2019/09/13 - 2019/09/22
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この旅行記のスケジュール
2019/09/18
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電車での移動
Elron Baltijaam→Tartujaam
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パウルセ教会
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この旅行記スケジュールを元に
エストニア旅行記パート26です。このパートから5日目で、この日は日帰りでエストニア南部の学問都市であるタルトゥへ向かいます。
タルトゥへは鉄道とバスと手段がありますが行きは鉄道で向かうことに。
タルトゥ駅は前日訪れたナルヴァ駅と違い開業当初の駅舎がそのまま残っていて、19世紀の鉄道資料を博物館の様に展示していました。
タルトゥ駅を出てタルトゥの街並みを見ながら市街地へ向かい、途中にあるKGB監獄博物館に入ります。この博物館はソビエト占領下にタルトゥで実際にKGBが活動していた施設で、一軒普通のビルですが地下に牢獄と薄暗い部屋が残っていてそこでKGBの行っていた事や、ソビエト占領下のエストニアでいかに人口が減少したかなどを展示していました。
一部見るのが辛いものもありましたが、それはこの旅行記では載せていませんので安心してご覧下さい。
それでは、タルトゥの旅のスタートです。
※私事ですが現在仕事が忙しく今までは書き貯めしていた旅行記を週末に書き上げて更新していましたが、2月半ばまでそれが難しそうで次回アップは2月中旬になりそうです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅行5日目朝のバルト駅の発車案内板です。この日はタルトゥへの観光のため一番下に表記されているValga行きに乗ってタルトゥへ向かう予定になっています。
とは言えこのまま列車に乗るわけではなく朝食会場に向かったらあまりの混雑で座れるところもなかったため駅前をウロウロしている時に撮影しました。
この日も平日でタリンへ出勤してくる人がバルト駅には大勢いました。 -
この日は旅行中唯一といっても良いほど朝食会場が大混雑で、時間を待っても開く気配がありませんでした。どうやら中国か台湾の団体が泊まっていた様ですごい混雑・・・。
電車の出発時間を考えてもあまり余裕はないので、昨日の夕食同様ホテルの1階にあるSelverによってピザとスープを購入しました。Go Hotel Shnelli ホテル
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中はこんな感じ。トマト風味のスープで美味しかった。
結果的にはいつも同じ朝食と違いましたし、昨日美味しかったスープの別の味を食べれて良かったのかもしれません。Go Hotel Shnelli ホテル
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タルトゥへ向かう列車は昨日ナルヴァからタリンに帰った際と同じく気動車の4連。2422編成の編成名はReval。エストニア独立までのタリンの旧名です。2013年7月にElronに加入し2014年1月から運用入りしています。ちなみにこの編成の一つ後に導入した2425編成の編成名はDorpatでタルトゥの旧名です。
タリン駅 駅
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朝のタリン市郊外の様子です。車の数も多く通勤ラッシュの時間帯です。
タリンでも通勤ラッシュはありますが、そもそもの人口が少ないこともあり日本ほどの大移動はおきません。ただ車移動中心で道路によっては結構な混雑になるようです。 -
タリン南部の古びた工場群の建物の一つに屋上より上部が増築されたのかちょっと雰囲気が違う上層階になっていました。地震がないからかエストニアではこのような建築は割と見ました。それ以外は廃工場の様な雰囲気ですが、増築した場所があると今でも使われているのでしょうね。
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タパ到着直前には貨物ヤードなのか引き込み線なのか左右に線路が増えている場所がありました。1520mmの広軌、ロシアゲージでの線路は迫力があります。
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ナルヴァ方面とタルトゥ方面の分岐駅であるタパ駅にはL-1361蒸気機関車が保存されていました。1996年にタパ市の70周年を祝ってこの場所に展示されるようになったそうです。1950年コロムナ工場製で1963年から引退する1975年まではタルトゥを拠点にエストニア内での運用に着いたそうです。
写真には撮れませんでしたが、タパ駅は巨大な給水塔がホームに残っていたり、分岐付近には車両基地もあったりと鉄道的には面白いネタが多い街でした。今回は鉄道で通過しただけですけどね。 -
そんなこんなでValga行き列車は無事にタルトゥに到着しました。
タルトゥでは南部のロシアとの国境の都市であるPiusa行きの2両編成の気動車が待機していました。Valga行きの列車が3分程遅れた為接続を取るために出発を遅らした様です。車内でエストニア語のみですがその様な内容だと思う放送が入っていました。 2236編成で編成名はPisuhänd。エストニア神話に出てくる龍の名前かそれを由来にした独立戦争時の装甲列車の名前から取られています。他の編成が神話から取られていると思われるのでこの編成も神話からの由来ですかね。タルトゥ駅 駅
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Valga行きの4両編成とPiusa行きの2両編成。このあたりは電化されていないのでどちらも気動車です。
ラトビアやリトアニアと違いエストニアは地方路線も電車も気動車も全てこの系列の車両で統一されています。タルトゥ駅 駅
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駅舎の反対側には使われていない施設が放置されていました。実はタルトゥ駅は広大な操車場スペースを持つのですが、現在ではそのうち使われているのはごく一部の施設になっています。その為わかりにくいですが、この向こうには操車場が広がっています。
タルトゥ駅 駅
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この角度だといくらかわかりやすいですが、奥に見える有蓋車のあたりからさらに奥が操車場になっています。実はナルヴァ経由よりもよりモスクワと直線で結べるルートはタリン-タパ-Piusa-ペチョールイ-プスコフ-モスクワなので貨物としてはタルトゥ付近もまだまだ活気があります。
ちなみにこのルートは旅客鉄道は運行されていません(Piusa-ペチョールイに旅客便がない)タルトゥ駅 駅
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タルトゥ駅の駅舎です。サンクトペテルブルク-タリンが1870年に開業したあとその支線としてタルトゥまでの支線が1876年に出来その際に完成した駅舎がそのまま使われています。タルトゥまでの支線はその後リーガへ接続するために1889年ヴァルガまで延伸されています。
タルトゥ駅 駅
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ホーム中程にある一軒待合室の様なこの部屋は駅舎側へのホームへと繋がる階段を囲っている場所でした。タリン駅と同じくホームには番線が振ってあります。
タルトゥ駅 駅
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この階段は当初からの設備ではないと思いますが、それなりに年期が入っている雰囲気です。
そんなに通る列車は多くないですが、ナルヴァの様な構内踏切ではなく、地下道で両方のホームを接続しています。タルトゥ駅 駅
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バリアフリーなんてまったく考えられない時代に造られたタルトゥ駅なのでエレベーターやエスカレーターなんてありません。そのため車いす用に自動リフトが設置されていました。日本でも時々稼働しているのを見たことがあります。
タルトゥ駅 駅
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日本とは違い駅員ではなく本人、もしくは介助者が使う形のようで使い方の説明が書いてありました。
大丈夫かと思いましたけどよく考えればタルトゥ駅は無人駅でした・・・。
というかひょっとしてバルト駅以外無人駅??タルトゥ駅 駅
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地下道は明かりも付いていてある程度の明るさもありました。列車到着時はそれなりに人が居たんですが、いろいろとホームで見学しているうちに誰もいなくなってしまました。これはタリン側のホームの下についたところから振り返った図。
ちなみにこの地下道の中にトイレがあり、無料で使うことが出来ました。タルトゥ駅 駅
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階段を上がると1番ホームへ出てきました。これはタリン方面への線路。駅構内の保線はかなり綺麗にされていました。
駅構内に限らず保線は割としっかりしているのか揺れは少なかったです。1520mmの恩恵の可能性もありますけどね。タルトゥ駅 駅
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1番線は駅舎と屋根が直結している造りです。ホームは綺麗になっていますがかさ上げはされていないですし、タルトゥ駅が出来た頃からこんな雰囲気だったのでしょうね。タルトゥはエストニア第二の都市ですが移動の主体はバスになっていてタルトゥ駅はガラガラデした。
タルトゥ駅 駅
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それではホームから駅舎に入っていきます。
タルトゥ駅は開業当初の駅舎が使われていて駅舎は非常に広いものの、実際に今使うスペースはほとんどないということもあって鉄道博物館の様になっていました。実際の車両の展示こそないものの資料は多く面白かったです。タルトゥ駅 駅
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英語かロシア語で書いてある資料はある程度理解できますが、エストニア語で書かれているのはお手上げでした。写真をとって帰国後に訳すという手もありますが、あまりにも膨大な作業になるのでやめてそういうものは雰囲気だけ楽しむことに。それでも十分楽しめます。
タルトゥ駅 駅
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ロシア帝国時代から独立直後にタルトゥ駅で使われたものも展示されています。右側には1944年のダイヤグラムも置いてありました。
タルトゥ駅 駅
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過去の切符なども展示されていました。統治者が次々に変わったこともあり様々な切符があります。書かれている文字もアルファベットにキリル文字にと時代の移り変わりを感じます。
タルトゥ駅 駅
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こんな風に小さいスペースですが歴史あるタルトゥ駅の中で鉄道遺産が展示されていました。タリンの観光スケジュールで時間をかけすぎてしまい鉄道博物館のあるハープサルへ行くことは断念したので鉄道資料を見れて良かったです。
上に掲示されている写真はタルトゥ駅舎で外見は建設当時と今もあまり変わりません。この写真がいつのものかは書かれていませんがロシア帝国時代でしょうかね。タルトゥ駅 駅
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1876年のバルト鉄道の時刻表と書かれていました。サンクトペテルブルクからレヴァル(現タリン)まで約12時間かけて運行していた様です。ナルヴァ-レヴァルで6時間なのでだいたい今の倍くらいかかっていた計算です。
ちなみにこの時刻表ロシア帝国統治時代のものですがドイツ語で書かれているようです。また都市の名前も現在の物とは違いドイツ名の都市が多くなっています。タルトゥ駅 駅
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ロシア帝国時代のエストニア領内の鉄道敷設状況のその計画図です。今でも残っている路線もありますが、1991年のエストニア独立回復後に廃線となった路線も多くあります。
タルトゥ駅 駅
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待合室として使われている部屋から展示室になっている部屋を撮影。待合室のが狭い・・・。
現在はエストニア第二の都市ですがこの駅舎が建築された当初はロシア帝国の都市の一つ。ただ当時でも北リヴォニアの中心地でしたし、サンクトペテルブルクからリガに向けて走る路線の駅ではありかなり大きい駅舎で建てられた様です。タルトゥ駅 駅
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少し暗くなってしまいましたけど待合室のホールの様子です。実はタルトゥ駅の内装は2006年8月に放火により燃えています。ソビエト占領下時に改装された内装は燃えましたが2012年に建設当初の形に似せて復元されています。
実はタルトゥ駅も他の多くの駅の様に直接ホームに入ることが出来る構造なのですが、駅舎解体とかにならず復元になって良かったです。タルトゥ駅 駅
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待合室の天井とシャンデリアです。火災前のソビエト時代の内装というのも気にはなったんですがネットで検索しても出てこず・・・。当時は駅舎としての利用の他企業のテナントなども入っていた様です。
タルトゥ駅は位置の悪さや便の少なさであまり利用がない駅ですがいつまでもこの駅舎が維持されればいいなあと思います。タルトゥ駅 駅
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タリンのバルト駅にもあった発車案内がありますが、タルトゥ駅は第二の都市とは言え発着本数は非常に少なく10時台で既に夕方便が出ていました。
基本的に1日タリンに4本、ヴァルガへ4本、Koidula方面へ2本という感じです。タルトゥ駅 駅
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スポーツ博物館がタルトゥ旧市街にあってそれの案内です。スポーツ博物館だけあって1500m歩いて来いという形なんでしょうか(笑
マークの色合いから当初は昔のWindowsかと思いました(笑 -
タルトゥのバスはタリンやナルヴァと違い可愛い雰囲気の塗装がされていました。タルトゥのバスは2019年7月から運営事業者がGobusに変わっていて、全てその際に新車が入った様です。塗装はタルトゥの観光地が描かれています。
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タルトゥ駅の駅前広場とそこからまっすぐタルトゥ市中心部へ繋がる道が奥に続いています。タルトゥは人口10万人超のエストニア第二の都市ですが、市の中心部はここから北東に1.5キロほど離れたところが中心地となっていて、このあたりは閑静な住宅街が広がっていて観光客の雰囲気はまったくありません。
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イチオシ
駅前広場の植樹があったり引きがあまりなく(これより下がると道路に出てしまう)少し両サイドが切れてしまいましたがこれがタルトゥ駅の駅舎です。ロシア帝国時代に造られてから大きな変化はないそうです。タクシーが駅前に居たり道路が舗装されては居ますが、ロシア帝国時代のエストニア・リヴォニアの様子を少しだけ想像することが出来ました。
タルトゥ駅 駅
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駅前からの道路は植樹が綺麗にされています。このまままっすぐに行くとタルトゥ大聖堂跡なども近いのですがまずは別の方向に進んでいきます。それにしてもタルトゥ駅周辺、音がしない・・・。車も止まっているのですが走っている車が少なく静かさはナルヴァ駅前以上かも。
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タルトゥ駅舎のすぐそばにあったホステルです。建物の雰囲気からするとロシア帝国時代の建造物だと思うので、タルトゥ駅が出来た頃に出来た施設を流用している建物なのかもしれません。
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タルトゥの駅の側には立派な給水塔が建てられていました。これは1950年代に建設されたものだそうです。その後比較的早くに無煙化されていますが、まだ給水塔は駅のシンボルの様に健在でした。
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タルトゥ駅から最初の目的地、KGB監獄博物館へ向かっています。このあたりはタルトゥ駅周辺の住宅地ですが平日と言うこともあり人気がまったくありません。とは言え治安の悪さを感じることはなく安心して街歩きを楽しめます。
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昨日のナルヴァやタリンの旧市街とは雰囲気の違う街並みが広がっています。似ているとすれば3日目のストローミ地区から帰ってきた際に歩いたホテル近郊の街並みに似ている感じでしょうかね。
色合いも派手ではない木造家屋が建ち並んでいました。 -
他のエストニアの街と同様、タルトゥも特に駅周辺は工事が多く、舗装が剥がされた状態の場所も多かったです。それ以外の場所もかなり傷んだ舗装だったのでこれから綺麗にしていくのでしょうね。
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タルトゥの駅周辺は独立戦争、第二次世界大戦の被害が少なかった事もありロシア帝国時代と思われる木造建築がかなり残っていました。地震がないから木造建築が数多く残っているのはわかるのですが、冬場とかこの構造で寒くないのかなと気になります。
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立ち寄るわけではないですがタルトゥの名所の一つパウルセ教会(聖パウロ教会)が見えてきました。 エリエル・サーリネンが設計の教会で独立戦争の最中の1919年に竣工しています。工事の開始は1915年なのでロシア帝国として第一次世界大戦に参戦中で完成は独立戦争中、4年で所属する国も都市の名前も変わりました。
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観光地としては旧市街のヤーニ教会や市北部のペテリ教会の方が有名だとは思いますがこの教会も壮大なレンガ造りの物です。現在はコンサートなどでも利用されているそうで見学も出来ますが、タルトゥ観光の時間を考え外から見るだけになりました。
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タルトゥの新市街の様子です。この後行くタルトゥ新市街の中心部は近代的な建築が立ち並ぶ都心部でしたが、その周囲にはソビエト占領下で建てられたソビエトの様な街並みが続く場所もあります。こういう雰囲気はタリンやナルヴァ郊外の街並みとあまり変わりません。
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みただけでは謎のモニュメントがありました。書いてある文字は1940.6.17-1994.8.31。ソビエト軍が駐留していた期間が書かれていました。このモニュメントはソビエト軍の不法占拠とエストニアの独立回復を記念した碑でした。
ちなみに独立回復した1991.8.20ではなく1994.8.31なのは、この日がエストニアから最後のロシア軍が撤退した日だからだと思います。 -
目的地まで歩いている最中に見つけたこの建物、ずいぶん立派なたてものですが現在の使用はともかく建物の由来は不明でした。
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さてタルトゥで最初に観光する場所はこの建物にあります。一見普通の建物ですがこの建物はKGB監獄博物館。実際に冷戦期にはこの建物の地下にKGBのタルトゥ本部があり反体制分子を取り締まっていた場所です。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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今でもここに博物館があることは看板が無ければ気付きません。入るのもこの看板のドアを開けたあと、地下へと続く階段のドアを開け入る形になっています。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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第二次大戦中保護国化したチェコスロバキアの統治を行い数々の圧政を敷くも暗殺された親衛隊幹部ラインハルト・ハイドリヒの企画展が行われていました。特にエストニアに関する物をピックアップしたものではなく、彼の人生やチェコでの統治、暗殺とその後のナチスドイツによる報復などが展示されていました。虐殺された人の写真やチェコ統治に荷担したナチスドイツの幹部の絞首刑の写真など日本ではまず後悔されないだろう写真も展示されていました。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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第二次世界大戦とソビエト占領当時の写真とデーターで振り返るコーナーがありました。エストニア・ラトビア・リトアニアでどのような理由でどれだけの人が人が亡くなっていったか、シベリアに追放されたか、また戻って来れたかなど書かれていました。1940年~90年の50年はエストニアにとって辛い時代でした・・・。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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事務机です。電話と照明があるだけの簡易的なものでした。この電話はルビャンカに直結だったそうです。
タルトゥは郊外に空軍基地があり戦略爆撃機部隊がいたこともありソビエト占領下では外国人立ち入り禁止区域でした。一方学問の都でもあり1970年代後半には独立・民族運動が起きていた地でもあります。その為KGBは諜報活動に相当な力を入れていたそうです。KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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KGBの工作員が実際に持ち歩いていた工具が展示されていました。様々な工作を行っていたのでしょう・・・。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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説明するまでもないですが電気椅子です・・・。
タルトゥで使用されたものではないとのこと。KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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KGBの看守を再現した蝋人形。あると知らずに進むとびっくりします。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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囚人用の部屋が展示されていました。最初トイレかと思いましたがこれが部屋な様です。拷問なども日常的に行われていたとのことです。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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タルトゥがナチスドイツに占領されていた時代の写真です。1944年に労農赤軍の攻勢で奪還されるまでドイツ軍政が市を統治していました。ソ連軍の空爆が激しかったこともあり旧市街では甚大な被害が出たそうです。
KGB監獄博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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