2019/09/13 - 2019/09/22
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かるあみるくさん
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この旅行記のスケジュール
2019/09/17
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プーシキン通り
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パウリ・ケレスのモニュメント
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ナルヴァ・イヴァンゴロド友好の橋
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エストニア旅行記パート22!
ナルヴァの街歩き編です。ナルヴァの街は元々はタリンと同じくドイツ・スウェーデンの様な街並みでしたが第二次世界大戦の際にソビエト軍の空爆で壊滅。その後エストニアはソビエトの占領下に入りソビエト連邦、エストニアソビエト社会主義共和国により復興がされたためにソ連の色濃く遺す街並みになっています。また大戦後ソビエト当局は従来ナルヴァに住んでいたエストニア人に帰郷を認めず、多くの地元民をシベリアなどのグラーグへ追放した代わりにロシア人を大量に移住させほぼロシア人のみの街を作り上げました。独立回復後も人口比はエストニア人:ロシア人で1:9程という極端な人口構成になっています。
その為タリンや翌日訪れるタルトゥとは雰囲気も言語も違う異色の街です。大戦とソビエト占領の遺した負の遺産をこのパートでは見ていきます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バスで到着しているんですが到着場所が駅のすぐ近くなのと、バス停は何もないのでナルヴァ到着記念の一枚です。
ナルヴァ駅は1870年に開業し現在の駅舎は3代目で1946年に完成しています。初代の駅舎は独立戦争で、二代目の駅舎は独ソ戦で焼失しています。ナルヴァ駅 駅
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ナルヴァ駅前にはこの様な碑がありました。1941年6月14日から1949年3月25日にエストニアからソビエトのシベリア地方などのグラーグへ追放された人たちを祈念する物です。
ソビエトはプリボイ作戦として占領したバルト三国から多くの現地人をブルジョア的、反革命的として追放しました。パッツ大統領、ライドネル元帥や大臣、国会議員なども追放された一方、多くの被害者は一般民衆でした。エストニアにおいては追放された人の約半分は17歳以上の女性、約3割は16歳以下の子供という割合でスターリンの死後徐々に処置が緩和されエストニアに戻る事が出来た人もいましたが、ナルヴァの様にロシア人以外帰還することが認められなかった都市の出身者は別の地に移住するしかないということもありました。
多くのエストニアの街で追放が行われた事からこのような碑は出発地となった駅前などに何カ所も建立されています。ナルヴァ駅 駅
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ナルヴァ駅の駅舎内に入ってみました。非常に閑散としている・・・というか誰も人がいません。ナルヴァ駅発着の旅客列車は1日1便のタリン-モスクワ便も含めても1日5便。圧倒的にバスの方が強いこともあり駅舎もコンパクトですし待合室も特段ありませんでした。ただ駅舎は古い物の近年改装された様子もあり、出入り口は自動扉になっていました。
トイレは1回20セント、とても綺麗でした。ナルヴァ駅 駅
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ナルヴァ駅は小さいながらも国境の駅なのでパスポートコントロールが設置されています。国際線は1日1便なので発着する時間だけ近くにある道路橋にあるパスポートコントロールと税関の職員が来て窓口を開けるそうです。
ちなみに国境の駅だからか、他の駅ではホームへのアクセスはどの時間でも可能ですが、ホームに列車が入っていない時間帯は開かないようになっていました。ナルヴァ駅 駅
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ナルヴァ駅、駅舎内だけでなく駅前も人が誰もいませんでした。すごく寂しい雰囲気です。人が居なさすぎて音が自然の音しか聞こえない時間帯も・・・。こんな場所でもエストニア第三の都市の玄関口です。
ナルヴァ駅 駅
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ナルヴァ駅、駅前、バス停もこの数年の間に改装が行われているのですが、タリンやラクベレ、コフトラ・ヤルベの様に待合室のあるバスターミナルが出来ることはなく駅前のバス停に発着する形でした。
ちなみに少し離れた所に小さいR-Kioskがありますが英語は通じずロシア語でのコミュニケーションが必要です。 -
レーネ・ヴィル県に入ったところにあった地図よりは小さいですが相変わらず大きい地図です。地図にはナルヴァ市街の観光地の案内が書かれていました。
ちなみに文章での案内にはイダ・ヴィル(東ヴィル)県の他の観光地の記載もありました。 -
建築様式が1950年代っぽく見えたことやナルヴァ駅前地区は元々旧市街だったこともあり戦後比較的早い時期に建てられた建物かなと思って撮影していた建物です。
帰国して見てみるとカードゲームショップ?みたいなんですが正直驚きました。ギャップが凄まじい・・・。そして外からじゃまったくわからないという・・・。 -
ナルヴァ駅周辺では人はあまりみませんでしたが、路上駐車がとても多く人は多く住んでいるんだなと感じました。まるで駐車場の様に路上駐車がされています・・・。
ちなみにエストニアではボルボ、ベンツ、フォルクスワーゲンなどが一般的な車ですが、この写真にも写っているように日産などの日本車も数多く走っています。マツダ、ホンダ、日産などはよく見かけました。 -
まずはナルヴァ駅から徒歩数分のアレクサンドゥリ教会へ向かいます。1884年建築の比較的新しい教会ですが、1944年にソビエト軍の空爆により大きく損傷を受けて70年代より復旧された教会です。
尖塔は展望台にもなっていてここからナルヴァ市街を一望出来ます。ナルヴァの代表的な教会 by かるあみるくさんアレクサンドゥリ教会 寺院・教会
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あっ、火曜日は休みなんですね・・・。
残念(´・ω・`)。
そして残念と言えばもう一つ、ホテルに地球の歩き方を忘れてきてしまいました。まあ小さい街で回るところも覚えてるし問題は無いんだけど、今までタリンに居ていつでもホテルに戻れるときには忘れなかったのになあ。ナルヴァの代表的な教会 by かるあみるくさんアレクサンドゥリ教会 寺院・教会
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教会のすぐそばにあったこの建物はこのあたりの地域の裁判所になっています。
調べなければ裁判所とわからないようなモダンな建物でした。 -
この5階建ての建物、ものの見事に廃墟化しています・・・。建物の様子を見ると廃墟化したのは比較的最近だとは思いますが・・・。
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ん、廃墟の建物と向こうの綺麗な建物は繋がっていますね・・・。
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綺麗な建物はホテルナルヴァというホテルでした(実は知っていて後ろから撮影してきました。
このホテル、とりあえずナルヴァでは一番有名なホテルの様ですが後ろの廃墟は泊まる人は気にならないのでしょうか・・・。 -
Narva Kultuurimaja Rugodivという名前のカルチャーセンターです。1961年建築で近年大改修され見違えるように綺麗になりました。後ほど訪れるクレンホルム地区の放棄されたカルチャーセンターとは大違いです。ちなみにNarva Kultuurimajaはナルヴァ文化宮殿ですが、後ろのRugodivというのはナルヴァの旧称になります。
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ホテル・ナルヴァの前からはアレクサンドル・プーシキン通りのプロムナードを進んでいきます。歩行者用と自転車用のスペースに別れていますが、他のヨーロッパ諸国と違いエストニアではあまり自転車は見なかったです。
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ちょっと反対側の歩道にも回ってみました。プロムナード側でない方は普通の歩道でしたが、落葉も始まっていて綺麗な雰囲気でした。こっちの方がなんとなくロシアの歩道っぽいですね。
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ソビエト連邦の街並みと言うと暗いや汚いというイメージがつきがちですが、色あせていなければ色合いは綺麗に見える建物も多いです。
あとスターリン期くらいまでは一般建築もそれなりに見栄えが考えられていましたが、プレハブ工法みたいな作り方が普及してからは効率重視で同じような建物がならぶこの2日間見てきたフルシチョフカの街並みになっていきました。
まあ日本の高度成長期の団地群も広さや頑丈さはともかくどこも同じ光景というのは一緒ですが・・・。 -
道路真ん中のプロムナードに何か像が建っているので見に行ってみます。
ナルヴァの道路はタリンの様な名前の付け方のところもあるんですが、「アレクサンドル・プーシキン通り」や「1.Mai Tee(5月1日通り)」とかロシアの様な名称の通りもかなりありました。 -
通りの名前にもなっているプーシキンの像がありました。
いろいろ調べましたがプーシキンがナルヴァに居たという事実はおそらくなく、150kmほど東方のサンクトペテルブルクに在住はしましたが、何故ここにプースキン通りがありプーシキンの像があるのかはわかりませんでした。
ちなみに後ろのプロムナードを掃除している人たちは落葉を機械ではいていましたが、かなり綺麗になっていてこのあたりはロシアと違うなという印象です。 -
プーシキン通りのプロムナードはロシアっぽいと言われるナルヴァにしてはとても綺麗に整備されていて、また汚れなども少なくエストニアっぽい感じになっている部分でした。エストニアって他のヨーロッパ諸国に比べても街並みが綺麗なんですよね。
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この通り、ナルヴァ駅やバスターミナルに向かうメインストリートなんですが、現在では市北西のショッピングセンターのあたりが実質的な中心になっているのでほとんど人通りも車通りもありません。まあ実際駅から歩いてきてみて、日常生活で頻繁に使うような施設はありませんでしたからね。
建物の塗装が綺麗にされているので、この建物もそれなりに年期が入っているはずなんですが新しく思えます。 -
写真だけ見ているとロシアにいるようにしか見えない光景です。そして住民も圧倒的多数がロシア系でロシア語が飛び交っていますのでビザなしで行けるロシアみたいな感じでナルヴァを散策していました。
唯一ロシアと違うとすればエストニア国内ではロシア語を看板などで掲げるのは厳しく制限されているので、これだけロシア語が飛びかう中でもキリル文字は観光地の看板以外ではまずみないことです。 -
そのままプーシキン通りのプロムナードを進んでいきます。現地で観光しているときは少し上ってるな位にしか思っていませんでしたが、これかなり上っていますね。
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ナルヴァ出身のチェスプレイヤー、パウリ・ケレスがチェスを指しているモニュメントがありました。向かいの席に座ればケレスと対戦している雰囲気になります。
ケレスはエストニアでもっとも人気のある人の一人で、ユーロ導入前のクローン紙幣にも肖像画が描かれていた人です。 -
ここまで歩いてきたプーシキン通りのプロムナードを振り返ります。南部はそこまで広くありませんでしたが、一番北では車道よりも広いスペースの公園みたいになっていました。多くの市民の憩いの場はナルヴァ城とかの観光地ではなく、こういうところなんでしょうね。
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ナルヴァの旅行記などを見ていると必ずと言っても良いほど出てくるこのビル、屋上に巨大な貯水槽が付いています。貯水槽が屋上にあること自体はどこの国でも珍しくないですが、この巨大な物が屋上から伸びている様についているのは東側諸国らしさを感じます。
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結構な高層ビルですが下層部にはテナント、上層部は住宅になっている様です。1階も特に装飾らしき物はなく普通の玄関という感じでした。
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タリンのヴィル広場も環状交差点でしたが、こちらの環状交差点は信号なしの交差点になっています。そのタリンのヴィル広場から始まったナルヴァ街道はこの交差点で終点となります。この左奥をずっと進むとタリンなんですが、同じ国とは思えないほど街の雰囲気も違います。
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高層ビルの下には公園、というよりはあまり整備されていない緑地が広がっていました。この中を歩いて北側へ向かいナルヴァタウンホールを目指していきます。
そしてこのあたりで雨が少し降ってきました。これでエストニアに来て4日連続の雨。
ただこの日はここからナルヴァ川への行程で降ったくらいでそれも量はたいしたことなく、滞在中の天気としてはましな方でした。ずっと曇っていましたけど。 -
ロシアからエストニアに入国した車の出口と思われるゲートが市街地の中にありました。出国のゲートとはそこそこ離れた位置にあったのでやはり税関、パスポートコントロールや各種設備があるので、出入国スペースは結構広大になるようです。
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木々が植えられたナルヴァの街並み。この地区は旧市街なので割と人口は多い方ですが、市街地だけをみてもそこそこ広い区域に6万弱の人口しか居ないのでタリンに比べゆとりのある街並みが広がっています。
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数少ない戦前のナルヴァ旧市街の雰囲気を残すナルヴァタウンホールです。スウェーデン統治下の1671に完成しナルヴァ市の中心となってきました。1944年にソ連軍の空爆で損傷し戦後に復興しました。ソビエト占領下ではピオネール宮殿としても使われたそうです。中ではナルヴァの旧市街の復元模型や展示をしていた時期もあるそうですが、2019年9月現在閉鎖されていました。改修の上再度博物館として利用するようですが現時点では不明です。
ナルヴァで戦前から残る数少ない建物 by かるあみるくさんナルヴァタウンホール 建造物
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左の斬新な形の建物はタルトゥ大学ナルヴァ校舎で近年建てられたものです。市庁舎前の広場はナルヴァラエコヤ広場として1944年まではナルヴァの中心地で市場やイベントなどもあったそうです。ソビエト占領下では野原や畑になってもいたようですが、現在は寂しい広場になっています。
ナルヴァで戦前から残る数少ない建物 by かるあみるくさんナルヴァタウンホール 建造物
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ナルヴァタウンホール前から北側の方向を見ています。この通りはルートリ通りという通りで第二次世界大戦まではこの通りには歴史的な建物が建ち並んでいました。その中にはピョートル大帝の別荘やナルヴァの商人、セルゲイ・ラヴレツォフの館もあり博物館として公開されていたそうです。
現在ここからはフルシチョフカの立ち並ぶ風景しか見られませんが、出来ることなら当時のナルヴァの風景を見てみたかった、そんな風に思います。 -
何回か書いていますがナルヴァの雰囲気は典型的な旧ソ連の街並み。
これはナルヴァ以外のエストニアというか旧ソ連諸国全般に言えるんですが、このフルシチョフカ当初は少ない予算で大量の住宅を造るという目標だけに造ったわけですが、割と長く持ったため建造から50年以上がたった今でも旧ソ連の各地で見られる建築です。 -
そんなわけでロシアではプーチンが主導し立て替えを進めようとしますが、所有者にも負担が生じてしまうので(日本で言うと等価交換にプラスして建て替えをする形に近いのかも)反対運動が起きているほどです。日本でも高度成長期に建てられた団地で同じような話が起きていますね。
話は戻ってナルヴァはよくソビエトにより昔ながらの街並みが破壊された街、として取り上げられますが、ソ連の爆撃で破壊された街並みをまったく復興せず新しい区画を造りソ連型の街を造ったからそう言われるのであって、この様な建築自体は先日のストローミなどのタリン郊外も含めエストニア各地で見られています。 -
多くのソビエト占領下に建てられている建物が残る一方、こういう新しそうな構造の建物も一部には見れられました。
ナルヴァも2015年頃から再開発が進んでいるそうです。この建物はもう少し古い気もしますけど。 -
路面はアスファルト塗装だと思いますが、タリンとは比べものに成らないほどに悪化していました。まあすごい勢いで工事が進んでいるのでいずれナルヴァも行われると思いますが、民族的な問題などもあって後回しになっているんですかね・・・。
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ナルヴァ出身の俳優で植物学者のAlbert Üksipの碑がありました。タリンでエストニア劇場の俳優や植物学者として有名になった彼ですが、若い頃はナルヴァのクレンホルム工場で労働者として働きながら独学で俳優や植物の勉強をしていたそうです。
ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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Pimeaedという公園から望んだ東側です。少し広い川の向こうにも長閑な街が広がっているだけに思えるこの景色ですが、この川の対岸はロシアでこのナルヴァ川は国境の川になります。
対岸の街はイヴァンゴロドと呼ばれており人口は1万程度で、ロシア連邦の中では931番目の人口の市だそうです。ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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政治的対立が続き、歴史的経緯からみても仲が良いとはとても言えないエストニアとロシアとの国境ですがピリピリしている雰囲気はなく平和な雰囲気でした。ロシア側を見ても特段の緊張感はありません。ただナルヴァは誰でも立ち入り自由ですが、ロシア側の街のイヴァンゴロドが国境特別地帯で、ロシア人でも誰でも自由に入れるわけではないそうです。
ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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元々イヴァンゴロドはナルヴァと川を境にほぼ一体の街を形成しており、独立から1944年まではエストニア領でヤーニリンと呼ばれるナルヴァの一部でした。1944年にソビエトロシアに編入されましたが、エストニアもソビエト占領下にあったためにエストニアが独立を回復する1991年8月までは同じ国という形でした。
エストニアの独立回復後ここには国境が引かれ分裂した街となっています。
同じような街としてはヴァルガ(ラトビア語ではヴァルカ)がありますが、こちらは1920年代は緊張が高かったそうですが、現在ではお互いシェンゲン協定国ということもあり落ち着いた雰囲気だそうです。ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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なんだかんだ第三の都市のナルヴァと辺境の小規模な街のイヴァンゴロドでは街の雰囲気も違います。ナルヴァから見たイヴァンゴロドは少し離れた所には団地も見えたりもしますが、森の中に住宅が点在している村と言う印象でした。
ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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エストニア側にはナルヴァ城、ロシア側にはイヴァンゴロド城とスウェーデン統治時代に建てられた城が対峙しています。ちなみに私が今いるナルヴァ川に面した高台はスウェーデン統治時代にヴィクトリア要塞として整備された地区で、天然の要害の高台と張り出した陣地による砲台を持った要塞でした。
現在はナルヴァ城から見学できるツアーがあるようです。 -
Pimeasdは公園という形で岸壁の方のロシアを望める展望台?の他普通の都市公園にもなっています。ただ小さい女の子一人が遊んでいたのと、おばあさんがロシア方面を見て物思いに耽っていた以外誰も人はおらずナルヴァの街同様少し寂しい雰囲気でした。
ロシアが見える公園 by かるあみるくさんPimeaed 広場・公園
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ナルヴァには戦前の建物はタウンホールくらいしか残っていないとよく言われますが、ナルヴァ川に面するこの建物は銘板(でいいの?)1919年建築の建物の様です。1919年と言えばエストニア軍とボリシェヴィキ軍が一進一退の攻防を行っていた時期で、最前線のこの場所によく建築出来たなあと思います。
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ナルヴァとロシアのイヴァンゴロドを結ぶ国境のこの橋はナルヴァ・イヴァンゴロド友好の橋Мост Дружба Нарва(Эстония)-Ивангород(Россия)と呼ばれています。
エストニア人はロシアにビザなしで入国できるのもあり、徒歩で歩く人も結構見えました。日本が島国であるため徒歩や車での国境越えというのはほとんどイメージ出来ないですが、関係性が良くない国同士での通行でもこんなに簡単に通っているんだなということを知れたのは勉強になりました。 -
護岸道路をみてみるとなにやら広場が・・・。どうやら日時計になっているようですね。ただ今日の天気じゃ全然時間がわからないですけど・・・。
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ナルヴァへ入る車のレーン分けが見えましたので撮影してみました。なかなかこんなところ見る機会少ないですからね。
左二つのレーンが自家用車、右から2番目がバス、一番右がトラックのようです。
自家用車とバスに関しては税関申告の有無は区別がないようです。
ちなみに見えないですが、一番手前には人の通行帯があります。 -
城の石垣が崩れてきてしまっていました。色を見ると崩れたのは比較的最近だと思いますが、補修しようという気配は無かったです。城内ではいろいろと工事は行っていましたけどね。
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友好の橋の向こうにナルヴァ城が見えます。距離としてはたいした事無いんですが、国境地帯がある関係でかなりの大回りが必要なのです。
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この建物は明らかに1950年頃のソビエト占領下の建築だと思います。というか先ほどの様な戦間期の建物の方が遙かに珍しいので・・・。
第三の都市とは言え大型建築を行うほど需要があるわけではないですし、何より土地は有り余っているわけですからあまり古い建物を建て替えると言うこともないようです。 -
国境、ナルヴァ城からごく近くの所ですが閑静な団地群とその間のほとんど人も通らない道路があります。
本当にタリンに比べて街中を歩いている人が少ないんですよね。 -
友好の橋から上がってくる道路を越せばすぐにナルヴァ城です。橋の下に降りて回り込む階段もありましたが、かなりの高低差があるのでそのままの高さを進みお城へ向かうことにします・・・。
というつもりだったんですけどね(笑 -
このまままっすぐ行けば観光案内所の前に出てそこからナルヴァ城へ行けるなと思ってたら正面にフェンスが・・・。ん?と思ってスマホで地図を確認するとこのパートの上の方で載せた入国の出口がこの北側に延びていてそれを大回りして戻る必要があり、これも前に載せた屋上に貯水塔があるビルのあたりまで戻る必要がありました。
同じ道を通るのもなんだかなと思い、ちょっと大変でも一度ナルヴァ川河川敷にある道路まで降りて橋をやり過ごすことにしました。 -
そんなわけで振り返ってみるとロシア方面へ渡る橋の様子が見えました。結構ロシア入国で時間がかかることがあるそうですが、この写真を撮影した時は空いていました。
ちなみに2019年10月より電子ビザがレニングラード州・サンクトペテルブルクにも拡大され、電子申請で日本人も入国できるようになりました。ただ鉄道での入国が不可能の為タリン-モスクワ便で入ることは不可能、ここからの入国も可能なのかどうか不明です。また他の地域と同じ制度だとすると入国・出国は同じ場所からの必要があり、LEDから入国してここから出国も不可能です。
そんなわけで日本人がロシア側のイヴァンゴロドを訪問するのはまだ不可能に近いですが、いつかここから国境の橋を渡れるような制度になってくれればなあと思います。
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