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「 アーティゾン美術館」では、2021年2月13日(土)から5月9日(日)まで、「アーティゾン美術館」の新しいコレクションを一堂に集めて紹介する「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」が開催されています。展覧会は14部構成となっていましたが、旅行記④では、7:デュシャンとニューヨーク、8:第二次大戦後のフランスの抽象美術を紹介します。<br />※作品解説は、HPより参照しています。<br />

Artizon Museum STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示④デュシャンとニューヨーク他

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2021/03/06 - 2021/03/06

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旅行記グループ アーティゾン美術館

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「 アーティゾン美術館」では、2021年2月13日(土)から5月9日(日)まで、「アーティゾン美術館」の新しいコレクションを一堂に集めて紹介する「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」が開催されています。展覧会は14部構成となっていましたが、旅行記④では、7:デュシャンとニューヨーク、8:第二次大戦後のフランスの抽象美術を紹介します。
※作品解説は、HPより参照しています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
  • 7:デュシャンとニューヨーク<br />アーティゾン美術館にマルセル・デュシャンが登場します。デュシャンの《トランクの箱》(1952年)は知られた作品ですが、石橋財団のコレクションとなったエディションは、シュルレアリスムの作家エンリコ・ドナティとその夫人に捧げられたものです。デュシャンの愛人マリア・マルティンスの足が描かれた素描(1946年)が箱の裏に収められています。このセクションでは、これに加えデュシャンによる『各階水道ガス完備』の特別豪華版(1959年)のほか、フランシス・ピカビア、マン・レイ、ジョゼフ・コーネルらの作品が紹介されていました。

    7:デュシャンとニューヨーク
    アーティゾン美術館にマルセル・デュシャンが登場します。デュシャンの《トランクの箱》(1952年)は知られた作品ですが、石橋財団のコレクションとなったエディションは、シュルレアリスムの作家エンリコ・ドナティとその夫人に捧げられたものです。デュシャンの愛人マリア・マルティンスの足が描かれた素描(1946年)が箱の裏に収められています。このセクションでは、これに加えデュシャンによる『各階水道ガス完備』の特別豪華版(1959年)のほか、フランシス・ピカビア、マン・レイ、ジョゼフ・コーネルらの作品が紹介されていました。

  • 展示室の様子。それほど混んでおらずゆっくりと鑑賞することができました。

    展示室の様子。それほど混んでおらずゆっくりと鑑賞することができました。

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

  • マルセル・デュシャン「マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱 )シリーズB」1952年、1946年<br />マルセル・デュシャンは、伝統的な西洋美術の価値観を揺るがす作品を生み出し、20世紀の美術に多大な影響を与えたフランスの芸術家。<br />

    マルセル・デュシャン「マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱 )シリーズB」1952年、1946年
    マルセル・デュシャンは、伝統的な西洋美術の価値観を揺るがす作品を生み出し、20世紀の美術に多大な影響を与えたフランスの芸術家。

  • マルセル・デュシャン「各階水道ガス完備(グランド・デラックス・エディション:D)」1959年

    マルセル・デュシャン「各階水道ガス完備(グランド・デラックス・エディション:D)」1959年

  • マルセル・デュシャン(による)「チェス・ケース」1991年<br />デュシャンは、チェスの選手として大会に出るほどの熟練者でした。このカタログは、1991年にベルギー・アントワープのロニー・ヴァン・ド・ヴェルド・ギャラリーで開催されたデュシャン展に際し、850部限定で制作されたもので、チェス・ボードがモティーフになっています。

    マルセル・デュシャン(による)「チェス・ケース」1991年
    デュシャンは、チェスの選手として大会に出るほどの熟練者でした。このカタログは、1991年にベルギー・アントワープのロニー・ヴァン・ド・ヴェルド・ギャラリーで開催されたデュシャン展に際し、850部限定で制作されたもので、チェス・ボードがモティーフになっています。

  • 瀧口修造 岡崎和郎「檢眼圖」1977年

    瀧口修造 岡崎和郎「檢眼圖」1977年

  • マン・レイ「アストロラーベ(天体観測器)」1957年考案(1964年までに再制作)  <br />マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー )は、アメリカとフランスで活動した画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られます。レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残しています。

    マン・レイ「アストロラーベ(天体観測器)」1957年考案(1964年までに再制作)
    マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー )は、アメリカとフランスで活動した画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られます。レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残しています。

  • フランシス・ピカビア「アニメーション」1914年<br />ピカビアはダダとシュルレアリスムにかかわり、フランスとアメリカで活動した画家です。初め印象派の影響のもとに自然主義的な画風を示しましたが、1912年に詩人ギヨーム・アポリネールを通してオルフィスムを知り、色彩豊かなキュビスム的な作風に移行。やがて純粋な創意による抽象的な画面を生み出しました。1913年には、ニューヨークで開催された現代美術展アーモリー・ショーに参加するために渡米。これはその頃に描かれた作品で、発展著しい都市のスピード感に溢れる喧騒に霊感を得て、形象の断片がリズミカルな色彩のグラデーションで構成されています。

    フランシス・ピカビア「アニメーション」1914年
    ピカビアはダダとシュルレアリスムにかかわり、フランスとアメリカで活動した画家です。初め印象派の影響のもとに自然主義的な画風を示しましたが、1912年に詩人ギヨーム・アポリネールを通してオルフィスムを知り、色彩豊かなキュビスム的な作風に移行。やがて純粋な創意による抽象的な画面を生み出しました。1913年には、ニューヨークで開催された現代美術展アーモリー・ショーに参加するために渡米。これはその頃に描かれた作品で、発展著しい都市のスピード感に溢れる喧騒に霊感を得て、形象の断片がリズミカルな色彩のグラデーションで構成されています。

  • コンスタンティン・ブランクーシ「接吻」1907-10年<br />ブランクーシはブカレストの国立美術学校で彫刻を学んだ後、1904年にパリに出て彫刻家の道を歩み始めます。ロダンの影響をうかがわせる具象的な人物像を手がけた後、ルーマニアで少年期より親しんでいた木や石の直彫りの手法に転じ、素朴で単純化された造形に向かいます。この作品はその最初期の作例で、石の直彫りに基づいて制作された石膏によるヴァージョンです。石の塊を切り出したような野性味を全体としてとどめつつ、主題である男女の結びつきが大らかにして簡潔な形態で表されています。

    コンスタンティン・ブランクーシ「接吻」1907-10年
    ブランクーシはブカレストの国立美術学校で彫刻を学んだ後、1904年にパリに出て彫刻家の道を歩み始めます。ロダンの影響をうかがわせる具象的な人物像を手がけた後、ルーマニアで少年期より親しんでいた木や石の直彫りの手法に転じ、素朴で単純化された造形に向かいます。この作品はその最初期の作例で、石の直彫りに基づいて制作された石膏によるヴァージョンです。石の塊を切り出したような野性味を全体としてとどめつつ、主題である男女の結びつきが大らかにして簡潔な形態で表されています。

  • ジョゼフ・コーネル「見捨てられた止まり木」1949年<br />ジョゼフ・コーネルは アメリカのアーティストで、アッサンブラージュの先駆者の一人。コーネルの代表作は身の回りにあるもので作られたアッサンブラージュの箱で、生涯に800点以上の箱の作品を制作しています。前面がガラス板で閉じられたシンプルな箱の中に、コレクションしてきた膨大な数の写真、骨董、本の1ページを入れ、構成した箱です。

    ジョゼフ・コーネル「見捨てられた止まり木」1949年
    ジョゼフ・コーネルは アメリカのアーティストで、アッサンブラージュの先駆者の一人。コーネルの代表作は身の回りにあるもので作られたアッサンブラージュの箱で、生涯に800点以上の箱の作品を制作しています。前面がガラス板で閉じられたシンプルな箱の中に、コレクションしてきた膨大な数の写真、骨董、本の1ページを入れ、構成した箱です。

  • ジョゼフ・コーネル「無題(星座 )」1958-62年<br />「見捨てられた止まり木」のおよそ10年後に制作された作品。横長の箱は全体が青緑色の塗料が塗られ、内部は白く、各所に古びた剥がれがあります。底面には木の板が取り付けれられ11本の白い釘が打たれています。上辺には鉄の棒がわたされ金属の輪。正面には星座図が貼ってあり、星座は手で彩色されています。小さい空間ながら、コーネルが関心を持っていた事物で満たされています。

    ジョゼフ・コーネル「無題(星座 )」1958-62年
    「見捨てられた止まり木」のおよそ10年後に制作された作品。横長の箱は全体が青緑色の塗料が塗られ、内部は白く、各所に古びた剥がれがあります。底面には木の板が取り付けれられ11本の白い釘が打たれています。上辺には鉄の棒がわたされ金属の輪。正面には星座図が貼ってあり、星座は手で彩色されています。小さい空間ながら、コーネルが関心を持っていた事物で満たされています。

  • ジョゼフ・コーネル「衛星の観測 I」1956年頃<br />ジョゼフ・コーネルは、箱の作品を多く制作する一方で、独自の魅力を放つ多彩なコラージュ作品を手がけています。本作にはベラスケスのらす・メニ―ナスの女王、ハチドリ、幾何学形態などの絵柄がコラージュされています。

    ジョゼフ・コーネル「衛星の観測 I」1956年頃
    ジョゼフ・コーネルは、箱の作品を多く制作する一方で、独自の魅力を放つ多彩なコラージュ作品を手がけています。本作にはベラスケスのらす・メニ―ナスの女王、ハチドリ、幾何学形態などの絵柄がコラージュされています。

  • ジョゼフ・コーネル「無題(今から5万年後)」1960年代初頭  <br />1960年代初頭の「無題(今から5万年後)」は、北斗七星がそれぞれの星の動きにより、5万年後にはどのような形になるかを示す予想図を貼り込んだコラージュになっています。<br />

    ジョゼフ・コーネル「無題(今から5万年後)」1960年代初頭
    1960年代初頭の「無題(今から5万年後)」は、北斗七星がそれぞれの星の動きにより、5万年後にはどのような形になるかを示す予想図を貼り込んだコラージュになっています。

  • ジョゼフ・コーネル「ペニー・アーケイド(ランナー・ワルツ)」1964-66年頃<br />惑星や人形、星座のイメージをもってウインナ・ワルツの生みの親と言われる19世紀の作曲家ヨーゼフ・ランナーを主題としています。

    ジョゼフ・コーネル「ペニー・アーケイド(ランナー・ワルツ)」1964-66年頃
    惑星や人形、星座のイメージをもってウインナ・ワルツの生みの親と言われる19世紀の作曲家ヨーゼフ・ランナーを主題としています。

  • イサム・ノグチ「魚の顔 No.2」1983年<br />パリのユネスコ本部の庭園設計プロジェクト《ユネスコ庭園》(1956?58年)に用いる石を探したことを契機に、ノグチは花崗岩の彫刻に取り組み、1960年代後半以降、制作の中心は石の彫刻となります。高硬度の花崗岩である庵治石の産地、香川県牟礼のアトリエと、ニューヨークのアトリエとを拠点に制作に打ち込んだノグチは、石の中に宇宙観をとらえ、石の本質とそこに潜む輝きを見出し、時の経過にかかわらず残る普遍性を形にしようとしました。ノグチがこの作品で探求した石の姿は、自然のままの表面と、彫刻が施された部分との組み合わせによって体現されています。

    イサム・ノグチ「魚の顔 No.2」1983年
    パリのユネスコ本部の庭園設計プロジェクト《ユネスコ庭園》(1956?58年)に用いる石を探したことを契機に、ノグチは花崗岩の彫刻に取り組み、1960年代後半以降、制作の中心は石の彫刻となります。高硬度の花崗岩である庵治石の産地、香川県牟礼のアトリエと、ニューヨークのアトリエとを拠点に制作に打ち込んだノグチは、石の中に宇宙観をとらえ、石の本質とそこに潜む輝きを見出し、時の経過にかかわらず残る普遍性を形にしようとしました。ノグチがこの作品で探求した石の姿は、自然のままの表面と、彫刻が施された部分との組み合わせによって体現されています。

  • アレクサンダー・コールダー「単眼鏡」1947年<br />アメリカ出身のコールダーは1926年にパリに出て、この頃より金属を使った彫刻をつくり始めました。1930年代初頭、モノクローム、あるいは原色を用いた抽象のキネティック彫刻「モビール」を手がけ始め、金属板が支え合う動かない抽象彫刻「スタビル」の制作も始めました。この作品はスタビルのひとつです。複数の黒い金属の板で構成された形態は、360度それぞれの角度から見ると別の表情を見せます。作品名の由来は、作品最上部の孔の空いた板に取り付けられた小さな形態によるものでしょう。

    アレクサンダー・コールダー「単眼鏡」1947年
    アメリカ出身のコールダーは1926年にパリに出て、この頃より金属を使った彫刻をつくり始めました。1930年代初頭、モノクローム、あるいは原色を用いた抽象のキネティック彫刻「モビール」を手がけ始め、金属板が支え合う動かない抽象彫刻「スタビル」の制作も始めました。この作品はスタビルのひとつです。複数の黒い金属の板で構成された形態は、360度それぞれの角度から見ると別の表情を見せます。作品名の由来は、作品最上部の孔の空いた板に取り付けられた小さな形態によるものでしょう。

  • 8:第二次大戦後のフランスの抽象美術<br />石橋財団は、フランスの戦後抽象芸術の収集にも力を入れており、近年もこの分野の充実につとめました。新収蔵品のジャン・デュビュッフェ《泥の中の顔》(1946年)は、戦後間もない頃にパリのルネ・ドルーアン画廊で開催された「ミロボリュス、マカダム商会:ジャン・デュビュッフェの厚塗り」展(1946年)に出品されたと考えられています。このようなイメージはデュビュッフェ特有の様式で、伝統的な様式や技法にとらわれず、人間の生命力がみなぎる表現を模索していた頃の作品です。このセクションでは、そのほかヴォルス、ザオ・ウーキー、モーリス・エステーヴらの新収蔵作品が紹介されています。

    8:第二次大戦後のフランスの抽象美術
    石橋財団は、フランスの戦後抽象芸術の収集にも力を入れており、近年もこの分野の充実につとめました。新収蔵品のジャン・デュビュッフェ《泥の中の顔》(1946年)は、戦後間もない頃にパリのルネ・ドルーアン画廊で開催された「ミロボリュス、マカダム商会:ジャン・デュビュッフェの厚塗り」展(1946年)に出品されたと考えられています。このようなイメージはデュビュッフェ特有の様式で、伝統的な様式や技法にとらわれず、人間の生命力がみなぎる表現を模索していた頃の作品です。このセクションでは、そのほかヴォルス、ザオ・ウーキー、モーリス・エステーヴらの新収蔵作品が紹介されています。

  • ジャン・デュビュッフェ「泥の中の顔」1946年<br />子どもが泥遊びの途中に地面に描いたようなひょうきんなイメージの作品です

    ジャン・デュビュッフェ「泥の中の顔」1946年
    子どもが泥遊びの途中に地面に描いたようなひょうきんなイメージの作品です

  • ジャン・デュビュッフェ「ミリヴィ・デ・ナチュルジ」1963年<br />アール・ブリュット(生の芸術)を提唱し、既存の価値観に縛られない芸術を見出したジャン・デュビュッフェは、多くの挿絵本を手がけました。本作は重ね刷りされた16点のリトグラフを中心に構成されており、革や石などの表面の擦り出すフロッタージュの技法が見てとれます。

    ジャン・デュビュッフェ「ミリヴィ・デ・ナチュルジ」1963年
    アール・ブリュット(生の芸術)を提唱し、既存の価値観に縛られない芸術を見出したジャン・デュビュッフェは、多くの挿絵本を手がけました。本作は重ね刷りされた16点のリトグラフを中心に構成されており、革や石などの表面の擦り出すフロッタージュの技法が見てとれます。

  • ジャン・デュビュッフェ「スカーフを巻くエディット・ボワソナス」 1947年<br />実家のワイン卸業を経て画家に転身したジャン・デュビュッフェは、精神に直接訴える芸術を目指しました。モデルのエディット・ボワソナスはスイス出身の詩人ですが、顔の特徴をとらえつつ、全体を戯画的に簡略化した表現は、デュビュッフェ独特の人間観を表しています。

    ジャン・デュビュッフェ「スカーフを巻くエディット・ボワソナス」 1947年
    実家のワイン卸業を経て画家に転身したジャン・デュビュッフェは、精神に直接訴える芸術を目指しました。モデルのエディット・ボワソナスはスイス出身の詩人ですが、顔の特徴をとらえつつ、全体を戯画的に簡略化した表現は、デュビュッフェ独特の人間観を表しています。

  • ジャン・フォートリエ「人質の頭部 」1945年<br />深緑色の画面に、目が何層にも連なったゆがんだ顔が厚塗りの絵具で描かれています。第二次大戦中、フォートリエはレジスタンス活動に参加し拘禁されました。「人質」の連作は、この不幸な出来事をきっかけに、占領下に虐殺された人々を悼んで制作されたものです

    ジャン・フォートリエ「人質の頭部 」1945年
    深緑色の画面に、目が何層にも連なったゆがんだ顔が厚塗りの絵具で描かれています。第二次大戦中、フォートリエはレジスタンス活動に参加し拘禁されました。「人質」の連作は、この不幸な出来事をきっかけに、占領下に虐殺された人々を悼んで制作されたものです

  • ヴォルス「無題」1950年<br />ヴォルス――本名アルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツは、1913年、ベルリンの豊かで教養ある家庭に生まれました。音楽と詩を愛し、特にヴァイオリンを弾くことが好きだった少年は、勉学のかたわら独学で水彩画も描いていましたが、16歳のときに最愛の父親を亡くし、大学進学を断念します。<br />その後写真の修行を積み、1937年にはフランスで写真家としての才能を認められ、売れっ子の生活を送るものの、戦争の勃発によってドイツ人のヴォルスは敵国人とみなされ、収容所に収監されてしまいます。戦後、絵画作品がルネ・ドルーアンに認められ、1945年に同画廊で個展を開催。アンフォルメルの先駆のひとりとして位置づけられも1951年に早世しました。

    ヴォルス「無題」1950年
    ヴォルス――本名アルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツは、1913年、ベルリンの豊かで教養ある家庭に生まれました。音楽と詩を愛し、特にヴァイオリンを弾くことが好きだった少年は、勉学のかたわら独学で水彩画も描いていましたが、16歳のときに最愛の父親を亡くし、大学進学を断念します。
    その後写真の修行を積み、1937年にはフランスで写真家としての才能を認められ、売れっ子の生活を送るものの、戦争の勃発によってドイツ人のヴォルスは敵国人とみなされ、収容所に収監されてしまいます。戦後、絵画作品がルネ・ドルーアンに認められ、1945年に同画廊で個展を開催。アンフォルメルの先駆のひとりとして位置づけられも1951年に早世しました。

  • ヴォルス「無題」年代不詳<br />「無題」は、微小な生物を思わせる抽象形態を細密な描線と限定された色彩で表した作品で、1940年代半ばまでのヴォルス作品の主特徴を示しています。それらには紙に水彩を用いる作品が多い一方で、画面の中央部の青に見られるような鮮やかな不透明色彩や、二重に引かれた描線などは、1944-45年頃の作品の特徴をうかがわせます。

    ヴォルス「無題」年代不詳
    「無題」は、微小な生物を思わせる抽象形態を細密な描線と限定された色彩で表した作品で、1940年代半ばまでのヴォルス作品の主特徴を示しています。それらには紙に水彩を用いる作品が多い一方で、画面の中央部の青に見られるような鮮やかな不透明色彩や、二重に引かれた描線などは、1944-45年頃の作品の特徴をうかがわせます。

  • ヴォルス『スコットランドの羊飼い』(ジャン・ポーラン著)のための挿絵 1948年<br />ヴォルスは1945年から1949年までの期間に集中して版画制作を行いました。それらの多くは銅版画で、うち25点はジャン=ポール・サルトルなど文学者たちの著書の挿絵です。

    ヴォルス『スコットランドの羊飼い』(ジャン・ポーラン著)のための挿絵 1948年
    ヴォルスは1945年から1949年までの期間に集中して版画制作を行いました。それらの多くは銅版画で、うち25点はジャン=ポール・サルトルなど文学者たちの著書の挿絵です。

  • ザオ・ウーキー「無題 (Sep.50)」1950年<br />1948年に中国から渡仏したザオは、20世紀の西欧美術の受容を進め、その絵画は抽象性を強めていきます。<br />

    ザオ・ウーキー「無題 (Sep.50)」1950年
    1948年に中国から渡仏したザオは、20世紀の西欧美術の受容を進め、その絵画は抽象性を強めていきます。

  • ザオ・ウーキー「水に沈んだ都市」1954年<br />1954年に制作されたとみられる本作品では、方形の建物や尖塔などヨーロッパに特徴的な都市の景観が描かれていますが、対象を象る簡潔かつ暗示的な描線は、1950年代にとりわけ傾倒したクレーのそれを思わせます。温かみのある色彩を帯びて仄かな光を放つ街並みが、一面の鮮やかな青に包み込まれていますが、タイトルはそれが水であることを示しています。

    ザオ・ウーキー「水に沈んだ都市」1954年
    1954年に制作されたとみられる本作品では、方形の建物や尖塔などヨーロッパに特徴的な都市の景観が描かれていますが、対象を象る簡潔かつ暗示的な描線は、1950年代にとりわけ傾倒したクレーのそれを思わせます。温かみのある色彩を帯びて仄かな光を放つ街並みが、一面の鮮やかな青に包み込まれていますが、タイトルはそれが水であることを示しています。

  • 「水に沈んだ都市」(部分拡大)<br />この時期のザオの作品には、その着想にまつわる言葉をタイトルに付した作例が少なくないが、本作もその一つと見られ、詩的な効果とイメージの戯れによる複合的な効果を追求する意図がうかがえます。

    「水に沈んだ都市」(部分拡大)
    この時期のザオの作品には、その着想にまつわる言葉をタイトルに付した作例が少なくないが、本作もその一つと見られ、詩的な効果とイメージの戯れによる複合的な効果を追求する意図がうかがえます。

  • モーリス・エステーヴ「ブーローニュ」1957年  <br />モーリス・エステーヴはフランスの画家。1924年にモンパルナスの画塾アカデミー・コロラッシで学び、ここでキュービズムやフォービズムに影響を受けた作品を制作し始めました。1920年頃から次第にその作品は抽象性を帯びていき、1940年代までには完全な抽象へと移行していきました。明るい色彩で画面を構成するエステーヴの作品は、当時の抽象絵画の中でも特異な位置を示していました。本作においても原色に近い色彩と白が塗られた繊細な色面が編み込まれたような画面構成がなされており、奥行きを感じさせる軽快な空間を生み出しています。

    モーリス・エステーヴ「ブーローニュ」1957年
    モーリス・エステーヴはフランスの画家。1924年にモンパルナスの画塾アカデミー・コロラッシで学び、ここでキュービズムやフォービズムに影響を受けた作品を制作し始めました。1920年頃から次第にその作品は抽象性を帯びていき、1940年代までには完全な抽象へと移行していきました。明るい色彩で画面を構成するエステーヴの作品は、当時の抽象絵画の中でも特異な位置を示していました。本作においても原色に近い色彩と白が塗られた繊細な色面が編み込まれたような画面構成がなされており、奥行きを感じさせる軽快な空間を生み出しています。

  • 堂本尚郎「集中する力」 1958年<br />1952年に伯父である堂本印象に随行した欧州滞在を機にパリへと渡った堂本は、油彩画へ転向。日本人画家の今井俊満や菅井汲とも親交を結んだ。1956年、ミシェル・タピエが主導する“アンフォルメル”運動に身を投じる。厚塗りの油絵とうねり渦巻く躍動的な形態という新たな画面を生み出し、非定型の抽象表現を目指すアンフォルメル運動の中心人物として脚光を浴びました。

    堂本尚郎「集中する力」 1958年
    1952年に伯父である堂本印象に随行した欧州滞在を機にパリへと渡った堂本は、油彩画へ転向。日本人画家の今井俊満や菅井汲とも親交を結んだ。1956年、ミシェル・タピエが主導する“アンフォルメル”運動に身を投じる。厚塗りの油絵とうねり渦巻く躍動的な形態という新たな画面を生み出し、非定型の抽象表現を目指すアンフォルメル運動の中心人物として脚光を浴びました。

  • アルベルト・ジャコメッティ「矢内原」 1958年<br />実存主義哲学の研究員であった矢内原伊作がアルベルト・ジャコメッティと出会ったのは、フランス国立科学研究センターの研究員としてパリに滞在していた1955年のことですが、矢内原の顔のデッサンを試みたのを皮切りにモデルと画家の対峙がはじまります。その後も彼を描くことに拘り、彼を1957年から1961年にかけて、4回もモデルとして日本からパリに招聘しています。

    アルベルト・ジャコメッティ「矢内原」 1958年
    実存主義哲学の研究員であった矢内原伊作がアルベルト・ジャコメッティと出会ったのは、フランス国立科学研究センターの研究員としてパリに滞在していた1955年のことですが、矢内原の顔のデッサンを試みたのを皮切りにモデルと画家の対峙がはじまります。その後も彼を描くことに拘り、彼を1957年から1961年にかけて、4回もモデルとして日本からパリに招聘しています。

  • アルベルト・ジャコメッティ「ディエゴの胸像」1954-55年<br />スイスの彫刻家・画家ジャコメッティは、若くしてシュルレアリスムの周辺で高い評価を受けた後、1940年代以降は主題を一変させ、人物の姿を見えるままに再現する試みに専心しました。この作品は、1951年から約4年間にわたって制作された、弟ディエゴをモデルとする肖像群の中の1点です。胸部の安定感と対照的に、首から上は頂部をなす鼻筋と唇、顎を残して肉が削ぎ落とされ、頭部の形態を把握する難しさを物語ります。結果として彫像の獲得した正面性は、見る者をおのずと正対させ、それはモデルを凝視する作家の視線をなぞることになるのです。

    アルベルト・ジャコメッティ「ディエゴの胸像」1954-55年
    スイスの彫刻家・画家ジャコメッティは、若くしてシュルレアリスムの周辺で高い評価を受けた後、1940年代以降は主題を一変させ、人物の姿を見えるままに再現する試みに専心しました。この作品は、1951年から約4年間にわたって制作された、弟ディエゴをモデルとする肖像群の中の1点です。胸部の安定感と対照的に、首から上は頂部をなす鼻筋と唇、顎を残して肉が削ぎ落とされ、頭部の形態を把握する難しさを物語ります。結果として彫像の獲得した正面性は、見る者をおのずと正対させ、それはモデルを凝視する作家の視線をなぞることになるのです。

  • オシップ・ザツキン「ポモナ(トルソ)」 1951年<br />オシップ・ザツキンは、ロシア出身でフランスで活躍した彫刻家。

    オシップ・ザツキン「ポモナ(トルソ)」 1951年
    オシップ・ザツキンは、ロシア出身でフランスで活躍した彫刻家。

  • 中国陶磁器と日本近世美術のコーナーです。<br />狩野典信「松梅図屏風」江戸時代(左隻)<br /><br />

    中国陶磁器と日本近世美術のコーナーです。
    狩野典信「松梅図屏風」江戸時代(左隻)

  • 狩野典信「松梅図屏風」江戸時代(右隻)<br />画面いっぱいに枝を伸ばす松と梅の巨木は、松樹はどっしりと、梅樹は軽やかに、呼応するかのように描かれています。大胆でスピードを感じさせる墨線が主体な中、小さな梅花がほのかな彩りを添えています。大きな画面に総金箔貼り、松に梅という題材から、この?風が、晴れの場のために制作されたであろうことが想像されます。そして、その時期は1780(安永9)年から1790(寛政2)年、木挽町狩野家の六代目典信が法印に叙されてから没するまでの間であることを、「榮川院法印筆」の落款が示しています。

    狩野典信「松梅図屏風」江戸時代(右隻)
    画面いっぱいに枝を伸ばす松と梅の巨木は、松樹はどっしりと、梅樹は軽やかに、呼応するかのように描かれています。大胆でスピードを感じさせる墨線が主体な中、小さな梅花がほのかな彩りを添えています。大きな画面に総金箔貼り、松に梅という題材から、この?風が、晴れの場のために制作されたであろうことが想像されます。そして、その時期は1780(安永9)年から1790(寛政2)年、木挽町狩野家の六代目典信が法印に叙されてから没するまでの間であることを、「榮川院法印筆」の落款が示しています。

  • 中国 龍泉窯《青磁鉄斑文瓶(飛青磁花瓶)》元時代 <br />胴から緩やかに膨らんで丸く張った肩。そこからすっと伸びた頸と、らっぱ状に広がった口。きめの細かい胎土でつくる優美な形は、釉薬のベールをまとって艶やかな趣を見せています。魅力的な釉の色味を引き立てるのは、黒褐色の斑点で、無造作に見せながら、その形も配置も絶妙なバランスでなされています。このような鉄斑文を施した青磁は、中国元時代、14世紀に龍泉窯で制作されました。日本では「飛青磁」と呼ばれ、特に茶人の間で珍重された青磁です。現存する他の例では大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する国宝の玉壺春瓶が知られます。

    中国 龍泉窯《青磁鉄斑文瓶(飛青磁花瓶)》元時代 
    胴から緩やかに膨らんで丸く張った肩。そこからすっと伸びた頸と、らっぱ状に広がった口。きめの細かい胎土でつくる優美な形は、釉薬のベールをまとって艶やかな趣を見せています。魅力的な釉の色味を引き立てるのは、黒褐色の斑点で、無造作に見せながら、その形も配置も絶妙なバランスでなされています。このような鉄斑文を施した青磁は、中国元時代、14世紀に龍泉窯で制作されました。日本では「飛青磁」と呼ばれ、特に茶人の間で珍重された青磁です。現存する他の例では大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵する国宝の玉壺春瓶が知られます。

  • 中国 景徳鎮窯「緑地紅彩宝相華唐草文瓢形瓶」明時代 嘉靖年間

    中国 景徳鎮窯「緑地紅彩宝相華唐草文瓢形瓶」明時代 嘉靖年間

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