビ)の盛り合わせからスタートです。
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もう1皿はシーフード盛り合わせで、石蟹と巻貝が美味しかったです。スタートからこのボリュームですから大交付です。
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日本の牡蠣に比べると少し塩辛いですが、レモンを絞っていただくと最高に美味しいです。白ワインがどんどん進みます。
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メインはプレ・サレ仔羊のモモ肉のローストです。この辺りに来てプレ・サレ羊を食べない訳にはいきません。
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もう一品はプレ・サレ羊のあばら肉のグリルで、どちらも美味しかったです。もちろんシェアして両方いただきました。
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お昼はオムレツだけだったのでいくらでも食べられそうな気がします。
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そしてノルマンディー産のチーズ2種類。これもペロッといただきます。
フランスはチーズが安くて羨ましいです。だいたい日本の8から10分の1と値段と考えればいいでしょう。 -
デザートはリンゴのクリスティヨンと塩バターキャラメルアイスでした。これもこちらの名産のデザートです。
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滞在するホテルでの晩御飯は食事の後にそのまま部屋に戻れるので助かります。大満足のモン・サン・ミッシェルの1日でした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- tomvoさん 2011/12/13 07:58:53
- さすが!
- おはようございます
個人旅行ですね。さすがに自由にノンビリといますかツアーでは見られないところまでよく見られて素敵ですね。
やっぱり旅の醍醐味はお仕着せではなく自分で練って旅程を立てて行くのがいいですね。
何もかも素敵ですね。
- kojikojiさん からの返信 2011/12/13 10:01:52
- RE: さすが!
- おはようございます。
旅行記を見ていただいてありがとうございます。
仕事柄比較的長い休みが取れるのでその度に旅行に出ています。
勿論価格重視なので近場の中国などではツアーを利用したりもします。
ただヨーロッパは行く場所の数を重視してかなり無理な旅程なので個人で
旅行することにしています。今のところ大きなトラブルは無いのが幸いしていますが。また、旅行前にスケジュールを立てるのも楽しいので個人旅行になっているのかもしれません。旅行後の写真の整理だったり4トラへの旅行記のアップだったり3回は楽しめるので旅は止められません。
お便りありがとうございました。
-
- 大目付さん 2011/12/12 09:37:35
- kojikojiさん、お早うございます。
- モンサンミシェルの土産物屋さんが立ち並ぶこの通りは季節を問わず、いつも世界各地からの観光客で賑わっているのかなと思っていました。季節によっては閑散としている時もあるんですね。
〜大目付〜
- kojikojiさん からの返信 2011/12/12 10:39:25
- RE: kojikojiさん、お早うございます。
- 大目付さん
そうですね。我々も混雑と寒さ対策は万全にして行ったのですが、正直拍子抜けしました。あまりにも閑散としているのでもう少し観光客がいてもいいのにと逆に思うほどでした。修道院の中は本当に怖いくらいに誰もいませんでした。入場券を買った後に通路を進んでいると後ろから「チケット見せてください。」と声を掛けられた時は(チケットをチェックする所に気付かなかったので)死ぬほどびっくりしました。寒くなかったのは幸いしましたが。
少し時間がかかると思いますがロワール渓谷の古城を3日かけて廻ったのとナントの旅行記を作成中ですのでまたお時間がありましたらお立ち寄りください。
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