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【思い出の旅】第15弾は、ふらりと旅した秋の南東北の旅。<br />(2020.10.28投稿)<br />1999年の10月中旬、所用で仙台を訪れた後、思い付きでふらりと南東北を旅した。<br />初日は、一度訪れてみたかった立石寺へと向かう。<br />芭蕉の句で知られる『山寺』だ。<br />生憎の空模様だったが、かえって風情があった。<br />翌日は、厳美渓と猊鼻渓を回り、最終日は平泉を巡ってみた。<br />初めて訪れた土地ばかりだったが、どこも心に残る場所だった。

【思い出の旅】秋の南東北ぶらり旅

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1999/10/15 - 1999/10/17

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旅猫

旅猫さん

【思い出の旅】第15弾は、ふらりと旅した秋の南東北の旅。
(2020.10.28投稿)
1999年の10月中旬、所用で仙台を訪れた後、思い付きでふらりと南東北を旅した。
初日は、一度訪れてみたかった立石寺へと向かう。
芭蕉の句で知られる『山寺』だ。
生憎の空模様だったが、かえって風情があった。
翌日は、厳美渓と猊鼻渓を回り、最終日は平泉を巡ってみた。
初めて訪れた土地ばかりだったが、どこも心に残る場所だった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 仙台駅を昼に発ち、仙山線で県境を越え山形県へと入る。<br />秋の秋桜と紅葉で知られる面白山高原を過ぎると、立石寺への玄関口である山寺駅に到着。<br />目指す立石寺は、雨に霞んでいた。

    仙台駅を昼に発ち、仙山線で県境を越え山形県へと入る。
    秋の秋桜と紅葉で知られる面白山高原を過ぎると、立石寺への玄関口である山寺駅に到着。
    目指す立石寺は、雨に霞んでいた。

    山寺駅

  • 丸い赤ポストが似合う木造の駅舎を出ると、正面に古風な建物があった。<br />大正5年(1916)に営業を開始した山寺ホテルだ。<br />前身は、江戸時代から続く旅籠だそうだ。<br />とても風情があるので、いつか泊まってみたいものだ。<br /><br />※平成19年(2007)に閉館となり、現在は『やまがたレトロ館』となっています。

    丸い赤ポストが似合う木造の駅舎を出ると、正面に古風な建物があった。
    大正5年(1916)に営業を開始した山寺ホテルだ。
    前身は、江戸時代から続く旅籠だそうだ。
    とても風情があるので、いつか泊まってみたいものだ。

    ※平成19年(2007)に閉館となり、現在は『やまがたレトロ館』となっています。

    やまがたレトロ館 (旧山寺ホテル) 名所・史跡

  • 駅前から立石寺までは歩いて5分ほどだった。<br />まずは、根本中堂に参拝。<br />堂内には、建立時から途切れたことのない不滅の法灯が灯されている。<br />通称山寺は、正式には宝珠山立石寺と言い、貞観二年(860)、清和天皇の勅願により、慈覚大師円仁によって開基された寺である。

    駅前から立石寺までは歩いて5分ほどだった。
    まずは、根本中堂に参拝。
    堂内には、建立時から途切れたことのない不滅の法灯が灯されている。
    通称山寺は、正式には宝珠山立石寺と言い、貞観二年(860)、清和天皇の勅願により、慈覚大師円仁によって開基された寺である。

    立石寺中堂(根本中堂) 寺・神社・教会

  • 根本中堂から少し歩くと、奥之院への登り口である山門が見えてくる。<br />鎌倉時代に建てられたものらしい。<br />ここで入山料を払い、いよいよ1015段の石段に挑む。<br />石段を半分ほど登ったところに、『蝉塚』が建っていた。<br />芭蕉を偲び、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句を書いた短冊を埋め、石の塚を建てたところだそうだ。<br />近くには、慈覚大師が腰を下ろしたと伝わる『御休石』もあった。

    根本中堂から少し歩くと、奥之院への登り口である山門が見えてくる。
    鎌倉時代に建てられたものらしい。
    ここで入山料を払い、いよいよ1015段の石段に挑む。
    石段を半分ほど登ったところに、『蝉塚』が建っていた。
    芭蕉を偲び、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句を書いた短冊を埋め、石の塚を建てたところだそうだ。
    近くには、慈覚大師が腰を下ろしたと伝わる『御休石』もあった。

    宝珠山立石寺 寺・神社・教会

  • さらに石段を登って行くと、奥之院の入口とも言うべき仁王門が目の前に現れた。<br />嘉永元年(1848)に再建されたもので、左右に安置されている仁王尊像、十王尊像は、名仏師運慶の弟子によるものと伝わる。<br />この門が見えてくれば、石段もそろそろ終わりだ。

    さらに石段を登って行くと、奥之院の入口とも言うべき仁王門が目の前に現れた。
    嘉永元年(1848)に再建されたもので、左右に安置されている仁王尊像、十王尊像は、名仏師運慶の弟子によるものと伝わる。
    この門が見えてくれば、石段もそろそろ終わりだ。

    仁王門 名所・史跡

  • 奥之院は後に参拝することとし、先ずは五大堂へと向かう。<br />その手前に、百丈岩という大きな岩の上に建つ開山堂がある。<br />その百丈岩には、慈覚大師の遺骨を納めたと云う入定窟があるそうだ。<br />堂内には、不滅の聖火『常香』が灯されている。

    奥之院は後に参拝することとし、先ずは五大堂へと向かう。
    その手前に、百丈岩という大きな岩の上に建つ開山堂がある。
    その百丈岩には、慈覚大師の遺骨を納めたと云う入定窟があるそうだ。
    堂内には、不滅の聖火『常香』が灯されている。

  • 開山堂の奥へと進むと、立石寺最大の見所である『五大堂』に出た。<br />多くの観光客がいたが、五大堂の先は、霧で真っ白だ。<br />これでは、せっかくの景色も見えないだろう。

    開山堂の奥へと進むと、立石寺最大の見所である『五大堂』に出た。
    多くの観光客がいたが、五大堂の先は、霧で真っ白だ。
    これでは、せっかくの景色も見えないだろう。

    山寺 五大堂 名所・史跡

  • 堂内に入り、外を眺めてみたが、やはり、眼下の街並みが薄っすら見えるくらいだった。<br />五大堂からの絶景は拝めなかったが、何とも言えない風情があった。<br />薄っすら見えた街並みに、よく登ってきたなと自分に感心する。

    堂内に入り、外を眺めてみたが、やはり、眼下の街並みが薄っすら見えるくらいだった。
    五大堂からの絶景は拝めなかったが、何とも言えない風情があった。
    薄っすら見えた街並みに、よく登ってきたなと自分に感心する。

  • 五大堂からは、霧に霞む釈迦ヶ峰に建つ『釈迦堂』が見えた。<br />『胎内堂』と共に、修行者以外の立ち入りが禁止されているところだ。<br />山水画のような幽玄な景色が素晴らしかった。

    五大堂からは、霧に霞む釈迦ヶ峰に建つ『釈迦堂』が見えた。
    『胎内堂』と共に、修行者以外の立ち入りが禁止されているところだ。
    山水画のような幽玄な景色が素晴らしかった。

  • 五大堂から戻り、奥之院へと向かう。<br />辿り着いた頃には、雨がかなり強くなってきたので、早々に山を降りることにした。

    五大堂から戻り、奥之院へと向かう。
    辿り着いた頃には、雨がかなり強くなってきたので、早々に山を降りることにした。

    奥之院 大仏殿 寺・神社・教会

  • 雨に祟られた立石寺だったが、霧に煙る景色も風情があった。<br />最後に、奥之院手前にある山内寺院のひとつ性相院と、背後に聳える岩峰を振り返る。<br />下山するのが、少し名残惜しい。<br />仙山線の快速『仙山13号』で山寺駅を後にして、今宵の宿がある山形駅へと向かう。<br />今回の旅は急遽考えたので、仙台には宿が取れなかったのだ。

    雨に祟られた立石寺だったが、霧に煙る景色も風情があった。
    最後に、奥之院手前にある山内寺院のひとつ性相院と、背後に聳える岩峰を振り返る。
    下山するのが、少し名残惜しい。
    仙山線の快速『仙山13号』で山寺駅を後にして、今宵の宿がある山形駅へと向かう。
    今回の旅は急遽考えたので、仙台には宿が取れなかったのだ。

  • 山形の宿で、計画を練ったのだが、天気も良さそうなので、一気に岩手県まで行ってみようと決めた。<br />仙台では、松島と山形周辺を歩き回ろうと考えていたので、切符は『山寺・松島ゾーン周遊きっぷ』を買っていたが、ここは旅先、迷わず向かうことにした。<br />仙山線の快速『仙山4号』に乗り、昨日登った立石寺を車窓に見ながら仙台駅へ出て、仙台駅からは、東北本線に乗換え、一関駅へ向かう。<br />一関駅には、10:32に到着。<br />先ずは、駅前からバスに乗り、厳美渓へと向かった。<br />そして、20分ほどで着いた厳美渓バス停の目の前が厳美渓だった。<br />バス停近くに架かる天工橋から厳美渓を眺めると、奥には御覧場橋と言う吊り橋が望めた。<br /><br />※現在、ゾーン周遊きっぷは廃止されています。

    山形の宿で、計画を練ったのだが、天気も良さそうなので、一気に岩手県まで行ってみようと決めた。
    仙台では、松島と山形周辺を歩き回ろうと考えていたので、切符は『山寺・松島ゾーン周遊きっぷ』を買っていたが、ここは旅先、迷わず向かうことにした。
    仙山線の快速『仙山4号』に乗り、昨日登った立石寺を車窓に見ながら仙台駅へ出て、仙台駅からは、東北本線に乗換え、一関駅へ向かう。
    一関駅には、10:32に到着。
    先ずは、駅前からバスに乗り、厳美渓へと向かった。
    そして、20分ほどで着いた厳美渓バス停の目の前が厳美渓だった。
    バス停近くに架かる天工橋から厳美渓を眺めると、奥には御覧場橋と言う吊り橋が望めた。

    ※現在、ゾーン周遊きっぷは廃止されています。

    厳美渓 自然・景勝地

  • 厳美渓は、栗駒山を源にする磐井川の侵食によって造られた渓谷で、天工橋を挟んで上流と下流、2kmに渡って続いているそうだ。<br />上流に向かって歩いて行くと、両側が迫り、迫力ある渓谷美となった。<br />空飛ぶ団子で有名な郭公屋の辺りだけが混んでいて、上流部はかなり閑散としていた。<br />※写真は、長者滝橋(だと思う)が先に見えるので、長者滝付近と思われます。

    厳美渓は、栗駒山を源にする磐井川の侵食によって造られた渓谷で、天工橋を挟んで上流と下流、2kmに渡って続いているそうだ。
    上流に向かって歩いて行くと、両側が迫り、迫力ある渓谷美となった。
    空飛ぶ団子で有名な郭公屋の辺りだけが混んでいて、上流部はかなり閑散としていた。
    ※写真は、長者滝橋(だと思う)が先に見えるので、長者滝付近と思われます。

  • 厳美渓をそそくさと後にして、一旦一関駅へと戻り、バスを乗り換えて、今回一番楽しみにしていた猊鼻渓へ向かう。<br />猊鼻渓バス停で下車し、猊鼻渓舟下りの乗船場へと向かう。<br />大船渡線の鉄橋を潜った先にある猊鼻渓センターには数分で着いた。<br />昨日の雨も上がり、この日はまあまあの天気。<br />舟下りも楽しめそうだ。<br /><br />※現在は、げいび渓入口バス停が本数も多く便利です。

    厳美渓をそそくさと後にして、一旦一関駅へと戻り、バスを乗り換えて、今回一番楽しみにしていた猊鼻渓へ向かう。
    猊鼻渓バス停で下車し、猊鼻渓舟下りの乗船場へと向かう。
    大船渡線の鉄橋を潜った先にある猊鼻渓センターには数分で着いた。
    昨日の雨も上がり、この日はまあまあの天気。
    舟下りも楽しめそうだ。

    ※現在は、げいび渓入口バス停が本数も多く便利です。

  • 乗り込んだ船は、静かな砂鉄川を、船頭さんの竿捌きで進んでいく。<br />猊鼻渓は、北上川の支流砂鉄川が造りだした渓谷。<br />その水は、驚くほどの美しさで、舟に寄り添うように、たくさんの魚が泳いでいるのが見える。<br />出発してまもなく、左側に藤岩が見えて来る。<br />岩肌に山藤が絡みついていて、春には素晴らしい景色が見られるそうだ。

    乗り込んだ船は、静かな砂鉄川を、船頭さんの竿捌きで進んでいく。
    猊鼻渓は、北上川の支流砂鉄川が造りだした渓谷。
    その水は、驚くほどの美しさで、舟に寄り添うように、たくさんの魚が泳いでいるのが見える。
    出発してまもなく、左側に藤岩が見えて来る。
    岩肌に山藤が絡みついていて、春には素晴らしい景色が見られるそうだ。

    猊鼻渓舟下り 乗り物

  • 両側に迫る断崖は、見上げるほどの高さだ。<br />白い岩肌と色づき始めた木々が絶妙な色合いとなってる。<br />見ごろには少し早過ぎたたようだが、その景色は素晴らしかった。<br />凌雲岩、古桃渓、壮夫岩、錦壁岩、大飛岩など、次々と奇岩が現れ、まったく見飽きることが無い。

    両側に迫る断崖は、見上げるほどの高さだ。
    白い岩肌と色づき始めた木々が絶妙な色合いとなってる。
    見ごろには少し早過ぎたたようだが、その景色は素晴らしかった。
    凌雲岩、古桃渓、壮夫岩、錦壁岩、大飛岩など、次々と奇岩が現れ、まったく見飽きることが無い。

    猊鼻渓 自然・景勝地

  • 30分ほどの船旅で、終点の三好ヶ丘に着いた。<br />三好ヶ丘は、断崖迫る猊鼻渓の中で、岸に上がれる場所があるところ。<br />舟下りでは、ここで上陸が出来、最大の見所である大猊鼻岩まで散策することが出来る。

    30分ほどの船旅で、終点の三好ヶ丘に着いた。
    三好ヶ丘は、断崖迫る猊鼻渓の中で、岸に上がれる場所があるところ。
    舟下りでは、ここで上陸が出来、最大の見所である大猊鼻岩まで散策することが出来る。

  • 舟を降り、三好ヶ丘を散策する。<br />奥には、『大猊鼻岩』と言う美しい大岩壁がある。<br />そこに猊鼻渓の名の由来ともなった『獅子ヶ鼻』という岩がある。<br />それは大岩壁の中ほどに突き出した岩であり、それが獅子の鼻のように見えることから『猊鼻』と付けられたそうだ。<br />猊鼻渓は、これまで訪れた中でも、特に心に残る場所だった。<br />今回は秋だったが、新緑や雪景色も素晴らしいそうだ。<br />冬には『こたつ舟』が運行されているそうなので、雪に彩られた猊鼻渓も見てみたいものである。

    舟を降り、三好ヶ丘を散策する。
    奥には、『大猊鼻岩』と言う美しい大岩壁がある。
    そこに猊鼻渓の名の由来ともなった『獅子ヶ鼻』という岩がある。
    それは大岩壁の中ほどに突き出した岩であり、それが獅子の鼻のように見えることから『猊鼻』と付けられたそうだ。
    猊鼻渓は、これまで訪れた中でも、特に心に残る場所だった。
    今回は秋だったが、新緑や雪景色も素晴らしいそうだ。
    冬には『こたつ舟』が運行されているそうなので、雪に彩られた猊鼻渓も見てみたいものである。

  • 帰りは、歩いて5分のところにある大船渡線の猊鼻渓駅から一ノ関駅へ出ることにしたが、時刻表を見るとちょうど出たばかりだった。<br />次の列車まで1時間以上あるので、駅周辺を散策。<br />途中で見つけた弁当屋で唐揚弁当を買い、駅に戻って待合室で食べる。<br />一ノ関駅から宿へと向かう前に、歩いて10分ほどのところにある『世嬉の一酒造』に立ち寄る。<br />そこで醸造している『いわて蔵ビール』が目当てだ。<br />レストランでお試しセットを呑んだが、どれも美味しかった。

    帰りは、歩いて5分のところにある大船渡線の猊鼻渓駅から一ノ関駅へ出ることにしたが、時刻表を見るとちょうど出たばかりだった。
    次の列車まで1時間以上あるので、駅周辺を散策。
    途中で見つけた弁当屋で唐揚弁当を買い、駅に戻って待合室で食べる。
    一ノ関駅から宿へと向かう前に、歩いて10分ほどのところにある『世嬉の一酒造』に立ち寄る。
    そこで醸造している『いわて蔵ビール』が目当てだ。
    レストランでお試しセットを呑んだが、どれも美味しかった。

    猊鼻渓駅

  • 翌朝、一ノ関駅から列車に乗り平泉駅へと向かう。<br />平泉の見所はかなり点在しているので、レンタサイクルを利用することにした。<br />天気も上々で、先ずは、北へ少し行ったところにある『伽羅御所跡』へと自転車を走らせる<br />旅先で自転車に乗るのは、とても楽しい。<br />自転車は、道端や街角の小さな風景に出会うのにちょうど良い速度。<br />風を切って走るのも爽快だ。

    翌朝、一ノ関駅から列車に乗り平泉駅へと向かう。
    平泉の見所はかなり点在しているので、レンタサイクルを利用することにした。
    天気も上々で、先ずは、北へ少し行ったところにある『伽羅御所跡』へと自転車を走らせる
    旅先で自転車に乗るのは、とても楽しい。
    自転車は、道端や街角の小さな風景に出会うのにちょうど良い速度。
    風を切って走るのも爽快だ。

  • 伽羅御所は藤原秀衡が住んでいた屋敷で、無量光院の東門付近にあったことが、鎌倉幕府の編纂した歴史書『吾妻鏡』に書かれている。<br />今は、民家や畑などになっていて、栄華を極めた面影は無い。<br />伽羅御所跡から少し走ると、柳之御所跡がある。<br />秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられると、柳之御所は政庁としても使われたと考えられ、そのため、居館として伽羅御所が建てられたと云われている。

    伽羅御所は藤原秀衡が住んでいた屋敷で、無量光院の東門付近にあったことが、鎌倉幕府の編纂した歴史書『吾妻鏡』に書かれている。
    今は、民家や畑などになっていて、栄華を極めた面影は無い。
    伽羅御所跡から少し走ると、柳之御所跡がある。
    秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられると、柳之御所は政庁としても使われたと考えられ、そのため、居館として伽羅御所が建てられたと云われている。

    柳之御所遺跡 名所・史跡

  • 柳之御所を後にして、無量光院跡へと向かう。<br />無量光院の跡は、田んぼの中に松が生えた島のようになっていた。<br />池のあったところが、田んぼになっている。<br />無量光院は、藤原秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して造ったという寺院で、鳳凰堂よりも大きかったそうだ。

    柳之御所を後にして、無量光院跡へと向かう。
    無量光院の跡は、田んぼの中に松が生えた島のようになっていた。
    池のあったところが、田んぼになっている。
    無量光院は、藤原秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して造ったという寺院で、鳳凰堂よりも大きかったそうだ。

    無量光院跡 名所・史跡

  • 無量光院跡の近くには、奥州藤原氏を頼って落ち延びてきた源義経が住んだ衣川館のあった高館がある。<br />石段を上ると、仙台藩主伊達綱村が天和3年(1683)に建立した義経堂が建っている。<br />眼下を流れる北上川を見ていると、芭蕉の句『夏草や兵どもが夢の跡』が自然と浮かんできた。<br />芭蕉も、この風景を見て詠んだのだろうか。

    無量光院跡の近くには、奥州藤原氏を頼って落ち延びてきた源義経が住んだ衣川館のあった高館がある。
    石段を上ると、仙台藩主伊達綱村が天和3年(1683)に建立した義経堂が建っている。
    眼下を流れる北上川を見ていると、芭蕉の句『夏草や兵どもが夢の跡』が自然と浮かんできた。
    芭蕉も、この風景を見て詠んだのだろうか。

    高館(義経堂) 名所・史跡

  • そして、中尊寺に着いた。<br />中尊寺は、嘉祥3年(850)、慈覚大師円仁によって開かれたと伝わる歴史ある寺。<br />そういえば、昨日訪れた立石寺も円仁の開基だ。<br />境内に入ると、さすがに混んでいる。<br />団体客を避けながら、山内を散策することにした。

    そして、中尊寺に着いた。
    中尊寺は、嘉祥3年(850)、慈覚大師円仁によって開かれたと伝わる歴史ある寺。
    そういえば、昨日訪れた立石寺も円仁の開基だ。
    境内に入ると、さすがに混んでいる。
    団体客を避けながら、山内を散策することにした。

    中尊寺 寺・神社・教会

  • 本堂に参拝後、月見坂沿いにあるいくつかの御堂を見ながら、金色堂を目指す。<br />文政10年(1827)に再建された弁慶堂には、弁慶の木造が安置されているそうだ。<br />ちなみに、月見坂の登り口にある石塔は、弁慶の墓と伝えられている。<br />初代藤原清衡が建立した三重塔の跡地に建つ大日堂は、正徳2年(1711)に建てられたそうで、茅葺屋根が美しかった。

    本堂に参拝後、月見坂沿いにあるいくつかの御堂を見ながら、金色堂を目指す。
    文政10年(1827)に再建された弁慶堂には、弁慶の木造が安置されているそうだ。
    ちなみに、月見坂の登り口にある石塔は、弁慶の墓と伝えられている。
    初代藤原清衡が建立した三重塔の跡地に建つ大日堂は、正徳2年(1711)に建てられたそうで、茅葺屋根が美しかった。

  • 康永2年(1343)鋳造の梵鐘が納められ鐘楼を過ぎると、いよいよ金色堂の覆堂が見えてきた。<br />金色堂は、中尊寺に唯一残る創建当初からの建物。<br />金箔に覆われた阿弥陀堂で、中央の須弥壇の中に初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇には三代秀衡の遺骸と最後の当主泰衡の首級が納められている。<br />硝子越しに拝観したが、その眩いばかりの輝きと素晴らしい装飾に驚くばかりだった。

    康永2年(1343)鋳造の梵鐘が納められ鐘楼を過ぎると、いよいよ金色堂の覆堂が見えてきた。
    金色堂は、中尊寺に唯一残る創建当初からの建物。
    金箔に覆われた阿弥陀堂で、中央の須弥壇の中に初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇には三代秀衡の遺骸と最後の当主泰衡の首級が納められている。
    硝子越しに拝観したが、その眩いばかりの輝きと素晴らしい装飾に驚くばかりだった。

    中尊寺 寺・神社・教会

  • 金色堂の西側に静かに佇んでいた経蔵を拝観。<br />創建当初は2階建てだったそうだが、火災で焼失後、残った1階部分のみで修復されたそうだ<br />屋根の優雅な反りが特徴的だった。

    金色堂の西側に静かに佇んでいた経蔵を拝観。
    創建当初は2階建てだったそうだが、火災で焼失後、残った1階部分のみで修復されたそうだ
    屋根の優雅な反りが特徴的だった。

    中尊寺 寺・神社・教会

  • 経蔵の先には、旧覆堂が残されていた。<br />金色堂を風雪から守るため、鎌倉幕府によって建てられたものと云われ、昔は『鞘堂』と呼ばれていたそうだ。<br />近年の調査で、建築年代は鎌倉時代より新しいことが分かったらしい。

    経蔵の先には、旧覆堂が残されていた。
    金色堂を風雪から守るため、鎌倉幕府によって建てられたものと云われ、昔は『鞘堂』と呼ばれていたそうだ。
    近年の調査で、建築年代は鎌倉時代より新しいことが分かったらしい。

    中尊寺 寺・神社・教会

  • 中尊寺を参拝後、毛越寺へと向かうことにした。<br />途中、平泉郷土館に立ち寄る。<br />郷土館近くから観た風景はとても風情があった。<br />屋外には、毛越寺の飛び地である花館遺跡が保存されていた。

    中尊寺を参拝後、毛越寺へと向かうことにした。
    途中、平泉郷土館に立ち寄る。
    郷土館近くから観た風景はとても風情があった。
    屋外には、毛越寺の飛び地である花館遺跡が保存されていた。

  • 毛越寺は、奥州藤原氏二代基衡により造営された寺。<br />そこでは、日本最古の浄土庭園の跡を見学することが出来る。<br />その中心が『大泉が池』で、ほぼ真ん中に中島があり、島へは2つの橋が架かっていたそうだ。<br />復元された大泉が池の周囲では、今は無き毛越寺の伽藍の跡を見ることができる。<br />片隅には、平安時代唯一の遺構である遣水があり。毎年そこで、曲水(ごくすい)の宴が開かれているそうだ。

    毛越寺は、奥州藤原氏二代基衡により造営された寺。
    そこでは、日本最古の浄土庭園の跡を見学することが出来る。
    その中心が『大泉が池』で、ほぼ真ん中に中島があり、島へは2つの橋が架かっていたそうだ。
    復元された大泉が池の周囲では、今は無き毛越寺の伽藍の跡を見ることができる。
    片隅には、平安時代唯一の遺構である遣水があり。毎年そこで、曲水(ごくすい)の宴が開かれているそうだ。

    毛越寺 寺・神社・教会

  • 毛越寺を後にして、平泉駅まで戻ってきた。<br />しかし、ゆっくりと巡っていたので、予定していた列車に乗り遅れてしまった。<br />どうしたものかと思っていると、古風なボンネットバスがやってきた。<br />定期観光バスだったので諦めかけていると、運転手さんが、「一ノ関駅までは普通に乗れますよ!」と声を掛けてくれたので、乗せてもらうことにした。<br /><br />※現在、この定期観光バスは運行されていません。

    毛越寺を後にして、平泉駅まで戻ってきた。
    しかし、ゆっくりと巡っていたので、予定していた列車に乗り遅れてしまった。
    どうしたものかと思っていると、古風なボンネットバスがやってきた。
    定期観光バスだったので諦めかけていると、運転手さんが、「一ノ関駅までは普通に乗れますよ!」と声を掛けてくれたので、乗せてもらうことにした。

    ※現在、この定期観光バスは運行されていません。

  • 思わぬところで乗れたボンネットバス。<br />のんびりとした走りっぷりだが、スプリングの強い座席に腰掛けていると、かなり上下に揺れた。<br />貴重な体験をしながら一ノ関駅まで乗車。<br />そこから仙台駅まで普通列車で向かい、最後は新幹線を利用した。<br /><br />思い付きで訪れた南東北。<br />途中から、旅先が大きく変わった旅だったが、美しい猊鼻渓での舟下りや、自転車で巡った平泉など、とても思い出深い旅となった。

    思わぬところで乗れたボンネットバス。
    のんびりとした走りっぷりだが、スプリングの強い座席に腰掛けていると、かなり上下に揺れた。
    貴重な体験をしながら一ノ関駅まで乗車。
    そこから仙台駅まで普通列車で向かい、最後は新幹線を利用した。

    思い付きで訪れた南東北。
    途中から、旅先が大きく変わった旅だったが、美しい猊鼻渓での舟下りや、自転車で巡った平泉など、とても思い出深い旅となった。

    一ノ関駅

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思い出の旅

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  • syukoさん 2020/10/30 20:43:50
    猊鼻渓
    初めて知りました。
    漢字が難しくて、なんて読むのか調べてしまいました(無知ですみません)

    旅猫さんの旅行記は毎回勉強になります。

    しかし、この白い岩肌うっとりしますね。
    でも白いからあんなに高さがあっても圧迫感がないです。
    調べたら石灰岩らしいです。

    それにしても、臨機応変に予定を変更する旅してみたいなぁ。
    私は予定立てておかないと落ち着かないタイプなので、旅猫さんのような旅に憧れます。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2020/10/30 22:28:27
    RE: 猊鼻渓
    syukoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    厳美渓は名が知れていますが、猊鼻渓は地味なので、訪れる人が増えたのはここ10年くらいなのでは。
    あの最奥にある大猊鼻岩は、感動するくらい美しいです。
    神々しいというか、薄暗い渓谷の中で、ひと際輝いていました。

    この頃は、かなり適当に旅をしてました。
    今は、しっかり計画を立てていますよ。
    それでも、途中での変更はけっこうやってますが。
    宿だけは変えないので、あくまで途中の行き先が変わるだけです。

    旅猫

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