2021/03/06 - 2021/03/06
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+mo2さん
「 アーティゾン美術館」では、2021年2月13日(土)から5月9日(日)まで、「アーティゾン美術館」の新しいコレクションを一堂に集めて紹介する「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」が開催されています。展覧会は14部構成となっていましたが、旅行記⑤では、9:具体の絵画、10:オーストラリア美術-アボリジナル・アート、11:日本の抽象絵画、13:アンリ・マティスの素描を紹介します。
※作品解説は、HP、図録等より参照しています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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9:具体の絵画
アーティゾン美術館は具体美術協会の作品の収集にも力を入れてきています。開館直後にはその代表的な作家である元永定正の具体時代の《無題》(1965年)を収集いたしました。画家のこの時期の代表的な絵画技法である、絵具の流し込みを画面に大胆に使った作品です。ここでは近年収集した具体の絵画作品、元永のほか、吉原治良、白髪一雄、田中敦子、正延正俊、村上三郎、上前智祐らの作品が紹介されていました。 -
元永定正「無題」1965年
元永定正は三重県の出身。様々な職業を経験しながら絵を学び、1955年に具体美術協会の野外展に出品したことを契機に「具体」のメンバーになりました。1958年頃からカンヴァスに絵具を直接流して描き始め、原色の対比とダイナミックな躍動感に満ちた作品で「具体」グループを代表する作家となりました。 -
吉原治良「作品」1969年
吉原治良は1905年大阪府生まれ。戦後関西を代表する芸術運動「具体美術協会」の創始者。中学生の頃から独学で絵を描きましたが、家業を継ぐために一時断念。しかし画家への夢を断たずに28年に大阪の朝日会館で魚を描いた作品のみで構成された個展を開催、注目を集めます。自信を得て藤田嗣治を訪問しますが、「他の画家の影響がありすぎる」と酷評され、のちに吉原が繰り返し述べることとなる「人のまねはするな」という具体のモットーが生まれる契機となります。30年代、家業と並行し画業を続けながら評価を得て、前衛画家としての地位を確立。戦後の抽象美術の隆盛のなか、54年に自身が代表となって阪神在住の若手作家17名で「具体美術協会」を結成。展覧会を定期開催するほか、機関紙『具体』を創刊するなど精力的に活動しました。
フランス人美術批評家で「アンフォルメル」の提唱者であるミシェル・タピエとも交流し、タピエの力添えによって具体は国際展にも参加、欧米からも注目されます。吉原自身は初期こそシュルレアリスムの影響が見られましたが、のちに荒々しい筆致の抽象画に変化。油絵具が大胆に隆起したマチエールが特徴となる作品を経て、筆跡がわからないほど丁寧に描かれた円を多く描きました。72年没。 -
正延正俊
(左)「作品」1964年
(中)「作品」1967年
(右)「作品(ながれ)」1975年 -
「作品」1967年(部分拡大)
正延正俊は、具体美術協会のメンバーのひとりです。その中では絵画に特化して新しい表現を追求し続けた作家です。高知、東京、神戸で小中学校の美術教員として教鞭をとるかたわら制作を続け、当初は具象的な絵画を描いていましたが、1949(昭和24)年頃に吉原治良と出会って、その指導を仰ぐようになりました。以後独自の主題を抽象画に定めて展開し、1954年の具体美術協会の結成に参加することになりました。この作品においては、油絵具やエナメル塗料で塗り重ねられた下地が、微細で綿密なおびただしい数の筆触で埋めつくされており、繊細な質感をつくり出しています。 -
白髪一雄「白い扇」1965年
城下町の歴史を持ち商工業が栄える尼崎の呉服商の家に生まれた白髪一雄は、京都で日本画を学びました
油彩画に転向した後、次第に前衛的な表現に惹かれるようになり、1955(昭和30)年、吉原治良が率いる具体美術協会に加わります
吉原の指導のもと、だれも試みなかった方法を追求し、カンヴァスを床に広げて天上からロープを吊るし、それにつかまりながら足で抽象絵画を描くことを始めました
足の裏が画面に残す痕跡は、画家の肉体と精神の存在を強く私たちに訴えます
大きなヘラ状の器具を手で動かして描いた作品も、同様に画家の物理的行為を雄弁に物語ります。 -
白髪一雄「観音普陀落浄土」1972年
猪狩りを好んだ白髪は、丹波や篠山で目にした石塔・石碑のサンスクリット文字から密教に興味を持ちます
次第に関心が高じ、1971年5月に比叡山延暦寺で得度、厳しい修行を積んで天台僧の資格を得ました
その後は、アトリエに不動明王を祀り、般若心経や真言を唱えてから絵画制作に取り掛かったといいます
主題も仏教に求め、1970年代初めから10年間、密教シリーズといわれる作品群を残しました
白髪自身は「抽象の仏画」と呼んでいます
周囲は仏道修行の結果、白髪の作品が「すっきり、清々しくなった」と受け留めました
この作品は得度した翌年5月に描かれたもの
赤を基調に鮮やかで力強い原色が画面に踊っていますが、不思議と騒がしさが感じられず、宗教的な透明感が漂います -
田中敦子「1985 B」1985年
色とりどりに点滅する電球を身にまとった作品《電気服》(オリジナルは現存せず)で知られる田中敦子は、戦後日本の前衛芸術を代表する存在です。大阪で金山明、白髪一雄、村上三郎らが結成した「0会」に参加し、1955(昭和30)年、具体美術協会に入会します。様々なパフォーマンスを発表し注目を集める一方、《電気服》を展開させた平面作品を制作し、フランスの美術批評家ミシェル・タピエにも高く評価されました。この作品のように色鮮やかな大小の円と、電気コードを思わせる線が複雑に絡み合い構成された作品は、生涯を通じて多彩なヴァリエーションを見せています。 -
村上三郎「作品」1961年
神戸出身の村上三郎は、関西学院大学哲学科を卒業後、同大学院で美学を専攻しました。1951(昭和26)年頃には、白髪一雄らとともに「0会」を結成します。白髪と二人展を開催した際に吉原治良と出会い、1955年、具体美術協会会員となりました。第1回展には、木枠に貼ったハトロン紙の壁を身体で突き破る作品を発表し、この紙破りのパフォーマンスは村上の代名詞となります。この作品は、白地の背景に赤や青、黒などの絵具が自由奔放に画面を踊っています。第10回具体美術展に出品されました。 -
村上三郎「作品」1962年頃
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上前智祐
(左)「作品」1965年
(右)「作品」1966年 -
「作品」1965年(部分拡大)
上前智祐は、1920(大正9)年に京都に生まれました。12歳のとき奉公先で経験した縫い作業は、その後の制作活動の原点となります。黒田重太郎に師事し、1947(昭和22)年に二紀会第1回展に入選する一方、1950年には神戸に出て、クレーン運転手として働きながら制作に励みました。吉原治良と出会い、1954年に具体美術協会の結成に参加し、解散するまで在籍します。この作品は、短く細かい線が不規則に繰り返され、1960年代の上前作品の特徴をよく示しています。赤を基調に、厚く塗られた絵具の筆致が、まるでテキスタイルのようです。 -
10:オーストラリア美術-アボリジナル・アート
石橋財団は、オーストラリアの現代美術を近年収集の対象としており、その中にはオーストラリア大陸に住む先住民アボリジナル・トレス海峡諸島民による作品があります。彼らによるアボリジナル・アートは、創造性を広げ、オーストラリア美術を代表する視覚芸術へと発展しています。伝統と革新が生き生きと表現された6点の新収蔵作品を紹介します。 -
ノウォンギーナ・マラウィリィ「ボウンニュー」2016年
オーストラリア北部のアーネムランド地方北東部出身の画家、ノウォンギーナ・マラウィリィによる《ボウンニュー》(2016年)という作品です。 -
マダディンキンアーシー・ジュウォンダ・サリー・ガボリ「祖父の国」2011年
マダディンキンアーシー・ジュウォンダ・サリー・ガボリの故郷は、クイーンズランド北西部カーペンタリア湾の南側に浮かぶペンティング島で、この島にはカイアデイルド族と呼ばれる原住民が6000年前から住んでいたと考えられています。しかし1948年の大型のサイクロンと高潮によって真水を供給する場所が失われたことによってカイアデイルド族は、近隣のモニンドン島に移住を強いられます。ガボリの作品は、自然災害によって強制的に故郷から避難を余儀なくされた彼女自身の受難と重なります。 -
エミリー・ナーノル・エヴァンズ「バラバル」」2012年
現代アボリジナル・アートの新収蔵作品。 -
ジンジャー・ライリィ・マンドゥワラワラ「四人の射手」1994年
マンドゥワラワラは、ダイナミックな画風と明るい色彩で1980年代後半以降、瞬く間にアボリジナル・アートを代表する画家のひとりとなります。この作品の題名は、彼の母の故郷アーネムランド地方を流れるリムメン・バイト川河口にそびえる4つの赤い風化岩を指します。そのひとつの頂上には、この土地の守護精霊であるンガク・ンガクと呼ばれる海鷹が鋭い目を光らせています。さらに「四人の射手」の創造者である2対の蛇ガリマラが右側に、そして「鮫の肝臓の木」と呼ばれるトーテム(儀式的な象徴)が蛇に守られるようにして左側に描かれています。 -
ユービーナ・ナムペジュン「ケラジティ」2004年
現代アボリジナル・アートの新収蔵作品。 -
ジョージ・ウォード・ジュングライ「無題」2004年
現代アボリジナル・アートの新収蔵作品。 -
11:日本の抽象絵画
石橋財団は、かねてから日本の抽象絵画の発展にも注目し、収集を続けています。このセクションでは、オノサトの作品に加え、斎藤義重、山口長男といった20世紀前半よりその動向を牽引した抽象の画家たちの作品、海外の動向に飛び込み、新しい表現に果敢に取り組んだ菅井汲、堂本尚郎、草間彌生といった画家たちの作品を紹介します。 -
オノサト・トシノブ「朱の丸」1959年
日本を代表する抽象画家、オノサト・トシノブの《朱の丸》(1959年)です。初公開となるこの作品は、幾何学的抽象表現を追求したオノサトの代表作の一点です。 -
菅井汲「赤い鬼」1954年
菅井汲は、1952(昭和27)年にフランスに渡り、当地の抽象画の影響を受けつつ、自らの日本画の技量も織り交ぜた作品を発表し、次第にパリの美術界で高い評価を与えられるようになりました。この作品では、日本古来の神話に登場する鬼や獣などのイメージを原始的で素朴な形象で、かつ詩的に表すことを試みています。地には塗壁のようなマティエールを持たせ、単純な形象が発する神話的イメージを、土俗的ながらもひょうきんに描き出しています。日本人としてのアイデンティティを作品に込め、同時代の抽象絵画の潮流と合致した、滞欧初期を代表する作品です。 -
菅井汲「黒い雲 1962」1962年
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田淵安一「孤独の山」1956年
田淵安一は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の抽象画家。 1949年東大美術史科卒後、猪熊弦一郎に油彩を学びますが、1951年渡仏以降パリを中心に活動しました。 -
山口長男「累形」1958年
山口長男は1938(昭和13)年、吉原治良らと二科会内部に九室会を結成し、1962年まで二科展で活躍します。日本における抽象絵画のパイオニアのひとりとして複数の国際展にも出品しました。戦前の黄、赤、青、緑などの明るい色彩表現から一転、戦後は黒い背景に朱や黄土色の丸や矩形を大きく描いた作風で知られます。東郷青児の勧めにより、支持体もカンヴァスからベニヤ板へと代わりました。この作品の表面からも、パレットナイフでぐいぐいと絵具を塗り込めた様子がうかがえます。ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館建設寄贈に対する謝意として、山口から石橋正二郎へ贈られた作品です。 -
杉全直「袋を持った空間」1963年
杉全直は、洋画家ですが、東京美術学校系統のシュルレアリスムのグループで目立った活動をしていた「貌」に参加し、平面作品のみではなく、立体作品を中心に制作した時期もあります。現代日本美術展、日本国際美術展などで優秀賞を受賞し、日本の抽象絵画をリードする一人となりました。 -
草間彌生「無限の網(無題)」 1962年頃
草間彌生は幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされ、それを鎮めるために紙に絵を描き留め始めたのが創作活動のきっかけとなりました。1957(昭和32)年に渡米した草間は、次第に前衛的な絵画表現を試みるようになりました。1959年にニューヨークのブラタ・ギャラリーで個展を開催。カンヴァス全体に白い絵具で細かい弧を描き込んだ絵画を発表し、注目を浴びます。これは網目状に見えることからのちにネット・ペインティングと呼ばれるようになりました。白地に赤い網目をめぐらせたこの作品はその展開形です。緻密ながら躍動感のある緊張感溢れる画面を創造しています。 -
堂本尚郎「連続の溶解9」1964年
1962年、3度目の個展をパリのスタドラー画廊で開いたのち、堂本は同画廊との契約を解消し、アンフォルメルのグループから離脱します。激しく荒れ狂うような筆触のアンフォルメル時代の作風から転ずるのは、翌年から描き始められた「連続の溶解」シリーズでした。65年にはこのシリーズの作品13点をヴェネツィア・ビエンナーレに出品します。この作品もその中の1点。ペインティングナイフで厚く帯状に塗られた黒い油絵具が、下から上まで平行に重なり、画面の外まで続いていくかのようです。黒の塗り残し部分には下地の朱色が顔を覗かせています。平滑な朱色の面は、黒い絵具の厚みと重々しい物質感を際立たせています。 -
猪熊弦一郎「スペース旅行基地」1986年
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村井正誠「人びと」1983年
村井正誠は、戦前は新時代洋画展や自由美術家協会、戦後はモダンアート協会の創立メンバーとして活動し、画壇に新風を送り続けた抽象絵画のパイオニア。村井は一貫して「人」をテーマとし、おおらかであたたかな独特の雰囲気の絵画を描きました。 -
嶋田しづ「フィルターされた展望台より」1976年
嶋田しづは1923年樺太に生まれます。 1942年女子美術専門学校(現・女子美術大学)油彩科を卒業。早稲田大学では1945年まで文学 部で東洋美術史を會津八一に師事します。 1958年から約20年間パリで制作を続け、自由な形態と豊かな色彩を用いた生命感あふれる作品を発表します。パリ滞在中に絵画・リトグラフ・エッチングの制作に励み、サロン・ド・メやサロン・ドートンヌ、 コンパレイゾン、その他招待出品など、エコール・ド・パリや西欧画壇で活躍。1978年に帰国後は、湘南の海を眺望する神奈川県逗子市内にアトリエを構え、美術団体に属する ことなく個展を中心に作品を発表し現在も活躍を続けています。 -
川端実「無題」1993年
日本画の芸術家一家に育った川端実は、東京美術学校の西洋画科に進み、藤島武二に学びました。1939(昭和14)年、川端は28歳で渡仏しますが、戦況の悪化により2年後には帰国を余儀なくされます。1958年、抽象表現主義の最盛期にあったアメリカに渡り、以後ニューヨークを拠点に活動し、独自の抽象表現を確立していきました。 -
日本の抽象絵画のスペース
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13:アンリ・マティスの素描
マティスの6点のドローイングが新しいコレクションになりました。20世紀の巨匠アンリ・マティスは、同じ主題を多様な手法で描き続けたこと、生涯を通して優れたドローイングを制作したことでも知られます。このセクションでは、新収蔵のマティスの6点のドローイングと8点の油彩作品とあわせて紹介されていました。太く勢いのある筆づかいが異彩を放つ《ジャッキー》(1947年)はマティスの孫娘を描いたものです。作家の飽くなき探究心、そして自由闊達な線から作家の感情が伝わってくるようです。 -
アンリ・マティス「ジャッキー」1947年
デッサンの名手マティスのそれは、アカデミックな描法とは一線を画し、モデルを前にしたときに画家の内面に湧き起こる感情を単純な線描に投射するものでした。この作品のモデルはジャッキーとして知られる孫娘ジャクリーヌ・マティス・モニエ(1931年生まれ)です。画家の愛する孫娘の愛らしい表情が、単純ながら勢いのある筆づかいで一気に描き上げられています。マティスはジャッキーをモデルに、これを含む太く黒い線描で描いたポートレートの連作を制作しています。それらの作品が貼られたアトリエで寛ぐマティスを写した写真が残されています。 -
アンリ・マティス「マルグリットの頭部」1925年
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アンリ・マティス「リュリュと犬」1931年
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アンリ・マティス「襟」1937年
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アンリ・マティス「チェックの襟の女」1937年
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アンリ・マティス「女の顔、チェックの襟」1938年
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アンリ・マティス「女、フリルの襟」1938年
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アンリ・マティス「自画像」1939年
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アンリ・マティス「画室の裸婦」1899年
画家になる決意をしてパリに出たマティスは、エコール・デ・ボザールのモローの教室で学んだのち、様々な様式を試行錯誤しました。赤と緑の対比の鮮やかなこの作品には、点描が使われています。新印象派の画家スーラやシニャックが、科学的な考えに基づいた点描で、光に満ちた画面を生み出したのに対して、当時30歳のマティスは、自由で不規則な点を使うことで、この作品の色彩を際立たせます。モデルは円形の台の上でポーズをとり、その周りに画学生がイーゼルを並べています。裸婦を描くことは画学生にとって大切な勉強のひとつでした。 -
アンリ・マティス「コリウール」1905年
1905年5月から9月まで、マティスは、友人で画家のドランとともに、南フランスの小さな漁村コリウールに滞在し、それまでの点描から色面での表現へと大きく画風を変化させました。この作品では風景が大胆に表現されています。色彩が自由に使われており、中央の緑色は教会、前景に広がる薄緑色は浜辺、右側のピンク色はヨットの浮かぶ海です。同年のサロン・ドートンヌでは、マティスら若い画家たちは、原色を多用した粗々しい筆づかいから、フォーヴ(野獣)と評されました。ここからフォーヴィスム(野獣派)という名称が誕生しました。 -
アンリ・マティス「縞ジャケット」1914年
20歳を迎える画家の長女マルグリットがこの作品のモデルです。幼少時に受けた気管切開を伴う手術の傷を隠すため、ペンダントのついたリボンを首につけています。マティスは地塗りの白を残しながら、フォーヴィスムの時期を彷彿とさせる鮮やかな色彩を多様な筆致により画面に配し、軽やかにして華やかな女性像を描き出しています。帽子の格子縞、そして画題にもなっているジャケットの縦縞の描写では、色彩と線との一体化が見られ、同時期に深化していくマティスの造形的探求の成果を示しています。 -
アンリ・マティス「横たわる裸婦」1919年
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アンリ・マティス「両腕をあげたオダリスク」1921年
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アンリ・マティス「オダリスク」1926年
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アンリ・マティス「石膏のある静物」1927年
マティスは人物画を得意としていましたが、静物画にも積極的に取り組みました。第一次大戦後、パリから南フランスのニースに移り、その結果、1920年代には色彩豊かな作品を手がけるようになりました。鮮やかな赤色が目を引くこの作品の、無造作に置かれた果物や中央に石膏像を配した構図は、セザンヌの絵画を想起させます。マティスは、29歳のときにセザンヌの作品を購入しており、この画家から強い影響を受けていました。この作品では、三次元的なモティーフと、平面的な装飾モティーフをいかに画面の中でまとめるかという問題を追求しています。 -
アンリ・マティス「青い胴着の女」1935年
1930年代のマティスは、平面的な色彩構成を追求し、画面の単純化を推し進めました。この作品では、黒い輪郭線で囲まれた赤、青、黄の3色が巧みに配置されています。椅子に腰掛けた女性の肩は大きく誇張され、腰は極端に細く表現されています。この作品の制作過程を撮影した写真が3枚残されており、3週間足らずの間に作品が次第に単純化されていった過程がわかります。モデルは、ロシア人のリディア・デレクトルスカヤ。彼女は1934年頃からマティスのモデルと制作助手をつとめ、病身のマティス夫人の身の周りの世話もしました。 -
楽しみにしていた「クロード・モネ ?風景への問いかけ オルセー美術館・オランジュリー美術館特別企画」は、残念ながら延期になってしまいましたが、また訪れたいと思います。
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