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【思い出の旅】第12弾は、夜行列車で訪れた能登輪島と加賀金沢の街歩きと、越中おわら風の盆を楽しむ旅。<br />(2020.09.10投稿)<br />1991年の晩夏、夜行列車に乗り、北陸を訪れた。<br />越中おわら風の盆を観るのが目的だが、訪れたことが無かった能登輪島と、宿を取った金沢の街も少し歩くことにした。<br />訪れた後、輪島は鉄道が廃線となり、街も大きく変わり、金沢も街並みがかなり綺麗になった。<br />過去の旅を振り返ると、過ぎ去った時が見えて来る。

【思い出の旅】夜行列車で輪島から金沢、越中おわら風の盆へ

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1991/08/30 - 1991/09/02

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旅猫

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【思い出の旅】第12弾は、夜行列車で訪れた能登輪島と加賀金沢の街歩きと、越中おわら風の盆を楽しむ旅。
(2020.09.10投稿)
1991年の晩夏、夜行列車に乗り、北陸を訪れた。
越中おわら風の盆を観るのが目的だが、訪れたことが無かった能登輪島と、宿を取った金沢の街も少し歩くことにした。
訪れた後、輪島は鉄道が廃線となり、街も大きく変わり、金沢も街並みがかなり綺麗になった。
過去の旅を振り返ると、過ぎ去った時が見えて来る。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 21時ちょうど発の夜行急行『能登』で旅を始める。<br />夜の上野駅は、東北や北陸へと向かう夜行列車が次々と出発する。<br />この日も、定期列車だけで『北斗星』が3本、『はくつる』、『ゆうづる』、『あけぼの』、『出羽』、『鳥海』、『北陸』、『八甲田』、『津軽』、『能登』が旅立っていった。<br />金曜日の夜は、それらの列車を利用する人が多く、なかなか活気がある。<br />そんな夜の上野駅は好きである。<br /><br />※現在、上野駅発着の夜行列車は運転されていません。

    21時ちょうど発の夜行急行『能登』で旅を始める。
    夜の上野駅は、東北や北陸へと向かう夜行列車が次々と出発する。
    この日も、定期列車だけで『北斗星』が3本、『はくつる』、『ゆうづる』、『あけぼの』、『出羽』、『鳥海』、『北陸』、『八甲田』、『津軽』、『能登』が旅立っていった。
    金曜日の夜は、それらの列車を利用する人が多く、なかなか活気がある。
    そんな夜の上野駅は好きである。

    ※現在、上野駅発着の夜行列車は運転されていません。

  • 『能登』は、早朝5時42分に終着の金沢駅に到着した。<br />金沢駅からは、6時16分発の臨時急行『能登路81号』に乗り換え、まずは終点の輪島駅を目指す。<br />列車は、途中の穴水駅で29分も停車するので、車外へ出て、構内を散策した。

    『能登』は、早朝5時42分に終着の金沢駅に到着した。
    金沢駅からは、6時16分発の臨時急行『能登路81号』に乗り換え、まずは終点の輪島駅を目指す。
    列車は、途中の穴水駅で29分も停車するので、車外へ出て、構内を散策した。

    穴水駅

  • 輪島駅には8時37分に到着。<br />駅から、市街地を流れる河原田川沿いに歩いて行く。<br />途中、二股に分かれた場所があり、川から離れていく道には、御仮屋小路と言う名が付いていた。<br /><br />※現在、穴水駅から輪島駅までの鉄道は廃止されています。

    輪島駅には8時37分に到着。
    駅から、市街地を流れる河原田川沿いに歩いて行く。
    途中、二股に分かれた場所があり、川から離れていく道には、御仮屋小路と言う名が付いていた。

    ※現在、穴水駅から輪島駅までの鉄道は廃止されています。

  • 輪島の街は、小さな道が多くあり、路地が旅人を誘う。<br />引き込まれそうになる路地があるのは楽しい。

    輪島の街は、小さな道が多くあり、路地が旅人を誘う。
    引き込まれそうになる路地があるのは楽しい。

  • まだまだ残暑が続くこの日、商店の店先では犬がへたばっていた。<br />前足を投げ出し、何とも言えない可愛いい姿だった。

    まだまだ残暑が続くこの日、商店の店先では犬がへたばっていた。
    前足を投げ出し、何とも言えない可愛いい姿だった。

  • 歩いていると、境内の広い神社を見つけた。<br />鎮座する河井町の産土神である重蔵神社で、延喜式神名帳に記載のある社とされているらしい。<br />主祭神は、大国主命の父、天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)だそうだ。<br />境内には、小さな天満宮も祀られていた。

    歩いていると、境内の広い神社を見つけた。
    鎮座する河井町の産土神である重蔵神社で、延喜式神名帳に記載のある社とされているらしい。
    主祭神は、大国主命の父、天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)だそうだ。
    境内には、小さな天満宮も祀られていた。

    重蔵神社 寺・神社・教会

  • 重蔵神社の裏手には、海が広がっていた。<br />日本海である。<br />高い雲と低い雲が重なり合い、夏から秋への季節の移り変わりを感じる。

    重蔵神社の裏手には、海が広がっていた。
    日本海である。
    高い雲と低い雲が重なり合い、夏から秋への季節の移り変わりを感じる。

  • 輪島の街をのんびり歩いた後、駅へと戻った。<br />12時57分発の穴水行の普通列車に乗り、輪島を後にする。<br />穴水駅からは、13時35分発の急行『能登路10号』に乗り換え、宿のある金沢駅へと向かった。<br /><br />※現在、急行『能登路』は廃止されています。

    輪島の街をのんびり歩いた後、駅へと戻った。
    12時57分発の穴水行の普通列車に乗り、輪島を後にする。
    穴水駅からは、13時35分発の急行『能登路10号』に乗り換え、宿のある金沢駅へと向かった。

    ※現在、急行『能登路』は廃止されています。

  • 翌日、恵中おわら風の盆は夜に観に行くことにしているので、とりあえず、金沢の街を歩いてみることにした。<br />まず向かったのは、市街地の北側を流れる浅野川の右岸にある寺町。<br />高台に建つ西養寺からは、美しい瓦屋根の街並みが見えた。<br />ひと際目立つ茶色の瓦を載せた大屋根は、即願寺である。

    翌日、恵中おわら風の盆は夜に観に行くことにしているので、とりあえず、金沢の街を歩いてみることにした。
    まず向かったのは、市街地の北側を流れる浅野川の右岸にある寺町。
    高台に建つ西養寺からは、美しい瓦屋根の街並みが見えた。
    ひと際目立つ茶色の瓦を載せた大屋根は、即願寺である。

  • 寺町の西側には、旧東廓がある。<br />現在、東茶屋街と呼ばれている場所だ。<br />紅殻格子の茶屋が建ち並び、花街としての風情が残っている。<br /><br />※現在、綺麗に整備され、趣は変わっています。

    寺町の西側には、旧東廓がある。
    現在、東茶屋街と呼ばれている場所だ。
    紅殻格子の茶屋が建ち並び、花街としての風情が残っている。

    ※現在、綺麗に整備され、趣は変わっています。

    ひがし茶屋街 名所・史跡

  • 浅野川を浅野川大橋で渡り、川沿いを散策。<br />浅野川大橋は、大正11年(1922)に架けられた橋で、特徴的なアーチ橋となってる。<br />以前は、橋の上を路面電車が走っていたそうだ。

    浅野川を浅野川大橋で渡り、川沿いを散策。
    浅野川大橋は、大正11年(1922)に架けられた橋で、特徴的なアーチ橋となってる。
    以前は、橋の上を路面電車が走っていたそうだ。

    浅野川大橋 名所・史跡

  • その西詰の北側には、花街の一つである主計町が広がっている。<br />風情のある街並みがあり、暗がり坂の辺りは特に趣がある。<br />坂を登り、泉鏡花の記念館前を歩いて行くと、寿屋と言う店の前に出た。<br />趣のある建物で、料理屋のようだった。<br />店の前を左折し、百万石通りを渡り、金沢城跡へと向かうことにする。

    その西詰の北側には、花街の一つである主計町が広がっている。
    風情のある街並みがあり、暗がり坂の辺りは特に趣がある。
    坂を登り、泉鏡花の記念館前を歩いて行くと、寿屋と言う店の前に出た。
    趣のある建物で、料理屋のようだった。
    店の前を左折し、百万石通りを渡り、金沢城跡へと向かうことにする。

    主計町茶屋街 名所・史跡

  • 金沢城跡に着くと、白壁が特徴的な石川門が出迎えてくれた。<br />ここは、やはり金沢の象徴的な景観と言えよう。<br />金沢城は、加賀前田家百万石の居城だが、建物はあまり残っていない。

    金沢城跡に着くと、白壁が特徴的な石川門が出迎えてくれた。
    ここは、やはり金沢の象徴的な景観と言えよう。
    金沢城は、加賀前田家百万石の居城だが、建物はあまり残っていない。

    金沢城公園 玉泉院丸庭園 名所・史跡

  • 石川門から兼六園を通り抜けると、小立野と言う台地の麓に出る。<br />この辺りは、石引と呼ばれ、金沢城を築城する際、石垣に使う石を運んだ道筋だったそうだ。<br />そこに、金沢市民俗文化財展示館と言う瀟洒な洋館が建っていた。<br />その建物は、明治32年(1899)に建てられた、旧金沢第二中学の校舎だったそうだ。<br /><br />※現在、金沢くらしの博物館となっています。

    石川門から兼六園を通り抜けると、小立野と言う台地の麓に出る。
    この辺りは、石引と呼ばれ、金沢城を築城する際、石垣に使う石を運んだ道筋だったそうだ。
    そこに、金沢市民俗文化財展示館と言う瀟洒な洋館が建っていた。
    その建物は、明治32年(1899)に建てられた、旧金沢第二中学の校舎だったそうだ。

    ※現在、金沢くらしの博物館となっています。

    金沢くらしの博物館 美術館・博物館

  • そこから駅へと戻る途中、今度は立派な煉瓦造りの建物が見えてきた。<br />これは、明治の終わりから大正の初めにかけて建てられた旧陸軍の兵器庫で、現在は、石川県立歴史博物館として利用されているものだった。<br />赤茶けた煉瓦とその意匠からは、軍の施設とは思えない佇まいだ。<br />樹々や芝生に囲まれ三棟が建ち並び景観も、なかなか良かった。

    そこから駅へと戻る途中、今度は立派な煉瓦造りの建物が見えてきた。
    これは、明治の終わりから大正の初めにかけて建てられた旧陸軍の兵器庫で、現在は、石川県立歴史博物館として利用されているものだった。
    赤茶けた煉瓦とその意匠からは、軍の施設とは思えない佇まいだ。
    樹々や芝生に囲まれ三棟が建ち並び景観も、なかなか良かった。

    石川県立歴史博物館 美術館・博物館

  • 駅へ戻り、16時33分発の特急『雷鳥27号』に乗り、富山駅へと向かう。<br />富山駅で高山本線に乗り換えるのだが、おわら風の盆の日とあり、かなりの混雑だった。<br />一本待ち、17時42分発の越中八尾行に乗り、八尾を目指した。<br />そして、会場までは八尾駅からのんびり歩いて行く。

    駅へ戻り、16時33分発の特急『雷鳥27号』に乗り、富山駅へと向かう。
    富山駅で高山本線に乗り換えるのだが、おわら風の盆の日とあり、かなりの混雑だった。
    一本待ち、17時42分発の越中八尾行に乗り、八尾を目指した。
    そして、会場までは八尾駅からのんびり歩いて行く。

    おわら風の盆 祭り・イベント

  • 40分ほど歩くと会場に辿り着いた。<br />まだ始まっていなかったが、踊り手の方々が集まり、祭りの雰囲気が漂っていた。

    40分ほど歩くと会場に辿り着いた。
    まだ始まっていなかったが、踊り手の方々が集まり、祭りの雰囲気が漂っていた。

  • そして、19時に踊りが始まった。<br />狭い街中を流して行くので、沿道はかなり混み合っている。<br />それでも、踊りはよく見え、独特なおわら編笠を眼深に被った踊り手たちが踊り歩いて行く。<br />町流しと呼ばれるもので、他に輪踊りと言うものがあるそうだ。<br />どこか切なげな調べと優雅な女踊りが何とも言えず美しい。<br />これまで観た祭りの中で、一番心に響くものだった。

    そして、19時に踊りが始まった。
    狭い街中を流して行くので、沿道はかなり混み合っている。
    それでも、踊りはよく見え、独特なおわら編笠を眼深に被った踊り手たちが踊り歩いて行く。
    町流しと呼ばれるもので、他に輪踊りと言うものがあるそうだ。
    どこか切なげな調べと優雅な女踊りが何とも言えず美しい。
    これまで観た祭りの中で、一番心に響くものだった。

  • 祭りと言うことで、町内には露店も出ている。<br />懐かしいお面を売る店もあった。<br />祭りには、やはり露天は欠かせない。

    祭りと言うことで、町内には露店も出ている。
    懐かしいお面を売る店もあった。
    祭りには、やはり露天は欠かせない。

  • おわら風の盆を心行くまで堪能し、八尾の街を後にした。<br />金沢駅へと戻り、遅い夕飯を食べる。<br />そして、22時17分発の信越本線経由の夜行急行『能登』に乗り込む。<br />隣のホームでは、22時発の上越線経由の寝台特急『北陸』が出発を待っていた。<br />今回の旅もこれで終わり。<br />往復夜行列車で訪れた北陸の旅。<br />初めての能登半島と越中おわら風の盆に触れ、心に残る旅となった。<br /><br />※現在、金沢駅発着の夜行列車はありません。

    おわら風の盆を心行くまで堪能し、八尾の街を後にした。
    金沢駅へと戻り、遅い夕飯を食べる。
    そして、22時17分発の信越本線経由の夜行急行『能登』に乗り込む。
    隣のホームでは、22時発の上越線経由の寝台特急『北陸』が出発を待っていた。
    今回の旅もこれで終わり。
    往復夜行列車で訪れた北陸の旅。
    初めての能登半島と越中おわら風の盆に触れ、心に残る旅となった。

    ※現在、金沢駅発着の夜行列車はありません。

    金沢駅

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思い出の旅

この旅行記へのコメント (6)

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  • 毛利慎太朗さん 2020/10/27 10:24:34
    懐かしの車両やら、茶屋街やら。
    旅猫さま、再びコメント申し上げます。
    『東茶屋街』の昔の姿、閑静そのもので、俗っぽさがなくて、昔の姿のほうが逆にいいかもしれません。
    旅館なんかも近代的にきれいになることはよいかもしれませんが、ほどよく『ひなびた』感じが残るように改修してほしいところですよね。
    茶屋街に関連して、京都の祇園茶屋街についてどういう印象をお持ちか、御意見頂戴頂ければ幸いです。
    昨年までは『舞妓パパラッチ』なる一部外国人が多数出没し、舞妓さんたちが苦労しているばかりか、一部外国人が立ち入り禁止の敷地に入ったりと町の人たちも困らせてるみたいです。
    政府はインバウンドを進めるのもいいですが、訪日外国人に対してちゃんとモラルは守ってほしいものですよね。
    今回のコロナはいい薬になったとおもいます。
    また、『一見お断り』は理屈っぽく聞こえますが、それなりに理にかなってると思うので続けてほしいですね。
    舞妓遊びはしたことないですが、どうせお金がかかるので、そういう店にはいきませんから、祇園が良質のお客さんでまた賑わってほしいことを願わずにはおれませんね。
    なんなら極論、''鑑札''みたいなものを発行して住民と客以外、祇園立ち入り禁止にするのもいいのかな~なんて考えてしまいますね。
    湿った話はさておき、旅行記には『キハ28・58系』や客車時代の能登が登場して、いい時代だったんだな~と思わせてくれます。
    十数年前までは北陸本線には『北陸』『能登(私が乗った当時はボンネット489系)』『583系きたぐに』『485系北陸』などの国鉄型優等列車も健在で、在来線も『ジェットエンジン&デカ目の475系』、『高山本線社会実験用・DMH17原型エンジンのキハ58系』『三色(国鉄色・タラコ・山スカ)いた大糸線キハ52』や『(583系改造・食パン)419系』などの変わり種車両もたくさんおり、なかなか乗りごたえある時代も過ぎ去って、113系改造の415系(ワインレッド)も来年引退予定で、残るはあいの風とやま鉄道の413系と城端線等のキハ40系だけとなって本当に寂しいです。
    特に写真に出てきたキハ58系は印象が残り、キハ40に比べアイドリング音が『カラカラ』いってるのが特徴的で、屋根の分散クーラーも愛嬌あるものです。
    パノラミックウィンドウではないとこもいいですよね、キハ40ぽくなくて、騙し絵効果というのですか、車両がふくよかに見えますね。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/10/29 09:10:45
    RE: 懐かしの車両やら、茶屋街やら。
    毛利慎太郎さん、さらにありがとうございます。

    平成の頃でも、多くの観光地はそれほど混み合っていませんでしたし、街並みもまだ風情が残っていました。
    いつの頃か、急速に観光地化が進んで、整備され過ぎた感があります。
    鄙びた感じが良いのに、綺麗にし過ぎるのですよね。
    祇園は、外国人観光客が入り込み過ぎて、地元がかなりカリカリしていますね。
    個人的には、外国人観光役が増え過ぎるのは良くないと思っています。
    以前のように、本当に日本を感じたい方だけ来ていただければよいなと。
    祇園は、いろいろあり、今では写真撮影すらできなくなってしまいました。
    先日訪れた時は、カメラを持っていただけで、わざと聞こえるように嫌味を言われました。
    京都人の一部には、歴史に根差した優越感を持っていることがあります。
    『一見さんお断り』は理解できますが、あまり好きではありません。
    まあ、そんな店には行きたいとは思いませんが。

    最近は、列車も風情が無くなってきました。
    夜行列車も風前の灯で、旅も旅情が失われそうです。
    『能登』は北陸の旅ではよく利用しました。
    先日投稿した丹後の旅でも、電車時代の福井行き『能登』を利用しました。
    北陸も、最近は銀色の電車ばかりでつまらなくなってしまいました。
    今の内に、七尾線を使って能登路の旅でもしようかと考えています。

    旅猫
  • 群青さん 2020/09/25 23:31:20
    すごく新鮮な写真の数々
    旅猫さん こんばんは。

    ここ数年、北陸との接点ができた自分にとって、今回の旅行記で紹介されている写真の数々は、とても興味深く驚きと新鮮さに溢れていました。
    そして、今更ながら思うのですが・・・
    自分も若い時からもっと旅をする楽しさを知っていたら、どんなにか素晴らしかっただろう!と。
    金沢のひがし茶屋街のエリアの写真があまりにも今と異なること。
    金沢城周辺が今のようにいろんなものが整備されておらずシンプルに感じたこと。
    この2つがとても意外に感じました。
    ど素人みたいなカキコミですみません。(苦笑)

    また、いろんなかつての日本各地の光景をたくさん読ませていただけることを楽しみにしております。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/09/26 09:51:31
    RE: すごく新鮮な写真の数々
    群青さん こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    コロナのおかげで新しい旅が出来ず、古い旅を思い出しながら書いています。
    この時は、二度目の金沢でした。
    初めて訪れた輪島の街も良かったですが、当時の金沢も、まだ今のように観光客は多くなく、東茶屋街も静かに歩けました。
    私も、今になって、もっと旅をしておけばよかったと悔やんでいます。
    多くの観光地は整備され、地方都市も東京などと変わらない感じになってしまい、鉄道もバスも衰退してしまいましたので。
    まあ、お金も無かったですが、残念です。
    最近、古い旅の写真を観ることが多いのですが、昔の方が良かったなと。

    拙い旅行記ばかりですが、読んでいただければ幸いです。
    旅猫
  • HAPPINさん 2020/09/12 08:25:35
    懐かしい夜行急行ですね
    旅猫さま

    いつもありがとうございます(*^-^*)

    急行能登、懐かしい!
    14系座席車であまり眠れない夜を過ごす。
    能登に乗った記憶は定かではないのですが、臨時急行銀河の簡リク座席で何度も「バタンバタン」を繰り返しながら東京から豊橋まであまり眠れなかったことを思い出しました。
    輪島駅も廃止されて今は道の駅に。時の流れを感じます。

    JR化になってしばらくは夜行列車も多数あったのに、今では風前の灯。
    あの頃は何度も夜行列車で東西南北旅をしました。懐かしい記憶が蘇ります。

    記事を見ていてなんだか懐かしさがこみあげて来て、しばし心のタイムトリップをすることができました。ありがとうございます。
    また、懐かしい記事も楽しみにお待ちしています。

    ありがとうございました。

    Happin

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/09/12 22:31:51
    RE: 懐かしい夜行急行ですね
    Happinさま

    こちらこそ、いつもありがとうございます。
    この度は、書き込みまでいただき恐縮です。

    ここ数年で、一気に夜行列車の数が減りましたね。
    高校生の時に、急行『妙高』に乗ったのが、夜行列車の最初でした。
    以来、利用した夜行列車は35列車。
    延べだと、100は超えていると思います。
    夜行列車は、旅の貴重な足であり、旅情を感じさせてくれる大切なものでした。
    今やサンライズだけとなり、寂しい限りです。

    道の駅となった輪島駅に一度立ち寄ったことがあります。
    懐かしさと寂しさを感じました。

    最近、古い写真を見る機会が多く、懐かしい旅の記憶が蘇ってきています。
    また、蔵出しするかと思いますので、またお立ち寄りください。

    旅猫

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