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エストニア旅行記パート28!タルトゥ旧市街、トームの丘散策、トームキリク跡博物館の見学編です。<br />空腹のままタルトゥ旧市街を彷徨いながら見つけたロシア料理レストランRestaurant Vassilissaで食事を取りました。ただ時間が・・・すごく美味しかったんだけど出てくるのに時間がかかりました、さすがロシア料理店(´・ω・`)<br />その後先ほど雨で見れなかったエマユギ川を眺め、戦前にかかっていた石橋の模型を見学。そしてラエコヤ広場を経由してタルトゥ観光のメイン、トームの丘へ向かっていきます。<br /><br />気温が下がってより辛くなってきたタルトゥ観光、途中でお土産用のタルトゥ大学パーカーを購入して着たりしながらしのいで行きます。<br /><br />それではタルトゥ編パート3始まります!

Tere Eesti 2019年9月エストニア7泊10日の旅-28

7いいね!

2019/09/13 - 2019/09/22

24位(同エリア43件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

エストニア旅行記パート28!タルトゥ旧市街、トームの丘散策、トームキリク跡博物館の見学編です。
空腹のままタルトゥ旧市街を彷徨いながら見つけたロシア料理レストランRestaurant Vassilissaで食事を取りました。ただ時間が・・・すごく美味しかったんだけど出てくるのに時間がかかりました、さすがロシア料理店(´・ω・`)
その後先ほど雨で見れなかったエマユギ川を眺め、戦前にかかっていた石橋の模型を見学。そしてラエコヤ広場を経由してタルトゥ観光のメイン、トームの丘へ向かっていきます。

気温が下がってより辛くなってきたタルトゥ観光、途中でお土産用のタルトゥ大学パーカーを購入して着たりしながらしのいで行きます。

それではタルトゥ編パート3始まります!

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • この時点で2時頃になっていてこの日は朝7時頃にピザとスープを食べただけなのでお腹が空いてきました。タルトゥはエストニア第二の都市だけあってナルヴァと違いお店は多く旧市街を散策しているといくつかお店は有り逆に迷ったりもしました。

    この時点で2時頃になっていてこの日は朝7時頃にピザとスープを食べただけなのでお腹が空いてきました。タルトゥはエストニア第二の都市だけあってナルヴァと違いお店は多く旧市街を散策しているといくつかお店は有り逆に迷ったりもしました。

  • パブやピザ、カフェ、ステーキなどいくつかありましたがせっかくタルトゥなのでもう少し探してみようとウロウロすることに。

    パブやピザ、カフェ、ステーキなどいくつかありましたがせっかくタルトゥなのでもう少し探してみようとウロウロすることに。

  • かなり寒いですが綺麗な青空が見えています。<br />タルトゥ旧市街は教会や博物館、飲食店などもある中にタルトゥ大学の施設や図書館が点在したりしています。

    かなり寒いですが綺麗な青空が見えています。
    タルトゥ旧市街は教会や博物館、飲食店などもある中にタルトゥ大学の施設や図書館が点在したりしています。

  • ウロウロしているとお腹が相当に空いてきました。そして日陰に入るとさらに寒く感じますね。

    ウロウロしているとお腹が相当に空いてきました。そして日陰に入るとさらに寒く感じますね。

  • いろいろ迷いましたがこのロシア料理店に入ることにしました。Restaurant Vassilissaという名前のお店です。タリンだとだいたい旅行前から目を付けていたお店に入ってますが前日のナルヴァといい地方都市に来ると行き当たりばったりに成ってしまいます。

    いろいろ迷いましたがこのロシア料理店に入ることにしました。Restaurant Vassilissaという名前のお店です。タリンだとだいたい旅行前から目を付けていたお店に入ってますが前日のナルヴァといい地方都市に来ると行き当たりばったりに成ってしまいます。

    Restaurant Vassilissa その他の料理

    タルトゥの美味しいロシア料理屋さん by かるあみるくさん
  • お店の中の様子です。おしゃれな雰囲気かつロシアの伝統がある雰囲気のお店でした。<br />すごく雰囲気はよいお店なんですが、ロシアのお店の様に出てくるのはかなり時間がかかりました(笑。<br />厨房もパタパタ忙しそうにしているのはわかっていたんですけど。

    お店の中の様子です。おしゃれな雰囲気かつロシアの伝統がある雰囲気のお店でした。
    すごく雰囲気はよいお店なんですが、ロシアのお店の様に出てくるのはかなり時間がかかりました(笑。
    厨房もパタパタ忙しそうにしているのはわかっていたんですけど。

    Restaurant Vassilissa その他の料理

    タルトゥの美味しいロシア料理屋さん by かるあみるくさん
  • これが注文したメインディッシュのサーモンのフィレ、タマゴ、ライス入りパイです。出てくるまでに50分かかったけどかなり美味しかったです。結構手が込んだ造りなので注文入ってから作るだとやっぱり時間のは仕方なさそうですね。<br /><br />出てくるまでの間日本にいる友人とLINEをしたりしてましたが、ちょうど日本時間8時半頃だったのでいろいろと話せて良かったです。

    これが注文したメインディッシュのサーモンのフィレ、タマゴ、ライス入りパイです。出てくるまでに50分かかったけどかなり美味しかったです。結構手が込んだ造りなので注文入ってから作るだとやっぱり時間のは仕方なさそうですね。

    出てくるまでの間日本にいる友人とLINEをしたりしてましたが、ちょうど日本時間8時半頃だったのでいろいろと話せて良かったです。

  • パンケーキとアイスクリーム。という商品名だけ聞くとどこでも食べれそうですが盛りつけがとても綺麗にされていました。味ももちろん美味しかったです。<br /><br />日本で両替してきた約240ユーロですがトイレで使うために崩した以外ほとんど使っていなかったので、このままじゃそのまま持ち帰る事になると思ってここで初めて使いました。エストニアのカード通用率を考えると(ここまで100%、結果的にも100%)使おうとしなければそのまま持って帰ることになるので。<br /><br />今までチップは払ってきませんでしたが、ロシア料理店なのと現金払いなので切りの良いところをチップとして渡しました。

    パンケーキとアイスクリーム。という商品名だけ聞くとどこでも食べれそうですが盛りつけがとても綺麗にされていました。味ももちろん美味しかったです。

    日本で両替してきた約240ユーロですがトイレで使うために崩した以外ほとんど使っていなかったので、このままじゃそのまま持ち帰る事になると思ってここで初めて使いました。エストニアのカード通用率を考えると(ここまで100%、結果的にも100%)使おうとしなければそのまま持って帰ることになるので。

    今までチップは払ってきませんでしたが、ロシア料理店なのと現金払いなので切りの良いところをチップとして渡しました。

  • 食べ終わってお店を出るとずいぶんと暗くなっていて寒くなってきていました。風も結構あるので体感温度はかなり低いです。<br />先ほど急に雨が降ってあまり見れなかったラエコヤ広場とエマユギ川の橋を見に戻ってきました。

    食べ終わってお店を出るとずいぶんと暗くなっていて寒くなってきていました。風も結構あるので体感温度はかなり低いです。
    先ほど急に雨が降ってあまり見れなかったラエコヤ広場とエマユギ川の橋を見に戻ってきました。

  • 前のパートで紹介した傾いたタルトゥ美術館の前にあった像です。何を意味している増加はわからないですが・・・。

    前のパートで紹介した傾いたタルトゥ美術館の前にあった像です。何を意味している増加はわからないですが・・・。

    タルトゥ美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 先ほどは奥から渡ってきたエマユギ川にかかる橋で人道橋です。ちょうどパート27で訪れたタルトゥ市博物館の前からここを通りラエコヤ広場まで遊歩道として向かうことができます。この橋は1959年にソビエト占領下で架橋されたものですが、今後は以前の様な話を作り直すか議論されているそうです。

    先ほどは奥から渡ってきたエマユギ川にかかる橋で人道橋です。ちょうどパート27で訪れたタルトゥ市博物館の前からここを通りラエコヤ広場まで遊歩道として向かうことができます。この橋は1959年にソビエト占領下で架橋されたものですが、今後は以前の様な話を作り直すか議論されているそうです。

  • 1775年のタルトゥ大火の後リヴォニア総督とエカテリーナ2世によりこの場所に建築された石橋の模型が橋のたもとにあります。<br />この橋はリヴォニア唯一の石橋でエマユギ川を渡していましたが1944年ソビエト軍の空爆により破壊されています。当時の写真を見ると非常に立派な造りの橋だったようです。<br /><br />上にも書いた通りこの橋を復元する動きもあるそうですが予算などの面もあり実現には至っていないそうです。

    1775年のタルトゥ大火の後リヴォニア総督とエカテリーナ2世によりこの場所に建築された石橋の模型が橋のたもとにあります。
    この橋はリヴォニア唯一の石橋でエマユギ川を渡していましたが1944年ソビエト軍の空爆により破壊されています。当時の写真を見ると非常に立派な造りの橋だったようです。

    上にも書いた通りこの橋を復元する動きもあるそうですが予算などの面もあり実現には至っていないそうです。

  • パート27で紹介した細いビルが中央に目立って写っているビルです。別に光を出しているわけではないですし天気も曇っている状態ですがすごい光り具合ですね。晴れていたらまぶしそうだ(笑<br />あまり綺麗な水面でないエマユギ川にしっかりと反射しています。

    パート27で紹介した細いビルが中央に目立って写っているビルです。別に光を出しているわけではないですし天気も曇っている状態ですがすごい光り具合ですね。晴れていたらまぶしそうだ(笑
    あまり綺麗な水面でないエマユギ川にしっかりと反射しています。

  • エマユギ川にせり出すように建物がありました。調べてみるとレストランやカルチャーセンターがあるようです。レストランはエマユギ川やタルトゥ旧市街を見ながら食事を出来る造りになっているそうです。

    エマユギ川にせり出すように建物がありました。調べてみるとレストランやカルチャーセンターがあるようです。レストランはエマユギ川やタルトゥ旧市街を見ながら食事を出来る造りになっているそうです。

  • 橋のたもとにはタルトゥの1913年現在の様子が見られるVRの観光が行われていました。橋やラエコヤ広場にはVRゴーグルを付けた人がたくさんいました。この観光スポットはさすがIT最先端の国だなあ感じるものですね。

    橋のたもとにはタルトゥの1913年現在の様子が見られるVRの観光が行われていました。橋やラエコヤ広場にはVRゴーグルを付けた人がたくさんいました。この観光スポットはさすがIT最先端の国だなあ感じるものですね。

  • さて橋もしっかり見ましたし食事で時間を相当に使ったのでラエコヤ広場方面を経由してトームの丘へと向かおうかなと思います。ちなみにこの横切っている道路はタルトゥ旧市街のメインストリートでタリンへ大型バスなども通る道なのですが旧市街の中ではかなり細くなっています(パート27でタルトゥカウバマヤの横を通っていた道です。)

    さて橋もしっかり見ましたし食事で時間を相当に使ったのでラエコヤ広場方面を経由してトームの丘へと向かおうかなと思います。ちなみにこの横切っている道路はタルトゥ旧市街のメインストリートでタリンへ大型バスなども通る道なのですが旧市街の中ではかなり細くなっています(パート27でタルトゥカウバマヤの横を通っていた道です。)

  • 道路を渡りラエコヤ広場の方へと戻ってきました。<br /><br />この妙なフレーム、美術品?なんなんだろう?と思いましたが・・・。

    道路を渡りラエコヤ広場の方へと戻ってきました。

    この妙なフレーム、美術品?なんなんだろう?と思いましたが・・・。

    ラエコヤ広場 広場・公園

    旧市街地の中心地! by かるあみるくさん
  • このアングルで撮るとラエコヤ広場と市庁舎が綺麗に写るという、日本で言うところのインスタ映えのスポットとして設置されたものの様です。

    このアングルで撮るとラエコヤ広場と市庁舎が綺麗に写るという、日本で言うところのインスタ映えのスポットとして設置されたものの様です。

  • ラエコヤ広場の旧市庁舎は観光案内所として機能していてタルトゥやタルトゥ県だけでなくエストニア全土のパンフレットが置いてありました。他にもお土産も売っていて、あまりの寒さにタルトゥ大学のパーカーを35ユーロで購入しました。エストニアの物価を考えればかなり高いんだけど暖かいパーカーで随分楽になりました。相当な暑がりで薄手のパーカーで動いていましたがかなり寒かったので・・・。職員さんにそれじゃ寒いよと言われてしまいました(´・ω・`)

    ラエコヤ広場の旧市庁舎は観光案内所として機能していてタルトゥやタルトゥ県だけでなくエストニア全土のパンフレットが置いてありました。他にもお土産も売っていて、あまりの寒さにタルトゥ大学のパーカーを35ユーロで購入しました。エストニアの物価を考えればかなり高いんだけど暖かいパーカーで随分楽になりました。相当な暑がりで薄手のパーカーで動いていましたがかなり寒かったので・・・。職員さんにそれじゃ寒いよと言われてしまいました(´・ω・`)

  • タルトゥ大学の側の建物にはタルトゥ大学と街並みの壁画がありました。解像度的にわかりにくくなってしまっていますが、これ街並みや人の姿を見ると19世紀頃の様子なんですよね。当時ロシア帝国でドルパットと呼ばれていたタルトゥの様子が描かれています。

    タルトゥ大学の側の建物にはタルトゥ大学と街並みの壁画がありました。解像度的にわかりにくくなってしまっていますが、これ街並みや人の姿を見ると19世紀頃の様子なんですよね。当時ロシア帝国でドルパットと呼ばれていたタルトゥの様子が描かれています。

  • モスクワ出身でタルトゥ大学でも学び、教授としても活躍したというニコライ・プロゴフ医師の像です。クリミア戦争でセヴァストポリやシンフェロポリにて野戦病院で治療や手術をし野戦病院での近代医療の体系を整えた人として知られています。<br />まさかタルトゥに縁のある人だとは思っていませんでした。<br /><br />※これ以降タルトゥ大学の歴史や所縁のある人の像などが出てきて紹介しますが、時代を問わず全てタルトゥ大学と表記します。基本的にタルトゥという名前が公的になったのは1918年以降なのですが、あまり表記が揺れると書いている自分でも訳がわからなくなりそうだったのでその様な扱いにします。

    モスクワ出身でタルトゥ大学でも学び、教授としても活躍したというニコライ・プロゴフ医師の像です。クリミア戦争でセヴァストポリやシンフェロポリにて野戦病院で治療や手術をし野戦病院での近代医療の体系を整えた人として知られています。
    まさかタルトゥに縁のある人だとは思っていませんでした。

    ※これ以降タルトゥ大学の歴史や所縁のある人の像などが出てきて紹介しますが、時代を問わず全てタルトゥ大学と表記します。基本的にタルトゥという名前が公的になったのは1918年以降なのですが、あまり表記が揺れると書いている自分でも訳がわからなくなりそうだったのでその様な扱いにします。

  • タルトゥ市庁舎やプロゴフ像の方を振り返ってみました。トームの丘の入口は公園の様に整備されくつろげるようになっています。<br /><br />ここから先はトームの丘と呼ばれる丘の様になっている地区です。現在はタルトゥ大学の施設が点在していますが中世は城や要塞、教会がある軍事地域でした。

    タルトゥ市庁舎やプロゴフ像の方を振り返ってみました。トームの丘の入口は公園の様に整備されくつろげるようになっています。

    ここから先はトームの丘と呼ばれる丘の様になっている地区です。現在はタルトゥ大学の施設が点在していますが中世は城や要塞、教会がある軍事地域でした。

  • 元々タルトゥ城が置かれていた場所で中世は要塞としても機能した丘なので勾配は急です。階段でゆっくりと上っていきます。<br /><br />再び雨が降ってきたので2日目に購入した折りたたみ傘をさして上ってます。

    元々タルトゥ城が置かれていた場所で中世は要塞としても機能した丘なので勾配は急です。階段でゆっくりと上っていきます。

    再び雨が降ってきたので2日目に購入した折りたたみ傘をさして上ってます。

  • ロシア系ドイツ人のフリードリッヒ・フォン・シュトルーベの功績をたたえる記念碑です。シュトルーベはハンブルク生まれでタルトゥ大学で学びタルトゥ天文台やサンクトペテルブルク天文台の館長を務めました。スウェーデンとロシアに観測点を設け子午線を計測しましたが、この観測点は現在世界遺産に認定されていてタルトゥにもあります。<br />ちなみに設置当時スウェーデンとロシアの二カ国だった計測地点は今では10カ国になるそうです。

    ロシア系ドイツ人のフリードリッヒ・フォン・シュトルーベの功績をたたえる記念碑です。シュトルーベはハンブルク生まれでタルトゥ大学で学びタルトゥ天文台やサンクトペテルブルク天文台の館長を務めました。スウェーデンとロシアに観測点を設け子午線を計測しましたが、この観測点は現在世界遺産に認定されていてタルトゥにもあります。
    ちなみに設置当時スウェーデンとロシアの二カ国だった計測地点は今では10カ国になるそうです。

  • そしてこれがシュトルーベの測地弧のタルトゥでの計測地点、タルトゥ天文台です。1820年から1839年までシュトルーベはここで館長として天文観測を行っていました。現在ではタルトゥ大学博物館の別館として建学することも出来るようです。

    そしてこれがシュトルーベの測地弧のタルトゥでの計測地点、タルトゥ天文台です。1820年から1839年までシュトルーベはここで館長として天文観測を行っていました。現在ではタルトゥ大学博物館の別館として建学することも出来るようです。

    旧天文台 建造物

    世界遺産の一つではありますが・・・。 by かるあみるくさん
  • タルトゥ天文台から少し進むとベンチがあるスペースがありそこからタルトゥ旧市街方面を見ることが出来ました。高低差の少ないエストニアですが、ここは元々城塞があったところなので市街地よりも急激に高さが上がっています。

    タルトゥ天文台から少し進むとベンチがあるスペースがありそこからタルトゥ旧市街方面を見ることが出来ました。高低差の少ないエストニアですが、ここは元々城塞があったところなので市街地よりも急激に高さが上がっています。

  • 丘にあるこの頑丈な施設は元々は弾薬庫だった場所だそうです。<br />この建物ではないですが、下の方にある弾薬庫跡は現在弾薬庫という名前のバーになっているそうです。

    丘にあるこの頑丈な施設は元々は弾薬庫だった場所だそうです。
    この建物ではないですが、下の方にある弾薬庫跡は現在弾薬庫という名前のバーになっているそうです。

  • タルトゥ大学旧解剖棟です。1825年に中央の部分だけで完成、手狭になったことから1860年に両サイドの翼状の部分が増築されました。新解剖棟が出来た1999年まで現役の解剖棟としてタルトゥ大学で利用をされていました。

    タルトゥ大学旧解剖棟です。1825年に中央の部分だけで完成、手狭になったことから1860年に両サイドの翼状の部分が増築されました。新解剖棟が出来た1999年まで現役の解剖棟としてタルトゥ大学で利用をされていました。

  • タルトゥ大学で医学を学び卒業後タルトゥで医者として働いたフリードリッヒ・ロバート・フェルマンの像が解剖棟の前にありました。ちょうど彼が在学していた頃にこの解剖棟は完成しました。<br />タルトゥ大学医学部で教授として教壇にたった際にエストニア語での授業を行ったそうです。エストニアの民俗学や文化の教育にも努めた人物です。

    タルトゥ大学で医学を学び卒業後タルトゥで医者として働いたフリードリッヒ・ロバート・フェルマンの像が解剖棟の前にありました。ちょうど彼が在学していた頃にこの解剖棟は完成しました。
    タルトゥ大学医学部で教授として教壇にたった際にエストニア語での授業を行ったそうです。エストニアの民俗学や文化の教育にも努めた人物です。

  • タルトゥの観光スポットの一つ、天使の橋(Inglisild)です。天使の橋を先に渡りその次に悪魔の橋を渡ると願いがかなうと言われています。ロシア帝国下の1838年に南北のトームの丘をつなぐ為に建設されたものが現存しています。<br />補修工事中なのか足場が組まれています。

    タルトゥの観光スポットの一つ、天使の橋(Inglisild)です。天使の橋を先に渡りその次に悪魔の橋を渡ると願いがかなうと言われています。ロシア帝国下の1838年に南北のトームの丘をつなぐ為に建設されたものが現存しています。
    補修工事中なのか足場が組まれています。

    天使の橋 悪魔の橋 建造物

  • 天使の橋に上るため坂を上っていきます。舗装が石畳というか敷石になっていて既に疲労困憊の足にはしんどいです。ちなみにこの奥には解剖棟があり、実際の所は天使の橋を下から撮影するために降りた後再度上っているところです(笑)

    天使の橋に上るため坂を上っていきます。舗装が石畳というか敷石になっていて既に疲労困憊の足にはしんどいです。ちなみにこの奥には解剖棟があり、実際の所は天使の橋を下から撮影するために降りた後再度上っているところです(笑)

  • 回り込んできましたが橋の上も工事中で木材や資材が置かれていました。<br />地元の小学生の団体がこのあたりで遊んでいて、大学生も多いですし生活に密着している様子でした。

    回り込んできましたが橋の上も工事中で木材や資材が置かれていました。
    地元の小学生の団体がこのあたりで遊んでいて、大学生も多いですし生活に密着している様子でした。

    天使の橋 悪魔の橋 建造物

  • 天使の橋から見たタルトゥ旧市街方面。この道を上がってきてもトームキリクに向かうことが出来ます。左手にはタルトゥ大学の外国語学部などのキャンパスが並んでいます。

    天使の橋から見たタルトゥ旧市街方面。この道を上がってきてもトームキリクに向かうことが出来ます。左手にはタルトゥ大学の外国語学部などのキャンパスが並んでいます。

    天使の橋 悪魔の橋 建造物

  • このトームの丘地区も解剖棟だけでなくタルトゥ大学の施設が多数あります。この建物は

    このトームの丘地区も解剖棟だけでなくタルトゥ大学の施設が多数あります。この建物は

    天使の橋 悪魔の橋 建造物

  • 橋を渡るとトームの丘の北側部分に出ます。こちらの方が面積が広い様子で森の様な様子になっていました。<br />左側にある建物は独立回復後につくられたRotundというカフェだそうです。

    橋を渡るとトームの丘の北側部分に出ます。こちらの方が面積が広い様子で森の様な様子になっていました。
    左側にある建物は独立回復後につくられたRotundというカフェだそうです。

  • なんかすごく偉そうなポーズ(ごめんなさい)を取っている像がありました。タルトゥなんで学者さんかなと思い帰国後調べたところカール・エルンスト・フォン・ベーアという発生学者で「発生学の父」と呼ばれるほど有名な人だそうです。日本語版のwikiに詳しい説明があるほど知名度は高いみたいですね。<br />名前の通りバルトドイツ人で現在のエストニア、レーネヴィル県の貴族出身だそうです。

    なんかすごく偉そうなポーズ(ごめんなさい)を取っている像がありました。タルトゥなんで学者さんかなと思い帰国後調べたところカール・エルンスト・フォン・ベーアという発生学者で「発生学の父」と呼ばれるほど有名な人だそうです。日本語版のwikiに詳しい説明があるほど知名度は高いみたいですね。
    名前の通りバルトドイツ人で現在のエストニア、レーネヴィル県の貴族出身だそうです。

  • タルトゥ大学図書館の最初の館長であったカール・モルゲンシュテルンを記念する碑だそうです。他の人たちは像がありますが、モルゲンシュテルンに関しては名前を記載したプレートがある碑だけでした。

    タルトゥ大学図書館の最初の館長であったカール・モルゲンシュテルンを記念する碑だそうです。他の人たちは像がありますが、モルゲンシュテルンに関しては名前を記載したプレートがある碑だけでした。

  • この像はエストニアを非暴力運動で独立させようとしたヴィレム・レーマンの像です。ヴィリヤンディ近郊出身で名前からするとバルト・ドイツ人だと思います。様々な運動をしロシアからの独立を目指していましたが1914年に体調を悪化させ一線から退くと独立を間近に控えた1917年に亡くなりました。

    この像はエストニアを非暴力運動で独立させようとしたヴィレム・レーマンの像です。ヴィリヤンディ近郊出身で名前からするとバルト・ドイツ人だと思います。様々な運動をしロシアからの独立を目指していましたが1914年に体調を悪化させ一線から退くと独立を間近に控えた1917年に亡くなりました。

  • この若い方の像はクリスティアン・ヤーク・ペテルソンの像です。エストニア語誌を作る詩人でエストニア語の父とかエストニア文学の父とか呼ばれています。ちなみにリーガ出身ですが当時はリーガもロシア帝国ですしリーガもタルトゥもリヴォニアなのであまりそのあたりは関係ないのかもしれません。21歳の若さで結核で亡くなってしまいました。<br />彼の死後、詩は出版されて結果的にエストニアの民族意識が高まっていったそうです。この像も1983年に建立され、当時はまだソビエト占領下でしたがエストニア人が独立へと意識を高めていった時期になります。

    この若い方の像はクリスティアン・ヤーク・ペテルソンの像です。エストニア語誌を作る詩人でエストニア語の父とかエストニア文学の父とか呼ばれています。ちなみにリーガ出身ですが当時はリーガもロシア帝国ですしリーガもタルトゥもリヴォニアなのであまりそのあたりは関係ないのかもしれません。21歳の若さで結核で亡くなってしまいました。
    彼の死後、詩は出版されて結果的にエストニアの民族意識が高まっていったそうです。この像も1983年に建立され、当時はまだソビエト占領下でしたがエストニア人が独立へと意識を高めていった時期になります。

  • そしてトームの丘の主役、タルトゥでも一二を争う有名な観光スポット、大聖堂跡が見えてきました。日本語だとタルトゥ大聖堂跡と訳されることが多いですが、トームキリクと現地では呼ばれていて、直訳するとトーム教会になります。タリンのトームキリクと語源は同じです。

    そしてトームの丘の主役、タルトゥでも一二を争う有名な観光スポット、大聖堂跡が見えてきました。日本語だとタルトゥ大聖堂跡と訳されることが多いですが、トームキリクと現地では呼ばれていて、直訳するとトーム教会になります。タリンのトームキリクと語源は同じです。

  • 上の写真から教会の後ろを歩き反対側に来ました。1200年代後半にカトリックの教会として完成しましたが1520年頃宗教改革により破壊されその後リヴォニア戦争でも破壊され現在の様な状態になっています。ピリタの聖ビルギッタ女子修道院跡と同じような宗教施設の廃墟ですが、こちらは宗教改革も廃墟になった原因になっています。

    上の写真から教会の後ろを歩き反対側に来ました。1200年代後半にカトリックの教会として完成しましたが1520年頃宗教改革により破壊されその後リヴォニア戦争でも破壊され現在の様な状態になっています。ピリタの聖ビルギッタ女子修道院跡と同じような宗教施設の廃墟ですが、こちらは宗教改革も廃墟になった原因になっています。

    大聖堂の塔 建造物

  • 側面から見るとこんな様子です。教会の建物としての面影はありませんが躯体がしっかりしているので外壁としてはほぼ完璧な様子で残っています。中世にこの丘の上に煉瓦造りでこんな巨大な物を建てたのは正直すごいという感覚しかありません。しかも当時は辺境の地でしかなかった場所ですから・・・。

    側面から見るとこんな様子です。教会の建物としての面影はありませんが躯体がしっかりしているので外壁としてはほぼ完璧な様子で残っています。中世にこの丘の上に煉瓦造りでこんな巨大な物を建てたのは正直すごいという感覚しかありません。しかも当時は辺境の地でしかなかった場所ですから・・・。

    大聖堂の塔 建造物

  • 現在この建物は二つの部分に分かれています。一つはこの写真の位置の真上にある教会跡の塔を利用した展望スペース、もう一つはこの写真で奥の部分にあるタルトゥ大学大聖堂博物館です。

    現在この建物は二つの部分に分かれています。一つはこの写真の位置の真上にある教会跡の塔を利用した展望スペース、もう一つはこの写真で奥の部分にあるタルトゥ大学大聖堂博物館です。

    大聖堂の塔 建造物

  • しっかりとした躯体が残っている建物ですが、廃墟になってから500年近く経っていることもありレンガの傷みなどは激しいです。ソビエト占領下の1970年代から本格的な保存工事が行われていますが現在の所は両側だけ修理をし観光施設として使っています。中間部分は廃墟のままですが、復元するのかこのまま保存するのかでいろいろと意見の食い違いがあるとか・・・。

    しっかりとした躯体が残っている建物ですが、廃墟になってから500年近く経っていることもありレンガの傷みなどは激しいです。ソビエト占領下の1970年代から本格的な保存工事が行われていますが現在の所は両側だけ修理をし観光施設として使っています。中間部分は廃墟のままですが、復元するのかこのまま保存するのかでいろいろと意見の食い違いがあるとか・・・。

  • 2枚上の写真で言うところの奥側にやってきました。前とは反対側のアングルです。<br />この写真でいう奥は教会の塔があった部分ですが、こちらは展望台として利用するために改修、補修がされていてレンガも新しいものが使われているので色合いは少々違って見えました。

    2枚上の写真で言うところの奥側にやってきました。前とは反対側のアングルです。
    この写真でいう奥は教会の塔があった部分ですが、こちらは展望台として利用するために改修、補修がされていてレンガも新しいものが使われているので色合いは少々違って見えました。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • ちょうど太陽が差し込んでいるのもあってこうやって見上げると神々しいまでの廃墟に見えてきます。

    ちょうど太陽が差し込んでいるのもあってこうやって見上げると神々しいまでの廃墟に見えてきます。

    大聖堂の塔 建造物

  • このあたりは廃墟のままですが、奥は博物館として使われている為復元されています。<br />対比が面白いですね。

    このあたりは廃墟のままですが、奥は博物館として使われている為復元されています。
    対比が面白いですね。

  • 中世タルトゥがどのように城壁に覆われていたかがわかる図がありました。他の地図なども参考にすると18世紀初旬にはナルヴァ城の様な星形城塞になっていたそうです。現在タルトゥはタリンと違いほとんど城壁は残っていませんが、中世では川を堀に代わり使い城壁も持った要塞都市でした。<br /><br />ちなみにこの地図の焦げ茶色の建物は現在タルトゥ大学の施設として使われている建物群です。エストニア一の大学だけあって非常に多くの施設を持っていることがわかります。

    中世タルトゥがどのように城壁に覆われていたかがわかる図がありました。他の地図なども参考にすると18世紀初旬にはナルヴァ城の様な星形城塞になっていたそうです。現在タルトゥはタリンと違いほとんど城壁は残っていませんが、中世では川を堀に代わり使い城壁も持った要塞都市でした。

    ちなみにこの地図の焦げ茶色の建物は現在タルトゥ大学の施設として使われている建物群です。エストニア一の大学だけあって非常に多くの施設を持っていることがわかります。

  • タルトゥトームキリクと他のハンザ都市の教会の大きさを比べた図です。リューベックの聖マリア教会(https://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/lubeck/kankospot/10334276/)やタリンの聖オレフ教会は大きいのがわかります。<br />ちなみにタルトゥトームキリクの在りし日の大きさも描かれています。

    タルトゥトームキリクと他のハンザ都市の教会の大きさを比べた図です。リューベックの聖マリア教会(https://4travel.jp/overseas/area/europe/germany/lubeck/kankospot/10334276/)やタリンの聖オレフ教会は大きいのがわかります。
    ちなみにタルトゥトームキリクの在りし日の大きさも描かれています。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 周囲の見学を一通り終えたので博物館に入っていきます。<br /><br />先ほどまで見てきた廃墟の部分と同じ建物とは思えないほど綺麗に整備されています。

    周囲の見学を一通り終えたので博物館に入っていきます。

    先ほどまで見てきた廃墟の部分と同じ建物とは思えないほど綺麗に整備されています。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 博物館の中に入ってきました。2階部分にはホールがあり公演や演奏が出来る構造になっていました。この建物が博物館として利用をされだしたのが1981年なのでその時に造られた内装なのかもしれません。

    博物館の中に入ってきました。2階部分にはホールがあり公演や演奏が出来る構造になっていました。この建物が博物館として利用をされだしたのが1981年なのでその時に造られた内装なのかもしれません。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • タルトゥ大学の卒業生が出身やその後赴いた各地域に卒業生団体の様なものを設立したそうで、その設立地域と時期、年代だそうです。<br />これを見て思ったのがパート14のグスタフアドルフ・ギムナジウムにあったロシア領エストランドの旗に似たものが掲げられていたのもこれに関係しているのかなと考えました。正しいかはわかりませんが・・・。

    タルトゥ大学の卒業生が出身やその後赴いた各地域に卒業生団体の様なものを設立したそうで、その設立地域と時期、年代だそうです。
    これを見て思ったのがパート14のグスタフアドルフ・ギムナジウムにあったロシア領エストランドの旗に似たものが掲げられていたのもこれに関係しているのかなと考えました。正しいかはわかりませんが・・・。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • ソビエトにより再占領(ソビエトの見方では解放)された1944年秋のタルトゥ大学本館の様子です。建物自体は大きな被害は受けませんでしたが、戦争により損傷があったことが伺えます。

    ソビエトにより再占領(ソビエトの見方では解放)された1944年秋のタルトゥ大学本館の様子です。建物自体は大きな被害は受けませんでしたが、戦争により損傷があったことが伺えます。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • ホール内の階段を上り上層から先ほどのホールを眺めてみました。この上層にはタルトゥ大学での研究に関する資料がたくさん展示されていました。

    ホール内の階段を上り上層から先ほどのホールを眺めてみました。この上層にはタルトゥ大学での研究に関する資料がたくさん展示されていました。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • エストニア国旗とタルトゥ大学旗です。

    エストニア国旗とタルトゥ大学旗です。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 特に謂われは書かれていませんでしたが、ホールにはピアノが置かれていました。

    特に謂われは書かれていませんでしたが、ホールにはピアノが置かれていました。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • タルトゥ大学の研究者や論文などが展示されていました。

    タルトゥ大学の研究者や論文などが展示されていました。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • これ、エレベーターなんです。一般向けには開放されていなくて、脚が不自由な方向けで使うようですが、乗ってみたいような乗るのが怖いような・・・。<br />ちなみにエストニア語でエレベーターは「Lift」なんですが、まさしくリフトってのがぴったりなものでした。

    これ、エレベーターなんです。一般向けには開放されていなくて、脚が不自由な方向けで使うようですが、乗ってみたいような乗るのが怖いような・・・。
    ちなみにエストニア語でエレベーターは「Lift」なんですが、まさしくリフトってのがぴったりなものでした。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 生物の研究などに関することが展示されている部屋。<br />というより右奥の本の積み重ね方がすごすぎる(笑。

    生物の研究などに関することが展示されている部屋。
    というより右奥の本の積み重ね方がすごすぎる(笑。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 最上階から下を覗いた写真です。吹き抜けって怖いですよね。高所恐怖症なんでこういうの苦手なんですよ(←なら撮るな)。

    最上階から下を覗いた写真です。吹き抜けって怖いですよね。高所恐怖症なんでこういうの苦手なんですよ(←なら撮るな)。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 見学出来るフロアは少ないけど展示内容はかなりありました。ただタルトゥやトームキリクの歴史と言うよりはタルトゥ大学の歴史がメインで研究の結果や所属していた学者の紹介などが多かったです。<br />子供向けのコーナーもありました。

    見学出来るフロアは少ないけど展示内容はかなりありました。ただタルトゥやトームキリクの歴史と言うよりはタルトゥ大学の歴史がメインで研究の結果や所属していた学者の紹介などが多かったです。
    子供向けのコーナーもありました。

    タルトゥ大学博物館 (大聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー

    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • タルトゥトームキリクの写真も飾られていました。割と最近の写真の様ですね。

    タルトゥトームキリクの写真も飾られていました。割と最近の写真の様ですね。

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    大聖堂跡にある大学博物館 by かるあみるくさん
  • 博物館を出て塔に上る前に一度トームキリクの中を散策しました。理由はポケモンGOでフカマルの影が出たから。でもすぐに消えてしまい取ることが出来ず(´・ω・`)<br /><br />それでは次のパートで塔へ向かいます。

    博物館を出て塔に上る前に一度トームキリクの中を散策しました。理由はポケモンGOでフカマルの影が出たから。でもすぐに消えてしまい取ることが出来ず(´・ω・`)

    それでは次のパートで塔へ向かいます。

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