2011/10/22 - 2011/11/06
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kojikojiさん
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日曜日のクリニャンクールの蚤の市やモンマルトルの丘を散策した翌日の月曜日は美術館も閉まっているところばかりなので11年前の旅で妻に却下されて行くことが出来なかったサン・マルタン運河クルーズに行きました。約半日かかる運河クルーズなので、時間の無い観光客だと躊躇してしまうと思います。映画の「アメリ」で水切り(石切り)で有名になった運河ですので今回は承認されました。ホテル近くのダンフェール・ロシュロー駅からサン・ジェルマン・デプレ駅まで地下鉄で出て、セーヌ河畔をぶらぶら散歩して船着き場まで行きました。ここでパリに住んでいる姪と合流して船に乗りました。おばちゃんと姪は久しぶりの再会なので話もたくさんあるので、時間のかかる運河クルーズはちょうど良かったかもしれません。どこも人の多いパリですが、この日のクルーズはガラガラでした。セーヌ川から運河に入るとバスティーユ広場の手前でトンネルの中に入り、リシャール・ルノワール通りの下を通ることになります。この通りの緑地帯にはいくつも穴が開いていますが、地下の運河を通るとこの穴がなんであるかが良く分かりました。そしてアポロ劇場の裏辺りでまた地上に出ます。その後は右岸にジェマップ通り、左岸にヴァルミー通りを見ながらいくつものロック(閘門)を通過しながら北へ進みます。セーヌ川が一番低く北へ向かって高くなっていくのが分かります。途中の船上からは右手にマルセル・カルネ監督の映画で有名な「北ホテル」が見えたり、アメリが水切りした広い運河も通過します。そして最後にサン・ドニ運河と交差してクルーズは終わります。ボートを降りて「シテ科学産業博物館」を横目に地下鉄のポルト・ド・ラ・ヴィレット駅から地下鉄に乗って「東駅」まで出て午前中のクルーズ旅は終わりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今朝も朝8時にホテルを出発しますが、ホテルのフロントの夜番のアフリカ系の巨漢のおじさんには酔狂な日本人観光客と思われているかもしれません。ホテルで朝ご飯も食べずに真っ暗なうちから出掛けるのですから。
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ホテル近くのダンフェール・ロシュロー駅かた地下鉄でサンジェルマン・デ・プレまで出て、その先は歩いて船着き場に向かうことにします。
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パリの町はどこもグラフィティにあふれていますが、これはムッシュー・シャ(ミスター・キャット)で知られるトマ・ヴュイユの作品だと思います。ムッシュ―・シャは1997年にトマが美術学生だった時に参加したワークショップでパキスタンの女の子が描いた笑っている猫にインスピレーションを受けて生まれたそうです。アンスティテュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)の壁でも見ることができるそうです。
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途中に「ラデュレ・ボナパルト店」がありました。まだ午前8時過ぎだというのに店の中ではミーティングをしていました。パリのお菓子屋さんも表面的な華やかさとは違って厳しい世界があるのでしょうね。
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近くのアンティークショップに並んでいた大理石の彫刻。ちょっと不気味な雰囲気です。1988年に初めてパリに来たときにこの近くのドラクロワ美術館に行ったことを思い出しました。アトリエを美術館にした雰囲気の良さにパリの小さな美術館が好きになりました。今回もロダン美術館やモロー美術館などに行く予定です。
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国立美術学校(エコール・ド・ボザール)前を通り抜けてセーヌ河畔に出ます。11年振りにセーヌ川のほとりに立つと感無量で、懐かしさでいっぱいになります。
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対岸にルーブル宮殿とセーヌ川に架かるカルーセル橋が見えます。ちょうど日の出の時間で空が赤く染まっていました。カミーユ・ピサロの作品にほとんどこのアングルで描かれた絵があったななどと思います。
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カルーセル橋と宮殿というと映画「ダ・ヴィンチ・コード」でラングドン教授がトイレの石鹸に発信機を埋め込んでゴミ収集車に投げ込むシーンを思い出します。
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こんな早い時間からカルーゼル橋では絵を描いている人がいます。多分この人の日課になっているのでしょう。
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こちらは河畔をのんびり散歩します。この辺りは人通りも少ないので周囲を注意しながら歩きます。
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カルーセル橋の袂の階段を上がり高い位置からルーブル宮殿を眺めてみます。
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次に見えてくるのは左岸にある「オルセー美術館」です。セーヌ川は歩いてる方向に流れているので、地図でいう南側が左岸になります。左岸はフランス語でリヴ・ゴーシュで、イヴ・サンローランは1961年にオートクチュールメゾンを設立した後、66年にプレタポルテのお店をセーヌ川左岸の6区トゥルノン通りにオープンし、「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ(Yves Saint Laurent rive gauche)」と命名したことを思い出しました。
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昔の西武百貨店はエルメスをはじめ、サンローランやソニア・リキエルやミッソーニ、ジャンフランコ・フェレなんてブランドを大沢商会やエルビスで持っていたいい時代でした。
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最初のパリの旅は1988年だったので「オルセー美術館」が出来て2年目くらいでした。そのあとの2000年の旅では妻とも来ているので今回は見学の予定がありません。2011年当時はマルモッタン美術館やオランジェリー美術館のモネやオルセー美術館の写真撮影が禁止だったのでパスしたということもあります。
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ちょうど朝日が射してライムストーンがピンクに染まってとてもきれいでした。
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「オルセー美術館」の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルです。設計者はヴィクトール・ラルーで、もともとオルセー駅はオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルであり、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。
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一時は取り壊しの話もあったそうですが1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、イタリアの建築家ガエ・アウレンティの改修により19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わっています。
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今回はオルセー美術館の看板で記念写真を撮るだけでした。。
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美術館の入り口に置かれたブロンズ像はフランスの彫刻家アルフレッド・ジャックマートの作品で、パリの1878年の世界博覧会のために作成されました。
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プティ・パレに飾ってあるジュール・アーネスト・ルノーの絵によると、このブロンズ像はシャイヨー宮のエッフェル塔の望める展望台に置かれていたようです。プティ・パレでこの絵を発見したときは何か謎を解いたような気持になりました。「ダ・ヴィンチ・コード」ほどではありませんが。
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同じく躍動感のある像は彫刻家エマニュエル・フレミエの作品で「罠にかけられた若い象」です。
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この作品もジュール・アーネスト・ルノーが描いていて、サイの像と一緒にシャイヨー宮に置かれていたことが分かります。
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セーヌ川の上流から太陽が上がってきました。10月下旬のパリの日の出は大体9時前でした。
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サンゴール橋の上からセーヌを見渡してみると、コンコルド橋とグラン・パレに朝日があたって輝いています。
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橋の計画は1725年にルイ15世広場(現在のコンコルド広場)の整備とともに始まり、この場所にあった渡し船を廃止して橋に置き換えるためだったそうです。名前がルイ16世橋から革命橋、そしてコンコルド(調和)橋と二転三転したことで知られています。
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レオポール・セダール・サンゴール橋には恋人たちがつけた鍵がたくさん残っています。
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セーヌ河畔には営業用の船も多いですが「ペニッシュ」と呼ばれるフランスで運搬用に使われている平底船に住む人も多いようです。廃船になったペニッシュを改造して住居にするのがヨーロッパでは流行のようです。
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朝日が昇るとルーブル宮殿がシルエットになってとてもきれいでした。
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レオポール・セダール・サンゴール橋はセーヌ河畔と上の道にアクセスできる便利なデザインです。ここからもう一度河畔に降ります。オルセー美術館とテュイルリー庭園を結んでいる現在の橋の設計を行ったのはマルク・ミムラムという構造家です。
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橋の上から見下ろす風景もよいですが、同じ視線の高さから見る景色もまたいいです。
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パリ市内に係留できる場所は限られているので、ハウスボ-トを係留する権利は順番待ちだそうです。市の中心部のこの辺りだと月10万円くらいするそうです。
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姪と合流して予約しておいたパリ・カナル社のサン・マルタン運河クルーズ船に乗船します。200人乗りの船にこの日のお客は30人くらいでした。
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おばちゃんはかわいがっていた姪と久しぶりの再会です。数日前に指を怪我して仕事を数日休んでいるそうです。2人にとってはクルーズよりも積もる話をする方が楽しそうです。
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船は9時30分の定刻に出航しました。折角歩いてきた道を戻るようにセーヌ河を進みます。歩くと結構時間がかかりましたがが船だとあっという間です。
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川を行きかう船は右側通行なのでシテ島に向かって右側の狭い方の水路を進みます。
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ポン・ヌフを潜ってシテ島を左に見ながら進むとドゥブル橋と「ノートルダム大聖堂」が現れます。
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19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装された建物は2019年4月15日に大火災で焼け落ちているのでこの姿を見ることはしばらく出来そうもありません。
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クルーズ船はシテ島を越えてサン・ルイ島の先で一度停泊して運河の信号が変わるのを待ちます。
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その近くでは懐かしい「ヨット・ド・パリ」のボートが見えます。我が家が21世紀最初に行ったレストランはこの会社のクラシックなヨットでした。2000年の暮れに滞在していたホテルのコンシェルジュに予約をお願いしておいたのですが、年末年始の休みに入ってしまい予約が出来なくて諦めていました。パリ最終日の1月3日の夕方にホテルに戻ると「予約が取れましたよ。」と伝えられて、慌てて着替えてタクシーを飛ばした記憶があります。
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4テーブルくらいのクラシックなヨットの暖炉には火が入り、とてもロマンチックだったのを覚えています。チップも手持ちの米ドルで払って、帰りのタクシー代分のフランスフランが足りなくなり、シャンゼ・リゼ通りのキャバレー・リドの前で降ろしてもらい、妻と2人で凱旋門の先のホテルまで戻った思い出もあります。
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信号が変わりアンリ4世通りの下を潜ってサン・マルタン運河入ります。雰囲気がちょっと都内の首都高速道路の下の運河のようでもあります。この先はセーヌ川の水面より高いところに登っていくのでいくつもの水門を越えることになります。
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バスティーユの手前のヨットの係留所に入る手前からロック(閘門)が始まります。まずは船尾側の水門が閉じられ、船首側の水門から水が流れ込みます。
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そして水が上流側と同じになったところで船首側の水門が開けられて上流へ進むことができます。
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最初のロックは4メートルくらいの高低差で、約10分くらいで満水になり先へ進むことが出来ました。
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この辺りはマリーナ・アルスナルと呼ばれるヨットなどの係留所です。ざっと200艘ほどの大小の船やボートやヨットが停泊しています。クルーズ会社によってはこの港から発着するものもありますが、セーヌ川クルーズが余分についているのでパリ・カナル社を選びました。
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モリネー通りの1900年代の典型的な鉄骨の歩道橋の先には「バスティーユ広場」の革命記念柱が見えました。
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アルスナル港に停泊している船はどれも個性的です。
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バスティーユ広場は革命後の1792年にできた古い広場で、もともとはバスティーユ牢獄があった場所ですが、1789年7月14日にフランス革命の発端ともいえるバスティーユ襲撃事件が発生した後に解体されたため牢獄の痕跡は残っていません。自分の誕生日が7月14日なのでちょっと他の人とは見る目が違います。
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セーヌ河では船のスピードもあり少々肌寒かったですが、サン・マルタン運河に入るとスピードも緩やかになりポカポカと暖かさを感じます。カモメの日向ぼっこしています。
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進行方向には大きなトンネルがあり、バスティーユ広場の下を通過するのだということが想像できます。黄金の天使が乗った革命記念柱は1830年のフランス7月革命を記念して建てられましたが、その記念柱が建つ前にここには巨大な象の像を置くアイディアがあったそうです。ナポレオン1世が思いついたもので、フランス革命後の記念碑(勝利のモニュメント)として青銅製の巨大な象の彫刻を建てる予定でした。その後ナポレオンの指示により、建築家アラヴォワーヌによる高さ24メートルの巨大な象が原寸大の模型として石膏で造られます。
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模型を元にした本体の建設工事はナポレオンがワーテルローの戦いに敗れた1815年に中止となります。そして象の模型だけがそのまま広場に取り残されました。ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」では主人公の隠れ家として登場することによって永遠に記憶に留められることになります。その台座の上に現在の記念柱が建っています。
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ここからは長大な地下水路を進むことになりますが、サン・マルタン運河のクルーズの1つのハイライトでもあります。
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最初は船首側にサーチライトが燈され、前方が先の方まで見るのでびっくりします。
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周囲はいつ積まれたのか分からない古い煉瓦積のトンネルです。そこを結構なスピードで進むのでスリルを味わえます。
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そのうちに数十メートルおきに円形の明り取りの開港が続いていきます。その部分だけ水面が明るいので未来的な印象を受けますが、1825年に完成いた古い運河です。
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セーヌ川から終点のサン・ドニ運河までは4.5キロにも及びますが、そのうち地下運河部分の総延長は1853メートルにもなるそうです。
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広い船にお客は少ないのでみなさんバラバラに気ままにクルーズを楽しんでいます。
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周りの景色が見えなくても楽しめます。位置的にはリシャール・ルノワール通りの地下を通っていることになります。この通りを通っているときに中央分離帯に見えた円筒形の意味がこれで分かりました。
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地下運河をっとり抜けるとすぐにロック(閘門)がありました。
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トンネルを抜けると秋の色濃い美しい運河に出ました。ちょうど錦秋という言葉が似合いそうな色づき具合でした。
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ここからはロックの連続ですので、歩いたほうが絶対に早くラ・ヴァレット公園に着く気がします。サン・マルタン運河の水位差は26メートルあり、ここでは9個のロック(閘門)があるので1か所は約3メートルになる計算です。
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水門の開口部は上中下の3段に分かれているようで、水位によって使い分けているようです。
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屋ッと水門が開いたと思ったらその先にも水門が見えました。これでは絶対に歩いたほうが早いでしょう。全長が4.5キロであれば1時間かからないですから。
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のどかな秋の景色を楽しみながらゆっくり船は進みます。寒かったらたまりませんが前方のデッキの椅子に座って日向ぼっこしながらなのでここがパリの中心だということも忘れそうです。両側に護岸の壁があるので車の音も聞こえては来ません。
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話が一段落したのか2人が出てきました。が、すぐにキャビンに戻ってしまいました。
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それぞれのロックには係員がついているのですから驚きです。ヨーロッパは運河大国で、一度パリでヨットを借りてセーヌ河を下り、もう一度パリに戻ってからローヌ河をアルルまで下る計画を立てたことがあります。全ルートの河川地図を揃えたまでは良かったのですが1991年から頓挫しています。
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マロニエやプラタナスや菩提樹の並木が並ぶ少し広い運河に出ました。この辺りになると車道と水面がほぼ同じ高さまでになっています。アメリが水切りをしたのはこの辺りだったでしょうか。
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サンマルタン運河の魅力の1つはアーチ型の歩道橋で、これは運河の竣工当時から変わっていないそうです。そしてその横には自転車や車が通るための仕掛けがあります。
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運河と道路の高さに差があまりないので船が通る時は道路が90度回転して船を通します。随分のんびりしたシステムですが、車の人も気長に待っています。跳ね上げ式の道路は見たことがありますが、回転式の道路を見るのは初めてでした。
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回転式の車道を2か所通過するとまた水路は狭くなります。ということはロックが待っているということです。
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本当に穏やかな秋の景色です。風も無く暖かい日でよかったです。
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いくつもの橋を潜ります。運河を航行するクルーズ船は1日に数本しかないのか道行く人も船がロックを通過するのを眺めています。サン・マルタン運河は1825年に建設され、穀物や建設材料などをパリ市内に運ぶ運搬船が行き交うようになりました。活気あふれるエリアとなりましたが、現在はそんな運行船も廃止されて長い間あまり活気のないエリアだったそうです。
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マルセル・カルネの映画で有名な「北ホテル」です。昔は映画と同名のHOTEL DU NORD(オテル・デュ・ノール)というホテルとして営業していましたが、現在はレストランになっています。
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一時は建物の老朽化により取り壊される話も出ましたが、地域住民からの強い反対でレストランカフェとして1995年に改装されました。マルセル・カルネ監督のアシスタントで「北ホテル」の映画にも出演していたジェームズ・アルシュさんがオーナーとして経営してるそうです。
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旅行前に父から「北ホテル」という映画の話は聞いていたので、立ち寄れなくても見る事が出来て良かったと思いました。
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この水門はかなり背が低いのでこの先の水路と高低差があまりないのと水位が浅いことが分かります。平底の船でないと座礁してしまいそうです。
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すでにいくつのロックを通過したのか忘れてしまいました。それくらい同じような水門がいくつもあります。
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上流側から船が来るようなのでかなり手前でクルーズ船は停泊しました。
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しばらくするとアンティークな木製の船がやってきたのでびっくりです。今回の3時間のクルーズで船とすれ違ったのはこの時だけでした。
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折り畳み式のマストを立てて帆を張るとどんな感じで航行するのでしょうか。見てみたい気がする素敵な船でした。船べりの羽のような板は揺れを防止するフィンスタビライザーのような効果があるのでしょうか。ご夫婦が手を振ってくれました。
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直進する運河とその上を直角に車道が通り、その上には高架になった地下鉄の鉄橋が斜めに走っています。
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ここを抜けるとサン・マルタン運河も終わりで、その先はヴィレット貯水池と名前が変わります。
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入れ替わりで我々のクルーズ船がロックに入りましたが、ここが一番高低差があったようです。一番大きな水門が目の前に迫っています。
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前半の迫力のある注水も最後になるとこんなチョロチョロした水の流れで水位は同じになります。
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最後の水門に到着しました。
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周囲は色づいたプラタナスの木々で覆われています。少し薄暗いロックの中にいるので余計頭上の木々が輝いて見えます。
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最初のうちはロックを越えるのを面白がって眺めていた乗客もこの頃には誰もいなくなっていました。
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カノラマ社の船はこの先が発着所になりますが、パリ・カナル社の船はラ・ヴィレット公園が港なのでかなり得した気分になります。この船着き場の左右にはMK2というシネコンプレックスの大きな建物が並んでいます。
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ここからはヴィレット貯水池と名前が変わり、町並みも現代的な感じがします。
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清掃船に乗ったどこかの撮影クルーとすれ違いました。こちらは全員で手を振って映してもらいますが、何の撮影だったかは分かりません。
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この橋はワイヤーを使った昇降式になっています。
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いろいろなシステムをよく思いつくなと感心します。日本ではほとんど存在しないシステムですから良い経験が出来ました。
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そろそろ終点のラ・ヴィレット公園のようです。宮崎駿のアニメに出てきそうな船が停泊していました。並んだ丸窓が「未来少年コナン」のバラクーダ号のようです。
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ラ・ヴィレット公園の船着き場に到着しました。船内で案内の放送をしてくれたお兄さんはフランス人らしいウィットとユーモアのあるとても気さくで面白い人でした。
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クルーズ船はお客を下すとどこかへ行ってしまいました。午後は同じコースでセーヌ川の船着き場まで戻るのでしょう。
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ここはとても広い公園でたくさんの家族連れが日向ぼっこしていました。パリの町にはたくさんのカルーゼルがありますが、町並みにマッチしてよく似合います。
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9時半にオルセー美術館前を出港して12時半に到着したので3時間という長丁場のクルーズでしたがとても面白かったです。船にはドリンクのベンダーもあるので9時半出航の場合は朝食用の軽食、午後の場合はお菓子など持ってきたほうが良いと思いました。綺麗なトイレも完備ですから安心です。
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巨大な「シテ科学産業博物館」の球体の建物は映画館のようです。近くのポルト・デ・ラ・ヴィレット駅から地下鉄で東駅まで移動することにします。
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東駅の近くのサン・ドニ門のある通りに姪の間借りしているアパートがあるので行ってみることにします。
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東駅に到着しました。ここから北駅まで歩いてアメリが写真を貼った本を拾う階段にも行こうと思いましたが、お腹が空いた妻から却下されました。この場所はロマン・デュリスがルパンを演じた映画「ルパン」で馬車が爆破されるエンディングにも出てくるので行きたかったのですが。
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この駅には特に思い入れも無いので外観の写真だけを撮ることにしました。
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東駅全景を撮ってこの日のサン・マルタン運河クルーズは終わりです。2000年の年末年始の旅では妻の反対で船に乗ることが出来ませんでしたが、天候の良いこの時期でよかったと思います。いずれにせよ11年の念願が叶った日にはなりました。
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