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アーティゾン美術館で「琳派と印象派展」が開催されたので見てきました。<br />展覧会は、序章:都市の様子、第1章:the琳派、第2章:琳派×印象派、第3章:the印象派と終章:都市を離れてという構成になっており、琳派の作品と印象派の作品が並んでいるというより、徐々に琳派から印象派へ移っていくという展示になっていました。<br />以下「Artizon Museum HP」より<br />琳派は、17世紀初めの俵屋宗達、18世紀初めの尾形光琳らによって、日本の都であった京都の町人文化として生まれ、19世紀初めに酒井抱一や鈴木其一らによって、将軍お膝元の江戸(現在の東京)に引き継がれた、装飾的な美感を核として発展した都市の美術でした。<br /> 一方、印象派は、19世紀後半のフランス・パリを中心に、マネやモネ、ドガやルノワール、セザンヌらによって、日常的な経験を通して受ける印象や市民生活の喜びを率直に表現する、新しく起こったヨーロッパの近代美術でした。<br /> 本展は、日本とヨーロッパ、東西の都市文化が生んだ天才画家たちの作品を通して、大都市ならではの洗練された美意識の到達点を比較しつつ見渡そうとする、新たな試みです。当館コレクションの核となる印象派の名画と、初公開となる琳派作品を軸に、国内の寺院、美術館、博物館から代表的な作品を加えた、国宝2点、重要文化財7点を含む約100点の作品で構成されます。東西の美術を、「都市文化」というキーワードで再考する画期的な「琳派と印象派展」となります。 <br />※作品解説は、HPより参照しています。

Artizon Museum 琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術(1)

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2020/12/12 - 2020/12/12

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旅行記グループ アーティゾン美術館

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アーティゾン美術館で「琳派と印象派展」が開催されたので見てきました。
展覧会は、序章:都市の様子、第1章:the琳派、第2章:琳派×印象派、第3章:the印象派と終章:都市を離れてという構成になっており、琳派の作品と印象派の作品が並んでいるというより、徐々に琳派から印象派へ移っていくという展示になっていました。
以下「Artizon Museum HP」より
琳派は、17世紀初めの俵屋宗達、18世紀初めの尾形光琳らによって、日本の都であった京都の町人文化として生まれ、19世紀初めに酒井抱一や鈴木其一らによって、将軍お膝元の江戸(現在の東京)に引き継がれた、装飾的な美感を核として発展した都市の美術でした。
一方、印象派は、19世紀後半のフランス・パリを中心に、マネやモネ、ドガやルノワール、セザンヌらによって、日常的な経験を通して受ける印象や市民生活の喜びを率直に表現する、新しく起こったヨーロッパの近代美術でした。
本展は、日本とヨーロッパ、東西の都市文化が生んだ天才画家たちの作品を通して、大都市ならではの洗練された美意識の到達点を比較しつつ見渡そうとする、新たな試みです。当館コレクションの核となる印象派の名画と、初公開となる琳派作品を軸に、国内の寺院、美術館、博物館から代表的な作品を加えた、国宝2点、重要文化財7点を含む約100点の作品で構成されます。東西の美術を、「都市文化」というキーワードで再考する画期的な「琳派と印象派展」となります。
※作品解説は、HPより参照しています。

旅行の満足度
4.5

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  • 3Fで受付後、エレベーターで6Fへ<br />琳派と印象派の展覧会は、6Fと5Fになります。<br />特別展ですが、一部(当館コレクション以外の作品)を除き写真撮影可となっています。

    3Fで受付後、エレベーターで6Fへ
    琳派と印象派の展覧会は、6Fと5Fになります。
    特別展ですが、一部(当館コレクション以外の作品)を除き写真撮影可となっています。

  • 序章 都市の様子 前期は、京とパリです。<br />会場に入り目に飛び込むのは、作者不詳 「洛中洛外図屏風」江戸時代 17世紀<br />京の市街と郊外の景観、および風俗が俯瞰的に描かれています。

    序章 都市の様子 前期は、京とパリです。
    会場に入り目に飛び込むのは、作者不詳 「洛中洛外図屏風」江戸時代 17世紀
    京の市街と郊外の景観、および風俗が俯瞰的に描かれています。

  • 「洛中洛外図屏風」(右隻 部分拡大)<br />右隻で目を引くのは華やかな祇園会の山鉾巡行の様子です。

    「洛中洛外図屏風」(右隻 部分拡大)
    右隻で目を引くのは華やかな祇園会の山鉾巡行の様子です。

  • 「洛中洛外図屏風」(左隻 部分拡大)<br />左隻では、二条城の前、画面の中ほど水平に大行列を見出します。その行列は右隻の内裏にまで及んでいて、祇園会とは異なる賑わいを見せています。これは、1620(元和6)年6月18日の徳川和子入内の様子。他の洛中洛外図屏風の多くが四季を盛り込んでいるのに対し、この作品では夏に限定されています。一般的な京を表すというよりは、この歴史的な出来事を記録する意味合いの強い作品なのかもしれません。

    「洛中洛外図屏風」(左隻 部分拡大)
    左隻では、二条城の前、画面の中ほど水平に大行列を見出します。その行列は右隻の内裏にまで及んでいて、祇園会とは異なる賑わいを見せています。これは、1620(元和6)年6月18日の徳川和子入内の様子。他の洛中洛外図屏風の多くが四季を盛り込んでいるのに対し、この作品では夏に限定されています。一般的な京を表すというよりは、この歴史的な出来事を記録する意味合いの強い作品なのかもしれません。

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀<br />『保元物語』と『平治物語』を主題とした扇面で、もとは八曲一隻の屏風に貼られていました。落款などはないのですが、その様式が《扇面貼付屏風》(宮内庁)と似ていることから、宗達およびその工房の制作と考えられています。

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀
    『保元物語』と『平治物語』を主題とした扇面で、もとは八曲一隻の屏風に貼られていました。落款などはないのですが、その様式が《扇面貼付屏風》(宮内庁)と似ていることから、宗達およびその工房の制作と考えられています。

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」<br />合わせて15面が貼られていたそうですが、Artizon Museumが、所蔵するのは6面。

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」
    合わせて15面が貼られていたそうですが、Artizon Museumが、所蔵するのは6面。

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」<br />宗達については生没年を含め詳しくはわかっていないのですが、俵屋という絵屋を営み、その絵屋はとりわけ扇絵、物語絵で評判があり、ブランドと化していたと当時の記録に残っています。

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」
    宗達については生没年を含め詳しくはわかっていないのですが、俵屋という絵屋を営み、その絵屋はとりわけ扇絵、物語絵で評判があり、ブランドと化していたと当時の記録に残っています。

  • 19世紀半ばのパリの様子、印象派の絵画が続きます。<br />オーギュスト・ルノワール「パリ、トリニテ広場」1875年頃 ひろしま美術館所蔵<br />※本展での写真撮影ではありません。

    19世紀半ばのパリの様子、印象派の絵画が続きます。
    オーギュスト・ルノワール「パリ、トリニテ広場」1875年頃 ひろしま美術館所蔵
    ※本展での写真撮影ではありません。

  • カミーユ・ピサロ「ポン=ヌフ」 1902年 ひろしま美術館所蔵<br />ピサロは、1900年以降シテ島にアパルトマンを借り、様々な気象条件のもとで、橋と右岸の眺めを描いています。<br />※本展での写真撮影ではありません。

    カミーユ・ピサロ「ポン=ヌフ」 1902年 ひろしま美術館所蔵
    ピサロは、1900年以降シテ島にアパルトマンを借り、様々な気象条件のもとで、橋と右岸の眺めを描いています。
    ※本展での写真撮影ではありません。

  • 第1章the 琳派<br />伊年印 「草花図屏風」江戸時代 17世紀<br />山吹、桜草、土筆といった春の花に、紫陽花や茄子などの夏の花を描く「草花図屏風」は宗達とその周辺で多く制作された草花図屏風の一例で「伊年」の印が捺されています。<br /><br />

    第1章the 琳派
    伊年印 「草花図屏風」江戸時代 17世紀
    山吹、桜草、土筆といった春の花に、紫陽花や茄子などの夏の花を描く「草花図屏風」は宗達とその周辺で多く制作された草花図屏風の一例で「伊年」の印が捺されています。

  • 「草花図屏風」(部分拡大)<br />紫陽花です。

    「草花図屏風」(部分拡大)
    紫陽花です。

  • 尾形光琳 「李白観瀑図」江戸時代 18世紀<br />大きな滝を前に、片膝を立てて地面にすわる人物。<br />   廬山の瀑布を望む<br />  日は香炉を照らし紫煙を生ず<br />  遙かに看る瀑布の前川に挂かるを<br />  飛流直下三千尺<br />   疑うらくは是銀河の九天より落つるかと<br /> 中国盛唐の詩人・李白の詠んだこの詩を典拠として、滝に臨み詩作にふける李白のイメージが次第に定着し、多くの画家の描くところとなりました。人物を表す濃い墨で力強く表された衣文線や、滝壺から吹き上がるかすかな風の気配を感じさせる髭の繊細な線に、切れのある熟達した画技が見て取れます。左下には「青々光琳」の署名と「方祝」の朱文方印。構図も理知的に簡潔にまとめてあり、尾形光琳晩年の良品といえます。 <br />

    尾形光琳 「李白観瀑図」江戸時代 18世紀
    大きな滝を前に、片膝を立てて地面にすわる人物。
      廬山の瀑布を望む
      日は香炉を照らし紫煙を生ず
      遙かに看る瀑布の前川に挂かるを
      飛流直下三千尺
      疑うらくは是銀河の九天より落つるかと
     中国盛唐の詩人・李白の詠んだこの詩を典拠として、滝に臨み詩作にふける李白のイメージが次第に定着し、多くの画家の描くところとなりました。人物を表す濃い墨で力強く表された衣文線や、滝壺から吹き上がるかすかな風の気配を感じさせる髭の繊細な線に、切れのある熟達した画技が見て取れます。左下には「青々光琳」の署名と「方祝」の朱文方印。構図も理知的に簡潔にまとめてあり、尾形光琳晩年の良品といえます。

  • 第2章琳派×印象派<br />伊年印 「源氏物語図 浮舟、夢浮橋」江戸時代 17世紀<br />かつて六曲一双に仕立てられていた《源氏物語図?風》が、分割され今に伝わるもののひとつです。?風は、『源氏物語』54帖のすべての場面を備えていました。その中で、これは第51帖「浮舟」と第54帖「夢浮橋」の2つの場面が描かれています。屏風の状態にあったときは、左隻(向かって左)、左から1扇目と2扇目の下部に位置していました。そのため、画面に「伊年」の朱文円印を含みます。宗達周辺で使用された数種の伊年印の内、《扇面流図屏風》(大倉文化財団)に近いものと思われます。

    第2章琳派×印象派
    伊年印 「源氏物語図 浮舟、夢浮橋」江戸時代 17世紀
    かつて六曲一双に仕立てられていた《源氏物語図?風》が、分割され今に伝わるもののひとつです。?風は、『源氏物語』54帖のすべての場面を備えていました。その中で、これは第51帖「浮舟」と第54帖「夢浮橋」の2つの場面が描かれています。屏風の状態にあったときは、左隻(向かって左)、左から1扇目と2扇目の下部に位置していました。そのため、画面に「伊年」の朱文円印を含みます。宗達周辺で使用された数種の伊年印の内、《扇面流図屏風》(大倉文化財団)に近いものと思われます。

  • クロード・モネ <br />(左)「睡蓮」1903年<br />(右)「睡蓮の池」1907年

    クロード・モネ
    (左)「睡蓮」1903年
    (右)「睡蓮の池」1907年

  • 「睡蓮」<br />モネは1883年より、パリ近郊ジヴェルニーに居を構えました。1890年には家と土地を購入し、セーヌ川支流のエプト川のさらに支流のリュー川から庭の池に水を引き、そこに睡?を浮かべて制作を続けました。1901年から翌年にかけては土地を買い足し、池を拡張しています。その後のモネは睡?の絵画制作に没頭することになります。この作品では全体を水面が覆い、ところどころに花をつけた睡蓮が浮かぶ様子が描かれています。画面は今にも動き出しそうな躍動感を持っています。

    「睡蓮」
    モネは1883年より、パリ近郊ジヴェルニーに居を構えました。1890年には家と土地を購入し、セーヌ川支流のエプト川のさらに支流のリュー川から庭の池に水を引き、そこに睡?を浮かべて制作を続けました。1901年から翌年にかけては土地を買い足し、池を拡張しています。その後のモネは睡?の絵画制作に没頭することになります。この作品では全体を水面が覆い、ところどころに花をつけた睡蓮が浮かぶ様子が描かれています。画面は今にも動き出しそうな躍動感を持っています。

  • 「睡蓮の池」<br />睡蓮を扱ったモネの作品は膨大な数にのぼりますが、その中には同様の構図で描かれた連作があります。この作品は、1907年に描かれたおよそ15点からなる縦長のカンヴァスによる連作の1点です。水面に浮かぶ睡蓮と池の周囲にある柳の木の反映が画面に幻想的な空間を生み出しています。モネはこの連作において、太陽が高い昼間から日没にかけて刻一刻と空の色が変化していく様を同じ構図の中に描きました。この作品の淡い朱を帯びた水面は、日没が近づいていることを感じさせます。

    「睡蓮の池」
    睡蓮を扱ったモネの作品は膨大な数にのぼりますが、その中には同様の構図で描かれた連作があります。この作品は、1907年に描かれたおよそ15点からなる縦長のカンヴァスによる連作の1点です。水面に浮かぶ睡蓮と池の周囲にある柳の木の反映が画面に幻想的な空間を生み出しています。モネはこの連作において、太陽が高い昼間から日没にかけて刻一刻と空の色が変化していく様を同じ構図の中に描きました。この作品の淡い朱を帯びた水面は、日没が近づいていることを感じさせます。

  • ポール・シニャック 「ラ・ロシェル」<br />新印象派の代表的画家、ポール・シニャックの鉛筆画。

    ポール・シニャック 「ラ・ロシェル」
    新印象派の代表的画家、ポール・シニャックの鉛筆画。

  • ポール・シニャック 「プティ・タンドリー」

    ポール・シニャック 「プティ・タンドリー」

  • クロード・モネ 「雨のベリール」1886年  <br />フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。この作品の中央には、ポール=ドモワ湾の中央に位置する「ギベル」と呼ばれる岩が見えています。遠くの岩は雨でかすんでいます。横なぐりの雨は斜め向きのタッチで表現され、海の白い波は曲線で表されています。粗々しい水面の表現が印象的な作品です。

    クロード・モネ 「雨のベリール」1886年
    フランスのブルターニュ地方は多くの画家に愛された土地でした。モネが一時期滞在したのは、ブルターニュ半島の南にある「美しい島」という意味の小さな島ベリール。モネは1886年9月から11月末までこの島にとどまり、滞在中に46歳の誕生日を迎えました。モネがベリールを描いた油彩画は現在40点ほど知られています。この作品の中央には、ポール=ドモワ湾の中央に位置する「ギベル」と呼ばれる岩が見えています。遠くの岩は雨でかすんでいます。横なぐりの雨は斜め向きのタッチで表現され、海の白い波は曲線で表されています。粗々しい水面の表現が印象的な作品です。

  • 渡辺始興 「六歌仙図」 江戸時代 18世紀<br />

    渡辺始興 「六歌仙図」 江戸時代 18世紀

  • 中村芳中 「門松萬歳図」江戸時代 18-19世紀<br />おめでたい正月の風物です。中村芳中の絵にはユーモラスな味わいがあります。

    中村芳中 「門松萬歳図」江戸時代 18-19世紀
    おめでたい正月の風物です。中村芳中の絵にはユーモラスな味わいがあります。

  • エドガー・ドガ 「踊りの稽古場にて」1895-98年<br />ドガはバレエの主題を油彩とパステルの両方で手がけていますが、踊り子の動作を素早くとらえる上で、パステルは適した技法であったといえます。パステルはドガの後半期の画業を代表する技法であり、その作品は700点以上になります。踊り子を斜めに配置し、横長の画面に奥行きとリズムを生み出すのは、ドガが好んだ手法です。全体に色彩が施されつつ、人物像の輪郭の修正が入念になされており、この作品が同時期に制作された油彩作品《稽古場の踊り子たち》(1895?96年、フォン・デア・ハイト美術館)の習作であることを示しています。

    エドガー・ドガ 「踊りの稽古場にて」1895-98年
    ドガはバレエの主題を油彩とパステルの両方で手がけていますが、踊り子の動作を素早くとらえる上で、パステルは適した技法であったといえます。パステルはドガの後半期の画業を代表する技法であり、その作品は700点以上になります。踊り子を斜めに配置し、横長の画面に奥行きとリズムを生み出すのは、ドガが好んだ手法です。全体に色彩が施されつつ、人物像の輪郭の修正が入念になされており、この作品が同時期に制作された油彩作品《稽古場の踊り子たち》(1895?96年、フォン・デア・ハイト美術館)の習作であることを示しています。

  • エドガー・ドガ 「右足で立ち、右手を地面にのばしたアラベスク」1882-95年<br />

    エドガー・ドガ 「右足で立ち、右手を地面にのばしたアラベスク」1882-95年

  • エドガー・ドガ 「右手で右足を持つ踊り子」1896-1911年<br />ドガがいつ頃から彫刻をはじめたのかはわかっていません。ドガの死後、彼のアトリエに残された150点もの蝋彫刻が運び出され、そのうち73点が鋳造工エブラールによってブロンズ鋳造されました。これら小さな蝋の彫刻は、ドガにとって、モデルの代わりでもありました。

    エドガー・ドガ 「右手で右足を持つ踊り子」1896-1911年
    ドガがいつ頃から彫刻をはじめたのかはわかっていません。ドガの死後、彼のアトリエに残された150点もの蝋彫刻が運び出され、そのうち73点が鋳造工エブラールによってブロンズ鋳造されました。これら小さな蝋の彫刻は、ドガにとって、モデルの代わりでもありました。

    アーティゾン美術館 美術館・博物館

  • エドガー・ドガ 「右手で右足を持つ踊り子」<br />別方向から<br />

    エドガー・ドガ 「右手で右足を持つ踊り子」
    別方向から

  • ポール・セザンヌ 「水辺の人物たち」1877年頃  <br />

    ポール・セザンヌ 「水辺の人物たち」1877年頃

  • ポール・セザンヌ 「水浴群像」1897-1900年頃  <br />

    ポール・セザンヌ 「水浴群像」1897-1900年頃

  • ポール・セザンヌ 「三人の水浴の女たち」1874-78年頃 <br />

    ポール・セザンヌ 「三人の水浴の女たち」1874-78年頃

  • ポール・セザンヌ 「休息する水浴の男たち」1875-77年頃 <br />水浴図は、セザンヌが生涯を通じて情熱を傾けた主題でした。死の直前まで続けられた探求の軌跡において、自らの絵画の到達点として相応しい主題と考えていた、と思われます。その数は油彩、水彩、素描など、実に200点以上にのぼります。この主題の個人的な起源としては、中学時代にゾラたちとエクスのアルク川での水浴びの記憶であると思われます。素早いインクの線描に水彩が粗く施されています。奥行きを感じさせる空間の中で、人物の配置を入念な思考のもとに行おうとする画家の姿勢がうかがえます。これは最も早い時期、1921年に日本に将来した作品です。 <br />

    ポール・セザンヌ 「休息する水浴の男たち」1875-77年頃
    水浴図は、セザンヌが生涯を通じて情熱を傾けた主題でした。死の直前まで続けられた探求の軌跡において、自らの絵画の到達点として相応しい主題と考えていた、と思われます。その数は油彩、水彩、素描など、実に200点以上にのぼります。この主題の個人的な起源としては、中学時代にゾラたちとエクスのアルク川での水浴びの記憶であると思われます。素早いインクの線描に水彩が粗く施されています。奥行きを感じさせる空間の中で、人物の配置を入念な思考のもとに行おうとする画家の姿勢がうかがえます。これは最も早い時期、1921年に日本に将来した作品です。

  • ポール・セザンヌ 「水浴」1865-70年頃<br />

    ポール・セザンヌ 「水浴」1865-70年頃

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀<br />扇絵に定評があった俵屋。上方が広く湾曲した画面は、彼らの造形感覚を刺激したようで、典拠となる古典の絵巻や屏風などから部分を抜き出し再構成しています。

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀
    扇絵に定評があった俵屋。上方が広く湾曲した画面は、彼らの造形感覚を刺激したようで、典拠となる古典の絵巻や屏風などから部分を抜き出し再構成しています。

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀<br />

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀

  • 宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀<br />

    宗達工房 「保元平治物語絵扇面」江戸時代 17世紀

  • 中村芳中 「四季草花図扇面貼交屏風」江戸時代<br />中村芳中も扇面を好み、たくさんの草花図を残しています。

    中村芳中 「四季草花図扇面貼交屏風」江戸時代
    中村芳中も扇面を好み、たくさんの草花図を残しています。

  • 「四季草花図扇面貼交屏風」(部分拡大)<br />四季折々の草花を一種ずつ描いています。

    「四季草花図扇面貼交屏風」(部分拡大)
    四季折々の草花を一種ずつ描いています。

  • (左)エドゥアール・マネ「白菊の図」1881年頃<br />(右)エドガー・ドガ「踊り子」1879年頃<br />

    (左)エドゥアール・マネ「白菊の図」1881年頃
    (右)エドガー・ドガ「踊り子」1879年頃

  • 尾形光琳 「孔雀立葵図屏風」江戸時代 18世紀  (左隻)<br />もと衝立の表裏であったものが、現状の二曲一双?風に仕立てられています。改装されたのは、重要文化財の指定書から1957(昭和32)年とされます。衝立となる前も、屏風あるいは襖であったとする説もあり、オリジナルがどのような状態だったかはわかりません。<br />  左隻は、すっくと茎を伸ばす立葵らしく垂直方向への視線が意識され、また、細かに描き込まれた孔雀とは対照的に、赤、白、緑の色面の対比が際立つような意匠的な表現となっています。<br />  左隻は「法橋光琳」の署名と「方祝」の朱文円印が確認されます。国宝の《燕子花図屏風》(根津美術館)、《紅白梅図屏風》(MOA 美術館)で知られる尾形光琳です。光琳は、江戸時代半ばに京および江戸の地で制作を行った絵師で、弟の乾山(1663-1743年)も陶工として名を馳せます。方祝は光琳が晩年に用いたとされる名前です。光琳が没したのは1716(正徳6)年59歳、50代半ば頃の制作と考えられます

    尾形光琳 「孔雀立葵図屏風」江戸時代 18世紀 (左隻)
    もと衝立の表裏であったものが、現状の二曲一双?風に仕立てられています。改装されたのは、重要文化財の指定書から1957(昭和32)年とされます。衝立となる前も、屏風あるいは襖であったとする説もあり、オリジナルがどのような状態だったかはわかりません。
     左隻は、すっくと茎を伸ばす立葵らしく垂直方向への視線が意識され、また、細かに描き込まれた孔雀とは対照的に、赤、白、緑の色面の対比が際立つような意匠的な表現となっています。
     左隻は「法橋光琳」の署名と「方祝」の朱文円印が確認されます。国宝の《燕子花図屏風》(根津美術館)、《紅白梅図屏風》(MOA 美術館)で知られる尾形光琳です。光琳は、江戸時代半ばに京および江戸の地で制作を行った絵師で、弟の乾山(1663-1743年)も陶工として名を馳せます。方祝は光琳が晩年に用いたとされる名前です。光琳が没したのは1716(正徳6)年59歳、50代半ば頃の制作と考えられます

  • 尾形光琳 「孔雀立葵図屏風」江戸時代 18世紀  (右隻)<br />右隻は、羽を広げ細くて長い脚を伸ばす雄孔雀と、その豪華な羽を取り囲むように配されフレームアウトした樹幹が目を引きます。白い梅の花をつけた枝は、屈曲しながら左側の雌孔雀のほうへと伸び、雌孔雀の歩み寄る方向性から、再び絵の中心となる雄孔雀へと視線が導かれます。

    尾形光琳 「孔雀立葵図屏風」江戸時代 18世紀 (右隻)
    右隻は、羽を広げ細くて長い脚を伸ばす雄孔雀と、その豪華な羽を取り囲むように配されフレームアウトした樹幹が目を引きます。白い梅の花をつけた枝は、屈曲しながら左側の雌孔雀のほうへと伸び、雌孔雀の歩み寄る方向性から、再び絵の中心となる雄孔雀へと視線が導かれます。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年  <br /> 印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。<br /> この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。<br /> パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。<br />

    ピエール=オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」1876年
     印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。
     この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。
     パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。

  • ピエール=オーギュスト・ルノワール 「少女」1887年<br /> 印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。<br /> この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。<br /> パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。

    ピエール=オーギュスト・ルノワール 「少女」1887年
     印象派の画家ルノワールは、友人のモネとともに戸外制作に基づく風景画を描くかたわら、都市風俗や人物画にも早くから関心を示しました。30代半ばのルノワールはすぐれた肖像画を多く手がけました。
     この作品に描かれているのは、ジョルジュ・シャルパンティエの当時4歳の長女ジョルジェット。青色のドレスと靴下を身につけたジョルジェットは、椅子にすわって微笑んでいます。伝統的な肖像画のような堅苦しい雰囲気はなく、モデルのくつろいだ様子が生き生きと表現されています。足を組んだおしゃまなポーズと大き過ぎる大人用の椅子との対比により、少女の可愛らしさが際立ちます。近くで見ると、影の表現に青い線が使われているのがわかります。床には絨毯が敷かれ、家具の上には花瓶が飾られており、19世紀のパリの裕福な家庭の様子を伝えてくれます。
     パリで出版業を営んでいたシャルパンティエは、ゾラやモーパッサンらの小説を出版する一方、自宅で文学サロンを開いていました。妻マルグリットが主催したそのサロンは、芸術家や政治家などが集まる社交の場でした。1875年に印象派の画家たちが開催した作品売り立てで、夫妻はルノワールの作品3点を購入し、その後、両者は親しく交流するようになりました。このジョルジェットの肖像画は、シャルパンティエ家の肖像画として最初に依頼されたものです。

  • エミール=アントワーヌ・ブールデル 「アナトール・フランス像」1920年<br />

    エミール=アントワーヌ・ブールデル 「アナトール・フランス像」1920年

  • オーギュスト・ロダン 「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」1891年  <br />展覧会は、Artizon Museum 琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術(2)へ続きます。<br />

    オーギュスト・ロダン 「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」1891年
    展覧会は、Artizon Museum 琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術(2)へ続きます。

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