2021/03/06 - 2021/03/06
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+mo2さん
「 アーティゾン美術館」では、2021年2月13日(土)から5月9日(日)まで、「アーティゾン美術館」の新しいコレクションを一堂に集めて紹介する「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」が開催されています。横浜ベイシェラトンで甥っ子たちとランチビュッフェを満喫した後、行ってきました。
以下「Artizon Museum HP」より
近年、石橋財団は印象派や日本近代洋画など、従来の核となるコレクションを充実させる一方で、抽象表現を中心とする 20 世紀初頭から現代までの美術、日本の近世美術など、コレクションの幅を広げています。それら新しいコレクションの一部は、2020 年 1 月の開館以来徐々にご紹介してきましたが、まだまだお見せしていない作品があります。キュビスムの画家たち、アンリ・マティスのドローイング、マルセル・デュシャン、抽象表現主義の女性画家たち、瀧口修造と実験工房、オーストラリアの現代絵画など、未公開の新収蔵作品 92 点を中心に 201 点、さらに芸術家の肖像写真コレクションから 87 点で構成する本展で、さらに前進を続けるアーティゾン美術館の今をお見せします。
※作品解説は、HPより参照しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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会期は、2021年2月13日[土] - 5月9日(日)でしたが、先ほどHPをみたら
「クロート?・モネ ー風景への問いかけ」展のコロナ感染状況による開幕延期により、9月5日[日]まで延長となっていました。アーティゾン美術館 美術館・博物館
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展覧会のオープニングで、さっそく新収蔵品、藤島武二の《東洋振り》(1924年)が紹介されていました。石橋財団のコレクションは、中近東とギリシア・ローマなどの古代美術、西洋と日本の近代美術など多岐にわたりますが、創設時よりその中心となったのは、印象派以降のフランスを中心とする西洋近代美術と青木繁や藤島武二ら日本近代洋画の黎明期を代表する画家たちの作品です。このセクションでは、《東洋振り》を中心に日本近代洋画、西洋近代絵画の名品とともにご紹介します。
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入場して最初の展示室。部屋の中央に置かれているのがこちらの作品。
藤島武二「東洋振り」1924(大正13)年
西洋の肖像画のようでありながら、人物と衣装は中国風。エキゾチックな魅力に溢れた作品です。 -
イタリア・ルネサンス期の横顔肖像の構図を借りて、中国服を着た日本人女性の横顔を描いた「東洋振り」は、藤島の留学後10年にしてあらたな躍進の契機となった作品です。その後、横顔のシリーズは1927年まで同様の作品を集中的に制作されており、ポーラ美術館の「女の横顔」などがあります。
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黒田清輝「針仕事」1890年
法律を学ぶためにパリへ留学した黒田清輝は、画家山本芳翠らに勧められて洋画家に転向します。伝統的なアカデミズムと新しい外光表現を合わせ持つラファエル・コランに師事し、サロンに入選するまでの技量を身につけました。28歳で帰国した後は、洋画壇に新風を吹き込み、有力な旧薩摩藩士の嫡男という出自もあって、招かれて東京美術学校に新設された西洋画科を率いることとなります。西洋の絵画学習法や主題の選び方など美術にかかわる基本的枠組みを日本に移入しようと心がけ、明治期後半の美術界に大きな役割を果たしました。
この作品は、留学中のフランスで描かれました。黒田はパリの南東70kmにある小村グレー=シュル= ロワンを愛してしばしば滞在し、都会から離れ自然と人間生活が調和し、多くの外国人美術家を惹きつけたこの村で、肩肘の張らないのびのびとした作品を数多く残しています。窓辺で無心に針仕事にいそしむ女性は、黒田が部屋を借りていた農家の娘、当時19歳のマリア・ビヨーです。マリアはたびたび黒田のモデルをつとめ、画家に様々なインスピレーションを与えました。窓から差し込む光がマリアの体を包み込み、画面全体をやわらかくほぐしていて、当時の黒田が光の扱い方に取り組んでいたことを教えてくれます。また、後年まで黒田が好んだ、労働する女性という主題の萌芽を見つけることもできるでしょう -
藤島武二「天平の面影」1902年
藤島武二は、明治30年代から昭和10年代まで日本の洋画壇を牽引し、また東京美術学校の指導者として後進を育てた画家です。日本人による油彩画のあり方を突き詰めて追求し、その技法と材料の特性を生かし切った画面をつくり出しました。
30代半ばに描かれたこの作品は、明治浪漫主義と呼ばれ、時間や空間を超えた彼方への感情を表そうとした時代の典型作です。前年の奈良旅行で心に留めた8世紀の仏像、仏画、正倉院宝物をもとにして、藤島はモティーフを組み合わせました。花咲く桐の下に立つ女性は、奈良時代の衣装を身につけ、箜篌という古代楽器を手にしています。その健康的な体軀は、右脚に体重を載せ、自由の利く左膝を少し前に出すことによって、頭頂に至るまで緩やかに体の軸線がS 字を描いています。古代ギリシアで生み出されたコントラポストと呼ばれるポーズです。東洋と西洋の2つの古代への憧憬を、藤島は具体的な女性像に重ね合わせました。背景の金地は、その物語性をより強める効果を持っています。シルクロードを通じて西洋文化が流入し、日本の古典古代ともいうべき文化が栄えた奈良時代への憧れ。画家の感情を見る者に共感させる力をこの作品は持っています。白馬会展に発表されると、ただちに象徴派詩人蒲原有明が反応し、この作品を美麗な言葉でうたい上げました。 -
藤島武二「黒扇」1908-09年
現在、藤島武二のローマ時代の代表作として広く知られた作品ですが、発表されたのは画家の最晩年のことです。画室の奥深く、中二階へ上がる階段の裏にカンヴァスのまま長く鋲で留められていたといいます。病床にあった藤島の代わりに弟子の小堀四郎が取り出し、木枠に張ってニスを塗ったところきれいな画面が蘇って、藤島がとても喜んだという逸話が伝えられます。なぜ人に見せようとしなかったのかは、モデルと画家の特別なかかわりなど、私たちに様々な想像をかき立てさせますが、その理由はよくわかりません。
まっすぐにこちらに向けるもの言いたげな眼差し、鼻梁や頰のハイライトがモデルの美貌を引き立たせ、青を効果的に用いた陰翳が、画面に生き生きとした輝きと深みをもたらしています。白いベールや黒い扇は、ためらいのない力強い筆づかいで大づかみに描かれています。繊細な色彩の取り合わせと大胆な筆の動きの絶妙な組み合わせが、見る者の心をとらえます。モデルが身につけるベールや扇は、19世紀ヨーロッパで様々に浸透していたスペイン趣味を思い起こさせます。エドゥアール・マネの作品などを通じてパリで体感した時代の嗜好を、ローマでも追体験しているかのようです。終生、身近において決して手放そうとしなかったこの作品を、藤島はおそらく亡くなる前年に、信頼するコレクター石橋正二郎に託しました。 -
青木繁 「わだつみのいろこの宮」1907年
読書家だった青木繁は内外の神話を広く読みあさり、その中から特に日本神話に取材した作品をいくつも残しました。この作品も『古事記』から取られています。兄の海幸彦から借りた釣針をなくした山幸彦は、それを探し求めて海底に下りていきます。すると「魚鱗のごとく造れる」海神綿津見の宮殿があり、その入り口に井戸を見つけました。水を汲みに宮殿から出て来た侍女が桂樹にすわる山幸彦に気づき、海神の娘、豊玉姫を呼びます。山幸彦と視線を交わす左の赤い衣が豊玉姫、右の白い衣が侍女です。やがて山幸彦と豊玉姫は結ばれて、2人の間に生まれた男児が天皇家の祖となります。
縦に細長い画面に3人の人物を配した構図には、青木が日本に舶載された印刷物などを通じて学んだ、イギリスのラファエル前派の影響が見て取れます。また、ギュスターヴ・モローの色づかいにも感化されていることを青木は語っています。青木は、日本にいて遠く離れた西洋の世紀末美術の特質を鋭敏に感じ取っていました。この作品は1907(明治40)年春に開かれた東京勧業博覧会に出品するために制作され、未完成作品の多い青木の中では完成度の高いものです。会場でこれを見た夏目漱石は、2年後の小説『それから』の中で、「いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った」と書いています。 -
青木繁 「海の幸」1904年
青木繁は、美術と文学が交感しあいロマン主義が勃興した時代を代表する画家です。28歳で夭折する生涯は、この時代の先端を駆け抜けたものといえるでしょう。
1904(明治37)年7月半ば、東京美術学校西洋画科を卒業したばかりの22歳の青木は、友人の画家坂本繁二郎、森田恒友、福田たねと、千葉県館山の布良海岸へ写生旅行に出かけました。この太平洋の黒潮に向きあう漁村に約1カ月半滞在し、その間に制作された代表作がこの《海の幸》です。後年、坂本は、自分が目にした大漁陸揚げの様子を宿に帰って青木に話したところ、翌日からこの作品の制作に取り掛かった、と証言しています。坂本は実際の漁港の情景とはまったく異なるものだと語っていますが、目撃談だけからこうしたイメージを思い浮かべてしまうところに、青木の想像力と創造力のきらめきがよく表れています。 -
坂本繁二郎 「放牧三馬」1932年
生涯にわたって牛や馬、能面や月などの題材を多く描いた坂本繁二郎は、小学校の代用教員時代に石橋正二郎に美術を教え、のちに青木繁の作品収集を勧めた人物でもあります。1921(大正10)年39歳のときにパリへ留学し、それまでの筆あとを強調した印象派風の描き方から、対象がやや単純化され、淡い色調の色面によって装飾的に表現される作風へと変わりました。1924年に帰国し、そのまま家族の待つ郷里久留米市へ戻り、さらに1931年、茶の生産地として有名な八女市へ転居、パリの下宿と同じような天井まで窓のあるアトリエを自宅から少し離れた場所に建てました。
その新しいアトリエで描かれたのがこの作品です。3頭の馬がそれぞれ正面、横、後ろに顔を向け、陽光に照らされて輝く体もそれぞれ正面、側面、背後からの姿に描き分けられています。中央の馬の目に用いられたエメラルドグリーンが、馬の体や脚、空、地面、背景に見える木々のところどころに基調色として用いられ、画面全体を引き締めています。
友人に馬の絵を注文されたのが最初のきっかけとなり、坂本は没するまで数多くの馬を描きました。九州の豊かな自然の中で躍動する馬の姿に魅せられ、気に入る馬を求めて放牧場や馬市を訪ね回ったといいます。
この作品は、坂本が創立会員でもある二科展の第19回展へ出品された直後、正二郎によって購入されました。そして石橋美術館(現・久留米市美術館)へ訪れた坂本自身の手によって2度加筆されています。 -
西洋近代絵画の名品が続きます。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年
印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。
この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。
パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。 -
ギュスターヴ・カイユボット「ピアノを弾く若い男」1876年
カイユボットは、印象派の画家。印象派展に自らも出品する一方で、その活動を経済的に支えたことで知られます。この作品は、パリのミロメニル通りの自邸でピアノを弾く、カイユボットの弟マルシャルを描いたものです。1876年の第2回印象派展に《床削り》(オルセー美術館)とともに出品された6点の作品のうち、最も批評で取り上げられた1点です。
19世紀後半のパリにおいて、ピアノは上流市民のステイタスを示すものでした。絵画の主題になることも多かったのですが、この作品のように男性がモデルとなることは稀で、多くの場合、ルノワールに見られるように女性が描かれていました。この作品は、男性であるというのみならず、真摯に鍵盤に向かう人物を描いている点で、より近代都市の室内風景の自然な雰囲気を伝えています。壁面の装飾、カーテン、絨毯、椅子などの調度品には植物文が施され、富裕な市民の瀟洒な室内が描かれています。また窓から入る光がピアノの鍵盤や脚に反射しています。さらに、ピアノの側面に鍵盤や指が反映し、ピアノの蓋には壁の柱が反映しています。奥行きを感じさせる空間に精緻な筆触で描かれた画面は、軽快な筆触を特色とする印象派の絵画の中では、かなり異質です。技法や主題は、同じ都市風景と市民たちを主題とした、ドガの室内画と似ています。これもまた、光と影の描写の探求を志す印象派の特徴のヴァリエーションであることを私たちに伝えます。 -
アンリ・ファンタン=ラトゥール「静物(花、果実、ワイングラスとティーカップ)」 1865年ファンタン=ラトゥールは、クールベ以降のレアリスムの潮流に刺激を受けながらも、ロマン主義の画家ドラクロワからの影響で幻想的な絵画を描きました。その一方、初期から晩年に至るまで、静物画も手がけています。彼が手本としたのは、17世紀オランダ絵画や18世紀フランスの画家シャルダンらの先例でした。この作品では、花瓶に飾られた色とりどりの花、ザクロ、レモン、飲物の入ったワイングラス、空のティーカップ、スプーンがテーブルの上に整然と並んでいます。白色が効果的に使われることで、花や果実の色彩が際立ちます。
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ベルト・モリゾ 「バルコニーの女と子ども」1872年
モリゾは、印象派グループの数少ない女性の画家のひとりです。女性的な感受性で描かれる母子や子どもなどを主題とした作品は、男性の視点ではなかなか見ることのできない繊細さと穏健さを生み出しています。この作品は、モリゾの画歴において最も評価されたもののひとつです。
パリの西部シャイヨー宮殿にほど近いバンジャマン・フランクリン通りにあった自邸が舞台となっています。着飾った女性と子どもがバルコニーから眼下に広がるパリの景観を見渡しています。トロカデロ庭園、セーヌ川、シャン・ド・マルス公園が描かれ、地平線の右側にはアンヴァリッドの金色のドームが見えます。素早く、活気のある筆づかいながら、細部までがきめ細やかに描かれています。これら背景が比較的粗く描かれているのに対し、右上の花瓶に生けられた赤い花や女性の瀟洒な衣装、子どもの青いリボンと衣装はていねいに仕上げられています。女性のモデルは姉のエドマかイヴとされています。子どものモデルは、イヴの娘で、ビシェットと呼ばれたポール・ゴビヤールであるかもしれません。
モリゾは、制作当時マネと非常に近い間柄にあり、この頃は双方の画家の間の影響関係が指摘されており、この作品にもモダンな主題を革新的な技法で描いているところにマネの影響が垣間見えます。描かれた風景は、第二帝政時にセーヌ県知事オスマンが主導したパリ改造の結果をよく表しており、マネやカイユボットと同様に、モリゾは新しい都市パリの風景を印象派の技法でとらえています。 -
エヴァ・ゴンザレス 「眠り」1877-78年頃
ゴンザレスはフランスの画家。父親は神聖ローマ皇帝カール5世によって貴族に序されたモナコの名家の末裔であり、母親はベルギー出身の音楽家です。1869年に画家アルフレッド・ステヴァンスを通じてマネを紹介され、そのモデルとなり、次いでその弟子となりました。サロンへの出品を優先したため、第1回印象派展への出品を断り、その後も師マネと同様に印象派展に出品することはありませんでした。しかしゴンザレスの絵画様式は、マネと印象派のそれと近いものであり、それゆえに印象派の女性画家のひとりに数えられます。
画家の妹ジャンヌが、夜の帳が下りた寝室のベッドで目を瞑って静かに横たわっており、その前にある花柄の椅子には薄衣がかけられています。夜の情景ながら、白をアクセントとして随所に用い、マネを思わせる粗いながらも生気を感じさせる賦彩がなされています。ゴンザレスの代表作の《朝の目覚め》(ブレーメン美術館)は、これとは対照的に若い女性の朝の目覚めを、みずみずしいタッチで描いています。これら2つの作品は、ほぼ同じ大きさのカンヴァスに同様の構図で描いていることから、対画であると見なす向きが多いようです。 -
マリー・ブラックモン「セーヴルのテラスにて」1880年
マリー・ブラックモンは印象派の女性の画家です。夫フェリックスを通じて印象派の画家たちを知りました。この作品は1880年の印象派展に出品した同タイトルの作品(ジュネーヴ、プティ・パレ美術館)と同時期に制作されました。モデルは、友人の画家ファンタン=ラトゥールとその妻ヴィクトリア・デュブール、そして右側の女性は画家自身であろうとの見方がある一方で、画家の息子ピエールは、妹のルイーズ・キヴォロンがそのモデルになったと語っています。右側の女性の白い衣装は、太陽の光を受けて輝く様子が、青と淡いピンクで描かれているなど、モネやルノワールの絵画に学び、光による微妙な色調の変化をとらえた、印象派らしい描法となっています。 -
メアリー・カサット「日光浴(浴後)」 1901年
カサットは、アメリカ出身の印象派の女性の画家です。1872年にピサロに出会ったことが、1879年の第4回印象派展に出品するきっかけになりました。母子像は、カサットが生涯描き続けた主題で、中でも浴後の母子像を幾度も描いています。ここでは川辺の草の上にすわって寄り添う母子の姿が描かれています。前景には、優雅に横臥する母親と裸の子ども。その後ろにはラベンダー色の花が見えます。後景には、水面に映る木々の緑が揺らぐ様子がとらえられています。明るい色彩や生気溢れる筆触に、印象派的な要素を見ることができます。対角線上に人物を配置する構図や装飾的な衣装など、この頃の作品に浮世絵の影響が指摘されています -
パブロ・ピカソ「女の顔」1923年
青の時代、バラ色の時代、キュビスムの時代など、ピカソは生涯を通じて次々と画風を展開していきました。そして第一次大戦開戦後、ピカソはそれまでの革新的なキュビスムとは一変して、古典的な作風に回帰します。この新古典主義の時代と呼ばれる様式への大胆な転換は、世間を驚かせました。しかし実際には、1920年代前半頃まで総合的キュビスムと呼ばれる様式が共存し、ピカソは主題やモティーフによって、異なる2つの表現様式を自在
に使い分けていました。
この作品は、鮮やかな青を背景に古代風の衣装をまとった女性が描かれ、小品ながら明朗な力強さを持ち、新古典主義時代の特徴をよく表しています。また、作品に用いられた絵具には砂が混ぜ込まれ、まるで古代の彫刻や浮彫のような質感と荘厳さを感じさせます。モデルについては諸説あり、妻のオルガであるとも、当時親しく交流していた画家ジェラルド・マーフィーの妻サラであるともいわれています。しかし、新古典主義の時代にあって、特定の人物の肖像画というよりも、むしろ普遍的な美しさを讃えた女性像としての要素が重視されていることは明らかでしょう。この作品は、美術評論家でコレクターの福島繁太郎がパリで購入し、戦前に日本にもたらされました。石橋正二郎が特に愛した作品で、1952年の開館記念展のポスターやカタログの表紙にもなった、いわば石橋コレクションの「顔」ともいえる作品です -
パブロ・ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」1923年
ピカソは、第一次大戦中に訪れたイタリアで古典古代の美術や文化に触れ、強いインスピレーションを受けました。結果として1918年から描かれる対象が、古代彫刻のような壮麗さを持つ新古典主義の時代に入りました。この作品はこの時期の終わり頃に制作されたものであり、いわば集大成としての完成度を持っています。
ここで描かれているのは、サルタンバンクと呼ばれる大道芸人です。イタリア語の「サルターレ・イン・バンク(椅子の上で飛び跳ねる人)」を語源とし、古くからフランスで使われてきた言葉です。彼らは、縁日などを渡り歩いて即興の芸を見せていました。
力強い黒い線、洗練されかつ迫力のある色彩のコントラスト、安定した構図の巧みさ、清潔感に溢れたサルタンバンクの表情などは、ギリシア・ローマ時代の古代彫刻に通じる造形美を持っています。ここでピカソは、芸人への憐憫の情を抱いて描いているようには見えません。むしろ芸人は、新しい時代を先導する英雄のごとき凜々しさを身にまとっています。そこには、伝統的な美を、自らが試行錯誤して洗練させた結果としての新しい手法で乗り越えようとする画家の意図が重ね合わされているようです。
この作品は、かつて20世紀を代表するピアニストで美術品の収集家としても知られていたウラジーミル・ホロヴィッツが所蔵しており、自宅の居間を飾っていたことが知られています。 -
中村彝「静物」1919年頃
旧水戸藩士の三男として生まれた中村彝は、幼い頃に両親と姉、ついで兄を亡くしました。自身も肺結核のため体が弱く、療養をかねて各地で水彩のスケッチを描き、画家を志すようになります。白馬会研究所や太平洋画会研究所で修業を積み、新宿の中村屋裏のアトリエに移り住んで、家主の相馬愛蔵・黒光夫妻を慕って集う若い芸術家たちと交流しました。 -
松本竣介「運河風景」1943年
松本竣介は1930年代から第二次大戦後にかけて、知的な操作による抒情豊かな風景画や人物画を数多く残しました。東西の古典美術を学習し、考え抜かれた静謐な画面を透明感のある描法でつくり出します。また妻禎子とともに月刊誌『雑記帳』を刊行し、様々な文章を意欲的に発表するなど、時代に翻弄されがちな画家のあるべき姿を世に問い続けました。
1930年代初めからジョルジュ・ルオーやアメデオ・モディリアーニ、ゲオルゲ・グロスなどの影響を受けて、青や茶色のモンタージュ風の都市風景に取り組みますが、戦火が激しくなる1940年代には、東京や?浜の気に入った風景を暗く静かな色調で繰り返し描きました。
この作品は、東京の新橋近くのゴミ処理場とそこを流れる汐留川にかかる蓬莱橋だと考えられています。この堀り割りは1960年代に埋め立てられてしまいましたが、「蓬莱橋」は地名として今も残っています。運河風景は、この時期の松本が最も好んで取り上げた主題のひとつでした。橋桁や建物、電柱などによる水平線、垂直線の精緻な組み合わせが画面に奥行きを与え、戦争末期の重苦しい空気と社会の置かれた状況を、私たちへ雄弁に語りかけます。人間がほとんど描かれていませんが、まさしくこの時代の人間生活や、あるいは生命を表しているともいえるでしょう。この作品は1943(昭和18)年4月に、靉光、麻生三郎、寺田政明、井上長三郎らと結成した新人画会の第1回展で発表されました。 -
荻須高徳「アベスの階段」1954年
荻須高徳は、日本の洋画家ですが、戦前・戦後を通じて半世紀以上にわたってフランスに滞在し、パリの古い町並みなどを描き続けました。新収蔵作品です。 -
2.キュビスムです。
何がどのように描かれているのかよくわからないけれど、その巧みな表現に心惹かれる美術、キュビスムは誰もが知る20世紀初頭のアヴァンギャルド芸術。でも意外とそのまとまった作品を見ることができる機会は少ないのではないでしょうか。石橋財団は、アーティゾン美術館の開館前にキュビスムの優れた作品の収集に努めてきています。このセクションでは、今回初めてのお披露目となるジャン・メッツァンジェの「円卓の上の静物」(1916年)やアルベール・グレーズの「手袋をした女」(1922年頃)などを含め、キュビスム・コレクションを堪能していただきます。 -
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」1904-06年頃
セザンヌは、目に映る一瞬のきらめきをカンヴァスに写し取ろうとした印象主義の絵画を超えて、堅牢な量感を持ち、永劫に耐えられる強靭さをとどめる絵画にしようと試みました。それは相反する性格を同一画面の中に収めようとする極めて困難な課題であり、画家にとって試行錯誤の連続となりました。これを実現させるためにセザンヌは、印象派の仲間と距離を置いて孤独に制作する道を選び、いくつかのきまった主題を繰り返し描くことによってこの目的を達成することを目指しました。
1880年代の後半には、生まれ故郷である南仏のエクス=アン=プロヴァンスの東側にそびえる石灰質の山、サント=ヴィクトワール山の連作を描くようになりました。やがてそのイメージは、堅牢な画面に躍動感や振動が加味され、鮮やかな色彩に支えられて高度に洗練された作品となっていきました。
この作品はその試みの集大成となるひとつです。前景は鬱蒼とした樹木など、いくつかの筆触がひとかたまりの面となり、あたかもリズムを刻むように画面を構成し、奥行き感をつくり出しています。唯一の幾何学的形態である黄土色の建造物シャトー・ノワールが中景に配されて画面を引き締めています。同じ対象を繰り返して描くことによって、情景を目がとらえる実体感を残しつつ構築性のある絵画を実現するセザンヌの革新的絵画は、間もなく、キュビスム、フォーヴィスム、そして抽象絵画へと、20世紀絵画の成立に決定的な影響を与えることになります。 -
ジョルジュ・ブラック「円卓」 1911年
ブラックはフォーヴィスムへの傾倒を経て、セザンヌの影響のもと、1909年頃にピカソとともにキュビスム絵画を創出します。「ザイルで繋がれた2人」と自ら表現した、キュビスムの発展をめぐるピカソとの切磋?磨は、セザンヌ以後の絵画の可能性に先鞭をつけた、モダニズム初期の金字塔といえます。自ら出征した第一次大戦後はキュビスムを離れ、主に卓上の静物を主題にして、触覚に基づく独自の絵画空間の構築に取り組み続けました。
この作品は1911年春、ブラックがル・アーヴルでの兵役から戻ったパリのアトリエで完成されたと考えられます。画面の下から3分の2ほどを円卓が占め、縦長の画面に呼応するように、中央の瓶を頂点にピラミッド形の構図がつくり出されています。卓上に絵具と絵筆、パレットと思しきものが見られるとすれば、大小様々な円柱は、油彩に用いるテレピン油入れや筆を洗う器と見ることができるでしょう。
安定した構図に基づいて幾何学的な円柱や切り子面が並ぶ画面構成は、外界の再現によることなく、その内部で自律した絵画のあり方を物語っています。署名が裏面になされているのもそれが理由でしょう。一方で、細やかな筆あとを残した描写、円卓の随所を彩る黄土色は、モティーフの触覚的な感覚を喚起します。再現的な要素を徹底して排除しつつ、空間の触知可能性を絵画で探求しようとした、ブラックの分析的キュビスムの盛期にあたる作品です。 -
パブロ・ピカソ「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」 1913年
ピカソは、類まれなデッサン力と絶えざる自己革新を支えた圧倒的な創造力において、20世紀美術を代表する芸術家です。この作品は、1912年頃に始まる総合的キュビスムに位置付けられる作で、画面に異物を導入するコラージュの技法が特徴です。幾何学的な素描に基づきながら、新聞紙の断片を貼り付ける試みは、絵画をイリュージョンから現実に近づけようとするものです。触覚的な現実の二次元的再現という、キュビスムの当初の目的に立ち返るべく、ピカソは画面に砂を混ぜ込み、グラスや瓶に浮き出すような白色を施しています。 -
フアン・グリス「新聞と開かれた本」1913-14年
フアン・グリスは本名をホセ・ビクトリアーノ= ペレスといい、マドリードで美術を学んだのち、1906年にパリに出ました。パリでは同じスペイン出身のピカソと出会い、1908年にはピカソを通じて、ジョルジュ・ブラック、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・サルモン、そしてマックス・ジャコブと知り合い、活動を始めました。
ピカソとブラックが、1909年から11年頃までの間に、対象を基本的形態に分解し、幾何学的に再構成する試みである分析的キュビスムを推し進めた結果、対象の分析と解体が進み、描かれているものの判別が困難となる事態に陥りました。グリスが「洗濯船」に住み込むのは1906年からのことですが、キュビスムの絵画を始めるのは1911年以降のことです。この間グリスはピカソやブラックの制作を冷静に見つめ、そこに提起される造形的問題と可能性を研究して、キュビスムの新しい方向性を模索し始めました。すなわち分析的キュビスムにおいて分離され、個別に追求された空間、形態、色彩といった個々の要素の再総合を試み、解体されて造形的、象徴的意義を探求された対象も再総合することをピカソやブラックらとともに試み、総合的キュビスムへと発展させたのです。ここで絵画は、客観的事実から出発するのではなく、画家の創意から出発する創造的なものとなりました。この作品はまさにこの時期、1912年末から14年までの間に制作されたもので、パピエ・コレやトロンプ= ルイユといった手法が使用され、現実の再構成としての画面がつくられました。 -
ジャン・メッツァンジェ「キュビスム的風景」1911-12年
メッツァンジェはフランスの画家。初め新印象主義の、次いでフォーヴィスムの影響を受けて絵画を制作しますが、キュビスムの勃興とともにこれに転じました。1912年にはキュビスムの抽象化を推進するグループ、セクシオン・ドールの結成に参加し、同年には盟友アルベール・グレーズとともに『キュビスムについて』を著しました。彼の作品は、ピカソやブラックのそれとは異なり、色彩および意匠性に富んでいます。これは、風景表現をキュビスム的手法で試みた最初期の作品のひとつであり、新しい造形表現を試みる画家の気概が存分に感じられるものとなっています。 -
ジャン・メッツァンジェ「円卓の上の静物」1916年
メッツァンジェは、戦争などの社会動乱のなかを生きながら、アメリカにキュビスムを広めました。「円卓の上の静物」は、第一次世界大戦が終わり、キュビスムが新たな展開を模索していた時期の作品で、幾何学的な線などのキュビスム的手法を用いながらも、主題や画面構成は伝統的なものになっています。アメリカの個人コレクションで長いあいだ秘蔵されており、今回初めてのお披露目となる作品です。 -
20世紀初頭におこった重要な芸術運動であり、抽象絵画の誕生に関わったキュビスム。アーティゾン美術館では、新たにキュビスムの作品も多く収蔵しています。
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アルベール・グレーズ「手袋をした女」1922年頃
グレーズは、1909?10年頃にキュビスムの画家たちと出会って、その様式に倣った絵画の制作を始めました。1912年にはキュビスムを志向する画家たちの中で、色彩と画面分割の法則性を重視する仲間たちとセクシオン・ドールを結成しました。この作品は、複雑に入り組んだ幾何学的図形の集積によって構成され、一見何が描かれているのか惑わされますが、大きな手袋をした女性の姿を認めることができます。伝統的な主題である女性肖像画を、新しい造形で表現することが試みられています。グレーズはこの主題を1920年に初めて取り上げ、1950年代まで様々に展開しました。同主題を扱った素描と絵画が25点存在します。 -
フェルナン・レジェ「抽象的コンポジション」 1919年
建築の製図工を経て画家となったレジェは、セザンヌと分析的キュビスムの影響下に自身の絵画を追求し、第一次大戦前の前衛画壇を代表する画家となります。戦後は機械や労働の主題を通じて、近代社会と人間のあり方を調和的に描きました。この作品は、従軍から帰還してほどなく、レジェが多様な造形要素による構成を意識していた時期に制作されました。平板な筆致が徹底されており、画面の左右での円形と方形、白と黒の対比を基調に、他の色彩の配置も整理され、色彩と形態とが緊密に結びついた、明晰な構成をつくり出しています。 -
オーギュスト・エルバン「コンポジション、抽象」 1925年
エルバンはフランスの画家。リールのエコール・デ・ボザールに学んだ後、1901年にパリに出て、ピカソやブラック、グリスらと出会い、キュビスムへと向かいました。レイモン・デュシャン= ヴィヨンらによるピュトー・グループが、1912年に開催したセクシオン・ドール展に出品。その後、自らの幾何学的な純粋抽象絵画を発展させていきました。この作品は、比較的大きなサイズのカンヴァスに色鮮やかな形象が広がっており、その様式はキュビスムと幾何学的抽象を橋渡しする役割を担っています。エルバンは、これ以前の1921年より再現的なイメージを描き始めましたが、この様式をもって抽象画へと回帰し、戦後に至るまでこれを発展させました。 -
ジーノ・セヴェリーニ「金管奏者(路上演奏者)」 1916年頃
セヴェリーニはイタリアの画家。未来派運動の中心的メンバーのひとりです。1906年11月にパリに移住。モンマルトルに居を構え、画業に専念するようになりました。路上で楽器を演奏する辻楽士が主題となっています。彼が持つ楽器はトロンボーンと言われてきましたが、その形体はむしろユーフォニアムのように見えます。ピカソ、ブラックに通じるキュビスム的造形が顕著で、一部には点描も用いられています。未来派の仲間の中でもいち早くキュビスムの手法を取り入れたセヴェリーニは、フランスの同時代の動向をイタリアに橋渡しした重要な役割を担っています。 -
ウンベルト・ボッチョーニ「空間における連続性の唯一の形態」1913年(1972年鋳造)
ボッチョーニは、20世紀初頭にイタリアで興った「未来派」の主要メンバーのひとりです。この運動は、パリの前衛美術運動の影響を受けながら、伝統的な芸術と社会を否定し、新しい時代にふさわしい機械の美やスピード感、ダイナミズムを賛美する作品の創造を目指しました。ボッチョーニは絵画表現とともに立体表現に関心を持ち、彫刻論と制作に重要な足跡を残しました。物質を運動とその持続により表現することを意図した「歩く人」はその代表的な主題であり、この作品はその頂点を示すものです。 -
オシップ・ザツキン「母子」1919年
ザツキンは1909年にパリに出て、キュビスム等の前衛的な動向に接しながら、原始性や民族性の加味された独自の抽象表現を彫刻の世界で開きました。伝統的な母子像を主題とするこの作品は、背面から浮彫のように切り出された造形、そして単純化された顔の表現が、古拙というべき素朴な魅力をたたえており、この時期のザツキンに顕著な古代アルカイック期の美術への傾倒がうかがえます。同時に、頭部から脚部へと面が凹凸とともに連続する点に、アーキペンコらに代表される同時期の構成主義との相似を見て取ることもできます。 -
古賀春江「無題」1921年頃
初期の古賀春江は、自身の感性を表現しやすいという考えから、即興性のある描写が可能な水彩画を好んで描いていましたが、二科展に1918(大正7)年から4年連続で落選するなど、表現や材質について見直さざるを得ない創作時期にありました。大正10年代になると、自分の進むべき道を模索しながら、油彩画制作に本格的に取り組み、この作品のような抽象画も描かれました。当時の洋画壇に旋風を巻き起こした未来派、キュビスムの表現が取り入れられ、対象がダイナミックに分解されていますが、どことなく古賀らしい温かみのある情趣を醸し出しています。 -
古賀春江 「素朴な月夜」1929年
古賀春江は松田諦晶に絵を教わり、上京後は太平洋画会研究所と日本水彩画会研究所で学びます。浄土宗寺院の長男である古賀は、1915(大正4)年僧籍に入り良昌と改名、春江を呼び名としました。宗教大学(現・大正大学)にも一時通いましたが、1918年に辞め、その後は画業に専念します。1922年の二科賞受賞を機に前衛グループ「アクション」の結成に参加、1926年頃からはパウル・クレーの作品に依る童画風表現へと転じました。
1929(昭和4)年、古賀はこの作品と《鳥籠》(cat. no. 161)を含む5点を第16回二科展へ出品しました。月夜に飛ぶ梟と蝶、煙を上げながら降下する飛行機。卓上には果物や卵、酒瓶、花瓶の花、さらには建物の一部が載っているかのようです。全身水玉模様の人物や、こちらを見ている犬も不気味な雰囲気を醸し、読み解こうにも読み解けない不思議な世界が広がります。脈絡のないモティーフの並置や奇妙な配置によって幻想的な世界を表す手法に、西洋美術の新潮流シュルレアリスムとの関連が当時から指摘され、東郷青児や、阿部金剛、中川紀元の二科展出品作とともにその作風は注目を集めました。
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