2019/09/13 - 2019/09/22
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エストニア旅行記パート16!旅行3日目後半になります。
このパートで訪れるのはタリン郊外のビーチの街ピリタにある聖ビルギッタ女子修道院跡が中心です。聖ビルギッタ女子修道院は1436年に完成しタリンだけでなくリヴォニアで最大の修道院として修行を積む修道女が暮らしていましたが、リヴォニア戦争の中1575年ロシア軍の攻撃を受け廃墟となり現在までその姿を残している修道院跡です。
修道院跡見学後はピリタ地域を散策して、ピリタバスターミナルに面したViardo Cafeで軽食をしタリン旧市街を経由して飛行艇埠頭に向かうパートになります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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聖ビルギッタ女子修道院跡に向かいます。
手前の門は近代に出来たものだと思いますが、その向こうに見えているファザードが修道院跡のものになります。
ここから見ても大きい・・・。ピリタ修道院 寺院・教会
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この時期は毎日オープンでした。日本と同様に月曜日休みの場所が多いので月曜日オープンしているところを積極的にいかないと。
ピリタ修道院 寺院・教会
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木々があり全景を正面から写せなかったのですが、それでもこの存在感です。
大きな建物などほとんど無かった建設当時、人々がどのようにこの修道院を感じていたのか興味があります。ピリタ修道院 寺院・教会
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このお墓は修道院時代やリヴォニア戦争の際に亡くなった人のものではなく、聖ビルギッタ女子修道院が廃墟になってしまった場所に地元の人たちが自分たちのお墓を作っていたそうです。1600年頃から1920年頃エストニア独立直後までそれは続いたと言われています。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この残っている土台は修道院の外にあった建物の基礎の様です。
中に案内板があるのは写真見ればわかるのですが、旅行中には気付かず近くまで行きませんでした。その為詳細はわからず・・・。残念。ピリタ修道院 寺院・教会
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こちらは正面向かって左手になります。教会左手には修道士達の生活スペースや来客を迎える施設があったそうで、こちらも現在遺跡になっています。
ピリタ修道院 寺院・教会
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現在まで残るファザードから中に入ると中世に建築されたそのままの外壁だけが出迎えてくれます。中にはいると大きさが思っていた以上に広く、リヴォニア最大と呼ばれた意味がよくわかります。
ピリタ修道院 寺院・教会
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なんかRPGを感じるんですよね。現実の世界に起きたことなのに教会の廃墟が綺麗すぎて実話に思えないほど。数百年前に戦争で燃やし尽くされた場所なのに、その時残った石造りの骨格はそのままで残っていて綺麗に整っているのが実際に起きたことって感じない不思議さがありました。
わかる人にしかわからないネタになってしまいますが、FF8のマダイン・サリを現実世界に持ってきた感じがします。ピリタ修道院 寺院・教会
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イチオシ
一番奥まで歩いてきて入口を振り返りました。ファザードの高さは34mあるそうです、外壁も20m以上はあるでしょうね。
礎石が残っているのでなんとなくどこに柱があったかもわかりますし、目を閉じれば中世の厳粛な聖ビルギッタ女子修道院の姿が見えてきそうです。 -
側面の上方にこんな跡がありました。たぶんですけど、ここに火をともす器具が着いていて教会内を照らしていたのかなって思います。
こういうのを見ているとRPGっぽさがさらに・・・。旧市街でも思いましたけど、ファミコンやスーファミのころのRPGの世界観ってまさにエストニアな気がする・・・。ピリタ修道院 寺院・教会
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入口脇にあったこれはなんなんでしょう。一瞬扉かなと思いましたけど、反対側にそのような跡はないですし何より石の扉では重すぎて開けるのは困難ですし。
ピリタ修道院 寺院・教会
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南側へ抜ける出入り口です。石積みもそんなに損傷無く綺麗に当時の姿のまま遺されていました。当時は厚い木の扉か何かがあって屋外と仕切っていたのだと思います。
ピリタ修道院 寺院・教会
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南側には居住スペースなどはなかったようで、すっきりとした外観になっています。今でもピリタ近郊は森が多いですが、当時は今以上に住宅は少なかったようなのでこの巨大な教会が目に入った時のインパクトは大きかったでしょうね。
ピリタ修道院 寺院・教会
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南側は後ほど見る北側(正面向かって左側)と違い何も遺跡がなく野原なので様々な角度から側面を眺める事が出来ました。こうやってみると正面も大きいファザードだけど奥行きもすごくあるのがわかります。
ピリタ修道院 寺院・教会
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基本的に修道院に来てからは曇り空になってしまっていましたが、たまに日差しが差してくれました。やはり明るい空の元だと雰囲気が違います。
ピリタ修道院 寺院・教会
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このトンネルは修道院が実際に使われていた時からの通路だったようです。トンネルと表現しましたが、修道院が健在の頃は全ての場所に屋根があったと思うので他の通路と同じ通路だったんでしょうけど・・・。
当時の人たちは何を思っていたのだろうか・・・。そんな事を考えてしまいます。ピリタ修道院 寺院・教会
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完成から600年以上、戦争による荒廃から450年以上経っているのですがこのあたりは原型を留めていて当時の姿を想像することができます。
ちなみにこのあたりはそうでもないですが、場所によっては風化が進んでいて1970年代から補強が行われているそうです。ピリタ修道院 寺院・教会
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修道院跡の裏まで行くとピリタ地区の林がほぼ自然のままの姿で見ることが出来ました。この修道院が現役だった頃もこのような風景が見えていたのでしょうか。
ピリタ修道院 寺院・教会
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向こうに見える教会は2001年に建設された聖ビルギッタ修道院でビルギッタ会が運営しています。ビルギッタとはスウェーデンで最も有名な聖人で14世紀中盤に活躍された方です。
ピリタ修道院 寺院・教会
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後部の壁になります。あの空洞は当時はステンドグラスでも入っていたのでしょうか・・・。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この意匠も建築当初からのものなのでしょうか。相当に錆びていてかなり年月が経っていることはわかりますが・・・。
ピリタ修道院 寺院・教会
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教会後部の壁になります。入口のファザードに比べてデコボコが目立っていて、元々の構造としても凹凸のあるものだった様に思えます。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この下は地下室になっています。この付近は割と保存状態がよく当時の床面がほぼそのままのようです。
ちなみにですが、右下の部分は穴になっていてそのまま地下室に繋がっており、下手に落ちると危険な状態です。もし今後行く方がいたらお気をつけて・・・。ピリタ修道院 寺院・教会
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これがその地下室です。イヴァン雷帝の侵略の後遺跡として残っていた聖ビルギッタ女子修道院跡は地元の人の畑として使われる期間が長く、1930年代に発掘調査が入る直前にはここは一面ジャガイモ畑になっており、この地下室にジャガイモが保管されていたそうです。
ピリタ修道院 寺院・教会
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聖ビルギッタ女子修道院時代も貯蔵庫して使われていたというこの地下室、たった100年前にはジャガイモの貯蔵庫になっていたというので驚きです。
ピリタ修道院 寺院・教会
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ふと上を見上げると木の張り出し屋根がありました。当時の物なわけはないですが、構造物にしっかりとあっていることや下に通路があることから当時もこのようになっていたのだと思います。
ピリタ修道院 寺院・教会
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上の写真の張り出し屋根はこの上部にあたります。構造上柱になっているところは柱が屋根の代わりになっていますが、それ以外のところは露天になるので屋根が着いていたんですかね。南側の通路に比べ北側の通路は屋根も低く、幅も狭く感じました。
ピリタ修道院 寺院・教会
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あのファザードが入口名分けですからちょうどこのあたりに祭壇があり牧師が修道士に対し教えを説いていたのでしょう。スウェーデン統治下時代のエストニアの人たちがどの様な気持ちでここで修行していたのか、そんな事を考えてしまいました。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この通路は当時のままでしょうから、500年以上前に修道院の人たちが通った場所を自分が歩いていると思うと感慨深いものがあります。リヴォニア戦争後統治者はめまぐるしく変わり現代に至っていますが、忘れ去られた時期も長いものの現代まで残っていることに感謝です。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この部分は基礎で、修道院が健在だったときは木材で床が敷き詰められていた様です。ここの修道院に限らずですが、中世のまだ防寒技術が完成されていない頃のこの地域の建物の中は寒かっただろうなあとか思ったり・・・。
ピリタ修道院 寺院・教会
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教会部分も左右対称ではなく、北側の通路の部分はずいぶんとしっかりとした造りになっていたのがわかります。木の板の屋根もありますし、地面に面している部分もアーチ構造になっていたりと手が込んだ造りになっています。
ピリタ修道院 寺院・教会
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この部分は中庭になっていて健在の時から何も無かったようです。図面を見ると建物は教会にタイしてコの字に造られていたことになります。
ピリタ修道院 寺院・教会
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イチオシ
先ほども書きましたが少しでも青空が出ると雰囲気が変わります。
少し雲がどいてくれた時に撮影しました。
どんな雰囲気の教会だったのかな~とそんな想像をしているのも楽しい物です。 -
この通路の右手には牧師達の会議室や修道士達の共同食事場があり、左手は中庭になっていたようです。現地に当時の図面と何に使われていたかが書かれているプレートがありそれを撮影しているのですが、いかんせん宗教的な言葉は英語でもほとんど知識がないので訳をするのに苦労しています・・・。
ピリタ修道院 寺院・教会
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ある部屋のあと(共同食事室だったと思う)を覗くとここだけ礎石がありました。やはりこの上に木造の柱でも立てていたのでしょうね。
ピリタ修道院 寺院・教会
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隣接する聖ビルギッタ修道院と遺跡は数メートルの距離まで近づいています。約500年の時を経て蘇った修道院は新しく現代的な教会です。
ピリタ修道院 寺院・教会
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教会そのものは石造りで高さが残っているのに対し、こちらの居住スペースは1m程のところでそれより高さは残っていません。リヴォニア戦争の時にロシア軍がわざわざこの高さまで壊して残していったとか、その後放置される中でこの高さに揃える意味はないので、居住スペースは基礎の部分だけ石造りでその上は木造建築だったのでしょうね。
ピリタ修道院 寺院・教会
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このお墓は教会と特に関係ないということですが、リヴォニア戦争の時点でもは既に一般市民もキリスト教化された時期でしたから、その後の地元の人たちが以前教会があった場所にお墓を建てたいと願って建てたのかもしれません。
お墓の時代が違うからか十字架の作りも違っています。
ちなみにロシア正教が入ってきたのはかなり近代になってきてからなので、ここにある十字架は西方教会のものしかありません。ピリタ修道院 寺院・教会
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ファザードの入口付近の壁にリヴォニア戦争で破壊されるまえの修道院の図面が展示されていました。
記録があるのかもしれないですけど、500年近く前の事がここまでわかるのってすごいなと思います。ピリタ修道院 寺院・教会
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ピリタのバス停はちょっとしたターミナルの様になっていて、それに隣接して建物がありカフェやコンビニが入店しています。現在午後1時でこのままタリンに戻るとまた昼食を意識せず午後遅くまで観光してしまいそうなのでピリタで何か食べていくことにしました。
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Viardo Cafeというお店に入りました。日本風に言うと洋菓子屋でマカロンやケーキ、焼き菓子などが売っています。基本テイクアウトなようですが3席ほどテーブルがあり店内でも食べる事が出来ます。
帰国後現地の口コミとか見たら割とピリタ地区の市民の間では有名なお店みたいですね。 -
カンノーロとイチゴのゼフィール、水を購入しました。合計で6.70ユーロ、うち水が2.0ユーロでした。
両方美味しかったけどカンノーロのが美味しかったかな。ゼフィールはなかなか日本じゃ売ってないし、こちらも美味しかったので満足。
そういえばエストニア行ったらケーキとかアイスとか食べようと思ってたけど、お菓子を主食にしたのはこのときだけでした。 -
タリン港からヘルシンキへ向かうタリンクのフェリーが航行していました。この距離でこの大きさに見えるってすごいですよね。日本だとあまり大きな船に乗る機会ってなかなかないですけど、ヘルシンキ-タリン往復でだと数千円でこの船に乗れちゃうんですよね。
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イチオシ
タリンクとピリタ川の河口に係留されているヴァイキング船の様な船の2ショット。時代を超えた感じで良い対比だなあなんて思っていたらエストニアらしくカモメが舞い込んで来てくれました。
ちなみにこの右側の船、ドイツ料理?店の様で、私は近づいていないのですが近くで撮っている写真を見たら普通の古い船の上にこの様な構造物を造った感じでした。 -
聖ビルギッタ女子修道院跡に行く前と後の2回短い時間とは言え散策しているのなら1回にして時間眺めにとってピリタ海岸行けばよかったかなとか今更思ってみたり・・・。
海岸までは行かなかったけど、ピリタは長閑な雰囲気で大好きな場所でした。ピリタ ビーチ
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この2階建てバスはタリン市内の観光地を回るツアーバスです。タリンカード持っていると割引か無料だったかで乗れるはずですが、基本的に時間の拘束のあるツアーってあまり好きじゃないので利用はしていません。バスの上に日本の国旗のマークが出ていることを考えると、使っていないので正確にはわかりませんが日本語の説明がある様です。
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ピリタから昨日と同じようにピリタ街道→ナルヴァ街道へとバスはタリンへ向かっていきます。
昨日とほぼ同じ場所で撮影したタリン湾、昨日よりは天気がマシだけどそれでもどんよりとした雲がタリン方面に・・・。 -
Virukeskus行きのバスに乗ってタリンに戻ってきました。この日も前日と同じく地下のバスターミナルには向かわずに交差点の側のバス停で降りる形でしたので、降車はこちらなのでしょうね。ピリタからのバスは割と混んでいて相当数が終点まで乗ってきていました。
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前日の旅行記でも書きましたが、近代的な建物とソビエト時代の建物が新市街の中心部でも入り組んでいます。
右のフィンランド国旗は何かなーと思ってみてみるとタリンクの広告に立っていました。 -
近代的な新市街を走るタトラ社のトラム。なんとなく古めかしい共産主義時代のチェコスロバキアで造られたトラムですが今でもエストニアでがんばっています。
国鉄がスイス製の車両を導入し、バスは交替が早く、ノルディカ航空は近年発足したばかりの会社、というわけでエストニアに残る数少ない共産主義時代の遺物になります。 -
初日に何枚か旧市街側からの写真を上げたヴィルホテルですが、東側から見上げるとこんな構造です。一番手前の螺旋状の構造物はvirukeskusの駐車場、その横の建物はヴィルホテルと同じソコスグループが運営するホテルエストリアです。こちらはvirukeskusと同時期に建てられた新しいホテルになります。
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旧市街から見ると他の高層ビルがあるのでそんなに目立たないですが、下から見上げると結構な大きさに見えます。建設当初はエストニア唯一の外国人宿泊可能なホテルだっただけあって、タクシープールも完備していますし入口付近も豪華に見えます。
Original Sokos Hotel Viru ホテル
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Mere通りの昼間の光景。青空がとても綺麗です。いつもこうだったら良いのになあとか思いながら路面見てみると水たまりがそこら中に。
タリンへ戻ってきた時から気付いていましたが、私がピリタでまあまあの天気で観光している間タリンはかなり降っていたようです。
テレビ塔でもタリン方面真っ暗な時ありましたからね・・・。 -
雨上がりの路面に日差しが差し込んで街が輝いて見えます。自分自身が雨に打たれていないからこんなのんきな事言えますが、こんだけびしょびしょって事はかなり降ったと思う・・・。
結果的に私はタリン5日、タルトゥ1日、ナルヴァ1日でしたが、タリンが一番激しく降りましたし、ピリタやラスナマエが降っていなくてもタリンが降っているということもあったので、割とタリンって降りやすいのかなと・・・。 -
ソビエトや社会主義国で共産党系の政党が支配していた当時にそこら中に建築されたカルチャーセンター、エストニア語ではKultuurikeskusと呼ばれていたものですが、現在でもある程度の数はそのままホールとして演劇や音楽などが上演されています。Mere通りに面するこのカルチャーセンターは1954年に竣工したもので、2009年に大規模改修が終わり現在の姿になっています。
ちなみにカルチャーセンター、そのままカタカナにすると何か違う気はしますし、社会主義っぽく文化宮殿と訳すとワルシャワのあれになりますし、なかなか難しい物があります。 -
Mere puiesteeバス停から73系統バスでLennusadamバス停までやってきました。
ここにはLennusadamという博物館があり訳すると飛行艇埠頭博物館になります。直訳だとLennu→空、sadama→港で空港になってしまいますが、水上飛行機の格納庫を改造して海洋博物館になっています。 -
バス通りから飛行艇埠頭へ向かおうとするとその間に完全に廃墟のままとなったおそらく帝政ロシア時代の建築物がありました。割とエストニアはこの手の建物がそのままになっていることが多いです。この建物は妙に綺麗なこともあり意図的にこのまま維持している様にみえますが・・・。
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この建物が飛行艇埠頭で現在は博物館になっております。元々は帝政ロシア時代末期にニコライ2世の命令によって建てられた物の一つで、サンクトペテルブルクを守るための要塞の一つでした。
次のパートで詳細を書きますが、この建物の建築は日露戦争の結果が遠因になっています。 -
航路標識の一種か何かかな。説明版がなく細かいところはわかりませんが、日本で見た物の事を思い出すとそんな気がします。
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クリミア戦争期にフランス・イギリスによるフィンランド湾封鎖に対抗するために建造された木製の5m程の潜水艦です。館内に展示されているレムビットの姉妹艦であるカレフがエストニア最初の潜水艦とされますが、こちらのほうが80年ほど前に登場しています。もっとも実践に投入されたことはありませんが・・・。
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奥に置いてある遊具も海洋博物館らしいものになっています。
それでは次のパートから館内に入っていきます。
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