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【思い出の旅】第22弾は、躑躅が咲き始めた根津神社を訪ねる旅。<br />(2021.04.27投稿)<br />爽やかな4月の週末、ふらりと根津界隈を散策した。<br />ちょうど躑躅の咲く季節なので、根津神社に立ち寄ってみる。<br />これまで千代田線の根津駅か千駄木駅、もしくは上野駅から歩いていたのだが、たまには変えてみようと思い、今回は南北線の東大前駅から歩き始めることにした。<br />根津神社へは、東京大学地震研究所の脇を辿り、森鴎外が小説『青年』の中で『Sの字をぞんざいに書いたように屈曲している』と書いて『S坂』とも呼ばれるようになった『新坂』を下って行く。<br />『新坂』は、江戸時代には存在しなかった坂で、本郷台と根津谷を結ぶ坂として明治に造られ、根津権現(根津神社の旧称)に因んで『権現坂』とも呼ばれている。<br />その『新坂』を下り切れば、根津神社の鳥居前に出る。

【思い出の旅】つつじ咲く根津神社へ

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2006/04/16 - 2006/04/16

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旅行記グループ 思い出の旅

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旅猫

旅猫さん

【思い出の旅】第22弾は、躑躅が咲き始めた根津神社を訪ねる旅。
(2021.04.27投稿)
爽やかな4月の週末、ふらりと根津界隈を散策した。
ちょうど躑躅の咲く季節なので、根津神社に立ち寄ってみる。
これまで千代田線の根津駅か千駄木駅、もしくは上野駅から歩いていたのだが、たまには変えてみようと思い、今回は南北線の東大前駅から歩き始めることにした。
根津神社へは、東京大学地震研究所の脇を辿り、森鴎外が小説『青年』の中で『Sの字をぞんざいに書いたように屈曲している』と書いて『S坂』とも呼ばれるようになった『新坂』を下って行く。
『新坂』は、江戸時代には存在しなかった坂で、本郷台と根津谷を結ぶ坂として明治に造られ、根津権現(根津神社の旧称)に因んで『権現坂』とも呼ばれている。
その『新坂』を下り切れば、根津神社の鳥居前に出る。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 東大前駅から新坂を下って根津神社に辿り着く。<br />根津神社は、1900年余り前、日本武尊によって千駄木の地に創建されたと伝わる古社で、江戸時代までは『根津権現』と呼ばれていた。<br />宝永3年(1706)に、6代将軍徳川家宣の産土神として、甲府藩邸だった現在地に遷座したそうだ。

    東大前駅から新坂を下って根津神社に辿り着く。
    根津神社は、1900年余り前、日本武尊によって千駄木の地に創建されたと伝わる古社で、江戸時代までは『根津権現』と呼ばれていた。
    宝永3年(1706)に、6代将軍徳川家宣の産土神として、甲府藩邸だった現在地に遷座したそうだ。

  • 鳥居を潜ると、鳩の群れがこちらに向かってきた。<br />あまりの光景に、思わず後ずさりしてしまった。

    鳥居を潜ると、鳩の群れがこちらに向かってきた。
    あまりの光景に、思わず後ずさりしてしまった。

  • 鳩たちを避け、参道を歩いて行くと、大きな楼門が現れた。<br />江戸にある神社で、楼門が残っているのはここだけだそうだ。<br />根津神社は、宝永3年(1706年)に建てられた社殿がすべて現存し、そのどれもが国の重要文化財に指定されている。

    鳩たちを避け、参道を歩いて行くと、大きな楼門が現れた。
    江戸にある神社で、楼門が残っているのはここだけだそうだ。
    根津神社は、宝永3年(1706年)に建てられた社殿がすべて現存し、そのどれもが国の重要文化財に指定されている。

  • その楼門を潜り抜けると、正門である唐門が見えてくる。<br />今は失われてしまったが、天井には龍が描かれていたらしい。<br />根津神社の社殿は、朱塗りではなく濃い紅色となっているのが特徴だ。<br />これは、徳川家所縁の寺社に許されたものである。

    その楼門を潜り抜けると、正門である唐門が見えてくる。
    今は失われてしまったが、天井には龍が描かれていたらしい。
    根津神社の社殿は、朱塗りではなく濃い紅色となっているのが特徴だ。
    これは、徳川家所縁の寺社に許されたものである。

  • 唐門から入り、拝殿で参拝。<br />祭神が祀られている本殿は、幣殿により拝殿とつながっている『権現造』と呼ばれる造りだそうだ。<br />簡単に言えば、拝殿、幣殿、本殿が『エ』型に配置されているのだ。

    唐門から入り、拝殿で参拝。
    祭神が祀られている本殿は、幣殿により拝殿とつながっている『権現造』と呼ばれる造りだそうだ。
    簡単に言えば、拝殿、幣殿、本殿が『エ』型に配置されているのだ。

  • 拝殿の脇を入っていくと、相の間である幣殿と本殿が少しだけ見えた。<br />ちょうど芽吹きの季節で、緑が綺麗だった。

    拝殿の脇を入っていくと、相の間である幣殿と本殿が少しだけ見えた。
    ちょうど芽吹きの季節で、緑が綺麗だった。

  • 社殿を取り囲む透塀も重要文化財である。<br />総延長は200mにもなるそうだ。<br />建てられてから300年も経つのに、状態はとても良かった。

    社殿を取り囲む透塀も重要文化財である。
    総延長は200mにもなるそうだ。
    建てられてから300年も経つのに、状態はとても良かった。

  • 唐門から入ってすぐのところには、青銅の灯篭が対で建っている。<br />これは、津藩5代藩主藤堂和泉守高敏により奉納されたものだそうだ。<br />この灯篭も、国の重要文化財に指定されている。

    唐門から入ってすぐのところには、青銅の灯篭が対で建っている。
    これは、津藩5代藩主藤堂和泉守高敏により奉納されたものだそうだ。
    この灯篭も、国の重要文化財に指定されている。

  • 根津神社の境内は、徳川家光の三男で、甲府宰相の異名を持つ松平綱重の山手屋敷のあった場所。<br />境内には躑躅が多く植えられている。<br />根津神社の躑躅は、群馬県館林から移されたものというが、根津神社と館林の繋がりは深く、松平綱重の次男松平清武は、上野館林藩の初代藩主だったのだ。

    根津神社の境内は、徳川家光の三男で、甲府宰相の異名を持つ松平綱重の山手屋敷のあった場所。
    境内には躑躅が多く植えられている。
    根津神社の躑躅は、群馬県館林から移されたものというが、根津神社と館林の繋がりは深く、松平綱重の次男松平清武は、上野館林藩の初代藩主だったのだ。

  • 重要文化財の西門を出ると、池越しに乙女稲荷の社殿が見えた。<br />そして、門を背にして左手に歩くと、有名なツツジ苑の入口があった。<br />躑躅の見ごろにはまだ早かったが、入ってみることにする。

    重要文化財の西門を出ると、池越しに乙女稲荷の社殿が見えた。
    そして、門を背にして左手に歩くと、有名なツツジ苑の入口があった。
    躑躅の見ごろにはまだ早かったが、入ってみることにする。

  • 苑内には、文京区指定文化財である『徳川家宣胞衣(えな)塚』がある。<br />『胞衣』とは、胎児を包んだ膜と胎盤のことだそうだ。<br />松平綱重の長男綱豊(後の6代将軍家宣)は、この地で生まれている。<br />当時、屋敷内に胞衣を埋める慣習があったため、家宣の胞衣塚があるとのことだ。

    苑内には、文京区指定文化財である『徳川家宣胞衣(えな)塚』がある。
    『胞衣』とは、胎児を包んだ膜と胎盤のことだそうだ。
    松平綱重の長男綱豊(後の6代将軍家宣)は、この地で生まれている。
    当時、屋敷内に胞衣を埋める慣習があったため、家宣の胞衣塚があるとのことだ。

  • まだ咲き始めの花も多かったが、見頃のものもある。<br />中には、特徴的な花びらを持つ、ハナグルマ(花車)という江戸時代から人気の園芸種もあった。<br />その花の野生種は、モチツツジ(餅躑躅)だそうだ。<br />近くで見ると、葉や花びらの模様が躑躅らしいことが分かる。

    まだ咲き始めの花も多かったが、見頃のものもある。
    中には、特徴的な花びらを持つ、ハナグルマ(花車)という江戸時代から人気の園芸種もあった。
    その花の野生種は、モチツツジ(餅躑躅)だそうだ。
    近くで見ると、葉や花びらの模様が躑躅らしいことが分かる。

  • 他にも、白い清楚な花や、人出のような形をした桃色の花も咲いていた。<br />躑躅は、色々な種類があって面白い。

    他にも、白い清楚な花や、人出のような形をした桃色の花も咲いていた。
    躑躅は、色々な種類があって面白い。

  • つつじ苑からは、楼門も見える。<br />南側の躑躅は、まだほとんど咲いていなかった。

    つつじ苑からは、楼門も見える。
    南側の躑躅は、まだほとんど咲いていなかった。

  • 苑内で一番花が多かったのは、乙女稲荷へと続く鳥居の脇だった。<br />木々に囲まれているが、そこだけが華やかに見える。

    苑内で一番花が多かったのは、乙女稲荷へと続く鳥居の脇だった。
    木々に囲まれているが、そこだけが華やかに見える。

  • 近くまで行くと、なかなか綺麗だ。<br />満開ではないのが残念だが、十分楽しめる。

    近くまで行くと、なかなか綺麗だ。
    満開ではないのが残念だが、十分楽しめる。

  • 朱色の躑躅は、好きである。<br />高原に咲く蓮華躑躅を思い出すからだ。

    朱色の躑躅は、好きである。
    高原に咲く蓮華躑躅を思い出すからだ。

  • 紅霧島だろうか、小さな花が集まって咲いている。

    紅霧島だろうか、小さな花が集まって咲いている。

  • 北側の奥は、特によく咲いていた。<br />南側に向いた斜面なので、陽が良く当たるのだろう。

    北側の奥は、特によく咲いていた。
    南側に向いた斜面なので、陽が良く当たるのだろう。

  • 純白の白八汐も咲いていた。<br />別名は五葉躑躅。

    純白の白八汐も咲いていた。
    別名は五葉躑躅。

  • 躑躅にはたくさんの種類があるので、開花時期が長く、根津神社でも4月中旬から5月いっぱい楽しめるそうだ。

    躑躅にはたくさんの種類があるので、開花時期が長く、根津神社でも4月中旬から5月いっぱい楽しめるそうだ。

  • 朱色の花と緑の葉が、びっしりと付いている株もあった。<br />躑躅と言うより、これは皐月みたいである。

    朱色の花と緑の葉が、びっしりと付いている株もあった。
    躑躅と言うより、これは皐月みたいである。

  • それにしても、色々な種類がある。<br />観ているだけでも、楽しくなる。

    それにしても、色々な種類がある。
    観ているだけでも、楽しくなる。

  • 根津神社西側の斜面は、本郷台地と根津谷とを隔てる崖線となっている。

    根津神社西側の斜面は、本郷台地と根津谷とを隔てる崖線となっている。

  • ほんのり朱の入った綺麗な花もあった。

    ほんのり朱の入った綺麗な花もあった。

  • 八重咲の花を見つけた。<br />躑躅の仲間に、八重咲があるとは知らなかった。

    八重咲の花を見つけた。
    躑躅の仲間に、八重咲があるとは知らなかった。

  • つつじ苑を堪能した後、上野駅へと向かことにした。<br />楼門の脇には、小さな池がある。<br />崖線の真下にあるので、水が湧いているのかもしれない。

    つつじ苑を堪能した後、上野駅へと向かことにした。
    楼門の脇には、小さな池がある。
    崖線の真下にあるので、水が湧いているのかもしれない。

  • 根津神社から、裏道を辿って歩いて行く。<br />すると、町の一角に、瀟洒な教会があった。<br />日本基督教団の根津教会だった。<br />大正8年(1919)に建てられたもので、関東大震災と東京大空襲をも潜り抜けた建物で、尖がり帽子のような屋根が目立っていた。

    根津神社から、裏道を辿って歩いて行く。
    すると、町の一角に、瀟洒な教会があった。
    日本基督教団の根津教会だった。
    大正8年(1919)に建てられたもので、関東大震災と東京大空襲をも潜り抜けた建物で、尖がり帽子のような屋根が目立っていた。

  • この界隈は、空襲の被害を受けなかったため、古い民家が残っている。<br />家々には花や植物が置かれ、広い意味での下町風情が残り、なかなか風情がある。

    この界隈は、空襲の被害を受けなかったため、古い民家が残っている。
    家々には花や植物が置かれ、広い意味での下町風情が残り、なかなか風情がある。

  • 根津駅の近くで不忍通りを渡り、根津二丁目へと入る。<br />その一角で、古い共同住宅を見つけた。<br />この辺りは、元屋敷と呼ばれた町で、松平綱重の屋敷の一部だった。<br />後に、谷中片町となり、明治になってから根津片町になったそうだ。

    根津駅の近くで不忍通りを渡り、根津二丁目へと入る。
    その一角で、古い共同住宅を見つけた。
    この辺りは、元屋敷と呼ばれた町で、松平綱重の屋敷の一部だった。
    後に、谷中片町となり、明治になってから根津片町になったそうだ。

  • 根津駅のある根津一丁目交差点の角にあった『SULTAN』と言うインド料理店で、ナン付きのビーフカレーを食べた。<br /><br />※現在、『パドマパレス』と言うインド料理店になっています。

    根津駅のある根津一丁目交差点の角にあった『SULTAN』と言うインド料理店で、ナン付きのビーフカレーを食べた。

    ※現在、『パドマパレス』と言うインド料理店になっています。

  • 根津から不忍池の畔に出た。<br />染井吉野はすでに終わっていたが、八重桜が満開だった。

    根津から不忍池の畔に出た。
    染井吉野はすでに終わっていたが、八重桜が満開だった。

  • 池の畔では、若葉と桜の競演が観られた。<br />鮮やかな新緑に、艶のある紅色の桜が映えていた。

    池の畔では、若葉と桜の競演が観られた。
    鮮やかな新緑に、艶のある紅色の桜が映えていた。

  • 清水観音堂の下まで来ると、胡蝶花の花が咲いていた。

    清水観音堂の下まで来ると、胡蝶花の花が咲いていた。

  • 清水坂を登り清水観音堂に参拝。<br />そこからは、秋色桜と言う紅枝垂桜が望めた。<br />この桜は、9歳で室井其角の門下に入ったお秋と言う娘が、13歳の時、花見客で賑わう井戸端で読んだ句に因んで名付けられたものだそうだ。<br />現在の樹は、9代目になるらしい。

    清水坂を登り清水観音堂に参拝。
    そこからは、秋色桜と言う紅枝垂桜が望めた。
    この桜は、9歳で室井其角の門下に入ったお秋と言う娘が、13歳の時、花見客で賑わう井戸端で読んだ句に因んで名付けられたものだそうだ。
    現在の樹は、9代目になるらしい。

  • 上野駅に向かう途中、摺鉢山の脇を通った。<br />あまり知られていないが、この山は実は前方後円墳である。<br />昔は、円墳がいくつかあり古墳群だったらしいが、今はここだけが残っているそうだ。<br />この後、上野駅から帰ることにした。

    上野駅に向かう途中、摺鉢山の脇を通った。
    あまり知られていないが、この山は実は前方後円墳である。
    昔は、円墳がいくつかあり古墳群だったらしいが、今はここだけが残っているそうだ。
    この後、上野駅から帰ることにした。

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思い出の旅

この旅行記へのコメント (2)

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  • たらよろさん 2021/04/30 20:44:53
    つつじ
    こんばんは、旅猫さん


    今年はお花の開花が早くて、
    つつじも、あっという間に終わっちゃってた…
    今年は、近くにつつじを見に行こうと思っていたんだけれど…
    もうお花が落ちてた(笑)

    たくさんのつつじを見せて頂いてありがとう☆

    たらよろ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/05/01 20:18:48
    RE: つつじ
    たらよろさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    今年は、季節の移りが早いですよね。
    藤の花もちゃんと見る間もありませんでした。
    今日、まだつつじが街中で咲いていました。
    普通のよくあるつつじなのに、日陰にあったからかもしれません。
    満開で、綺麗でした。

    旅猫

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