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アーティゾン美術館2023年2月25日[土] - 5月14日[日]石橋財団コレクション選です。<br />石橋財団は、19世紀後半の印象派から20世紀の西洋近代絵画、明治以降の日本の近代絵画、第二次世界大戦後の抽象絵画、日本および東洋の近世・近代美術、ギリシア・ローマの美術など現在約3,000点の作品を収蔵しています。これらコレクションの中から選りすぐりの作品を年間を通じて展示されています。また、今回、特集コーナー展示 画家の手紙として、石橋財団コレクションの中から、坂本繁二郎ら近代の画家の手紙にまつわる作品、あるいは手紙そのものが紹介されています。

石橋財団コレクション選 2023年2月25日- 5月14日 特集コーナー展示 画家の手紙

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2023/05/03 - 2023/05/03

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アーティゾン美術館2023年2月25日[土] - 5月14日[日]石橋財団コレクション選です。
石橋財団は、19世紀後半の印象派から20世紀の西洋近代絵画、明治以降の日本の近代絵画、第二次世界大戦後の抽象絵画、日本および東洋の近世・近代美術、ギリシア・ローマの美術など現在約3,000点の作品を収蔵しています。これらコレクションの中から選りすぐりの作品を年間を通じて展示されています。また、今回、特集コーナー展示 画家の手紙として、石橋財団コレクションの中から、坂本繁二郎ら近代の画家の手紙にまつわる作品、あるいは手紙そのものが紹介されています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
新幹線

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  • カミーユ・コロー「ヴィル・ダヴレー」 1835-40年<br />フランスでは1830年代以降に鉄道網が発達し、画家たちは短い時間で遠くへ行けるようになりました。コローは、フランス各地を旅行し、その多彩な風景を題材とした風景画家です。春と夏に戸外での写生を行い、それらの写生をもとに、秋と冬にアトリエで作品を制作するのが常でした。パリの西12kmほどの郊外に位置する小さな街ヴィル・ダヴレーに、コローの父親が購入した別荘がありました。当時は家も少なく、自然豊かな土地でした。コローは母屋の一角をアトリエとして使用し、初期から晩年にわたるまで、その美しい風景を描いています。とりわけ1834年の2度目のイタリア旅行後は、作品制作のために国内を旅する合間、頻繁にこの地に滞在して制作を重ねました。この作品もその時期に手がけたもののひとつ。明暗の対比が効果的に使われ、細部までていねいに描かれた作品です。手前を暗く、背景を明るく表現することで、画面に奥行きが生み出されています。緑深い森と青空が広がり、道には木漏れ日が落ちています。リズミカルに並ぶ左側の木々の合間には、池の水面がわずかに見えます。茶色の牛と道の真ん中にたたずむ女性が、作品の叙情的な雰囲気を高めています。

    カミーユ・コロー「ヴィル・ダヴレー」 1835-40年
    フランスでは1830年代以降に鉄道網が発達し、画家たちは短い時間で遠くへ行けるようになりました。コローは、フランス各地を旅行し、その多彩な風景を題材とした風景画家です。春と夏に戸外での写生を行い、それらの写生をもとに、秋と冬にアトリエで作品を制作するのが常でした。パリの西12kmほどの郊外に位置する小さな街ヴィル・ダヴレーに、コローの父親が購入した別荘がありました。当時は家も少なく、自然豊かな土地でした。コローは母屋の一角をアトリエとして使用し、初期から晩年にわたるまで、その美しい風景を描いています。とりわけ1834年の2度目のイタリア旅行後は、作品制作のために国内を旅する合間、頻繁にこの地に滞在して制作を重ねました。この作品もその時期に手がけたもののひとつ。明暗の対比が効果的に使われ、細部までていねいに描かれた作品です。手前を暗く、背景を明るく表現することで、画面に奥行きが生み出されています。緑深い森と青空が広がり、道には木漏れ日が落ちています。リズミカルに並ぶ左側の木々の合間には、池の水面がわずかに見えます。茶色の牛と道の真ん中にたたずむ女性が、作品の叙情的な雰囲気を高めています。

  • カミーユ・ピサロ 「ブージヴァルのセーヌ川」 1870年<br />ピサロが生まれ育ったカリブ海を離れてパリに出たのは、1855年のこと。彼はパリで本格的に絵の勉強を始めました。1869年春、38歳のピサロは、パリから列車で30分ほどの距離にあるセーヌ左岸の街ルーヴシエンヌに転居し、同地やその近郊ブージヴァルなどの風景を描きました。この作品は、印象派の画家として活動する前に制作されたもので、バルビゾン派から影響された暗い色調が使われています。とはいえ、セーヌ川の水面の表現には光への関心も認められ、その後の画風の展開を予感させます。

    カミーユ・ピサロ 「ブージヴァルのセーヌ川」 1870年
    ピサロが生まれ育ったカリブ海を離れてパリに出たのは、1855年のこと。彼はパリで本格的に絵の勉強を始めました。1869年春、38歳のピサロは、パリから列車で30分ほどの距離にあるセーヌ左岸の街ルーヴシエンヌに転居し、同地やその近郊ブージヴァルなどの風景を描きました。この作品は、印象派の画家として活動する前に制作されたもので、バルビゾン派から影響された暗い色調が使われています。とはいえ、セーヌ川の水面の表現には光への関心も認められ、その後の画風の展開を予感させます。

  • ポール・セザンヌ 「鉢と牛乳入れ」1873-77年頃<br />身の周りの事物を自由に並べ替えて様々な絵画的試みを行うことができるために、セザンヌは、静物画を好んで描きました。それゆえに静物画は、セザンヌが目指すところの絵画の実験の場であり続け、その成果が人物画や風景画といった他のジャンルに応用されていることも少なくありません。セザンヌの静物画としては初期に位置付けられるこの作品は、画面の構成を安定させるために現実の空間と形態を変形させており、セザンヌの静物画の特徴が明確に出ています。

    ポール・セザンヌ 「鉢と牛乳入れ」1873-77年頃
    身の周りの事物を自由に並べ替えて様々な絵画的試みを行うことができるために、セザンヌは、静物画を好んで描きました。それゆえに静物画は、セザンヌが目指すところの絵画の実験の場であり続け、その成果が人物画や風景画といった他のジャンルに応用されていることも少なくありません。セザンヌの静物画としては初期に位置付けられるこの作品は、画面の構成を安定させるために現実の空間と形態を変形させており、セザンヌの静物画の特徴が明確に出ています。

  • クロード・モネ 「雨のベリール」1886年<br />フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。この作品の中央には、ポール=ドモワ湾の中央に位置する「ギベル」と呼ばれる岩が見えています。遠くの岩は雨でかすんでいます。横なぐりの雨は斜め向きのタッチで表現され、海の白い波は曲線で表されています。粗々しい水面の表現が印象的な作品です。

    クロード・モネ 「雨のベリール」1886年
    フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。この作品の中央には、ポール=ドモワ湾の中央に位置する「ギベル」と呼ばれる岩が見えています。遠くの岩は雨でかすんでいます。横なぐりの雨は斜め向きのタッチで表現され、海の白い波は曲線で表されています。粗々しい水面の表現が印象的な作品です。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール「花のついた帽子の女」1917年

    ピエール=オーギュスト・ルノワール「花のついた帽子の女」1917年

  • ポール・ゴーガン 「馬の頭部のある静物」1886年<br />三つ折れ人形を思わせる東洋的な玩具、馬の頭部の古代彫像、浮世絵を貼り合わせた団扇に書籍。なんとも奇妙な組み合わせの静物が、規則正しい斑点をもって描かれています。ゴーガンとしては珍しい新印象主義的技法、点描によって描かれた静物画です。馬の彫像は、現在では大英博物館所蔵になるギリシアのパルテノン神殿の彫刻と建築の部分をなしていたエルギン・マーブルズ《月神セレネーの馬の頭部》を模した像のようです。人形や団扇は当時の日本美術愛好の流行によりパリにもたらされたものでしょうか。ゴーガンは、やがて、日本美術の影響を受けて、本格的にその技法を学び、平面的な単純化を目指す表現によって新たな様式を確立することになりますが、この作品はゴーガンの日本美術へ関心の端緒を開いたものといえましょう。

    ポール・ゴーガン 「馬の頭部のある静物」1886年
    三つ折れ人形を思わせる東洋的な玩具、馬の頭部の古代彫像、浮世絵を貼り合わせた団扇に書籍。なんとも奇妙な組み合わせの静物が、規則正しい斑点をもって描かれています。ゴーガンとしては珍しい新印象主義的技法、点描によって描かれた静物画です。馬の彫像は、現在では大英博物館所蔵になるギリシアのパルテノン神殿の彫刻と建築の部分をなしていたエルギン・マーブルズ《月神セレネーの馬の頭部》を模した像のようです。人形や団扇は当時の日本美術愛好の流行によりパリにもたらされたものでしょうか。ゴーガンは、やがて、日本美術の影響を受けて、本格的にその技法を学び、平面的な単純化を目指す表現によって新たな様式を確立することになりますが、この作品はゴーガンの日本美術へ関心の端緒を開いたものといえましょう。

  • ポール・シニャック「コンカルノー港」1925年<br />コンカルノーは、フランス西部のブルターニュ地方の港町です。1891年の夏、シニャックは愛用のヨットに乗ってコンカルノー港からコート・ダジュールのサン=トロペへ向けて船出したことがありました。その後、シニャックはフランスの港町を訪れて水彩による旅日記を残しました。1925年に再びここを訪れた際には油彩画も制作しましたが、この作品は再訪した際に描かれたものの1点です。スーラとともに新印象主義を完成させたシニャックは、後年、点描の色点から方形のモザイク風小片の筆触へ描法を変化させ、この作品では青、ピンク、オレンジ、黄色の淡い色彩で装飾的な画面をつくり上げています。

    ポール・シニャック「コンカルノー港」1925年
    コンカルノーは、フランス西部のブルターニュ地方の港町です。1891年の夏、シニャックは愛用のヨットに乗ってコンカルノー港からコート・ダジュールのサン=トロペへ向けて船出したことがありました。その後、シニャックはフランスの港町を訪れて水彩による旅日記を残しました。1925年に再びここを訪れた際には油彩画も制作しましたが、この作品は再訪した際に描かれたものの1点です。スーラとともに新印象主義を完成させたシニャックは、後年、点描の色点から方形のモザイク風小片の筆触へ描法を変化させ、この作品では青、ピンク、オレンジ、黄色の淡い色彩で装飾的な画面をつくり上げています。

  • モーリス・ド・ヴラマンク 「運河船」1905-06年<br />ファン・ゴッホの作品に感化され、鮮烈な色彩と粗々しいタッチで絵を描いたヴラマンクは、マティスやドランとともにフォーヴィスム運動を牽引した画家です。ドランとはパリ郊外のシャトゥーで共同アトリエを構えるほどの仲でした。この作品はそのアトリエ周辺の景色を描いたものでしょう。前景を大胆に横切る船の水平の動きと、後景に並ぶ工場群の煙突から上る煙の垂直の動きが、生き生きとした画面を構成しています。鮮やかな原色の併置や、下地を隠さない大らかな筆づかいが特徴のこの作品は、画家のフォーヴィスム期の好例です。

    モーリス・ド・ヴラマンク 「運河船」1905-06年
    ファン・ゴッホの作品に感化され、鮮烈な色彩と粗々しいタッチで絵を描いたヴラマンクは、マティスやドランとともにフォーヴィスム運動を牽引した画家です。ドランとはパリ郊外のシャトゥーで共同アトリエを構えるほどの仲でした。この作品はそのアトリエ周辺の景色を描いたものでしょう。前景を大胆に横切る船の水平の動きと、後景に並ぶ工場群の煙突から上る煙の垂直の動きが、生き生きとした画面を構成しています。鮮やかな原色の併置や、下地を隠さない大らかな筆づかいが特徴のこの作品は、画家のフォーヴィスム期の好例です。

  • アンリ・マティス「オダリスク」1926年

    アンリ・マティス「オダリスク」1926年

  • アンリ・ルソー 「牧場」1910年<br />パリ市の税関職員だった素朴派の画家ルソーは、40歳を過ぎてから独学で絵を描き始めました。この作品はルソーの最晩年、注文によって描かれたものです。牧歌的な田園風景の中に大きな樹と2頭の牛、牧童が描かれています。木の葉一枚一枚が細密に描写される一方、遠近法やモティーフの前後関係を無視した構図は、一見稚拙でもあります。しかし雲ひとつない真っ青な空や、不自然なほど平たく広がる緑の牧草地は、平凡な風景を幻想的に見せ、独特の魅力をたたえています。この作品は、ルソーに魅せられた日本画家土田麦の旧蔵品でした。

    アンリ・ルソー 「牧場」1910年
    パリ市の税関職員だった素朴派の画家ルソーは、40歳を過ぎてから独学で絵を描き始めました。この作品はルソーの最晩年、注文によって描かれたものです。牧歌的な田園風景の中に大きな樹と2頭の牛、牧童が描かれています。木の葉一枚一枚が細密に描写される一方、遠近法やモティーフの前後関係を無視した構図は、一見稚拙でもあります。しかし雲ひとつない真っ青な空や、不自然なほど平たく広がる緑の牧草地は、平凡な風景を幻想的に見せ、独特の魅力をたたえています。この作品は、ルソーに魅せられた日本画家土田麦の旧蔵品でした。

  • アンドレ・ドラン「聖母子」1913年頃

    アンドレ・ドラン「聖母子」1913年頃

  • オシップ・ザツキン「三人の女」1938年

    オシップ・ザツキン「三人の女」1938年

  • ジョルジュ・ブラック「梨と桃」1924年

    ジョルジュ・ブラック「梨と桃」1924年

  • パブロ・ピカソ「茄子」1946年

    パブロ・ピカソ「茄子」1946年

  • パブロ・ピカソ「カップとスプーン」 1922年

    パブロ・ピカソ「カップとスプーン」 1922年

  • ヴァシリー・カンディンスキー「自らが輝く」1924年<br />この作品は、カンディンスキーがバウハウスに加わって2年後の1924年に制作されたものです。左下に画家のイニシャルと年記が確認できます。<br /> 大小の円形や四角形、三角形、線状的な要素など、様々な形態が重なり合いながら、この時期のカンディンスキーに特徴的な対角線を意識した構成がなされています。加えて、曲線が巧みに配され、螺旋を思わせる流動感が生み出されているところは、同時期の作品の中で、この作品をよりユニークなものにしています。画面の地をつかさどる赤をはじめ、暖色と対照的な白が基調をなしている点も特色となり、それは、「自らが輝く」というタイトルを裏付けているようです。

    ヴァシリー・カンディンスキー「自らが輝く」1924年
    この作品は、カンディンスキーがバウハウスに加わって2年後の1924年に制作されたものです。左下に画家のイニシャルと年記が確認できます。
     大小の円形や四角形、三角形、線状的な要素など、様々な形態が重なり合いながら、この時期のカンディンスキーに特徴的な対角線を意識した構成がなされています。加えて、曲線が巧みに配され、螺旋を思わせる流動感が生み出されているところは、同時期の作品の中で、この作品をよりユニークなものにしています。画面の地をつかさどる赤をはじめ、暖色と対照的な白が基調をなしている点も特色となり、それは、「自らが輝く」というタイトルを裏付けているようです。

  • パウル・クレー「南にある山村」 1923年

    パウル・クレー「南にある山村」 1923年

  • オーギュスト・ロダン「立てるフォーネス」1884年頃<br />ロダンは、生命感豊かな量塊表現と先鋭的な造形感覚によって、世に賛否を巻き起こしつつ彫刻に新たな領野を開いた、近代彫刻の父と呼ぶべき芸術家です。この作品の主題であるフォーネスは、ローマ神話の牧神に付き従う森の精です。1880年に制作が始まる《地獄の門》には、直立するフォーネスの姿も、扉上部の右端に見られます。この大理石による単独像では、顔を伏せるポーズで恥じらいを表現しながら、岩から生まれ出たかのような、みずみずしく力強い身体表現が特徴をなしています。

    オーギュスト・ロダン「立てるフォーネス」1884年頃
    ロダンは、生命感豊かな量塊表現と先鋭的な造形感覚によって、世に賛否を巻き起こしつつ彫刻に新たな領野を開いた、近代彫刻の父と呼ぶべき芸術家です。この作品の主題であるフォーネスは、ローマ神話の牧神に付き従う森の精です。1880年に制作が始まる《地獄の門》には、直立するフォーネスの姿も、扉上部の右端に見られます。この大理石による単独像では、顔を伏せるポーズで恥じらいを表現しながら、岩から生まれ出たかのような、みずみずしく力強い身体表現が特徴をなしています。

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

  • オシップ・ザツキン「母子」1919年<br />ザツキンは1909年にパリに出て、キュビスム等の前衛的な動向に接しながら、原始性や民族性の加味された独自の抽象表現を彫刻の世界で開きました。伝統的な母子像を主題とするこの作品は、背面から浮彫のように切り出された造形、そして単純化された顔の表現が、古拙というべき素朴な魅力をたたえており、この時期のザツキンに顕著な古代アルカイック期の美術への傾倒がうかがえます。同時に、頭部から脚部へと面が凹凸とともに連続する点に、アーキペンコらに代表される同時期の構成主義との相似を見て取ることもできます。

    オシップ・ザツキン「母子」1919年
    ザツキンは1909年にパリに出て、キュビスム等の前衛的な動向に接しながら、原始性や民族性の加味された独自の抽象表現を彫刻の世界で開きました。伝統的な母子像を主題とするこの作品は、背面から浮彫のように切り出された造形、そして単純化された顔の表現が、古拙というべき素朴な魅力をたたえており、この時期のザツキンに顕著な古代アルカイック期の美術への傾倒がうかがえます。同時に、頭部から脚部へと面が凹凸とともに連続する点に、アーキペンコらに代表される同時期の構成主義との相似を見て取ることもできます。

  • 中国 「灰釉両耳壺」 前漢時代 紀元前3-後1世紀 陶器 <br />   「灰陶鴟鶚尊」 漢時代 土器 <br />   「緑釉壺」 後漢時代

    中国 「灰釉両耳壺」 前漢時代 紀元前3-後1世紀 陶器
      「灰陶鴟鶚尊」 漢時代 土器
      「緑釉壺」 後漢時代

  • 中国 「三彩馬」 唐時代 <br />   「加彩婦人俑」 唐時代 8世紀

    中国 「三彩馬」 唐時代
       「加彩婦人俑」 唐時代 8世紀

  • 浅井忠「グレーの洗濯場」1901年 <br />この作品は浅井が留学中に訪れたパリ郊外の村グレー=シュル=ロワンで描いたもので、滞欧期の代表作です。グレーはフォンテーヌブローの森近くにある川沿いの村で、今も古い橋や城館、教会といった建築物が残る歴史的な土地です。浅井の他に黒田清輝や和田英作、北欧や北米からも多くの芸術家が集い、芸術家村を形成していました。浅井は2年間の留学中、4度グレーを訪れ、日本人としては最も多くこの地を描いたといわれています。この作品は1901年10月、浅井の4度目のグレー訪問の際に描かれました。洗濯婦という労働者に視線を向ける一方で、画家の関心はむしろ水の反映や光の描写に寄せられています。グレーの地で新たな境地を見出した浅井は、穏やかな光に包まれた、色彩溢れる美しい風景画を数多く制作しました。

    浅井忠「グレーの洗濯場」1901年
    この作品は浅井が留学中に訪れたパリ郊外の村グレー=シュル=ロワンで描いたもので、滞欧期の代表作です。グレーはフォンテーヌブローの森近くにある川沿いの村で、今も古い橋や城館、教会といった建築物が残る歴史的な土地です。浅井の他に黒田清輝や和田英作、北欧や北米からも多くの芸術家が集い、芸術家村を形成していました。浅井は2年間の留学中、4度グレーを訪れ、日本人としては最も多くこの地を描いたといわれています。この作品は1901年10月、浅井の4度目のグレー訪問の際に描かれました。洗濯婦という労働者に視線を向ける一方で、画家の関心はむしろ水の反映や光の描写に寄せられています。グレーの地で新たな境地を見出した浅井は、穏やかな光に包まれた、色彩溢れる美しい風景画を数多く制作しました。

  • 山下新太郎「読書」1908年<br />山下新太郎は東京美術学校を飛び級で卒業後、1905(明治38)年にフランスへ留学しました。ベラスケスに深く傾倒し、その結果、陰影が強調され色彩が暗く沈み込んでしまうことに悩みます。その影響から脱しようと色彩研究を進め、読書する女性をモデルに3つの作品を描きました。この作品はそのうちのひとつで、1908年の秋にソルボンヌ大学近くの部屋を借りて制作され、翌年5月のサロンに入選しました。開け放たれた窓辺で、穏やかな日の光に包まれ読書する女性が描かれています。明るく美しい色彩のコントラストが見事な作品です。

    山下新太郎「読書」1908年
    山下新太郎は東京美術学校を飛び級で卒業後、1905(明治38)年にフランスへ留学しました。ベラスケスに深く傾倒し、その結果、陰影が強調され色彩が暗く沈み込んでしまうことに悩みます。その影響から脱しようと色彩研究を進め、読書する女性をモデルに3つの作品を描きました。この作品はそのうちのひとつで、1908年の秋にソルボンヌ大学近くの部屋を借りて制作され、翌年5月のサロンに入選しました。開け放たれた窓辺で、穏やかな日の光に包まれ読書する女性が描かれています。明るく美しい色彩のコントラストが見事な作品です。

  • 藤島武二「黒扇」 1908-09年<br />まっすぐにこちらに向けるもの言いたげな眼差し、鼻梁や頰のハイライトがモデルの美貌を引き立たせ、青を効果的に用いた陰翳が、画面に生き生きとした輝きと深みをもたらしています。白いベールや黒い扇は、ためらいのない力強い筆づかいで大づかみに描かれています。繊細な色彩の取り合わせと大胆な筆の動きの絶妙な組み合わせが、見る者の心をとらえます。モデルが身につけるベールや扇は、19世紀ヨーロッパで様々に浸透していたスペイン趣味を思い起こさせます。エドゥアール・マネの作品などを通じてパリで体感した時代の嗜好を、ローマでも追体験しているかのようです。終生、身近において決して手放そうとしなかったこの作品を、藤島はおそらく亡くなる前年に、信頼するコレクター石橋正二郎に託しました。

    藤島武二「黒扇」 1908-09年
    まっすぐにこちらに向けるもの言いたげな眼差し、鼻梁や頰のハイライトがモデルの美貌を引き立たせ、青を効果的に用いた陰翳が、画面に生き生きとした輝きと深みをもたらしています。白いベールや黒い扇は、ためらいのない力強い筆づかいで大づかみに描かれています。繊細な色彩の取り合わせと大胆な筆の動きの絶妙な組み合わせが、見る者の心をとらえます。モデルが身につけるベールや扇は、19世紀ヨーロッパで様々に浸透していたスペイン趣味を思い起こさせます。エドゥアール・マネの作品などを通じてパリで体感した時代の嗜好を、ローマでも追体験しているかのようです。終生、身近において決して手放そうとしなかったこの作品を、藤島はおそらく亡くなる前年に、信頼するコレクター石橋正二郎に託しました。

  • 安井曾太郎「水車小屋」1911年頃

    安井曾太郎「水車小屋」1911年頃

  • 梅原龍三郎 「林檎園」 1909年

    梅原龍三郎 「林檎園」 1909年

  • 梅原龍三郎「脱衣婦」1912年 <br /> 京都に生まれた梅原龍三郎は、聖護院洋画研究所で浅井忠らの指導を受け、1908(明治41)年にフランスへ渡りました。リュクサンブール美術館でルノワールの作品に感銘を受けた梅原は、カーニュにある画家のアトリエを訪ね、親しく交流を重ねました。留学中に描かれたこの作品には、明るく柔らかな色彩や筆致などに、ルノワールの影響が色濃く表れています。しかし友人で画家の山本鼎の回想によれば、梅原は「ルノワールは女性的でセザンヌは男性的だ、セザンヌの方が強い芸術だと思ふ」とも語ったといいます。ルノワールだけに執心することなく、模索する画家の姿が感じられます。

    梅原龍三郎「脱衣婦」1912年
    京都に生まれた梅原龍三郎は、聖護院洋画研究所で浅井忠らの指導を受け、1908(明治41)年にフランスへ渡りました。リュクサンブール美術館でルノワールの作品に感銘を受けた梅原は、カーニュにある画家のアトリエを訪ね、親しく交流を重ねました。留学中に描かれたこの作品には、明るく柔らかな色彩や筆致などに、ルノワールの影響が色濃く表れています。しかし友人で画家の山本鼎の回想によれば、梅原は「ルノワールは女性的でセザンヌは男性的だ、セザンヌの方が強い芸術だと思ふ」とも語ったといいます。ルノワールだけに執心することなく、模索する画家の姿が感じられます。

  • 青山熊治「男の像」1921年

    青山熊治「男の像」1921年

  • 藤島武二「東洋振り」1924(大正13)年<br />西洋の肖像画のようでありながら、人物と衣装は中国風。エキゾチックな魅力に溢れた作品です。<br />イタリア・ルネサンス期の横顔肖像の構図を借りて、中国服を着た日本人女性の横顔を描いた「東洋振り」は、藤島の留学後10年にしてあらたな躍進の契機となった作品です。その後、横顔のシリーズは1927年まで同様の作品を集中的に制作されており、ポーラ美術館の「女の横顔」などがあります。

    藤島武二「東洋振り」1924(大正13)年
    西洋の肖像画のようでありながら、人物と衣装は中国風。エキゾチックな魅力に溢れた作品です。
    イタリア・ルネサンス期の横顔肖像の構図を借りて、中国服を着た日本人女性の横顔を描いた「東洋振り」は、藤島の留学後10年にしてあらたな躍進の契機となった作品です。その後、横顔のシリーズは1927年まで同様の作品を集中的に制作されており、ポーラ美術館の「女の横顔」などがあります。

  • 満谷国四郎「裸婦」1925年

    満谷国四郎「裸婦」1925年

  • 小出楢重「裸婦」1925年

    小出楢重「裸婦」1925年

  • 黒田清輝 「針仕事」1890年<br />この作品は、留学中のフランスで描かれました。黒田はパリの南東70kmにある小村グレー=シュル= ロワンを愛してしばしば滞在し、都会から離れ自然と人間生活が調和し、多くの外国人美術家を惹きつけたこの村で、肩肘の張らないのびのびとした作品を数多く残しています。窓辺で無心に針仕事にいそしむ女性は、黒田が部屋を借りていた農家の娘、当時19歳のマリア・ビヨーです。マリアはたびたび黒田のモデルをつとめ、画家に様々なインスピレーションを与えました。窓から差し込む光がマリアの体を包み込み、画面全体をやわらかくほぐしていて、当時の黒田が光の扱い方に取り組んでいたことを教えてくれます。また、後年まで黒田が好んだ、労働する女性という主題の萌芽を見つけることもできるでしょう。

    黒田清輝 「針仕事」1890年
    この作品は、留学中のフランスで描かれました。黒田はパリの南東70kmにある小村グレー=シュル= ロワンを愛してしばしば滞在し、都会から離れ自然と人間生活が調和し、多くの外国人美術家を惹きつけたこの村で、肩肘の張らないのびのびとした作品を数多く残しています。窓辺で無心に針仕事にいそしむ女性は、黒田が部屋を借りていた農家の娘、当時19歳のマリア・ビヨーです。マリアはたびたび黒田のモデルをつとめ、画家に様々なインスピレーションを与えました。窓から差し込む光がマリアの体を包み込み、画面全体をやわらかくほぐしていて、当時の黒田が光の扱い方に取り組んでいたことを教えてくれます。また、後年まで黒田が好んだ、労働する女性という主題の萌芽を見つけることもできるでしょう。

  • 牧野虎雄「罌粟」

    牧野虎雄「罌粟」

  • 児島善三郎「立つ」1928-29年

    児島善三郎「立つ」1928-29年

  • 岸田劉生 「麗子像」1922年<br />岸田劉生は1918年の《麗子肖像(麗子五歳之像)》(東京国立近代美術館)に始まり、娘をモデルにした作品を繰り返し描きました。この作品は、左上の署名と年記から1922年、麗子が7歳のときのものであることがわかります。モデルをつとめていたときにちょうど風邪をひいていたため、麗子の首には白い布が巻かれています。この作品はテンペラを使って描かれており、水彩とも油彩とも違った独特の風合いが感じられます。劉生自身も仕上がりに満足したようで、当時の日記にも「一寸面白く出来た」と記しています。白樺派の詩人木下利玄の旧蔵作品です。

    岸田劉生 「麗子像」1922年
    岸田劉生は1918年の《麗子肖像(麗子五歳之像)》(東京国立近代美術館)に始まり、娘をモデルにした作品を繰り返し描きました。この作品は、左上の署名と年記から1922年、麗子が7歳のときのものであることがわかります。モデルをつとめていたときにちょうど風邪をひいていたため、麗子の首には白い布が巻かれています。この作品はテンペラを使って描かれており、水彩とも油彩とも違った独特の風合いが感じられます。劉生自身も仕上がりに満足したようで、当時の日記にも「一寸面白く出来た」と記しています。白樺派の詩人木下利玄の旧蔵作品です。

  • 藤田嗣治「ドルドーニュの家」1940年<br />1939(昭和14)年9月頃、第二次大戦の開戦により再び藤田は、パリを離れ、レゼジー村を訪れています。この作品は、おそらくそのとき目にしたフランスの田舎の家から着想を得たと考えられます。藤田の代名詞ともいえる乳白色の下地を生かし、ほぼモノトーンで描かれた室内画です。天井の梁やテーブル、ベンチといった直線的なモティーフによって、見る者の視線は自然と画面中央の暖炉周辺に注がれます。暖炉の上にはコーヒーミルや置き時計、ポットなどの藤田愛用の品々が飾られ、一見すると穏やかで親密な雰囲気を感じさせます。しかし壁に掛けられた銃の存在は、戦争という時代背景を表しているかのようでもあります。この作品は藤田が1940年に一時帰国した際、第27回二科展に特別陳列されました。

    藤田嗣治「ドルドーニュの家」1940年
    1939(昭和14)年9月頃、第二次大戦の開戦により再び藤田は、パリを離れ、レゼジー村を訪れています。この作品は、おそらくそのとき目にしたフランスの田舎の家から着想を得たと考えられます。藤田の代名詞ともいえる乳白色の下地を生かし、ほぼモノトーンで描かれた室内画です。天井の梁やテーブル、ベンチといった直線的なモティーフによって、見る者の視線は自然と画面中央の暖炉周辺に注がれます。暖炉の上にはコーヒーミルや置き時計、ポットなどの藤田愛用の品々が飾られ、一見すると穏やかで親密な雰囲気を感じさせます。しかし壁に掛けられた銃の存在は、戦争という時代背景を表しているかのようでもあります。この作品は藤田が1940年に一時帰国した際、第27回二科展に特別陳列されました。

  • 金山平三「石母田の堤」1952-55年頃

    金山平三「石母田の堤」1952-55年頃

  • 坂田一男「エスキース」1953年

    坂田一男「エスキース」1953年

  • 岡鹿之助「群落B」1961年<br />岡 鹿之助は、東京生まれの洋画家。岡田三郎助に師事しますが、点描画法による筆致で独自の画風を作ります。この作品は新収蔵品ですが、ブリヂストン美術館の時代から「岡鹿之助展」を開催するなど力を入れています。

    岡鹿之助「群落B」1961年
    岡 鹿之助は、東京生まれの洋画家。岡田三郎助に師事しますが、点描画法による筆致で独自の画風を作ります。この作品は新収蔵品ですが、ブリヂストン美術館の時代から「岡鹿之助展」を開催するなど力を入れています。

  • 辻永「フォントネ・オ・ローズの春」1921年

    辻永「フォントネ・オ・ローズの春」1921年

  • 林倭衛「サント・ヴィクトワール」1925-29年頃

    林倭衛「サント・ヴィクトワール」1925-29年頃

  • 石井柏亭「ソレント」1923年

    石井柏亭「ソレント」1923年

  • 中沢弘光「思い出(下図)」1909年

    中沢弘光「思い出(下図)」1909年

  • 杉全直「キッコウ」1961年

    杉全直「キッコウ」1961年

  • 山口長男「累形」1958年<br />山口長男は1938(昭和13)年、吉原治良らと二科会内部に九室会を結成し、1962年まで二科展で活躍します。日本における抽象絵画のパイオニアのひとりとして複数の国際展にも出品しました。戦前の黄、赤、青、緑などの明るい色彩表現から一転、戦後は黒い背景に朱や黄土色の丸や矩形を大きく描いた作風で知られます。東郷青児の勧めにより、支持体もカンヴァスからベニヤ板へと代わりました。この作品の表面からも、パレットナイフでぐいぐいと絵具を塗り込めた様子がうかがえます。ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館建設寄贈に対する謝意として、山口から石橋正二郎へ贈られた作品です。

    山口長男「累形」1958年
    山口長男は1938(昭和13)年、吉原治良らと二科会内部に九室会を結成し、1962年まで二科展で活躍します。日本における抽象絵画のパイオニアのひとりとして複数の国際展にも出品しました。戦前の黄、赤、青、緑などの明るい色彩表現から一転、戦後は黒い背景に朱や黄土色の丸や矩形を大きく描いた作風で知られます。東郷青児の勧めにより、支持体もカンヴァスからベニヤ板へと代わりました。この作品の表面からも、パレットナイフでぐいぐいと絵具を塗り込めた様子がうかがえます。ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館建設寄贈に対する謝意として、山口から石橋正二郎へ贈られた作品です。

  • 斎藤義重「作品」1961年<br />斎藤義重は、1930年代における草創期の日本の前衛美術運動に重要な役割を果たした造形作家です。第二次大戦と健康上の理由により活動の中断を余儀なくされますが、1950年代半ばには再開し、絵画と立体の領域を横断する先鋭な作品を精力的に制作しました。この作品は、1960年代前半に集中して取り組んだ、電動ドリルを用いた「作品」のひとつです。合板の画面に、ドリルが走ったような点や線が刻まれ、その上に赤色を中心とした塗料がていねいに塗り込められています。画面に残された制作行為そのものの痕跡は、筆で描かれた二次元の幻影とは異なる現実の空間を提示しているかのようです。

    斎藤義重「作品」1961年
    斎藤義重は、1930年代における草創期の日本の前衛美術運動に重要な役割を果たした造形作家です。第二次大戦と健康上の理由により活動の中断を余儀なくされますが、1950年代半ばには再開し、絵画と立体の領域を横断する先鋭な作品を精力的に制作しました。この作品は、1960年代前半に集中して取り組んだ、電動ドリルを用いた「作品」のひとつです。合板の画面に、ドリルが走ったような点や線が刻まれ、その上に赤色を中心とした塗料がていねいに塗り込められています。画面に残された制作行為そのものの痕跡は、筆で描かれた二次元の幻影とは異なる現実の空間を提示しているかのようです。

  • 村井正誠「モードの女」1976年

    村井正誠「モードの女」1976年

  • 白髪一雄「観音普陀落浄土」1972年<br />猪狩りを好んだ白髪は、丹波や篠山で目にした石塔・石碑のサンスクリット文字から密教に興味を持ちます<br />次第に関心が高じ、1971年5月に比叡山延暦寺で得度、厳しい修行を積んで天台僧の資格を得ました<br />その後は、アトリエに不動明王を祀り、般若心経や真言を唱えてから絵画制作に取り掛かったといいます<br />主題も仏教に求め、1970年代初めから10年間、密教シリーズといわれる作品群を残しました。白髪自身は「抽象の仏画」と呼んでいます<br />この作品は得度した翌年5月に描かれたもの<br />赤を基調に鮮やかで力強い原色が画面に踊っていますが、不思議と騒がしさが感じられず、宗教的な透明感が漂います

    白髪一雄「観音普陀落浄土」1972年
    猪狩りを好んだ白髪は、丹波や篠山で目にした石塔・石碑のサンスクリット文字から密教に興味を持ちます
    次第に関心が高じ、1971年5月に比叡山延暦寺で得度、厳しい修行を積んで天台僧の資格を得ました
    その後は、アトリエに不動明王を祀り、般若心経や真言を唱えてから絵画制作に取り掛かったといいます
    主題も仏教に求め、1970年代初めから10年間、密教シリーズといわれる作品群を残しました。白髪自身は「抽象の仏画」と呼んでいます
    この作品は得度した翌年5月に描かれたもの
    赤を基調に鮮やかで力強い原色が画面に踊っていますが、不思議と騒がしさが感じられず、宗教的な透明感が漂います

  • 古賀春江「自画像」1916年

    古賀春江「自画像」1916年

  • 安井曾太郎「レモンとメロン」1955年

    安井曾太郎「レモンとメロン」1955年

  • 古賀春江「二階より」1922年<br />古賀春江は第9回二科展へ《埋葬》(1922年、浄土宗総本山知恩院)とこの作品を出品し、二科賞を受賞、中央画壇にデビューしました。その夏、訪れた筑前鐘崎(福岡県宗像市)にある旅館の2階から描かれた景色です。外の景色だけでなく、窓枠やその内側の室内も画中に収められています。藁葺きの三角屋根とそれを囲う四角の窓枠、また雲ひとつないすっきりとした空、近景に配された丸い果物や急須、たらいなどとの対比によって、形態のリズムを感じさせる斬新な構図となっています。翌年、パリで行われた二科会とサロン・ドートンヌの交流事業の展示でも展観されました。

    古賀春江「二階より」1922年
    古賀春江は第9回二科展へ《埋葬》(1922年、浄土宗総本山知恩院)とこの作品を出品し、二科賞を受賞、中央画壇にデビューしました。その夏、訪れた筑前鐘崎(福岡県宗像市)にある旅館の2階から描かれた景色です。外の景色だけでなく、窓枠やその内側の室内も画中に収められています。藁葺きの三角屋根とそれを囲う四角の窓枠、また雲ひとつないすっきりとした空、近景に配された丸い果物や急須、たらいなどとの対比によって、形態のリズムを感じさせる斬新な構図となっています。翌年、パリで行われた二科会とサロン・ドートンヌの交流事業の展示でも展観されました。

  • 中西利雄「ピアノのある部屋」1947年

    中西利雄「ピアノのある部屋」1947年

  • 藤田嗣治「インク壺の静物」1926年

    藤田嗣治「インク壺の静物」1926年

  • 佐伯祐三「休息(鉄道工夫)」1926年頃

    佐伯祐三「休息(鉄道工夫)」1926年頃

  • ジョルジュ・ルオー「裁判所のキリスト」1935年<br />20世紀最大の宗教画家と称されるルオーは、生涯を通じて多くのキリスト教的主題の作品を描きました。ルオーが独自のキリスト像を描き始めたのは、エコール・デ・ボザールを退学し、新しい画風を切り開いていた1904年頃のことです。粗々しい筆致で自身の日常を取り巻く都市の風景や、サーカスの道化師など市井の人々を描く中で、キリストの真実を追求する図像を手がけています。裁判所の主題は、1907年頃、友人の検事グラニエに連れられてセーヌ県裁判所に頻繁に出入りし、法廷を傍聴したことをきっかけに、1907年から14年の間に数多く見られ、その後も数は少ないものの繰り返し描かれました。当初よりこの主題に対するルオーの関心は、裁判所の舞台装置や個別の事件にかかわる正確な記録の絵画化ではなく、人が人を裁くという裁判そのものの持つ不条理にこそ向けられています。そして1930年代以降になると、裁判所の情景の中にキリストが登場し、新たな意味の深まりや感情が加わるようになります。この作品では、中央に、こちらをまっすぐに見つめるキリストが描かれています。周囲の赤く塗られた人々は、ルオーが見た裁判官や被告人の姿でしょうか。あるいは、キリストの受難物語における、法廷でキリストを嘲笑する大祭司や兵士たち、さらには、神をも裁こうとする普遍的な人間の姿なのかもしれません。

    ジョルジュ・ルオー「裁判所のキリスト」1935年
    20世紀最大の宗教画家と称されるルオーは、生涯を通じて多くのキリスト教的主題の作品を描きました。ルオーが独自のキリスト像を描き始めたのは、エコール・デ・ボザールを退学し、新しい画風を切り開いていた1904年頃のことです。粗々しい筆致で自身の日常を取り巻く都市の風景や、サーカスの道化師など市井の人々を描く中で、キリストの真実を追求する図像を手がけています。裁判所の主題は、1907年頃、友人の検事グラニエに連れられてセーヌ県裁判所に頻繁に出入りし、法廷を傍聴したことをきっかけに、1907年から14年の間に数多く見られ、その後も数は少ないものの繰り返し描かれました。当初よりこの主題に対するルオーの関心は、裁判所の舞台装置や個別の事件にかかわる正確な記録の絵画化ではなく、人が人を裁くという裁判そのものの持つ不条理にこそ向けられています。そして1930年代以降になると、裁判所の情景の中にキリストが登場し、新たな意味の深まりや感情が加わるようになります。この作品では、中央に、こちらをまっすぐに見つめるキリストが描かれています。周囲の赤く塗られた人々は、ルオーが見た裁判官や被告人の姿でしょうか。あるいは、キリストの受難物語における、法廷でキリストを嘲笑する大祭司や兵士たち、さらには、神をも裁こうとする普遍的な人間の姿なのかもしれません。

  • ジョルジュ・ルオー 「悪魔 III(『《悪の華》のために版刻された14図』より)1926年

    ジョルジュ・ルオー 「悪魔 III(『《悪の華》のために版刻された14図』より)1926年

  • 坂本繁二郎「老婆 」1923年

    坂本繁二郎「老婆 」1923年

  • 坂本繁二郎「パリ郊外」1923年

    坂本繁二郎「パリ郊外」1923年

  • 日本 有田 「古九谷花鳥文皿」 江戸時代 17世紀

    日本 有田 「古九谷花鳥文皿」 江戸時代 17世紀

  • 児島善三郎「海芋と麒麟草」1954年  <br />独立美術協会で活躍した児島善三郎は、フランス留学中に学んだ写実的な骨格と量感表現に、伝統的な日本の装飾様式の融合を図る「日本人の油絵」の創造を追求しました。この作品では、海芋(カラー)と黄色の麒麟草を主とした初夏の花が描かれています。存在感のあるカラーの花や葉が立体的に描かれ、奥行きを感じさせるのに対し、文様の施された花瓶やテーブルクロス、背景の描写では平面性が強調されています。その巧みな組み合わせによって生み出された不安定感と、画面の外にまでつづくと想像される大きな装飾文様がこの作品に広がりを与えています。

    児島善三郎「海芋と麒麟草」1954年
    独立美術協会で活躍した児島善三郎は、フランス留学中に学んだ写実的な骨格と量感表現に、伝統的な日本の装飾様式の融合を図る「日本人の油絵」の創造を追求しました。この作品では、海芋(カラー)と黄色の麒麟草を主とした初夏の花が描かれています。存在感のあるカラーの花や葉が立体的に描かれ、奥行きを感じさせるのに対し、文様の施された花瓶やテーブルクロス、背景の描写では平面性が強調されています。その巧みな組み合わせによって生み出された不安定感と、画面の外にまでつづくと想像される大きな装飾文様がこの作品に広がりを与えています。

  • 岡田三郎助「婦人像」1907年<br />岡田三郎助が、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で、1等賞を受けた作品です。鼓を締め合わせた紫色の紐に因み、当初は「紫調べ」と題されました。元禄風の豪華な着物をまとい、髷を結う婦人は、鼓を今まさに打ち鳴らそうとしています。背景には撫子と流水の配された琳派風の?風が描かれました。三越呉服店の経営にかかわり、元禄模様のブームの火付け役となった高橋義雄に依頼されたこの作品には、高橋の妻千代子が描かれています。三越呉服店の新柄陳列会のポスターや切手の原画として使用されたため、広く知られるところとなりました。

    岡田三郎助「婦人像」1907年
    岡田三郎助が、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で、1等賞を受けた作品です。鼓を締め合わせた紫色の紐に因み、当初は「紫調べ」と題されました。元禄風の豪華な着物をまとい、髷を結う婦人は、鼓を今まさに打ち鳴らそうとしています。背景には撫子と流水の配された琳派風の?風が描かれました。三越呉服店の経営にかかわり、元禄模様のブームの火付け役となった高橋義雄に依頼されたこの作品には、高橋の妻千代子が描かれています。三越呉服店の新柄陳列会のポスターや切手の原画として使用されたため、広く知られるところとなりました。

  • 坂本繁二郎 「放牧三馬」1932年<br />3頭の馬がそれぞれ正面、横、後ろに顔を向け、陽光に照らされて輝く体もそれぞれ正面、側面、背後からの姿に描き分けられています。中央の馬の目に用いられたエメラルドグリーンが、馬の体や脚、空、地面、背景に見える木々のところどころに基調色として用いられ、画面全体を引き締めています。<br /> 友人に馬の絵を注文されたのが最初のきっかけとなり、坂本は没するまで数多くの馬を描きました。九州の豊かな自然の中で躍動する馬の姿に魅せられ、気に入る馬を求めて放牧場や馬市を訪ね回ったといいます。

    坂本繁二郎 「放牧三馬」1932年
    3頭の馬がそれぞれ正面、横、後ろに顔を向け、陽光に照らされて輝く体もそれぞれ正面、側面、背後からの姿に描き分けられています。中央の馬の目に用いられたエメラルドグリーンが、馬の体や脚、空、地面、背景に見える木々のところどころに基調色として用いられ、画面全体を引き締めています。
     友人に馬の絵を注文されたのが最初のきっかけとなり、坂本は没するまで数多くの馬を描きました。九州の豊かな自然の中で躍動する馬の姿に魅せられ、気に入る馬を求めて放牧場や馬市を訪ね回ったといいます。

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