2019/09/13 - 2019/09/22
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かるあみるくさん
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この旅行記スケジュールを元に
エストニア旅行パート5!まだ初日の夕方です(笑
デンマーク王の庭からネイツィトルンに入りデンマーク国旗の由来やエストニアとデンマークの戦争について資料などを見た後城壁見学その後は旧市街南端にあるワバドゥセ広場で独立戦争記念碑や戦前からあるビルの見学、そして広場で行われていた祭りを少し見て回ります。
その後日本大使館前の八重桜と有効の桜の碑文をみたあとキーク・イン・デ・キョクで中世の武器や生活を見学します。
※2019/11/09 写真追加と誤字などを修正しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ネイツィトルンの建物は近代的に改修されている場所が多く、中は小さな博物館とカフェ、城壁への出入り口などとなっています。リュンダニスの戦いに関するものやデンマークに関する展示が数は少ないのですがされていました。
乙女の塔 建造物
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デンマークの国旗が大きく掲げられています。ダンネブロと呼ばれるこの国旗はリュンダニスの戦いの際にデンマーク軍が不利になり敗北寸前になりデンマーク王ヴァルデマー2世が神に勝利を祈ったところ空から赤字に白十字のこの旗が舞い降りこれを掲げたところデンマーク軍が勝利したという伝説に基づいている説があります(他にもローマ法王が北方十字軍の際に授けたという説もあり、また公式にデンマーク国旗が確認されるのはもう少し後の話です)。
乙女の塔 建造物
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リュンダニスの戦いを後年描いた絵画のようです。左手がトームペア、奥にある船はデンマーク軍の物と言うことでしょうか。右手のデンマーク国旗を持っている軍勢と左側で襲いかかっているのがデンマーク軍、防戦しているのがエストニア軍だと思います。
しかしこの絵画、よく見ると戦いと言うより一方的な殺戮にしかみえない・・・。
この戦いは東方・北方の異教徒、正教会の(カトリックの人から見れば)蛮族を文明化するという名目の北方十字軍によるものです。結果的にエストニアはキリスト文明化されこれ以降教会が各地に建てられ布教が進んでいきます。 -
ネイツィトルン自体は1373年に完成された中世の塔ですが、19世紀頃からは住宅として利用されていた歴史があります。1968年から再建が進められ1980年にはカフェも兼ねた博物館として公開されます。そんな歴史があるため他の塔と違い階段は近代的で昇りやすく観光はしやすいです(後々紹介していきますが、他の塔は螺旋階段ですれ違いも困難なものが多いので)。中も明るいので圧迫感や不安感はないですね。
余談ですが1968年はワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入し民主化運動を弾圧した年。そんな東西冷戦の時期にソビエトでこの様な施設の再建が進んでいたことには驚きました。乙女の塔 建造物
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ネイツィトルンの城壁からニグリステ教会が見えました。城壁の回廊はそんなに高さがないのですが、逆に見上げる形になりニグリステ教会の尖塔の高さがよく実感出来る感じでした。
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エストニアで相当数写真を撮っていて枚数はだいたい16000枚くらい写真を撮っているんですが、この写真は数少ないどこで撮ったものかわからない写真です。
前後からするとネイツィトルンの2階、3階のあたりだと思うんですが・・・。
ネットで検索してもわからず。何か情報をお持ちの方居たら教えてください・・・。 -
城壁の上はこんな感じで休めるようになっています。カフェで買ってここで飲むことも出来るようになっていて、タリン旧市街の景色を見ながらゆっくり休むこともできそうです。ちなみにこの日はネイツィトルンに非常に日本人が多く、このあたりで休憩しているとまるで日本に居るかのような感じでした(笑
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アップでみるとこんな感じの可愛いような怖いような馬の人形です。説明書きはなかったのですけども、おそらくは中世の戦場で馬につけた防具なんだと思います。この建物の展示がリュンダニスの戦いを中心にしていることを考えるとこれもその頃のものでしょうか
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この顔出し看板エストニアにもあるんですね。直前まで日本人の女性3人組の方が代わる代わる撮影していました。
デンマークの騎士、楯もすぐにデンマークとわかるんですが、ここエストニア・・・。負けてしまった、あまり記録残ってないとはいえデンマークメインの話なのがこの施設の悲しいところ・・・。 -
左の城壁の上にある木の足場が回廊になっている場所です。タリンには他にも何カ所か城壁の上を歩ける場所がありますが、カフェやトイレがあったりここが一番落ち着いて城壁の上から景色を眺められます。
建物の中は風が来ないので割と暖かいのですが、外に出るとやっぱり寒いですね。 -
デンマークの国旗模様の楯に大きな剣、風格のあるカブトということでデンマーク王の庭の主、デンマーク王なのでしょうか。現在でこそ同じ北欧諸国としてまとめられるエストニアとデンマークですが、中世以降2000年頃までまったく別の歴史を歩んできました。近いようで遠い二カ国でしたが、こんなゆかりもあるのかとそしてそれをエストニアの人々も大切にしているのだと感じました。
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旧市街のルートリ通りを走るSLの形を模した旧市街の観光スポットを循環する車両の様です。後日飛行艇埠頭でも見たんですが、さすがに旧市街とは往復していないと思います。
余談ですが久里浜花の国や子どもの国、笛吹川フルーツパークなど日本でもこの手の見るんですが、世界中どこでもあるのかなと疑問に思ったり(笑 -
ルートリ通りの路地からふと見上げてみるとキーク・イン・デ・キョクが見えました。これから大回りしてキーク・イン・デ・キョクに向かいます。こうやってみると名前の台所を覗く塔という意味がよくわかる気がします。
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ルートリ通りからへとハリュ通りへと入りその終端あたりからワバドゥセ広場を見た様子です。このあたりには中世からハリュ門という門があり城壁とともにタリンを守る役割を持っていました。市街地の拡大とともに交通量が増え門が邪魔になってしまったため1875年以降解体が進みその後このワバドゥセ広場が本格的に造成されたそうです。
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ワバドゥセ広場ではお祭り?イベントが開かれていて各企業や自治体がブースでいろいろとアピールをしておりました。地元の方メインだったり健康食品などあったりとよくわからないのでイベントはさらっとみただけで素通り。
セントジョンズ教会も工事していますね・・・。 -
ワバドゥセ広場の西側にそびえ立つこのモニュメントは独立戦争勝利記念塔。1918年から1920年の独立戦争の勝利を記念するとともに、戦争で亡くなった方を追悼しています。2008年のワバドゥセ広場整備の際に設置されています。
奥の高台の野原は8月20日広場。1991年8月20日、ソビエト国歌非常事態委員会によるクーデターの混乱はエストニアにもおよび市内各所に戦車などが出動する中独立回復を宣言した事を記念して名付けられています。 -
独立戦争勝利記念塔の横の階段の横にあったこの壺?
エストニアの紋章が描かれており1860年代に制作されたもののようです。20世紀初頭の写真にも写っており、周りの風景は変わりましたがいまでもここからワバドゥセ広場を見守っています。 -
独立戦争勝利記念塔の横に翻る6枚のエストニア国旗。横3色旗はヨーロッパではポピュラーですが、配色は非常に独特なものとなっております。青い空とエストニアの国旗が非常に映えていて美しいなと感じました。写真だと若干暗く見えちゃいますが・・・。
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1937年にEEKS-Majaという保険会社の本社ビルとして建設されたこのビル。ナチドイツの占領やソビエトによる空爆、ソビエトによるエストニアの長年の占領にも負けず今もオフィスビルとして使われています。残念ながら観光客が入る様な店舗はないので入ることは無かったですが、当時のエストニアの最先端の建築であろうこのビルに入ってみたかったなあ。
余談ですが、数年前に破綻したエストニア航空のオフィスはここにあったようでそれだったら何とか入れたかなあ・・・。 -
ワバドゥセ広場(Vabaduse väljak)を訳すと独立広場もしくは自由広場になりますがこの広場の名前は歴史とともに変わります。帝政ロシア時代はピョートル大帝広場、独立後ワバドゥセ広場になり、ソビエト時代は勝利広場となり、1989年にワバドゥセ広場に戻されました。ピョートル大帝広場時代はピョートル大帝像があったそうですが、エストニア独立後に取り壊されたそうです。
また1940年エストニアのボリシェヴィキがこの広場でソビエトエストニア相互援助条約に基づき進駐してきたソビエト軍を背景ににしてソビエト連邦へのエストニア共和国の加入を要求するデモを行っています。
エストニアの国自体と同じく歴史に翻弄されてきたワバドゥセ広場。この平和な光景がいつまでも続いて欲しいと思います。 -
日本大使館前にある山桜。日本とエストニアの友好の証として贈られたものだそうです。山桜なのは、気温の低いエストニアだとソメイヨシノが咲かないからだとか。
ちなみにこの裏は日本大使館、この日は土曜日でお休みの日でしたが、この旅でお世話にならない様に祈ってから次へと向かいました。 -
その桜の根元にある碑文になります。
1999年に日本とエストニアの友好を記念して贈られた200本のヤゾヤマザクラという桜のうちの1本だそうです。残りの桜がどこにあるのかはわかりませんがきっとエストニアで元気に育ってくれているでしょう。
ヤゾヤマザクラという品種は知りませんでしたが、ぐぐってみると日本では北海道などで見ることができるみたいですね。裏には桜が植えられています。 by かるあみるくさん日本大使館 観光名所
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キーク・イン・デ・キョクの塔を下から見上げます。ネイツィトルンは四角い塔でしたがこちらは丸い塔。そして低地ドイツ語で「台所を覗く」を意味する名前の通りのぞき窓が何カ所かに見えます。
地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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塔の下少し離れたところに博物館の入口があります。ここもタリンカードを使えるのですが、カードを渡すとスタッフのおばちゃんに怪訝な顔をされました。ネイツィトルンとキーク・イン・デ・キョクは共通の入場券とのことでネイツィトルンの入場券代わりのシールを見せれば良かったんですが、何も知らずにタリンカードを渡してしまいました。
ちなみにタリンカードはバス・トラム無料の他、タリン市内の多くの博物館・美術館などに無料で入れますが、無料で入れるのは1回だけです。非接触型のカードになっているので各博物館の入場履歴が残っていてそれで判断が出来るみたいです。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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中世の据え付け型の大砲でしょうか。キーク・イン・デ・キョク入口に鎮座していました。
地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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まさしく中世!という感じの甲冑です。
余談ですが、キーク・イン・デ・キョクとネイツィトルンは道路を介して移動するとかなりの距離ですが、直線距離では目と鼻の先でというより中で繋がっていました。入口のおばちゃんに怪訝な顔をされたのもそのせいだとおもいます。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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1688年のタリンを描いた絵とのことです。城壁と所々に門がありその外は水堀があって外敵から守りを固めていたようです。
尖塔の形からすると一番左が聖オレフ教会になるので、左の門がふとっちょマルガレータの所にあるスールランナ門(大海岸門?)、右手がヌンナ門というちょうど私が旧市街に入ってきたバルト駅からの道路あたりにあった門のようです。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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1530年頃のタリンの塔と城壁の様子です。赤くなっているところが現在も残っていて、白い部分は無くなってしまったところになります。南側が上で北側が下になっていますね。
トームペア側の城壁は割と残っているけど反対側はあまりなく、新市街が東側に広がっていったこともわかります。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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上の図を復元したのがこの模型です。右側トームペアが切れてしまったので下で別に紹介しています。
唯一建物で模型に出ているのがタリン市役場であとは通りが描かれているだけですね。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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トームペア1530年頃のトームペアになります。エカテリーナ2世の時代にエストランド州総督公邸として使うように改修されたため現在は手前左手ののっぽのヘルマン塔だけが残っており、城というよりは館になっています。
ちなみにエカテリーナ2世はエストランドやリヴォニアを視察した際にあまりの惨状に驚き生活改善を図るように指示をしたそうですが効果はあまりなかったとか地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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時期はわかりませんがviru門の模型になります。現在残っているのは一番外側で跳ね上げ式の橋が出ている門と、一番奥の右側城壁のみになっています。当時の他のハンザ都市の多くと同じくタリンは城塞都市で外へはこのような厳重な門で繋がっていました。ちなみに現在はセーターの壁が奥の城壁右側。左手2番目の尖塔のあたりにマクドナルドがあります。
地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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なんか黒魔術師に見えなくもないですが、ペスト医師と患者(遺体?)のレプリカです。感染防止のために粘膜との距離を少しでも離すためにこんなカラスみたいなマスクになったとか・・・。またマスクの先には草を入れて少しでも空気を通しにくくするそうです。患者を触る際にも木の杖で突っつくとか・・・。
実は今ハロウィンの仮装とかでこんなマスク売っているらしいんですが、由来を聞くと恐ろしい物です。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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中世の大砲でしょうか。キーク・イン・デ・キョクの中は螺旋状の階段で上に上がっていく構造なのでここで車付きの大砲を使うというのはほとんど意味がない、というかデメリットしかないような気がするんですけど・・・。同時期に使われたものなのかもしれないですね。
写真は3点ほどしか上げてないですが、キーク・イン・デ・キョクでは中世のタリンで使われたものなどが多数展示されています。また他の城壁の塔や教会の塔に比べてスペースが広いので、外の景色を見るのも落ち着いて見ることが出来ました。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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手前の四角い塔に三角屋根は先ほど見学したネイツィトルンになります。こうしてみると本当にすぐ側です。
奥にはアレクサンドルネフスキー大聖堂やトームキリク、そしてトームペアの街並みが見えます。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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東方面を見渡すとこんな風景です。手前のタリン旧市街はいわゆる下町エリアになります。それでも統一された高さと似た様な作りの家々が並んでいて中世を感じさせてくれます。
中央やや右手にあるViruホテルを中心に新市街が広がりこの写真ではviruホテル以外にあまり高層ビルは見えないですが、少し離れた場所には高層ビルも建ち並ぶ近代的な街です。画面左奥には細いタリンテレビ塔、右奥にはラスナマエの高層住宅・・・。
長い間タリンを見守ってきたキーク・イン・デ・キョクがみる未来はどんなものなのか気になります。地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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塔の窓からのぞき見るようにニグリステ教会を見てみます。本当に尖塔の高さは高いですね。左手にはトームペアの建物がみえますが、バルト駅側だけでなくこちら側も絶壁の縁に立っているのがわかりますね。
地下道 (キーク イン デ キョク内) 建造物
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キーク・イン・デ・キョクを出てワバドゥセ広場に戻るとこんな看板をみつけました。どうやら洞窟石材博物館というのがワバドゥセ広場の地下にあるようです。階段を下りてみると下の写真にもあるように既に今年の営業は終了しておりました。
前にも描いたとおりワバドゥセ広場にはかつてハリュ門という門がありましたが市街地拡大により解体しています。その遺稿が2008年頃に行ったワバドゥセ広場の再整備の際に見つかったのでそれとともに見つかったので整備して見学できるようにしたようです。 -
こうやってエストニア語と英語で併記してくれると良い勉強になりますね。曜日の略号とかは覚えておいた方がこの後便利でしょうし。
ただこれみると9月はもう開かないんですね。まあ仕方ないので諦めました。
近くにいたお姉さんから駐車場に行けば遺跡を見れるよと言われてありがとうと伝えたんですが、よく考えるとどこに駐車場があるのかわからず断念・・・。場所まで聞けば良かった・・・。 -
まあ駐車場はわからなかったんですが、閉鎖されている博物館の入口の横からみたものがこの写真になります。右手は昔の城壁かその基礎かですかね。左手は何かのオフィスみたいになっており、ワバドゥセ広場のイベント控え室として使われていたのか観光客には無縁の様な状態でした。
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自分がワバドゥセ広場についた頃はもうこのバレーのネットは使われていませんでしたが、日中は使っていたのですかね。この時間は小さい子ども達がボールを使って遊んだりしていました。
地元市民の憩いの場。 by かるあみるくさんワバドゥセ広場 広場・公園
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この地下の奥にも博物館があるようで名称は「Rahvarinde Muuseum」、訳せば人民戦線博物館になります。1986年~1991年のエストニアとバルト3国の独立運動に関しての博物館で基本的にエストニア人向けのもののようです。水曜日~日曜日の10時~17時オープンのハズですが、それらしき物は開いておらず。
少し期待していた場所だけに残念でした。 -
独立戦争勝利記念塔と左奥の8月20日広場とお祭り中のワバドゥセ広場。
左奥の丘は中世要塞としてタリン防衛にあたっていた時期もあるそうです。時代の生き証人達が見守るワバドゥセ広場。いつまでもエストニア共和国の独立と平和が続くことを祈ります。 -
インストラクターに合わせて自由参加で参加したい人が各自参加するっていう感じのフィットネスイベントで途中からの参加の人も多くいました。というか赤ん坊や犬連れての参加の方も多く非常にゆるい雰囲気で身体を動かされていました。
バレーのネットとか、テントのブースも健康関連の物が多い印象だったのでそういうイベントだったのですかね。
さりげなく奥にカールリ教会の2つの塔の片方の塔が見えます。 -
新しいビルでも戦前に建てられた物に囲まれているワバドゥセ広場。ワバドゥセ広場は10年ほど前にバスが乗り入れる駐車場から、公園の様な広場に生まれ変わりこのようなイベントを開く事が多くなりました。
エストニア独立当初から大きな出来事にワバドゥセ広場は関わってきました。その頃の写真と比較しても景色が変わらない、それってなかなかすごいことだと思います。
エストニアは非常に発展している途中ですが、この景色はいつまでも変わらないで欲しいなあ。
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