2019/09/13 - 2019/09/22
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かるあみるくさん
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エストニア旅行パート6!
ワバドゥセ広場からカールリ通りを通りカールリ教会を外から見て、VABAMU Museum of Occupations and Freedom(占領と自由の博物館)へ向かいます。
エストニアが1941年~1944年ナチスドイツに、1944年~1991年ソビエト連邦の占領されていた時代についての展示とその後の独立回復後についての展示がある博物館で長く辛いエストニアの歴史を学びます。
VABAMUを出た後歩きすぎで足が辛かったためバスで移動しようとしますがバスが良いタイミングで来ず、かなり辛い思いをしながらワバドゥセ広場停留所まで向かうところがこのパートです。
今回はちょっと暗い話が多いですがエストニアの歴史を知る上で非常に重要な話の一つになると思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ワバドゥセ広場の反対側にあるこの建物はタリン市役所として使われているものです。1932年建設、独立後タリン市が首都として大きくなっていく中で新しいビルを建て市役所にしたようです。下の2枚の写真の建物とともにワバドゥセ広場の反対側もこの様な歴史有る建物が並んでいます。
ラエコヤ広場にあるタリン市役所は現役で活動をしておりますが、メインに使われているのはこちらになります。なおタリン市は8つの行政地区にわかれていて各行政地区の役所も存在しています。 -
1926年に映画館として建てられたこの建物今は「Vene Teater」という劇場になっております。veneはエストニア語でロシアを差す言葉で訳せばロシア劇場となります。その名の通りロシアで書かれた脚本をもとに演劇を行っておりロシア系住民を中心にタリン市民からも人気が高いそうです。ソビエト占領下の1948年にロシア語の劇場としてオープンしました。紆余曲折ありましたが独立回復後もロシア語の、ロシア人の劇場としてタリン市民を楽しませてきています。
ロシア語の劇場 by かるあみるくさんロシア劇場 劇場・ホール・ショー
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1937年に完成しエストニアに限らずバルト海地区屈指のホテルとして開業したパレスホテル。その後エストニアがソビエト連邦の占領下におかれソビエト当局の運営を経て、ソビエト末期にはソビエトとフィンランドの合弁会社として運営されていた時期もあります。一時期スカディックパレスホテルとして運営されていましたが現在はタリンホテルという会社が運営しています。
ちなみにお値段はやはり相当な様で、いつかまた来たときには泊まりたいなあと思ったり(笑 -
車止め代わりのハト?カモメ?の像です。エストニアだからカモメかな。
奥にあるテントの大きさでわかると思いますが、これ割とでかかったです。それこそ座れるくらいに。 -
タリンの交通機関の停留所の案内はこんな看板が立っています。停留所の名前とその上の絵はバス、トロリーバスを区別するための絵で、その下の数字はこのバス停を経由する系統になります。
https://www.visittallinn.ee/eng/visitor/plan/getting-around/public-transport
上記のURLから時刻表と路線図が見ることができるのでこれを参考に観光をすればあまり迷うことはないと思います。
ただ実は一部タリン市運営以外のバスもありそれはタリンカードが使えないので注意が必要です。 -
当初はワバドゥセ広場から北へ向かいラエコヤ広場やその近辺の景色を見て回ろうと考えていましたが、キーク・イン・デ・キョクの石段の螺旋階段を上っている当たりで左足首に痛みを感じてきたので市街地の外のVabamu(占領と自由の博物館)へ向かい展示を見ることにしました。旧市街の石畳は景色としては非常に良いんですが、足への負担が大きいので。まあこれが正解だったかはわかりません、結果的に歩く距離は増えていきます。
写真はカールリ通りからワバドゥセ広場方面を見た、つまり進行方向反対側を見た物です。広い分離帯の木々がすごく良い雰囲気だったから写真を撮影しようとしたんですが逆光が酷すぎて後ろ方面を撮りました。 -
石畳じゃなくても足首が痛い!足を引きづりながらなんとか上ってきました。上の写真でもわかると思うんですが、ずっと上り坂で普段ならたいしたことない距離なんですがわりと辛かったです。
この写真もカメラと帰国後フォトショップで相当補正かけてますが、実際の所は逆光で良く見えず。
旧市街の外にあるルター派教会であるカールリ教会です。エストニアはヨーロッパでは珍しく現在無宗教の人も非常に多い国なんですが、立派な教会は旧市街の外にもあります。二つの尖塔を持つカールリ教会 by かるあみるくさんタリン チャールズ教会 寺院・教会
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2つの塔を持つカールリ教会。スウェーデン王カール11世の命で1670年に創立も大北方戦争の大火で焼け落ちました。現在の教会は石灰岩で1862年から再建されたものです。エストニア最大のオルガンを持ち現在ではコンサートホールとしても利用されているそうです。
1924年12月にエストニア共産党のヤーン・アンヴェルトが起こしたクーデターにより殉職した兵士や警察官の国葬が行われた会場でもあります。 -
カールリ教会の前まで行ってみたかったんですが中央分離帯の離れ小島みたいなところにあり車で入るのは簡単そうなんですが、歩いて入るのは難しそうなので上の写真で諦めVABAMUに向かいます。土曜日に開いている場所ではなかったということとVABAMUの閉館が18:00の為で見学時間を考えると割と余裕がなかったからです。
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到着しました、VABAMU Museum of Occupations and Freedomです。
この博物館は受付で音声端末を借りて、その端末からの音声で聞くということが展示のかなりの部分を占めます。特に占領時代を生き抜いた人たちの生の声を聞けるというなかなか珍しいタイプの博物館です。
ということは・・・英語力が・・・。
まあ七割くらいは聞けた気がしますが、ゆっくり読めばなんとかなる英語での説明文と違い聞くことに必死になってしまうところもありました。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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木々に囲まれておしゃれな美術館の様な様子もある建物の佇まい。ただこの博物館で展示されている内容は凄惨なものも多いのです。
占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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シベリアのグラーグへ移送される貨車をイメージした作りで実際に人が入ると列車の揺れが再現されます。よく見てもらえればわかりますが、側面は光が少し入ってくる状態でこの状態で極寒のシベリアを走ったら中の人は到着前に亡くなるのだろうなと想像させられます。
また非常に大きく揺れる形で、実際にこんな揺れるのだったら貨車の素材も保線も悪くまさしく貨物同然、それ以下だったんだなとも感じました。もっともソ連の補選能力そのものが低く一般の車両でもそうだったのかもしれないですが。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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貨車の側面にはシベリアのグラーグに移送される人が持っていた物が展示されています。
少し暗いのと角度が悪くてわかりにくい写真でもうしわけありません。内容が内容だけに撮影や直視するのが辛かったのかも。この博物館での撮影はかなり少ない枚数でした。疲れが来ているのと時間が少ないのもあったと思いますが。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ガイド端末の英語説明によればグラーグにて描かれたスケッチだとか。
凄惨な生活の様子がわかります・・・。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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グラーグの一室をイメージされて造られた部屋です。左手は非常に簡易的なベッド。上に書かれている文字は収容所の壁に書かれた手書きの字(血文字?)をイメージしており、横の壁にはブロック体で英語、ロシア語で訳されたものが書かれています。
余談ですがどうしても一般的な感覚だとソビエト(ロシア)がエストニアを支配したという事で支配者ロシア人、被支配者エストニア人というイメージになりがちです。それは間違っていないところもあるのですが、モスクワの意向に逆らえないとはいえ共産党支配という事で支配者には多くのエストニア人もいたことは事実です。また追放された人の中にはロシア人、ウクライナ人、スウェーデン人などもおり一概にロシアVSエストニアという構図にならないのが複雑で、独立回復後も様々な問題が起きたりしました。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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文章の内容です。静止画だとわかりませんが少しずつ字を書くように新たな文字が浮かんでくるようになっています。私はエストニア語はほとんどわからないので横のブロック体の英語を読むしかないんですが、エストニア語が読める人はこの生々しいブロック体で書かれたものを見てより現実感があるのだろうなと思います。
占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ナチスドイツにより強制収容所に収容され命を落としたユダヤ人少女の一生を写真で綴ったドキュメントが流れていました。横の棚には少女に関する展示やエストニアのユダヤ人に関してのものがありました。
元々エストニアではユダヤ人コミュニティはさほど大きくはなかったのですが、NASDAP統治の間にほぼ全てのユダヤ人は殺されてしまいました。
エストニアにも規模は大きくないですが、クルーガやジャガラ、ヴァイヴァラに強制収容所がありました。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ロシアにおけるボリシェヴィキとドイツにおけるNASDAPの権力掌握の違いについて書かれています。この博物館、前記した音声端末だけでなく案内も液晶で表示することで内容量を増やしたりと工夫は随所に見られます。
エストニアの多くの展示にみられがちですが、ナチスドイツに対してよりソビエト連邦の方がさらに評価は悪くなっています。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エストニア・ソビエト社会主義共和国(ENSV)時代のプロパガンダポスターの展示です。ENSV時代はロシア語教育は行われていたものの、庶民が話す言葉はエストニア語でしたのでプロパガンダポスターも多くはエストニア語での物となっています。
真ん中上のポスターはソビエトを構成する共和国の旗を描いていますが、ENSVの国旗はソビエト国旗の上にあるものになります。ラトビアソビエト社会主義共和国の国旗も非常に似ているのでややこしいです。
ちなみに閉館間際で観光客は少なかったんですが、自分の前を回っていたカップルがロシア語を母語とする人でモニターの言葉が全てロシア語に変わっていました。これくらいだったら読めるのでそのままで撮っちゃったのでちょっとわかりにくいですね・・・。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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次のコーナーに行くための通路はこんな感じで狭く、木々の生い茂った中を進むような雰囲気で造られています。エストニアの森を抜けてその先に未来があるみたいな構造です。
占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ここからはいくらか明るい、というかソビエト時代の一般庶民の生活の様子となります。広く広大なソビエト、社会主義で皆平等などという建前はともかくそうとうな生活格差はありこれは1970年代後半から80年代前半のエストニアの集合団地の様子のようです。エストニアはソビエトの中でもモスクワやレニングラードといった大都市を除けば非常に生活水準が高い地域だったので、割と日本の60年~70年代と同水準(10年ほど送れている)程度の生活だったようです。
これは配給品のテレビでカラーになっています。映像は当時のプロパガンダの様でした。ちなみに現在のエストニアではテレビというより家電は日本・韓国・中国製が席巻しており家電に関して言えば日本で見るとのあまり変わらないです。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これが当時の団地の台所とダイニングの様子です。今日本で言うところのダイニングキッチンとは大分違いますが、これも一応ダイニングキッチンの一形態なのでしょうか。窓をイメージしている映像からは近所の団地の様子が見えます。エストニアのタリンだとすると郊外のラスナマエ地区なのでしょうか。
占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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キッチン部分です。まあまあ機能的。ソビエト連邦と聞いて想像出来る生活よりはよほど近代的でしょうか。
まあ実際の所、バルト3国を除く構成国の多くではソビエト時代の方が自由はなくても生活は豊かだったという回答が多く出たという世論調査があるほどですから、ソビエト時代の生活はそこまで悪くなかったのだと思います。特にENSVは経済的にも発展し、フィンランドとの結びつきも有る程度あったのでソビエトの中では豊かでもありました。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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газированная водаはロシア語で言うところの炭酸水なので炭酸水の自販機?でしょうか。閉館時間が迫っていて18時に閉館するよというアナウンスが流れている状態であまりゆっくり見れなかったのが残念です。
ちなみに現在のエストニアでもどちらかというと炭酸水が主流でstillwaterの表記を選ばないと炭酸水になります。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1979年のエストニアソビエト共和国の写真です。モスクワオリンピックのヨット競技は海のないモスクワでは出来ずタリン近郊のピリタで開催されたためタリンが急速に近代化した時期になります。社会主義の雰囲気は強く出ていますが、占領開始当初のスターリンやベリヤがソビエトの指導者だった頃よりはいくらか落ち着いた時代でしょうか。
真ん中右端の写真に写っている旗が当時のENSVの旗で独立直前に現在の国旗に戻されるまで使われていました。今の国旗は権力とブルジョアの象徴として掲揚は禁止されていましたが、後々買ったリーフレットを読むとペレストロイカの進行により80年代後半少しずつ民間レベルでは使われていたようです。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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子どもが遊んでいるのではなくオブジェです。案内板がなく(急いでいて見逃した?)どういう意味があるのかは不明です。
占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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2002年から2003年の博物館を建設時の写真のようです。ちなみにこの博物館、当初は占領博物館としてナチスドイツとソビエトの占領時代を中心に展示していたそうですが2018年頃に改装され現在の内容と展示方法にかわっています。
端末を持って説明を聞くという展示は割とみますが、占領時代を生き延びた登場人物が直接話しかけてくるスタイルというのは珍しい気がします。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ソビエト版のレコードですかね。割と高価そうな作りをしていますが・・・。
私自身小さい頃からCDの世代なのでこのあたりはあまりわかりません。占領博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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建物の全景を撮っていないのが残念ですが割とおしゃれな作りになっています。写真上部の部分はカフェになっており地上部分はエントランスとカフェくらいしかないのもあり最初そっちに迷い込んだりしました。今更ながら道路渡って全景撮影しておけばよかったなあ。
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スーツケースのオブジェクト。この博物館が占領時代をテーマに扱ったものと考えればこのスーツケースは・・・。
1940年頃によく見られたスーツケースの形なのか、強制収容所の話が出てくるときは割とよく見るデザインです。 -
VABAMUの横にあるKaitseliit(エストニア防衛協会)本部の建物です。エストニアは徴兵制の国家ですが、徴兵制度は緊急時の為の訓練という意味合いもあるようでエストニア防衛協会は国防省とは別の組織ではありますが必要時には動員をかけ戦闘向かうことになります。
ロシアという仮想敵国がいる以上どうしてもこの様な組織は必要になり、近い将来ロシアが攻めてくるのでは?と思うエストニア人は決して少なくないようです。 -
そしてKaitseliitに掲げられていた独立100周年のマークとエンブレム、そしてKaitseliitの紋章のマークです。ソビエトの占領前から存在するKaitseliit、独立期間の約半分はソビエトによる占領という形になってしまいましたが、次に100年はその様な事が起きずに経過してくれたらと思います。
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VABAMUから今度の目的地のViru門はそんなに距離はないんですが、歩くのが辛くなってきたこともありカールリ教会反対側のバス停に来ました。バスは来るんですがバス停の方には来ず追い越し車線の左側ばかり走っていくのでスマホで路線図見てみるとこのバス停ほとんど通過だ・・・。仕方ないと思ってワバドゥセ広場までいってそこからトラム乗るかと思って歩き出したあとふと後ろを振り返るとトロリーバス停車中。そっか系統の数では通過が多くてもバス自体は10分に1本程度あるのね・・・。待っておけばよかった。
現地時間18時になりましたが日本時間では24時、しかも関空深夜発の便であまりしっかり寝れないこともあり判断力がだいぶやばくなっているようです(笑 -
足がボロボロで歩くのも辛い状況でしたがなんとかタリン市役所の前まで戻ってきました。タイムスタンプをみると行きはカールリ教会を経由してVABAMUまで7分、帰りは経由地なしで9分かかっているのでかなり動きが鈍いです。
手前の水色と白のストライプの旗はタリン市の旗です。奥はエストニア国旗。あまり見ることはありませんでしたがタリン市が属するハリュ県の旗は上が白で下が緑の2色旗に上部中央にハリュ県の紋章が入ります。というよりエストニアの県の旗は全て構成は変わらず、県の紋章のみの違いという作りになっています。 -
タリン市役所のドアになります。左手上方はだいたいどの大きな建物にもある建築家と建築年のプレート、その下はタリン市役所とかいてあります。
小さくて読みにくいと思いますが車いすマークの上に開庁時間が書いてありまして、月曜日~木曜日は8:15~17:00、金曜日は8:15~14:00となっています。エストニアの曜日表記は英語・ロシア語とはまったく異なっていてわかりにくいのですが、エストニア語もしくは略号だけで書かれているところも多いので覚えておくと便利です。
月曜日:esmaspäev
火曜日:teisipäev
水曜日:kolmapäev
木曜日:Neljapäev
金曜日:reede
土曜日:lauppäev
日曜日:puhapäev
略号は頭文字一文字になります。ちなみに金曜日だけpäevがついていないのはミスとかじゃなく本当にこうなってるんです。なんでかは不明ですが・・・。 -
今度はロシア劇場の前です。そしてこれがロシア語で書かれたプログラム一覧です。
タリン市では市民の40%ほどがロシア人という割合で実質的にロシア語圏でもあるんですが、エストニア国内ではロシア語表記が厳しく制限されている為に街を歩いていてもロシア語圏というイメージはあまりわきません。ロシア語のTV放送は制限されていないので見ることは出来るのですが歴史的な事もありロシア人の権利をあまり認めていないエストニアではこういう物を見ることでロシア人のアイデンティティーを保っているのもあるのかもしれません。ロシア語の劇場 by かるあみるくさんロシア劇場 劇場・ホール・ショー
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ワバドゥセ広場停留所は車道の間にホームがある形なのでトラム待っている間こんな写真を撮っていました。道路と区切りをする柵もありますし、歩道のようにかさ上げされていて日本の路面電車となんらかわらない停留所でした。横からの道はトラムはないもののトロリーバスが通っているので架線が交差しています。
1867年に造られたタリンのヤーニクリーク。旧市街の教会に比べれば非常に新しいですが、日本では幕末の明治維新前夜だってことを考えると古いものと感じます。 -
ワバドゥセ広場の交差点に面したTallinna Inglise Kolledž(タリン英語学校)のキャンパスです。1940年に設立された現役では最も古いエストニアの英語学校になります。もっともソビエト時代は一般の学校として運営されていた様ですし、この建物は海軍学校のものだったようで現在地に移転してくるのは1996年になります。
エストニアは特に若い世代には非常に英語が通じる国で、逆に流ちょうすぎて聞き取りにくかったりもするんですが英語教育の賜なのかもしれません。 -
ワバドゥセ広場停留所にある案内です。この後も含めて私が訪れたタリン市内のトラム、バス、トロリーバスのバス停には日本で言う駅名表と言うか各バス停の名前と、タリン市内の交通の路線図が貼ってあるので非常に助かります。またバス停のアナウンスもエストニア語のみですがありますので降りる場所に関して特に困ることはないと思います。
まあ旅行中思ったのはスマホとwifiさえあれば日本語でいくらでも検索効くのであまり必要ないかなとも感じましたけど・・・。
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