2022/02/11 - 2022/02/11
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+mo2さん
関東地方大雪の警報があった2月の3連休ですが、朝から暖かい晴天なので、1月29日から開催されているArtizon Museum 「はじまりから、いま。1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡ー古代美術、印象派、そして現代へ」行ってきました。2020年1月18日にブリヂストン美術館 から改称し、新築のミュージアムタワー京橋内で新たにオープンしたアーティゾン美術館。開館後、コロナ禍に見舞われてしまっていますが、2~3カ月に1回ぐらいのペースで訪れています。
「はじまりから、いま。1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡ー古代美術、印象派、そして現代へ」Section 1 アーティゾン美術館の誕生 Birth of the Artizon Museum の作品紹介です。
※作品解説は、HP等より参照しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線
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第1章では、近年の収集作品とともに、コレクションと現代美術家の共演による展覧会「ジャム・セッション」をきっかけに収蔵された作品などが紹介されていました。アーティゾン美術館では、藤島武二「東洋振り」をはじめ、日本近代洋画や印象派などの従来の中心的なコレクションの充実に加え、20世紀初頭から現代までの美術へも視野を広げ収集しています。あわせて、これまで開催した展覧会のポスターなども展示されていました。
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株式会社ブリヂストンの創業者、石橋正二郎(1889-1976年)は1952年に東京・京橋に新築したブリヂストンビルの2階に美術館を開設し、自ら収集したコレクションを公開しています。開館当時からのポスターです。
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1970~80年代の展覧会のポスター
このあたりの展覧会は、見ていません。 -
2000年代に入ります。懐かしい「ルノワール展」、ブリヂストン美術館開館50周年記念「コレクター石橋正二郎」展、「藤島武二」展などのポスターもあります。
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2015年5月休館前のブリヂストン美術館時代の展覧会と、2020年1月アーティゾン美術館として新たにオープン後の展覧会ポスター。この辺りは、ほとんど見ています。
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西洋近代美術、日本近代洋画、20世紀の抽象絵画や現代美術など多岐に渡るコレクションがどのように形成されていったのか、収集の歴史を遡りながら代表的な作品をみていきます。
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藤島武二「東洋振り」1924(大正13)年
西洋の肖像画のようでありながら、人物と衣装は中国風。エキゾチックな魅力に溢れた作品です。
イタリア・ルネサンス期の横顔肖像の構図を借りて、中国服を着た日本人女性の横顔を描いた「東洋振り」は、藤島の留学後10年にしてあらたな躍進の契機となった作品です。その後、横顔のシリーズは1927年まで同様の作品を集中的に制作されており、ポーラ美術館の「女の横顔」などがあります。 -
中村彝「静物」1919年頃
旧水戸藩士の三男として生まれた中村彝は、幼い頃に両親と姉、ついで兄を亡くしました。自身も肺結核のため体が弱く、療養をかねて各地で水彩のスケッチを描き、画家を志すようになります。白馬会研究所や太平洋画会研究所で修業を積み、新宿の中村屋裏のアトリエに移り住んで、家主の相馬愛蔵・黒光夫妻を慕って集う若い芸術家たちと交流しました。質素なテーブルの端に林檎の入った鉢と花瓶が置かれ、その背景には模様のある壁紙が効果的に描かれて奥行き感を創出しています。 -
中村彝「静物」(部分拡大)
アーティゾン美術館には、中村彝の作品として初期のレンブラントの自画像からの強い影響を受けた「自画像」が所蔵されていますが、こちらはセザンヌの静物画の影響を感じる作品。 -
岡鹿之助「群落B」1961年
岡 鹿之助は、東京生まれの洋画家。岡田三郎助に師事しますが、点描画法による筆致で独自の画風を作ります。この作品は新収蔵品ですが、ブリヂストン美術館の時代から「岡鹿之助展」を開催するなど力を入れています。 -
荻須高徳「アベスの階段」1954年
荻須高徳は、日本の洋画家ですが、戦前・戦後を通じて半世紀以上にわたってフランスに滞在し、パリの古い町並みなどを描き続けました。パリの地下鉄のアベス駅はモンマルトルのサクレクール寺院の西側最寄りの駅。ここから寺院へと向かうには、いくつかある長い階段を上らなければなりません。そのいずれもが画家の絵心をくすぐる情緒で溢れており、アベスの階段もその1つです。 -
松本竣介「運河風景」1943年
松本竣介は1930年代から第二次大戦後にかけて、知的な操作による抒情豊かな風景画や人物画を数多く残しました。東西の古典美術を学習し、考え抜かれた静謐な画面を透明感のある描法でつくり出します。また妻禎子とともに月刊誌『雑記帳』を刊行し、様々な文章を意欲的に発表するなど、時代に翻弄されがちな画家のあるべき姿を世に問い続けました。
この作品は、東京の新橋近くのゴミ処理場とそこを流れる汐留川にかかる蓬莱橋だと考えられています。この堀り割りは1960年代に埋め立てられてしまいましたが、「蓬莱橋」は地名として今も残っています。運河風景は、この時期の松本が最も好んで取り上げた主題のひとつでした。橋桁や建物、電柱などによる水平線、垂直線の精緻な組み合わせが画面に奥行きを与え、戦争末期の重苦しい空気と社会の置かれた状況を、私たちへ雄弁に語りかけます。人間がほとんど描かれていませんが、まさしくこの時代の人間生活や、あるいは生命を表しているともいえるでしょう。 -
アンリ・ファンタン=ラトゥール「静物(花、果実、ワイングラスとティーカップ)」 1865年ファンタン=ラトゥールは、クールベ以降のレアリスムの潮流に刺激を受けながらも、ロマン主義の画家ドラクロワからの影響で幻想的な絵画を描きました。その一方、初期から晩年に至るまで、静物画も手がけています。彼が手本としたのは、17世紀オランダ絵画や18世紀フランスの画家シャルダンらの先例でした。この作品では、花瓶に飾られた色とりどりの花、ザクロ、レモン、飲物の入ったワイングラス、空のティーカップ、スプーンがテーブルの上に整然と並んでいます。白色が効果的に使われることで、花や果実の色彩が際立ちます。
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マリー・ブラックモン「セーヴルのテラスにて」1880年
マリー・ブラックモンは印象派の女性の画家です。夫フェリックスを通じて印象派の画家たちを知りました。この作品は1880年の印象派展に出品した同タイトルの作品(ジュネーヴ、プティ・パレ美術館)と同時期に制作されました。モデルは、友人の画家ファンタン=ラトゥールとその妻ヴィクトリア・デュブール、そして右側の女性は画家自身であろうとの見方がある一方で、画家の息子ピエールは、妹のルイーズ・キヴォロンがそのモデルになったと語っています。右側の女性の白い衣装は、太陽の光を受けて輝く様子が、青と淡いピンクで描かれているなど、モネやルノワールの絵画に学び、光による微妙な色調の変化をとらえた、印象派らしい描法となっています。 -
ベルト・モリゾ 「バルコニーの女と子ども」1872年
モリゾは、印象派グループの数少ない女性の画家のひとりです。女性的な感受性で描かれる母子や子どもなどを主題とした作品は、男性の視点ではなかなか見ることのできない繊細さと穏健さを生み出しています。この作品は、モリゾの画歴において最も評価されたもののひとつです。
モリゾは、制作当時マネと非常に近い間柄にあり、この頃は双方の画家の間の影響関係が指摘されており、この作品にもモダンな主題を革新的な技法で描いているところにマネの影響が垣間見えます。描かれた風景は、第二帝政時にセーヌ県知事オスマンが主導したパリ改造の結果をよく表しており、マネやカイユボットと同様に、モリゾは新しい都市パリの風景を印象派の技法でとらえています。 -
メアリー・カサット「日光浴(浴後)」 1901年
カサットは、アメリカ出身の印象派の女性の画家です。1872年にピサロに出会ったことが、1879年の第4回印象派展に出品するきっかけになりました。母子像は、カサットが生涯描き続けた主題で、中でも浴後の母子像を幾度も描いています。ここでは川辺の草の上にすわって寄り添う母子の姿が描かれています。前景には、優雅に横臥する母親と裸の子ども。その後ろにはラベンダー色の花が見えます。後景には、水面に映る木々の緑が揺らぐ様子がとらえられています。明るい色彩や生気溢れる筆触に、印象派的な要素を見ることができます。対角線上に人物を配置する構図や装飾的な衣装など、この頃の作品に浮世絵の影響が指摘されています -
メアリー・カサット「娘に読み聞かせるオーガスタ」1910年
カサットの作品は、女性や母子などの日常生活における身近な情景を、明るい印象派的手法で描き上げた様式に特徴があります。印象派展に出品した後、その様式はさらに完成されたものとなりました。この作品は、カサットが晩年を過ごしたパリ近郊、ル・メニル=テリビュにあるボーフレーヌ館の緑豊かな庭園で描かれた母子像です。この頃すでに名声を確立していたカサットは、身近な家族や友人のみを描く必要がなくなり、女性や子どもをモデルとして雇うようになっていました。 -
エヴァ・ゴンザレス 「眠り」1877-78年頃
ゴンザレスはフランスの画家。父親は神聖ローマ皇帝カール5世によって貴族に序されたモナコの名家の末裔であり、母親はベルギー出身の音楽家です。1869年に画家アルフレッド・ステヴァンスを通じてマネを紹介され、そのモデルとなり、次いでその弟子となりました。サロンへの出品を優先したため、第1回印象派展への出品を断り、その後も師マネと同様に印象派展に出品することはありませんでした。しかしゴンザレスの絵画様式は、マネと印象派のそれと近いものであり、それゆえに印象派の女性画家のひとりに数えられます。 -
「ジャム・セッション」は、2020年1月に開館するアーティソ?ン美術館のコンセプト「創造の体感」を体現する展覧会です。アーティストと学芸員か?共同して、石橋財団コレクションの特定の作品からインスパイアされた新作や、コレクションとアーティストの作品のセッションによって生み出される新たな視点による展覧会を構成します。第一回の鴻池朋子より「襖絵(地球断面図、流れ、竜巻、石)」2010年
アーティゾン美術館 美術館・博物館
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鴻池朋子「襖絵」(部分拡大ー流れ)」
鴻池朋子は、玩具と雑貨のデザインに携わり、1998年より絵画、彫刻、パフォーマンス、アニメーション、絵本などの様々なメディアを用いて、現代の神話(動物が言語を獲得するまでの物語)を、地形や場とのサイトスペシフィックなトータルインスタレーションで表現。人間学/動物学、おとぎ話、考古学、民俗学などと学際的に対話を重ね、エネルギーと芸術の問い直しを試みています。 -
鴻池朋子「襖絵」(部分拡大ー地球断面図)」
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ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子「鴻池朋子 ちゅうがえり」展会場風景(2020年)
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「ジャム・セッション」の2回目は、森村泰昌。森村は、1985年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作して以降、今日に至るまで、古今東西の絵画や写真に表された人物に変装し、独自の解釈を加えて再現する「自画像的作品」をテーマに制作し続けています。
森村泰昌 M式「海の幸」第1番:假象の創造 2021年 -
森村泰昌 M式「海の幸」第5番:復活の日1 2021年
石橋財団が所蔵する青木繁「海の幸」1904年と本格的に向き合い、当作品が制作された明治期以降の日本の文化、政治、思想などの変遷史を“森村式”、略して“M式”「海の幸」として形象化し、青木への熱い想いを新たなる作品シリーズです。 -
森村泰昌 M式「海の幸」第9番:たそがれに還る 2021年
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリの神話のために制作された森村による新作です。 -
ジャム・セッション 石橋財団コレクション×森村泰昌 M式「海の幸」ー森村泰昌 ワタシガタリ 展会場風景(2021年)
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開場と同時に入場したこともあり、ゆっくりと鑑賞することができました。
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ヴァシリー・カンディンスキー「3本の菩提樹」1908年
カンディンスキーは、20世紀前半の抽象絵画の創出と発展に大きな役割を果たした画家です。絵画を精神活動として見なし、色彩や線の自律的な運動によるコンポジションの探求に取り組みました。ベルリンの分離派展やパリのサロン・ドートンヌ、ドレスデンのブリュッケ展などへの出品を経て、1911年にフランツ・マルクらと「青騎士」を結成。ロシア革命後には祖国の美術行政や教育において要職を務めるも、1922年、建築家グロピウスの招聘を受けて、ヴァイマールのバウハウスに加わりました。 -
ヴァシリー・カンディンスキー「自らが輝く」1924年
この作品は、カンディンスキーがバウハウスに加わって2年後の1924年に制作されたものです。左下に画家のイニシャルと年記が確認できます。裏面には画家のモノグラムと題名、272番のハンドリストの番号、年記が確認されています。なお、画家自身によるハンドリストによると、この作品はこの年の3月から7月の間、すなわちヴァイマールのバウハウスの閉校前に制作されたようです。 -
コンスタンティン・ブランクーシ「ポガニー嬢II」 1925年(2006年鋳造)
マルギット・ポガニーはハンガリー出身の画家で、パリに滞在していた1910年、自身の肖像彫刻の制作をブランクーシに依頼します。1912年から次の年にかけてまず大理石、次いでブロンズの複数のヴァージョンが制作されました。その後、1919年に再開されたシリーズに位置付けられるのがこの作品です。第1シリーズと比べ、肩の省略や2本の腕の一体化、瞼の強調など、形態の簡略化が大胆かつ入念に進められています。磨きブロンズの効果も相まって高度に洗練された造形については、同時期のアール・デコへの意識も指摘されています。 -
ジョルジュ・ブラック「円卓」 1911年
この作品は1911年春、ブラックがル・アーヴルでの兵役から戻ったパリのアトリエで完成されたと考えられます。画面の下から3分の2ほどを円卓が占め、縦長の画面に呼応するように、中央の瓶を頂点にピラミッド形の構図がつくり出されています。卓上に絵具と絵筆、パレットと思しきものが見られるとすれば、大小様々な円柱は、油彩に用いるテレピン油入れや筆を洗う器と見ることができるでしょう。
安定した構図に基づいて幾何学的な円柱や切り子面が並ぶ画面構成は、外界の再現によることなく、その内部で自律した絵画のあり方を物語っています。署名が裏面になされているのもそれが理由でしょう。一方で、細やかな筆あとを残した描写、円卓の随所を彩る黄土色は、モティーフの触覚的な感覚を喚起します。再現的な要素を徹底して排除しつつ、空間の触知可能性を絵画で探求しようとした、ブラックの分析的キュビスムの盛期にあたる作品です。 -
ジャン・メッツァンジェ「円卓の上の静物」1916年
メッツァンジェは、戦争などの社会動乱のなかを生きながら、アメリカにキュビスムを広めました。「円卓の上の静物」は、第一次世界大戦が終わり、キュビスムが新たな展開を模索していた時期の作品で、幾何学的な線などのキュビスム的手法を用いながらも、主題や画面構成は伝統的なものになっています。 -
ジーノ・セヴェリーニ「金管奏者(路上演奏者)」 1916年頃
セヴェリーニはイタリアの画家。未来派運動の中心的メンバーのひとりです。1906年11月にパリに移住。モンマルトルに居を構え、画業に専念するようになりました。路上で楽器を演奏する辻楽士が主題となっています。彼が持つ楽器はトロンボーンと言われてきましたが、その形体はむしろユーフォニアムのように見えます。ピカソ、ブラックに通じるキュビスム的造形が顕著で、一部には点描も用いられています。未来派の仲間の中でもいち早くキュビスムの手法を取り入れたセヴェリーニは、フランスの同時代の動向をイタリアに橋渡しした重要な役割を担っています。 -
フアン・グリス「新聞と開かれた本」1913-14年
フアン・グリスは本名をホセ・ビクトリアーノ= ペレスといい、マドリードで美術を学んだのち、1906年にパリに出ました。パリでは同じスペイン出身のピカソと出会い、1908年にはピカソを通じて、ジョルジュ・ブラック、ギヨーム・アポリネール、アンドレ・サルモン、そしてマックス・ジャコブと知り合い、活動を始めました。
ピカソとブラックが、1909年から11年頃までの間に、対象を基本的形態に分解し、幾何学的に再構成する試みである分析的キュビスムを推し進めた結果、対象の分析と解体が進み、描かれているものの判別が困難となる事態に陥りました。グリスが「洗濯船」に住み込むのは1906年からのことですが、キュビスムの絵画を始めるのは1911年以降のことです。この間グリスはピカソやブラックの制作を冷静に見つめ、そこに提起される造形的問題と可能性を研究して、キュビスムの新しい方向性を模索し始めました。すなわち分析的キュビスムにおいて分離され、個別に追求された空間、形態、色彩といった個々の要素の再総合を試み、解体されて造形的、象徴的意義を探求された対象も再総合することをピカソやブラックらとともに試み、総合的キュビスムへと発展させたのです。ここで絵画は、客観的事実から出発するのではなく、画家の創意から出発する創造的なものとなりました。この作品はまさにこの時期、1912年末から14年までの間に制作されたもので、パピエ・コレやトロンプ= ルイユといった手法が使用され、現実の再構成としての画面がつくられました。 -
アルベルト・ジャコメッティ「矢内原」 1958年
実存主義哲学の研究員であった矢内原伊作がアルベルト・ジャコメッティと出会ったのは、フランス国立科学研究センターの研究員としてパリに滞在していた1955年のことですが、矢内原の顔のデッサンを試みたのを皮切りにモデルと画家の対峙がはじまります。その後も彼を描くことに拘り、彼を1957年から1961年にかけて、4回もモデルとして日本からパリに招聘しています。 -
ウンベルト・ボッチョーニ「空間における連続性の唯一の形態」1913年(1972年鋳造)
ボッチョーニは、20世紀初頭にイタリアで興った「未来派」の主要メンバーのひとりです。この運動は、パリの前衛美術運動の影響を受けながら、伝統的な芸術と社会を否定し、新しい時代にふさわしい機械の美やスピード感、ダイナミズムを賛美する作品の創造を目指しました。ボッチョーニは絵画表現とともに立体表現に関心を持ち、彫刻論と制作に重要な足跡を残しました。物質を運動とその持続により表現することを意図した「歩く人」はその代表的な主題であり、この作品はその頂点を示すものです。 -
ジョアン・ミロ「夜の女と鳥」1944年
第2次大戦の勃発後、1941年にグワッシュによるシリーズ「星座」を制作して以降、夜と星のモティーフはミロの作品においてより大きな役割を担うようになりますが、本作品においてもその舞台設定がとられています。星の煌めきを表す記号とその他の天体の散りばめられた画面の中心を占めるのは、タイトルの示すとおり女性でしょう。両腕を大きく広げ、片足を跳ね上げるポーズは大らかにして活気に満ち、ミロのフリーハンドによる的確かつ効果的な描線が際立っています。 -
ジョアン・ミロ「絵画」1952年
戦後のミロの絵画を特徴づける詩的な抒情性を持った作品です。様々な色彩の層を繊細な筆触により重ねた地に、黒、白、緑、青、赤と原色を交えた色面と大胆な筆触で画面は構成されています。 -
ウィレム・デ・クーニング「リーグ」 1964年
ウィリアム・デ・クーニングはオランダ出身のアメリカの画家。抽象表現主義運動で活躍しています。デ・クーニングの代表的な作品である女性シリーズは1950年から始まりますが、彼の描く女性像は、欲望、欲求不満、内面的な葛藤、喜びなどが反映されています。
この作品では、生々しい肉塊を思わせる肌色の裸体の女性がたかも挑発するような姿勢をとっているようです。形態は流動化して背景に同化しようとしています。支持体の新聞紙が透けて見えるうえに、形態は揺れ動いて左に触れ、うなり、飛び散る筆蝕によって流動するような運動感を示しています。 -
ウィレム・デ・クーニング「すわる女」1969-80年
デ・クーニングは、1963年以降ニューヨークの郊外、ロングアイランドのイースト・ハンプトンに移住しアトリエを構えました。晩年になると画面の抽象化は進み、色とりどりの色彩が自由な筆致により画面に展開していきました。1970年代には絵画と並行して彫刻も手掛けるようになりました。この作品では絵画で何度も描いた女性像を主題に、人物が溶解するような形態を立体で表現しています。 -
リー・クラズナー「ムーンタイド」1961年
リー・クラズナーは1908年、ニューヨークのブルックリン出身。美術を志し、ユニオン・クーパーの女性美術学校と国立デザイン学校に学んだあと、1937年画家ハンス・ホフマンに師事し、抽象絵画の道を歩み始めます。1942年にニューヨークでの展覧会でともに出品作家であったジャクソン・ボロックと知り合い、結婚。1956年にボロックが自動車事故で没するまで、生活と制作活動をともにしました。ボロックが没した後、彼が使っていたアトリエに移り、1959年から1962年にかけて計24点を数える「アンバー・ペインティングス(赤褐色の絵画)」シリーズを作成していますが、本作はその1つです。 -
エレイン・デ・クーニング「無題(闘牛)」1959年
エレイン・デ・クーニングは、アメリカの抽象表現主義の画家で「アート・ニュース誌」に多くの記事を寄稿した美術批評家としても知られています。高校卒業後、アート・スクールに通う頃、ウィレム・デ・クーニングの作品を知って多大な関心を持ち、1938年ウィレム本人と会い師弟関係を結びます。それから5年後二人は結婚しますが、1957年には別居します。本作は別居後の作品で、友人で作家のマーガレット・ランダルに連れられてメキシコで闘牛を見ますが、エレインは大きな衝撃を受けました。結果としてそれは新たな創造へ結びつくことになりますが、本作はその中の1枚です。 -
ジョアン・ミッチェル「ブルー・ミシガン」1961年
ジョアン・ミッチェルは、アメリカ・シカゴ出身の画家、版画家です。リー・クラスナーやフランケン・サーラーらとともにアメリカの抽象絵画の第2世代の代表的画家の一人でもあります。抽象表現主義画家のジョアン・ミッチェルの芸術は、自然を忠実に表現したいという想いと、主観的で激烈な表現力の拮抗により構成されています。 -
ヘレン・フランケンサーラー「ファースト・ブリザード」1957年
1950年代のニューヨーク抽象表現主義者を表す「ニューヨーク・スクール」 において、ほぼ唯一の女性アーティストとして名前が挙がるのがこのヘレン・ フランケンサーラーです。アシール・ゴーキー、ヴァシリー・カンディンスキー、ジャクソン・ポロックらの影響を受けながらも、抽象表現主義独自のスタイルを築きました。
1960年代に始まるカラーフィールド・ペインティング(カラーフィールド)の代表的画家の一人であり、下塗りをしていないキャンバスに薄く溶いた絵の具を染み込ませるステイニングの手法を発案しました。その手法はモーリス・ルイスをはじめとする多くの画家に影響を与え、様々なかたちで継承・発展されています。 -
正延正俊
(左)「作品」1964年
(中)「作品」1965-67年
(右)「作品」1967年 -
「作品」(部分拡大)
正延正俊は、具体美術協会のメンバーのひとりです。その中では絵画に特化して新しい表現を追求し続けた作家です。高知、東京、神戸で小中学校の美術教員として教鞭をとるかたわら制作を続け、当初は具象的な絵画を描いていましたが、1949(昭和24)年頃に吉原治良と出会って、その指導を仰ぐようになりました。以後独自の主題を抽象画に定めて展開し、1954年の具体美術協会の結成に参加することになりました。この作品においては、油絵具やエナメル塗料で塗り重ねられた下地が、微細で綿密なおびただしい数の筆触で埋めつくされており、繊細な質感をつくり出しています。 -
上前智祐(左)「作品」1966年、(右)「作品」1965年
上前智祐は、小学校を出てすぐに就職し、それから定年退職をするまでずっと働きながら絵を学び、作品を作り続けたという異色の画家。
1953年(昭和28)、吉原治良のもとを訪ね師事し、翌年に吉原らが結成した具体美術協会の創立メンバーとなり、以後1972年(昭和47)の解散まで参加しています。 -
元永定正「無題」1965年
元永定正は三重県の出身。様々な職業を経験しながら絵を学び、1955年に具体美術協会の野外展に出品したことを契機に「具体」のメンバーになりました。1958年頃からカンヴァスに絵具を直接流して描き始め、原色の対比とダイナミックな躍動感に満ちた作品で「具体」グループを代表する作家となりました。 -
田中敦子「1985 B」1985年
色とりどりに点滅する電球を身にまとった作品《電気服》(オリジナルは現存せず)で知られる田中敦子は、戦後日本の前衛芸術を代表する存在です。大阪で金山明、白髪一雄、村上三郎らが結成した「0会」に参加し、1955(昭和30)年、具体美術協会に入会します。様々なパフォーマンスを発表し注目を集める一方、《電気服》を展開させた平面作品を制作し、フランスの美術批評家ミシェル・タピエにも高く評価されました。この作品のように色鮮やかな大小の円と、電気コードを思わせる線が複雑に絡み合い構成された作品は、生涯を通じて多彩なヴァリエーションを見せています。 -
白髪一雄「白い扇」1965年
城下町の歴史を持ち商工業が栄える尼崎の呉服商の家に生まれた白髪一雄は、京都で日本画を学びました
油彩画に転向した後、次第に前衛的な表現に惹かれるようになり、1955(昭和30)年、吉原治良が率いる具体美術協会に加わります
吉原の指導のもと、だれも試みなかった方法を追求し、カンヴァスを床に広げて天上からロープを吊るし、それにつかまりながら足で抽象絵画を描くことを始めました。
足の裏が画面に残す痕跡は、画家の肉体と精神の存在を強く私たちに訴えます
大きなヘラ状の器具を手で動かして描いた作品も、同様に画家の物理的行為を雄弁に物語ります。 -
白髪一雄「観音普陀落浄土」1972年
猪狩りを好んだ白髪は、丹波や篠山で目にした石塔・石碑のサンスクリット文字から密教に興味を持ちます
次第に関心が高じ、1971年5月に比叡山延暦寺で得度、厳しい修行を積んで天台僧の資格を得ました
その後は、アトリエに不動明王を祀り、般若心経や真言を唱えてから絵画制作に取り掛かったといいます
主題も仏教に求め、1970年代初めから10年間、密教シリーズといわれる作品群を残しました
白髪自身は「抽象の仏画」と呼んでいます
周囲は仏道修行の結果、白髪の作品が「すっきり、清々しくなった」と受け留めました
この作品は得度した翌年5月に描かれたもの
赤を基調に鮮やかで力強い原色が画面に踊っていますが、不思議と騒がしさが感じられず、宗教的な透明感が漂います -
村上三郎「作品」1961年
神戸出身の村上三郎は、関西学院大学哲学科を卒業後、同大学院で美学を専攻しました。1951(昭和26)年頃には、白髪一雄らとともに「0会」を結成します。白髪と二人展を開催した際に吉原治良と出会い、1955年、具体美術協会会員となりました。第1回展には、木枠に貼ったハトロン紙の壁を身体で突き破る作品を発表し、この紙破りのパフォーマンスは村上の代名詞となります。この作品は、白地の背景に赤や青、黒などの絵具が自由奔放に画面を踊っています。第10回具体美術展に出品されました。 -
村上三郎「作品」1962年頃
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展覧会は、Section 2 新地平への旅 Journey to a New Horizonへ続きます。
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石橋財団コレクション選 「印象派ー画家たちの友情物語」
2021/10/02~
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石橋財団コレクション選 2021年10月2日~2022年1月10日
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アーティゾン美術館・写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策(3)
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Artizon Museum 生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎(2)
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アーティゾン美術館:アートを楽しむ ー見る、感じる、学ぶ
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石橋財団コレクション選 2023年2月25日- 5月14日 特集コーナー展示 画家の手紙
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2024.2 石橋財団コレクション選
2024/02/18~
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2024.2 石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 野見山暁治
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