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“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”           <br />:黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・<br />シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森: <br /><br />期間 2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間の旅<br /><br />目的地:今回の旅の目的地はBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州と呼ばれている、ドイツの南西部の地域が中心の旅になります。<br /><br />*4月19日、Frankfurterkreuzにて直ぐE5に入り、空港から南へくだる。<br />快晴の春、時速100kmを越えぬ程度で走り出す。今日は初日なのでホテルも近距離の50km先に取ってある。―>E5/E67 20km(Darmstadt)->B3(Pfungstadt-Ost)この道はヘッセン州の下部にあたり、ライン川の渓谷とオーデンの森の急な勾配の間にある細長い地域に古くから道ができていて、ローマ人がすでに“山の道”と呼んでいた。<br /><br />その山岳街道・Bergstrasseベルクシュトラーセは、と言っても私には山と言うよりも丘陵地帯といったものである。国道3号線に沿って、ドイツワイン生産地区13の1つであるHessische Bergstrasse Weinへシッシュ・ベルクシュトラーセワインのブドウ畑が続き、ロマンチックな小さな町々が点在する。<br />特に早春には、果樹栽培の多い北部は花の海に覆われ、南の部分にはなだらかな斜面にブドウ畑の光景が楽しめる。<br />―>B3 31km 山岳道路に沿ったワイン産地の町 Bensheimベンスハイム・Hotel Bacchus(酒神)ホテル・ヴァッカスには17:00に何事も無く到着した。<br /><br />写真はAspergアスペルク・Hotel Adlerホテル アドラー(鷲):Restaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食。

シュヴァーベン地方の片田舎Aspergアスペルクにもミシュラン1星を得たホテル アドラー(鷲)がある。

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2007/04/20 - 2017/04/20

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旅行記グループ ドイツの美味なるもの

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jijidaruma

jijidarumaさん

“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”           
:黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

期間 2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間の旅

目的地:今回の旅の目的地はBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州と呼ばれている、ドイツの南西部の地域が中心の旅になります。

*4月19日、Frankfurterkreuzにて直ぐE5に入り、空港から南へくだる。
快晴の春、時速100kmを越えぬ程度で走り出す。今日は初日なのでホテルも近距離の50km先に取ってある。―>E5/E67 20km(Darmstadt)->B3(Pfungstadt-Ost)この道はヘッセン州の下部にあたり、ライン川の渓谷とオーデンの森の急な勾配の間にある細長い地域に古くから道ができていて、ローマ人がすでに“山の道”と呼んでいた。

その山岳街道・Bergstrasseベルクシュトラーセは、と言っても私には山と言うよりも丘陵地帯といったものである。国道3号線に沿って、ドイツワイン生産地区13の1つであるHessische Bergstrasse Weinへシッシュ・ベルクシュトラーセワインのブドウ畑が続き、ロマンチックな小さな町々が点在する。
特に早春には、果樹栽培の多い北部は花の海に覆われ、南の部分にはなだらかな斜面にブドウ畑の光景が楽しめる。
―>B3 31km 山岳道路に沿ったワイン産地の町 Bensheimベンスハイム・Hotel Bacchus(酒神)ホテル・ヴァッカスには17:00に何事も無く到着した。

写真はAspergアスペルク・Hotel Adlerホテル アドラー(鷲):Restaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • 【Schwabenシュヴァーベン地方の片田舎Aspergアスペルクにも、ミシュラン1星を得たHotel Adlerホテル アドラー(鷲)のRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベがある。】<br /><br /><三つの世界遺産巡り><br />4.20(金) 快晴 15~20℃、午前中は涼しい風 207km<br /><br />フランクフルトから南下すると、Bergstrasse山岳街道がある。街道沿いにあるBensheimベンスハイムの町を7:10にスタートし、三つの世界遺産巡り:Lorschロルシュ・世界遺産Kloster Alten Muenster帝国僧院跡、Speyerシュパイヤー・世界遺産Dom Speyer大聖堂、世界遺産Kloster  Maulbronnマウルブロン僧院を訪れてから、<br />Mark-Groeningenマルクグレーニンゲン・町役場、木組み建築の家並み 17:11~17:25 ―>L? 7km Tammタム ・Hotel Historischer Gasthof Ochsenオクゼン(雄牛)に 17:40着。<br />隣町にある L?3.5km Aspergアスペルク・ Hotel Adlerホテル アドラーにて夕食19:10~21:50 ―>L? 3.5km  Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル オクゼンに22:00着。<br /><br />翌日、一年ぶりにドイツの豊かな朝食を楽しんだ後、7:10 Hotel Bacchus(酒神)ホテル・ヴァッカスをスタートする。<br />いつもの事ながら、時差の関係で5時半、早い目覚めになる。<br />体調はすこぶる良いので、朝の時間を最大に利用する事にする。<br /><br />写真は<使用レンタカー>VW Golf-Goal 1.6 5T(1600CC)オートマチック・エアコン付き。<br />

    【Schwabenシュヴァーベン地方の片田舎Aspergアスペルクにも、ミシュラン1星を得たHotel Adlerホテル アドラー(鷲)のRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベがある。】

    <三つの世界遺産巡り>
    4.20(金) 快晴 15~20℃、午前中は涼しい風 207km

    フランクフルトから南下すると、Bergstrasse山岳街道がある。街道沿いにあるBensheimベンスハイムの町を7:10にスタートし、三つの世界遺産巡り:Lorschロルシュ・世界遺産Kloster Alten Muenster帝国僧院跡、Speyerシュパイヤー・世界遺産Dom Speyer大聖堂、世界遺産Kloster Maulbronnマウルブロン僧院を訪れてから、
    Mark-Groeningenマルクグレーニンゲン・町役場、木組み建築の家並み 17:11~17:25 ―>L? 7km Tammタム ・Hotel Historischer Gasthof Ochsenオクゼン(雄牛)に 17:40着。
    隣町にある L?3.5km Aspergアスペルク・ Hotel Adlerホテル アドラーにて夕食19:10~21:50 ―>L? 3.5km Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル オクゼンに22:00着。

    翌日、一年ぶりにドイツの豊かな朝食を楽しんだ後、7:10 Hotel Bacchus(酒神)ホテル・ヴァッカスをスタートする。
    いつもの事ながら、時差の関係で5時半、早い目覚めになる。
    体調はすこぶる良いので、朝の時間を最大に利用する事にする。

    写真は<使用レンタカー>VW Golf-Goal 1.6 5T(1600CC)オートマチック・エアコン付き。

  • 世界遺産のKloster Maulbronn マウルブロン僧院から更にStuttgartシュトゥットガルトに向けて走りつづける。―>B35(Illingenイリンゲン)B10/L?34kmで <br />Mark-Groeningenマルクグレーニンゲンに17時過ぎに着いた。<br /><br />この町は木組み建築の家並の小さな町(人口は14,865人)である。<br />「ドイツ木組みの家街道」を構成する町の1つである。<br /><br />写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン:美しいRathaus町役場<br />

    世界遺産のKloster Maulbronn マウルブロン僧院から更にStuttgartシュトゥットガルトに向けて走りつづける。―>B35(Illingenイリンゲン)B10/L?34kmで 
    Mark-Groeningenマルクグレーニンゲンに17時過ぎに着いた。

    この町は木組み建築の家並の小さな町(人口は14,865人)である。
    「ドイツ木組みの家街道」を構成する町の1つである。

    写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン:美しいRathaus町役場

  • *Schwabenシュヴァーベン(アレマン語はSchwobe)は、ドイツ南西部の地域を云う。おもにシュヴァーベン語を言語とするアレマン系シュヴァーベン人が多く、宗教はカトリックが大部分を占める。<br />地理的にはバーデン・ヴュルテンベルク州の中東部・南東部を中心(シュトゥットガルトやウルムなど)として、バイエルン州南西部などを含む一帯を指すが、現在となってはやや漠然とした、歴史的な地方名称として残存している。 <br />Bayerisch-Schwabenバイエルンのシュヴァーベンと称する地域、アウクスブルクを中心としたバイエルン州南西部の行政地区に「シュヴァーベン」という名が残っている。<br />地理的にイタリア(北イタリア)とも遠くないため、バイエルン、ケルンテンと同様に他のドイツ地域と異なりパスタ、ピザなどの郷土料理も多い。<br />ドイツ南部では伝統的に「シュヴァーベン人」といえば「田舎者」の代名詞とするような慣習もある。一方で、分をわきまえた倹しい精神の象徴としても引き合いに出される。<br />2008年9月のリーマン・ブラザーズ(ドイツ系ユダヤ人が創始者)破綻の際、メルケル首相(当時)は「欧米の窮状の理由を知りたければ、『シュヴァーベンの主婦』に聞くがいい」と述べたと。<br /><br />写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン:町の案内図

    *Schwabenシュヴァーベン(アレマン語はSchwobe)は、ドイツ南西部の地域を云う。おもにシュヴァーベン語を言語とするアレマン系シュヴァーベン人が多く、宗教はカトリックが大部分を占める。
    地理的にはバーデン・ヴュルテンベルク州の中東部・南東部を中心(シュトゥットガルトやウルムなど)として、バイエルン州南西部などを含む一帯を指すが、現在となってはやや漠然とした、歴史的な地方名称として残存している。
    Bayerisch-Schwabenバイエルンのシュヴァーベンと称する地域、アウクスブルクを中心としたバイエルン州南西部の行政地区に「シュヴァーベン」という名が残っている。
    地理的にイタリア(北イタリア)とも遠くないため、バイエルン、ケルンテンと同様に他のドイツ地域と異なりパスタ、ピザなどの郷土料理も多い。
    ドイツ南部では伝統的に「シュヴァーベン人」といえば「田舎者」の代名詞とするような慣習もある。一方で、分をわきまえた倹しい精神の象徴としても引き合いに出される。
    2008年9月のリーマン・ブラザーズ(ドイツ系ユダヤ人が創始者)破綻の際、メルケル首相(当時)は「欧米の窮状の理由を知りたければ、『シュヴァーベンの主婦』に聞くがいい」と述べたと。

    写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン:町の案内図

  • 特に独特の茶色で木の柱・梁を塗っている5階建ての町役場が名高い。マルクト広場はこの庁舎やレストランなどの木組みの家で囲まれて、楽しい空間だった。<br />時間も無くて、ちょっぴり街歩きをしただけだが。<br />17:25、Tammタムのホテルに向かう。<br /><br />写真はマルクグレーニンゲン:マルクト広場で町役場をバックに。

    特に独特の茶色で木の柱・梁を塗っている5階建ての町役場が名高い。マルクト広場はこの庁舎やレストランなどの木組みの家で囲まれて、楽しい空間だった。
    時間も無くて、ちょっぴり街歩きをしただけだが。
    17:25、Tammタムのホテルに向かう。

    写真はマルクグレーニンゲン:マルクト広場で町役場をバックに。

  • 「ドイツ木組みの家街道」に属するだけに、町一番のホテルは1473年築の木組みの家である。<br />Hotel &quot;Zum treuen Bartelホテル ツム トロイエン バーテル&quot;<br />D-71706 Markgröningen 、Marktplatz 11<br /><br />写真はマルクグレーニンゲン:木組みの家にこんな飾り(羊飼い)が似合う。

    「ドイツ木組みの家街道」に属するだけに、町一番のホテルは1473年築の木組みの家である。
    Hotel "Zum treuen Bartelホテル ツム トロイエン バーテル"
    D-71706 Markgröningen 、Marktplatz 11

    写真はマルクグレーニンゲン:木組みの家にこんな飾り(羊飼い)が似合う。

  • 今夜の宿は明日Ludwigsburgルートヴィヒスブルクの陶磁器(ルートヴィヒスブルグ磁器を中心にマイセンなど、高級陶磁器が展示されている)を見るために、できるだけその近くに宿を取った。<br />そして、ついでにミシュランの星付きレストランを探してみた。<br />幸い直ぐ近くの隣町に見つけた。<br /><br />L?を7km走ると、Tammタム に至る。<br />Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)  は小さな町のメイン道路の真中辺に、歴史を感じる旧町役場の前にあった。<br />17:40に到着した。<br /><br />写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン=>Tammタム=>Aspergアスペルク=>ルートヴィヒスブルクのMap

    今夜の宿は明日Ludwigsburgルートヴィヒスブルクの陶磁器(ルートヴィヒスブルグ磁器を中心にマイセンなど、高級陶磁器が展示されている)を見るために、できるだけその近くに宿を取った。
    そして、ついでにミシュランの星付きレストランを探してみた。
    幸い直ぐ近くの隣町に見つけた。

    L?を7km走ると、Tammタム に至る。
    Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)  は小さな町のメイン道路の真中辺に、歴史を感じる旧町役場の前にあった。
    17:40に到着した。

    写真はMark-Groeningenマルクグレーニンゲン=>Tammタム=>Aspergアスペルク=>ルートヴィヒスブルクのMap

  • 写真はホテルで入手した「HISTORIK HOTELS由諸あるホテル」:加盟40ホテルのリスト2006~07版・・・勿論、Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)はメンバーでリストに載っている。

    写真はホテルで入手した「HISTORIK HOTELS由諸あるホテル」:加盟40ホテルのリスト2006~07版・・・勿論、Hotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)はメンバーでリストに載っている。

  • Tammタム はバーデン・ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のルートヴィヒスブルク郡に属す町で、人口12,700人と地域では大きい町だ。<br /><br />旧市街の中心部に歴史的建造物群がある。<br />町役場、1450年頃に建設された後期ゴシック様式のバルトロメウス教会、パン焼き小屋、1泊の宿泊を決めた由緒ある(歴史的な)ホテル「オクゼン」などである。<br /><br />写真はHotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の飾り。<br />     <br />

    Tammタム はバーデン・ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のルートヴィヒスブルク郡に属す町で、人口12,700人と地域では大きい町だ。

    旧市街の中心部に歴史的建造物群がある。
    町役場、1450年頃に建設された後期ゴシック様式のバルトロメウス教会、パン焼き小屋、1泊の宿泊を決めた由緒ある(歴史的な)ホテル「オクゼン」などである。

    写真はHotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の飾り。
         

  •  (1泊)  Hotel Historischer Gasthof Ochsen<br />ホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛) <br />D-71732 Tamm 、Hauptstrasse 40-42<br />Euro 77 (週末料金) ;3星、全17室、1号室(地上階)<br />Tel:49(0)7141-2999555 <br /><br />タムの町役場前に立つ建物は14世紀に創業された、歴史ある木組み建築のホテル・オクゼンである。珍しく、部屋は地上階の奥まった所にあり、レセプションから一度2階にあがって、通路をぐるりと回って、階段を下がった所でした。<br />部屋の中は広く、贅沢なほど木が使われた部屋で、木組み建築の家であることを誇るだけのことはある。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はHotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)正面 

    イチオシ

    地図を見る

    (1泊) Hotel Historischer Gasthof Ochsen
    ホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛) 
    D-71732 Tamm 、Hauptstrasse 40-42
    Euro 77 (週末料金) ;3星、全17室、1号室(地上階)
    Tel:49(0)7141-2999555 

    タムの町役場前に立つ建物は14世紀に創業された、歴史ある木組み建築のホテル・オクゼンである。珍しく、部屋は地上階の奥まった所にあり、レセプションから一度2階にあがって、通路をぐるりと回って、階段を下がった所でした。
    部屋の中は広く、贅沢なほど木が使われた部屋で、木組み建築の家であることを誇るだけのことはある。

    ・・・・・

    写真はHotel Historischer Gasthof Ochsenホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)正面 

    ヒストリックホテル オクスン ホテル

    Tammタム:由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)は文字通り、歴史ある木組み建築だった。 by jijidarumaさん
  • ホテルの周辺を見て回ったが、あたりまえだが裏手の様子も木組みの家だ。<br /><br />写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の裏手 

    ホテルの周辺を見て回ったが、あたりまえだが裏手の様子も木組みの家だ。

    写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の裏手 

  • 写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の駐車場には他にも何台かが駐車していた。こうしたホテルを好む旅行客がいるのだ。

    写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の駐車場には他にも何台かが駐車していた。こうしたホテルを好む旅行客がいるのだ。

  • 休憩後、まだ明るい道を隣町にある(L?3.5km)150年の歴史あるホテルに向かう。<br /><br />Aspergアスペルグ(人口12.5千人)の町はルートヴィヒスブルク郡に属し、ホーエンアスペルク山(ホーエンアスペルク要塞がある)の麓に広がる町である。<br /><br />この地域には数多くのケルト時代の墓(代表的なものとしてKleinaspergleクラインアスペルグレ墳丘墓・・・古墳の直径は60 m、高さは7.60 m、深さ1.20 m、幅2.50 mの円形の溝に囲まれている)が見られるが、やはりこの町は先述したホーエンアスペルク要塞が中心だろう。<br /><br />その麓の町に150年4代もの間Ottenbacherオッテンバッハー家が営む4星ホテルがある。<br /><br /><Hotel Adlerホテル アドラー(鷲)><br />D-71679 Asperg 、Stuttgarter Str. 2、<br />4星、全70室<br />Tel:49(0)7141-26600  http://www.adler-asperg.de   <br /><br />150年4代の歴史をもつ木組み建築のホテル。<br />このホテルのRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベはミシュラン1星(16.2点)を2007年に始めて獲得した。ゴー・ミョー15点 、Schlemmer Atlas 15.3点:全独レストラン順位は218番。<br />ミシュラン星付きシェフ・Herald Derfussヘラルト・デルフスはシュヴァーベン地方や、インターナショナルな料理を得意とする。60席。<br /><br />*シュヴァーベン地方はグルメの地方と言われている(後述)。<br /><br />写真はHotel Adlerホテル アドラー(鷲)の前景

    休憩後、まだ明るい道を隣町にある(L?3.5km)150年の歴史あるホテルに向かう。

    Aspergアスペルグ(人口12.5千人)の町はルートヴィヒスブルク郡に属し、ホーエンアスペルク山(ホーエンアスペルク要塞がある)の麓に広がる町である。

    この地域には数多くのケルト時代の墓(代表的なものとしてKleinaspergleクラインアスペルグレ墳丘墓・・・古墳の直径は60 m、高さは7.60 m、深さ1.20 m、幅2.50 mの円形の溝に囲まれている)が見られるが、やはりこの町は先述したホーエンアスペルク要塞が中心だろう。

    その麓の町に150年4代もの間Ottenbacherオッテンバッハー家が営む4星ホテルがある。

    <Hotel Adlerホテル アドラー(鷲)>
    D-71679 Asperg 、Stuttgarter Str. 2、
    4星、全70室
    Tel:49(0)7141-26600  http://www.adler-asperg.de

    150年4代の歴史をもつ木組み建築のホテル。
    このホテルのRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベはミシュラン1星(16.2点)を2007年に始めて獲得した。ゴー・ミョー15点 、Schlemmer Atlas 15.3点:全独レストラン順位は218番。
    ミシュラン星付きシェフ・Herald Derfussヘラルト・デルフスはシュヴァーベン地方や、インターナショナルな料理を得意とする。60席。

    *シュヴァーベン地方はグルメの地方と言われている(後述)。

    写真はHotel Adlerホテル アドラー(鷲)の前景

    Hotel Adler Asperg ホテル

  • 19時にレストランの金色のAdler鷲が描かれた入口を入る。<br />奥の窓辺の席に案内されて内部を見渡すと、レストランは殆ど満席になっている。<br /><br />スタッフのお嬢さんもこちらが日本人なので、やはり緊張している。<br />こちらも緊張するのは注文するまでだが、同じように緊張するのだ。<br /><br />お隣はお祖父さんの誕生日祝いの席だ。老夫婦に、息子夫婦、孫の男女と6人のグループが来て、親しくホテルの老オーナーに挨拶している。このオーナーは私共の席にも挨拶に来たが、なんとなく東洋人に違和感があるのだろう、ぎこちない感じだった?!<br />凡そ2時間半の間に何度も老オーナー、オーナー夫人、その息子がお客の席に『お料理はお気に召しましたか?』と伺いに来た。<br />殆どが地元のお客さんらしく、顔見知りのようだ。<br />レストランには、今回初めてミシュランの星を獲得した勢いが見える。<br /><br />写真は旅行で楽しんだドイツレストラン格付け:2001~8年 Volkenborn Hitlisten スキャン

    19時にレストランの金色のAdler鷲が描かれた入口を入る。
    奥の窓辺の席に案内されて内部を見渡すと、レストランは殆ど満席になっている。

    スタッフのお嬢さんもこちらが日本人なので、やはり緊張している。
    こちらも緊張するのは注文するまでだが、同じように緊張するのだ。

    お隣はお祖父さんの誕生日祝いの席だ。老夫婦に、息子夫婦、孫の男女と6人のグループが来て、親しくホテルの老オーナーに挨拶している。このオーナーは私共の席にも挨拶に来たが、なんとなく東洋人に違和感があるのだろう、ぎこちない感じだった?!
    凡そ2時間半の間に何度も老オーナー、オーナー夫人、その息子がお客の席に『お料理はお気に召しましたか?』と伺いに来た。
    殆どが地元のお客さんらしく、顔見知りのようだ。
    レストランには、今回初めてミシュランの星を獲得した勢いが見える。

    写真は旅行で楽しんだドイツレストラン格付け:2001~8年 Volkenborn Hitlisten スキャン

  • 【レストランお勧めのAdler Menueアドラー メニュー】<br /> (19:10~21:50 Euro165 @168.86(当時も円安だった)=27,862円) <br /><br />お願いした今夕の料理はアドラー メニュー、一人Euro55と比較的安い。<br /><br />前菜:<br />『キャビアがのったサーモンの小片、燻製したマスのムースにアスパラ添え、良く焼いた豚の血入り黒ソーセージ』、それらが細長い白のお皿にのってでてきました。<br />いずれも次のステップが期待できるような味です。<br /><br />写真はAspergアスペルク・Hotel Adlerホテル アドラー:Restaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食・前菜。

    イチオシ

    【レストランお勧めのAdler Menueアドラー メニュー】
    (19:10~21:50 Euro165 @168.86(当時も円安だった)=27,862円)

    お願いした今夕の料理はアドラー メニュー、一人Euro55と比較的安い。

    前菜:
    『キャビアがのったサーモンの小片、燻製したマスのムースにアスパラ添え、良く焼いた豚の血入り黒ソーセージ』、それらが細長い白のお皿にのってでてきました。
    いずれも次のステップが期待できるような味です。

    写真はAspergアスペルク・Hotel Adlerホテル アドラー:Restaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食・前菜。

  • お酒:<br />食前に辛口のシェリー酒、<br />車で来ていた事もあって、ワインはハーフボトルにした。<br />1999年ボルドーのSt.Emillionサン・テミリオン・ Chateau La Serre1Cruシャトー ラ セール プルミエ クリュ(メルロー80%、ルビー色がやや紫がかった色、果実味、黒チェリーの香り、甘めでしっかりしたタンニン、Euro31.5)は時差ぼけの身体にはちょうど良い量でした。<br /><br />この日は旅の2日目で、世界遺産3か所と見るべきものが多く、結構疲れた。<br />だからまだ2品目あたりで、酔いが回って、少々眠気が来た。<br />写真の顔は締まりなく、ぼっとしている。<br /><br />写真はRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食:2品目

    お酒:
    食前に辛口のシェリー酒、
    車で来ていた事もあって、ワインはハーフボトルにした。
    1999年ボルドーのSt.Emillionサン・テミリオン・ Chateau La Serre1Cruシャトー ラ セール プルミエ クリュ(メルロー80%、ルビー色がやや紫がかった色、果実味、黒チェリーの香り、甘めでしっかりしたタンニン、Euro31.5)は時差ぼけの身体にはちょうど良い量でした。

    この日は旅の2日目で、世界遺産3か所と見るべきものが多く、結構疲れた。
    だからまだ2品目あたりで、酔いが回って、少々眠気が来た。
    写真の顔は締まりなく、ぼっとしている。

    写真はRestaurant Schwabenstubeレストラン シュヴァーベンシュテューベにて夕食:2品目

  • 2品目:<br />『雛鳥のお肉やイセエビのロールをアミガサダケの茸を混ぜたリソット風ライスにのせた料理』<br />これはとても美味しいものでした。<br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:2品目

    イチオシ

    2品目:
    『雛鳥のお肉やイセエビのロールをアミガサダケの茸を混ぜたリソット風ライスにのせた料理』
    これはとても美味しいものでした。

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:2品目

  • メイン:<br />『トリュフのソースがかかった子牛のステーキにキャベツ・マッシュルーム包み、ジャガイモを擂りつぶして、サヤエンドウのように棒状にしたものが添えてありました』<br />棒状のものはどうもシュヴァーベン地方の名物らしいが、今一つの味で、残念ながら、料理全体が肉料理も含めて重いと感じてしまった。<br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:メイン

    メイン:
    『トリュフのソースがかかった子牛のステーキにキャベツ・マッシュルーム包み、ジャガイモを擂りつぶして、サヤエンドウのように棒状にしたものが添えてありました』
    棒状のものはどうもシュヴァーベン地方の名物らしいが、今一つの味で、残念ながら、料理全体が肉料理も含めて重いと感じてしまった。

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:メイン

  • デザート:<br />『リンゴとカラメルソースがかけられた、焼きチーズパイとバニラアイス』<br />気分も直る美味しさだ。<br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:デザート

    イチオシ

    デザート:
    『リンゴとカラメルソースがかけられた、焼きチーズパイとバニラアイス』
    気分も直る美味しさだ。

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:デザート

  • 最後は私が眠気覚ましにコーヒーを頂くと、美味しそうなチョコレートが出てきました。1個で充分に満足したので、ホテルに持って帰りたくなりました。 <br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:コーヒーとチョコレート

    最後は私が眠気覚ましにコーヒーを頂くと、美味しそうなチョコレートが出てきました。1個で充分に満足したので、ホテルに持って帰りたくなりました。 

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:コーヒーとチョコレート

  • さて、シュヴァーベン地方はドイツでもグルメの地方と言われている。<br />その名物がマウルタッシェンというもので、挽肉、ほうれん草などをパスタで包む、ドイツ風のラビオリである。<br /><br />今夕の料理も“包む”といったものが多かったのは、アドラーがシュヴァーベン地方の料理を得意としていたからでしょう。<br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:レストランの入口前で。

    さて、シュヴァーベン地方はドイツでもグルメの地方と言われている。
    その名物がマウルタッシェンというもので、挽肉、ほうれん草などをパスタで包む、ドイツ風のラビオリである。

    今夕の料理も“包む”といったものが多かったのは、アドラーがシュヴァーベン地方の料理を得意としていたからでしょう。

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:レストランの入口前で。

  • <シュヴァーベンの名物料理><br />以下に纏めてみました。ご興味あれば。<br /><br />①「Maultaschenマウルタッシェン」<br />マウルタッシェンは*Maulbronn Teigtascheマウルブロン ・タイヒタッシェの略、複数形。 <br />小麦粉の皮(パスタ生地)に玉ねぎやホウレンソウ、挽き肉やハムなどの具を詰めた料理。餃子やイタリア料理のラビオリを大きくしたイメージで、一辺が 8cm から 12cm とより大きい。通常、四角または長方形に切り分け、一人分として2つまたは4つが供される。スープやたっぷりのソースに浸して食べるのが伝統的なスタイルである。<br /><br />尚、シュヴァーベンには聖金曜日(復活祭の前の金曜日のこと。「受難日」、「受苦日」、「聖大金曜日」とも呼ばれる)にマウルタッシェンを食べる伝統がある。<br />シュヴァーベンの言い伝えによると、四旬節(しじゅんせつ)の期間に肉を食べないという宗教的な背景がありながら、どうしても肉を食べたい人がパスタ生地に包めば神様に見つからないだろうという発想からマウルタッシェンを作ったという。<br />笑い話のような起源にはシトー会の旧KLOSTER MAULBRONNマウルブロン修道院(世界遺産)の修道僧が関わったと云う。シュヴァーベン地方の方言で、この料理の俗称を「*神を騙す(だます)小さいものHerrgottsbeschesserle」 と云うそうだ。<br /><br />*Herrgotts-B&#39;scheisserle<br />Sind mit Fleisch gefüllte Maultaschen um die sich eine Legende aus dem Dreißigjährigen Krieg in einem Kloster rankt.<br />Angeblich wurde diese Spezialität von hungernden Mönchen kreiert. Ausgerechnet in der Fastenzeit fiel ihnen ein großes Stück Fleisch in die Hände. In der Hoffnung, dass der Herrgott sie nicht erwischen wird, wenn sie das Fleisch ganz klein schneiden und zwischen Spinat und anderen Zutaten in Teigtaschen verstecken<br />(意訳)マウルタッシェンは肉でいっぱいで、それには修道院での三十年戦争の伝説が絡み合っていると云う。おそらく、この特別料理は飢えた僧侶によって創られた。<br />四旬節の間(しじゅんせつでは伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われる)、いつも、大きな肉片が僧侶たちの手に入ると、肉を細かく切り、ほうれん草とパスタなど材料の間に隠し、マウルタッシェン料理を作った。<br />この時、主なる神キリストが僧侶たちの行いをとがめないことを願ったのだ。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真は2015年7月23日古城ホテル リーベンシュタイン城:名物Maultaschenマウルタッシェンのスープを頂いた。<br /><br />マールバッハから、Bietigheimビーティックハイムを通過し、Neckarwestheimネッカーヴェストハイムに向かった。村内を抜け、葡萄畑の斜面裾を、丘の上の古城ホテルに車を走らせる。<br /><br />10泊目にRinghotel Schloss Liebenstein  <br />D-74382 Neckarwestheim 、Liebenstein 1 <br />テラスレストランにて夕食を頂いた。<br />スープ:名物Maultascheマウルタッシェ(ドイツ・シュヴァーベン地方の郷土料理:パスタ生地の中にひき肉・ほうれん草・パン粉・たまねぎを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えている。)入り牛肉のコンソメ(Euro12)。<br />

    <シュヴァーベンの名物料理>
    以下に纏めてみました。ご興味あれば。

    ①「Maultaschenマウルタッシェン」
    マウルタッシェンは*Maulbronn Teigtascheマウルブロン ・タイヒタッシェの略、複数形。
    小麦粉の皮(パスタ生地)に玉ねぎやホウレンソウ、挽き肉やハムなどの具を詰めた料理。餃子やイタリア料理のラビオリを大きくしたイメージで、一辺が 8cm から 12cm とより大きい。通常、四角または長方形に切り分け、一人分として2つまたは4つが供される。スープやたっぷりのソースに浸して食べるのが伝統的なスタイルである。

    尚、シュヴァーベンには聖金曜日(復活祭の前の金曜日のこと。「受難日」、「受苦日」、「聖大金曜日」とも呼ばれる)にマウルタッシェンを食べる伝統がある。
    シュヴァーベンの言い伝えによると、四旬節(しじゅんせつ)の期間に肉を食べないという宗教的な背景がありながら、どうしても肉を食べたい人がパスタ生地に包めば神様に見つからないだろうという発想からマウルタッシェンを作ったという。
    笑い話のような起源にはシトー会の旧KLOSTER MAULBRONNマウルブロン修道院(世界遺産)の修道僧が関わったと云う。シュヴァーベン地方の方言で、この料理の俗称を「*神を騙す(だます)小さいものHerrgottsbeschesserle」 と云うそうだ。

    *Herrgotts-B'scheisserle
    Sind mit Fleisch gefüllte Maultaschen um die sich eine Legende aus dem Dreißigjährigen Krieg in einem Kloster rankt.
    Angeblich wurde diese Spezialität von hungernden Mönchen kreiert. Ausgerechnet in der Fastenzeit fiel ihnen ein großes Stück Fleisch in die Hände. In der Hoffnung, dass der Herrgott sie nicht erwischen wird, wenn sie das Fleisch ganz klein schneiden und zwischen Spinat und anderen Zutaten in Teigtaschen verstecken
    (意訳)マウルタッシェンは肉でいっぱいで、それには修道院での三十年戦争の伝説が絡み合っていると云う。おそらく、この特別料理は飢えた僧侶によって創られた。
    四旬節の間(しじゅんせつでは伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われる)、いつも、大きな肉片が僧侶たちの手に入ると、肉を細かく切り、ほうれん草とパスタなど材料の間に隠し、マウルタッシェン料理を作った。
    この時、主なる神キリストが僧侶たちの行いをとがめないことを願ったのだ。

    ・・・・・

    写真は2015年7月23日古城ホテル リーベンシュタイン城:名物Maultaschenマウルタッシェンのスープを頂いた。

    マールバッハから、Bietigheimビーティックハイムを通過し、Neckarwestheimネッカーヴェストハイムに向かった。村内を抜け、葡萄畑の斜面裾を、丘の上の古城ホテルに車を走らせる。

    10泊目にRinghotel Schloss Liebenstein
    D-74382 Neckarwestheim 、Liebenstein 1 
    テラスレストランにて夕食を頂いた。
    スープ:名物Maultascheマウルタッシェ(ドイツ・シュヴァーベン地方の郷土料理:パスタ生地の中にひき肉・ほうれん草・パン粉・たまねぎを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えている。)入り牛肉のコンソメ(Euro12)。

  • ②「Spaetzleシュペッツレ」<br />シュペッツレ=パスタもシュヴァーベンの代表料理。<br />小麦粉と卵をベースの材料に、ボタン型や細長いマカロニ風など色々な形があり、付け合せでも、野菜やキノコ、ハム、アルゴイ地方のチーズなどと一緒に調理して、一品料理としても味わえる。<br /><br />写真は2015年7月16日:クネプフレ(シュペッツレ)Linsen_Spaetzle_2自家製の細いシュペッツレとレンズ豆とソーセージの料理<br /><br />19世紀には軍事都市、要塞都市と呼ばれたが、今はバロック宮殿の町、独仏国境の町のRastattラシュタットからKuppenheimクッペンハイムに走る。<br />クッペンハイム(Rastattラシュタットの東南)はSchwarzwaldシュヴァルツヴァルト(黒い森)の北部に位置し、Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。<br />この町が何時できたかはよく分からないが、ローマ時代にすでにこの地区は彼らの居住地であったと思われる。つまり、黒い森の山裾を走る重要なローマ街道沿いにあったようだ。<br /><br />そんな小さな町クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。KnoepfleクネプフレとはSpaetzleシュペッツレと同じ言葉で、いわゆる当地の“麺(めん)”である。<br />Spaetzleシュペッツレはシュヴァーベン語で“雀”を意味するシュパッツ(Spatz)の縮小形である。<br />このニックネームの出現は新旧キリスト教徒の戦いであった30年戦争(1618~48年)に遡ると云う。<br /><br />伝説によれば、クッペンハイムはスウェーデン王Gustav Adolfグスタフ・アドルフが指揮するスウェーデン軍(新教徒派)によって包囲されました。<br />攻城軍に対抗して、勇敢に戦ったクッペンハイムも籠城が長くなると、蓄えていた食糧貯蔵品が徐々に終わりに近づいていきました。<br />いよいよという時、ある男が奇計を考えだし、その案を籠城の住民たちに諮り、了承されたと云う。<br />直ちにクネプフレ(シュペッツレ)を作る案は実行され、すべての小麦粉と卵が集められ、クネプフレ(麺)が出来上がりました。<br /><br />そのクネプフレ(麺)を住民たちは城壁から攻城軍のスウェーデン軍に向かって、投げおろしたのでした。これを受けて、敵のスウェーデン軍は籠城軍がいまだに十分な食糧を貯蔵していると信じてしまいました。<br />そこで、スウェーデン軍はこれでは何時まで経っても、攻め落とせないと推測し、包囲を取りやめて、撤退してしまったそうです。<br />そして、クッペンハイムは助かったのでした。<br /><br />以来、“クネプフレの町”と、“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。<br /><br />・・・・・

    ②「Spaetzleシュペッツレ」
    シュペッツレ=パスタもシュヴァーベンの代表料理。
    小麦粉と卵をベースの材料に、ボタン型や細長いマカロニ風など色々な形があり、付け合せでも、野菜やキノコ、ハム、アルゴイ地方のチーズなどと一緒に調理して、一品料理としても味わえる。

    写真は2015年7月16日:クネプフレ(シュペッツレ)Linsen_Spaetzle_2自家製の細いシュペッツレとレンズ豆とソーセージの料理

    19世紀には軍事都市、要塞都市と呼ばれたが、今はバロック宮殿の町、独仏国境の町のRastattラシュタットからKuppenheimクッペンハイムに走る。
    クッペンハイム(Rastattラシュタットの東南)はSchwarzwaldシュヴァルツヴァルト(黒い森)の北部に位置し、Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。
    この町が何時できたかはよく分からないが、ローマ時代にすでにこの地区は彼らの居住地であったと思われる。つまり、黒い森の山裾を走る重要なローマ街道沿いにあったようだ。

    そんな小さな町クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。KnoepfleクネプフレとはSpaetzleシュペッツレと同じ言葉で、いわゆる当地の“麺(めん)”である。
    Spaetzleシュペッツレはシュヴァーベン語で“雀”を意味するシュパッツ(Spatz)の縮小形である。
    このニックネームの出現は新旧キリスト教徒の戦いであった30年戦争(1618~48年)に遡ると云う。

    伝説によれば、クッペンハイムはスウェーデン王Gustav Adolfグスタフ・アドルフが指揮するスウェーデン軍(新教徒派)によって包囲されました。
    攻城軍に対抗して、勇敢に戦ったクッペンハイムも籠城が長くなると、蓄えていた食糧貯蔵品が徐々に終わりに近づいていきました。
    いよいよという時、ある男が奇計を考えだし、その案を籠城の住民たちに諮り、了承されたと云う。
    直ちにクネプフレ(シュペッツレ)を作る案は実行され、すべての小麦粉と卵が集められ、クネプフレ(麺)が出来上がりました。

    そのクネプフレ(麺)を住民たちは城壁から攻城軍のスウェーデン軍に向かって、投げおろしたのでした。これを受けて、敵のスウェーデン軍は籠城軍がいまだに十分な食糧を貯蔵していると信じてしまいました。
    そこで、スウェーデン軍はこれでは何時まで経っても、攻め落とせないと推測し、包囲を取りやめて、撤退してしまったそうです。
    そして、クッペンハイムは助かったのでした。

    以来、“クネプフレの町”と、“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。

    ・・・・・

  • ③「Spargelシュパーゲル(ホワイトアスパラガス)」<br />シュヴァーベンの北部にはSchwetzingenシュヴェッツィンゲンという、ドイツ最高級のシュパーゲル(ホワイトアスパラガス)の銘産地がある。シュヴェッツィンゲンは17世紀にはシュパーゲルの栽培が始まっていたと云う。<br /><br />写真は2018年5月 11日:Spargel シュパーゲル料理<br /><br />FrankenフランケンのUnterfrankenウンターフランケン地方Kitzingenキッチンゲン行政区の町、今日の最初の目的地Dettelbachデッテルバッハはマイン川沿いに発展した。ヴュルツブルクから東に20km程の距離にある。<br />マイン川に対して東西に長い長方形の城塞都市を形作った旧市街は小さい。<br /><br />昼食:デッテルバッハのGruener Baum緑の木(家)にて<br />Altfraenkischer Gasthof Gruener Baum<br />D-97337 Dettelbach 、Falterstrasse 2  <br /><br />フランケンの郷土料理を提供すると云う田舎町のホテル・レストランの名前が気に入って入った。観光客も多い所為か、味は美味い。<br />二人とも久しぶりのシュパーゲル(白アスパラ)料理を注文し、満足した。<br />シュパーゲルのスープ(@Euro4.2)、メインはオーソドックスなオランダ風ソースのシュパーゲル(@Euro13.5)、それに水(Still)0.5L(@Euro3.2)でした。<br /><br />・・・・・<br />

    ③「Spargelシュパーゲル(ホワイトアスパラガス)」
    シュヴァーベンの北部にはSchwetzingenシュヴェッツィンゲンという、ドイツ最高級のシュパーゲル(ホワイトアスパラガス)の銘産地がある。シュヴェッツィンゲンは17世紀にはシュパーゲルの栽培が始まっていたと云う。

    写真は2018年5月 11日:Spargel シュパーゲル料理

    FrankenフランケンのUnterfrankenウンターフランケン地方Kitzingenキッチンゲン行政区の町、今日の最初の目的地Dettelbachデッテルバッハはマイン川沿いに発展した。ヴュルツブルクから東に20km程の距離にある。
    マイン川に対して東西に長い長方形の城塞都市を形作った旧市街は小さい。

    昼食:デッテルバッハのGruener Baum緑の木(家)にて
    Altfraenkischer Gasthof Gruener Baum
    D-97337 Dettelbach 、Falterstrasse 2  

    フランケンの郷土料理を提供すると云う田舎町のホテル・レストランの名前が気に入って入った。観光客も多い所為か、味は美味い。
    二人とも久しぶりのシュパーゲル(白アスパラ)料理を注文し、満足した。
    シュパーゲルのスープ(@Euro4.2)、メインはオーソドックスなオランダ風ソースのシュパーゲル(@Euro13.5)、それに水(Still)0.5L(@Euro3.2)でした。

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  • ④「Schwarzwaelder Schinkenシュヴァルツヴェルダー・シンケン(黒い森の生ハム)」<br />シュヴァーベン地方西部に広がるシュヴァルツヴァルト(黒い森)では「シュヴァルツヴェルダー・シンケン(Black Forest ham黒い森のハム)と呼ばれる生ハムも名物になっている。「Schinkenシンケン」とはハムのこと。<br />塩漬けした豚モモ肉をハーブで味付けして、何週間もスモークして作られる生ハムである。<br /><br />写真は参考までに:Schwarzwaelder Schinkenシュヴァルツヴェルダー・シンケン

    ④「Schwarzwaelder Schinkenシュヴァルツヴェルダー・シンケン(黒い森の生ハム)」
    シュヴァーベン地方西部に広がるシュヴァルツヴァルト(黒い森)では「シュヴァルツヴェルダー・シンケン(Black Forest ham黒い森のハム)と呼ばれる生ハムも名物になっている。「Schinkenシンケン」とはハムのこと。
    塩漬けした豚モモ肉をハーブで味付けして、何週間もスモークして作られる生ハムである。

    写真は参考までに:Schwarzwaelder Schinkenシュヴァルツヴェルダー・シンケン

  • 尚、Schwarzwaelder Speckシュヴァルツヴェルダー・シュペック( Black Forest bacon黒い森のベーコン)も同様の工程で作られているが、原産地名称保護制度による保護指定されていない。<br /><br />写真は参考までに:Schwarzwaelder Speckシュヴァルツヴェルダー・シュペック<br /><br />・・・・・・・・・・・

    尚、Schwarzwaelder Speckシュヴァルツヴェルダー・シュペック( Black Forest bacon黒い森のベーコン)も同様の工程で作られているが、原産地名称保護制度による保護指定されていない。

    写真は参考までに:Schwarzwaelder Speckシュヴァルツヴェルダー・シュペック

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  • ホテル前の専用駐車場に停めていたが、出るのにホテルのコインが必要なのを知らず、駐車場から出られず、往生した。<br /><br />ちょっと、疲れも出てきたので短い距離ながらも、ゆっくりゆっくりのスピードでホテルに戻る。―>L? 3.5km  Hotel Historischer Gasthof Ochsen にはもう晩い22:00の到着になってしまった。<br /><br />写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:レストランで頂いた夕食のメニューを持ち帰る。

    ホテル前の専用駐車場に停めていたが、出るのにホテルのコインが必要なのを知らず、駐車場から出られず、往生した。

    ちょっと、疲れも出てきたので短い距離ながらも、ゆっくりゆっくりのスピードでホテルに戻る。―>L? 3.5km Hotel Historischer Gasthof Ochsen にはもう晩い22:00の到着になってしまった。

    写真はシュヴァーベンシュテューベ・アドラーにて夕食:レストランで頂いた夕食のメニューを持ち帰る。

  • タムのホテル・オクゼン(雄牛)からアスペルクに向かう左手の丘の上に、大きな城壁が見えた。<br /><br />そのまま通過してしまったが、気になって後で調べてみると、ここはかつてFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞だったと云う。<br />D-71679Asperg、 Hohenasperg 11<br /><br />90mの丘の上にFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞だった建物がある。眺望の良い場所だけにその昔、ローマ・ケルト時代は寺院、中世は領主の城、1535年から1693年まで要塞として活用された。<br />18世紀初頭から刑務所として機能し、多くの著名な政治犯も1945年まで投獄されていた。第二次大戦後は米軍第七軍が基地として使用し、そして1948年には州立刑務所、1968年以来、州立刑務所病院と変遷して使用されたと云う。<br /><br />2010年、バーデン・ヴュルテンベルク州立歴史博物館が開設された。要塞の兵器庫の建物内に刑務所関係の常設展示を行っている。<br /><br />展示されているのは主に有名な囚人の23の伝記など。<br /><br />写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞

    タムのホテル・オクゼン(雄牛)からアスペルクに向かう左手の丘の上に、大きな城壁が見えた。

    そのまま通過してしまったが、気になって後で調べてみると、ここはかつてFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞だったと云う。
    D-71679Asperg、 Hohenasperg 11

    90mの丘の上にFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞だった建物がある。眺望の良い場所だけにその昔、ローマ・ケルト時代は寺院、中世は領主の城、1535年から1693年まで要塞として活用された。
    18世紀初頭から刑務所として機能し、多くの著名な政治犯も1945年まで投獄されていた。第二次大戦後は米軍第七軍が基地として使用し、そして1948年には州立刑務所、1968年以来、州立刑務所病院と変遷して使用されたと云う。

    2010年、バーデン・ヴュルテンベルク州立歴史博物館が開設された。要塞の兵器庫の建物内に刑務所関係の常設展示を行っている。

    展示されているのは主に有名な囚人の23の伝記など。

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞

  • 写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞の古図:1512年 Albrecht Duererアルブレヒト・デューラー(ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者)作。

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞の古図:1512年 Albrecht Duererアルブレヒト・デューラー(ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者)作。

  • 有名な囚人の内、4名に付き下記した。<br /><br />A)Joseph Suess Oppenheimerヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマー(1698~1738年)はHerzog Karl Alexander von Wuerttembergカール・アレクサンダー・ヴュルテンベルク公爵(1684~1737年)に宮廷ユダヤ人として仕え、宮中顧問官や政治顧問を務めた。<br />ヴュルテンベルク公の死後、オッペンハイマーは反ユダヤ的な告発を背景に、Justizmord裁判殺(無罪者を死刑にすること)の犠牲となり、1738年2月4日に処刑された。<br />オッペンハイマーが処刑まで収容されていたのはFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞である。<br /><br />参照【無実の罪で処刑された『Jud Suessユダヤ人ズュース』】<br />https://4travel.jp/travelogue/11025062<br />『ユダヤ人ズュース』作品はヴュルテンベルクに実在した宮廷ユダヤ人*Joseph Suess Oppenheimerヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマー(1698~1738年)をモデルにしており、この中編小説は同名で映画化された。<br />反ユダヤ的プロパガンダ映画『Jud Suessユダヤ人ズュース』(1940年)がそれである。監督:Veit Harlanファイト・ハーラン<br /><br />写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:入口

    有名な囚人の内、4名に付き下記した。

    A)Joseph Suess Oppenheimerヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマー(1698~1738年)はHerzog Karl Alexander von Wuerttembergカール・アレクサンダー・ヴュルテンベルク公爵(1684~1737年)に宮廷ユダヤ人として仕え、宮中顧問官や政治顧問を務めた。
    ヴュルテンベルク公の死後、オッペンハイマーは反ユダヤ的な告発を背景に、Justizmord裁判殺(無罪者を死刑にすること)の犠牲となり、1738年2月4日に処刑された。
    オッペンハイマーが処刑まで収容されていたのはFestung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞である。

    参照【無実の罪で処刑された『Jud Suessユダヤ人ズュース』】
    https://4travel.jp/travelogue/11025062
    『ユダヤ人ズュース』作品はヴュルテンベルクに実在した宮廷ユダヤ人*Joseph Suess Oppenheimerヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマー(1698~1738年)をモデルにしており、この中編小説は同名で映画化された。
    反ユダヤ的プロパガンダ映画『Jud Suessユダヤ人ズュース』(1940年)がそれである。監督:Veit Harlanファイト・ハーラン

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:入口

  • B)Christian Friedrich Daniel Schubartクリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト(1739年~1791年、52歳没)はドイツの詩人、音楽家、ジャーナリスト。  <br /><br />18世紀後半に流行したSturm und Drangシュトゥルム・ウント・ドラング(18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動)を代表する詩人で、近代ドイツ最初の政治詩とされる『領主の墓』や『乞食兵士』を著し、『Zur Geschichte des menschlichen Herzens人間的な心の歴史によせて』は詩人Friedrich von Schillerフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『群盗』にも見られるように、シラーに大きな影響を与えた。<br />またオーストリアの音楽家Franz Peter Schubert フランツ・ペーター・シューベルトが1817年に作曲した『鱒(マス)』の作詞者として知られる。  <br />シューバルトが育ったことが縁で、バーデン・ヴュルテンベルク州の Aalenアーレン市が1956年から主催する文学賞「シューバルト賞」に名を残す。<br /><br />雑誌『ドイツ年代記(Deutsche Chronik)』を刊行し、ヨーロッパ各地で人気を博していたが、その自由奔放な主張がヴュルテンベルク公カール・オイゲンの怒りを買い、1777年から約10年間投獄された。彼はHohenaspergホーエンアスペルクの刑務所に収容されたが、彼が最初に入れられた旧望楼は、のちに「シューバルト塔」と呼ばれることになる。<br />現在「ホーエンアスペルク刑務所病院」として使用されている。<br /><br />写真はAsperg・Fatung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:1781年Schillerシラーが、要塞の刑務所に投獄されていたSchubartシューバルトを慰問した時を描いたリトグラフ。

    B)Christian Friedrich Daniel Schubartクリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト(1739年~1791年、52歳没)はドイツの詩人、音楽家、ジャーナリスト。

    18世紀後半に流行したSturm und Drangシュトゥルム・ウント・ドラング(18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動)を代表する詩人で、近代ドイツ最初の政治詩とされる『領主の墓』や『乞食兵士』を著し、『Zur Geschichte des menschlichen Herzens人間的な心の歴史によせて』は詩人Friedrich von Schillerフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『群盗』にも見られるように、シラーに大きな影響を与えた。
    またオーストリアの音楽家Franz Peter Schubert フランツ・ペーター・シューベルトが1817年に作曲した『鱒(マス)』の作詞者として知られる。
    シューバルトが育ったことが縁で、バーデン・ヴュルテンベルク州の Aalenアーレン市が1956年から主催する文学賞「シューバルト賞」に名を残す。

    雑誌『ドイツ年代記(Deutsche Chronik)』を刊行し、ヨーロッパ各地で人気を博していたが、その自由奔放な主張がヴュルテンベルク公カール・オイゲンの怒りを買い、1777年から約10年間投獄された。彼はHohenaspergホーエンアスペルクの刑務所に収容されたが、彼が最初に入れられた旧望楼は、のちに「シューバルト塔」と呼ばれることになる。
    現在「ホーエンアスペルク刑務所病院」として使用されている。

    写真はAsperg・Fatung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:1781年Schillerシラーが、要塞の刑務所に投獄されていたSchubartシューバルトを慰問した時を描いたリトグラフ。

  • C)Karl Jaegerカール・イェーガー(1888年~1959年)はナチス時代のドイツの親衛隊員であり、ホロコーストの実行者であった。戦後の1959年4月に戦争犯罪で逮捕され、判決前の1959年6月に刑務所内で自死した。<br /><br />写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:1950年

    C)Karl Jaegerカール・イェーガー(1888年~1959年)はナチス時代のドイツの親衛隊員であり、ホロコーストの実行者であった。戦後の1959年4月に戦争犯罪で逮捕され、判決前の1959年6月に刑務所内で自死した。

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:1950年

  • D)Guenter Sonnenbergギュンター・ゾンネンベルク(1954月~ )はテロリスト集団であったドイツ赤軍派(RAF)の元メンバーである。彼らはドイツ財界人の暗殺、飛行機の乗っ取りなどを行っている。<br />1978年彼は終身刑を宣告され、1992年に仮釈放された。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:通路

    D)Guenter Sonnenbergギュンター・ゾンネンベルク(1954月~ )はテロリスト集団であったドイツ赤軍派(RAF)の元メンバーである。彼らはドイツ財界人の暗殺、飛行機の乗っ取りなどを行っている。
    1978年彼は終身刑を宣告され、1992年に仮釈放された。

    ・・・・・

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:通路

  • 写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:2021年俯瞰

    写真はAsperg・Festung Hohenaspergホーエンアスペルク要塞:2021年俯瞰

  • 田舎の町のホテルだけに、朝食時は私共意外に泊り客を見なかった。<br />昨日見た駐車場の車は泊り客のものではなかったのか、それとも早い出発だったのかもしれない。<br />まだ観光客が訪れる季節には早いのだが。<br /><br />写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の朝食の間。

    田舎の町のホテルだけに、朝食時は私共意外に泊り客を見なかった。
    昨日見た駐車場の車は泊り客のものではなかったのか、それとも早い出発だったのかもしれない。
    まだ観光客が訪れる季節には早いのだが。

    写真はホテル 由緒あるホテル・オクゼン(雄牛)の朝食の間。

  • 4.21(土) 快晴 25℃ 、 161km<br /><br />*朝食後、8:50 Tammタム―>L?9km Ludwigsburgルートヴィヒスブルグ・Residenzschloss宮殿の磁器工房ショップ・Bluehendes Barockバロック庭園 9:15~10:25 <br /><br />・・・・・<br /><br />写真はルートヴィヒスブルク城(宮殿)と美しい庭<br /><br />(2023年10月26日、Wiki・HP参考、編集・追記)<br />

    4.21(土) 快晴 25℃ 、 161km

    *朝食後、8:50 Tammタム―>L?9km Ludwigsburgルートヴィヒスブルグ・Residenzschloss宮殿の磁器工房ショップ・Bluehendes Barockバロック庭園 9:15~10:25 

    ・・・・・

    写真はルートヴィヒスブルク城(宮殿)と美しい庭

    (2023年10月26日、Wiki・HP参考、編集・追記)

    ルートヴィヒスブルグ城 城・宮殿

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